善通寺市内に五岳山と呼ばれる屏風のように聳え立つ山塊がある。西から東へ、火上山・中山・我拝師山(がはいしさん)・筆の山・香色山(こうしきざん)と麓を連ねている。

火上山・中山・我拝師山  左:筆の山 右:香色山
左から火上山・中山・我拝師山 次の右手の尖っているのが筆の山・右端が香色山

その東端の香色山東麓に、「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号する四国霊場第75番札所・善通寺が大きな伽藍を配する。


善通寺
善通寺

弘法大師・空海はこの地の豪族、佐伯善通の子として生まれ、幼名を真魚と称したという。

善通寺の西院は佐伯氏の邸宅があった跡であり、弘法大師生誕の場所として、産湯井堂を再建するなど今でも大切にされている。

産湯井堂 空海が産湯を使った井戸
産湯井堂と中にある産湯の井戸

空海が生まれ育ったこの場所のすぐ西方、香色山・筆の山・我拝師山の連山と、南方の大麻山(おおさやま)に挟まれた弘田川流域、“有岡”と呼ばれる低丘陵部がある。


王家の谷・有岡地区
王家の谷・有岡地区
善通寺済世橋より大麻山と香色山裾を
善通寺・済世橋より大麻山を見る。右手の山すそは香色山

この地が1600年ほど前には住居跡などの痕跡が少なく、逆におびただしい数の古墳や祭祀の場所であったことが確認されている。


つまり、古は奥津城(おくつき)の地として聖域視された、いわば日本版“王家の谷”とも呼ばれる聖地であったと考えられるのである(『善通寺史』・総本山善通寺編を参考とした)。


善通寺市内には現在確認されるだけで四百を超える古墳が存在し、就中、この有岡地区には大小の前方後円墳が集中していることで、全国的に有名であるという。

左に樽池を見て、奥に見える大麻山へと向かいます
ここから奥に見える大麻山の頂上近くの野田院古墳を目指す

そのなかで、大麻山山麓の比較的高所に分布する大麻山椀貸塚古墳・大麻山経塚・御忌林(ぎょうきばえ)古墳・大窪経塚古墳・丸山一号、二号墳、そして大麻山北西麓(標高405m)に位置する“野田院古墳”は、古墳時代前期に築かれた古いもので、しかも石だけを積み上げてゆく積石塚古墳というこの時期の築造法としてはわが国ではきわめて珍しいものである。

野田院古墳と大麻山頂上
野田院古墳から大麻山頂上を見る

この三世紀後期から四世紀前半という古墳時代のごく前期に築造された積石塚古墳は、同じ香川県の高松市の岩清尾山古墳群で確認される二百余基の古墳のなかに20基ほど存在している。

二段の積石塚古墳
二段に石が積み上げられている

なお、この希少な積石塚古墳は、古墳時代後期に築造されたものが遠く離れた長野県や山梨県、群馬県に存在するが、その頃には讃岐地方で積石塚古墳はすでに消滅しており、それらとの関係はまだ研究が進んでおらず、不明とのことである。

円墳上部
後円墳の上部・二つの竪穴式石室の仕組みが見える

野田院古墳はその調査で傾斜地に築いた基礎部を特殊な構造で組み上げることで、変形や崩落を防ぐというきわめて高度な土木技術によって作られていたことが判った。

展望台より野田院古墳
展望台より見る

この特殊な古墳築造形式やその技術の起源だが、現在、まだはっきりとした定説はない。

前方墳より後円墳を見る
前方の方墳から積石塚円墳を見る

しかし、この形式の墳墓は高句麗や中央アジアの遊牧民の埋葬様式として数多く見られるという。また、慶尚南道にも積石塚古墳が見られるという。

方墳
前方墳です、手前に一部、積石塚円墳です

その積石塚古墳の形も、高句麗など北方は方墳、慶尚南道の朝鮮半島の南部は円墳が多いということであるが、当地の円墳という墳形を朝鮮半島南部と直接的に関連付けるのは、まだ早計との判断のようである。

野田院古墳
山腹を削った平坦地に野田院古墳がある

さて、野田院古墳であるが、大麻山中腹のテラス状平坦地で、王家の谷である有岡地区はもちろん善通寺から丸亀平野を一望に見渡し、瀬戸内の海、さらには備前地方まで見通せる特別な場所に位置している。

王家の谷を見下ろす野田院古墳
晴れ渡った日には瀬戸内海を越え、遠く備前の地が見える

しかも築造年代が三世紀後半、卑弥呼の時代(248年前後に死亡)の50年ほど後の古墳時代のごくごく初期となれば、その埋葬主も王家の始祖にも等しき重要な人物と考えてもよいのではなかろうか。


その王家というのが、前述した弘法大師、空海の出自である佐伯氏という豪族である。

五岳山・左より火上山、中山、我拝師山
野田院古墳から王家の谷を見下ろす

王家の谷を見下ろし、すぐ先に瀬戸内海を一望する特別の地に眠る王が、のちの国家鎮護の密教・真言宗の始祖、空海の祖先であるということは、大和王朝の成り立ちや天皇家との血筋の関係においても、色々と興味深いものがあると考えたところである。


如何せん、野田院古墳から見下ろす景色が壮大かつ雄渾であることは、ここの展望台に立ってみないと実感できぬ醍醐味であることは確かである。