彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

保津川下り

2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 朝日の瀬・嵐山まで


のんびりと曲り淵を抜けると保津川下りもいよいよ後半戦をむかえる。


その後半戦の最初に、保津川で最後の瀬となる“朝日の瀬”が待っているのだが、その瀬に入る前に、川中に猪の形をした“イノシシ岩”があったのだが、わたしは次なる“朝日の瀬”に気を取られ、写真を撮る余裕がなかった。


前方、狭い水路です

水量が少ないため、前方の水路が極端に狭くなっていて、注意がそっちにとられたのである。

舟がその狭まった水路をあっという間に抜けて、“朝日の瀬”に入ると一挙に川面は泡立ち、瀬音が高くなる。


11:35 朝日の瀬です
朝日の瀬です

“あっ!”、岩にぶつかる〜・・・と思った瞬間、船頭さんは馴れた手つきで竿を岩にぶつけるようにして船首の向きを変える。

11:36 ギリギリ、竿で岩をかわす
瞬時に竿で岩を突き放す

われわれは舟の前方に坐るため、艫で舵を切っている様子は分からないため、余計に恐怖感が増す。


瀬を抜けると川幅も広がり、流れは一転、ゆったりとなる。心地好い揺れに身を任せていると、前方の岸辺で鮎釣りを楽しむ人がいた。渓谷に架かる橋と釣人・・・まるで一幅の山水画を見るようである。

釣人を後方に置き舟が進むと、江戸当初から昭和24年頃まで続いた戻り舟を曳いた曳き綱の跡が左手の岩場に見えてくる。


戻り舟を曳いた綱の跡
写真をクリックし拡大して見てください

そして船頭たちが乗船場まで舟を曳き、走り歩くために設けられた綱道が川岸のところどころに残っている。




平らになっているところが綱道です

その往時の様を“虞美人草”は次のように活写している。


“向から空舟が上ってくる。竿も使わねば、櫂は無論の事である。岩角に突っ張った懸命の拳を収めて、肩から斜めに目暗縞を掠めた細引縄に、長々と谷間伝いを根限り戻り舟を牽いて来る。水行くほかに尺寸の余地だに見出しがたき岸辺を、石に飛び、岩に這うて、穿く草鞋の滅り込むまで腰を前に折る。だらりと下げた両の手は塞かれて注ぐ渦の中に指先を浸すばかりである。うんと踏ん張る幾世の金剛力に、岩は自然と擦り減って、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹をここ、かしこと、岩の上に渡したのは、牽綱をわが勢に逆わぬほどに、疾く滑らすための策と云う。”


遠く想いを馳せていると、今度は右手の山腹に、トロッコ列車が走ってゆくのが見えた。緑の中に紅色と橙色の車両が見え隠れし走る様子は、どこか紅葉のはじまりのころの渓谷の景観のようにも見えた。

11:45 トロッコ列車にみんなでご挨拶しました

手を振る舟人と汽車人との山気を通した交わりはまた爽やかである。


トロッコ列車に御挨拶

次に船頭さんの熟練の腕の披露があった。数百年の間に幾千、幾万の船頭の竿によって穿たれた岩の穴に、竿をピタリとはめる妙技である。お客たちは穴の開いた岩が近づくにつれ、その趣向に固唾を呑んで見入ることになる。


入った〜!お見事! 


11:47 400年間、竿を突き続けた窪みに見事に入りました
ピタリと入りました!!

さすがの腕である。すると船頭さんはまるで勧進帳の弁慶ではないが、竿を頭上高くクルクル回し大きく見得を切る。その姿は海老蔵も顔負けのなかなかな千両役者である。


イヨッ、大統領!じゃなくって、成田屋〜!!

名演技を堪能する間もなく、すぐに左手に“屏風岩”が見えてくる。変わった形の大石である。


屏風に見えますか? 見る角度が大事です

今度は右手一帯が清和天皇(在位858876)が鵜飼を楽しまれた場所だという“鵜飼の浜”となる。歴史を感じさせる保津川下りです。

  
右手の岩場一帯が”鵜飼の浜”    左手のがけ中腹に”鵜飼の浜”表示板

そのちょっと先に川鵜がいたが、嵐山の鵜飼(7/19/15)や長良川などのいわゆる“鵜飼”で使われる鵜は海鵜で、川鵜はそれよりずいぶん小さいことを知った。

川鵜がいました
川鵜がいました。海鵜に較べてかなり小さいです

保津川下りも残り30分となったころ、右手の大岩に向かってみんなでポーズ。いわゆる観光用の記念写真を撮ってくれます。1枚1300円で、後日、自宅に送ってくれます。人生のひとコマを切り取った素敵な写真が届きましたよ。


橋の下辺り、パラソルの立つ岩場からパチリ!

