彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

日本の祭り

2016年祇園祭・後祭で大船鉾を見た 山鉾巡行一挙掲載!!

2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)


当ブログ、最近の記事は食う、喰う、食べるばかり、ここで少し伝統文化の話題でも。

2014年に初めて祇園祭を宵々山から堪能したことは2014年7月のブログに記載した。

その時、その年から半世紀ぶりに復活した後祭のためお目当ての山鉾巡行が従来の33基から前祭としての23基のみの見物となり、残念であった旨を記した。

1・後祭の山鉾ミニチュア
京都駅に展示された後祭の山鉾ミニチュア

そこで、今年は7月24日の後祭の10基の山鉾巡行、しかも150年ぶりに復活した大船鉾を見ることを楽しみに京都へやってきた。

2・大船鉾ミニチュア
大船鉾のミニチュア

後祭の山鉾巡行コ−スは17日に行われた前祭とは逆に、烏丸御池を東に向かってスタートし四条烏丸までのコースとなる。われわれは河原町御池の交差点に陣取り、巡行の行列を見物した。

3・河原町御池交差点
河原町御池の交差点 もうすぐ山鉾がやって来る

9時半に烏丸御池を出立し、予定では10時ころから順次、山鉾がわれわれの目の前で辻回しをやりながら通過することになっていた。


10時きっかり、時間通りに後祭巡行のトップバッターである橋弁慶山がやってきた。

4・10時に舁山(かきやま)橋弁慶山が来た
舁山・橋弁慶山がくじ取らずのトップバッター

後祭には舁山(かきやま)が7基巡行するが、この橋弁慶山は“くじ取らず”といって、毎年行われる巡行順番のくじを引くことなく、常にこの順位で巡行することをゆるされている町である。

5・五條の大橋の弁慶・牛若丸 橋弁慶山
五條の橋の弁慶・牛若丸

その代表的なものが祇園祭(前祭)の象徴的な鉾で必ず先頭で巡行する長刀鉾である。

6・祇園祭の象徴でもある長刀鉾
祇園祭の象徴、長刀鉾(2014年前祭)

その“くじ取らず”の山鉾が、後祭においては一番・橋弁慶山、2番・北観音山、6番南観音山、10番大船鉾の四基となっている。


ここで祇園祭をより楽しむための豆知識をひとつ。


祇園祭には山鉾33基が巡行するが、その内訳は鉾が10基、山が23基となっている。

鉾と山の違いだが、鉾は原則、屋根に真木という長い鉾を立てており、その頂きの鉾頭が疫病神を吸い取ると古来、信じられてきたという。鉾は2階建てでお囃子衆がのるほどの大型のものである。


山は鉾のかわりに真松と呼ばれる松の木をいただく。三基の曳山を除いては大型のものはない。

山は曳山と舁山にわかれるが、曳山が字義どおりに人々が綱を引き曳行し、そのため大きな車輪を有す。

また舁山は昔は人々が担いでいたが、近年は小さな車輪をつけて押して巡行する。曳山は前祭の岩戸山、後祭の北観音山・南観音山の三基のみで、残りが舁山20基となっている。


橋弁慶山につづいて飾り屋根を付けた曳山の北観音山が河原町御池の交差点へ入ってきた。

7・真松を立てた北観音山(曳山)
曳山・北観音山

一見すると鉾に見えるが、江戸時代後期・天保四年に山に飾り屋根をつけたのだという。堂々とした山である。そして、ここでこの大きな北観音山の力技、辻回しがある。

8・割竹を敷き、水を撒き、辻回し
辻回しの為の割竹を敷く

道に割竹を敷き、水を撒く。この上に大きな車輪を乗り上げ、人力で引っ張り九〇度の方向転換をするのだ。

9・力が入る辻回し
音頭取りが一斉に掛け声

曳山の先頭にのる音頭取りが扇を振り、声を振り絞って、辻回しに気合を入れる。9トンもの曳山がゆっくりと方向を変える。三回で90度まわせば普通。二度で回せば山鉾に負担はかかるが素晴らしい。四回は何をやっているんだ ( `―´)ということだと、沿道の通の人が教えてくれた。


そして、3回で無事辻回しを終えた北観音山はゆっくりと河原町通りを南下していった。

10・北観音山・辻回しが終わり、川町通りへ
これから河原町通りを四条河原町へ向かう

次に登場したのはかわいらしい浄妙山である。

11・舁山・浄妙山
浄妙山がやって来た

宇治川橋の合戦で繰り広げられた筒井浄妙と一来法師の先陣争いを題材とした人形が山を飾る。一来法師が浄妙の頭上を跳びこす様子や橋の欄干に幾本も刺さる矢がリアルである。

12・筒井浄妙の頭上を跳ぶ一来法師
宙を跳ぶ一来法師 宇治川の先陣争い

4番目に入ってきたのは役行者山である。

13・舁山 役行者山
舁山の役行者山が来た

修験道の祖である役小角をモチーフであることから法螺を吹く山伏たちが先導役を務める、京のビル街の辻に法螺貝のぶぉ〜という音が響き渡る。

14・法螺貝を吹きながら山伏が先導する
山を先導する山伏たち

山には左から一言主神、役行者、葛城神と人形がならぶ。

15・左から一言主神、役行者、葛城神
左から一言主神、役行者(洞の中)、葛城神

山が軽いこともあるが、辻回しを3回か4回行なうと、観衆から歓声と大きな拍手が起こった。担ぎ手に若い人が多いと小さな山でも見せ場はある。

16・役行者山の辻回し
拍手喝さいだった役行者山の辻回し

次に登場したのが黒主山。

17・舁山・黒主山
黒主山

六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を愛でる姿が山に載っている。

18・桜を仰ぎ見る大伴黒主
大伴黒主が桜を仰ぎ見る

そして、回数が少なく単調で、期待外れであった辻回しを終えた黒主山が河原町通りに入っていった。

19・黒主山の辻回し
ちょっと期待外れな辻回し

六番目に進んできたのが、曳山の南観音山。

20・曳山・南観音山
迫力のある南観音山

この南観音山は“下り観音山”と呼ばれ、“上り観音山”の北観音山と対となる曳山である。曳山の象徴である飾り屋根を備えた山はいかにも威風堂々の登場であった。

21・かざり屋根を付けた曳山・南観音山
曳山はやはりイイ!!

