彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

京都グルメ

2016年9月、倦怠期に木屋町通りの「割烹やました」のランチは格別!

(当ブログの写真・記事等一切の転用を禁じます)

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ(2014.8.13)
2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ(2013.7.1)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)


割烹やました地図
割烹・やました

久しく、「割烹やました」をアップしていない。昨年の七夕の日に訪ねて以来、一年二か月ぶりの「やました」である。

1・押小路橋から割烹やましたを 2015年七夕の日
押小路橋から”やました”を(2015.7.7撮影)
今回は、初めて割烹やましたにお昼時に伺った。というのも、今回は帰京途中に京都で下車、今年、訪ねられていない「やました」にご挨拶をという主旨で立ち寄ったもの。

 

そして、「やました」でランチだけというのも気が引けたので、現在開催中の特別公開で目ぼしいところを訪ねようと足を向けたのが聖護院であった。

2・聖護院門跡山門と特別公開立看板
聖護院門跡の特別公開
その次第の聖護院特別公開については本家西尾八ッ橋本店の紹介の際に少し触れておいたので、ここでは省略する。

 

さて、「やました」との付き合いももう十数年になるが、お昼に伺ったのはなんと今回が初めてである。

この日は12時45分頃に店に到着。昼は2時迄の営業ということでそうのんびりとはできぬと早速に暖簾をくぐると、芹生君がいつもの大将の位置にいたのには、少々、驚いた。

3・芹生君、様になってます
芹生君、様になっている
と同時に、時間も遅めのお昼ということでお客さんもピークは過ぎたのだろう二組いらっしゃるのみで、夜の部のあの熱気を帯びた賑わいがないのにもちょっと戸惑いを覚えた。

 

板場のなかも見知らぬ新人二人が入り、二名増えて6人(大将を入れて)体制になっていた。新顔は熊谷君と竹田君、竹田君にいたってはまだひと月とのこと。胸元の名札がなんとも初々しい。

4・頑張れ、若者(左から熊谷・竹田両君)
やましたのニューフェース頑張る 左から熊谷君・竹田君
また、先輩の
部谷君が当日は焼き方に回っていた。みんなそれぞれが一流の板前への階段を一歩一歩、着実に昇っていっているのだと感じた光景である。

5・焼き方に配された部谷君
焼き方、頑張る部谷君
その部谷君をやさしく指導しているのが料理長の安達さん。安達さんとはこれまでなかなかゆっくり話をする機会がなかったが、その意味では「やました」の板前さんと心置きなく会話を交わしながら食事を楽しむには夜よりもお昼のほうが良いことをこの度知った。

6・安達春徳さん
苦み走ったいい漢、安達さん
ここ2、3年、「やました」の板場は戦場のようで少し離れた板前に話しかけるのもままならぬほどの盛況ぶり。最近では「やました」の評判は日本だけでなくネット検索で訪ねてくる外人観光客も増えるなど、すでにインターナショナルな存在である。

 

昨年もわれわれの隣はオーストラリアから初めて日本にやってきたご夫婦であったし、二年前も中国から一人でやってきた若い女性が大将の前に陣取るなど京都の料理屋もなるほど国際化の波に洗われているのだと感じたところであった。

 

そんななかで奮闘する安達さん。一見、こわもてで話しづらかったのだが、実際はずいぶんやさしい人物であることがこの日、分かった。名前は春徳と書いて、かずのりと読むのだそうで、「春日大社の“かず”ですというと、みなさん、あぁ」と納得してくれるのだと、強面から笑みをこぼし説明する姿はまさに板場の好漢と呼ぶのがふさわしい。

 

当日は山下の大将は不在とのことで挨拶ができずに残念であったが骨折した足の具合はもう大丈夫でゴルフも普通にされておられるとのことでまずは安心。下の写真は昨年の7月7日、七夕の節句に伺った時のものだが、スマフォを話題に楽しそうないつもの大将の写真をご挨拶代わりに掲載しておく。

19・スマフォで何を語る大将
スマフ片手に分からねぇなぁ・・・(2015.7.7撮影)
さて、「やました」のお昼はコースが主体であるようだが、当方、今年初めての「やました」である。いつも通りに旬のものを中心に好きなものをいただくこととした。いよいよ料理のスタート。手際よくいつも通りに先付が目の前に差し出された。

