彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

コロボックル

2011年蓼科の秋=車山高原は爽やか

2011年蓼科の秋、本番=プール平・大滝(2011.9.26)
蓼科の秋、見つけた!=白駒池・横谷渓谷の紅葉の見ごろ(2010.10.18)
2010年、御射鹿(みしゃか)池の紅葉、見頃は10月23日(2010.10.18)

大滝のプチ・ハイクを終えて、下諏訪の“万治の石仏”を拝みにいく予定だったが、あまりに空が澄んでいたので、急遽、車山肩へ上ることにした。

秋のビーナスライン車山高原
これから秋本番のビーナスライン

ビーナスラインを昇る途中で、富士見台の展望所に寄った。

八ヶ岳と遠くに富士山
クリックして拡大して下さい。中央にちょこっと富士山が映っているのです・・・

富士山大好きの家内へのサービスである。写真では八ヶ岳の右奥、雲の上にちょこんと映っているのがお目当ての富士山だが、実際にはもっと大きくはっきりと見えた。


大概は雲や霞で富士山が見えることは少ないのだが、この日はよく見えた。八ヶ岳の稜線もくっきりと見え、まさに秋冷の大気に蓼科が覆われていることを実感した好日であった。 

蓼科山とコロボックル
蓼科山と車山測候所。手前の屋根が山小屋”コロボックル”

いつものコロボックルに寄る前に、車山肩の散策道を簡単に上って、頂上から八島湿原、北アルプス、中央アルプスと見事な大パノラマを満喫した。

車山肩から中央アルプス
右に八島湿原、遠くに北アルプス
DSCF9813
遠くに中央アルプス
中央アルプスグラデーション
稜線のグラデーション

車山高原のなだらかな稜線のうえには秋の雲がのんびりと気持ちよさそうに漂っていた。

秋の車山肩から


秋の蓼科、これからが本番である。蓼科の道中に、原村の田園風景も秋本番を教えてくれる・・・

DSCF0028
原村の稲刈りと秋の田園

ころぼっくるひゅって=景観保護と自然の営み5

ころぼっくるひゅって

景観保護と自然の営み

 

 信州霧ケ峰高原の車山肩にある「ころぼっくるひゅって」はオーナーである手塚宗求(むねやす)氏が24歳のとき(1956年)に創立した山小屋である。

ころぼっくる途中風景

看板

玄関

 

 

 

 

 

 

 ころぼっくるへ     看板     ヒュッテ入口

 

 わたしは「ころぼっくる」のオープンテラスの一番先端に位置するテーブルに陣取って熱いココアを呑むのが好きである。その席に先客があるときなどは、後ろのテーブルでじっと空くのを待って、移動するのが常である。

 

 なぜなら、前面に視界を遮るもののないそのテーブルに肘をつき、眼前に展がるなだらかな草原にぼんやり目を投じるのがとても気持ちがよいからである。そして車山肩のなだらかな稜線の上空をゆったりと流れるさまざまな姿の雲を眺めるのが、何にもまして大好きだからである。

テラスより

カップと空

テラスと草原

 

 

 

 

 

 

 

草原テラスより   ココアと空    オープンテラス

 そして、この6月はレンゲ躑躅(つつじ)の満開を是非見ようと思い立ち、「ころぼっくる」を訪れた。事前に手塚氏に電話で模様を確認し意気込んで訪ねたのだが、花の心はやはり移り気で数日早すぎた。残念!(手塚氏から「一日の気温によって開花の時期は簡単にずれてしまうため、この日というのは難しい」と云われていた)

レンゲ躑躅

蕾

ころぼっくる遠望

 

 

 

 

 

 

レンゲ躑躅     まだまだ蕾     ヒュッテ遠望

当日はテラスから草原のなかにオレンジの色取りを拾い取ることはできるのだが、ここに至る途中の標高の少し低い山肌に群生するレンゲ躑躅がかなり花を開花させていたのに比べると、まだ蕾の状態で色はややくすんで見えた。この週末あたりには多分、草原は青い空の下、上品なオレンジ色のベールを一面に装うことになるのだろう。想像するだけで、胸がすかっとする光景である。

 

 のんびりとした時を過ごした帰り際、手塚氏と少し雑談をさせていただいた。同氏は「この季節が一年で一番好きだ」という。「とくにこの時期の薄暮、テラスからひとり眺めるなだらかな高原の風景は素晴らしい」と語った。そのときの瞳は自然のなかに生きる少年の目のように澄んだ輝きを放って見えた。

 

その少年の瞳に陰りが差したのが景観保護と自然との共生の問題に話がおよんだときである。「最近、この草原地帯に森林が侵蝕してきている。それをどうするか」という問題が発生しているというのだ。地元の自然保護グループの間でもそれぞれその対応につき意見が異なり、難しい問題となっているという。

ここ霧ケ峰は八ヶ岳中信高原国定公園の中心に位置する。ニッコウキスゲなど様々な高山植物が群生するが、高地であるにもかかわらずなだらかな稜線を持つ高原とも相俟って、ここの特色ある景観を形造り、それが大きな観光資源となっている。

 

森林が侵蝕してくるとそうした高山植物の植生が荒らされ、霧が峰の美しさが損なわれてゆくことになる。また、わたしの愛するテラスからのなだらかな高原の稜線も高い木々が育つことによって、その景観のよさは失われる。現在、手塚氏のグループはその稜線については木々を刈り取るなどの景観保護に努めているという。

 