橋上の駅として有名な“トロッコ保津峡駅”を下から見上げます。



トロッコ保津峡駅

次にミステリーのロケ地として頻繁に使用される崖が見えてきました。

12:04 左の崖上で殺人が起こり、下の河原で犯人が捕まるのだとか
左の崖上で殺人劇、下の小さな浜で”片平なぎさ”さんが何と犯人を逮捕したのだそうです

崖の上で殺人が起きて、崖下のこんなに小さな砂浜で、犯人が捕われるということでした。こうして一望すると、随分お手軽なロケ場所なんだと感じ入った次第です。


そして、次に登場したのが、ここから猿が対岸の岩に跳び移るのだとか、だから“猿岩”というのだそうだ。対岸の岩まで結構距離がありましたが、本当かなぁ・・・


右手前方の岩上に”猿岩”の表示

橋桁がないことで有名な“保津川橋梁”をくぐります。


トロッコ列車で通った保津川橋梁です

この橋を岸で支えるレンガ造りの柱に印された赤線は過去の最高水位だそうです。もの凄い水量です・・・、ぞ〜っ・・・


保津川橋梁の袂に過去の増水時の印が
写真をクリックし、拡大して下さい。丸で囲んだ所まで水が来たというのです・・・

そろそろ、終着点が近づいて来ました。左手先に見える石積みの塔は船頭さんの守り神だとかで、船頭さんたちによって祀られているとか・・・云っていたような・・・


この石塔だと思うのですが・・・

上流の“不動明王”と混同しているのかもしれません。皆さんで船頭さんに確認して見てください。スイマセン・・・


ライオン岩です。これ、似ていましたよ。



ライオン岩です、かなり似ていると思いました

これはオットセイ岩、可愛らしいのですが、ちょっと造作が過ぎますかね・・・なんて・・・

12:15 オットセイ岩
オットセイ岩ですが、ちょっと凝り過ぎですよね・・・

な〜んて、のんびりしているといきなり来ました。ドスンと落ちました。安心しきっていたので、少々、驚きました。保津川下りに油断は禁物でした。


12:17 落ちました
落ちちゃいましたぁ〜、ビックリです

そしていよいよ終盤。百年余の歴史を誇る嵐山の琴ヶ瀬茶屋の名物、“水上屋台”が遠くに見えてきました。


12:18 遠くに琴ヶ瀬茶屋の水上屋台が見えます
遠くに水上屋台の舟が見えています。緑の屋根の舟ですよ・・・、ず〜っと遠くです

舟が横づけになると舷側同士を縄で結え、しばし小休止。メニューはまるで水上コンビニです。


  
        いらっしゃ〜い!      イカ焼き、おでんなどいろいろあります

御手洗団子に烏賊焼きなんぞを頼んでしまいましたねぇ。おいしかったなぁ〜。

12:20 みたらし団子も食べました  

さて、心躍る水上屋台とお別れすると、もうそこはなんと嵐山ではありませんか。



右手がかの有名な嵐山です。川から見上げる嵐山、イケマスよ!!

そしてこの先すぐの左崖上に近衛文麿公の元別邸で、豆腐料理“松籟庵”も見えてきました。

12:25 近衛文麿公の別邸で現在は豆腐料理”松籟庵”
樹間に松籟庵が見える

あぁ遠くに渡月橋が・・・、すぐ手前左に着船場が見てきました。いよいよ保津川下りも終了です。

12:29 左手に着船場が見えます
遠くに渡月橋、左手先に桟橋、手前の建物はトイレです

トウチャ〜ク!! 12時半の下船ということで、ちょうど1時間40分の川下りでした。


桟橋に到着です

そして、下船する際に舟の舷よりちょっと高い桟橋にどうやって移動しようかと思案していたところ、馬車でご一緒したお嬢さんが”どうぞ”と手を差し伸べてくれた。つい、”大丈夫ですよ”と、無理やり何とか飛び移ったものだが、いつも”最近の若い者は・・・”と嘆いていたのが申し訳ないような事態に自分が遭遇しドギマギしてしまったようである。

と云うより愛らしいお嬢さんであったことが、この初老の男心に時ならぬ動揺をもたらしたのかもしれぬ。

桟橋に無事降り立ったわたしは、下船の所作を心配そうに見守ってくれたお嬢さんに”幸せになってくださいね”と言葉をかけた。

彼女はにっこりと微笑み返し、”ありがとうございます”というと、さっと踵を返して、あの素敵な彼氏と嵯峨野の町へと歩み去って行った。

その様子を眺めていた家内が、”どうして、手を握ってもらわなかったの”と優しく声をかけてくれたが、”手を握られるとかえって不安定になるんだ”と、なぜか無愛想な返事をした。

そして、話術というより話芸といったほうがピッタシの船頭さんたちにお礼を言い、お別れした。

本当に楽しい川下りだった。皆さんも是非一度、トロッコ列車を乗り継いで保津川下りを楽しんでみてください。


ありがとう!!船頭さん

最後に、さてさて、この舟はどうやって上流に戻すのかということですが・・・



もう、椅子をはずしてます

渡月橋へ向かって川岸を歩いていると、さっきの舟はあっという間に屋根から椅子から取外されて、何の変哲もない簡素な和船に姿を変えていました。


屋根もなくなりました

これをトラックに積み込み、乗船場まで運んでゆくのだそうです。納得されましたか?


それと船頭さんたちはJR山陰本線で亀岡駅まで帰ります。トロッコ列車ではありません・・・


われわれはこれから嵐山でお昼を食べる先を探します。それでは“保津川下り乗船記”、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!