8・先付け
先付け
わたしはお昼であるにもかかわらずパブロフの犬よろしく流れ作業のように、「いつもの“桃の滴”を」と条件反射的に口走ってしまう。

9・桃のしずく
昼から桃の滴・・・
そして、家内と芹生君に念押しをするかのように、「二合だけでいい。今日は料理主体」と訊かれもせぬのに言い訳めいたことをいう。

 

そこで当日の料理は以下のごとくである。夜の部よりもバランスのとれたものとなったが、要は家内主導の注文となったということで多様な皿をたのしめることになった。

 

その当日のインパクトある一品は何といっても、鱧の薄造りである。

10・鱧の薄造り
初めていただく鱧の薄造り
一番脂の乗った秋鱧である。旨くないはずはないと、二重否定でほめるほどに絶品である。いつもいただく鱧の炙りも好みのひと品だが、こうして薄造りにした鱧を豪快に三切れほどひとつまみにして口に放り込むのも新たなる鱧食の悟りである。添えた酢橘は鱧にかけると身が白くなるので三杯酢ののぞきに滴らす方がよいというのでそうした。料理の見栄えは食の基本である、なるほどと納得した次第。


そして、グジ(甘鯛)もいつもは刺身でいただくところだが、鱧の薄造りをいただいたので、から揚げにしてもらった。

11・甘鯛のから揚げ
目先が変わる甘鯛のから揚げ
これもプリプリでおいしい。さらに、から揚げのおまけというのも変だが、グジの兜焼きがあとで出てきた。
と、思ったらのどぐろの塩焼きを頼んでいたのを思い出した。そういえば、「やはり、脂がのっておいしい」なんて会話しながら、身をほぐしては口に運んだっけ。芹生君、失礼!身の方の写真を失念。

12・甘鯛の兜焼き
のどぐろの塩焼き
これまたほっこりとして、さすが食材を吟味した“やました”の一品と報告しておこう。。

 

次に野菜の焚き合わせを頼むが、大ぶりの栗をトッピングして季節感を演出、湯葉や麩を添えて京都をアレンジした小品である。

13・野菜の焚き合わせ(穴子・小芋・栗・麩・湯葉)
京の季節感を味わう炊き合わせ
帆立と海老のしんじょうが目の前に。

14・蒸し物・ホタテとエビのしんじょう
しんじょう
これまたしっかりとした口触り。帆立など貝類大好きな家内の注文である。

そして、湯葉巻き。

15・湯葉巻き
見た目ですでにおいしい湯葉巻き
もちろんおいしかったが、この詰め物はそのとき訊いたはずだが、忘れてしまった。
16・湯葉巻きの詰め物
何はともあれ、何事もおいしければよい。

 

ほかに、皿の合間にちょちょっとサービスで出てくる“アテ”が何とも言えずうれしい。やましたならではの夜、もとい、ランチである。この椎茸、生椎茸をやましたで一週間ほど乾燥させてから戻すのだそうで、実はこれだけで十分に酒のアテにもなる手間をかけた一品で、ご飯のお伴にもなる優れものであった。

17・やましたで生から乾燥させて戻した肉厚な椎茸
アテに最高
また、このから揚げも鱧の皮であったか骨であったか? はたまたグジの始末の料理であったか失念したが、いつもながらのうれしい「やました」のサプライズであった。

18・つまみ
初めて経験した「やました」のランチ。そして、久しぶりに堪能したゆったりした「やました」の時間。

 

実のところ、「やました」での滞在時間はいつも他のお客よりずっと長っ尻である。これまで幾たびも看板後まで居続け、大将と語り合う時間がとれたものである。だが、ここ数年であろうか「やました」の名声が高まるにつれ、そうした独り占めの贅沢な時間に恵まれることがほとんどなくなってしまった。

楽しかったね
花島さんがいた2013年1月の板場
「やました」の評判が高まりいちフアンとしては大いに鼻を高くする反面、大将とサシで語り合う機会がめっきり減った一抹の寂しさがある。贔屓の客としては複雑な心境にあったことも正直なところである。

 

そんな矢先に初めてランチに訪れ、じっくり料理に舌鼓を打ち、心置きない板場との交流を深め、以前から流れていたのだというシャレた洋楽のBGMに耳を傾ける「やました」での粋なひと時。新鮮な発見、やましたを知ったころの初心に戻ったような貴重な一日であった。