前後祭に祇園祭が別れるまでは、南観音山が巡行の最後を飾っていた格の高い?曳山である。お囃子衆がコンチキチンを奏でながら、辻回しを終えて、南下していく。

22・お囃子衆が乗る曳山
多くのお囃子衆が載る南観音山

7番目は鈴鹿山。

23・鈴鹿山
どこか静々と鈴鹿山が登場

瀬織津姫命の伝説をモチーフとした山で山鉾のなかで唯一の美女像となっている。

24・ご神体・瀬織津姫
ちょっと鳥居が邪魔だが、瀬織津姫である

ご神体人形の瀬織津姫命が山に立っている。

25・南観音山の後を追う鈴鹿山
鈴鹿山も河原町通りへ

次に八幡山が交差点へ入ってきた。

26・八幡山が入ってくる
八幡山

この山は神社の祠そのものを山に置くという大変変わった山である。石清水八幡宮から三条町へ勧請され、町内に祭られている八幡さまを祇園祭の山鉾巡行の日に限り、この山に遷座しお祀りしている。

27・遷座した金色の八幡宮
金色の祠である

云ってみれば、神社そのものを巡行させていることになる。山に置かれた八幡様が鎮座する祠は金色に輝いている。



後祭の巡行もいよいよ終盤。巡行9番目の鯉山がやってきた。

28・鯉山が登場
後祭巡行も9番目の鯉山はやって来た

黄河の難所、龍門の急流を登りきった鯉は龍となるという中国の故事をモチーフとしている。

全長1・5mになる木彫りの鯉は名工左甚五郎の作と伝えられている。

29・左甚五郎作と伝わる木彫りの鯉
傳左甚五郎作の木彫りの鯉

鯉山が河原町通りをゆっくりと南下していく後姿を眺めていると、沿道の観客からひときわ高い歓声が沸いた。

30・河原町通りを下る鯉山
鯉山も南へ下っていく

いよいよ後祭の殿(しんがり)を務める大船鉾の登場である。

31・大船鉾がやってきた
どよめきとともに登場する大船鉾

船鉾はそもそも、前祭の船鉾が神功皇后の新羅征伐にむけ出陣するさまを描き、後祭の船鉾は新羅から凱旋してくる船を表しており、二つの船鉾で物語として完結する形となっているという。

32・四条河原町で辻回しをする前祭の船鉾
2014年の前祭・四条河原町での船鉾の辻回し

幕末の禁門の変で焼失した大船鉾が150年ぶりに復活し、前後の祭りで古来の形式に復した姿を見物するが今回の大きな目的の一つであった。



われわれは大船鉾が復活した2014年、前祭の巡行を見物した翌日、くぎを一切使わず木と縄だけで鉾を組み立てる“縄がらみ”という技法を大船鉾の保存会・四条町で見学していた。

33・2014年大船鉾の鉾建て
2014年の大船鉾の鉾建て 地元TV局も取材

その年は舳先を飾る龍頭は未だ完成を見ておらず、この2016年に初めて大船鉾の舳先に龍頭が飾られるという。それもまた、楽しみであった。

34・大船鉾の登場
いよいよ目の前に大船鉾が・・・

目の前に現れた大船鉾は堂々としてまさに凱旋船と呼ぶに値する豪華さであった。

35・威風堂々の大船鉾
ワクワクするほどの大船鉾の威容である

その舳先を大きな龍がまた、見事というしかない。

36・舳先に龍頭
今年初めて取り付けられた見事な龍頭

保存会ではこの大船鉾の復興は引き続き継続されるのだという。

37・素晴らしい龍頭
白木の龍頭

見ての通り、まだ白木の部分が多く、この先数百年にわたり維持保存していくには漆塗りが必要とのことで、募金活動等今後も完全復活に向けた努力がなされてゆくという。

38・河原町通りを下る大船鉾
2016年祇園祭の後祭、山鉾巡行の見納め
大船鉾が川町通りに下がってゆくと、沿道の観客の群れが大きく崩れたが、後祭はこの後に花傘巡行が続くことを遠来の観光客はあまりご存じない様だ。10分もしないうちにその花傘巡行がやってきたが、その模様は次稿に譲りたい。


アップ遅すぎ! 横手の“雪まつり” (1/2) 横手城・平安の風わたる公園

横手の“雪まつり” (2/2) 憧れの“かまくら”に游ぶ(2015.3.25)

東京は明日の朝の寒さまでで今年の冬の寒さはおわるのと、NHKラジオの気象予報士・伊藤みゆきさんが云っていた。


そこで、今年の冬の積み残しはさすがに、本日までにアップしておかねばと思った次第。横手でお世話になった中学生諸君にも顔向けできないしね。


秋田県横手市の“かまくら”は小学生時代からなぜだか心惹かれる存在だった。一度は訪ねてみたいと思っていたが、ようやく今年の2月にその夢が果たせた。なのに、なぜ、すぐにアップしないのか。ごもっとも!! いろいろホントに野暮用があって・・・


さぁ、ぐずぐず言わずに“かまくら”実体験レポートにいこう。訪ねたのは、かまくら祭りの最終日の2月16日。天気晴朗の申し分ない旅日和。


10:20の東京発新幹線・こまち3号で一路、夢の横手へ。初めて乗車する秋田新幹線。

1・秋田新幹線こまち

盛岡駅で東北新幹線から別れて、大きく東北内陸部へと西進。窓外は雪景色へ一転。

2・雪原に岩手山
雪原の先に岩手山と青空

くっきりと雪原のなかに岩手山が見える。これは絶景である。

0・岩手山
岩手山、ビューティフル!!

13:35に花火競技会で有名な大曲に到着。ここで、新幹線を降車し、これまた初めて体験する奥羽本線・新庄行の乗り換え、横手に向かう。

3・大曲駅で奥羽本線へ乗り換え
新幹線が遅れても待ってくれる奥羽本線

13:42に大曲駅を発車、14:02にもう目的地、横手駅へ到着。わずか20分の乗車時間。

4・JR横手駅
JR横手駅 市内の道路はきれいに除雪されている

当日の宿泊先である駅前のホテルプラザアネックス横手というホテルにチェックイン。

5・ホテルプラザアネックス横手
温泉もあるホテルで、ほっこりします

このホテルは温泉併設のうえ、翌日の朝食の場所から、あの鳥海山が見えたのです。もうびっくり、北の人たちが自慢するのがよく分かった。美しいのひと言でした。

12・ホテルから鳥海山が見えた
出羽富士とはよくぞ言った、見事な鳥海山

さて、フロントに荷物をあずけたところでホテルマネイジャーに暗くなるまでの冬の横手の観光を相談。そして、タクシーをチャーターし、まず横手城へ。ここも“かまくら”がつくられていた。

6・かまくらと横手城
天守閣とかまくら

天守閣から横手市をまずは一望。空には徐々に雲が出始め、午前中のような青空を背景にとはいかぬが、見晴らしは最高。

7・横手城天守閣から横手川と横手市内を一望
横手川と横手市内を一望

そこから後三年の役・金沢(かねざわ)資料館へおもむく。後三年の役(1083−1087年)は奥州藤原氏が奥州に覇権を確立する契機となった戦である。源義家が清原清衡を扶け、この横手の金沢柵に籠る原家衡・武衡軍を破った。その後、清衡は実父の藤原経清の姓に改め、以後、藤原四代の繁栄の礎を築いた。


