彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

京都グルメ

人情味熱い不思議な京料理のお店 八坂神社前・“かじ正(かじしょう)”

流山の京料理“かねき”はホンモノの職人の味!!(2012.4.17)
餡子好きには堪らぬ、甘泉堂の“とりどりもなか”=旅人の見た京都のお菓子(2014.5.19)

東山区東大路通四条上ル祇園町北側300 ムーンビューティー祇園ビル3F

 ☎ 075−525−8211

午後5時から営業 定休日水曜日


9月の下旬、八坂神社西楼門のすぐ脇にある京料理・”かじ正”を訪れた。

1・八坂神社西楼門
この横断歩道を渡って左手徒歩1分のビルに”かじ正”

東大路通りを挟んで祇園花月会館の斜め前に位置するムーンビューティー祇園ビルという小さなビルの三階に”かじ正”はある。

2・ムーンビューティー祇園ビル  3・3階です
この小さなビルの三階に京料理”かじ正”がある

“かじ正”は、カウンター7席、小上り座敷6人のこじんまりしたお店である。

4・かじ正

ご主人である梶原孝徳氏は、京の老舗仕出し料理店(天保元年(1830)創業)・“菱岩(ひしいわ)”で10年間、修業をされていたという。


そして、梶原氏と奥様のお二人で切り盛りする家族的雰囲気のする温かなお店である。


このお店を知った契機は、ここで時折、修業をする篠宮氏の誘いであった。

同氏は京料理かねき(流山市流山5丁目194)の支店、西麻布の“かねき”(2013年8月閉店)の料理長をしていたが、かねてよりここに来てはいろいろと修業を重ねているという。


今回はちょうどひと月ほど“かじ正”にいるので、ついでがあったら訪ねてもらいたいと電話があった。


そこで、家内の実家・四国の高松へ向かう途中、京都に一泊だけの途中下車にて、かじ正に伺った。


ひと晩は篠宮さんが木屋町の“割烹やました”へ一度は行ってみたいというので案内をした都合で、“かじ正”はその翌日の17:00の開店と同時に入店、午後9時半の岡山行き新幹線に間に合うようにと少々、駆け足の訪問であった。


その為、私流のカウンター越しの会話の合間にトロトロと料理や日本酒を口へ運ぶというわけにもいかず、かなり失礼を”かじ正”にはしてしまった。次回は家内同伴のうえゆっくりと腰を落ち着けて“かじ正”を食べ尽すつもりである。


さて、そんな事情のなかでの当日の料理はおまかせであった。

後日、メニューを篠宮さんからメールで送っていただいたので、これを写真とともに次に記す。


八寸  このわた大根・合鴨ロース・蛸軟煮・落花生・銀杏コロッケ

5・八寸

造り  かつお・鯛・鱧焼霜

6・お造り(鰹・鯛・鱧焼霜)

焼物  子持ち鮎塩焼き

7・子持ち鮎の塩焼き

造り   鱧落とし(暖)

8・お造り・鱧落とし(暖)

焼物   焼き胡麻豆腐

9・焼胡麻豆腐

炊き合わせ  鰊(にしん)茄子

10・鰊(にしん)と茄子の炊合せ

さすが“菱岩”に長年、おられただけあり、食材の吟味、味つけ、気の利いた目先をちょっと変えた料理、ともに及第点である。


お造りが二点になっているのは、梶原さんと鱧談義になり、梶原さんのいう美味しい鱧調理の一品をいただいたものである。


わたしが鱧の湯引きの梅肉付けがどうも苦手で鱧は炙りが大好きだと言ったところ、「鱧落としの温かいのも自分は好きだ」と言われたので、急遽、料理していただいたわけである。


なるほど、身はプリンとしたまま上品な味つけの汁仕上げの一品であった。


時間の都合で、御料理も中途でお仕舞としてしまったが、こうして写真を選んでいるともう一泊してゆっくりと”かじ正”の夜を愉しむべきであったといま後悔しきりである。


こうした”かじ正”、どちらかといえばくっきりとした味付けは京料理の苦手な東京人にも受け入れやすいのではないかと感じたところである。また、自分の好み、我が儘も訊いていただけるようなそんな親しみ易さを感じさせたお店である。


また一店、訪ねたいお店ができてこれからの京都への旅の楽しみがふえたひと夜であった。


加えて、新幹線の乗車時刻が迫るなか、話題があの”とりどり最中”の”甘泉堂”(かじ正から至近)に及び、食いしん坊のこのワタシ、「まだ水羊羹はあるのだろうか、食べてみたいな」と、口走った。

11・甘泉堂店内

すると奥様は即座に甘泉堂さんへ「今から大丈夫ですか」と電話で確認を取ってくださり、梶原さんが走って買ってきてくださるというご夫婦の連携プレイ。

とんでもない自儘、不躾をお許しいただいた。


何せ、甘泉堂の水羊羹は季節限定のレアものである。当日、遅くに高松へ到着、夜食に早速、この甘泉堂の水羊羹をいただいた。梶原さん、ありがとうございました!!

12・甘泉堂・水羊羹
この水羊羹は癖になる!

こうした出来の悪いお客の勝手にまでご配慮というか心遣いをいただき、本当に、この”かじ正”、これから大切にしていきたいハートフルで人情味熱い不思議な京料理のお店である。


次回、じっくり伺った際に再度、詳しい”かじ正”のご案内をブログにアップすることにしたい。

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ

2016年9月、倦怠期に木屋町通りの「割烹やました」のランチは格別!(2016.9.30)
2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)
2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ
(2013.7.1)

中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3 ☎075−256−4506


7月17日、山鉾巡行が終了した夜、京都の知人ご夫妻と“割烹やました”で会食をした。

0・いつもながらいい笑顔です
いつもこの笑顔がたまらぬ山下茂氏

祇園祭の本義である神幸祭の神輿渡御が木屋町通りすなわち“やました”の前を通ることを知ったので、この日に“やました”を予約した。

1・舞殿に並ぶ三基の神輿
宵宮に八坂神社舞殿にならぶ三基の神輿

要は、“やました”の料理に舌鼓を打ちながら神輿渡御も観覧するといった一挙両得、ぜいたくな目論見を立てたというわけだ。


加えて一年半ぶりの再会となる旧知のご夫妻と積もる話も同時に楽しもうとイベント、テンコ盛りな“やました”の夜を計画したわけである。


6時の予約にあわせ押小路橋を歩いていると“やました”の前で祭りの出店を準備する大将の姿を認めた。

2・割烹やましたへ

え〜っ! やました”が出店屋台?と訝(いぶか)るわたし、つい、「大将! 商売熱心だねぇ」と声をかけた。

3・神輿渡御振舞い酒の準備をする大将

気づいた大将が何か言うがよく聞こえない。近づくと缶ビールやらペットボトル飲料を氷で冷やす仕度中である。


神輿を挙げる連の人たちへの差入だという。当方、冗談にせよ商売熱心だねなどと声をかけたことに、少々、赤面の態。


それと、“やました”へ通うのに一斗樽を積んだ高瀬舟が見えないのはちょっと情緒に欠けていた。

4・高瀬川に浮かぶ旧高瀬舟  5・高瀬舟のない高瀬川
左:旧高瀬舟(2008年撮影)  右:2013年、撤去されて何もない高瀬川

当日はまだ明るい高瀬川にひとまわり大きくなった高瀬舟が新調なって浮かんでいた。そこで一枚、写真を撮った。

6・0新調なった高瀬舟

高瀬舟が浮かぶ景色、京都情緒たっぷりのまことにいい雰囲気である。


さて、店内、いつものカウンター奥の席へ陣取った。

6・1先付
先付

早速、乾いた喉を潤すべく恵比寿ビールを注文、それから“桃の滴”の冷酒をいただく。

6・2冷えた桃の滴

料理の方は今回のサプライズは“鱧の洗い”と“冷やし肉”。


これまで“やました”の鱧と云えば“炙り”であった。もちろん、当夜も炙ってもらった。

7・真剣に鱧を炙る芹生君
鱧を炙る芹生君

ところが、芹生君が“鱧の洗い”はいかがですかとさらに問う。

8・活きの良い鱧を捌く芹生君
跳ねる鱧を捌く芹生君、頑張る!!

「エッ? 鱧の洗い」と問い返すと同時に「それもちょうだい」と即答する。まだまだ私も若い、すばらしいクイックリスポンス、条件反射能力であると妙なところで悦に入る。

9・鱧の洗い
これが鱧の洗いです

ともあれ、この洗いには正直、唸り声を上げた。この発想、仕上げにはアッパレというしかなかったのである。

あまりにも新鮮な食感! 炙り鱧にも、もちろん湯引きの鱧など遠く足元にもおよばぬ斬新なまさに炎暑に涼を呼び込む食感である。

10・鱧の洗い、これは新たな発見
お見事、この食感!!

常に食材の新たな調理法を追い求める“やました”の姿勢に恐れ入り、またまた惚れ直したところである。


次に“冷やし肉”なる、これまたこんなお肉の食べ方、初めてという代物。

実のところ男性陣は網焼きを頼んでいたのだが、お隣のご婦人方の前にならぶお肉に目がいった。

11・牛の網焼き
男性陣が頼んだ網焼き

それに気づいた女性陣がおひとついかがと憐憫をかけてくれたので、この新たなる珍味にありつけたもの。

12・0冷やし肉
これが冷やし肉です

二杯酢でさっぱりと“涼”をいただく、美味である。


12・1万願寺唐辛子の掏り流し  12・2冷たい野菜の炊合せ
左:万願寺唐辛子の掏り流し 右:詰めた野菜の炊き合せ

炎暑の夜に斯様な涼を次々と演出する大将の凄腕にあらためて驚嘆するとともに、衷心からの敬意を表するところである。


そして、いよいよもうひとつのビッグイベント、神輿渡御の始まりである。


まだまだ明るい午後7時少し前。神輿を先導する行列が“やました”の前の木屋町通りに入ってきた。

13・色々、雅な行列が続きます

お客さんも一時、食事を中断、外にて観覧。駒形稚児や騎馬で進む神官の行列がつづく。

14・稚児さんも騎馬でゆく
可愛らしい駒形稚児が通る

神輿の前にこれほど本格的な行列を見たのは初めてであった。

15・騎馬行列がゆく

7時17分。三若神輿会の担ぐ中御座神輿が“ほいっと、ほいっと〜!”の掛け声とともに近づいてきた。

道路を埋め尽くす人、人、人にはビックリ。

16・道を埋め尽くす人
大勢の人と共に中御座が見えて来る

中御座は六角形の屋根に鳳凰を冠し、ご祭神は八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。

17・中御座
中御座神輿

何しろすごい人数が次々と店の前を通り過ぎてゆく。

18・大勢の担ぎ手が過ぎてゆく

中御座を見送ると、一同、一旦、店内へ戻る。


午後9時前、錦神輿会が担ぐ西御座がやってきたので外へどうぞとの声。大将以下、お客とともに道路へ出る。さすがにもう外は真っ暗。


だが、神輿が近づくにつれ人の大群が押し寄せるようなどよめきが聴こえる。

19・西御座がやって来る
西御座が近づく

“ほいっと!ほいっと!” 西御座神輿が現われる。

屋根が八角形の鳳凰を冠するこれまたりっぱな神輿である。ご祭神は素戔嗚尊の御子たちである八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。

20・錦神輿会・西御座
西御座神輿

錦神輿会のメンバーは“やました”が仕入れでお世話になる錦市場の人たちが大勢いるのだという。

“やました”の前で神輿もしばし休憩。担ぎ手の人たちも乾いた喉を潤す。大将が準備した飲料の前は昂揚した連の人たちの熱気があふれる。芹生君や女子衆もお世話に大活躍。

21・錦神輿会の人たちに振る舞う

そんななかを粛然と騎乗の神官が行く姿もこれまたすばらしい。

22・担ぎ手のなかを行く騎馬

そして、神輿はふたたび大勢の担ぎ手に担がれ、暗闇に“ほいっと! ほいっと!”の響(とよ)みを残し四条の御旅所へと去っていった。

23・西御座

嵐のようにやってきた神輿を見送り、暖簾の方を見返ると大将が満足の笑みである。

大将、満面の笑み
大将、最高の祭だね〜

神輿渡御の迫力と行列の厳かさを目にし、1100年の歴史を有する祇園祭の本義・神幸祭は京都の町衆に支えられてきたまさに神儀であると実感させられた。


路傍から観覧するだけで祭の当事者のような高揚感を味わったわれわれはふたたび店内へ戻り、じっくりと“やました”の料理を堪能。

25・料理が並んでいます
まだまだ祇園祭の夜は長いのです・・・

神輿渡御を“やました”の前で観覧するという最高の祇園祭を過ごすことが出来た。満足この上ない一日であった。


そして、“やました”の“もてなし”の真義が大将の日頃の心映えにこそあったのだと心底、納得した。


2014年の“割烹やました”!!


