彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

厳島神社

友枝昭世の第13回厳島観月能「紅葉狩」の夜

 
初春の厳島神社

泊ってみたい宿、宮島・「岩惣(いわそう)」

能・発祥の地、新熊野神社(いまくまのじんじゃ)を訪ねた

国宝の北能舞台(西本願寺)を拝観しました!

能・「融(とおる)」 六条河原院の縁の地を歩く 壱

中天の満月に水上能「融」を愉しむ=パルテノン多摩

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14日、喜多流能楽師で人間国宝である友枝昭世氏の厳島観月能を観た。午後6時開場、6時半の開演であった。一年半前に厳島神社を初めて訪ね、大鳥居を遠望し、廻廊を巡った。しかしそこは一見さん、この厳島神社はいつでも海上に浮かんでいるわけでなく、われわれ家族が行った正午直後は引き潮の時間帯であり、厳島の大伽藍は海草のだらしなくへばりつく無惨な砂浜に立っていた。もちろん、あのあまりにも有名な海中にあるはずの朱塗りの大鳥居も重石が剥き出しになっていた。

 廻廊の下にひたひたと打ち寄せる波の音とは、いかなかったのである。神社の詳しいことは、開場前に厳島神社の権禰宜の方に社内を特別にご案内いただいたので、その話は別途することにしたい。

大鳥居

重石が見える干潮時(2008.3)


能舞台

干潮時には白州は本物の白い砂(2008.3)
 
さて、当日の夕刻の開演前には汐はすでに神社の奥深くまで満ちていた。重要文化財に指定されている切妻造りの能舞台(
1680年、4代広島藩主浅野綱長造立)も、腰板の裾を瀬戸内の青海波に洗わせていた。幅4m、長さ275mの朱塗りの廻廊をめぐらす厳島神社はまさに海上に浮かぶ壮大かつ幻想的な劇場と化していたのである。

 満潮の平舞台
平舞台もすぐそこに海面が


 檜皮で葺かれた古寂びた能舞台の前方には、廻廊の外側に三列ほど張り出して仮の「見所(けんしょ)」が設けられていた。その直ぐ後ろの廻廊内にもほぼ一杯となる椅子席(緊急用の通路分は空けていた)が設えられていた。われわれの座席は仮設の「見所」の最前列にあったが、鏡板を真正面にというわけにいかず、脇柱が少々邪魔になる右よりの場所にあった。平清盛ならぬ芸州浅野のお殿様がご覧になったであろう席より微妙に四、五人ほど脇にずれていた。まぁ、贅沢は言えぬ、新参者なのだから・・・。


 昼間の激しい一時の雨も開演前には上がり、ちょっと肌寒い気温ではあったが、観劇に支障はなかった(但し、ホカホカ懐炉がパンフレットと共に配布されていたので、使用する方がよい)。午後
6時半、すでにあたりは暗がりとなり、月の上がる東の空には雲がかかっていた。観月はどうも難しそうな気配であったが、上空にはじっと動かぬ北極星が輝き、観月ならぬ、観星能は期待できた。

開演前に一杯の廻廊の観客

廻廊まで満員の見所

廻廊外に張り出した手前三列が坐り席
仮設の見所
 

夕刻前は舞台上まで1/3ほどの潮位であったが、開演の時分には満ち潮が進み、腰板の半分ほどの高さまで波打つようになった。舞台を照らす照明の光が白洲のさざなみに乱反射し、照り返しが能舞台の天井や鏡板、目付柱さらには能楽師に陽炎のように映じる。
海中に浮かぶ能舞台
海面に映る能舞台と照明の光が天井に照り映える
 
その様は、秋の陽光を浴びた「もみぢ葉」が光芒と陰翳で織りなす「移ろい」の叙情を演出するかのようで、幻燈機の小世界が海の上で蜃気楼のように揺らいで見えた。

紅葉狩友枝昭世氏
上ろうたちの紅葉狩り

友枝昭世氏と森常好氏
シテ友枝昭世・ワキ森常好

シテ森常好氏
平維茂が馬を下りて通りかかる


 人間国宝のシテ・友枝昭世氏演じる上臈(戸隠山鬼神)が海原にぼんやり浮かぶ舞台上で序の舞を踊る姿は気品に満ち、中の舞に転じる頃には妖しげな艶やかさがただよう。そして鬼女に変じてから森常好演ずる平維茂と絡む「急の舞」は、まさに息をもつかせぬものである。
鬼女
鬼に変じた急之舞

