秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能
先にアップした秩父夜祭の花火大会は午後7時半から10時まで間断なく続いてゆく。その間、午後6時半に秩父神社を出発した御神幸(ごしんこう)の行列が1時間半のゆったりとした道行きで神社の真南に位置する御旅所へと到着する。
午後8時、会場内アナウンスのなか、御神幸(ごしんこう)の行列が先導大麻を先頭にしずしずと御旅所前の広場へ入って来る。その後方に長い列が続いている。
秩父各町のお供物行列の掲げる高張提灯が厳寒の夜の底をぼんやりと灯し、幻想的な雰囲気を醸し出す。
グラウンドが暗いうえに遠目なので行列の細部はよく分らなかったが、順番が決まっているとのことであり、先導大麻を先頭に、大榊、猿田彦、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱、各町会の高張提灯と供物、神社神饌、大幣、神輿、宮司、大総代、そして2頭の神馬が続くのだそうだ。
今朝方、秩父神社境内で見かけた御神輿が見えてきた。
すぐ後ろに秩父神社の宮司や大総代が随う。夜の暗闇が厳かな行列をいちだんと近寄りがたいものにしている。
その一団のあと暫くして、ご神馬が二頭、御旅所会場へと入って来る。
当夜はそのうち一頭のご機嫌が悪く、二頭揃っての入場とはいかなかったが、ご神馬が嘶(いなな)き、手綱引きの氏子を振り解くごとく場内を走る様は、まさに祭りが動き神々の荒魂の猛々しい息遣いが聴こえるようで圧巻である。
そして、先行する各町の名前を誇らしげに標(しる)した高張提灯の行列とも併せ、この神事が古来、秩父神社の神職たちはもちろんのこと、多くの無名の氏子たちの手によって大切に守られ、営々と引き継がれてきたのだということを心底、実感させられた。
御旅所内での儀式の様子は桟敷席からは遠過ぎて、ほとんど詳細は分らぬ。
しかし、ズームを効かせ撮った画像から、祭主の祝詞奏上なのだろうか・・・なんとなくその雰囲気は伝わって来る・・・。
そんななか、当夜の会場はこれでもかこれでもかというほどに花火の打上げ音や炸裂音、さらに加えて場内アナウンスの喧(かまびす)しい声々が・・・厳粛な神事とはおよそかけ離れた“晴れの日”の音響が支配していた。
そして、団子坂を登って次々と場内へ集結する屋台。
その最後の屋台が御旅所に到着し、すべての笠鉾、屋台が亀の小石を要として扇状の形に展開し終わった。
それを待って午後10時20分頃から、御旅所内で本義である御斎場祭の神事がはじまるのである。
その頃には桟敷席の見物客は帰宅の途につき、一部の観光客が場内へ降りて、提灯の灯に浮かぶ笠鉾や屋台を間近に見上げることに忙しい。
われわれ夫婦も曳き子たちに紛れ、整列する屋台を見て歩く。実は、この時、御斎場内では、神前において素面で舞う代参宮神楽が奉納され、各屋台では稚児による三番叟が演じられているのだそうだ。
何だか、その時、そんな知識も持ち合わせていなかったので、漫然とグラウンドをさ迷い歩いていたわたしたちでありました。
その厳かな御斎場祭が終わった後、およそ午前0時頃だそうだが、笠鉾と屋台がまず御旅所から各町内に向け出発、団子坂を下る。
その後から御神幸行列がしずしずと続く。この御神幸行列が秩父神社に到着するのはなんと4日の午前3時を
まわるのだという。
そののち6日まで養糸祭や新穀感謝祭、そして例祭完遂奉告祭を最後に秩父神社の例祭の祭事はすべて終了するのである。