祇園祭の神輿渡御を観ながら料理に舌鼓をうつという新たな“やました”の魅力を発見した一日でもあった。


そして最後に新料理長を紹介しておかねばならない。安達料理長である。

26・大将と新料理長の安達さん
新料理長・安達さん

以前、長年“やました”におられたということで、これから勝手知ったる板場で大将の右腕として思う存分その腕を振るっていただけると大いに期待している。


何せ、当夜は神輿見物に出たり入ったり、久しぶりの旧知の友との語らいとやたら忙しく慌ただしい時間を“やました”で過ごした。


次回にじっくり安達さんとお話できることをきたいして2014年の“やました・訪問記”の筆を置くことにする。



祇園祭ゆかりの“祇園ちご餅”・三条若狭屋=旅人の見た京都のお菓子

中京区三条通堀川西入ル橋西町675


祇園祭といえば三条若狭屋の“ちご餅”というのは、京都人の常識だとか。


と云うことで、山鉾巡行の翌日、帰京前に地下鉄東西線にて二条城前駅へ。

1・二条城前
二条城前駅を出たところ

そして、堀川通を下ること500m、三条通堀河西入る、つまり三条通り商店街入口角にある“三条若狭屋”へ銘菓・“祇園ちご餅”を求めに伺った。

2・三条商店街入口角にある
トラックの入った角が入口

本店店舗の外観はいかにも京菓子司の趣きを醸し出す古風な造りである。

3・三条若狭屋

店内に入ると、すぐに“祇園ちご餅”が陳列されたショーケースが目に入る。正面にちご餅を印した暖簾が下がる。

13・祇園ちご餅の暖簾がかかる店内

そして、堀川通りに面してカウンターカフェがある。店内でお茶を戴きながら若狭屋の菓子を愉しむことのできる造りになっていた。

4・カウンターカフェ
早朝の入店のため、まだカフェが準備中であった

“ちご餅”は祇園祭所縁の京菓子であるが、昭和17年12月に京都府が指定した“銘菓和生菓子特殊銘柄品18品目”のひとつとしても有名である。

18・ちご餅
祇園ちご餅

祇園祭所縁というのは、この“祇園ちご餅”誕生譚が以下の説明書にあるので参照されたい。

5・祇園ちご餅

要は山鉾に載る生き稚児さんたちが八坂神社で御位貰いの儀式を終えたのち、楼門前で味噌だれをつけた餅を衆生にふるまったことに因むというのだ。


そしてこれを食べると、ちご餅に添えられた短冊にあるように“疫を除き福を招く”というので、京の人々はこぞって稚児さんからふるまわれる餅を求めたのだそうだ。

7・三本入りのちご餅

この三条若狭屋の“祇園ちご餅”の包の形状が山鉾町で求める厄除けの粽に似せてあることも、厄除けの祭、祇園祭にはなくてはならぬ菓子となっていったのではなかろうか。

6・粽の形をした包  8・蘇民将来の子孫也と記された粽と長刀鉾のフィギュア
左:3本のちご餅の入る包      右:放下鉾の粽と長刀鉾のフィギュア

包を開けると竹串に刺された“ちご餅”が現われるが、氷餅をまぶした求肥のなかに甘く炊いた上品な白味噌が入っているのもそうした所縁に基づいたものである。


ひと串口に入れると、氷餅のザラメが甘みを舌の上に載せ、やわらかな求肥を噛むうちに楚々とした白味噌の風味が口中に残る甘みとしとやかに調和する。

9・疫を除き福を招くちご餅

その味は上品でかつひと包に三本というのもまた奥ゆかしく、その由来と併せてまさに京都のお菓子というのにふさわしい逸品である。


お店のお嬢さんにまずは“祇園ちご餅”の5包入りをお願いする。

10・五包入り

その“ちご餅”を包装していただいている間にショーケースを子細に覗き込む。ちご餅以外にも甘党の心根をいたくくすぐるおいしそうな京菓子が並んでいる。

11・ちご餅以外にショーケースにはおいしそうな京菓子が並ぶ

そこで、いまは残念ながら製造が停止された“御所羊羹(銘菓和生菓子特殊銘柄品)”の代わりに“小倉羊羹”をひとつ求めた。これも18品目踏破を目論むわたしである、当然、それに少しでも肖(あやか)るお菓子だと勝手にわたしが決めて、注文したのである。


このようにして見境なくお菓子を購入し過ぎたため、実は、まだ小倉羊羹まで食すに至っていない。ということで、ここでは包装箱入りの写真を掲載する。

12・小倉羊羹

もちろん後日、小倉羊羹の生身写真は補遺することにする。


次にわたしの視線は小倉羊羹からちょっと右手にスパンして、あるお菓子を認めた。炎暑の夏に涼をもとめるかのような“京のせせらぎ”である。

14・今日のせせらぎ箱入り

色合いがまるで山間をめぐる清流のごとく目にも涼やかであったので、暑い京都でつい手が出たのは致し方のないところである。

15・京のせせらぎ説明書

本日、東京も36度という猛暑日。早速、“京のせせらぎ”で涼感を求めたという次第。

16・京のせせらぎ

口にしたこの家伝の琥珀糖を使った干菓子がまたミントのかすかな香りがしたりまことに爽快な風味であり好ましい。


三条若狭屋は明治26(1893)年に初代の藤本茂弘氏が“本家若狭屋(江戸文化年間に創業、屋号・若狭屋は若狭高浜の出身による。戦後この本家は廃業)”から“若狭屋茂弘”として分家独立したのが始まりという。 その後屋号を“三條若狭屋”と改め、昭和21年に現在の場所に移転し、今日に至っている。現在の当主は四代目・藤本知靖氏である。

17・暖簾

二条城前から歩いて6分ほどの至近にある三条若狭屋。祇園ちご餅はまさに京都の菓子、それにカフェもよし、お土産に日持ちが14日間という“京のせせらぎ”もお洒落でよし。


よいことずくめの三条若狭屋!! ぜひ一度、古風な佇まいの本店へ立ち寄って見られてはいかが。




聖地・“てら川”に根づいてきた“割烹まつおか”=京都グルメ

初々しさの匂い立つ、京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ(2012.10.7)
味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹“まつおか” =京都の“割烹まつおか(2013.9.20)


開業二周年をひと月前に迎えた五月、“割烹まつおか”を訪れた。

割烹まつおか

今年は13日に、湖東三山の秘仏巡りをしてから京都のホテルでシャワーを浴びてお店へ向かうので、予約は当初、午後9時としていた。“割烹まつおか”の利点のひとつに、午後10時以降でもお店へ入れるということがある。

当日のようにちょっと寄り道をして京都へ入り、夕食が遅めになるときには、旅行者にとってこうした京料理のお店があるのはとても便利である。

和室から入口を
奥の和室前から入口を見る

本当の馴染になれば色々と無理のきくお店も当然あるのだろうが、旅人風情ではそうした我が儘はききにくい。

その意味で、“まつおか”は遊ぶの大好き人間にとっては必要不可欠な京の割烹なのである。


割烹まつおかのお蔭で、もう一生見ることのできぬ湖東三山の秘仏三体を一挙に見たうえに、こうしておいしい料理にありつけたのである。
予定より早めに京都へ到着できたので、まつおかへは八時過ぎには到着。

まず、八寸がだされる。

八寸

そして、当夜は、松岡君の心づくしで私たちの好物である今年の初物を二品いただいた。

ひとつ目が岩ガキである。もちろん、おいしいのは当然である。

岩ガキ

次に、私が来るというので、まだ日本産は早いのでといって、韓国産でいいのが出ていたので用意したと、今年初の鱧の炙りを食した。

鱧を炙る松岡店主

目の前で炙ってくれる鱧を二倍酢でさらりと食べる。

鱧 鱧の炙り

おいしい。今年も夏が来た・・・と、脳内細胞が蠢いてくるのが分る。


この日、わたしの左横に若い男性が一人坐っていた。

和室への通路からカウンターを
和室への通路からカウンターを

昨年の九月に松本市のお嬢さんと知り合いになったのがこの“まつおか”である。

その時の様子を「味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹まつおかというタイトルでアップしたのだが、今年はどんな出逢いが待っている?


そして、カウンター内で調理の手伝いをする木村有紗(ありさ)さんと控えめに言葉を交わしていた若者たちの間に、またまたこのお節介おじさんが割り込んでしまった。

木村有紗(ありさ)さん
がんばる”ありさ”さん

家内は横でまた始まったと、我関せずに次の料理を物色している。


男性は梅津君と言い、現在、かの瓢亭で修業中だとのこと。ありささんとは、京都の調理学校での同期生であるという。


そして、ビックリしたのが、ありささんがこの”まつおか”で働いていることをわたしのブログの写真で知り、連絡を取って、当日、初めて来店したのだというではないか。


わたしもその偶然に驚いたが、梅津君もえぇ〜ということで、三人で盛り上がってしまいました。

家内は横でその間、松岡君とお喋りしながらしっかりと料理を口へ運んでいた様子。


それから鰹のいいのが入っているので、タタキでどうかというので、それを注文。

かつおのたたき

翌日は別段、用もないのでニンニクも多めにいただく。これも身がしっかりとしていてさすがにおいしい。

当日のお酒は桃の滴の冷酒。伏見の松本酒造の酒である。舌に柔らかく、口触りのよい日本酒である。

桃の滴の冷酒

それからカワハギだったか、白身の魚のお造り。思った以上に肉厚で歯ごたえがしっかりとしていて、美味である。

カワハギのお造り

あとで、皮と背骨だったか揚げ物ででてきたが、これもカリッとして、なかなかよい。

揚げ物

天婦羅大好きの家内が、何か揚げてくれますって注文した”芝エビ”の天婦羅を半分、つまみ食い。いやぁ、これも、絶妙。

芝エビの天ぷら

ここらで、わたしもだいぶお腹がいっぱいになってきた。煮物でちょっとしたものはと訊くと、蛸の柔らか煮はどうかというので、それを頼む。

蛸の柔らか煮

またこれが優しい味付けで、もちろんふんわりと至極柔らかいのである。


家内はウニのおいしいのが入っているときき、これをいただこうということになった。どうして食べたらおいしいかと相談の上、結局、白いご飯の上に生うにをぶっかけた所謂、あまちゃん・うに丼が一番いいんじゃない?と、わたしが無粋なアドバイス。

洲本のうに丼

松岡君の調理の腕を封じ込めたようで、今になって少々反省をしているが、家内曰く、”とてもおいしかった”とのコメントで、結果良ければ全てよしなのかなと思い直しているところである。


こうして葵祭社頭の儀の前々夜も、賑々しく更けていったのであります。


”割烹まつおか”も、まる二年を過ぎ、三年目に入った。開店当初はやはり仕事の流れもスムースさに欠けていたが、昨年九月にはそれぞれ店の人間の持ち場、役割も収まる所に収まる落ち着きをみせていた。


そして二周年を迎えた今年は、あきらかに”まつおか”に変化が見えた。

店主の松岡氏をはじめそれぞれが、どっしりとこの聖地・てら川の跡地に根を張ったように、仕事をこなしているのである。

主人が板についてきた松岡氏

最初は新装なったこのお店にちょっと浮いたように見えた松岡氏も、堂々たる店主の趣きを見せ、その安定感を支えに店の者も手際よく仕事を進めてゆく。


カウンター越しの会話も店主の松岡氏に倣い、ありささん、也子(なりこ)さんも上手に話をつないでゆく。


松岡氏はじめみなさん、お若い方々である。それでもなのか、だからこそなのか、しっかりと地に足をつけた仕事ぶりが徐々に際立ってきており、これからますます楽しみな応援し甲斐のあるお店となってきた。


それと最後になったが、当夜、知り合った梅津さんの今後の修行の更なる実りを願って、またの機会の出逢いを楽しみにすることにする。


松岡君のいつものおもてなしに感謝である。




葵祭の夜、“御料理はやし”で本物の“京都”に酔う=京都グルメ

上京区河原町通り今出川下る梶井町448−611  ☎075−213−4409


5月15日、下鴨神社で葵祭の社頭の儀に参列し、あたかも源氏物語の世界に身をゆだねる夢のような時間を過ごしたあと、夜を“御料理はやし”でいただいた。

御料理はやし
御料理はやしの玄関


“御料理はやし”は“京”を供するお店である。


1400余年受け継がれてきた葵祭の社頭の儀の〆は、やはり、千年の都の“京”でなければならぬと考えたのである。


“御料理はやし”は、二年まえに初めて伺い、京料理とはこういうものなのだということを教えられたお店である。


その時、ご主人の林亘氏と常連客との打ち解けた会話に加えていただき、料理はもちろん興味深い含蓄のある話にも満足し、後日の再来を期して“御料理はやし”を後にしたのである。


此の度は家内を初めて“御料理はやし”へ招待した。


お店にタクシーをつけると、前回同様に間髪入れずにお迎えの女性が門外まで出てこられる。


靴を脱ぎ、7人掛けの畳敷きのカウンター席へ案内される。足を掘りごたつ式に畳の縁から落とし込む形である。そして、各々に脇息が用意されている。


カウンターにお客が七名のみの小さな部屋である。カウンターの向こうには碁盤を二つ合わせたくらいの厚さ一尺を越える、まな板と呼ぶのがはばかられるほどの、上檜の“俎板”が二客。


ご主人が向って左のまな板を前に立つ。背筋の伸びた凛とした立ち姿である。


その後背には掛花入に活けられた一輪の白い花。清々しいほどのお席である。


この雰囲気はどこかの茶室でお薄を一服いただくような、そんな気がしてくるのである。言うなれば、私たちの前に立つご主人は茶会を催される“亭主”である。


そして、当夜の“正客”はカウンター左詰めに坐られた常連の大学の先生。

右端の“お詰め”の席には常連であろうご婦人がお二人。

カウンター席の真ん中に位置するわれわれ夫婦は、さしずめ“お詰め”に近い席に坐る素人に近い“相客”というところであろうか。


さらに、お客と亭主の会話に絶妙の合いの手を入れてくるお嬢さんが、まさに“半東”としての役回りを見事に果たされている。


そんなお席である。お茶会で写真を撮るほど私も野暮でない。だからこうして、“御料理はやし”の雰囲気を言葉で伝えようとしているのである。


御料理は着席と同時に紫蘇入りの白湯が供され、淡い緑色のうすい豆の豆腐造り、食前酒の梅酒、琵琶湖の稚鮎の素揚げなど八寸、イカ・鮪・白身のお造り、あぶらめ(あいなめ)の椀、真丈の蒸し物、こしあぶら等天ぷら、酢の物・しめ鯖、焼き魚・・・、ご飯・・・、菓子が柚子入りシャーベットで終了。