夏目漱石が明治40年(1907)に体験した保津川下り。今から100年前の様子が、その名著、“虞美人草”にあざやかに描写されている。


川下りの冒頭は次のようにはじまる。


“浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨より二条に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波へ抜ける。二人は丹波行の切符を買って、亀岡に降りた。保津川の急湍はこの駅より下る掟である。下るべき水は眼の前にまだ緩く流れて碧油(へきゆう)の趣をなす。岸は開いて、里の子の摘む土筆も生える。舟子は舟を渚に寄せて客を待つ。”


さすが江戸っ子、坊ちゃん文豪である。啖呵のきいた、リズムのよい名文である。


その保津川下りのコースは105年前の漱石の時代と異なることはない。 “保津川下り公式HP”(保津川遊船企業組合)に分かりやすい図があるのでそこから引用させていただき、下に添付する。



保津川下りマップ


そして保津川下りには、幾多の浅瀬や落差の多い急流を下るため船底が平らな高瀬舟が使われている。



高瀬舟
高瀬川一之舟入りに浮かぶ”高瀬舟”

“高瀬舟”と云えば、これまた明治の大文豪、森鴎外の小説である。われわれは近代文学の黎明期に出現した文学界の両巨星とともに保津川下りを始めるというわけである。


てなことで、漱石のいう碧油(“緑色の油を流したような流れ”のことだとか・・・)のなかに105年後のわれわれも高瀬舟に乗って漕ぎだしていった。


乗船開始。川面は穏やかである。

午前10時50分の船出である。天気晴朗で空は抜けるように青い。


さぁ、船出! 空は抜けるように青い。絶好の川下り日和である。

桟橋を離れてしばらくは、漱石のいうように川の流れは緩やかで、しかも当日は水量が少ないので、船底を擦るのではないかと思うほどに水深が浅い。

岸辺にのんびりとこの船旅を見送ってくれる亀が見えた。悠々と時が流れるようである。


亀が見送ってくれました

この辺りの川の名はまだ確か“桂川”のはずだが、この桂川にも四国の吉野川や四万十川に架かる橋で有名な“沈下橋”があったことに、少し感激。


前方に沈下橋

その橋の下をくぐるときにちょっと舟が落ち込んだ。乗客がちょっとざわめくが船頭さんはの〜んびり・・・


ゴトンと落ちたが・・・大したことはない・・・

10分ほどゆったりと行ったところで、右手の土手に京馬車がこれまたポッコ、パッカとのんびりトロッコ亀岡駅の方向に向かっているのが見えた。


われわれも乗ってきた京馬車が見えた

左手の石垣のうえに、“保津の火祭り”で有名な“請田(うけた)神社”が見えてきた。

11:07 請田神社
請田(うけた)神社

この下辺りが保津川下りの一の瀬とも呼ばれる“宮の下の瀬”である。


請田神社の下にあるので”宮の下の瀬”と呼ばれる

少々、白い波が立っています。


この先の山の端が迫った辺りからいよいよ保津峡へと舟は入ってゆく。ここらからが、いわゆる保津川と通称される川となる。


あの先の狭まった辺りから保津峡

20分ほど下った左岸に大きく立つ “烏帽子岩”がある。角度によって烏帽子の形に見えるのだが、奔り去る舟上からなかなかそのタイミングを見つけるのは難しい。


岸辺の大石が”烏帽子岩”、見えますか、烏帽子の形に

それを過ぎて3分ほどすると、遠くに自然石を積み上げた一画に保津川の守り本尊である“不動明王”が見えてくる。


遠くに不動明王の石積みが見えてくる

縦長の板状の大石にレリーフされた石像である。

この不動明王を過ぎると、“金岐(かねぎ)の瀬”に入ってゆく。舟足も速まり、白く泡立つ波頭も結構、迫力がでてきました。


金岐の瀬に入っています

そして保津川下り最大の名所、高低差2mの“小鮎の滝”に突入する。水路が急速に狭まり、スピードも上がる。


さぁ、これから”小鮎の滝”へと入ってゆきます

さぁ、あそこが“小鮎の滝”だ。保津川下りで唯一、滝の名称が付けられた場所である。


この先が落差2mです

あぁ、落ちてま〜す。



いま落ちました、小鮎の滝を・・・

“キャ〜!”、“オ〜ッ!”と舟客は無意識に嬌声、大声を上げた。

すると船頭さんがすかさず、“これで今日のお客の年齢が分かったなぁ”と云うではないか。無意識に悲鳴を挙げる時、30代までは大体、“キャ〜!”と高く叫ぶのだそうだが、40代を超えたあたりから“ウォ〜!”とドスのきいた叫びに変わるのだとか・・・。皆さんに、いやぁ〜、受けていましたなぁ〜。


綾小路きみまろの上をゆく“名言”でありました。家内も横でこっそりと裏声の発声練習などしておりましたな。まだまだ、色気はありますな・・・


当日は水量が少ないため、ビニールシートも最前列の人たちだけですみましたが、水量が多い時には両サイドの舷側にシートを上げて飛沫から身を守ります。私がこの日浴びた飛沫はズボンが下の写真の程度に濡れただけでした。

11:17 水量が少ないので、この程度で済みました
この程度ですみました

良かったのか悪かったのか。やはり、ドバ〜ッと濡れるスリルを味わいたかったというのが本音でありました。


ともあれ、最大の難所の“小鮎の滝”を無事、乗り切り、舟はすぐに次の難所、“大高瀬”へと入ってゆきます。


すぐに大高瀬に入ります

川幅が狭まり、岩肌を丸太が覆いつくしている様子は、いざという時の舟が衝突した際の被害を防ぐためと思うと、舟の速度、すぐ横を過ぎ去る岩、荒れる飛沫が、いや増しに緊張感を昂めてゆく。