 

この気持ちを表わすのに例えはちょっと適切ではないが、倦怠期にある夫婦が相手の本来持っている良さ、昔、好きだった長所を再発見、思い起こし、絆をより強くする。そういった感覚、心もちをよみがえらせてくれた2016年の「割烹やました」の格別のランチであった。



霊験あらたかなる あぶり餅・一文字屋(別称 一和)=旅人の見た京都のお菓子

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)
京都市北区紫野今宮町69番地  ☎ 492−6852


あぶり餅が食べたくて今宮神社へ参拝した。

1・今宮神社拝殿に一和とかざり屋の提灯
今宮神社拝殿に献灯された”かざり屋”と”一和”の提灯

もとい、今宮神社は疫病除けのやすらい人形の奉納ができるし、この近くで生まれた徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院(通称、お玉)にあやかり玉の輿にのれるというご利益も盛んな霊験あらたかなる神社なのであった。

0・疫病除けの人形を奉納
今宮神社の自分の名前を書き奉納する”やすらい人形(ひとがた)”

そんな今宮神社へ参拝したご褒美にあぶり餅の“一文字屋和輔”こと“一和”に立ち寄った。

2・右に一文字屋 左 かざり屋
右が”一文字屋” 左が”かざり屋” 奥に今宮神社東門

当店でいただいた略伝によれば、

3・一文字屋
一文字屋の略伝表紙

一条天皇(在位 寛和2年−寛弘8年)の御代に疫病が蔓延。正歴5年(西暦994年)、今宮神社で御霊会を執り行うとひと時おさまったものの、長保2年(西暦1000年)に再び流行。そこで、今度は“やすらい祭”を当社で行なうと疫病がたちまち終息したという。

4・一文字屋略傳
阿ぶり餅の由来

その“やすらい祭“で神前に供えたられたものが、当寺、香隆寺(現在の上品蓮台寺)の名物である“おかちん(阿ぶり餅)”で、初代一文字屋和助が作り、今宮神社の神前に供えたのが、この一文字屋のあぶり餅の始まりであると伝えられている。

5・上品蓮台寺(香隆寺)
京の三大風葬地のひとつ蓮台野にある上品蓮台寺(昔の香隆寺)

都人は疫病を避けようと当社のご利益を求め、こぞって今宮神社へ参詣すると、そのあぶり餅を持ち帰り、家人に分与し疫病を逃れたのだという。

その後、千利休がこの餅を茶菓がわりに用い、爾来、千家の御用達となっているとのこと。

6・一文字・あぶり餅
炭火で焼かれた一文字屋のあぶり餅

そんな所縁を訊くとこのあぶり餅、たかが餅というのも畏れ多い千年の物語をもった何ともゆかしいお菓子なのである。

そのあぶり餅、疫病除けの御利益以外に、俗姓をお玉と呼ばれた桂昌院にあやかり玉のような餅を食べるとお玉(桂昌院)のように玉の輿にのれるご利益があるとのことで、とくに若い女性の間で人気がうなぎ上りになったとか。

00・お玉の井を横から
今宮神社境内に桂昌院から寄進された”お玉の井”が現存

そのご利益は、参道を挟んで店を構える“かざり屋”さんでもあぶり餅をいただけるので、どちらの店が御利益があるか試してみられるのも一興。

7・あぶり餅 かざりや
こちらは創業四百年のかざり屋

その“かざり屋”は創業は四百年前の寛永14年(1637年)にさかのぼるこれまた古い、ふる〜いお店である。

かざり屋・財規への玄関
かざり屋の座敷への玄関

この度、われわれが訪ねた“一文字屋”さんこと“一和”さんが、源氏物語が書き起こされた時代に産声を上げたという“初代一文字屋和助”のお店であった。

8・一文字屋・いち和の暖簾
創業千年の一文字屋こと一和の暖簾

わたしは10年ほど前に、参道をはさんで店を構える“かざり屋”さんでこのあぶり餅をいただいたが、家内は今を去ること四十年ほど前、花も恥じらうお年頃にこの一文字屋さんでいただいたのだという。

9・奥に座敷 手前は今も使用する井戸
一文字屋の奥に座敷席 手前は現在も使用される創業時からの井戸

巷間、「一文字屋さんとかざり屋さん、どっちがおいしい?」、「わたしはかざり屋」、「いやわたしは一文字屋」とかいうやり取りが結構、交わされているようだが、これはその人の好みですなというしかない。