その金沢(かねざわ)柵のすぐ麓に建てられた後三年の役金沢資料館、この日はなんと休館日。“雪まつり”パンフレットにはこの日は開館すると記載されていたのに、あぁ、残念。記念に無念の閉館の写真のみを撮ることに。

8・後三年の役金沢資料館・休館日でした

あまりに悔しいので、ハズレついでに“平安の風わたる公園 (横手市金沢中野三貫堰)に立ち寄ってもらうことにした。


運転手さんもホテルのマネイジャーも冬は閉鎖されているので無理だと知らされていたが、八幡太郎義家が雁行の乱れで伏兵のあることを知り、難を逃れた場所であるという公園の傍に立ち、一一〇〇年前の世界に羽ばたいてみたいと思ったのである。


そして、平安の風わたる公園へ・・・

9・平安の風わたる公園
公園の散策なんて・・・

わずかに期待していた公園への足の踏み入れも、この一面の雪を見せられるとさすがに諦めがついた。こんな雪深いところで天下に名高い後三年の役という戦があったのかと思うと、感慨ひとしおである。そして、中央の雁がね橋が見通せたのはせめてもの慰めではあった。

10・雁行を象った雁がね橋
冬ざれた小枝の先に雁がね橋が見えた

そんな分厚い雪のなか注意深く目を凝らすと、此の戦の主役たちの銅像が雪囲いされて佇んでいた。

11・雪囲いされた源義家像
雪原のなかに八幡太郎義家の銅像が・・・

一一〇〇年前の恩讐をこえて、いま、こうしてならんでいる銅像を眺めていると、いまだに止むことのない世界中の紛争といった人間の営みや存念なんてなものは、千年経とうが何にも変わっていないのだとつくづく思うしかない。人間の宿業というしかないのだろうかと、やや、やるせない気持ちにもなった。


そんなブルーな気分はやはりこの目の前に展開する一面の雪景色がそうさせるのだろうか・・・



2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる

2016年祇園祭・後祭で大船鉾を見た 山鉾巡行一挙掲載!!(2016.8.23)
2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ(2014.8.13)

2014年7月17日、気温35.5度の猛暑のなか、1100余年の歴史を有する祇園祭の目玉のひとつ、山鉾巡行・前祭(さきまつり)を観覧した。

8・大役果たした生き稚児さん

今年からは49年ぶりに後祭(あとまつり)が復活。これまで33基の山鉾が17日に一斉に巡行していたものが、17日の前祭に23基、残り10基が24日の後祭と、2日間に分けての巡行となった。

0011・宵山の八坂神社
宵山の八坂神社

そもそも祇園祭の本義は、八坂神社のご祭神(素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神)を三基の神輿に遷し、洛中の厄神をかき集めながら御旅所へと向かう神幸祭(17日)と、

0001・神幸祭を待つ宵山の神輿
神幸祭を待つ三基の神輿・八坂神社宵山

その厄神を神泉苑へ流し去った神輿が御旅所から八坂神社へ還る還幸祭(24日)にある。

001・御旅所
四条御旅所

山鉾巡行は神輿の先触れとして京の町衆が自発的に実施したものであり、本来、神事の外にあるが、美麗に飾りつけられた巡行が八坂神社の祭礼に賑わいと華やかさを添える大きな役割を持つに至ったことから不即不離の関係へと変わっていった。


そういう由来に照らせば、前祭と後祭に巡行が分けられたことの方が、祇園祭本来の姿に立ち戻ったということになる。


その49年ぶりの前祭が復活した祇園祭を、15日の宵々山から18日までの4日間、目一杯、堪能した。


宵山や山鉾建てなどの様子、そして神輿渡御については別稿に譲るとして、ここではまずは祇園祭のハイライトである山鉾巡行について記すことにする。


当日は注連縄切りがよく見える四条麩屋町より少し西に陣取った。7時半に現地到着、すでにその周辺は道路に面した一列目が長く伸びており、何とかわれわれもその一画にスペースを見つけた。

001・8時半頃、すでに沿道はいっぱい
8時半頃、沿道にはたくさんの見物客

いよいよ午前9時。

01・巡行がやって来る

四条通り烏丸から “くじ取らず”の長刀鉾を先頭に巡行が四条通りを西へと進んでくる。

3・注連縄に近づく

そして神域との結界である四条麩屋町角に張られた注連縄の前に長刀鉾が止まる。

4・止まる
四条麩屋町に張られた注連縄の前に止まる

四条通りに渡された注連縄を長刀鉾に載った生き稚児が太刀で断ち切る“注連縄切りの儀式”が執り行われる。


今年の生き稚児の大役を務めるのは、まだ愛らしい平井誠人君(9歳)。

09・正5位

この厳かな“注連縄切り”が山鉾巡行の一番のハイライトと云ってもよい。

5・注連縄切り
注連縄がまさに切り落とされる瞬間

注連縄が切り落とされた瞬間、沿道の見物客から拍手と歓声が挙がった。

7・無事終了

“生き稚児”が結界を破ることでいよいよ山鉾が神の領域に入ってゆく。

我々の目の前を2日の“くじ取り式”で決まった順番で山鉾が曳かれてゆく。

9・神の領域に入って来る長刀鉾
神の領域に入る長刀鉾

常に先頭をゆく長刀鉾(なぎなたほこ)と5番の函谷鉾(かんこくぼこ)、21番の放下鉾(ほうかぼこ)、22番岩戸山、23番船鉾は、“くじ取らず”といって、巡行の順番は常にその位置となっている。


次々と目の前を過ぎてゆく山鉾を以下、順に紹介する。

2番目が山一番を20年ぶりに引き当てた占出山。占出山の順番が早い年は安産が多いといわれているとのこと。

11・占出山

3番目は芦刈山。

12・芦刈山

4番目が孟宗山。

13・孟宗山

5番目は“くじ取らず”の函谷鉾。鉾頭は月に山形。

14・函谷鉾

6番が山伏山。

15・山伏山

7番が囃し方を擁する綾傘鉾。

16・綾傘鉾

8番は伯牙山。

17・伯牙山

9番目が菊花の紋様が鉾頭の菊水鉾。

18・00菊水鉾も来る

10番目が太子山。山には松の木が取り付けられているが、太子山のみ杉が立てられている。聖徳太子が大杉の霊木で六角堂を建立されたとの六角堂頂法寺の縁起に拠っているという。