“御料理はやし”の料理は、旬の食材がそもそも持っている色香をおもてに引き出すために最低限の味付けがなされ、盛り付けは大仰ではなくきわめて控え目な佇まいで供される。


当店はいろんな方が書いておられるが、お客の方から訊ねない限り、お料理の説明はない。“御料理はやし”を訪なうお客はそうした料理がよく分かっておられるというご主人の考えである。これは“御料理はやし”というお店の哲学といってよい。


だが、そうは言っても判らぬものは素直に訊ねればよい。その際には、亭主から丁寧に説明があるし、さらに料理に対する興味深い話をいろいろとしていただける。


前述の料理で“焼き魚”なんて無粋に書いたのは、別に当夜、見栄を張って訊かなかったのではない。


焼き物が供される時間帯に入るころには、懐石料理に舌鼓を打つのは勿論だが、正客と亭主の長年にわたる交誼のにじみ出る談話は温かく、つい、こちらもその湯加減のよさに口を挟んだりして、脳内が忙しくなっていたためである。


また、ご主人とお嬢さんの“コメダ珈琲のモーニング”話の掛け合いは、ユーモアとウイットに溢れ、笑いが止まらなかった。


客を前にしてのこの企(たくら)まざる話術、親娘の会話が醸す藹々の団欒の場面は、見様によっては老練な剣客の立会いを目の当たりにしているようでもあり、爽快感とでもいおうか、ある種の至芸を見せられているような感覚にとらわれたものである。


このようにして葵祭りの夜は、“本物の京都”のおもてなしで過ごすことができたのである。そして、最後の極め付けが、正客たる先生が作られた “春蘭の塩漬け”による春蘭茶をいただけたことである。

 

年一回、先生が“はやし”にお持ちになるという。この日がたまたま、年一回のその日であったのだが、慶事などで“御料理はやし”では大切に一年かけて使っているという、その貴重な“春蘭茶”を、“和敬清寂”のおもてなしの最後にいただけたことは、“一期一会”を旨とするわが夫婦にとって、まさに最良の一夜であったと心から感謝する次第である。



2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ

実は“やました”、今年は二度目の訪問である。


1
月、いや、睦月に天橋立の帰りに寄っている。その時、なぜか印象としてあまり“やました”では種類を頼んでなかったと思い、ブログに敢えてアップしなかった。宮津のお昼に大きな牡蠣のピザや鴨の燻製や何とかのパスタやなどと、たらふく食べ過ぎ、どうもそんなに夜は食が進んでいないと勘違いしていたようだ。

1月に食べた”おこぜの薄造り”  1月の本もろこ
1月にまた、”おこぜの薄造り”と”本もろこ”頼んでた〜
1月の大きい白子
この白子、大きくておいしかったの思い出した

あらためて写真を調べると、な〜んだ、いつものように頼んでは、しっかり食べているではないか。

さすが“やました”。ただでは客を帰さないのである。

そういうことで、2013年の“彦左の正眼”での初お目見えである。

此の度の“ウリ”は、なんといっても、この大きくてりっぱな“あこう”である。

立派な”あこう”が入った
この”あこう”、半端なく立派です!

大将がいつものように捌(さば)くのだが、その写真がうまく撮れない。いつもの一番奥の定位置で、満席でして(まぁ、いつものことか・・・、でも隣には家内が・・・、でも、この日はひとり)、と云うことで、お隣に迷惑なので、ちょっと遠慮しました。

大将が捌きます

なので、この写真、お嬢さんのような仲居さんが「撮ってきましょうか」と、ご親切にもわたしの苦しい心中を察して下さり、正面からバッチリ映してくれたものです。もちろん、知的財産権は彼女のものであります。あっ! 掲載する了解とるの忘れた・・・。今度、事後承諾を取らなければ。

さて、その“あこう”、“洗い”がおいしいというので、それにした。

”あこう”の洗いです
見事な”あこう”の洗いでした

脂が流されたうえ、冷水で締まった身の歯ごたえ、のど越しはさすがだ。洗いを食べると、そこに“初夏”の爽やかな音色を聴くようであった。


そして、洗い、定番の冷酒・桃の滴によく合う。そう云えば、グラスが変わったね。少しずつ前のが割れてゆき、大将に新しいのを買ってもらったのだと、件の仲居さんが言っていた。

新しいグラスが登場・酒は、桃の滴
”桃の滴”が入っています

さて、先付からいかねばならぬ。え〜っと、魚のムース、山クラゲの胡麻酢和え、青梅煮、胡瓜のピクルスに鯵鮨でした(忘れちゃったので、後で紙に書いてもらいました・・・)。

先付

“あこう”の次に、目の前の水槽で泳いでいる美山の鮎を、“背ごし”でもらうことにした。今日は大きいのが入っているから“背ごし”大丈夫ですと芹生君が言う。

美山の鮎の”せごし”です
美山の献上鮎の”背ごし”です

この前、揚げ方・焼き方に入っていた右近君は実家の方に戻ったのだそうで、これから芹生(せりう)君がこの大役を担ってゆく。

芹生、いくぞ!
いくぞ、芹生!と、大将・頑張れ芹生!!

大将に捌かれた“背ごし”はやはり、見事。

”せごし”、いいねぇ
シャリシャリ感、伝わりません?

早速にいただいた。シャリシャリとこれも初夏の旋律である。

残った頭と尻尾はから揚げでいただく。これも、何気に、おいひ〜い!

鮎の頭と尻尾のから揚げ

次いで、花島さんが「野菜ものでもどうですか」といつものように食のバランスを調整してくれる。

花島さん頑張ってます!川飛君も!
花島さん、いつもありがとう!!

そこで、“芋茎(ずいき)の生姜煮”をいただく。ひとりでは、これ少々、量が多かった。

芋茎(ずいき)の生姜煮

そして最近、嵌(はま)り出した貝に気持ちが向かう。とり貝をいただく。

とり貝です

りっぱなとり貝である。

お酒は月桂冠の“鳳麟”。グラスがいつものに戻った。なぜか落ち着く。

とり貝といつものグラス
このグラス、やはり落ち着くなぁ・・・。”鳳麟”さすがに〆の芳香

“鳳麟”をやりながらふと気づくと、いつものようにお客様は誰もいなくなっていた。カウンター中央に移動し、大将と四方山話。


こうして、20132度目の“やました”の夜も更けていったのでした。

高瀬舟のない高瀬川

それと店の前の高瀬舟がこの前からなくなっていたので、訊ねたところ、古くなったので撤去しているとのこと。新造に1700万円かかるのだとか・・・。その工面、とても大変そう・・・。誰か、京都を愛する篤志家いないのかなぁ。

先斗町、納涼床“LUNGAMO(ルンガモ)”でランチを愉しむ

中京区 先斗町通四条上ル鍋屋町232-10

075-212-1555

定休日:火曜日



LUNGAMO(ルンガモ)
先斗町のイタリアンレストラン ”ルンガモ”

納涼床(のうりょうゆか)といえば、京都の夏の風物詩となっている。夏の暑い時分に京都を訪れる機会がないこともあり、これまで納涼床なるものを試したことがなかった。


納涼床のよしず屋根が連なる

川床といえば、遠い昔に貴船の川床(かわどこ)を愉しんだことはあったが、鴨川はどこか俗っぽくってこれまで敬遠していたというのが、正直なところである。


そんなわたしがどうしてということだが、この日に帰京することからゆっくりランチをとり、そのままの足で京都駅へ向かいたかった。そして“割烹まつおか”、“割烹やました”と連夜の和風料理だったため、ランチくらいは洋風でいいかなと思った。


そこで少しお洒落にゆったりできるお店はと探したところ、ミシュランガイドでイタリアンで京都初の星を獲得したという“cucina italiana LUNGAMO(クチーナ・イタリアーナ ルンガモ)”を見つけた(旧店名:リスタ・ジョルジオ・ピンキオーリ)。ちょっとまぁミーハー的関心もあったりしたのだが・・・

店先には先斗町の紋章”千鳥入り”提燈が
先斗町の紋章、千鳥の提灯が下がっています

その“LUNGAMO(ルンガモ)”がたまたま納涼床をやっていた、まぁ、出合い頭にエイッ!“納涼床”ってな調子で、こうした次第と相成ったわけである。


そもそも鴨川の納涼床は例年、5/1-9/30までの営業だが、5月と9月の2ヶ月だけはお昼も床を開いてよい取り

決めとなっているそうで、シーズン限定という甘い言葉に何だかラッキー!と軽い乗りで予約を入れたというのもあったかもしれないなぁ・・・。

レストラン内より納涼床を
店内から納涼床を見る

まぁそんなこんなで9月下旬という時期外れに初の鴨川納涼床の体験となったというわけである。


さて“LUNGAMO(ルンガモ)”のランチだが12時から15時まででゆったり過ごせる。


ルンガモの対面はお茶屋”楠本”でした

場所は四条通りから先斗町通りへ入ってわずか8軒目であるが、むか〜しお世話になったお茶屋“楠本”の対面にありました。

テーブルから南座を眺めて
席から南座と四条大橋が見えます

入店前に先斗町の通りをぶらぶらしてみたが、昼明かりのなかでのこうした場所はいささか気の抜けたビールのようなもので、いささか無粋であったが、ずいぶんマルチ・ナショナルな通りになっていたのには驚いた。

  
イタリア国旗が掲げられる先斗町  こちらはいかにも先斗町といった風情の景色

先斗町にもjazz Barの看板

韓国酒店

自分が先斗町のイタリアンレストランにいこうとしているのにそんな感慨に耽るのもいかがなものかと思ったが、逆に先斗町だからこそ時代の流れをうまく己の懐に抱き込んでいるのかも知れぬと考えなおしたものである。


つまり先斗(ポント)町という奇妙な町名の由来のひとつに、ポルトガル語のポント(先端)、ポンスト(橋)から来たという説があるそうで、時代の最先端とか未来への懸け橋なんて・・・いかにも京都の革新性を象徴しているような気がしないでもないと思ったのである。


さて9月下旬の昼下がり、テラスいや納涼床でランチをとるのには恰好の天気である。日本晴れで、しかも秋というより晩夏を想わせる陽射しが川風に冷める肌に快い。 

南座と四条大橋
京都!青空の下、南座が見えます・・・

納涼床を被う“よしず”が、季節は秋であるのにこの日の陽射しにはよく似合っていた。


よしず越しに青空が・・・

繁忙期にはもう少し席数は増えるのだろうが、納涼床にはゆったりと5つのテーブルが置かれていた。わたしたちは南座と四条大橋がよく見える席へと案内された。

納涼床にテーブル席
ルンガモの納涼床、テーブル席です

上空には青い空、眼下には水底の見える鴨川、斜め正面に南座を眺めながらの落ち着いた雰囲気でのランチ。

納涼床 ビールと南座
納涼床 ビールと南座と青空と

これは納涼床に抱いていた喧騒なイメージとはまったく異なる予想外の出来事であった。


その静謐な空気を揺るがさぬようにスタッフはアダージョな旋律で料理を運んでくる。


まず前菜3品がスマートなお皿に盛られてサーブされた。ひとつひとつ丁寧に説明がなされ、これはもう本格的なイタリアンである。納涼床だからさぁなんてレベルでないことは確かである。


パルミジャーノのビアンコマンジャーレとキノコのズッパ、要はスープである。

ホタテ、モルタデッラのスプーマとビーツ、要は、・・・写真を見てください。

カツオのアフミカートのプッタネスカ風バベッティーニ、要は平たくて長いパスタである。

料理のお皿から鴨川へと視線を転じると、清澄な鴨川に一羽の白鷺が遊んでいる。そのゆったりとした動きにこちらも知らず知らずに憂き世の憂さを忘れてゆく・・・

白鷺が鴨川に游ぶ

そしてメイン料理はわたしが魚、家内がお肉を注文し、それぞれを仲良くシェアした。


お魚がイトヨリのポワレで、かなりイケてましたね。

イトヨリのポワレ フィノッキオのソテーと
イトヨリのポアレ

お肉はホロホロ鳥のアッローストで、これも淡白な味でリンゴのソースとよく合って美味でした。

ホロホロ鳥のアッロースト リンゴソース
ホロホロ鳥のアッロースト

一品、一品をお客の様子に合わせて供してくれるので、贅沢な時間をゆっくり堪能できた。


さっきの白鷺は視界から消えて、今度、目に映じたのは、なんと風流な・・・、投網する人である。じっと目を凝らし、その瞬間をパチリ。

鴨川で投網する人、何だか風流・・・

この納涼床のゆったりとした時の流れを愉しみながらデザートを待った。


そして運ばれてきたデザートの色合いになぜか徐々に深まりゆく秋の季節の移ろいを感じた。

それを引き立てる小道具もお洒落でした。

  

そして愛嬌満点のコーヒーが可愛らしく挨拶をしてくれたのにはこちらもニッコリして、“アリガト〜!”と応えたものでした。

京都、楽しかったですか・・・
京都は楽しかったですか?だって

ルンガモも忘れないでねぇ〜

三日間にわたる京都の旅をこのようにリラクゼーションした雰囲気で終われたことは望外の喜びであった。


LUNGAMO(ルンガモ)”はミシュランで選ばれたから素晴らしいのではない。料理の味はもちろん、それを引き立てるシンプルだがスマートな器、スタッフの心のこもったサーブに加え、鴨川や南座を借景とする京都を象徴する景観、それらすべてがミックスされて、お客の気持ちを満たしてくれるから素晴らしいのだと、考えて見れば当たり前のことが妙に納得されたところである。

