「共謀罪の恐怖を知らしめよ!」

 共謀罪の採択日程が衆議院法務委員会で詰められている。新聞、TVの大手メディアの報道は手ぬるすぎる。法案成立までこれだけ切羽詰った状況にもかかわらず、メディアが「共謀罪の怖さ」、「運用面での恣意性」についての国民への啓蒙、周知徹底が足りない。と云うより、あまりにも問題意識が希薄であるといわざるを得ない。

 共謀罪特集を早急に製作し、報道すべきである。戦前の治安維持法の運用がどんどん拡大解釈されていった歴史の検証とあわせて国民に知らしむべきである。いま、報道機関がその本来の権力チェック機能を果たさずして、なんの存在意義があるというのか、是非、戦前の轍を踏まないでもらいたい。いや、決して踏むべきではない。

 戦前はいつしかメディアが権力の走狗となっていたことを、メディア自身がよく考えるべきである。村八分をある種、共同体のなかで歴史的に行なってきた国民性を考えた時に、この共謀罪が成立し、ある年数を経て、時代の不安が高まり、国際情勢が混乱した暁に、どのように陰湿な行動にこの国民はでるのだろうか。魔女狩りという言葉が私の頭に浮かんでくる。

 怖い!

 本当に怖い!

 日本人はつい60年前に魔女狩りを行なった国民であることを忘れてはならない。あなたの隣人が突然、密告者、いやあなたを貶(おとし)める人間に豹変する恐怖を想像してみて欲しい。そして、あなた自身、いやこの自分が密告者あるいは魔女狩りの先頭に立っている姿を想像してみて欲しい。

 われわれ平凡な人間が「ひとつの法律」と「時の権力の運用拡大」により、いとも簡単に加害者になり、そして被害者にもなった忌まわしい歴史を思い起こすべきである。

 共謀罪の議論は十分な国民的議論をした上で、厳格、限定的な適用範囲を定めるべきであると考える。決して、「国際組織犯罪防止」の観点という奇麗ごとに目を反らされるべきではない。

 権力はわれわれ国民ではなく、権力自らを護るために、この法律、共謀罪を使い、『619種類にもおよぶと言われる罪状について、「ただ、われわれが共謀するだけで」「合法的に摘発、逮捕する」、つまり共謀罪の適用範囲を拡大解釈する』時が必ず来るのである。