19・太子山

11番目が霰(あられ)天神山。小祠と鳥居が飾り物。

20・霰天神山

12番は人形と鳥居が載る油天神山。

21・油天神山

13番は鶏鉾。

22・鶏鉾

14番は木賊(とくさ)山。

23・木賊山

15番目が囃し方のいる四条傘鉾。

24・四条傘鉾

16番が飾り物の蟷螂(カマキリ)の羽や脚が動き、子供たちに人気の蟷螂(とうろう)山。

25・01蟷螂山

17番が鉾の天王が月読尊(つきよみのみこと)の月鉾。

26・02月鉾

18番が白楽天山。

27・白楽天山

19番が保昌(ほうしょう)山。

28・01保昌山

20番が唯一、屋根のある山、郭巨(かくきょ)山。

29・02郭巨山

21番目からが“くじ取らず”になるが、その21番目が放下(ほうか)鉾。

30・01放下鉾

22番が山でありながら形態は鉾と同じ岩戸山。真木として松を立て、高さは15mにおよぶ。

31・01岩戸山

そして、前祭の殿(しんがり)が23番目の船鉾。曳き鉾のなかで唯一、真木がないのが特徴。

32・01船鉾

巡行は先頭の長刀鉾が眼前を過ぎてからちょうど2時間が経過する炎暑のなかの長丁場であった。


翌日の京都新聞によると、山鉾の基数が10基減少した今年の巡行時間は、結局、15分の短縮がなったのみという。


原因は35・5度の炎暑により巡行関係者を中心に体調不良者が相次ぎ、救急搬送など対応に時間を費やしたためと説明された。


当日の人出は例年より3万人少ない11万人。後祭に分散したのではないかとのことであったが、われわれが陣取った四条通りの混雑は半端なものではなかった。


そして、23基の山鉾を見送った後、巡行行列を追いかけて四条河原町での辻回しも郭巨山からどん尻の船鉾まで4基を観ることができた。


祇園祭山鉾巡行の観覧は待ち時間を含めて5時間におよんだが、注連縄切りに辻回しも目にすることができ、実り多い時間を過ごせた祭りの一日であった。



秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭


神事が御旅所のなかで続くなか、われわれは屋台が到着するまでの間、桟敷席左斜めと左後方に次々と打ち上げられ、炸裂する大輪の花火の彩りに酔い痴れ、“うわ〜!”、“すごい!”、“キレイ!”などと嘆声をあげ、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”の世界にどっぷりと浸る。


そしていよいよ、午後8時半まえ・・・

団子坂方向から秩父囃子の軽やかな音に覆いかぶさるようにして、うねるような群集の響(とよ)みが地鳴りのように伝わってきた。団子坂頂上に、曳き子の人たちが姿を現し、“中近”と標した高張提灯が見えてきた。

00・団子坂頂上に中近の高張提灯が・・・

一番目に、毎年御旅所への一番乗りの栄誉をいただく中近笠鉾がやってきたのである。

1・中近笠鉾、団子坂駆け上る

御神幸につづく笠鉾・屋台の奏曳順は不変ということで、中近笠鉾、下郷笠鉾、宮地屋台、上町屋台、中町屋台、本町屋台の順で続いてゆくのだそうだ。


それから30分後。今度は下郷笠鉾が姿を現す。あの白木造りの笠鉾も、夜の闇のなか強いライトを浴びて身に纏う4千枚の飾り金具が煌めき、笠鉾は金色に輝いている。

2・下郷団子坂

場内になだれ込んで来る曳き子の数の多さにも観客は驚きの声を発する。ものすごい人数である。

下郷屋台一番乗り

場内には先行して到着した中近笠鉾が奏でる秩父囃子の太鼓の音が人間の情念を掻き毟るかのように響いている。“うお〜っ!”という大歓声が挙がる。最高斜度25度の団子坂を登り切ったのである。

6・中町屋台が団子坂を登って来た

そののちも、順次、屋台が多くの曳き子たちとともに場内へと入って来る。場内の空地も徐々にそのすき間をなくしてゆく。

そして、屋台の数が一基また一基増すにつれ、秩父囃子の旋律は秩父の夜空に反響するかのようにし、その響(とよ)みは場内にいる人間の情念の共鳴をひろげてゆくようである。

7・続々、到着する屋台

すでに場内には五基の笠鉾・屋台がそろい、シンガリの本町屋台を待ち受ける。

8・夜祭りも最高潮

午後10時を数分過ぎた頃、屋台芝居の舞台を解いた本町屋台の登場である。団子坂登りの最後の屋台である。

9・本町屋台・団子坂を登り切る

曳き子と屋台で立錐の余地もなくなった場内に、本町の曳き子が一直線にその引き綱と一緒になだれ込んできた。

10・大勢の曳き子により本町屋台が御旅所へ入ってきた

まさに千両役者の風格である。屋台囃子も天にも届けと太鼓や笛の音がその律動を早め、場内は祭りの終焉へ向けて最後の情念を燃やし尽くす。

11・最後に登場した本町屋台

そして、勢ぞろいした屋台の頭上に花火が二発、美しい輪を広げて、その炸裂音を遠く秩父の山脈へと響かせた。

14・最後を彩る”黄金の滝”

本町屋台のギリ廻しが終わると、御旅所の亀の子石を要に6基の笠鉾・屋台が扇を開いたように形を整える。

午後10時半。2013年の御斎場祭の終了である。

12・本町屋台の最後のギリ廻し
本町屋台のギリ廻し
13・すべての笠鉾・屋台が御旅所へ集結

10時を過ぎると桟敷席の観客は一挙に退席し始めるが、実は10時半から見物客も曳き子たちが一服する場内へ降りることを許される。

御旅所に6基の笠鉾・屋台がならぶ

興奮冷めやらぬ曳き子や氏子の群れのなかに入って祭りの熱気をより身近に感じ、そして、夜空を背景に灯り提灯に浮かび上がる笠鉾や屋台を真下から見上げることができるのである。

1・御旅所へ降りて、左:宮地屋台・右:上町屋台

夜の闇に浮かぶ宮地屋台や上町屋台は、昼間、市街で見た姿とは異なるどこか幽玄の美しさを感じさせた。

5・御旅所に勢ぞろいした笠鉾・屋台

二基の笠鉾がならぶ。

2・笠鉾二基・左:下郷 右:中近

四基の屋台を一望する醍醐味。

3・四台の屋台揃い踏み

いずれも壮観である。

そして日にちを越えた12月4日の午前零時20分頃から、各町内の収納庫へ向けて順次、団子坂を降りてゆく。秩父祭マニアは必見といわれる、いわゆる難度の高い“団子坂下り”が始まる。


寒さも身に応えるわれわれ老夫婦は、そちらは若い方々にお任せするとして、その前に会場を後にした。


それと、車で今夜の宿泊場所・
“彩の森カントリークラブ” へ向かうため、臨時駐車場の南小学校へ向かわねばならなかった。南小の駐車場は午前零時までの利用となっているので、“団子坂下り”を見ることは難しかったのである。


それでも・・・祭りである。


何か大事な忘れ物をしているようで・・・
昂奮した人声があふれ出している屋台が目に入る。
午前零時までにはまだ少し時間がある。“躰が冷えたね”と家内に呟く。“熱いオデンでも食べて行こうか”と、もう足は広い店内へ。すごい人である。当然、クラブハウスまでの運転は家内である。まことに申し訳ないが、わたしのみちょっと体内温度を上げさせていただくこととした。

