「アジア外交の修復」

 

現在、小泉総理の靖国神社参拝により中国・韓国のみならず、東南アジアの国々との外交がしっくりきていないことは周知のことである。うまくいっていると盲信しているのは小泉総理一人といってよい。

 

 今を去ること約30年前の77年8月、東南アジアを歴訪した福田首相は最後の訪問地マニラで演説し、東南アジア外交の3原則を語った。(1)軍事大国にならない(2)心と心の触れあう関係(3)対等な協力者の立場、であり、これがいわゆる福田ドクトリンである。30年前に唱えられたアジア諸国との外交の基本的な考え方である。今日、このドクトリンを見ても、まったく違和感はなく、日本外交の磁石の針は、かえってその逆方向に向いているといった方がよい。

 

 歴史に「もし」はないと言うが、このドクトリンに基づきアジア外交を続けていれば、今日、わたしたちが目にする近隣諸国との外交の風景はおよそ異なった景色になっていたのではなかろうか。そして、アジア諸国からの尊敬を集める頼りになる兄貴分の地位を勝ち得ていたのではなかろうか。この30年間、中国が文化大革命(1966~1976)によってこうむった内政外交の遅れを、重厚かつ巧妙な国家戦略のもとに取り戻していき、冷戦終了後の米中二大国時代を築きあげるところまで来たことと考え合わせると、詮無いこととはわかりながら口惜しくて、残念で堪らない。

 

 21世紀における東南アジア外交をどう構築していくのか、福田ドクトリンの3原則を想起し、今一度、アジア諸国との関係修復に抜本的な議論を行ない、具体的対処策を策定すべきである。その中核は当然であるが、靖国参拝問題をふくむ歴史認識について国は真摯に採り上げ、真正面から国民をふくめ論議を尽くすべきである。村山内閣時代に戦後50年を期して、村山談話を閣議決定のもとアジアに対して発信したが、その歴史認識はその後の政府閣僚の不用意かつ不誠実な失言、行動によりほぼ御破産になっているといってよい。誠に見っとも無く情けない話だが、A級戦犯の分祀など靖国問題に結着をつけ、具体的行動を伴なった明快な歴史認識を、ポスト小泉政権はアジア諸国に対し発信すべきと考える。