謎めいた経津主神(フツヌシノカミ)を祀る香取神宮をゆく(上)
経津主神(フツヌシノカミ)と武甕槌神(タケミカヅチノカミ)=出雲で国譲りを成した二神の謎
春日大社をゆく=武甕槌神(タケミカヅチノカミ)・経津主神(フツヌシノカミ)に誘(イザナ)われ
武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を祀る鹿島神宮をゆく(上)
武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を祀る鹿島神宮をゆく(下)
総門から奥へ進むと、左手に壮麗な八脚楼門が聳え立っているのが見える。丹塗りも鮮やかな、色彩、造りとも見事のひと言に尽きる。
扁額の揮毫は軍神・東郷平八郎元帥のもの。
楼門前の広場に末社・諏訪神社がある。
その斜め対面に黄門桜がある。貞享元年(1684)に水戸光圀が参拝の折のお手植え桜の蘖(ヒコバエ)が成長したものである。
そして楼門をくぐり神宮中核部の拝殿へ向かうが、ここも修復中・・・無念である。
お賽銭をあげ、拝殿内部をパチリ!
拝殿から本殿まで見事に覆われている。来年のお披露目を楽しみに待つしかない。
それではと本殿左手へ回り込み、有名な三本杉を見学。根っこが三股に分かれていたとかで、真ん中の一本は既に朽ち果てている模様。
その奥の摂社・匝瑳(ソウサ)神社を参拝。経津主神の両親である磐筒男神・磐筒女神を祭神とする。
復び拝殿前へ戻り、社務所手前の祈祷殿へ向かう。
旧拝殿であったというが、この造作の素晴らしさを見ると現役の拝殿はいかばかりかと思う。
愚痴をこぼしても始まらぬと、もう一つのお目当の宝物館を見学することに。
その真ん前にご神木があるが、高過ぎてテッペンまで映せない。
それから館内へ・・・ここもまた・・・
国宝・海獣葡萄鏡は東京国立博物館で開催中の“大神社展”に貸出中とのこと。
写真は復刻品である。素人目にはりっぱに見えるのだが・・・。でも、後日、大神社展で見た本物は、より大きく、そして神々しく見えたことは紛れもない事実である。
ただ、それに劣らぬお宝がこの宝物館にはたくさんあった。しかも東京国立博物館の常設展示場と同様、写真撮影可というのがブロガーとしてはうれしい。
重文・“双龍文鏡”である。
重文・“古瀬戸黄釉狛犬”である。
“源頼朝寄進状”である。
そしてこの日最も魅入られたのが、鎌倉末期作の“古面”であった。
大癋見(オオベシミ)面を見た時、肌は粟立ち、何者かに頭を押さえつけられたようで目を離すことができなかった。
姥面のどこか奥深い、でも、不気味な笑み・・・
獅子口面の威嚇・・・
得体の知れぬ桎梏を振り解くようにして足早に外へ出ると、春の陽光が目にまぶしい。
出口の脇には、昔、氏子の男たちが力比べをした際に用いた”さし石”が置かれていた。
それから本殿右手へ回り込み、校倉造りの神庫を見る。
その奥に当宮の古文書を収蔵する香取文庫がある。
そして、後生だと未練たらしく背後から社殿を眺めたが、流麗な三間社流れ造りの本殿はもちろん白い覆いの中にあり、目にすることは叶わなかった。
裏手の北参道へ出る手前右に摂社・鹿島神宮がある。
斜め対面に末社・桜大刀自神社がある。
北参道を左にゆけば鹿苑があったのだが、もう足は棒のよう。目の前の”名代だんご”と看板を掲げる”寒香亭”で轟沈。
お昼抜きで歩いたので団子が殊の外おいしかった。
そして好人物の店主・香取さんに出会った。
お名前から分かる通り、代々の社家(シャケ)の血筋だそうで、色々と興味深いお話が伺えた。
そしてタクシーを呼んでいただき、真北に位置する津の宮へと向かう。車で6、7分の距離だが、歩くとなると相当ありそうだ。
土手下でタクシーに待っていただき、利根川の川べりに立つ。
そこから見下ろす浜鳥居は想像以上に大きい。
かつて海が湾入していた頃、経津主神は海路、この津の宮から上陸されたのだという。つまり、往昔はこの地が表参道口であった。
その故事にならい式年神幸祭にはここから神輿を御座船に乗せ利根川を遡ってゆくという。
黄昏時の利根川に傾いてゆく太陽・・・。
この景色を眺めていると、遠〜い昔、御座船に座乗された経津主神が岸辺へと近づいてくる光景が瞼に浮かんできた。
その悠久の浪漫を胸におさめ、JR鹿島線香取駅へとタクシーを走らせた。
香取駅は無人駅であるが、神宮に似せた色調で統一された趣きある駅舎である。
そして1時間に一本の電車に乗り、鹿島神宮駅へと向かった。