初春の厳島神社
泊ってみたい宿、宮島・「岩惣(いわそう)」
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国宝の北能舞台(西本願寺)を拝観しました!
能・「融(とおる)」 六条河原院の縁の地を歩く 壱
中天の満月に水上能「融」を愉しむ=パルテノン多摩
10月14日、喜多流能楽師で人間国宝である友枝昭世氏の厳島観月能を観た。午後6時開場、6時半の開演であった。一年半前に厳島神社を初めて訪ね、大鳥居を遠望し、廻廊を巡った。しかしそこは一見さん、この厳島神社はいつでも海上に浮かんでいるわけでなく、われわれ家族が行った正午直後は引き潮の時間帯であり、厳島の大伽藍は海草のだらしなくへばりつく無惨な砂浜に立っていた。もちろん、あのあまりにも有名な海中にあるはずの朱塗りの大鳥居も重石が剥き出しになっていた。
廻廊の下にひたひたと打ち寄せる波の音とは、いかなかったのである。神社の詳しいことは、開場前に厳島神社の権禰宜の方に社内を特別にご案内いただいたので、その話は別途することにしたい。
重石が見える干潮時(2008.3)
干潮時には白州は本物の白い砂(2008.3)
さて、当日の夕刻の開演前には汐はすでに神社の奥深くまで満ちていた。重要文化財に指定されている切妻造りの能舞台(1680年、第4代広島藩主浅野綱長造立)も、腰板の裾を瀬戸内の青海波に洗わせていた。幅4m、長さ275mの朱塗りの廻廊をめぐらす厳島神社はまさに海上に浮かぶ壮大かつ幻想的な劇場と化していたのである。
檜皮で葺かれた古寂びた能舞台の前方には、廻廊の外側に三列ほど張り出して仮の「見所(けんしょ)」が設けられていた。その直ぐ後ろの廻廊内にもほぼ一杯となる椅子席(緊急用の通路分は空けていた)が設えられていた。われわれの座席は仮設の「見所」の最前列にあったが、鏡板を真正面にというわけにいかず、脇柱が少々邪魔になる右よりの場所にあった。平清盛ならぬ芸州浅野のお殿様がご覧になったであろう席より微妙に四、五人ほど脇にずれていた。まぁ、贅沢は言えぬ、新参者なのだから・・・。
昼間の激しい一時の雨も開演前には上がり、ちょっと肌寒い気温ではあったが、観劇に支障はなかった(但し、ホカホカ懐炉がパンフレットと共に配布されていたので、使用する方がよい)。午後6時半、すでにあたりは暗がりとなり、月の上がる東の空には雲がかかっていた。観月はどうも難しそうな気配であったが、上空にはじっと動かぬ北極星が輝き、観月ならぬ、観星能は期待できた。
夕刻前は舞台上まで1/3ほどの潮位であったが、開演の時分には満ち潮が進み、腰板の半分ほどの高さまで波打つようになった。舞台を照らす照明の光が白洲のさざなみに乱反射し、照り返しが能舞台の天井や鏡板、目付柱さらには能楽師に陽炎のように映じる。 鬼女が討ち取られ、舞いが終わった瞬間、一転して神の静謐があたり一帯を支配した。 幽玄の世界にゆったりと身も心をゆだねていたわたしはしばらく腰を上げることもなく、夜空を仰ぎ、海面に目を凝らし、沖合いにくっきりと浮かぶ朱塗りの大鳥居に目を転じた。すると、あの鬼女が海上を突っ走り、暗闇に乗じて戸隠山の岩屋を目指し逃げ去るのがこの目に映じた。それは幻などではなかった。確かにはっきりと見えたのである。
廻廊まで満員の見所
廻廊外に張り出した手前三列が坐り席
海面に映る能舞台と照明の光が天井に照り映える
その様は、秋の陽光を浴びた「もみぢ葉」が光芒と陰翳で織りなす「移ろい」の叙情を演出するかのようで、幻燈機の小世界が海の上で蜃気楼のように揺らいで見えた。
上ろうたちの紅葉狩り
シテ友枝昭世・ワキ森常好
平維茂が馬を下りて通りかかる
人間国宝のシテ・友枝昭世氏演じる上臈(戸隠山鬼神)が海原にぼんやり浮かぶ舞台上で序の舞を踊る姿は気品に満ち、中の舞に転じる頃には妖しげな艶やかさがただよう。そして鬼女に変じてから森常好演ずる平維茂と絡む「急の舞」は、まさに息をもつかせぬものである。
鬼に変じた急之舞
鬼女に変身
平維茂が鬼女を成敗
その転々変化の舞踊と巧みに絡み交錯する、笛の掠れた高い音色と小鼓や大鼓の乾いた音が、弥山(みせん)降ろしの清冽の大気をおごそかに揺るがせ海上を越えてとどいてくる。
家内の「寒くない?」の言葉で我に返り、紅葉谷に位置する今宵の宿「岩惣」の遅い晩餐へと想いは一挙に現実へと引き戻されて行った。