観覧を終えた人々でいっぱいの屋台

そして暗闇にいたせいか、やたらに明るい。オデンにワンカップの熱燗もと家内にねだる。

おでんで熱燗・武甲で一杯

秩父夜祭の興奮はまだまだこれから夜明けまで続くのだろう。半被を着込んだ若い衆もおり、これからの団子坂下りまでの一服なのかもしれぬと、わたしたちもその興奮の渦の片波に少し体躯をゆだね、揺らさせてもらった。


瞼には秩父の夜空に花開くスターマインの金色の彩りが映る。

そして、耳朶(じだ)には口元まで込み上げてくるような秩父囃子の切迫した律動が響く。


秩父夜祭、存分に堪能しつくした2013年12月3日の一日であった。


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秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

先にアップした秩父夜祭の花火大会は午後7時半から10時まで間断なく続いてゆく。その間、午後6時半に秩父神社を出発した御神幸(ごしんこう)の行列が1時間半のゆったりとした道行きで神社の真南に位置する御旅所へと到着する。


午後8時、会場内アナウンスのなか、御神幸(ごしんこう)の行列が先導大麻を先頭にしずしずと御旅所前の広場へ入って来る。その後方に長い列が続いている。

1・先導大麻を先頭に御神幸の列がつづく

秩父各町のお供物行列の掲げる高張提灯が厳寒の夜の底をぼんやりと灯し、幻想的な雰囲気を醸し出す。

3・高張提灯も幻想的

グラウンドが暗いうえに遠目なので行列の細部はよく分らなかったが、順番が決まっているとのことであり、先導大麻を先頭に、大榊、猿田彦、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱、各町会の高張提灯と供物、神社神饌、大幣、神輿、宮司、大総代、そして2頭の神馬が続くのだそうだ。

2・御神幸の到着

今朝方、秩父神社境内で見かけた御神輿が見えてきた。

0・御旅所へ向かう御神輿

すぐ後ろに秩父神社の宮司や大総代が随う。夜の暗闇が厳かな行列をいちだんと近寄りがたいものにしている。 

4・神輿に続く宮司

その一団のあと暫くして、ご神馬が二頭、御旅所会場へと入って来る。

当夜はそのうち一頭のご機嫌が悪く、二頭揃っての入場とはいかなかったが、ご神馬が嘶(いなな)き、手綱引きの氏子を振り解くごとく場内を走る様は、まさに祭りが動き神々の荒魂の猛々しい息遣いが聴こえるようで圧巻である。

5・神馬の到着 6・二頭目の神馬の到着

そして、先行する各町の名前を誇らしげに標(しる)した高張提灯の行列とも併せ、この神事が古来、秩父神社の神職たちはもちろんのこと、多くの無名の氏子たちの手によって大切に守られ、営々と引き継がれてきたのだということを心底、実感させられた。


御旅所内での儀式の様子は桟敷席からは遠過ぎて、ほとんど詳細は分らぬ。

7・御旅所内での御斎場祭

しかし、ズームを効かせ撮った画像から、祭主の祝詞奏上なのだろうか・・・なんとなくその雰囲気は伝わって来る・・・。

8・祭主の祝詞奏上

そんななか、当夜の会場はこれでもかこれでもかというほどに花火の打上げ音や炸裂音、さらに加えて場内アナウンスの喧(かまびす)しい声々が・・・厳粛な神事とはおよそかけ離れた“晴れの日”の音響が支配していた。

9・御旅所神事と花火

そして、団子坂を登って次々と場内へ集結する屋台。

4・下郷笠鉾、団子坂を登る
下郷笠鉾、団子坂を登る

その最後の屋台が御旅所に到着し、すべての笠鉾、屋台が亀の小石を要として扇状の形に展開し終わった。

それを待って午後10時20分頃から、御旅所内で本義である御斎場祭の神事がはじまるのである。


その頃には桟敷席の見物客は帰宅の途につき、一部の観光客が場内へ降りて、提灯の灯に浮かぶ笠鉾や屋台を間近に見上げることに忙しい。

10・御斎場祭が始まっている頃、桟敷席に人はいない

われわれ夫婦も曳き子たちに紛れ、整列する屋台を見て歩く。実は、この時、御斎場内では、神前において素面で舞う代参宮神楽が奉納され、各屋台では稚児による三番叟が演じられているのだそうだ。

何だか、その時、そんな知識も持ち合わせていなかったので、漫然とグラウンドをさ迷い歩いていたわたしたちでありました。


その厳かな御斎場祭が終わった後、およそ午前0時頃だそうだが、笠鉾と屋台がまず御旅所から各町内に向け出発、団子坂を下る。


その後から御神幸行列がしずしずと続く。この御神幸行列が秩父神社に到着するのはなんと4日の午前3時を
まわるのだという。


そののち6日まで養糸祭や新穀感謝祭、そして例祭完遂奉告祭を最後に秩父神社の例祭の祭事はすべて終了するのである。




秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”


われわれは秩父の山脈に日が隠れてしばらくして、休息をとっていた南小学校(臨時駐車場)から御旅所へと歩いた。


午後7時半から始まる日本芸術花火大会の尺玉や四号玉や9時20分からスタートするスターマイン大会を見ようと、国道140号線沿いに見物客がぞくぞくと繰出してくる。

c:3D

そして、ポン!ポン!という試し打ちの音が秩父の夜空に響き渡り、かすかな衝撃波が秩父盆地の冷気をゆるがす。


途中で軽く夕食をと思い、先刻、目星を付けていた国道沿いの蕎麦屋へ・・・。ところがいつしか貸切中の札が下がり、入店不可。さてさて困ったと探し出したのが、国道からちょっと入り込んだ小さな中華料理店。


え〜、そこも席は空いているが予約席とのこと。交渉のすえ、7時までならOKということで、取りあえず焼飯を注文、腹ごしらえをすませ、押っ取り刀で御旅所の桟敷席へ。


夜祭当日はこうした個人経営のお店は、地元の方々が早手回しに花火の時刻に合わせて借切って、途中、外へ出て道路傍から花火を鑑賞し、寒くなったらお店に入り暖を取るといった利用がされているのかもしれない。国道沿いにあったファミレスに四の五の言わず入っておけばよかったというのが、今回のひとつの反省点であった。


そして7時半頃に御旅所へ到着したが、桟敷席はもう見物客で一杯。

係りの人に席まで案内してもらう。躊躇なく頼むのがよい。暗い中、席を自分で探すのは至難の業である。

氷点下の時もあるという厳寒の秩父である(過去の秩父夜祭当日の気温)。深更におよぶ観覧である、用意してきた毛布をベンチに敷く。さらに準備してきたオーバーズボンを穿き、マフラーに帽子とエスキモーのような格好で、老夫婦二人して、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”の、さぁ、上映開始である


秩父夜祭のクライマックス。秩父夜祭花火大会のはじまり、はじまり〜

01・あぁあぁ・・・

まずは日本芸術花火大会のスタートである。全国著名の花火師による手練れの花火の打ち上げである。



02・青の饗宴

冬の夜空に広がる大輪の花々は彩り鮮やかで豪華絢爛。美しい秩父絹で巨万の富をつくった秩父商人の豪気さと栄華を想起させる。


あの亀の子石のある御旅所へと静々と広場を歩みゆく御神幸行列。その頭上で繰り広げられる光と音の競演。

1・豪勢な花火が次から次へ

スターマイン(速射連発花火)がその言葉通りに息もつかせぬ勢いで打ち上げられ、厳寒の夜空は華やかな光のマジックを映すスクリーンへと変貌する。



2・美しい・・・

あまりの花火の数、豪勢さに皆、息を呑む。

4・夜空に小菊がいっぱい 5・ぼけても幻想的

美しい!!