納涼床からレストラン内を
納涼床から店内を

そして“LUNGAMO(ルンガモ)”は、今度は夜も訪ねて見たいと思わせる大人のレストランである。

千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!=京都グルメ

2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.5.13)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ(2010.12.12)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ
(2009.11.23)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)(2009.2.18)
葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)(2008.5.21)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)

中京区木屋町二条下ル

075-256-4506


2012年・割烹やました”秋の陣に勇躍、わが夫婦は参戦した。


当夜はいつもの席、カウンター奥の席が用意されていた。板場の真ん中に大将の山下茂氏、その左脇には料理長としての風格と存在感が一段と増してきた花島さんが凛々しく立つ。

そして、わたしの正面には焼き方デビューを果たした右近君が立つ。新しい“やました”の形である。

お絞りで手を拭う間にさっと通される八寸。


八寸

その一連の流れを目にすると、あぁ、“やました”のワクワクな夜が始まるのだと感じる瞬間である。


この日の日本酒は“やました”定番である伏見の “桃の滴” (松本酒造)を注文した。


桃の滴です、料理に合います

八寸に箸をつけ終わるころ、右近君がおもむろに“今日、鯨の頬肉が入っています”と切り出すではないか。久しぶりの鯨、それも頬肉、もちろんお願いすることにした。


早速、大物の”鯨の頬肉”がやってきた

こうして“やました・2012年秋の陣”の戦端は、緒戦から本格的な戦闘をともない切って落とされることになった。


そしてカウンター中央には、秋の味覚の王者たる松茸がこれでもかっていうほどに盛り上げられている。いつあの山に攻め上がるべきか、当方も心中ひそかに策を練る。


すると敵将の山下茂氏はまるでこちらの心中を察したかのように大きな松茸を手に取り、敵の陣中深くへあたかも誘い込むように陽動作戦を進める。

大将、大きな松茸ですねぇ
松茸を盛り上げた中から大物を・・・。花島さん、凛々しい

もちろん、こちらはそんな見え見えの策には乗らずに、水槽に泳ぐ琵琶湖産の鮎に着目。


鮎が勢いよく泳ぐ水槽

これを料理してくれと、注文をつける。そして、われわれの目の前に供されたのが、次なる子持ち鮎の塩焼きであった。

子持ち鮎の塩焼き
素晴らしい子持ち鮎です

膳の上で身を躍らせて泳ぐかのような鮎、しかもこの卵のはみ出す様(さま)のふくよかな美しさ、造形を目にして、敵将の手練の技に不覚にも息を呑んでしまった当方陣営である。


見事な仕上げです

色合いの良い器に入った蓼酢でいただいたが、美味である。加えてこの蓼酢がまた何とも上品でおいしい。


上品な蓼酢です

敵将にエールを送ると、“これ、ちょっと食べて見てください”と緑色の葉っぱを差し出してきた。


この蓼の葉を食べさせていただいた、このエグミがいいのかな・・・

とうとう、敵もまともでは敵わぬとでも思ったか、毒草でも盛ろうとするのかと、しばし逡巡するも、敵に後ろは見せられぬ。エイやっと口に放り込み、噛みしだく。


苦み走った味・・・、でも、もちろん毒何ぞではない。


これがあの“蓼喰う虫も好き好き”の蓼の葉だという。ふと板場を見ると、大将は蓼の葉を丁寧に下ごしらえしているではないか。

敵ながら天晴れと、ちょっともう、投降してよいかなと気弱になった瞬間である。でも、戦闘はまだ始まったばかり。まだまだと、気を取り戻し、態勢を立て直して、次なる攻撃目標を探すと、“いい秋刀魚が入ってますが”と、まさに秋の陣にふさわしい攻勢を仕掛けてきたではないか。

こちらに否やは応はない。堂々と受けて立つことにした。

すると大将はキラキラと照明に光る一尾のりっぱな秋刀魚を示し、包丁を入れてゆく。


秋刀魚に包丁を入れる大将

俎板の上で、その包丁は時に繊細に、時には大胆に、リズミカルに動いてゆく。


バラバラに解体された秋刀魚

右手の包丁と職人の左手は、まるで蝶が花の蜜をめぐって絡み合うように優美な曲線を描き翔んでいる様に見えた。


見事な手さばきが続きます

どうも内臓を包丁の峰や平を駆使し随分と丁寧に時間をかけて処理している。少し不思議な光景である。つい、その所作に惹き込まれてしまう。

一体、彼は何をしようと目論んでいるのか、当方の単純脳には理解しがたい時間が過ぎていった。

そして、三枚におろされた秋刀魚の片身がこんがりと黄金色した薄塩焼きとして供された。


薄塩焼き

レモン汁をたっぷりかけて食べた。さすが旬である。脂が乗っていて旨い。


しかし、あの、俎板上での面倒に見えた包丁捌きは何なのか。敵将の魂胆が分からぬと思案中、目の前に拍子切りされた秋刀魚の切り身が登場した。


これは何だ?

はてな?と怪訝な表情でいると、大将がちょっと“食べて見てください”と云うではないか。箸をつけた。その拍子切りの切り身を口に入れた。


エッ!!


このかかっているパープルソース・・・、何? バルサミコかい・・・、いやオリーブオイルも・・・、そしてこの色の正体は・・・

このソースは秋刀魚の肝でできてます
このソースの正体は?

もう、降参するしかない。こちらも食の武人である。負けを潔く認めようではないか。


“これ、何?” 全面降伏である。

秋刀魚の内臓を丁寧につぶしたものをバルサミコとオリーブオイルで溶き作ったソースだという。

何という斬新な発想。料理人の真髄を少し垣間見た得難く貴重な瞬間であった。

そして身を削ぎ落とした後の骨をこんがりと芯から揚げた唐揚げはもちろん、おいしくいただきました。


カラリと揚がっています

この秋刀魚一尾の丸ごと調理により、当方は完全に白旗を掲げることとなった。すると、もうあとは雪崩を打ってという状態となるのは必定の成り行き。


あの松茸山から敵は逆落としに駈け下りてくることになった。


まず、松茸の鮨である。これはまた、趣向も乙で、焼き松茸や土瓶蒸し、松茸ご飯ではない扱いにはホトホト脱帽。

松茸の鮨です!
豪勢な松茸鮨

そして次に焼き松茸を奨められたものの、まだ僅かに抵抗の気力が残っていたのか、何か違うやつはないかなと云うと、間髪いれずに“天ぷらにしましょうか”と来た。

これ、松茸の天ぷらです
松茸と野菜の天ぷら

もう、どうにでもしてってなことで・・・、いやぁ、これも実に絶品でありました。


ほぼ、秋の陣の攻防も、当陣営の敗退は決定をみたところで、家内が先ほどから目の前で花島さんが何か細々と手を動かし続けているのが気になったのか、“それ、花島さん、さっきから何してるの?”と問うた。


キクラゲのように見えるが、ちょっと違う・・・


そして、最後にいただくことになったのが、天下の珍味、“岩茸(いわたけ)”の酢の物である。

天下の珍味、岩茸(いわたけ)です
天下の珍味、”岩茸(いわたけ)”です

岩茸は標高800m以上の岩壁の垂直面にへばりつくように生える地衣類、つまり、苔の一種なのだという。掌くらいの大きさの物だと、20、30年かかる幻の逸品なんだそうで、国産品はほとんど入手不可能とのこと。


先ほど、花島さんが細々作業していたのは、苔の表面に付いた不純物を丁寧に根気よく取り除いていたということでした。


秋刀魚の一尾喰い、松茸鮨に天ぷら、最後には本邦の珍味なる“岩茸”を供されるに至り、“2012年秋の割烹やました”の陣も、山下茂大将のもと、花島参謀長、右近将校の一方的攻勢により、当方は慶んで白旗を掲げる次第と相成り、大団円を迎えることとなった。

いつもいつも、おいしく独創性にあふれた料理で旅人の心を愉しませてくれる“割烹やました”さんに心からの感謝の念をお伝えし、終稿とすることとしたい。

押し小路の夜も更けて
押し小路の夜も更けて、トコトコとホテルへ帰ってゆきました


それから帰宅後、家内が石巻より届いた秋刀魚で拍子切りに挑戦しました。花島さんのご教示による内臓の喉元に近い所の鱗も丁寧に除け、ソースを作ったのですが、微妙に何か違うんですよね・・・。バルサミコやオリーブオイルの量の問題なのか・・・、今度伺った時に復習しますので、よろしく。


それでは、また、来年、お会いししましょう。

“亀屋良長”で念願の“烏羽玉(うばたま)”を求める=旅人の見た京都のお菓子

“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”が買えた〜!!=旅人の見た京都のお菓子

京都市下京区四条堀川町東入北側醒ケ井角

075-221-2005

亀屋良長


ぬばたま(烏玉)の夜の更けゆけば久木(ひさぎ)生ふる 清き川原に千鳥しば鳴く

(万葉集・山部赤人)

ぬばたま(夜干玉)の吾が黒髪を引きぬらし、乱れてさらに恋わたるかも

(万葉集・詠み人知らず)

“亀屋良長”は四条堀川の交差点から東に一筋目の醒ヶ井(さめがい)通りと四条通りのぶつかる角に位置する享和3年(1803)創業の京和菓子の老舗である。

四条通りを挟んで”亀屋良長”のビルを見る
四条通りを挟んで”亀屋良長”ビルを見る

“鶴屋吉信”が同年の創業であり、先に紹介した姉小路の“亀末廣”が文化元年(1804)創業ということなので、この頃、現代まで暖簾を継ぐ“上菓子屋”が続々と立ち上がっている。


四条堀川交差点から”亀屋良長”ビルを見る

当店を訪ねた理由は、20114月に九州の平戸を旅した際に訪ねた「蔦屋総本家」(創業・文亀2(1502))という菓子舗で、売り切れの為購入を断念した平戸藩主のお留め菓子であった“烏羽玉(うばたま)”なるものがどうしても食べて見たかったからである。


平戸の菓子をなぜ京都で?

亀屋良長前
亀屋良長本店前

何となれば、その“烏羽玉”なる菓子を創業以来200年以上にわたり家伝銘菓として作っていたのが、京都の“亀屋良長”という菓子司であったからである。


そしてこの烏羽玉も、“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”同様に、戦時下の昭和17年、京の菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した“和菓子特殊銘柄18品”のひとつなのである。

亀屋良長店内
亀屋良長店内

烏羽玉は茶花のヒオウギの実「ぬばたま」をかたどった菓子で、波照間島産の黒砂糖入りのこし餡を寒天でくるみ、ケシ粒をかけたビー玉状のまことに愛らしい菓子である。


烏羽玉

ひと口で食べるのはもったいないので、まず半分かじってみた。ヌバタマの艶光を表わすしっとりした寒天の膜をサクリと噛み割ると、黒糖で濃縮されたこし餡の甘さが舌の上に広がる。甘党には堪らぬ至福のひと時である。

寒天におおわれた中身は黒糖入りのこし餡です
黒糖の入ったこし餡

さて、烏羽玉(うばたま)とはずいぶんと変わった名前であるが、その由来が当店のHPで以下のように説明されている。


「お茶花(ちゃばな)のヒオウギは、この葉があたかも平安期の大宮人が用いた“桧扇”のような形になるのでその名があります。夏に花を開いた後、袋状の実を結び、それがはじけると中には黒色の種子が入っています。『漆黒』というよりも、濡れて光り、見る者の心を吸い取り透明感さえ与える小さなつぶ。この実が“ヌバタ マ”です。


『ぬばたまの吾が黒髪を引きぬらし、乱れてさらに恋わたるかも』

万葉の古歌にもみられるようにぬばたまは黒、夜、夢にかかる枕詞で「ぬば」という語は『黒い』の最も古い言葉とされています。

当店の烏羽玉(うばたま)も転訛して、その名がつけられたものです。烏羽玉は当店が創業の昔より代々作り続け、今まで受け継がれてまいりました銘菓で、昔通りの黒砂糖を用いた桧扇の実を思わせる漆黒のお菓子でございます。」


烏羽玉です、漆黒の感じ出てますかね

そこで、帰京後、ヌバタマなるものを調べたところ、何とこの10月頃に檜扇(ひおうぎ)の種子であるヌバタマが成るというではないか。

都立野川公園
都立野川公園

早速、三鷹市にある都立野川公園(40万屐貌發亮然観察園(5万屐砲悗搬を運び、ヌバタマを見つけ出すことに成功した。

自然観察園内
自然観察園内

何せ5万屬箸い広大な敷地の中で、総数で数十株ほどの檜扇を見つけるのだから、それは難事業・・・。でも、職員さんに植生する辺りを事前に確認していたので、何とか黒い実を発見・・・喜び勇んで「見つけた」と叫んだところ、草花大好き人間の家内が「葉っぱが違うでしょう。檜扇の形をしてないでしょ」と冷ややかに却下。

葉っぱが檜扇の形
檜扇の葉、檜扇を広げた形にそっくりです

その直後に「こっちにあるわよ」と家内の声。そこにヌバタマの袋を見つけ、まだ袋が弾けていないと落胆するも、すぐにまた「こっちの方は実が出ている」との声に、トボトボと歩を運ぶ。


檜扇の種が入った袋が・・・、でも種のヌバタマがまだ・・・

袋が弾けたやつがありました
これぞヌバタマ
まさに艶光りする漆黒のヌバタマです

なるほど、実の大きさは思ったよりも小さかったものの、艶光する黒い実は、まさに烏羽玉の艶っぽさそのもの。 “ぬばたま” という言葉が、夜や黒を導く枕詞であることをある種艶めかしく感じた瞬間であった。


といった顛末にて、山部赤人の短歌など教養度もちょっとアップし、秋日和の半日、お弁当持参で公園まで足を運んだ甲斐があったと“亀屋良長”さんに遠く東京から感謝申し上げる次第である。