わたしが10年前に食べたかざり屋の味と今回の一文字屋(いち和)の味を10年越しに比較するのもはなはだ非科学的なことは承知の上で申し上げるが、白味噌の甘みが勝っている一文字屋の方が今のわたしはおいしいと感じた。

10・甘い白味噌が香ばしいあぶり餅
甘い白味噌だれがおいしい

ただ、両店の味は一子相伝のものといわれているので、味が一応、不変であると仮定すると、この10年余で甘いものに異様な執着心をよせるようになったわたしが変わってしまい、甘みが少し強い一文字がおいしいと感じたということであろう。

11・今宮神社東門前に二軒のあぶり餅屋
参道をはさみ一文字屋(右)とかざり屋

京都通、あぶり餅通の友人にご意見をたまわると言下に、「エッ? かざり屋がおいしいでしょう」とのたまう。

家内は40余年前との比較のこととて、「どっちもおいしいんじゃない」と、大人の対応。

12・今宮神社出てすぐ
今宮神社東門から一文字屋とかざり屋を

まぁ、紫野今宮神社名物の阿ぶり餅、神社参詣の折には是非、立ち寄られたらいかがでしょうか。

13・右の石灯篭の先に一文字
今宮神社参道に一文字屋、かざり屋はある

一文字屋、かざり屋ともに一人前五百円で、値段は同じです。あぶり餅のハシゴをして、「わたし、やっぱり、かざり屋」、「一文字屋のあぶりは香ばしくって、超ウマ!」なんて、ちょっと京都通ぶってみるのもどうですか。


祇園祭の夜、美山荘若女将ご贔屓の“リストランテ キメラ”でディナー

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泊ってみたい宿=摘み草料理の美山荘(2013.10.23)

東山区祇園町南側504 電話:075-525-4466


祇園祭の後祭を楽しんだ翌日、八坂神社の南楼門から100m、料亭「祇園畑中」に隣接するイタリアン 「リストランテ キメラ(CHIMERA」を初めて訪ねた。

1・八坂神社・南楼門と鳥居  2・祇園畑中の隣にキメラ
八坂神社南楼門と鳥居          祇園畑中とキメラ看板

美山荘の若女将に以前、ここで結婚記念日に食事をしてとてもよかったと教えられていた。

3・母屋へ入る若女将
美山荘母屋と若女将

京料理もよいが、たまには違った料理もと、今回は、家内がこのキメラを提案した。

思い立ったが吉日と6月の頭に電話を入れたが、予約はひと月前からということで、6月の末にリザーブし直して伺った。

4・祇園祭のキメラ
イタリアン・キメラ玄関にも祇園祭のお神酒貼付が

当夜は一万円のコースをお願いしていたが、料理の内容は当然として、食事の間中サーブされたスタッフの対応も、実は最後にお名刺をいただき支配人の小池聡貴氏であったのだが、申し分ないもので、一見の客であるにも関わらず細々とした当方の質問にも丁寧に答えて下さり、二人とも大満足の夜を過ごすことができた。

5・テーブル・セッティング
キメラのテーブルセッティング

なるほど美山荘の若女将ご贔屓のお店だけはあると感心したものである。

6・店内  7・畑中の楓を借景にした店内
二階店内のテーブル             窓外は祇園畑中の楓を借景

それでは料理の紹介に入っていこう。ディナーの内容は写真を見ていただけると、その味も伝わってくるのではないかと思う。


使用される器もそれぞれこだわりをもったもので、料理にかなったなかなかに客の目を楽しませてくれる味わい深いものであった。

8・おしゃれなインテリア  9・店内の様子
インテリアもシンプル             二階の様子

また、料理のサーブ、ワインのサーブも非常にスマートで、われわれは食事がスタートしてものの10分もしたころには、キメラの常連客のような気分で口にナイフを運び、ワインを喉に流し込んでいた。

