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家内が会員となっているJR東日本・“大人の休日倶楽部”から毎月、“旅マガジン”という小冊子が送られてくる。そのなかに、日本海をバックにトビシマカンゾウが群生する写真が掲載されていた。
花が大好きで、毎年、やれレンゲツツジだ、もうニッコウキスゲだと蓼科へ通っている家内がこの景観に飛びつかぬはずはない。
ということで、トビシマカンゾウとの出逢いを求めた佐渡の旅となった次第。時期は6月上旬がよいというので下調べをすると薪能もその月に全島で開催されるというので観能も兼ねての旅となった。
今を去ること“うん十年”前の青春時代に訪れた北海道・積丹(しゃこたん)半島の覆いつくすように乱れ咲くエゾカンゾウの話を何度聞かされたことか・・・
さて、トビシマカンゾウであるが、ニッコウキスゲとの違いがよく分らぬ。そこで調べてみると、こうである。
トビシマカンゾウはユリ目・ユリ科・禅庭花(ゼンテイカ)orワスレグサ属の一種であり、ニッコウキスゲもこの系統のなかにあり、ゼンテイカ属に属す一種なのだという。
要は高原に咲くのがニッコウキスゲ、島嶼部に咲いているのがトビシマカンゾウと素人はザックリと覚えておけばよさそうである。
そこで、なぜ、トビシマかと云うと山形県酒田港沖合39kmに浮かぶ飛島で発見されたことからその和名がついたとのこと。
そして、このトビシマカンゾウは飛島と酒田海岸とここ佐渡の地にだけ棲息している稀種であるという。
さぁ御託はそれくらいにして、大野亀のトビシマカンゾウの群生をご覧にいれよう。
大野亀は佐渡島の北端にあるひとつ岩の山塊である。佐渡45号一周線で佐渡島の西海岸を北上し、その突端に近づくと遠くに岬が見えて来る。海に向かって沈み込んでゆく岬の先っぽに瘤のようなものが見え隠れする。
海上に突き出しているのが大野亀である。
まさに日本の三大巨岩のひとつと謳われる“海抜”167メートルの一枚岩である。大きい、これ全部がひとつの岩だと思ってみると、自然の造作とは半端でないことを思わざるを得ない。
因みにあと二つの巨岩は、和歌山県古座川町の高さ100m、幅500mにおよぶ“古座の一枚岩”と屋久島の高さ200mの“千尋(せんひろ)の滝の花崗岩”だとのこと。
広い駐車場に車を置き、早速、大野亀の裾のなだらかな丘陵を登ってゆく。
突当りで左に曲がれば、大野亀の頂上を目指す道となる。
こちらの方は日当たりの関係かそもそもトビシマカンゾウの株が少ないのか、黄色い花は疎らである。頂上に登って見渡す景色は圧巻とはわかっていても、傾斜のきつい一本道を見るだけで、当方、あっさり登頂を諦める。
反対に右手の二ツ亀方向の斜面一面はいまを盛りにトビシマカンゾウの群生である。
橙黄色で埋め尽くされて、これはさすがトビシマカンゾウと唸り声を上げるしかないダイナミックな景観である。
信州の霧ヶ峰や車山の高原で見るニッコウキスゲの風景とは異なり、橙黄色の花々の向こうに空と海を切裂く絹糸のように繊細な水平線が見える。胸のすくようなスカッとした光景である。
そして遊歩道の手すりから身を乗り出すと、切り立った崖から海際まで橙黄色の絵の具を垂れ流したようにカンゾウの花が滴り落ちていた。
群青色の穏やかな海面には沖合に出てゆく漁船の澪が二筋、暢々と糸を曳いている・・・
真っ青な空をバックに橙黄色のトビシマカンゾウの花を見上げる。美しい・・・
梅雨入りして間近だが、前日の小雨模様は一転、日本晴れである。空高く、一羽の鳶がゆっくりと輪を描いている。
当日は6月9日、例年開催される“カンゾウ祭り”の翌日であった。
花は7分咲き程度とみられるが、日当たりの加減であろうか、一日花のカンゾウはある所はもう萎んでいるが、ある個所は一面、満開と目を向ける方向で橙黄色の世界には濃淡がある。
昭和30年代にはこの大野亀は牛の放牧が盛んで、牛が雑草を食べてくれたので、6月には本当に橙黄色の絨毯を一面に敷き詰めたようであったという。
その放牧がすたれてゆくと同時に熊笹をはじめ雑草が繁茂し、徐々にトビシマカンゾウが駆逐されていき、このままでは大野亀のトビシマカンゾウも絶滅の危機に瀕した時期もあったそうである。
それを見て、地元の人々が雑草の手入れを行なうようになり、現在の景観を取り戻していったということである。
いま、佐渡は佐渡金山の遺跡を柱に世界遺産登録を目指している。心から応援したいと思う。
と同時に、大切に守られてきた素晴らしい自然が大勢の人出で踏みにじられる危機をわざわざ作り出さなくともよいのではないかという逡巡する気持ちも生まれて来る。
トビシマカンゾウ越しに眼の前に広がる渺々(びょうびょう)たる日本海を眺めていると、そうした相矛盾した気持ちが交錯し、ちょっと複雑な気分に襲われたのである。