岩肌を覆う丸太が逆に恐怖心を煽る

この大高瀬は結構、長い距離で、スリルは十分。最前列の若いカップル二組を除くみなさん、“ウォ〜ッ!!”と

地獄の底から響いてくるような嬌声ならぬ、狂声?をあげていましたなぁ・・・


ということで、急流を凌いだ舟はしばしのんびりと下りまして、水深10mの保津川下りで二番目に深い“殿の漁場”へさしかかった。


岩場に”殿の漁場”の表示板が

ここは、昔、丹波の殿さまが釣りを楽しまれたところで、淵のように静かな水面を見せている。ちょっと不思議な景色である。


まったりとした水面が急流下りとは思えぬ、不思議な気分に・・・

その余裕もわずかで、舟はすぐに“”獅子ヶ口の瀬“の急流へと向かってゆく。


この先、左カーブに”獅子ヶ口の瀬”

また急速に岩肌が舷側に迫り、船頭さんが“舟の縁から手を離して、内側の棒を握ってください”と、声が飛ぶ。これは、結構、危ない、スリリングである。

  
結構、きわどい!!獅子ヶ口の瀬    難所は越えたなと船頭さんもひと休み

“獅子ヶ口の瀬”を抜けると、“女淵”と呼ばれる流れの緩やかな淵が遠くに見えてくる。小山のような岩が行く手をふさぎ、川筋がここで大きくUターンする。


正面の岩上に”女淵”の表示板

この女淵を右にぐるりと回った辺りが、水深の最も深い“曲り淵” (15m)となる。漱石の表する“碧油(へきゆう)”とはこんな色ではないかと思った処である。


水深15mの”曲り淵”、碧油色に見えません?

こうして曲り淵に達した時が11時30分。スタートして、距離的には大体半分、時間でいうと1/3の40分がかかったことになる。(以下、次回に続く)

2012年秋、保津川下り=乗って知った“知っとくと便利な豆知識” 保津川とは?

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これからコースの見どころ、楽しみどころをご紹介していくのだが、その前に“保津川”なるものは一体どういう川なのかについて説明をしておかねばならぬ。

迫る渓谷にJRの鉄橋
保津川

なお、この説明が、あぁ鬱陶しいという方は次の保津川下りレポートへスキップしていただいて構いません。

さて、そもそも保津川とはどこからどこまでを言うのとか、保津川の下流はあの有名な桂川につながってるよねとか、ひとつ流れの川を保津川とか桂川って呼んでいるの?ってな、いろいろ疑問を抱かれる方も多いと思われる。

そこで船下りの前に、その点だけは一応、得心しておいた方がよいと思われるので、少々、保津川についての薀蓄(うんちく)を述べさせていただく。

そもそも“保津川”の行政上の呼称はあの有名な“桂川”である。その“桂川”は琵琶湖から流れ出る唯一の河川で大阪湾に流れ込むあの“淀川”の水系に属する一級河川だということである。

そして桂川の源流はと謂えば、日本海の若狭湾へ流れ込む由良川水系と、最後には瀬戸内海(大阪湾)に流れ込む淀川水系(桂川)との大分水嶺である佐々里峠(京都市左京区広河原と京都府南丹市の境)にまで遡る。

その“桂川”は源流を離れると、まず左京区の広河原、花脊を南流し、花脊の南部で流れを大きく西へと転じる。そして今度は右京区の京北地区を東から西へ大きく蛇行しながら横断し、南丹市の世木ダム・日吉ダムへ流れ込み、日吉ダムから出ると今度は亀岡盆地へ向けて南丹市を南下してゆく。

亀岡市の中央部を南東の方向に縦断して、途中、保津川下り乗船場を過ぎて、保津峡に入ってゆく。


保津峡の入口・請田神社下

その保津峡をさらに南東へ流れて嵐山に到達、京都盆地へと出ることとなる。


右が嵐山、この先に渡月橋があります

それから桂離宮脇を過ぎ一挙に南下し、伏見区の辺りで鴨川と西高瀬川を併せ、大阪府との境で宇治川と木津川と合流し、淀川となり、大阪湾へそそぎ込むこととなる。


平等院の脇を流れる宇治川

要するに、“桂川”は、京都北部の佐々里峠という大分水嶺に源を発し僅かに南流するが、市街の北端辺りで西行し南丹市にて、今度は南東方向へと流れを変え、亀岡市を抜け、伏見区で京都市街を流れてきた鴨川と合流するまで、京都市街をあたかも避けるかのように、また京都の町を抱き込むようにも見える、大きく“くの字”形をして流れているのである。


そのように洛中を包み込むように流れる川だけに、京都の長い歴史と合わさって色々な面を併せ持つ川が“桂川”だといえる。


そのため桂川には、一本の川でありながら、その歴史との関わりに於いて、その流れのある個所に通称としての川の名前が冠されているのである。

その源流から順にその通称を列べると、次の如くである。

上桂川→桂川(南丹市園部地区)→大井川(南丹市八木地区から亀岡市)→保津川(亀岡市保津町請田から嵐山)→大堰(おおい)川(渡月橋を挟み堰と堰の間2km)→桂川

何とも賑やかな変幻自在ぶりである。そして、驚きが、嵐山の名勝、渡月橋の真下を流れる時は、“桂川”ではなく“大堰川”という通称というのだから、面白い・・・。


渡月橋の下を流れる川の通称は、なんと、大堰(おおい)川といいます

その詳細については当ブログの “名勝嵐山の桂川は変幻自在” (2009.2.1)にも詳しく記載しているので、それを参照されたい。


堰の手前までが保津川・その先渡月橋をくぐり2kmほど先の堰までが大堰(おおい)川

要は、保津川とは桂川の一部、保津峡の入口である保津町請田から嵐山の下船場の先の堰まで、まさに保津川下りの16kmの流れを呼ぶ通称であるということである。


堰の右が保津川、左が大堰川

なお、京都の豪商、角倉良以が慶長11年(1606)に保津川を開削し、丹波から京都への水上輸送を確立してから400年余が経つ“保津川下りの歴史”については、“保津川下り公式HP”に詳しいので、それを参照してください。