野川公園内を流れる野川
野川公園に流れる野川
ホット・サンドのお弁当食べて・・・
ホット・サンドのお弁当を好天の園内で食べました

烏羽玉の顛末はこれくらいにして、亀屋良長で見つけたほかのおいしいお菓子もご紹介しなければならぬ。 


まずお店で目をつけたのが“ほほ柿”である。


”ほほ柿”です

生地はモチモチとして柔らかくあの阿闍梨餅に似ているようだが、もっとしっとりとした上品さがある。

ほほ柿
しっとりとした生地のなかに・・・

そして“ほほ柿”の名はもちろんその中身にあり、寒天をかけた熟柿が三層にうすくはさまれている。

中に寒天をかけた熟柿が入っています
この熟柿がおいしいことといったら・・・

柿大好き、それも熟し柿大好き人間のわたしには、スライスされた熟し柿がモチッとした求肥粉入りのカステラ生地に挟まれたこの“ほほ柿”は、まさに頬っぺたが落ちるほど“うんめ〜い”(NHKの“おひさま”で陽子が口にしたイントネーションで・・・)菓子であった。これもそんじょそこらでは手に入らぬ秋限定の逸品である。

醒ヶ井水のお茶と”季の菓”でおもてなしを受けました
醒ヶ井水でいれた煎茶と”季の菓”の”夕暮れ”でおもてなし

もうひとつが“季の菓”というひと口サイズの羊羹に寒天をかけた菓子である。良長さんに入って、烏羽玉以外にもおいしそうなお菓子があったので物色していたところ、「こちらでおひとつお茶でもどうぞ」と女性の方が出してくれたお茶請けが、この“季の菓”の柿入り錦玉と粒あん羊羹の“夕暮れ”というものであった。

柿入り錦玉と粒あん羊羹の”夕暮れ”
夕暮れ

この色合いも秋めいた可愛らしい菓子を店前に湧き出る醒ヶ井の名水でいれた煎茶ともども、おいしくいただき、早速、琥珀羹と餅羊羹の“月あかり”、葡萄ジュース入りの“ぶどう”、羊羹の上空に星あかりだろうか金箔入りの“夜長”を買い求めた。

琥珀羹と餅羊羹の”月あかり”
月あかり
”ぶどう”
ぶどう
金箔入りの”夜長”
夜長

味はもちろんだが、ちょっとしたお茶請けにお洒落で上品な菓子である。お客様に「わ〜、可愛いい」と褒められること請け合いの小品である。

店頭の“亀屋良長菓子舗”の看板に“宜茶宜酒”という四言が揮毫されている。


”宜茶宜酒”の看板

帰京後、電話にてお訊ねしたところ、亀屋良長の菓子は「茶に宜(よろ)し、酒にも宜(よろ)し」ということだそうで、既に全菓子を胃袋に納め終わったわたしは、次回こそは酒に宜しおす“亀屋良長”の菓子でちょっと一献と洒落込もうと算段したところである。


店内にも酒器形の板に宜茶宜酒の言葉が

店内には “宜茶宜酒“の瓢箪形の木版と”懐澄”という額が掛かっていた。


”懐澄の書が掛る

この“懐澄”とは、二代目当主が定めた「懐が澄む」という家訓ということであった。これは懐を誰に見られてもよいように適正な利潤をあげながら事業を継続せよという意味だという。“亀末廣”の家訓である「一対一の商い」と相通じるもののある、市場原理主義一辺倒の時代に爽やかな一石を投じるものであると深く感じ入った次第である。

醒ヶ井
店の前に名水”醒ヶ井”が湧き出る

醒ヶ井水のお茶のお持て成しやお店の方の洗練された応対ぶりなど、“亀末廣”同様にまたまた“商いの本質”、“商人道”に触れさせていただいたひと時であった。

初々しさの匂い立つ、京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ

聖地・“てら川”に根づいてきた“割烹まつおか”=京都グルメ(2014.5.27)
味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹“まつおか” =京都の“割烹まつおか
(2013.9.20)
2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.5.13)

京都市東山区松原通大和大路西入ル南側弓矢町25

075-531-0233

定休日:水曜日

割烹まつおか

“割烹まつおか”は20124月開店の初々しいお店である。木屋町通りにある大好きな“割烹やました”で揚げ方、焼き方を担当していた松岡英雄氏が独立し、始めたお店である。

割烹まつおか
割烹まつおか

場所は京阪本線祇園四条駅、要は歌舞伎の南座から徒歩で7分という便利な場所にある。ここはもともと老舗旅館炭屋の料理長を長年務めた寺川氏が営んでいた「御料理てら川」の場所で、お店自体も「てら川」の造作を基本的に活かした造りとなっている。

”割烹まつおか”入口
風情のあるアプローチです
”割烹まつおか”暖簾
新たな門出の”割烹まつおか”の暖簾です

京都に特有の縦長の敷地を逆にうまく利用した、入口を入ってまずカウンター席7名、その奥に順に二つの座敷が列ぶ瀟洒で落ち着いた雰囲気の漂うお店である。

座敷口より突当りが玄関を。左手暖簾内がカウンター
奥の座敷口から入口を見る。左側中央格子の内側がカウンター席

当夜はわれわれが最初の来店客であったが、カウンターにわれわれ以外に3名、座敷の方に6名の予約が入っていた。奥行きのある間取りのため、奥の座敷客の声は殆どと言ってよいほどに聴こえず、静かな雰囲気で寛いだ時間が過ごせた。

手前右が4畳半、奥が6畳の座敷
店奥に手前右手四畳半、奥六畳の座敷席(お客が退散直後のため座椅子が乱れています)

その“割烹まつおか”は板場に松岡さんが立ち、右奥の厨房に吉井君と若い女性が二人(板場にも出入りする)、外に今風の黒いカフェエプロンをかけた若い仲居さんが一人という四名体制で、切り盛りしている。

頑張っています、若き店主の松岡氏
頑張っています、店主松岡英雄氏・右紺の暖簾の奥が厨房です

開業してまだ半年ということで、厨房の若い衆もまだまだ手際に料理人としての切れ味は見られぬ。だが一日でも早く技量を磨きあげたいとの強い思いが、松岡氏の指示に対し必死に耳を傾ける姿や見つめる瞳の輝きに十分滲み出て、若い人たちのそのひた向きな姿勢がこの若いお店の清涼感や清潔感のようなものを生み出しているのだと感じた。

格子の中が7名のカウンター席となってます
この格子の中に7名のカウンター席があります。祇園宮川町のお姐さん方もお見えのようですね
カウンター
このカウンターが当夜のわれわれの席でした。当日はカウンターは5名でゆったりでした

そこでいよいよ当夜のお料理であるが、まずは先付けが目の前に表れて・・・・


先づけ

それに箸をつけながら、今夜はどんな趣向で来るのかなと脳内に“美味渇望アドレナリン”が充満し始めたころ、「今日はアマテガレイがありますが・・・」との松岡君のひと言。

「それの薄造りでもしましょうか」と言われて、「えっ、それ、何?」と訊ねたところ、東京でいう真子(まこ)鰈のことだそうで、大分県の有名な城下(しろした)鰈と同じものだという。

白身魚大好き人間のわたしに松岡君は直球勝負で甘手鰈の薄造りを薦めてきた。

そうであれば否やも応もない。即決である。


甘手鰈の薄造り

薄造りと言いながら微妙に厚みをだした造りは、歯ごたえがしっかりし、噛めば白身の身内からほんのりと甘みが染みだしてくる。なるほど、甘手の鰈である、甘手とはよくもその名をつけたりと感心したところである。

次に水槽に目をやると、あぁ・・・、威勢のよい鱧がいるではないか・・・、ということで、大好きな鱧の炙りを頼んだ。


水槽の中には活きの良い鱧と車海老が・・・

目の前で松岡君が矩形の長包丁で見事な鱧の骨切りを見せてくれたが、ジャリ、ジャリでもなくシャリ、シャリでもない骨が細かく刻まれる小気味よい旋律がまことに粋である。


難しい鱧の骨切り。さすが、見事な包丁さばきです

その様子を見ていた家内が炙り以外に今夜は少し違った調理のものも頂いてみたいと要望したところ、半分は炙り、そして半分は鱧の柳川鍋というまぁ、手間のかかるいただき方をしてしまった。


この鱧をこれから炙ります

網で炙っています

この炙り鱧、いつものことながらおいしいです

今年最初の炙りはもちろんおいしかったが、柳川風は炙りのさっぱり味とはまた異なり、癖のある牛蒡や三つ葉や山椒の味が逆に鱧の味の淡白さを引き立て、新たな鱧の魅力に気づかされた。是非、これはお試しになる価値は十分あると確信した次第である。


これが鱧の柳川鍋です

湯気が立って肉厚の鱧がホクホクでおいしかったなぁ・・・

少し、いや、かなりお腹が落ち着いたところで、松岡君が「ちょっと、これ食べて見てください」と差し出したのが、次なる逸品である。


当日の当りくじの”鯖の刺身”です

ピンク色がかった大ぶりのお刺身が一切れ・・・

何と、鯖の刺身だというではないか。脂が乗っている。しかも身が引き締まっている。う〜ん、身持ち?がしっかりしているとでもいうのか・・・、それって意味が違うでしょ・・・左様になかなか表現に苦労するところだが、これって本日の当り籤(くじ)ってな感じの流石(さすが)の一品でした。

次いで食いしん坊夫婦が目をつけたのが、水槽の大ぶりの車海老でした。

あっさりと塩焼きででもどうですかと言うので、それをお願いした。串に刺すとまた大きいですね。

大きな車海老です
この大きな車海老を塩焼きにします

見事に焼き上がりました。松岡君もにっこりです。

出来上がりに満足の松岡さん
見事に仕上がり、松岡君もにっこり

肉厚の身はプリプリして、香ばしい塩焼きの上にレモン汁の香りが迸り、そりゃ、おいしかったです。

プリプリでおいしかった
レモン汁がほのかな塩味にあって美味でした

その後、写真を見ていたら、岩蛎も頼んでいました。

りっぱな岩ガキでした
大好物の岩ガキ、やっぱり頼んでいました・・・

そして目の前に現れた小皿に小魚の佃煮が出て参りました。


珍味であったことは確かなのだが・・・

名前を確かに教えてもらったのだが、老夫婦ともにもう始まったのか・・・名前が思い出せなくて・・・、珍味のお魚であったことは確かなのですが・・・。ごめんなさいね、松岡主人・・・


そうして鱧の肝が芋茎(ずいき)とともに出されたのには驚いた。


鱧の肝です

これまで鱧の肝など食べたことがなかったので、二人して大喜びで、欣喜雀躍、あっという間に胃袋に収まりました。


次なるが・・・、え〜っ・・・鱧の佃煮。当日は鱧料理のオンパレードでした。 


鱧の佃煮です

これまた見事な味で、伏見は月桂冠の鳳麟(ほうりん)がすすむことすすむこと。日本酒には最高の添えです。


鳳麟はなかなかの銘酒です

右奥の江戸切子風の赤いお猪口にしました

こうなると胃袋の箍(タガ)は物の見事にはずれ、最終コーナーへ向けて最後のダッシュ!!


そこであっさりと、小芋・蛸・白ずいき・南京など炊合せが出て参りました。


この炊合せ、もちろん二人で分けたのですよ

そしてゴールはもちろんお定まりの鯖鮨です。


最初から気になっていた鯖鮨です

もちろん、こんなに小さく切ってもらい食べましたよ

最初の客として席についてから延々、3時間半。疾うにほかのお客さん方は退散し、気がつけば店内の客はわが夫婦ふたりだけ。


松岡君とのカウンター越しの会話が楽しくて、ついつい、と言おうか、いつものように長居をしてしまいました。


当年取って確か40歳の松岡君の新たな挑戦がこの“割烹まつおか”で始まった。店主もスタッフもみんな若い。初々しさが匂い立つ、清々しいお店である。


今後の絶えざる精進と健やかな発展をされんことを心より願うとともに、京都での新たな愉しみの場所を与えてくれた松岡君に衷心より感謝する次第である。

“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”が買えた〜!!=旅人の見た京都のお菓子

“亀屋良長”で念願の“烏羽玉(うばたま)”を求める=旅人の見た京都のお菓子

京都市中京区姉小路通烏丸東入ル

075-221-5110

定休日:日祝日・正月

営業時間:8001800

亀末廣 


亀末廣は
文化元年(1804)に伏見醍醐の釜師であった初代・亀屋源助により創業され、以降、二条城の徳川家や御所から特別注文を賜ってきた歴史を有す京菓子の老舗である。

右読みの亀末廣店看板
右読みの亀末廣の看板

趣のある名刺です

夏の銘菓・夏柑糖(なつかんとう)や正月の花びら餅で有名なあの上七間の老舗“老松”でさえ明治42年(1909)創業というのだから、菓子作り200余年の歴史を誇る“亀末廣”は、次に紹介する亀屋良長(創業1802年)と並びまさに京菓子司として老舗中の老舗といってよい。

亀末廣本店正面
亀末廣の歴史を語る建物

店舗はここ烏丸御池の本店のみである。


明治29年に唯一暖簾分けした名古屋(中区錦)の“亀末廣”が奇しくも今年の731日をもって廃業したことで、“亀末廣”の名前を冠する京菓子屋は本当にこのお店のみということになった。
 

菓子の木型を額縁に活用した由緒ある看板
看板の額縁は菓子の木型を利用している。これって、江戸時代のエコ?

