龍馬伝、京都を歩く
長崎奉行所(長崎市立山1-1-1)
亀山社中(同伊良林2-7-24)
グラバー邸(同南山手町8-1)
福山雅治主演のNHK大河ドラマ「龍馬伝」も、最終回の11月28日(第48回)まで残すところあと2ヶ月となった。9月1〜4日の長崎往訪中に、龍馬ゆかりの地を歩いた。まだまだ猛暑が続く日々であったが、さすがに龍馬伝効果であろう、ゆく先々の人出は多かった。
まず、龍馬が薩長連合に動くなか、龍馬に厳しい探索の目を光らせた幕府の長崎奉行所立山役所を訪れた。
龍馬と長崎奉行所に関わる展示がされている
現在は発掘作業も終わり、江戸時代の奉行所の姿が、残された図面に沿って復元がなされていた。この奉行所には、イギリスのイカルス号乗組員が殺害された「イカルス号事件」で、海援隊士の関与を疑われた際に、実際に龍馬が訪れたという。もし、龍馬らが捕縛されていたら取り調べを受けたであろうお白州なども館内に復元されている。
立山役所の正門も当時の石段や石組みを出来るだけ使用し、精確に再現されていた。
旧長崎奉行所立山役所の正門へ・古い石組は発掘された遺構を利用
正門前の防火用の貯水池
階段わきの井戸
階段脇の石垣・遺構を利用
幕府の権威を感じさせる正門階段
正門より表玄関を・龍馬もこの門をくぐり入って行ったのだろう
写真で見て、変色した部分が発掘された遺構が残された部分である。建物全体や正門の威容を見るに、幕末とは云え、想像していた以上に徳川幕府の威厳は無視しがたく、強大なものがあったと実感した。
大洲藩の帆船購入の保証人に才谷楳太郎の署名が
才谷は龍馬の変名
そして、土佐の一介の脱藩浪士がその幕府を倒し、新たな時代を築こうと、その大望に向かいひた走った若者たちがいたことが、途轍もないことだったのだなと感じたものである。
次に、亀山社中を訪れた。眼鏡橋から中島側沿いに上流に500m、大出(オオイデ)橋を山手方向に渡ってゆく(その日は一本手前の編笠橋を渡った)。
編笠橋石柱
元禄12年(1699)に架けられた編笠橋(S57二回目の架け直し)
禅林寺と深崇寺の間の「龍馬道り」と名づけられた幅の狭い階段道を登ってゆく。
この細い坂を210m登る
亀山社中跡まで210mと案内図にあった。結構、勾配がきついが、その途中に海援隊の隊士の紹介が順次なされるなど、休憩をとりながら登る工夫もされている。
「龍馬茶屋」というここ2、3年前に出来た店でラムネを呑んだ。
亀山社中は外見は普通の一軒家で、表から海援隊の紅白の旗「二曳(ニビキ)」が見える。
屋内は狭く、ここに社中の20数名が住んでいたとはにわかに信じがたい。10畳の座敷?には、今は、月琴やブーツなど龍馬ゆかりの品が飾られていた。
旅行者には、ボランティア・ガイドの男性が説明をし、月琴を抱えた記念写真を撮ってくれていた。室内が狭いうえ、見学者が多く、その撮影の間、その10畳の部屋でゆっくりすることが難しく、やはり、龍馬伝が終了し、静かになってからできればもう一度、行くのがよいと感じた。
社中の門を出て、右手に数メートル行った場所に、「龍馬のぶーつ像」なる変わったモニュメントがある。亀山社中創立130年を記念して建立されたものである。
龍馬のブーツ像
どの見学者も皆、そのブーツに足を入れて記念写真を撮る。なにしろ、変なモニュメントだから、つい、写真を撮ってしまう、哀しい人間の性(サガ)ではあった・・・
龍馬伝の最後は、グラバー邸である。
かなり昔に行った時には、こんなではなかった。邸内にエスカレーターあり、ビヤガーデンあり、さらには明治村よろしく旧三菱第2ドックハウスや西洋料理屋旧「自由亭」など、明治時代の建物が移築され、テーマパーク化していた。
旧三菱第二ドックハウス
ドックハウス二階バルコニーから
ドックハウス回廊
まぁ、色々あった方が旅行者にしてみれば、一挙に見学できるので便利と云えば、便利だが、かつての豪商ならではのグラバー邸の佇まいを記憶している者にとっては、ちょっと、豪商らしからぬ小賢しい商人(アキンド)の邸内のようで、少々、気落ちしたものである。
ただ、グラバー邸室内の天井裏の隠し部屋を目にした時には、幕末の緊張感や徳川幕府というとてつもない権力に立ち向かった龍馬や高杉晋作の勇気と度胸が、ストレートに胸に迫って来た。やはり、時代は「若者」が変えてゆくのだと感じた次第である。
坂本龍馬という若者が幕末という時代に顕れ、何の肩書もない一介の脱藩浪士が窮地に陥った日本を救った。なぜ、そんなことが出来たのか。わたしはグラバー邸のベンチからぼんやりと港を見下ろした。
夕暮れ時の港を見下ろす・・・
すると、
「私心を捨てさえすれば、何事も可能になるぜよ!」
と、夕暮れの空の向こうから龍馬の声が届いたような気がした。激動の幕末を一瞬にして駆け抜けた龍馬。生き方も一陣の風のようであったが、その言葉も簡潔で爽やかであった・・・。