もう、そんなこんなで紙数を費やすのはよそう。さぁ早く、保津川下りの船出としよう・・・

2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識

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トロッコ列車と馬車を乗り継いだ小さな旅を終え、いよいよ、本命の保津川下りに挑む時がやって来た。


馬車でこの保津川下り乗船場に到着したのが1015分、乗船が1046分だったので、待合所で30分を使える時間的にちょうどよい按分の旅となった。


待合所ビル・バス客はこのビル内の降車場。馬車降車地からも1分弱で至近。

これを “トロッコ亀岡駅”からバスで来ているとすると、947にこの乗船場着となり、10時船出の保津川下りに乗るのに、わずか13分の乗り換え時間となり(トロッコ亀岡駅から保津川下り乗船場行きバス、保津川下り舟の時刻表)、足が不自由なわたしにはちょっとタイトで、心の余裕のないまま、まわりの景色も味わうことのないまま、船中の人となったのだと思う。

10:23 広くて明るい待合所
広くて明るい二階の待合所ホール。手前左のカウンターは船の券売所。

旅は時間に余裕を持たせたゆったり、ほんわか旅がやはりよいものだと、歳を重ねるにつれその思いは募ってきている。


船下りの所要時間は水量の多い時で60分ほど、水量の最も少ない時で110分ほどと“保津川下りのHP”の“よくある質問”に記載されている。ちなみに、われわれは1時間40分の船旅となりました。


その2時間弱の船旅に備えるために、その日のスケジュールによっては、この待合所で簡単に食事をとったり、ゆっくりトイレに行ったりする必要がある方もおられよう。


そこで、ご参考のために、“保津川下り”をより快適に楽しむために、この待合所の施設について少し述べておく。


まず食事に関して、レストランは館内にないが、待合ホールに軽食コーナーがあり、うどんや蕎麦、サンドイッチなど簡単に口にできるようになっている。


ホールの奥に軽食の取れるコーナーがある

そして2時間弱という船旅である。トイレはぜひ、事前に行っておかれた方がよい。これから紅葉の最盛期にかけて気温もぐっと低くなってくるので、なおさらである。


広くて清潔です

トイレもこの待合所のものは、広くて、清潔であるので、お薦めである(トロッコ亀岡駅のトイレもきれいだが、ここほど広さはありません)。


男性用で恐縮だが、小用は7器、個室が洋式3、和式1である。女性用も相応の室数と思われる。悪しからず・・・

数もしっかりあります

時間待ちの間に、お土産コーナーを物色していたら、一番人気商品!“保津川下りこけし船形せんべい”という焼菓子があったので、買い求めた。

これ、お土産に買いました

これって、530円という手頃な値段だし、保津川下りをしましたと知り合いにちょっと宣伝したい人には、お土産として結構、おいしいし、面白いと思った。


7艘の高瀬舟が入っています

保津川を下っているようでしょう

着物を脱がせるとこんなになっていました。味が三種類でおいしかったですよ。

そんなこんなしているうちに、館内でエントリー・コールが始まった。


乗船口に向かいます

チケットの番号が呼ばれて、乗船口から階段、また足元の弱い人はスロープで乗船場へ降りてゆく。

10:42 待合所から乗船場へ向かう橋
正面が階段、左にスロープがあります。下に桟橋あります。

桟橋に横づけになった先頭の舟にみんなが向かうので、わたしたちものんびり続いた。


階段上から撮る。この舟に乗りました

前からニ列の席であった。横に4名坐る形式である。坐るとベルト状の浮き袋を腰に巻くよう指示がある。


さぁ、乗船です

われわれの前の最前列には乗客の中で最も若い方4名が坐った。最前列の乗客のみ膝にビニールを掛けさせられたが、船下りの最中、水飛沫がたくさんかかるために最前列の人のみそうさせられるのだが、船頭さんの指示で34度、ビニールを上げ下げしていたが、やはり、これって、若い人の方がスムースにやっておられましたな。


・・・ってなことで、10時50分、いよいよ、保津川下りの船出となりました。


さぁ、出航で〜す!!天気晴朗で〜す!!

舟の時刻は通常時、毎時00分発となっているが、定員に足るとその時点で、適宜、舟を出すようで、思ったより早めの出立となりました。


次から、分刻みの“保津川下り”レポートが始まります。何回かに分けて掲載しますので、これから保津川下りをトライされる方は、ぜひ、これを参考に、わたしが見逃したところも含めて、事前に頭に入れていかれると、より保津川下りが楽しめること請け合いです。ぜひ、ご笑覧あれ。


右が嵐山・左手に下船場

それでは、“保津川下り、嵐山までの1時間40分の旅、はじまり、はじまり〜!!”