10・本日のワイン 重めのものを頼みました     11・すぐれもののナイフ&フォーク
重めの赤ワインを注文             凝ったナイフとフォーク

料理の内容は次の通りだが、初めてみる食材もあって、根掘り葉掘り問いただすなど、まぁ、退屈しないとてもおしゃれな時間を過ごした。


スターターがなんと三つに輪切りにされた鮎を盛りつけた鮎のコンフィ。

12・鮎が立つコンフィ
鮎のコンフィ 鮎が立つ・・・

おどり串を打たれた鮎の塩焼きになれたわたしどもにキメラのこのプレゼンテーションは目新しく、また、小骨の多い鮎のコンフィという調理法も骨ごと食べられるなど目新しさ満点の一品である。


オードブルも多彩で楽しい。オマールエビやトウモロコシのジェラート、生ハム。

13・オードブル
真中にトウモロコシのジェラート 玉蜀黍の葉が印象的

生ハムがおいしいというと、「本日の生ハムはこれですよ」とテーブルにその塊を持ってきて目でも楽しませてくれる。

14・本日の生ハム
迫力の生ハム

そして、次なるものが初めて食べる逸品である。イタリアのキノコの王様といわれる“ポルチーニ”と温度卵、芽キャベツにキノコから作り出した泡(フォンデュ・ソースというのだそうだ)をトッピングしたすぐれもの。

15・泡はキノコ・ポルチーニ
これでも結構なボリュームです

周りを囲んでいるのが“ポルチーニ”なるキノコである。一見、お肉のように見えた。キャベツのなかにとろりとした温度卵が隠れている。(下の写真、クリックで拡大)

16・泡はキノコのフォンデュソース  17・中身は温泉卵
この泡を見てください             中は温度卵です

そして、ポルチーニって、どんな茸なのと訊いたところ、早速、お持ちいただいたのが次なる写真。

18・イタリアのキノコの王様”ポルチーニ”
キノコの王様、ポルチーニ

なるほど松茸ではないが、果肉が分厚く、いかにもおいしそう。


続いてパスタが二種類サーブされるが、事前に量の確認がされた。そこで、われわれは当然、少な目でよいと頼む。実際に家内はその少量のパスタも失礼して少し残すこととなった。


一品目がバジリコ味のパスタに京の夏を代表する食材・炙り活鱧と九条葱をあしらい、イタリアの唐墨(からすみ)をすりおろし漆黒の容器に粉雪のように舞わせる。

19・鱧をあしらったバジリジョコ味のパスタ
この色彩・・・パスタ料理です

その様はその色彩効果は秀逸で一幅の絵画を見るようでもある。料理とは味のみにあらず、色彩、器、料理への寸言など総体的な芸術であることをまさに実感、視感したひと時である。

20・炙り鱧にパスタ
抜かりなく鱧の炙りがのっています

二品目がバジリコ豚のベーコンをトッピングしたトランペットキノコ入りのチーズパスタである。

21・イベリコ豚のベーコン とトランペットキノコ チーズパスタ
ガラスの器に盛られたパスタ

二品目はテーブル脇でガラスの器へ取り分けしてくれるが、このパフォーマンスもなかなか見物で、大切な人とのディナーの雰囲気を盛り上げるのには最高であった。

22・パフォーマンスで火がつけられたのですが・・・
この前に火があがるパフォーマンスが・・・

写真は実はタイミングが遅れてしまい、チーズから火があがった一瞬をとらえることができず何の変哲もないものとなった。

23・スマフォとチーズ
チーズの真中にパスタが スマフォの大きさと比較してみて

鮮やかな手さばきを披露された小池さんにはまことに申し訳ない次第とあいなった。家内に冷やかされることといったら・・・。でも、このチーズの器?大きかった。スマフォを横に置いて、ちょっと大きさを表現しました。


そんな笑いのなかでディナーもいよいよメイン料理に。


鴨肉のローストである。亀岡で飼育されたスコットランド種の鴨ということであった。

24・メイン料理・鴨のロースト
本日のメイン 鴨のロースト

鴨の上に森永のキャラメルのように乗っているのが、フォアグラである。まぁ、なんとも贅沢な。南瓜のスライスが添えられているが、これ、“鈴かぼちゃ”というのだそうだ。生のままで食べるので、サクッとした食感でなるほど夏向きの食材である。

