23日午前4時過ぎから、眠い目をこすりながらワールドカップ、日本ブラジル戦を見た。前半34分の玉田圭司選手によるゴール。一瞬、わたしは夢を見た。もしかすると、セレソン(ポルトガル語で「代表」の意味)ことブラジルからもう一点取れるかもしれない。この試合の必要条件を日本の観客は、視聴者はもちろん知っている。ロナウジーニョ、カカ、アドリアーノ、そしてロナウドと「マジカルカルテット」を擁する世界最強と謳われるカナリア軍団から先制点をもぎ取った(日本戦にアドリアーノは出場してなかったが・・)。ブラジル戦日本先発代表

 

しかし、前半ロスタイム46分のロナウドのヘディングによる同点ゴールから、ハーフタイムをまたいで、まさにセレソンの怒涛の攻勢に変わっていった。ロナウドは日本チームを「動転」させるゴールを決めた。後半、53分、59分のゴールに続き、81分にロナウドが、ワールドカップ歴代通算得点記録の14点目【ゲルト・ミュラー(ドイツ)】に並ぶ4点目を叩き込み、ゲームセット。後半の45分は日本チーム・国民ともに世界のトップレベルとは何かを、これでもかこれでもかというほどに、脳裡(のうり)に叩き込まれた気の遠くなるような時間であった。日本選手はブラジルの中盤のパス回しに、爪の先すら触れることを許されなかった。

 

そうしたなかで、わたしは画面の中に中田英寿の姿を探し続けた。画面の外にいても、彼のこのワールドカップにかける気迫が伝わってきていた。わたしには、そう思えたのである。前半のロスタイムのブラジルの同点ゴールの瞬間に中田英寿は汗を滴らせながら天を仰いだ。

 

オーストラリア戦、クロアチア戦と中田はピッチ上で咆え続けた。獲物を狙う獰猛な野獣のように、その瞳は炯炯(けいけい)と輝き、その大きく開かれた口は、獲物を食い千切らんとするようかのように狂暴に見えた。本当にどこか物狂いしているようであった。

 

そして、ブラジル戦を終えて、一人ピッチに仰向けに寝転がり、タオルを半分ほど顔に被せ、目を閉じていた、その孤独な姿は私の瞼を離れることはない。彼の脳裡には何が浮んでいたのか。

 

チーム内に響く中田に対する不協和音。コーチでもない、キャプテンでもない中田がピッチ内で選手たちに叱責の声を飛ばす。わたしにその姿は、生死をかけた戦場で咆える将軍のように見えた。兵士たちを守るために咆えている。民を守るために兵士の背中を打擲(ちょうちゃく)している。自身の脆弱(ぜいじゃく)な戦力を知り尽くしているからこそ、反って、その姿は寂しげで孤独で、悲愴感に満ちていた。

 

世界のトップレベルを知る男は、日本のメディアのお祭り騒ぎも、くだらぬ質問もすべて遮断して、勝負というall or nothingの世界をひた走ってきた。そして、その日、ある節目の時が来たのだと思う。

 

ピッチに寝転ぶ彼の心に何が去来していたのか。ドルトムントの空は英寿の瞳に何を語りかけてきたのか・・・。

 

「孤高」と口にするのは容易(たやす)い。しかし、世界の最高水準を目指す怖さを知る男が見せる、「孤高」を保つ姿は壮絶であり、そして、哀しくも美しい。一流というものを追求するのは、どんな世界も一緒であると感じた。周りの評判や気持ちを斟酌する余裕などない。大衆に迎合する意味などまったくない。気持ちに一瞬でも隙を見せれば、瞬時に切っ先鋭く、斬り殺され、その世界から抹殺されることをその人間は一番よく、知っているからだ。

 

プロフェッショナルとは、そういうものだ。孤高に耐えられぬ人間が一流のレベルを目指す資格も権利もない。

 

その意味で中田英寿は、真正の「プロフェッショナル」であり、本物の「ヒーロー」であると感じた。