したがって、これからご紹介する菓子も一部商品の例外的発送はあるものの、この烏丸御池のお店、この飴色の木のカウンター越しに手渡しで買い求めるしかない。

このカウンターにお菓子が並んでいます
飴色をした木製カウンター

ネット通販全盛のこの時代、逆に人肌の温もり、人情が直接通じあう商いのあり方にこだわる姿勢はまことに痛快この上なく、まさに見事というしかない。

昔のお店の佇まいそのままです
どこか懐かしい大福帳の架かる風景

その商いのあり方や長い歴史を目で見、実感できるのが、亀末廣の建物外観、右読みの表看板、商家という語感そのままの店内造作、菓子屋とは思えぬ広い敷地などなどである。

古い歴史を物語る亀末廣の建物
広い敷地の一画が店舗となっている

すなわち暖簾をかき分け、一歩、店内に足を踏み入れると、そこにははじめて訪れた処とは思えぬ温もりのあるどこか甘酸っぱく懐かしい空間があった。

”かめや末ひろ”の暖簾が架かる
温もりのある空間

そして何よりもお店の方の応対ぶりが、“亀末廣”の家訓である「一対一の商い」、「一人のお客様との、心のふれあいを大切にして」、“そのまま”であったことが、一見(いちげん)の旅人であってもかねての馴染み客のように振る舞え、そこに長い歴史で培われた商いの本質を見せてもらったようで、殊のほか心地好く得難い体験ができたと深く感謝している。

古い歴史を感じさせる陳列品
歴史を感じさせる調度品が・・・

その日(9/26)、わたしはひそかな期待をもって亀末廣に足を踏み入れた。


そしてまずカウンター上の菓子に素早く視線をめぐらせた。秋限定の“竹裡(ちくり)”があるか否かを確認しようとしたのである。

そして・・・見つけた・・・「あった!!」 

竹裡があった!
竹裡(ちくり)があった!!

物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行なうことで保護しようとして選抜した京都の“和菓子特殊銘柄18品”の一品である“竹裡(ちくり)”を求めるのが、今回の旅の大きな目的のひとつであった。


だから、カウンターに置かれた“竹裡(ちくり)”を認め、「竹裡ありますか」と問うて、「はい」と言われた時は、掛け値なく本当にうれしかった。


まさに「売って喜ぶよりも、買って喜んでいただく」という亀末廣の家訓通りの“竹裡(ちくり)”との出逢いであった。


聞けば、今年、竹裡が店頭にならんだのは前日であったということで、己の運も満更ではないと、ちょっと嬉しくなったりしたのである。

“竹裡”は亀末廣指定の丹波の新栗が入手できる9月の末頃から10月末、長くて11月の上旬までのわずかにひと月ほどの短い期間の限定販売なのである。

ただ、この限定販売と殊更に強調しているのも、竹裡を手にできたわたしがレア物だぞと自慢しているだけであって、お店の方にそんな思いはなく、「(そんなに慌てずとも)栗が入って来る間は竹裡は大丈夫ですよ」と、やさしく言ってくれたことを付け加えておかねばならぬ。

おいしいものを本当においしくいただいてもらえる時期だけにお客様にお届けする。

店主は言われる。

「近年は、味わい深い京菓子の季節感も、しだいに薄れつつあるように思われます。しかし、当店は昔ながらの変わらない味、手づくりの良さにこだわりながら、京菓子の風情や風雅を守っていきたいと考えています」

まさにその通りの亀末廣の“竹裡(ちくり)”であった。 

竹裡の趣ある包み紙
竹裡の趣ある包み紙

その竹裡とは、20cmほどの竹の皮に巻かれた栗蒸し羊羹である。 

竹裡
ひと棹20cmほどの竹裡

食べ方は「竹皮のままニセンチくらいに切ってから皮をむき」召しあがれと、亀末廣の主が丁寧に書いてくれている。 

食べ方の指南書
しっかり読んでから食べましょう・・・ね

当方は最初、その短冊を読まずしていやしくも手をつけようとしたため、申し訳ないが下の写真の如く、“竹裡”を身ぐるみはがした姿を思いがけず目にすることとなった。 

竹裡の竹皮をむいてしまった
身ぐるみ剥がれた竹裡・・・、失礼しました(*´Д`*)

竹皮で適度な力で巻かれたことが、竹皮の絞りのような縞が羊羹の身に刻まれていることで分かった。


わが身のはしたなさに苦笑しながら、竹皮を包み直し、改めて2センチいや、もうちょっと食べたい・・・、3センチほどに包丁を入れた。

竹皮ごと切った竹裡
ちょっと分厚くいただきました

竹の皮を切り込むとパリッでもなくザクッでもない、どこか爽快な音がする。目をつぶると秋風が吹き抜ける竹林のなかを落ち敷いたばかりの落葉を踏みしだいてゆくときのあの静寂感が伝わってきたのである。 

竹包みの絞りが映った竹裡
おいしそうです

さっそく、竹裡を口にする。蒸し羊羹によくある抜けたような甘味ではなく、小豆の味がしっかり伝わる上品な甘みであった。そして蒸していると分からぬ羊羹の締り具合は栗のホッコリさとあわさって絶妙である。 

丹波の新栗がたっぷり入っています
しっかり栗が入っています

練り羊羹ほどのしつこさはなく、かと言って蒸し羊羹のどこか空虚な噛みごたえとも微妙に異なる、練り羊羹と蒸し羊羹の中ほどに位置する、ほっこりとして大きな旬の栗を餡子でくるんだ秋口だけの菓子、“竹裡(ちくり)”という上質の京菓子というしかない。



丹波栗の溢れんばかりの大きさは堪りません

そして、年一回、10月に“亀末廣”を訪れることに意味があり、そこで竹林の涼風に想いを馳せる、旬を年ごとに運んでくれるそんな素朴で心豊かな菓子なのだと思った。


そのほか、亀末廣は人気の高い“京のよすが”(3500円)、別名“四畳半”とも愛称される季節ごとの菓子の詰め合わせがある。

これが有名な”京のよすが”です
杉材で四畳半形に仕切られた”京のよすが”

今回は“竹裡”を求めたので、次回のお楽しみということで写真は、店頭に置かれていたものである。

四畳半に区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子や有平糖、半生菓子などが彩り良く詰め合わされており、時期折々の菓子が二段に詰められているとのことで、お使い物にするとその季節の彩りや時々に詰められた菓子の多様さに先方は宝石箱を開けたような輝きを顔面に浮かべてくれるというから、これも逸品である。

今回は、予算の関係もあり、竹裡(3500円)のほかは、次の“京の土”(700円)を買い求めた。 

お餅煎餅”京の土”です
京のお寺の築地塀から切り取ってきたかのような”京の土”

“京の土”とは名前からして主の菓子作りへのこだわりが表れているようで、興味深く、買い求めることとなった。上等の和三盆を使った砂糖蜜で覆われた20cm四方の麩焼き煎餅である。 

DSCF5341
風流な書体で”京の土”
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紅葉があしらわれている”京の土”・お寺の築地塀を切り取ったような色合いです

帰宅後に、“京の土”の包装を開け、食べようとしたところ、下なる主の手紙が入っていた。

DSCF5343
風流を友として食べよ!!との主の言葉でありました・・・

もっともなる言い分である。 

割って盛った京の土
コンポートに盛ってみました
いろいろ試した京の土
こんどは銘々皿にちょっと・・・
砂糖蜜がなかまで沁み込んでいます
砂糖蜜が適度に中の方まで沁み込んでいるのがよい

そして主の奨めるようにそれでは面白く割って見ようと、「それは小さい」、「これは大き過ぎる」と還暦過ぎのいい大人二人がワイワイと皿に盛っているうちに、あぁ・・・これも風流といったものか・・・と、亀末廣の主の思惑に見事に嵌ってしまった、二人加えて123歳になる老夫婦の日常の他愛のないひと時であった。

2012年春の“割烹やました”=京都グルメ

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ(2014.8.13)
2013年・水無月の“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ
(2013.7.1)
千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!
(2012.10.23)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ
(2010.12.12)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(2009.11.23)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)

京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ(2012.10.7)

中京区木屋町二条下ル

075-256-4506


昨年6月に訪れて以来、9か月ぶりの“やました”である。昨年、ブログへのアップを怠ったので、今年は遅ればせではあるが、“やました”探訪記を残しておく。

山下茂氏と花島氏
”やました”の大将と花島さん

なにしろ昨今は多くの知人が“やました”ファンとなった御蔭で、東京でもやたら「やました、行って来たよ」、「やましたの岩ガキおいしかったよ」とか、まぁ、こっちの気も知らないで“やました”自慢の花盛り、花盛り・・・。


そこで、この春、義母の米寿祝いに四国を訪れた帰路、京都で途中下車。もちろん定番“やました”へ向かうためである。そして今回は、学生時代以来の京都一人旅であり、事前の計画なしに洛中をブラブラする「無計画の計画」を心ゆくまで愉しむこともひとつ大きな目的としていた。

嵐電
学生時代以来の嵐電に乗りました

ただし、夜だけは「無計画」とは異なり、一日目が“御料理はやし”、二日目を“割烹やました”と、しっかりと事前に予約しておいたのはまぁ大人のご愛嬌である。

北野白梅町駅
昔、京都へ来ると、この北野白梅町駅をよく利用した

こうした行動パターンは、「無計画の計画」をモットーに洛中を彷徨していた学生の頃の自分が最も忌み嫌った「肥満した精神」の発露そのものである。

帷子の辻駅
この帷子の辻(かたびらのつじ)駅で乗り換えたり、ここから歩いたりしたもんだ・・・

正直、近年の「食」へのこだわり方は老いとともに執拗さを増し、己で制御するのが難しくなっている。理性を失ったかのようなその執着心のあさましさをまだ恥ずかしながら自覚していることが、まぁぎりぎりの救いってところかなと感じているところである。

帷子の辻駅前
帷子の辻駅前はまったくその様相が一変・・・、わたしには寂寥感のみが・・・

そうは言っても、あの青春時代のまぶしいような「無計画の計画」はお天道さまが顔を見せている時間帯だけという所業については、まぁ、若い人から見たら堕落しきった代物(しろもの)と一刀両断に唾棄されても仕方あるまい。

冷酒
大人の証明・・・、いやお酒の魔力・・・

あぁ、そんな噺はどうでもよいのだった。ここでは“やました”の近況を報告すればよかったのだ。

八寸
まずは八寸

ということで、今回は一人旅ということで、“やました”の大将がカウンター中央に席が取られていた。要すれば光栄にも大将の正面に坐ることとなった。これまではカウンターの一番奥に陣取り、隅から板場を見るのを常としていたが、今回は同行の話し相手もいないことから、計らずも大将とゆっくりと話をすることができた。


料理はいつもの“おこぜ”の刺身ではなく、“てっさ”をいただくことにした。大将がいうには、「いつもお造りは“おこぜ”だから、たまに違うのはどうか」と奨められたからである。前々回だったか娘が頼んだフグを少し横から掠め取り口に入れたところ、微妙に厚みがあって甘味が口の中にふわっと広がり、それまでフグ刺しをあまり好まなかったわたしにとり、ちょっとした新鮮な驚きがあったのを覚えていたためである。

てっさ
ちょっと肉厚で、噛みごたえのある”てっさ”は、わたし好み!!

今回はひとりで思いっきりその“てっさ”を堪能した。思った通りの醍醐味を感じさせる質感と淡白さの中にほの甘い味のするこれぞ“やました”の“てっさ”であった。

太った本モロコ
太った本モロコ

それから本モロコを久しぶりに戴くことにした。写真で分かるように、見事なモロコである。淡白でほっこりとした食感が堪らなくおいしい・・・。

本モロコ
おいしそうに焼きあがっています
ほっこりした本モロコ
思いっきりたくさん戴きました、本モロコ!

そして大将との談笑の合間に、色々と酒のツマミにとちょこちょこと繰り出される小気味よい技にほとほと感心しながら、酒はいよいよ進み、時間が経つのも忘れてしまったのは当然の成り行き。

おつまみ
この蕗の塔を刻み込んだ味噌でお酒の進むこと、進むこと・・・
おつまみ
からし和えもお酒が・・・欲しい・・・
酢味噌和え


山菜の天ぷら
山菜の天ぷらまで頼んでいたんだ、よく一人で食べたなぁ・・・

いつしか第一陣のお客で残っているのはわたしのみで、隣には大原からやって来られた気さくなご夫婦が坐っていた。


大将とはどうも野菜の仕入れの関係で長年のお付き合いがある様で、気の置けない談話が始まっていた。そしてわたしもいつの間にか当たり前のようにその仲間に入り、心温まる時間を過ごさせていただいた。


その会話の中で、大将の食材に対する造詣の深さや新たな食材への飽くなき探求心といったものを知り、笑顔の底に隠された“食の匠”としての凄みを知らされた貴重なひと時でもあった。


そうこうするうちに時間は看板の時刻を疾うに過ぎ11時近くとなり、大原のご夫婦を残して店を出ることにした。いつもの如く大将が外まで見送りに出てくれたが、「今夜は奥様がいないから“K6”(カクテルバー)には寄らずにまっすぐ、ホテルへゆくがよい」と誰かさんの伝言でもあったかのような適切なアドバイスをいただき、それではと初春の夜風に火照った頬をなぶらせながら、ゆっくりと、とろりんちょと、ホテルへ向かった次第である。


斯様にして2012年最初の“やました”の夜も更けていったのである。


それと大切な報告をここでしておかなければならない。“やました”の焼き方と揚げ場を担っていた松岡君が独立し、「割烹まつおか」(京都市東山区松原通大和大路西入る南側弓矢町25・電話075-531-0233)をこの426日(木)に開店したことである。カウンター7席の小さなお店とのことであるが、近いうちにぜひ伺いたいものと思っている。

