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住所:京都市左京区 聖護院西町7 ☎ 075−761−0131
9月10日からはじまった聖護院門跡特別公開(2016月12月18日まで)を拝観した。
宸殿の襖に描かれた狩野永納・益信ら狩野派の障壁画130面を一挙に見ることができた。大玄関の老松の障壁画にまず度肝を抜かれ、つづいて宸殿の各間を飾る襖絵はどれも豪華で、その巧みな筆致には圧倒される。
また、当寺は修験道・山伏の総本山でもあり、拝観時には本堂の手前廊下で法螺貝を試みに吹かせてくれたが、予想した通りプッという音すらでなかった。そして、ご本尊の不動明王像を間近で拝ませていただき、満足の体で聖護院を後にした。
さて、聖護院は実は今を去ること50年弱前、高校の修学旅行の宿泊させてもらったところである。当時はそれはもう部屋の襖を指で押すと隣の間に倒れ込むといった古ぼけた宿、宿坊?であったが、いまは御殿荘の名前の通り御殿のような立派な建物へと変貌を遂げていた。
なるほど私が高齢者の仲間入りを果たすわけだ、時間は確実に流れていることを実感させられた瞬間であった。そんな感慨に耽りながら寺域をでると、そこに聖護院八ッ橋の総本店の大きな暖簾が目に入った。
そして、ここ20余年八ッ橋を口にしていないことに気づき、買い求めたいと店内に入った。道路上に修学旅行生がちらほらしていたが、なかに入ってみるとショーケースの前は若者の熱気と歓声で息苦しいほど。
最近は修学旅行も贅沢になり、少人数単位でタクシーに分乗し洛中を駆け巡っている。帰りに乗ったタクシーの運転手さんの話では、昼食の場所も生徒たちの求めに応じ案内するのだとか。
最近の子はアレルギー症が多く、食事のお店選びも神経を使うのだそうで、昔の先生と比べたら今の先生は丸投げできるので本当に楽ですよと溜め息交じりにいっておられたのが印象的であった。
そんな修学旅行の学生でいっぱいの聖護院八ッ橋をわたしたちはスルーすることにして、斜め前にあるここが八ッ橋発祥の正真正銘の老舗なのだと、店構えもいかにもといった格式を感じさせる本家西尾八ッ橋本店の暖簾をくぐることにした。
店内はしっとりと落ち着いた造りで、店内左手に置かれた聖護院門跡から譲り受けた大門扉や酒井雄哉大阿闍梨の書が目に入る。
「江戸時代から八ッ橋やと言えば、西尾だったのです」とHPで謳うだけの歴史と風格を自然と感じさせる。
店員さんの話では聖護院八ッ橋さんはいまの若い人向けに様々な現代的な味の八ッ橋を販売しているそうで、西尾の方は種類はそんなに多くはなく、どちらかというと昔風のものが主体ですとのことであった。なるほど、レモン餡入りの“聖涼レモン”とかさくら餡の“櫻花”とか餡の種類も多彩で季節感たっぷりに若い人向けのネーミングも見事ではある。
しかし、高齢者への仲間入りを果たしたわれわれ昭和20年代生まれの人間がそんな軟派な時流に乗るわけにはいかない。50年弱前に買って帰った堅焼きせんべいのようなあの八ッ橋とニッキ味とせいぜい抹茶味の二種類の生八ッ橋をここ老舗・西尾で求めたという次第である。
帰京後、同年代の家内の友人たちに西尾の八ッ橋をお茶請けにお出しした。
みなさん、堅焼きの八ッ橋の方をみて異口同音に「あら、なつかしい」とおっしゃる。
わたしはすかさず「歯を折らないように」と、なんとも失礼なひと言を発してしまった。あぁ、後の祭り、口は禍の元と頭を低くすること暫しであった。
菓子をひと口、それで一挙に数十年の時代を飛び越え、各々の思い出を蘇えさせる魔法の菓子・八ッ橋。
たまには阿闍梨餅ばかりでなく、話題作りに京土産として購入されてみてはいかがであろう。懐かしい青春の匂い、ニッキの味があなたを一足飛びにお肌ツルツルの世界へといざなってくれるはず・・・。
最後に八橋の名の由来であるが、WIKIPEDIAによれば、「箏曲の祖・八橋検校を偲び箏の形を模したことに由来するとする説と『伊勢物語』第九段「かきつばた」の舞台「三河国八橋」にちなむとする説がある」と書いてあった。
そこでわたしの新説であるが、仙洞御所の南池に架かる角々とした八橋の形がいかにも堅焼きせんべいの形そっくりで、京のみやびを思えば、その方が似合っていると思うのだがいかがであろうか。
中国の庭園にはこの八橋形式の橋が多くみられるのだが、角々と橋を曲げることで真っすぐにしか進めぬ邪鬼を通せん坊するためだという。
八ッ橋をひと口、口にすれば邪鬼を追っ払うことができるという謳い文句で宣伝したら、久々の八ッ橋ブーム到来ってなことにならないだろうか。そんなわらべのような夢想にひたらせてくれた本家西尾の八ッ橋であった。