彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

ペット

愛猫、麟太郎の一周忌を迎えて、その在りし日を偲ぶ

8月13日、我が愛すべき麟太郎が逝ってちょうど一年を迎える。

1・りんたろう
在りし日の麟太郎

麟太郎は昨年の8月13日、まさにお盆の入りの日に、17歳、人間に譬えると優に90歳を越える長寿を全うし、見事な最後を遂げた。


麟太郎の葬儀は翌日の8月14日、禅宗浅間山・慈恵院の付属多磨犬猫霊園(府中市浅間町2-15-1)にてリンを愛した家族でしずかに見送った。

2・慈恵院受付所
慈恵院の受付所

本日、その一周忌を迎えるにあたり、故麟太郎の在りし日のことなど偲びたいと思う。

そして、ペットの老いをどう捉え、それから避けられぬ死を迎え、その見送りをどうしたかなどをここに記す。


そうすることをたぶん、わが愛する麟太郎もきっと喜んでくれると信じている。


麟太郎は1997年9月にわが家へ迎えた。ご近所の方を通じ、その知り合いの方から生後3か月ほど経った子猫をいただいた。物静かな猫だった。


名前は息子が決めた。実は男の子が生まれたら命名したかった名前である。当時“麟”という漢字が人名漢字になかったため已む無く断念した経緯を息子が知っていた。だから雄猫にこの名前を付けてあげたらと、少々、猫にしては不釣合いな名前であったが、命名の運びとなった次第である。


それがかえって知り合いの皆様にもインパクトがあったのかすぐに名前を覚えて頂き、17年の長きにわたり可愛がっていただいた。


その麟太郎、親ばかを承知で申し上げるが、その一生はなかなか凛とした孤高の人生いや生き方を貫いたと考えている。


自ら人間の膝に乗るなどと云う隷属的な行為は一度もしたことはない。

お風呂も大好きで、家内が抱いて湯船に入ると気持ちよさそうに細く目を閉じ、何だか人間の大人と同じ雰囲気を抱かせたものだ。


また、屋根裏で生まれたミミという子猫を世話せざるを得なかった1年半ほど、君はまだ4、5歳だっただろうか、君の食事の皿にミミが横入りしてくると、争うことなくすっと身を引き譲ってしまう。お母さんがいつも“リンちゃん、あなたが主役なのよ、頑張りなさい”などと、その奥ゆかしさに半ばあきれ歯がゆさを覚えていたこともあった。その姿を目にする度にそれは臆病なのではなく、弱き者に対する温かな心持ちを有するジェントルマンシップなのだとわたしは感じ入っていたものだ。

亡くなるまで独立不羈の姿勢を崩すことはなかった。その姿は家内と麟太郎を話題とするとき、いつも二人して、何だか今の日本人に欠けている潔さ、美意識、精神力をこの子は有しているねと語り合ったものだ。

3・2008年のリン
この縁台から庭を見るのが好きだった

小さい頃から大きくて獰猛な野良猫などに立ち向かってゆく姿は常に“敢然と”と表すべき、わたしからすると無謀とも思える闘いを挑んでいた。やろうと思ってもなかなかできぬ行為だと自らを省みて忸怩たる思いがあったものである。


そうした精神性は麟太郎の立居振舞にもよく表れ、凛とした佇まいにいつも「生き方と一緒で、君はスマートだね」と声をかけたものだ。


そうした姿勢は老いても崩れることはなかった。

人間でいうともう80歳だと言われるくらいの頃から、君の食事もそろそろ僕らの食事と一緒でもよいねと、最後の1年半くらいは鯵などの焼魚を麟太郎の分として半匹くらい、時には一尾をお母さんが焼いてくれていたね。


そして君はそれを当たり前のように口にしていた。本当に甘えてどうこうするといったこともなく、わたしなんかよりも上品に上手に食べていたね。決して食べ散らかすようなことをしなかった。


お水を飲むときいつしか君は手で掬ってそれを口に持ってゆくようになったね。その姿もどこか所作に適って端然としていて美しさがあって好きだった。

亡くなる2週間ほど前あたりから足がひどくふらつき始めて2階へ上って来るのもしんどそうになってきた。それでわたしたちも君が本当に年老いたのだなぁと今後の介護をどうするかにつき真剣に話し合いを始めたくらいであった。


まさかそんなにすぐ君が逝ってしまうなどと誰も考えてはいなかった。

4・庭の麟太郎
庭のこの辺りが大好き。このすぐ右脇にいまリンのお墓がある

それくらい君は老いてもその老いを人様に見せることをしなかったのだ。今思うと、その我慢強さと真正のダンディーさには深く頭が下がる。


亡くなる日は猛暑であった。

家の中でも比較的涼しい玄関の板の間に横たわっていた君は、夕刻になりいつしかわれわれと食事を共にするダイニングキッチンで横になっていた。


わたしは2階でパソコンに向かっていたが、階下から家内が“リンの様子がちょっと変だ。病院に連絡したらこれから連れてきてくださいというので、行ってくる”という。


下へ降りて君の様子を見ると、呼吸が荒くなり、お腹と胸が大きく膨らみ縮むのを見た。明らかに変である。家内が準備を整えさぁ行こうとした時に君は大きく息を吸い口を閉じかけた・・・そして本当にしずかに息を引き取った。