右近君頑張る
若手の右近君、頑張っています

松岡君のいない“やました”はちょっとさびしい気もするが、これまで通り花島さんがしっかり大将を支え、若手の右近君が松岡君の抜けた穴をカバーし、いつも通りの旅人に優しい気の置けない“やました”はもちろん健在であり、今後とも脚を運び続けるのは言うまでもない。

京料理・「粟田(あわた)山荘」で「蛍の夕べ」を愉しむ

美山荘の蛍狩り(2006.7.5)
東京の「ほたる狩り」=うかい鳥山(八王子)6月3日〜7月13日(2010.5.29)
“辰野・ほたる祭り”に行って来た=松尾峡・ほたる童謡公園(2012.7.2)

東山区粟田口三条坊町215


2011_06142011年6月14日京都0562
粟田山荘

 京都ホテルオークラの別邸 「粟田山荘」で「蛍の夕べ」を愉しんだ。

これまでなかなか予約が取れず、今回、運よくそれも蛍まで鑑賞できるとあって、期待に胸ふくらませて山荘を訪ねた。

HPによれば、数寄屋造り総二階の日本家屋は、「昭和12年、西陣の織元細井邦三郎氏が建てた別荘が前身である」と、その由緒が紹介されている。

2011_06142011年6月14日京都0612
「桔梗の間」から庭を見下ろす

 

柾目の檜材を潤沢に使った粟田山荘に一歩、足を踏み入れると、昭和初期の西陣の織元が当時どれほどの財を誇っていたのか、その一端に触れさせてもらったような気分になった。


門内に入って上を見上げると玄関と壮大な数寄屋造りの館が

石畳を踏み込んで玄関へと上ってゆくアプローチや鎌倉時代の石灯籠や鞍馬石などを配した庭園は建坪150坪の建屋と相まって、ひと言で「豪奢」というしかない。

門からすこし石段を上った先に玄関が

二階の14畳の「桔梗の間」が当夜、われわれ夫婦に用意された部屋であった。ここでゆっくりと食事をし、8時半ころに庭に蛍が放たれ、この部屋から幽玄の光のショーを鑑賞する趣向だという。

広さ14畳の桔梗の間
テーブルから部屋の入口の襖を見る

 そこで、まずは「蛍の夕べ」と銘打った特別懐石料理をいただいた。当日の献立は下の通りである。

粟田山荘お献立
当日のお品書

 お皿が運ばれてくるたびにメモするのが大変なため、「お品書はありますか」とお聞きしたところ、「後ほどお作りしてお持ちします」ということで、わざわざ、作成いただいたものである。こうした客の我が儘を快く引き受けてくれたことでも分かるように、粟田山荘のお持て成し精神は、門前での出迎えから門前までの見送りと終始、見事なまでに貫かれていた。

先附・玉蜀黍豆腐
鱧葛叩きのお椀

向附・鯛、鮪、烏賊

凌ぎ・鱧焼き霜

八寸

 京料理懐石は、先々代の料理長が蒐集したという味わいのある器に盛られ、八寸の竹細工による盛り付けなど、舌のみでなく目をも楽しませてくれた当夜の料理には味はもちろん、その演出にも満足した。

双葉葵の陶器・唐辛子と蓮の実紋の磁器
竹細工と笹が涼感を呼ぶ八寸の盛り付け

 また大好きなお酒はせっかくなので、純米大吟醸「粟田山荘」という伏見のお酒にした。

 またここの鮎は琵琶湖産だそうで、奥嵯峨の「平野屋」で食した保津川産ともども、今年は鮎の食べ比べが出来たことも望外の喜びであった。

琵琶湖産の若鮎の塩焼き
炊合せ・丸茄子、茗荷、白味噌餡

 食事も終わった8時半、いよいよ蛍が庭に放たれる。

いよいよ照明が消されてゆく

庭の燈籠の灯も落とされ、各部屋の照明が消されてゆく。この粟田山の麓は一転、漆黒の闇の世界へと変じた。

2011_06142011年6月14日京都0652
漆黒の闇

 すると庭のそこかしこに緑の光が湧き上がり、闇の中を蛍がゆったりと緑色の線画を描いてゆく。


蛍火が見える

緑色の飛行線が・・・

そして、たぶん、槇や楓の枝に羽を休めているのだろう、そのぼ〜っと点じては消える様はどこかクリスマスツリーに点滅するイルミネーションのようにも見えた。静かにゆったりとした時間が流れていった。そして室内に明かりが戻った。


樹木の枝に止まる蛍

 「終わったね」と呟きながら硝子戸を閉めようとしたその時、一匹の蛍が部屋へ迷い込み、家内の肩口に止まった。家内は「わ〜っ!」と、喜びの声をあげた。しばらく旅人の洋服に留まった蛍はくっきりと緑色の飛行線を残し、どこか名残りを惜しむかのように樹々の暗がりのなかへと姿を消した。

2011_06142011年6月14日京都0659
肩に留まる蛍
2011_06142011年6月14日京都0660
闇の中へ飛び去る蛍
暗くなった石畳を踏み、山荘を後にした

 あの蛍は何をわれわれに伝えたかったのか・・・、心を残しながら粟田山荘を後にした。

白洲正子の愛した「平野屋」=鮎のせごし・焼き鮎 京都グルメ

白洲正子の愛した「平野屋」―焼き鮎 京都グルメ(2009.2.10)

右京区嵯峨鳥居本仙翁(せんのう)町16


平野屋

新緑の美しい季節に「平野屋」を訪れた。お目当てはもちろん白洲正子の愛した「焼き鮎」を食すためである。二年半前に訪れた際は1月ということもあり、鮎を戴くことはなかったので、今回は非常に楽しみにして伺った。

平野屋案内状
平野屋案内状

 「こいもよし あいは又よし 宿もよし」


これは元東宮侍従次長・明治神宮宮司の甘露寺受長(かんろじおさなが・明治13〜昭和52)氏が「平野屋」の鮎や鯉料理を愛でて物した歌である。平野屋の案内状の裏面に達筆のそれが紹介されている。


田山方南の「平野屋名ぶつ」の書画
鮎のせごし


また案内された部屋の回り縁の上に「平野屋名ぶつ」と題する細長い書画が飾られていたが、これは日中の禅僧、墨蹟研究の第一人者であった文部省国宝鑑査官の田山方南(たやまほうなん・明治36〜昭和55)氏によるものであった。因みにそこに記されている名物は「お志んこ」「鮎せごし」「鯉あらひ」「鮎塩焼き」「茄子の山椒あへ」「特製鮎ずし」などである。


こうした何気ないことからも白洲正子に限らず平野屋を愛した文人たちがいかに多いかを窺い知ることができる。


愛宕神社一の鳥居の中に平野屋が見える

鳥居の手前には鮎の宿「つたや」


さて、四百年の歴史を有す「平野屋」は愛宕神社の朱塗りの一之鳥居をくぐってすぐのところにあり、愛宕神社までは五十丁(5.5km)の距離である。そのため愛宕詣でをした弥次さん喜多さんもここでまず「志んこ」をお茶受けに一服し、賑やかに頂上を目指して行ったに違いない。

2011_06142011年6月14日京都0980


その平野屋の佇まいは、愛宕山麓の豊かな緑に抱かれ、苔むす茅葺屋根と軒先に緋毛氈の床机を配するその様はそれだけで一幅の風流画でも眺めるようで見事である。

平野屋俯瞰
平野屋絵葉書より

さて当日の料理だが、前日に予約していたお昼の八千円のコースである。他にお昼は八千円コースに鮎の天麩羅が加わる一万一千円、さらに鮎鮨が付く一万五千円のコースがある。


渓流から清流を引いた生簀
お客ごとに、都度、こうして鮎をすくう


平野屋の鮎は保津川産で敷地内を流れる渓流を引いた天然の生簀(いけす)に放たれている。お客の注文ごとに、都度、鮎を網ですくい調理場へあげている。


汲みあげ湯葉


まず造りたての汲みあげ湯葉が食膳に供された。

2011_06142011年6月14日京都0891
鮎せごし


つづいて出てきたのが、わたしが初めて口にする「鮎のせごし」である。


新鮮で繊細なせごし


これはまだ鮎が小さい6月下旬ころまでの料理で、それを過ぎると「鮎の刺身」に代わるのだそうだ。骨ごと背切りにされた「せごし」は小さくジャリジャリといおうか、シャーベットでも口に入れたような、そんな食感をもつ清涼感溢れる一品であった。ひとつの珍味と云ってもよい。

2011_06142011年6月14日京都0881


縁台の軒先から垂れる簾越しに青葉と木漏れ日を眺め、清流の水音に耳を澄ましながら、わたしは静謐のなかにただ身を任せた。


縁側から店の表へと愛宕颪(おろし)の涼風が楚々と吹きぬけてゆく、そのゆったりとした時の流れはまことに雅で贅沢である。

食事の部屋から玄関表へ涼風が吹きぬける

 
仲居さんが次に「鮎の塩焼き」を運んできた。

2011_06142011年6月14日京都0900
焼き鮎


これが白洲正子が時には四匹も注文したという焼き鮎かと、頭からかぶりつきじっくりと味わった。小ぶりの方の鮎は骨一欠片も残さず胃袋に収まった。少し大きめの鮎は仲居さんが説明されたように、少し強い骨は残し、でもほとんどを食べつくした。身がほっこりと柔らかい繊細な味は実に美味であった。


精悍な若鮎


その後に箸休めとして鮎の切り身の入ったお粥が出てきた。これには少々びっくりしたが、まったく生臭さを感じさせない、これまた胃袋に優しい絶品である。清流に遊び新鮮でなければ造れぬ一品であろう。


鮎の切り身の入ったお粥


それから煮物、野菜の天麩羅、赤味噌・辛し入り豆腐に御飯と赤だしと、味はもちろんだが、量的にも十分すぎるものであった。


煮物
野菜のてんぷら
変わり豆腐
中に赤みそと辛しが入っている

 
そして最後に平野屋名物の「志んこ」と称されるお団子とお薄が供される。


志んこ


「志んこ」の名は団子の原料であるうるち米を製粉しふるい分けた「上新粉(じょうしんこ)」に由来するとのことであった。



食事をしたお部屋
平野屋を出るとすぐに一の鳥居が


奥嵯峨の新緑の真っ只中で食した白洲正子の愛した鮎はやはり絶品であった。


心づくしのおもてなし、ありがとうございました

そして一介の旅人をにこやかに持て為してくれた仲居さんに見送られ、再訪を約して平野屋をあとにした。

「桃屋」・高瀬川船入り店=京都のおでんと串揚げ

京都市中京区木屋町二条下ル一之船入町537-52

075-252-3852


 いつもご紹介する木屋町通りの割烹「やました」から一分のところにあるお店である。「やました」前の高瀬川を渡り京都ホテルオークラの北側の押小路を西に十数メートル行った右手の店で、桃屋と書かれた暖簾が掛かっているのですぐ分かる。




押小路・突き当りが「やました」


 

 前日、「やました」でちょっと食べ過ぎ、飲み過ぎのわたしとしては、「おでん」的な胃に優しく、財布にも優しいお店は打ってつけであった。


 

 以前から家内とこの押小路に数軒並ぶ町屋風のお店は気になる存在であったので、まずは、今回、「桃屋」へ飛び込みで入った。第一印象は小奇麗でしかも古風な造りといった感じであった。このお店のひとつの売りが半地下の川床になったテーブル席だが、もちろん当日は一見客とてそんな席は無理。既に若い人たちで満席であった。そこでお二階の座敷へと家族三人は案内された。




 

 まだ時間が6時と早かったこともあり、二階は私どもだけであった。座卓が三つ置かれていたが、われわれの席は御簾衝立でほかの座卓と仕切られ、御簾越しに隣の席が見えるのもなかなか風情があってよいものである。



 








 

 また高瀬川の入船(船入り場)が縁側から見下ろせるが、その縁側にかわいい二人席が二つ用意されていた。恋人同士で来ると、われわれの部屋とは雪見障子で隔離され、ちょっとした密室感があって、ムードも急速に盛り上がること請け合いである。





縁側二人席から船入りの堀を見下ろす



豊富なメニュー


名物のおでんと串揚げのメニュー


 そうした京都の町屋の風情万点の座敷で、庶民的で豊富なメニューの中から京都のおでんや串揚げなど戴いたが、味も淡白でおいしく、しかも素材も工夫され、ちょっとお洒落で「京都」な気分になれるお店であった。





 




 胃袋と財布に優しいお店「桃屋」、一度は試す価値はありますよ。家内は次回は横の創作中華の「一之船入」というお店にチャレンジしたいと申しておりました。ここも、ちょっとした評判のお店のようです。今度、ご紹介することにいたしましょう。


 

 なお、以前から気になっていた「桃屋」という店名ですが、もちろん三木のり平の「江戸むらさき」の桃屋とはまったく別物である。お店のお嬢さんに伺ったところ、「桃屋」の経営会社も「グラマラスフード」という社名で、女性社長が「桃」の可愛らしいふくよかなイメージが大好きでネーミングしたのだとか。社長さんもきっとふくよかで優しい女性なのだろうと感じ入ったものでした。特に一見の客に拘わらず、お店に入ってからお見送りまでのスタッフの方々の応対が丁寧で心のこもったものであったことが、旅人には堪らなく嬉しい御馳走であった。


次の写真は当夜注文した品々です。いずれも京の香りのするものまたは珍しいものを注文してみました。



突き出しの生湯葉

名物のアスパラ豚バラ巻き

スジと九条葱が入った「おでん」

カマの焼き物

なんだったっけ・・・

焼き鯖寿司

おじゃこサラダ

女性陣のデザートで〜す!!
 