しかし、自然保護グループのなかにはすでに大きく侵蝕してきた森林をも伐採し草原の景観を旧来の姿に復すべきという考えを有するところもあり、そこまで踏み込むべきか悩ましい問題であると語られた。

 

わたしは京都の借景の名所である圓通寺を拝観した際、「洛北の地、圓通寺--失われゆく借景に自然との共生の難しさを痛感」(2008.5.18)というタイトルのブログのなかで「生活水準や生活環境の向上を図ろうとすることは、人間としてある意味当然の願いではある。しかしそれは同時に自然と共生して進められてゆくものでなければならない」と記した。借景という自然の美しさと開発をともなう人間生活の向上とのバランスをどうとってゆくのか、現実的には非常に難しい問題であると感じたところを述べた。

 

今回の「ころぼっくる」の話は、皮肉にもそれとは逆のケースに当たるのではないのかと考えさせられた。

 

人間にとって美しいと感じられる景観を守るために、自然の摂理であろう森林の侵食、つまり植生の自然な変遷を人の手によって切断、停止、捻じ曲げてしまうことの是非は如何という命題である。

 

もちろん答えはそう簡単ではないのだと思う。たぶんどっちかと云った二者択一の答えでもないのだろうと思う。では、具体的にどうしたらよいのか。

 

いまわたしは何の答も有していない。ただ、「自然の声に真摯に耳を傾け」、「自然と共生する人間の営み」とは何かを真剣に考え続けてゆくしかない。

 

便利さという文明の追求による行き過ぎた自然破壊に目を向け、地球こそ偉大な生命体であるという当然のことを再確認し、文明神話への過信を見直すべき時がやってきていることだけは確かなことであるのだから。

 

風呂敷を広げて言えば、大きな自然の摂理のなかでわれわれ人類も生の営みを継続しているのだという「当たり前」のことを見つめ直し、われわれの営みの在り方を変えてゆく必要がある。

 

それは「言うは易く、行なうは難き」、きわめて悩ましく苦痛を伴う問題である。さらにスピードアップして具体的かつ実効性のある議論をかさねる必要がある。

 

この続きは次回「ころぼっくる」に行ってから、述べることにしよう・・・。          ココア

 

大好きなココア!

 

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猛暑の夏が去り、信州には足早に秋の気配5

長野県・霧ケ峰でもっとも高い山、標高1925mの車山。その山頂を眺めるのに絶好の場所が、車山肩にある山小屋「ころぼっくるひゅって」である。1956年に開設されているので、もう半世紀もこの霧ケ峰の自然の移り変わりを見続けてきた小屋である。

 

コロボックルの遠景

コロボックルより車山の稜線を

車山肩より八島湿原を遠望

 

 

 

 

 

 

 

 

ころぼっくる遠景   テラスから      車山肩から八島湿原

 

 

 そのテラスからぼんやりと車山山頂に設置されたレーダーを眺め、なだらかに下る稜線の上空をかすめるようにして流れていく綿雲やうす雲にぼ〜っと目を投げる。ぜいたくな時間がゆったりと過ぎてゆく・・・。

 

今年の夏は高原も暑かったという。ウェイターのアルバイトに毎年来る学生が、「今年はハズレでした。こっちはクーラーもないし、こんな夏は初めてでした」と語った。

 

そんな夏も9月に入ると足早に過ぎ去り、霧ケ峰高原のあたりはすでに秋の気配が濃厚である。そこへ向かう街道からの景色も、「秋、あき、アキ・・・」であった。

 

街道より黄色みを帯びた棚田を望む

街道より稲穂を

車山高原に群生するススキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい棚田     稲穂が・・     すすきが・・・

 

 

 高原をわたる秋風は肌に爽やかである。日本という国には四季があるといわれるが、この夏を経験して、秋の気配を感じられるようになって、「あぁ、日本の自然はすばらしい」「もっと、この国の自然を愛でるべきだ」と、あらためて思ったものである。

 

コロボックルのテラスに休む赤とんぼ

コロボックルテラス

薄越しに秋の空

 

 

 

 

 

 

 

 

 テラスの精霊蜻蛉    ひゅってテラス     秋の気配が・・

 

蒼穹2

アルバムに埋もれし憩いの空

 長野県の車山肩にはもう二十年近く足を運んでいる。いつも、コロボックルと云う山小屋のテラスのテーブルに坐ってご主人手作りのホットココアを呑むのが楽しみである。そして、テラスから見る車山の稜線の上に果てしなく広がる青空、そのなかに浮かぶ雲の流れをぼんやりと目で追うゆったりとした時間がこの上もなく贅沢で、私の心を癒してくれる。

稜線の空    蓼科の空             

 

 

 

 そして、車山肩の丘陵にこれでもかと咲き誇るニッコウキスゲの乱舞を目にする七月が徐々に近づくにつれ自分の心の中を爽やかな高原の涼風が通り過ぎるようで、今年もまた早、 春がやってきて、そして初夏、盛夏・・・、それから初秋・・・、そして真っ白なすべての善悪をも覆いつくす雪景色とともに厳しい冬が巡ってきて、季節はまた移ろっていくのだ・・・、と自分の人生の四季と重ね合わせながらアルバムに目を落としている。

ニッコウキスゲ

 

ニッコウキスゲ

 

 

 

 

 この四季と云う自然の織りなす物語に、もっと人間は素直に耳を傾けねばならぬと手元のアルバムは語りかけているように思えてくるのである。



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