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京の馬車道


保津川下りの舟から馬車が見えました
保津川下りの舟から”トロッコ亀岡駅”へ向かう馬車を見る

トロッコ亀岡駅から保津川下りの乗船場までのアクセスはバスとタクシーが通常であったが、20114月からは(株)京馬車の運営する馬車がそれに加わった。


当日、私たちが乗車したトロッコ列車・嵯峨野1号(トロッコ亀岡駅着930)の乗客の大半は保津川乗船場までの足として京阪京都交通バスを利用していた(トロッコ亀岡駅 保津川乗船場 乗り継ぎ案内)。


トロッコ亀岡駅のスロープを下りるとこの看板が見える。左がバス・タクシー、右が馬車である。

バスは“トロッコ亀岡駅前”(935発)から16分の所要時間で、“保津川乗船場前”には951分に到着する。


そこで保津川下りの舟の時刻表だが、ピークの季節は臨時増便が適宜されるものの、通常時は一時間毎、毎時00分発となっている。


そのため、われわれが保津川下りをした925日のケースでいうと、嵯峨野1号で、トロッコ嵯峨駅から保津川下り乗船場までを最短の時間で行くとすれば、次の方法となる。


JR山陰本線利用で) 京都駅843発 → 嵯峨嵐山駅 900着 → (トロッコ列車利用で) トロッコ嵯峨駅 907発 → トロッコ亀岡駅 930着 → (京阪京都交通バス利用で) トロッコ亀岡駅前発 935発 → 保津川乗船場前着 951着 → 保津川下り舟発 → 1000発 → 保津川下り下船所(嵐山) 1140


トロッコ亀岡駅から保津川下り乗船場行きのバス停までは徒歩2分ほどの距離であり、バスもその目的のための運行であるので、少々の乗り換え時間の融通はきかせてくれている(バスも毎時35分発である・料金一人300円)。ただ、亀岡駅でトイレに寄ったりすると乗り継ぎ時間は相当にタイトでバスまで走るといった状況となる。


当方も行ってみて分かったのだが、バスの利用で足の悪いわたしでも急げば大丈夫であった。しかし、本当にそうしていたら慌ただしいのは確かであった。


右の建物はトロッコ亀岡駅舎・馬車乗場は左売店の奥にある

トロッコから見た馬車乗場・左の黒い影がトロッコ亀岡駅舎のもの

わたしは事前にこの乗り継ぎがどの程度の時間を要するのか見当がつかなかったため、舟が一時間遅れても、乗り換え時間が15分ある馬車の利用が安全だと踏み、毎時45分にトロッコ亀岡駅をスタートする馬車利用(料金一人1000円)を選択した。

   
               馬車乗場です。        保津川下り乗船場行きは1000円の保津川コース。

したがって、わたしたちは11時発の保津川下りの舟に乗る予定である。


実際にはお客が揃った為、10時50分に舟が出た(保津川下り桟橋を待合ホールの階段上から撮影)

京馬車はこの亀岡駅から保津川下り乗船場行きと周遊コースというルートを3頭の馬によって2台の馬車を使用し運行しているとのこと。

       
出発の準備や馬の世話をしています

京馬車を輓(ひ)く馬はすべて北海道産で、“ばんえい競馬”で走っている“ばん馬”と呼ばれる力のある重種馬なのだそうで、馬重は1トンとサラブレットのおよそ2倍のどっしりとした体格で見るからに力がありそう。


馬体重1トンのばん馬”黒王”です

上の写真のばん馬は、牝5才の“黒王”という馬ですが、この日、われわれを輓いてくれた馬は、花も恥じらう4才(人間でいうと16才)の牝馬、“スピカ”ちゃんです。ちょっと、後ろ姿で恐縮ですが、どっしりとしたばん馬でした。

後ろ姿でちょっと失礼、スピカちゃんです

さて、さて、当日は天高く馬肥ゆる秋、そのままをゆく日本晴れであった。


空の青さはどこまでも深く、すばらしい旅日和

馬車の乗客はわれわれ夫婦と大阪から来られた若いカップルの計4名である。なかなかのイケメンと愛らしいお嬢さんお二人との道行きである。


お互いにまずはエールのカメラ交換をし、互いに仲のよい姿をパチリと収め合いました。ファインダーをのぞきながら、皺ひとつない!!輝くふたつの笑顔に“若いってやっぱりいいなぁ”・・・なんて、われわれ夫婦の上に過ぎ去った長〜い長〜い歳月につい想いを馳せてしまったりしました。


さて、馬を操るスタッフさんがこれからの28分の馬車の旅の案内人です。

馬を操りながら道中の案内をしてくれます
馬を操りながら面白おかしく説明をしてくれます

砂利道をパッカ、ポッコと左右にゆっくり揺られながらのんびりと秋の陽射しを浴びながらゆきます。


のんびりとこの砂利道を揺られながらゆきます

右手にはこれから下ってゆく保津川が流れています。

右手に保津川です
馬車の右手にこれから下ってゆく保津川が流れています・手前方向に舟が下ります

この辺り一帯に広がる草地は亀岡市の遊水地なのだそうで、昔は氾濫の多かった亀岡の町を守るため、ここに氾濫した川水が流れ込むようにしていたとのことでした。


この一帯は亀岡市の遊水地だということです、だからだだっ広いのです
馬車道の左手も一面、草地が広がる
な〜んにもない・・・、パカ、ポコ・・・

だから何もない宏大な広場では、こうやってラジコン大好きのオジサン達が集まって、よく模型飛行機を、といっても結構大きいのですが、飛ばして愉しんでいるそうです。


何もない広い場所でラジコンで遊ぶ人が・・・

秋の好日。本当にのどかな馬車の旅です。ポコ、パカ、ポコ、パカ・・・


のどかですねぇ・・・

の〜んびり・・・ゆ〜ったり・・・ポコ、パカ・・・・ポコ、パカ・・・


川風が頬にさわやかです・・・

その道中で、馬術の歩法についての説明があり、サービスで一部実践をしてくれました。ポコパカゆく常歩(なみあし)、速歩(はやあし)とちょっと駈歩(かけあし)みたいなのがありましたかね。