鬼女に変身
鬼女に変身

平維茂と鬼女
平維茂が鬼女を成敗
 
 その転々変化の舞踊と巧みに絡み交錯する、笛の掠れた高い音色と小鼓や大鼓の乾いた音が、弥山(みせん)降ろしの清冽の大気をおごそかに揺るがせ海上を越えてとどいてくる。

 

鬼女が討ち取られ、舞いが終わった瞬間、一転して神の静謐があたり一帯を支配した。

 

幽玄の世界にゆったりと身も心をゆだねていたわたしはしばらく腰を上げることもなく、夜空を仰ぎ、海面に目を凝らし、沖合いにくっきりと浮かぶ朱塗りの大鳥居に目を転じた。すると、あの鬼女が海上を突っ走り、暗闇に乗じて戸隠山の岩屋を目指し逃げ去るのがこの目に映じた。それは幻などではなかった。確かにはっきりと見えたのである。

終演
海上を逃げ去る鬼女が見えた・・・

余韻とともに帰路につく
さぁ、晩餐へ 


 家内の「寒くない?」の言葉で我に返り、紅葉谷に位置する今宵の宿「岩惣」の遅い晩餐へと想いは一挙に現実へと引き戻されて行った。

初春の厳島神社5

友枝昭世の第13回厳島観月能「紅葉狩」の夜
(2009.10)

広島県廿日市市宮島町1-1

  日本三景のひとつであり、1996年にはユネスコの世界文化遺産に登録された厳島神社を訪ねた。海中に立つ朱塗りの大鳥居や海上につきだして巡らされた回廊、平清盛をはじめとする平家一門の厚い庇護を受けた神社として、この厳島神社はあまりにも有名である。初春の一日、速谷神社を参拝したのち、知人が車で宮島へのフェリー乗り場まで送っていただいた。

 厳島に渡る前にJR宮島口駅とフェリー乗り場まで(徒歩3分位)の途中にある「うえの」という穴子御飯のおいしいお店で穴子弁当を購入した。知人が前もって予約を入れてくれていたので、待つことなく穴子弁当を購入できた。店の前には行列ができるほどの人気店であるとのこと。その日も店内は満席であった。

厳島あなご飯

厳島フェリー

厳島フェリーより

 

 

 

穴子御飯の老舗「うえの」  フェリーみやじま丸    近づく海中の大鳥居

 フェリーはものの数分で島に着いてしまう。もう少し海上からの厳島神社を見ていたい気もした。フェリー乗り場から海沿いにきれいに整備された可愛いらしい松原をぬけて神社へ向かった。別ルートとして御土産屋街をぬけてゆく道があるが、帰りにそのルートを通るのがよい。というのは、その道すがら海の向こうに厳島神社の朱色の回廊や大鳥居が遠望され、その透明な海の色ともあいまって、美しさがひとしおであるからである。

松原から回廊全景

厳島の海

松原から平舞台

 

 

 

 海沿いに回廊を望む    透きとおる海面      火焼前(桟橋)の遠景

 厳島神社は推古紀元年(593年)に創建された。ご祭神は海の神様である宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)である。

 松原をすぎて東回廊から神社へ入ってゆく。目の前に展開する鍵状に曲がる朱塗りの回廊に足を踏み入れるや、平安時代の絵巻物の世界に入り込んだ錯覚を覚える。観光客の驚嘆の声がそれを実感させる。源平時代はもっと静謐(セイヒツ)の時間が流れていたはずではあるが・・・。

回廊を歩く観光客

引き潮の回廊

厳島拝殿内

 

 

 

 東回廊を歩く観光客    引き潮で残念な回廊を望む 客神社(平清盛建立)

厳島拝殿正面

高舞台より大鳥居

海中に立つ大鳥居

 

 

 

 本殿正面より        国宝高舞台より大鳥居   日本三大大鳥居

厳島能舞台

能舞台と松の絵

五重塔

 

 

 

満潮時、能舞台は海上に 室町様式の能舞台     1407年建立の五重塔

五重塔遠景

白梅と五重塔大願寺

 

 

 

 五重塔遠景         白梅と五重塔        境内に隣接の大願寺

 ゆっくりと回廊をまわるうちに、周りの観光客の声もどこか遠くへと遠のいていっていることに気づく。琵琶法師の爪弾く琵琶の音色がどこからともなく聴こえてくるようだ・・・。平家一族の栄華と没落・・・。いつの世もそうした盛者必衰という世の道理は変わらないのだなと、いつしかつぶやいている自分がそこにいた。

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