いつもわたしたちと語り合い、食事をとっていた部屋で君はちょうど家に戻っていた娘とわたしたち夫婦、いや両親の見守るなかで何ら僕らの手を煩わすことなく、見事に自分の一生の幕を閉じて見せた。


見事である。


皆の頬にしずかに泪の滴が流れ落ちるのが見えた。1年前のちょうど今日である。


君はほとんど病院にもかかることがなかった。最後の今際の際にも結局、病院には行くことはなかった。


気持ちが落ち着いてから病院へ先ほど息を引き取ったことを伝え、今後、葬儀などはどうしたらよいのかなどを訊ねた。


紹介されたのが前述の府中の多磨霊園に隣接する4000坪という広大な境内を擁する“禅宗・慈恵院の付属 多磨犬猫霊園”であった。大正10年開園のペット霊園の嚆矢となる由緒のあるお寺である。

5・0この中のお堂で葬儀を執り行いました
慈恵院の犬猫の葬儀を行うお堂へこの門から入る

8月14日、同所へ麟太郎を抱いて伺った。この日も慈恵院の空から真夏の陽光が降り注いでいた。

5・1暑い日でした

手続きを終えると、お坊さんの先導で火葬場へ向かった。

6・この奥で荼毘にふしました
この奥で荼毘に付しました

そこで僧侶の読経とともに火葬を行ない、その後、骨上げを家族で行なった。

それからお堂へ移動。

7・このお堂で葬儀を行ないました
このなかで葬儀を執り行いました

骨壺と戒名を前にお坊さんが経を読み、丁寧な葬儀を行ってくれた。

8・家族で見送りました
家族で見送りました

ついこの間のことのような気がする。


2014年8月13日、今日も去年と同じ空は晴れ上がり、ひどく暑い日であった。


盆の入りの日。多磨霊園に隣接するわが家の菩提寺へ墓参した。


帰宅後、麟太郎が大好きだった庭の隅に骨壺を埋めた小さな小さなお墓があるが、そこで今度は麟太郎の一周忌の線香を供えた。

9・麟太郎のお墓
麟太郎は庭の隅にしずかに眠っています。花と線香を手向けました。

こうして想い起すと、今でもうっすらと目尻に泪が滲んで来る。本当にスマートな一生であった。夫婦二人してわれわれもかくありたいと語り合うが、この凛とした生き方はなかなか真似のできぬことだと、また一方で納得し合う二人でもあった。


そしてこの文章を書き始めて直ぐにわたしたちの寝室に突然、カナブンがどこからともなく飛びこんできた。窓は全部締め切っているので、いつわが家へ入って来たのか不明である。


最初、家内の顔にぶつかってその指に掴まれた。それからわたしの掌へと移され、ベランダの窓から暗夜のなかへ投じられた。


障子を閉めて直ぐである。コトン、コトンと窓を打つ音がする。障子を開けると、そのカナブンが見えた。


先ほどの狂ったように飛廻り挙句の果てに家内にぶつかって行った様が、“お母さん、お母さん、ボクだよ、リンだよ”と訴えているように感じられてしようがなかった。何せ、亡くなってちょうど一年経ったまさにお盆の入りの夜なのだから。

わたしはあるお盆の夜の出来事を思い出し、ふたたび窓を開け、カナブンを室内へいた。するとカナブンは閉めた障子の桟に停まると静かな眠りにつきはじめたではないか。

そしてこの文章を終える今になっても動くことはない。まるでこの家の一員のような様子でわたしのすぐ目の先で眠っているのだ。

10・桟に停まるカナブン

何だか安心しきって夢でも見ているようだ。

11・一周忌に飛び込んできたカナブン

いまから60年近く前になる。まだ幼稚園前のわたしが父母と共に祖父母の家にお盆に行った夜。


灯篭が飾られた仏壇の間にカナブンが飛びこんできて、小さなわたしが大声をあげてこれを捕まえ、外へ放り出そうとした時のこと。


その時、祖母がこう言ったのだ。


“お盆にはあなたの知っている亡くなった人たちが戻って来る”

“このカナブンも次の命をカナブンとして与えられ、たぶん、ここに戻ってきたのだ”

“だから殺生はもちろんダメだが、ちゃんとやさしく扱ってやれ”


と、カナブンが部屋を飛廻るままにさせたことを鮮明に思い出した。


だから今夜はこのまま電気を消して、カナブンに命を託し我が家へ戻ってきた麟太郎と久しぶりに一緒に眠ろうと思う。


リン、元気にしているかい?

