「特殊指定廃止問題に見る読者の関心度の高さとメディア不信」

 

 公正取引委員会による「特殊指定の見直し」について、一般の関心が高いのに驚いている。各種新聞が特殊指定の維持を全国一律料金、全国均一の文化の維持などと御託を並べては、必死にその廃止反対を訴えている。しかし、国民は彼らの本質を疾うに見抜いている。

 

 特殊指定と再販制度の廃止に関する新聞紙上でのもっともらしい議論ほど、しらじらしく、内容空疎で、もういい加減にして欲しいと心底、思っている。実際にネット上に氾濫する「特殊指定維持」を図ろうとする新聞業界への批判の多さは、その検索をやるまでもなく、尋常ではない。また、わたし自身のブログへの「特殊指定」によるキーワード検索の頻度の高さを見ても、その関心の高さが実証されている。

 

 メディアの自己に都合の悪い問題は、報道をしない。そのあまりにも身勝手な姿勢に国民もそろそろ愛想が尽きてきている。品性下劣な例で恐縮だが、つい先日の日テレの「どっちの料理ショー」のアナウンサーが起こした女子高生スカート盗撮事件に関する報道姿勢にかれらの本質を見ることができる。事件そのものが起訴猶予であり、プライバシーの問題であるため、報道をしなかったと、後に弁明する。かれらは週刊誌でそのアナウンサーの件が掲載されると分かって、慌てて実名を明かさずにしぶしぶ事実の釈明(報道ではなく)を行なった。これが大手の民間会社なり、役人、学者であれば、敵の首を取ったかのように騒ぎ立てるのが常であるのにである。その場合に、個人のプラーバシーを云々することはない。しかし、身内は守ると云うより、身内の恥は姑息に隠蔽しようとする。それは日テレに限らずである。

 

 実例があまりに下劣であったが、「特殊指定」の問題についての扱いも事の本質は同様である。ある新聞社の見識ある人間は、「さすがに再販問題での新聞業界の論陣は鼻白むもので、身内として恥ずかしい」とわたしにいう。そうした良識のある人物も勿論、たくさん存在するのだろうが、紙面に踊る記事は、先に述べたとおりである。

 

 こうした身内に甘い報道姿勢は、メディアに対する国民の信頼を大きく損ねるものである。そのことの方が、「特殊指定・再販制度」が維持されることより、数倍、いやそれ以上に怖いことなのだと思う。国民の信頼を失ったメディアはつい60年前にこの国に存在していたのだから。そして、そのことが国民を地獄へと導いた歴史、事実をわれわれは有していることを決して忘れてはならぬと思うのである。新聞業界に公平で公正な報道を自らの問題にも心掛けることを期待して止まない。