左手遠くに見える建物の当りが終点です

 

楽しい道中もそろそろお終いが近づいてきました。あの先に見える橋の袂が終点の“保津川下り乗船場”だそうです。

馬車道があの橋の袂でぶつかる辺りが乗船場です
この路があの橋の袂とぶつかる辺りが保津川下り乗船場です

そしていよいよ、ポコ、パカと終点へ到着。ここでスピカちゃんはクルリとUターンして、われわれを降ろします。


いよいよ終点が・・・

 


終点でスピカちゃんがUターンしてわれわれは下車します

そして、“ありがとう”の声と“楽しんでください”の声が交錯して、28分間ののどかで心豊かな小さな旅は終りました。


この馬車に4人で乗ってきました
  


帰ってゆく馬車へ、”ありがとう”

この2階が保津川下りの待合場所です

これからこのビル2階の乗船待合ホールへ向かい、本日のメインのお楽しみ、“保津川下り”の舟を待つことになります。

2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!

2012年秋の保津川下り=保津川下り乗船場へ“馬車”に揺られてポッコ、ポコ
2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識
2012年秋、保津川下り=乗って知った“知っとくと便利な豆知識” 保津川とは?
2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 小鮎の滝・曲り淵まで
2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 朝日の瀬・嵐山まで

保津川下りをしようと嵯峨駅から亀岡までトロッコ列車を利用した。


トロッコ列車に乗りました
トロッコ列車に乗りました

保津峡に沿って走る“トロッコ列車”は嵯峨野観光鉄道が運営する25分間のメルヘンチックな旅である。


本来は紅葉や桜の季節がよいのだろうが、大勢の観光客が押し寄せるのはどうも苦手な私たちは緑がきれいで風も心地好い今の時期にゆくことにした。


当日はホテル地下に直結する地下鉄を使い京都駅へ。


JR山陰本線・嵯峨野線各駅停車

それからJR関西嵯峨野線に乗り継いでわずか16分で嵯峨嵐山駅に到着。


JR嵯峨嵐山駅ホームです

そして嵯峨嵐山駅のホームから徒歩2分で隣接する“トロッコ嵯峨駅”へと向かう。


JR嵯峨嵐山駅改札口・出て右の階段を下りるとすぐに”トロッコ嵯峨駅”です

駅舎はメルヘンチックな佇まいで、どこかのお嬢さん方は早速に「可愛い〜!」とか嬌声を発しておりました。


かわいいトロッコ嵯峨駅舎ですが、急いでいたのでボケてま〜す!

その駅舎でトロッコ列車のチケットと保津川下りの予約を行ない(別々のカウンターでした)、毎時07分発の一時間に一本のみ運行というトロッコ列車へ乗り込んだ。


ほとんどお客は乗り込んでいました・・・、われわれが最後かなぁ・・・

みなさん、もう準備万端ですなぁ、とろいお客を許して下さい

その間、少々乗り換え時間が短かったために写真がボケたり、機関車が写っていなかったりとカメラマンの不手際が多いのはご勘弁を。やはり、旅はのんびりと・・・・である。


秋晴れの朝、いよいよトロッコ列車が出発である。


一応、以下のトロッコ列車の基礎知識を頭に入れていただいたうえで、写真とともに25分のトロッコ列車の車窓の旅をゆっくりと愉しんでください。


トロッコ列車は5両編成で、われわれは4号車(ネイチャー・サルーン号)に乗りました。


4号車は空いていました

窓は上下に大きく開閉できるので、保津峡の風を顔いっぱいに受けて、景色を愛でることができます。

ネイチャー・サルーン号が見えます
この車輛がネイチャー・サルーン号です(保津川下りの船上から撮りました)

ちなみに5号車がザ・リッチ号といって、窓ガラスが取り外された超オープン車輌となっており、晴れた日のみ先着順で指定席券が入手できます(われわれは出発ギリギリの乗車だったので、残念ながら乗れませんでした)。

トロオコ列車、ザ・リッチ号が見えます
機関車の次の車輛がザ・リッチ号です。窓ガラスなどない、まぁスッポンポンですなぁ・・・

全長7.3kmの距離を時速25kmというゆっくりとした速度で走ります。そして絶景地においてはサービス停車をしてくれます。また渓谷に沿って線路があるため、終点までに8つのトンネルがあります。


それでは、いよいよトロッコ列車嵯峨野1号、しゅっぱ〜つ!進行!!


たくさんのブーケがお見送りしてくれました


それでは、写真でトロッコ電車の旅をごゆっくりお楽しみください


嵯峨駅の次の駅、トロッコ嵐山駅は、なんとトンネルのなかでした

本当にトンネルが多いんですよ


トンネルに入りま〜す!!
トンネルに入ると車内はこんなに暗くなります
車内がこんなに暗くなります

この日、お天気は最高でした

青い空と緑の山も素晴らしい
最高の秋の天気でした
風も木々も川もあっという間に流れてゆきます
窓外に秋の風が走り、緑の木々が飛び去り、川ぞ水が流れ去る・・・

保津峡の駅を過ぎます


トロッコ保津峡駅です。橋梁の上にあります。

保津川橋梁を渡っています

保津川橋梁からの景観

これはJR山陰本線の保津川第一橋梁です

そしてトロッコ列車は保津川渓谷の真っ只中に分け入っていきます。

保津峡を走るトロッコ列車のこれぞ醍醐味!!
機関車が見え、保津川と山並みが車窓をよぎる・・・、最高です!!