おやすみなさい・・・




直木賞作家坂東真砂子(48)氏の子猫殺し1

直木賞作家坂東真砂子(48)氏の子猫殺し

 

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20060825/mng_____sya_____001.shtml

(「抗議殺到」中日新聞825日)

 

 日経新聞の18日夕刊のコラム「プロムナード」を読んでみた。

う〜ん、なかなかコメントするのが難しいかなぁ・・・。

 

 だけど、夕刊の「プロムナード」つまり “散歩道”あるいは少し古風に“逍遥”といったホッと一息するところで、ふ〜ん・・と、ちょっと脳細胞に心地よい快感、ちょっとニヤリとして一日の肩の凝りをほぐしてくれるそんなコラム欄には、全く似つかわしくない題材であり、内容であったことだけは確かである。

 

 こうした題材であればこそ、ご自身の本業であろうと思われる「小説」という場でじっくり掘り下げるべきなのではないだろうか。

 

 今日の東京新聞で同氏のエッセイに抗議が殺到しているのを知った。そして、ネットの世界でも色々と騒がれていて、様々な反応というより坂東氏に対する圧倒的な批判があふれており、同氏と同じようにネコをペットに飼っている身として、考えさせられることが多かった。

 

 わたしは9歳になる雄ネコを飼っている。プロフィールの写真にあるのが、うちの家族の一員である「麟太郎(リンタロウ)」である。初めての男の子には私の尊敬する勝麟太郎の名前を戴いて命名しようとしていた名である。当時は人名漢字に「麟」という字がなくて、結局、異なる命名となった。

 

 息子たちに子猫を飼って欲しいとねだられ、ご近所のお知り合いの方から9年前に戴いたのが「麟太郎」である。名前を何にしようかと家族会議を開き決まったのが、他ならぬ「麟太郎」であった。息子の「お父さんが僕にどうしてもつけたかった名前をつけてあげたらいい」の一言で決定を見た。

 

今では、皆家に帰ってきての第一声は「リンは?」である。

 

こうしたわが家で、このテーマは重い。遠い8年前のことを思い出すからである。最初は家の中で飼うことで躾をし、飼い続けたが、「リン」はどうしても外に出たがり、一年後には家と外を自由に行き交うことになった。それまでは自分の右脚(手?)でガラス戸をこじ開けて何度も逃走劇を繰り返した。それで、結局、リンの希望に沿う形で、「外遊」を許可することになった。

 

但し、その時の条件がまさに「去勢」の問題であった。ご近所で野良猫被害の問題が色々と云われていた時でもあった。雄ネコなので、こちらが加害者?の立場になるわけで、自分たち家族が知らないところで雌ネコと事におよび子を成した時に、我々家族がその責任を取ることができぬという問題に、家族で悩み、話し合った。

 

結論は、「リン」に満1歳を前にして、去勢手術を施すことにした。その日のことは、正直、今でもよく覚えている。家内が病院に連れて行った。そして、戻ってきた。やるせない気持ちであった。帰ってきたリンの疲れた少し悲しそうな顔を眺めて、「去勢したのは間違いだったかもしれない」と、強く後悔したことを思い出す。悲しくて抱き上げて抱きしめた時の、無邪気だが少し愁いを帯びたリンの瞳が未だまざまざと瞼のうちに甦ってくる。

 

今日も「麟太郎」は早朝に自分の縄張りを巡回すると、安心したようにお気に入りの玄関マットのうえでうたた寝をしている。その眠り姿はペット大好きの人々には、云わずもがなであろう。

 

「避妊」という種を根絶するのと、生まれた子猫を殺すのと結局、同じことではないかと坂東真砂子氏は云う。わたしは彼女のように勇敢といおうか、冷静な「理」の世界だけで物事を判断できない人間である。やはり、生まれてきた目の前で動き廻る生命体を自らの意思で、殺戮するという行為は心情的にどう考えてもできない。断種の場合は、見方からすればもっと残酷な行為とも云える。何せ永遠に種の継続を絶つのであるから。その意味では坂東真砂子氏がいう「・・・子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」というのも、違うのではないかとも思える。

 

理屈はどうであれ、やはり子猫を殺すことなどわたしにはできない。なぜなら、自分の経験から目に見える生物であって、初めて人間は動物に感情移入が出来るのではないかと思うからである。あの可愛らしい仕種を一目でも見てしまったら、人間の情として、それを自らの手に掛けて殺すなどという発想は出てこないのではないかと思う。それが普通の人の自然の感情なのでは・・と、つい凡人は考えるのである。

 

同氏の云う理の世界で云えば、「細菌」や地上を這っている微細な生物も子猫と同じ生物である。でもこの生命体を私たちは一つは人間を害するものとして、当然のごとく殺戮する。もう一つは目に見えず、知らず知らずに日常的に踏んづけ殺戮行為を続けている。でも、心は痛まない。

 

なぜ? やはり人間は視認して、感情に訴えられて、初めてそのものとの距離感を理性で認識するのではなかろうか。「情」が発生して「理」がそれを秩序立てる、そして何かしらの「行為」へ発展する。「ある行為」の発端は「人間としての情」なのだ、「理性」ではない、「理性」が人間の「行為」を規定するわけでもないと、普通の人間であるわたしはようやく気がついた。坂東氏のコラム騒動のお陰でそう思い至るにいたった。

 

リンを去勢したことはペットを飼う人間の責任として間違いではなかったのだと、8年経って自分で納得することができたような気がした。

 

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