25・ディナーも残り少なに
そろそろディナーも終わりです・・・

ディナーもさて、残り少なに、デザートへと到着。

わたしがココナツミルクにマンゴとパッションフルーツ。

26・マンゴ・パッションフルーツ・ココナツミルク
捻じれた容器なので、ひねって映しました

家内はオーソドックスにマスカットにバニラアイスとラズベリーシャーベット。

27・デザート
いたってオーソドックス

これでようやく終了と思いきや、とどめのデザートがサプライズで供された。次なる写真である。

28・とどめのデザート
これって、正直、ビックリ おいしかった

いやはや、プリティー・・・な〆である。


旅人にとって、祇園祭に京料理ももちろんよいが、八坂神社の隣にあるキメラでイタリアンというのもこれはこれで祇園祭の趣もあった。このキメラ、一階にはグランドピアノが置かれ、ミニコンサートも開催されている。

29・一階ではプチコンサートも
コンサート聴いてみたい

また、その横にはウォークイン・ワインセラーがドンと構えており、エントランスからして洛外の夷人はある意味、窮屈でもある京都らしさから開放される。

30・1階にあるウォークイン・ワインセラー
りっぱなワインセラーです

祇園祭の夜、RISTORANTE ITALIANO CHIMERA キメラで過ごした時間、

ほんによろしゅうおしたへ。いちど、おたずねやす・・・


なお、今後、当ブログの写真の無断転用を禁じます。最近、マナー違反のブロガーが多いため無粋な注意書きをせざるを得ない状況となりました。


 



 



 


 




 


 



 


松花堂ゆかりの地・石清水八幡宮を参詣し、松花堂弁当を食べた=吉兆・松花堂店

京都府八幡市八幡女郎花43 

075−971−3311


最近は随分とポピュラーとなってしまったが、昔はちょっとしたお店でお昼をとる際に、松花堂弁当といえばお洒落で少々高級感の響きをもったお弁当であった。

1・吉兆・松花堂
モダンな吉兆・松花堂店

その松花堂弁当ゆかりの地が京都の南部に位置する八幡市に鎮座する石清水八幡宮である。

0・雨の石清水八幡宮
雨中の石清水八幡宮参詣でした

この7月に八幡宮を参拝した折りに、話のタネにとこの食いしん坊夫婦はタクシーを駆って吉兆・松花堂店へ向かった。

2・松花堂入口
吉兆・松花堂店玄関

吉兆の松花堂店は京阪電鉄八幡市駅からはタクシーで10分弱のところに位置する。

10・八幡市駅タクシー乗り場
京阪八幡市駅前のタクシー乗り場

そこで、なぜ、松花堂弁当が吉兆なのかということだが、答えは簡単で、吉兆の創業者湯木貞一が考案したものであるからである。


石清水八幡宮にあった瀧本坊の住持であった昭乗(俗名 中沼式部)は寛永の三筆(近衛信伊・本阿弥光悦)の一人に挙げられるほどの文化人で書や絵画、茶の湯にとくに秀でていた。55歳の折、瀧本坊の焼失を期に、現在、石清水八幡宮境内に跡地が残る松花堂と名付けた方丈で隠居生活に入る。


その昭乗が農家で種入れとして使われていた箱の内部を十字に区切った四つ切り箱の意匠に興趣を覚え、同様式の箱を茶会において煙草盆や絵の具箱として使用していたという。


それから時代が遠く下がった昭和8年、松花堂昭乗の旧跡での茶会で部屋の片隅に置かれた四つ切箱に目を留めたのが吉兆の創業者の湯木貞一である。その四つ切箱を茶懐石の点心などを盛りつける器にしたのが好評を得て、以降、松花堂弁当という形式になっていったというのだそうだ。

9・四つ切箱
十字に区切られています

その所縁の地でいただく松花堂弁当。小奇麗な店内には筝曲が流れ、雰囲気もよい。

4・店内

もちろん、即行で松花堂弁当を注文。お値段は4000円とお弁当にしては高いが、これも話のタネの値段の内。

3・メニュー

そして、早速、運ばれてきたのがこの真正・松花堂弁当である。

5・真正・松花堂弁当

蓋を開けると、彩りも鮮やかなお弁当である。味は上品で申し分ない。

お弁当にはそのほかに椀物とご飯、香の物がつく。

7・椀物

そして、デザートと流れるようにサービスされて、実に気分は良い。

8・デザート

二人とも完食で、御馳走様でした〜!!