6・大輪の花

あぁ・・・すばらしい・・・

7・桟敷席の後方にもスターマインが打ち上げられる

これほど連続して尺玉が・・・

8・冬空に花火

ブラボー!!

9・光が弾ける

尺玉・・・、尺玉・・・

10・青の世界

あぁ・・・あぁ・・・

11・屋台に花火

凄すぎで〜す




12・色とりどり

午後10時10分頃、最後の花火が打ち上げられる。

14・最後を彩る”黄金の滝”

扇状に整列した笠鉾・屋台の頭上高く、大輪の花々が花開く。


当夜はなんと約8000発もの花火が打ち上げられたのだとか・・・

a:タマヤ〜!! b:お見事


夢のような迫力満点の秩父花火大会。ステキ!のひと言。

老夫婦でもほっこり、幸せ気分になれる。


若い恋人同士なら・・・・・・ 
コラッ!! 何を、にやついておる彦左!






秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

境内に入ると、午前中に目にした本町の曳き廻し屋台(国指定重要文化財)が消えていた。

00・曳き屋台の本町屋台

なんと野外舞台へと見事な変身を遂げていたのである。


冬の青空に映えて、桃色の花飾りも美しく華やかな装いをほどこし、今や遅しと、重要無形民俗文化財指定の屋台芝居の開演を待っていた。

5・本町屋台の舞台出来上り

ここで、本町屋台のいわゆる曳き屋台から芝居舞台への“変化(へんげ)”を簡単に画像で追ってみる。


町を曳き廻される屋台が一部、勾欄などがはずされ、両袖に土台を作り、舞台が張り出してゆく。

01・左翼の張出し舞台の組込み

その一連のよどみない流れは、かつて息子が幼児の折に弄んだガンダムなど合体戦士の玩具を彷彿とさせた。

1・張出し舞台の組立て 2・張出し舞台の骨組み組立てと支え柱

それは、造り替えによっては大空を飛翔する“天空の舞台”の設営も決して不可能ではないと思わせるほどの“変化(へんげ)の技”である。

3・舞台の屋台本体への組込み

その大胆かつ自由な発想を具象化する精緻な計算と精巧な技術は現代のわれわれを括目させる。

4・本町屋台芝居の舞台造り

昔のこの国の匠の技が半端ではなかったことを物の見事に実感させてくれるものであった。

01・本町屋台芝居の舞台

その舞台で最初の演目、前座の“白浪五人男”が始まろうとしていた。舞台前には文字通りの立錐の余地もないほどに見物客が集まっている。

00・舞台前にひしめく観客

囃子太鼓が鳴り響くなか、いよいよ舞台の緞帳が揚がる。


まず、秩父市立花の木小学校5年生の春山夏美さんにより、堂々としてしかもユーモアあふれた口上が述べられる。歌舞伎座の口上よりも実際のところ、声の張り、その内容においてこの少女の口上の方が見事であったと感心した。

1・小学生女子による口上

そして、“白浪五人男”の始まりである。

2・白波五人男

ひとりずつ舞台へ登場し、見得を切る所作に入ると、場内から一斉に“電器屋!”といった屋号の掛け声がかかり、たくさんのお捻(ひね)りが舞う。

3・お捻りの舞う日本駄右衛門の名演技

前座は素人歌舞伎とはいえ、その迫真の熱演ぶりは秩父夜祭を盛り上げるに十分な出来栄えであった。

4・迫真の演技

このあと、秩父歌舞伎正和会による「熊谷陣屋之場」の公演が続くのだが、われわれは厳しい寒さが予想される深更におよぶ御旅所桟敷席での観覧に備え、車中で軽く仮眠をとるため、駐車場の南小学校へと一旦、移動することとした。


午後4時前の南小臨時駐車場と武甲山
午後4時頃の南小グラウンド臨時駐車場

遠くに武甲山の山容がくっきりと見えるが、なるほど、兜の形をしている。秩父出身の俳人、金子兜太氏の俳号の由来がここにあった。浅学非才の身を恥じいる次第。

武甲山

そして、これからわれわれは待ちに待った秩父夜祭のクライマックスである御旅所での神事・御斎場祭と奉曳されてくる笠鉾・屋台の集結、それからアニメ・あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”有名な秩父夜祭の花火大会を観ることになるのである。


その様子は、秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会で紹介する。

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

まだ11時ではあるが、歩き疲れもあり、本町交差点近くのビルの2階にあるジョナサンで取りあえず腹ごしらえ。

0・腹ごしらえ

 
窓際の席があいていたので、そこに坐る。ここから本町交差点へ向かう屋台や笠鉾を目の前に見ることができるはずである。そして、われわれは目論見通りに食事中に通過した“下郷笠鉾”の曳行を見ることができた。

1・ジョナサンから下郷笠鉾の曳行を見る

まさに間近で見る白木造りの笠鉾の屋根に彫られた仙人と鳳凰の彫刻は素晴らしい。

2・下郷笠鉾の見事な彫刻が目の前に

そして、4千枚ともいわれる金色の飾り金具を纏った笠鉾はキラキラと輝き、神々しくさえ見えた。


食事を終え、外へ出ると、先ほどの下郷笠鉾が秩父神社境内に向かうため方向転換をしようとしている。いわゆる“ギリ廻し”が行われているのだ。重さ20トンの笠鉾を人力だけでギリ廻す、大変な智恵と技である。