割烹やました・2010年の味=京都グルメ

割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)
葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)(2008.5.21)
割烹やました(後編)――「Bar K6」(2008.5.30)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)(2009.2.18)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!(下)――京都グルメ(2009.2.21)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ(2009.11.23)
2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.3.13)
千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!(2012.10.23)

中京区木屋町通り二条下ル上樵木町491-3(押小路橋突き当り)

075-256-4506

 

今年も残り一カ月を切った。早いものでもう師走である。

 

今年一年間、わたしの周囲の人間が何人も「やました」にお世話になった。

 

やました

 

 みんな「おいしかった」、「旅先であの雰囲気を楽しめるのは最高」、「皆さんがよろしくと言ってましたよ」などと、この一年言われ続けの「お預け!」の日々でありました。

 

元気で明るい板場 

 そこで、こちらもホテルのディスカウント案内に背中を押されるようにして、年も押し迫った師走に一年二ヶ月ぶりの「やました」往訪となった次第。まぁ、寅年初めての見参なるも、一年間のご挨拶をかねて、「良いお年をお迎えください」との年末挨拶も序でにかねて、さらに忘れちゃいけないのが娘が今回、「やました」デビューということで、てんこ盛りの上におまけのアイスを載っけたようなチョコパフェ状態での「やました」行きであった。


てなことでその日、一年の無沙汰を詫びながらカウンター奥の席に腰を下ろした。
この夜はひと言で言えば、「松葉ガニ」と「日本酒」の夜でありました。当夜はまず、いつものように「おこぜ」の薄造りをいただいた。美味である。

おこぜ薄造り

 次いでめずらしく「ふぐ」の薄造りに挑戦した。巷の「ふぐ刺」をいつも酒精の飛んだ日本酒のようだと毛嫌いしていた自分が嘘のようだ。

 

 「やました」の「ふぐ」は違ったのだ。淡泊だが味にしっかりとした芯があると云ったらよいのだろうか、しっとりとした舌触りのなかに上品なコクがあるとでも表現すべきか、何せこれまで口に入れた「ふぐ」とは明らかに違った。

 

ふぐ薄造り

 「やました」の「ふぐ」は大きめであり味がしっかりとしているのだと、松岡君が説明してくれた。もう少し詳しい説明をいただいたのだが、実は、次の「松葉ガニ」の刺身と焼き蟹に格闘しながらであったので、申し訳ないことに心ここにあらずで大意のみをお伝えする。言えることは、「やました」の「ふぐ」は食して見る価値あり!ということです。


当夜のお奨めで出てきたのが、写真の「松葉ガニ」である。

お奨めの松葉ガニ

頼んでビックリ、食べてビックリの「松葉ガニ」三昧でした。まぁ、こんな贅沢も一回ぐらいいいよねと家内と二人で一匹(生きた蟹は匹、死んで食用に供される場合は杯というのだそうだ)を黙々と平らげたのでありました。お酒などを入れちょっとした味付けをした蟹ミソもまろやかな風味でこれも絶品でした。

松葉ガニの刺身


焼きガニ

蟹みそ

 娘の方はというと・・・、蟹アレルギーのためこの食べ比べには参戦せず一人、グジの焼き物に箸を立てておりましたなぁ。

 

グジの焼き物

やました風汲み上げ湯葉

かぶら煮

湯葉まんじゅう

蓮根煎餅なる絶品

野菜の雑炊、結構、私の知らぬところで頼んでいましたな・・・

 そしてこの夜のお酒は京都伏見の「鳳麟」という純米大吟醸であった。2006年に国際品評会の「モンドセレクション」で最高金賞を受賞したのだそうで、そう思うと一段と口当たりがよく感じられ、見えない杜氏に「Good Job!」とつい声を掛けたくなるような芳醇な味ではありました。



さらに、当夜は「松葉ガニ」の甲羅で甲羅酒を三杯もいただいてしまいました。おいしかった・で・す!

甲羅酒
透明度を増す二杯目
甲羅酒の三杯目
清水のごとき三杯目 

これが、甲羅酒一杯目の色です

また、来年ね!! 

こうして松葉ガニと日本酒の宴も終わり、三人は仲良くホテルへ帰っていったんだとさ。
2010年の「やました」のお話は以上でオ・シ・マ・イ・・・。 

 

京 祇園新橋・甘味どころ「ぎおん小森」


京都市東山区祇園新橋元吉町61

075−561−0504

 

あまりにも有名な祇園の「たつみ橋」の交差点に、甘味どころ「ぎおん小森」はある。

 


小森玄関から巽橋を見る 

 



 
元はお茶屋さんだった「小森」


白川に面する小森、紅葉がきれい

 

一見するとお茶屋風で(元お茶屋だそうで、当り前か・・・)、ちょっと入りづらいが、そっと引き戸を開け玄関に歩を進めると、ほの暗い廊下を行燈が照らす和の空間が目に飛び込んでくる。抹〜茶〜!!の世界に一挙にお客を引き摺りこむ、かなりのスゴ技である。

 


 
行燈が素敵です

 

靴をしとやかに脱ぎ、廊下伝いに白川沿いの部屋へ案内される。御簾越しに紅葉と清流白川が見える。

 


 
御簾越しの紅葉

 

風雅である! 

 




ギ・オ・ン〜な室内!

 

季節外れということなのか、広い座敷にわれわれ家族三人だけ。最高のシチュエーションで、それだけでもう十分であるが、やはり、甘味どころである。

 

 


広い座敷

 

わたしと家内はお抹茶と和菓子を注文、娘は「お勧めは何?」と、来た。若い店員さんが「パフェがよく出ます」と応じると、「それでは、抹茶ババロア・パフェ」とオーダー。お抹茶は嫌いなはずの娘も、若い男性のお勧めだとあっさり頼むのかと、少々寂しげな父の姿ではあった・・・。

 



 

抹茶とわらび餅 

抹茶ババロア・パフェ

 

帰りに玄関脇にちょっとしたショーケースがあった。当然、ここは「買い!」でしょうと、「本わらびもち」と「抹茶バウムクーヘン」を求めて、ホクホク顔で新幹線に乗り込んだ。

 

そして家に到着して、「わらびもち」は急がなくてはねと、ペロリとお腹の中に入ってしまったので、写真など撮る暇がないため、ここは「う〜ん、おいしかった!」のひと言を添えるだけ。バウムクーヘンは余裕を持ってパチリしました。

 


しっとりとして上品なお味でありました

 

 

写真ではありますが、どうぞ、たんとご試食あれ!

葵祭の申餅(さるもち)=宝泉堂

京都市左京区下鴨膳部町21

075-781-1051


下鴨神社の境内で今年140年ぶりに復元されたという「申餅(サルモチ)」を求めた。「はねず色」した可愛らしいお餅である。



「“はねず色”とは、明け方の一瞬、空面が薄あかね色に染まる様子で、命の生まれる瞬間を表すとされています。食べることで身体を清め、元気の気(け)をいただき、無事息災に過ごせるようにとお祈りした故事にならい、下鴨神社の申餅を140年ぶりに復元いたしました」と、宝泉堂の申餅の紹介状に記されている。



 

古来、葵祭の申の日には小豆の茹で汁で搗いたお餅を神前に供し無事息災を祈ったという。都人はこのほんのりと“はねず色”に輝くお餅を「葵祭りの申餅」と呼び親しんでいたのだそうだ。



 

実際に江戸時代の文献「出来斎京土産」に、下鴨神社の境内で「さるや」と看板をかかげた店が申餅を売る様子が描かれている。ところが、その慣わしも明治政府による因習排斥・文明開化の動きのなかで廃絶を余儀なくされたという。


今回ご紹介する「申餅(さるもち)」は、その故事に因んで代々の宮司に継承されてきた口伝に基づいて復元された和菓子である。葵祭の味をぜひ復活させたいと下鴨神社の新木直人宮司が神社近くの和菓子職人の古田泰久宝泉堂社長に依頼、140年ぶりに復元された。今年の葵祭から下鴨神社と宝泉堂で販売が開始されたばかりのなかなかに古式ゆかしい和菓子であった。


「加茂みたらし茶屋」のみたらし団子と併せて、無病息災を願う世の人たちにぜひお勧めの一品である。


 

 


 

 

下鴨神社のみたらし団子=「加茂みたらし茶屋」

京都市左京区下鴨宮崎町17(市バス下鴨神社前徒歩3分・下鴨本通り沿い)

水曜日定休日なのでご注意あれ!

075−781−1460

 


 糺の森

下鴨神社・糺の森

 

 いまが盛りの紅葉

 

「最後の忠臣蔵」で役所広司扮する瀬尾孫左衛門が紅葉の中を歩いた場所

 

 

 

 

 

 126日、京の名残の紅葉を下鴨神社で堪能した。「糺(タダス)の森」のなかを紅葉狩りした。日頃、とくに歩くことに無精なわたしであるが、ついつい美しい紅葉に目を奪われ、「お〜っ!」、「わ〜っ!」と声を挙げているうちに、ずいぶんと歩数が嵩み、気がついたら、足が痛い!何か気つけ薬が・・・

 

みたらし池
 
みたらし池

 

 

 境内にある末社・御手洗社に手を合わせ、御手洗池を眺めたからにはと云うことで、こじつけの様ではあるが「加茂みたらし茶屋」へ向かい、暫しの休息をとることとした。御手洗社に加茂みたらし茶屋の提灯がしっかり奉納されているのだから・・・

 

御手洗社
 
みたらし池を護る御手洗(ミタラシ)社

 

毎年土用の丑の日前後に行われる「御手洗祭り」が、神池である御手洗池に足をつけ罪や穢れを祓い、無病息災を願うお祭りなのだから、紅葉狩りで足を痛めたのなら治癒を願って所縁の「みたらし団子」を食すのがよいという理屈である。

 

え〜っと、そんな屁理屈は、実はタクシーの運転手さんが疲労困憊のわたしに救いの手を差伸べ教えてくれたのです・・・が。

 

そして、わたしの好物である「みたらし団子」発祥の地が、何とこの「加茂みたらし茶屋」であると説明を聞き、ビックリ!

 

 店入り口

加茂みたらし茶屋

 

こじんまりした店構えであるが、鬼子母善神の祠を祀った前庭には緋毛氈の縁台に野点傘という風情ある光景も乙である。



 
前庭には緋毛氈に野点傘


店の前庭に鬼子母善神
 
鬼子母善神を祀る祠も

 

当日はちょっと肌寒さもあったので店内に席を求めたが、外で野点の雰囲気を楽しむのも一興である。

 店内

奥にもお席があります

 

本家のみたらし団子は、ビー玉を気もちひと回り小さくした愛らしい団子が五つ串刺しになったもので、突端のひとつだけが離れている、変わった様子のものであった。あとで説明を訊くと、団子は人体を模しており、頭が1つと四肢を表わす4つなのだそうです。そう聞くと、ガブッと団子をっていうのも見ようによってはグロではありますが・・・。

 


 
本家・みたらし団子

 

メニュー
 
メニューの一部です。まだまだ、たくさん甘いものありました

 

何はともあれ、タレは甘過ぎず辛過ぎず、団子もお焦げの香ばしい匂いがして、本家「みたらし」は流石とまさに舌を巻かせるものでありました。

 

さらに僅かの生姜がきりっと味を〆めた甘酒も本物のテーストで、お試しの価値は十分あると思います。

本物の味、甘酒
 
甘酒も本物でした

 

下鴨神社へお参りの節は、ぜひ、この「みたらし本家」の「加茂みたらし茶屋」へ足を運ばれてはいかが。

 

 

 

京都のそば処 おがわ(石臼挽き手打ちそば)

京都の蕎麦処「おがわ」=雅な京の爽やかさ!(2009.2.10)

京都市北区紫竹下芝本町25

075−495−8281

 

 しばらくぶりの「おがわ」である。

 

賀茂川葵橋から北を
 
葵橋からお奨めの風景を

 

 賀茂川にかかる葵橋からの絶景を堪能してからちょっとお昼には早めであったが、お目当ての「おがわ」へ直行した。

 


 
おがわ

 

 今回は、「おがわの蕎麦はおいしいよ」とこれまでさんざん聞かされてきた家内と娘を連れての訪問である。

 

ガラス戸を開けると、いつものように「いらっしゃいませ」との奥様の夕子さんの明るく元気な声が聞こえてきた。清潔感あふれる可愛らしい店内もいつもどおりである。椅子に腰を下ろしながら、「おがわ」の蕎麦の透明感、シャッキリ感は、こうしたお店の雰囲気からも生まれているのかも知れないと思った。

 

 

清楚な店内



 
かわいいお品書き

 

そしてわたしはまたも大好きな辛み大根の「おろし」蕎麦を注文。

 


 
準備万端

 


 
お蕎麦が来た〜!!

 

家内が「鴨なんばん」、娘が「鴨せいろ」である。

 


 
鴨なんばん



 
鴨せいろ

 

わたしは合鴨ロースの塩焼きを頼み、少し「〆張鶴」の昼酒と洒落こもうと探りを入れたが、女性陣からの「昨晩、お酒がすすみ過ぎたよね」との軽いジャブで、目論見は遭えなく玉砕。鴨の塩焼きをツマに「おろし」をいただきました。 ト・ホ、ホ、ホ、ホ・・・

。゜゜(´□`。)°゜
 これ、「おろし」の辛味による「涙」ではありません!

 


 
ジューシーな鴨の塩焼きです

 

 

家族に「おがわ」を紹介できて当初の目的を果たし、そして、このブログの掲載目的のご主人の幸伸(ユキノブ)氏の写真を一枚、カメラに収めさしていただき、喉越しスッキリの新蕎麦を堪能し、至極、満足の彦左衛門、京の一日でありました。

 

おがわの後主人小川幸伸さん
 
優しい目をされたご主人の小川幸伸さんです

 

シャイな幸伸さん、お写真ありがとうございました。素敵な写真が撮れたと自讃しておりますが、いかがでしょうか。

 

 


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