当日は雨が降ったり止んだりのあいにくの天気であったためレストランから一部を眺めるのみで散策はあきらめたが、茶室などが点在する広い日本庭園や美術館を鑑賞できるのも、松花堂店の楽しみである。


そして、今度はどなたかが八幡様を拝んだら必ず立ち寄ると書いておられた、八幡市駅前にある朝日屋さんで棒寿司とおでんをたべてみたいと、この食いしん坊はさらにその食い意地を両サイドに目一杯、張らせるのでありました。



 

 

 

 

 

 

京の奥座敷、貴船で川床料理を楽しんだ=貴船の料理旅館・ひろや

貴船神社の七夕祭りのライトアップを鑑賞するついでに、貴船の料理旅館“ひろや”で川床料理を堪能した。

ひろや全貌
ひろや全貌・左手の赤い幟、貴船神社総本宮

ひと月前に予約を入れたが、七夕の頃の京都はまだ梅雨開け前であろうとたくさんある貴船の川床でも料理のおいしいところをと思い“ひろや”にした。


というのも、雨が降った場合は川床ではなく部屋食となるため、生憎の時のため、せめて料理のおいしいところを考えた次第。翌日が7月7日の貴船神社の大切な例祭”水まつり”であったが、裏千家による献茶のあとの茶席の本席は常に”ひろや”の大座敷で行われるとの由。実際に貴船神社の鳥居前にその旨、案内が記載されていた。

茶席本席はひろや

その深慮遠謀は幸か不幸か見事に当たってしまい、当日の空は雨模様。奥宮と結社(中宮)の参拝を終えた3時過ぎに雨が降り出し、少し雨脚が強まってくる。

貴船神社・奥宮
貴船神社奥宮

幸いに貴船神社総本宮は“ひろや”の真ん前。折り畳み傘一本だったわたしたちはそこで大きな傘をお借りし、総本宮はまったく濡れることなく参拝できた。ひろやの予約は5時であったが、早めの4時前に入店。

ひろや玄関
ひろや 玄関

やはり雨のため、残念だが部屋で食事とのことで、座敷へ案内される。畳部屋であるが、最近増えてきたテーブル席であった。部屋から川床が見おろせる。

部屋から見える川床

仲居さんが「雨が上がれば、途中からでも川床へ移動しますが」との有り難いお言葉。


料理は八寸からはじまる。

八寸

夏の趣向を凝らした料理には、お〜っ!と歓声が上がるほど。

若鮎が貴船の渓流に游ぶかのように塩で川の流れを描いた鮎の塩焼きは箸をつけるのがおしいほどの出来栄えである。

鮎の塩焼き
若鮎、渓流に游ぶ

味はもちろん、焼きも頭からかぶりつけもの、なかなかであった。

夏の趣向

天然氷でしつらえた器に盛られた刺身も、涼感を誘い、目も喜ばすなかなかなエンターテイメントであった。

氷の器に盛られたお刺身

そんなこんな、煮物、椀物などをいただいた食事も後半に、雨が上がり川床の用意が成ったということで、川床へと移動した。

ひろや 川床

川床の席へ座ると瀬音が耳を聾すほどで、自然の中に身を置いて食事をいただいているという実感は120%、爽快感も急上昇!!

川床料理

そこで、残りの食事の天麩羅などをいただきながら、熱燗の日本酒を一献。7月というのに雨あがりの天気ということもあり、肌寒かく感じたのである。


陽も落ちて提灯に灯も燈ると、川床の風情もまた一段と興趣を枡。お客がチラホラと集まって来て、賑やかな談笑が始まっている。

川床に灯が燈る

しかし、耳に届くのは川音のみで、お客の満面の笑顔が目に入るのみである。




食事を終えてからは、仄かに暗くなった貴船神社境内でライトアップされた笹飾りを鑑賞した。

貴船神社笹飾り
幻想的な貴船神社の笹飾り

その後、“ひろや”の車で貴船口まで送っていただいた。


京の奥座敷、貴船の七夕の日、貴船神社をゆっくりと逍遥し、川床料理を堪能しつくした充実した一日であった。



 

人情味熱い不思議な京料理のお店 八坂神社前・“かじ正(かじしょう)”

流山の京料理“かねき”はホンモノの職人の味!!(2012.4.17)
餡子好きには堪らぬ、甘泉堂の“とりどりもなか”=旅人の見た京都のお菓子(2014.5.19)