3・ギリ廻しで傾く下郷笠鉾

本町交差点を直角に曲がった笠鉾がゆっくりと神社への参道へと入ってゆく。

4・方向転換完了。秩父神社へ


その姿を左手に見ながらわれわれは見物客であふれかえる本町通りをまっすぐ歩いてゆく。

6・人混みでいっぱいの本町通り

遠くに屋台が見えてきた。

1・中町屋台

四台の屋台のなかで一番大きな鬼板(屋台前後の両端を飾る板)を掲げる“中町屋台”である。前部の鬼板は天の岩戸開きが掘り出されている。

2・中町屋台の大きな鬼板

 屋台の上で、地方(じかた)の伴奏による曳き踊りが子供の演者によって披露されている。

3・地方は大人、立方は子供

演目は“雨の五郎”、本格的な見得を切る立方(たちかた)の男の子、相当な練習を重ねてきたに違いない見事な所作である。

4・中町屋台の曳き踊り

この屋台の後ろ幕には荒波を泳ぐ赤い魚。鯛であろうか、これも豪華である。そして、後ろの鬼板の意匠は素戔嗚尊(スサノオノミコト)による八岐大蛇退治となっている。

5・中町屋台後部・八岐大蛇退治の鬼板

さらに進むと、次に“中近笠鉾”が見えてきた。本来は花笠がつけられていたが、電線が架設された大正3年から笠をはずして曳行されるのだという。

1・中近笠鉾

この笠鉾は少し小振りだが、その分、瀟洒で端正な風格が漂う。総体は黒塗りでどこか宮殿風の造りとなっている。

2・宮殿風造りの中近笠鉾

この中近笠鉾は常に秩父神社を一番に出立し、御旅所に“いの一番”に到着する役どころなのだそうである。

3・中近笠鉾・正面

それから、御旅所なるものを見ることが可能であればと、桟敷席の確認も兼ねてお花畑駅の方へと向かう。


0・秩父鉄道・御花畑駅

その道すがら、“上町屋台”が路上に止められ、お昼の休憩をとっていた。

1・休憩中の上町屋台・みごとな鯉の滝上り

間近にじっくりと見上げる上町屋台はやはり、迫力満点である。

2・牡丹に唐獅子刺繍の水引幕がみごとな上町屋台

四台の屋台の内、最も大きな屋根を持つ屋台なのだそうだ。前面の鬼板は応婦人と龍が彫出されていて、それは見事である。

3・上町屋台の応婦人と龍を彫り上げた鬼板

後方に回ると、秩父夜祭の屋台ショットでよく目にする金糸を垂らした鯉の滝上りを見ることが出来た。

4・上町屋台後部・鯉の滝上り

後面の鬼板も素晴らしいのひと言。

5・上町屋台後面鬼板

そして、お花畑駅の踏切。

0・御花畑踏切を通過する秩父鉄道
御花畑駅踏切を秩父鉄道列車が通過


いよいよ御旅所も近い。

踏切からまっすぐに団子坂、その先に開けた御旅所前の広場の入口が見える。

1・お花畑踏切より団子坂、御旅所前広場を見る

踏切を越すと、両脇の家々に“当日桟敷席有り”といった張り紙が貼られている(今年は平日なので、席が余っているのだろうか)。

3・団子坂近辺にはこういった張り紙が  2・団子坂桟敷席です

秩父夜祭のクライマックスとも云える“団子坂の曳き上げ”と屋台の上に昇る花火を観るには、ここが最良のポイントであることは確かである。


最大斜度25度という団子坂。団子坂上より見た写真である。


4・この団子坂を手前へ登って来る

見た目にはさほどの勾配を感じさせないが、ここを重さ12〜20トンもある屋台や笠鉾が上ると思うと、見ぬ前からその豪壮な光景が目に浮かぶ。


御旅所前の広場(秩父公園)はかなり大きい。ここに午後8時過ぎ頃からこれまで見てきた屋台や笠鉾がぞくぞくと上って来るのである。

5・御旅所前から右手が桟敷席、幟の立つところが団子坂上
右手が桟敷席、左手に御旅所。正面幟が団子坂を登り切った処

自分たちの桟敷席の場所を大体の目星で確認していると祭りの係りの方がやって来て、この筋の上あたりだと
教えてくれる。親切である。

6・御旅所の大桟敷席

桟敷席の正面に、高い幟の立ったところがあるが、ここが御旅所であった。

7・御旅所

この御旅所に秩父神社の御神輿が渡り、ご斎場祀りが執り行われる。

8・御旅所にある亀の子石

御旅所には妙見菩薩を表わしているという亀の形の「亀の子石」がある。

9・御旅所の亀の子石

この場所で年に一度だけ、12月3日の夜に秩父神社に祀る妙見菩薩(女神)と武甲山に棲む龍神(男神)が逢い引きするのだと言われている。何とも艶っぽいといおうか気宇壮大なデートではある。


御旅所桟敷も無事確認したわれわれは、次に秩父神社境内で催される屋台芝居を見るため、神社へと移動することにした。


10・参道の人出もすごい

昼を過ぎると、神社近くの筋という筋には多くの人が入り込み、その混雑ぶりは、朝方の景色とは様相を異にする。


境内に入ると、6台の屋台・笠鉾のうち、まだ目にしていなかった“宮地屋台”が神門前で曳き踊りを奉納している最中であった。

2・境内神門前で曳き踊りを奉納する宮地屋台
屋台上で曳き踊り
1・宮地屋台
最も古い屋台・宮地屋台

この町は一貫して曳き踊りは“三番叟(さんばそう)”を奉納するとのことであった。

3・三番叟奉納・宮地屋台

こちらも立ち方いわゆる踊り手は子供であったが、その所作は玄人跣(はだし)であり、日ごろからの修練の積み重ねであると感じたものである。


この宮地屋台の後幕がまた印象的である。

4・後ろ幕の猩々が印象的な宮地屋台

“猩々(しょうじょう)”という顔は人間、躰は紅色の体毛で覆われ、声は小児の泣き声に似て、人語を解するという想像上の怪獣だという。なかなかに怪異である。


そしていよいよ、年当番の本町による屋台芝居の開演となるが、これは次稿に譲ることにする。

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=朝

秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・下郷笠鉾・中町屋台・中近笠鉾・上町屋台・宮地屋台
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=昼・本町屋台の屋台芝居
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・花火大会 “あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない”
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所で御神幸行列・御斎場祭
秩父夜祭(平成25年12月3日)の朝・昼・夜=夜・御旅所桟敷席より屋台の団子坂登りを堪能

12月3日(火)、京都祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられる“秩父夜祭”を観覧した。

団子坂を登り切る
団子坂を登る本町屋台


夜祭見学を思い立ったのは、秩父観光協会が設営する桟敷席の抽選予約最終日の10月21日であった。家内と「秩父の夜祭もいいね」などと語り合い、ネットで調べたところ、その日が桟敷席の申込み最終日で、しかもメールにての申込み可というではないか。

御旅所桟敷席
御旅所桟敷席

午後11時も過ぎた頃とて、家内にも相談せず、まずもって申込み。

それから秩父夜祭のあらまし・歴史を調べ、交通アクセスを調べ・・・と、およそ計画的でない今回の旅の発端であった。


そして、夜祭が深更に及ぶということを知り、日帰りは無理と判断、宿を探しだす。

しかし、一月半前では会場から歩いて戻れる便利な宿はすべていっぱい。こりゃ困ったと、もう少し範囲をひろげてみたところ、“彩の森カントリークラブ”の“秩父夜祭り限定素泊まり宿泊プラン”を発見。ツインキングルーム・朝食付きで25,960円(2人)とちょっと高めだが、ネットですぐ申込む。


