「艦載機移転に関わる岩国市住民投票の怪」

 

 12日に山口県岩国市で米空母艦載機の岩国基地移転計画に関し、民意を問う住民投票が行なわれた。投票率は58.7%で投票数の87.4%が反対票(投票資格者数の51.3%に当たる)であった。この開票結果を受け井原岩国市長は「重く受け止め移転計画の撤回を求める」「取り引きして受入れるようなことはしない。地元の声は国にとって大切なものだ。厚木の問題は国全体で負担軽減を考えるべきだ」と述べたと云う。

 

 基地問題は振り返れば昭和30年の砂川基地(現立川市)闘争や現在、紛糾している沖縄の普天間基地の問題まで常に地元との衝突が繰り返されてきている。基地問題には地元と国家の利害に常に齟齬があるところにその問題の根の深さがある。しかし基地問題はイコール国家の安全保障の問題であって、ここで国家の利益と地域の利益(被害)の問題をごっちゃにして議論することに抑々の不合理と無理が存在する。

 

 国家は国民の生命と財産を守る使命を負う。その重要な使命の一つが独立国家たりうるための安全保障である。現在日米安全保障条約によりわれわれの平和と安寧が守られているが、この保障条約を破棄した場合は当然自国の安全は国民自らで守ることになる。米軍が撤退したその時には、自衛隊は今よりも多くの兵力と戦備を必要とすることになろう。その場合も現在の国際環境を前提に考えれば、沖縄や岩国、三沢、横須賀と云った現在ある米軍基地の地勢面における軍事的価値は変わらないはずである。即ち、米軍が一兵残さず撤退したとしても、その後に自衛隊がこの国の防衛のためにその基地に進駐してくることは容易に想像される。

 

 基地問題は米軍と地元の関係から、自衛隊との関係に置き換えられるだけである。本当に基地周辺の耳をつんざく騒音や治安の悪さは地元に生活する人たちにしか分からぬ苦痛と不安であろう。たまに上空にヘリコプターが飛来するだけで、その騒音の凄まじさは驚くばかりである。基地住民の永年の忍耐には頭が下がり、その心痛に対しては言葉がないのも正直なところである。

 

 しかし、やはり私は再度、云わねばならない。「公と私」「国家と個人」の関係について。憲法では国民の自由と権利が保障され、また個人を尊重することも国政に課された最大の責務であることが高々と謳われている。但し、それはその第1213条にあるように飽くまでも「公共の福祉に反しない限り」において、それが保障されることをわれわれは忘れてはならぬし、それを肝に銘記すべきだと思うのである。

 

 十三日午前の記者会見で阿倍官房長官が住民投票の結果を受けて、「基本的に日米間の交渉が整えばそれが最終結論である。地元にしっかり説明しないといけない」と表明したことは、国の安全保障に責任を持つ内閣として当然で妥当なコメントであったと考える。十分丁寧な説明は必要であり、出来得る限り地元の負担を減らす努力は惜しむべきでない。

 

 だが、やはり国を守ると云うことはそう云うことなのだと考える。

 

井原勝介岩国市長が貴重な税金をかけて移転問題の賛否を住民投票において問うた。これは自治体の長として極めて見識に欠ける行為であり、今後の結果に対して負う責任は重いと云わざるをえない。「公と私」のバランスを市民に説明し、大きな視野で移転問題の持つ意義を本来、市長並びに議会は説明すべきであり、決して住民投票と云った似非民主主義にその解決の道を求めるべきではなかった。そして、そうしたことに貴重な税金を投じるべきではなかったと思うのである。

 

(参考:憲法)

12条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】

この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

13条【個人の尊重と公共の福祉】

すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。