新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(三本滝・さんぼんだき)
新緑の乗鞍高原温泉郷を巡る=乗鞍三滝(善五郎の滝)
「乗鞍高原のミズバショウが見たい」との家内の言で、蓼科の新緑を堪能したついでに、乗鞍温泉まで足を延ばした。
わたしは初めての訪問だったが、家内は独身時代に“お花畑”(乗鞍岳畳平:標高2700m)に行ったことがあるという。ただその時は花より団子の“お年”だったので、お花畑の美しさより夏というのにあまりの寒さに高山植物の鑑賞もそこそこに“下界の温かい団子を喰うため(これは私の想像だが・・・)”下山したのだそうだ。公平性の観点からこの件についての家内の言い分を一応記しておくと、「当日は霧がかかっており、視界不良で気温も低かった」とのことだが、数十年も前のこととて事の真偽をわざわざ確かめる気はこちらにはない。でも・・・やはり、団子の口だとわたしは確信して疑わない。
そして山頂・畳平までの乗鞍エコーラインは11月から6月末までは閉鎖中で、長野県側から畳平には登れぬため(岐阜県側からは5月15日より畳平への路線が開通)、今回はミズバショウを観ようとなった次第。
ところが、乗鞍訪問の二日ほど前に観光協会にミズバショウの開花状況を問い合わせたところ、「盛りはゴールデンウィークの頃で、終わってしまった」とのこと。
宿は予約してしまった。行くしかないということで、言い出しっぺの家内が観光案内の資料に目を通し、入念に見どころを再選定、観光ルートを作り上げたのが、乗鞍三滝巡りであった。そしてこの名勝たる三滝全てが梓川の支流である“小大野(こおおの)川”と呼ばれる奇妙な名前の川に形成されている。
初日、われわれがまず向かったのが、その一番下流にある“番所(ばんどころ)大滝”(標高1240m)である。大滝と謳われているように落差は40m、幅も11mの規模を誇り、乗鞍三滝のなかで一番大きな滝である。この上流に残る二つの“善五郎の滝”(標高1520m)と“三本滝”(標高1810m)があり、そこは翌日、訪れた。
番所大滝を見るには、車を止めた駐車場から少し山道を下ったところで道が左右に分かれている。左手へ下ってゆくと滝上展望台へ、右手の道を下ると滝を見あげる展望台へと続くのである。
そこでわれわれは最初に番所大滝の滝口、つまり滝の頂上を見下ろす“滝上展望台”へ向かうことにした。下り初めてすぐにその小さな滝上展望台はあった。
新緑の木立で視界が遮られ、一望のもとに滝水の落ちる瞬間を観ることは難しかったが、水勢があり大きな水音を轟かすわりに、その水量は透けて見える岩畳の川底をうすく舐めるように流れる程度であった。こんな水量でどれほどの滝になるのかと思ったのは正直な感想であった。
そこから夢見橋を渡り、その渓谷の景観を楽しんだ。そのまましばらく行くと千間淵(せんげんふち)にゆくが、橋を渡ってちょっと行った先でわれわれはUターンした。先ほどの分岐点へ戻り、番所大滝を下の方から見る展望台へ向かうためである。
分岐点から展望台への径はかなり急勾配の下り坂であった。
ただ足が少々不自由なわたしでも手すりが整備されているので、ゆっくりと足元を確認しながら下りてゆけば問題はない行程である。
足元に注意しながら途中の岩肌を観察すると、昔地学で習った”板状摂理”が見事に見える。太古の昔からの自然の営みを理屈なしに納得できる造形である。
分岐点からわたしの足で10分程度の距離であったか、滝の中腹を眺める位置にある屋根付き展望台へと到着した。
あたりには細かい霧のようになって水飛沫が漂っていた。まさにマイナスイオン100%の清浄世界である。
目の前には落差40mの番所大滝があった。
清冽な雪解け水が雪崩のようにして滝壺にど〜っと落ち込むその様子は、渓谷に轟く大音響と相俟って迫力満点であった。
滝口の勢いはあったものの、あの僅かに見えた水量がどうしてこれほどの大滝に変身するのか、自然が造り出す景観の魔術にわたしはただ唸り声を絞り出すことしかできなかった。
大滝が轟かす大音響のほかには何の音もしない・・・。そのことがこの渓谷の静寂を逆に見事に際立たせている。
そしてその自然が生み出す“静寂の時間”は、社会と呼ばれる猥雑な空間で呼吸せざるを得ないわたしに、人間という生物の存在がいかに小さく、その意思が何ほどにもないことを、否も応もなく悟らせたのである。