問題はその場所が西武秩父駅から車で30分ということ。そこで、最悪、当日は車で秩父へゆき、会場の駐車場へ置いて、祭りの終了後にクラブハウスまで夜道を運転してゆくしかないとの結論に達する。


翌日、クラブハウスへ電話を入れ、会場からのタクシー移動等を相談するも、当日の夜が何時になるか、翌日の行動などを考えるとやはりマイカーでゆくほうが確実で安全と判断。しかもクラブハウスのチェックインは午前零時を過ぎても問題ないとのことで、少々、宿まで遠いものの夜祭を堪能するには仕様がないということで、車利用に決定。

観覧席入場券

そして、難関の桟敷席二席が当選との連絡が111日のメールにて届く。斯様にして秩父夜祭観覧計画はドタバタのうちに進んでいった。


12月3日。秩父夜祭の当日である。


駐車場の確保のため午前6時半に車で自宅を出立。途中、トイレ休憩などとったものの、秩父夜祭会場に用意された“南小グランウンド”へは8時50分には到着、気抜けするほどにガラガラのグラウンドに駐車完了。


午前8時52分の南小駐車場、ガラガラでした

臨時駐車場の南小グラウンド


ただ、日帰りの秩父夜祭観覧であれば、西武池袋線の特急レッドアロー号など鉄道の利用が便利である。西武池袋線が夜祭にあわせ臨時便を増発している。

さて、秩父夜祭とは何かであるが、第10代崇神天皇(紀:BC97-BC30)の御代に創祀された古社・秩父神社の例大祭にあわせて催される“付けまつり”であるという。


例大祭そのものは太古の昔まで遡ることになるが、この夜祭も江戸寛文年間(1661-72)、今から350年ほど前にはじめられたという長い歴史を有するものである。


例大祭当日の12月3日には、市街地に2基の笠鉾(中近町・下郷町)と4基(宮地町・上町・中町・本町)の屋台が繰出し、賑々しく曳き廻される。

本町屋台前方から
屋台芝居の年当番の本町屋台


その屋台はただ曳行されるのではなく、秩父神社境内において年当番の町(2014年本町)によって興行される“屋台芝居”や曳行中の屋台上での屋台囃子や屋台踊りといった伝統芸能を演じる動く舞台ともなる。

本町屋台芝居の舞台造り   本町屋台の舞台出来上り
本町屋台が一部解体され、両脇に翼を広げるように床を延ばし舞台が完成

これらは、「秩父祭の屋台行事と神楽」として、昭和54(1979)年2月3日、国の重要無形民俗文化財に指定された。


日中は町中をそぞろ歩きながら、屋台曳行や催しを楽しむことになる。

そして秩父の町が宵闇に覆われる午後7時、例大祭の本義である御神行(ごしんこう)が花園の御旅所へ向け
秩父神社を出立する。

その御神幸の行列を盛大にお迎えするのが、羊山公園で午後7時半から打ち上げられる豪壮華麗な花火の数々である。


そして、午後8時頃から御神幸の行列の後に続き6台の笠鉾や屋台が御旅所前の広場へと集結し始め、秩父の夜祭は佳境へと入ってゆくのである。

ここでは、そうした秩父の夜祭の模様を当日の朝から昼、夜と順を追って、レポートすることにする。

さて、われわれはガラガラの南小駐車場へ車を置いてから歩いて、まずは徒歩数分ほどの西武秩父駅へ向かった。

駅前に観光情報館があったので、そこで曳行のルートなど秩父夜祭のパンフレットを入手した。

西武秩父駅 西武秩父駅前の観光情報館
西武秩父駅            観光情報館

そこから歩いても10数分の距離なのだが、タクシーで秩父神社最寄りの秩父鉄道・秩父駅へ。

秩父鉄道・秩父駅
秩父鉄道・秩父駅

そこから歩いて秩父神社大鳥居前に9時半頃に到着。まだ人出がすごいというというほどではないが、境内から心躍るお囃子の音や祭りの喧噪が聴こえて来る。

例大祭当日の大鳥居


境内に入ると、やはり当り前だが人出は多い。屋台が二基見えた。

午前9時34分の境内  午前9時39分・秩父神社境内・中近笠鉾と本町屋台


ひとつが本町屋台である。境内において興行する屋台芝居の当番町である。

本町屋台

もうひとつが中近笠鉾である。

中近笠鉾


その豪華な彫物を見上げながら、まずは秩父神社へお参りせねばと、拝殿へ向かう。

屋台の集まる広い境内から階段を昇り、神門を抜けると、参詣客はパラパラである。

入ってすぐ右手に当夜御旅所へ御幸される御神輿が置かれていた。ラッキー!!

秩父神社御神輿


まずは拝殿にて落ち着いて参拝と、例大祭の準備の整う参道を歩む。

秩父神社・拝殿

お賽銭をあげ、二礼二拍手一礼。

拝殿を南東より  拝殿内

そして、東側からぐるりと社殿を一周する。

拝殿、本殿ともに見事な彫物が壁を覆い、その豪華さにちょっと驚く。

拝殿・東側  本殿・東側
拝殿・東側               本殿・東側


本殿東側の妻入り上部に、左甚五郎の作と云われる鎖で繋ぎ止められた“つなぎの龍”が見える。

左甚五郎作・つなぎの龍


本殿裏の天神地祇社には、この夜の御神行に同行する各町の供物籠が並んでいる。

天神地祇社に並ぶ各町の御供物台


本殿西側には素晴らしい彫刻が彫られている。

本殿・西側


こちらは、日光陽明門の“見ざる言わざる聞かざる”と異なり、“よく見、よく聞いて、よく話そう”という“お元気三猿”が愛嬌たっぷりに参拝客を迎えている。

お元気三猿


西側にもうひとつ変わった銀杏の樹がある。乳銀杏という変種で、澱粉が乳のように枝から垂れ下がる様は一
見の価値あり。

乳銀杏  乳銀杏の枝から垂れる乳(澱粉)


それから境内を出ようとしたところ、神楽殿で“神代神楽”が奉奏されていた。この神代神楽も現在三十五座あるのだそうだが、この日は朝から一日かけて12演目が奉納される。

その時刻はちょうど、“八握の劔”に続き、“御神前二本榊の舞”が踊られていた。


神代神楽・御神前二本榊の舞
 
神代神楽奉奏・八握の劔  


そして、秩父神社を出て、いよいよ屋台が曳行されている町中へ出た。

最初に本町交差点へ向かった。すると、上町屋台にぶつかる。

本町交差点で上町屋台に出会う


交差点で、高さ6・7m、重さ13トンもの屋台の方向転換を見学できた。いわゆる“ギリ廻し”というものである。

上町屋台のギリ廻し


迫力満点である。こうして朝から歩き回り、さすがにお腹も減ってきたということで、朝の観覧はここまでと最寄りのジョナサンへ入って、腹ごしらえをすることとした。



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