JRの鉄橋が遠くに見えてきました

迫る渓谷にJRの鉄橋
渓谷の狭まるあたりにJRの鉄橋が見えます

保津川の水量はこの日は少ないようです。眼下に見えるあの大きな石の脇をほんとうに舟がすり抜けるのだろうか。ちょっと、心配です。


あの岩の左脇をすり抜けるの?

上から見ると、保津川下りって、結構、スリリングなんじゃないのかと考えてしまう。あそこなんて、水量が少なく川筋ほとんどないんじゃなのか・・・

あの狭い瀬を船下りするのかい?
この瀬は左側の細い川筋に沿うのかしら・・・、ええ〜っ!!

眼下に保津川下りの舟が見えてきました。二漕下っています。結構多くのお客が乗っています。

眼下に保津川を下る二艘の舟が見えました
見つけた〜、保津川下りの舟ぇ〜!!

いよいよトロッコ亀岡駅へ到着のようです。遠くに亀岡の町が見えてきました。


遠くに見えるのが亀岡の町です

船着き場まで乗ってゆく京馬車の乗り場も見えます。


馬車が見えました

ホームに入線すると、すごい人じゃぁないですか。もちろん、われわれのお出迎えではありません。


トロッコ亀岡駅・折り返し列車で嵯峨へ帰る人たち
トロッコ亀岡駅のホームにはすごい人、人、人・・・

この列車で嵐山、嵯峨野状面へ向かう人たちであります。あっという間の選手交代で、みなさん車上の人となりました。

トロッコ亀岡駅ホーム・乗って来た列車が戻ります
これからトロッコ嵯峨駅へ出発で〜す

日本人ってすごいですね、あれだけの人が済々と降車、乗車しては準備完了、ほんの23分の間の出来事でしたね。



馬車乗り場から見たトロッコ亀岡駅舎

亀岡駅の駅舎は外から見たら、結構な大きさでした。 そしてバス・タクシー乗り場は駅舎の反対側です。


駅舎から下ってきた先にこの看板があるので、大丈夫です。左がバス、右が馬車です

そしてわれわれはこれから保津川下りの乗船場まで利用する馬車乗り場へと向かったのでした。

名勝嵐山の桂川は変幻自在――古都散策5

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名勝嵐山の桂川
は変幻自在――古都散策

 

 京の名勝、嵐山の麓を流れる桂川は、淀川水系に属する全長107劼琉豕蕾論遒任△襦

 

 実はこの川はその名称において一本の河川でありながら、南丹市美山の佐々里峠を源流とする上流部から淀川に合流するまでの下流部にいたり、いくつかの名称を有す珍しい川なのである。

渡月橋

 

渡月橋遠望

 

 

 

 

 

 行政上の名称は「桂川」ひとつの名称で統一されているのだが、古来、流域毎にそれぞれの通称で呼びならわされてきた。その習慣といおうか、その呼び名は今日でも地元の人のなかに息づいている。以下に上流部から順に名称を並べてみる。

 

 上桂川(かみかつらがわ) → 桂川(かつらがわ) → 

 大井川(おおいがわ) → 保津川(ほづがわ) → 

 大堰川(おおいがわ)→ 桂川(かつらがわ)

 

 というふうに、変幻自在に名称を変えるのである。まるで流域の景勝の地に合わせ、身にまとう衣も替えるがごとくにである。古都の雅(みやび)になんともふさわしい趣向とも見られなくもないのである。

 

 誰もが知っている渡月橋の真下を流れている川の名称は、桂川ではなく「大堰川(おおいがわ)」である。現に、渡月橋の東岸袂(たもと)に「大堰川」の石碑が建っている。「あれっ!」と、感じた人たちも多いのではなかろうか。嵐山→渡月橋→桂川は、京都の代表的景勝地をあらわす連想ゲームのようなものである。ところが、渡月橋の真下を流れる川の通称は「桂川」ではなく「大堰川」。

大堰川・保津川境の大堰

 

保津川・大堰川の境の堰(せき)

 

 

 

 

 

実はこの「大堰川」は渡月橋のすぐ上流の堰(せき)とすぐ下流の堰の間だけの、わずか2劼曚匹寮邏擇量松里砲垢ないのである。古代、葛野川(かどのがわ)と呼ばれた暴れ川(現、桂川)を治めるため、この地域の支配者である秦(はた)氏が六世紀頃、下嵯峨から松尾にかけて大堰を築き、治水に貢献したのだそうだ。その偉業に敬意を表し、いまだ「大堰川」と呼びならわしているのかも知れないと想いを馳せるとき、悠久の歴史を誇る都人の矜持のようなものを感じずにはいられぬのである。

大堰川と渡月橋

 

大堰川と渡月橋

 

 

 

 

 

そして亀岡からの16劼砲錣燭觀銘の流れを舟下りする「保津川下り」も、やはり「桂川下り」ではどうも渓流下りとしての名称としては語感が悪く、趣に欠ける

保津川下りの小舟

 

 

保津川下りの小舟

 

 

  

 

桂離宮古書院・新御殿 

桂離宮の古書院・中書院・新御殿 

 

 

 

 

桂離宮松琴亭

 

桂離宮の松琴亭室内

 

 

 

 

 

そして渡月橋下流に位置する桂離宮のすぐ東を流れるその川は、名月の景勝地に冠される「桂」という「川」でなければならぬ。そう!その名称はまさに「桂川」なのである。先人たちの心もちの豊かさには感服!!



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