東山区東大路通四条上ル祇園町北側300 ムーンビューティー祇園ビル3F

 ☎ 075−525−8211

午後5時から営業 定休日水曜日


9月の下旬、八坂神社西楼門のすぐ脇にある京料理・”かじ正”を訪れた。

1・八坂神社西楼門
この横断歩道を渡って左手徒歩1分のビルに”かじ正”

東大路通りを挟んで祇園花月会館の斜め前に位置するムーンビューティー祇園ビルという小さなビルの三階に”かじ正”はある。

2・ムーンビューティー祇園ビル  3・3階です
この小さなビルの三階に京料理”かじ正”がある

“かじ正”は、カウンター7席、小上り座敷6人のこじんまりしたお店である。

4・かじ正

ご主人である梶原孝徳氏は、京の老舗仕出し料理店(天保元年(1830)創業)・“菱岩(ひしいわ)”で10年間、修業をされていたという。


そして、梶原氏と奥様のお二人で切り盛りする家族的雰囲気のする温かなお店である。


このお店を知った契機は、ここで時折、修業をする篠宮氏の誘いであった。

同氏は京料理かねき(流山市流山5丁目194)の支店、西麻布の“かねき”(2013年8月閉店)の料理長をしていたが、かねてよりここに来てはいろいろと修業を重ねているという。


今回はちょうどひと月ほど“かじ正”にいるので、ついでがあったら訪ねてもらいたいと電話があった。


そこで、家内の実家・四国の高松へ向かう途中、京都に一泊だけの途中下車にて、かじ正に伺った。


ひと晩は篠宮さんが木屋町の“割烹やました”へ一度は行ってみたいというので案内をした都合で、“かじ正”はその翌日の17:00の開店と同時に入店、午後9時半の岡山行き新幹線に間に合うようにと少々、駆け足の訪問であった。


その為、私流のカウンター越しの会話の合間にトロトロと料理や日本酒を口へ運ぶというわけにもいかず、かなり失礼を”かじ正”にはしてしまった。次回は家内同伴のうえゆっくりと腰を落ち着けて“かじ正”を食べ尽すつもりである。


さて、そんな事情のなかでの当日の料理はおまかせであった。

後日、メニューを篠宮さんからメールで送っていただいたので、これを写真とともに次に記す。


八寸  このわた大根・合鴨ロース・蛸軟煮・落花生・銀杏コロッケ

5・八寸

造り  かつお・鯛・鱧焼霜

6・お造り(鰹・鯛・鱧焼霜)

焼物  子持ち鮎塩焼き

7・子持ち鮎の塩焼き

造り   鱧落とし(暖)

8・お造り・鱧落とし(暖)

焼物   焼き胡麻豆腐

9・焼胡麻豆腐

炊き合わせ  鰊(にしん)茄子

10・鰊(にしん)と茄子の炊合せ

さすが“菱岩”に長年、おられただけあり、食材の吟味、味つけ、気の利いた目先をちょっと変えた料理、ともに及第点である。


お造りが二点になっているのは、梶原さんと鱧談義になり、梶原さんのいう美味しい鱧調理の一品をいただいたものである。


わたしが鱧の湯引きの梅肉付けがどうも苦手で鱧は炙りが大好きだと言ったところ、「鱧落としの温かいのも自分は好きだ」と言われたので、急遽、料理していただいたわけである。


なるほど、身はプリンとしたまま上品な味つけの汁仕上げの一品であった。


時間の都合で、御料理も中途でお仕舞としてしまったが、こうして写真を選んでいるともう一泊してゆっくりと”かじ正”の夜を愉しむべきであったといま後悔しきりである。


こうした”かじ正”、どちらかといえばくっきりとした味付けは京料理の苦手な東京人にも受け入れやすいのではないかと感じたところである。また、自分の好み、我が儘も訊いていただけるようなそんな親しみ易さを感じさせたお店である。


また一店、訪ねたいお店ができてこれからの京都への旅の楽しみがふえたひと夜であった。


加えて、新幹線の乗車時刻が迫るなか、話題があの”とりどり最中”の”甘泉堂”(かじ正から至近)に及び、食いしん坊のこのワタシ、「まだ水羊羹はあるのだろうか、食べてみたいな」と、口走った。

11・甘泉堂店内

すると奥様は即座に甘泉堂さんへ「今から大丈夫ですか」と電話で確認を取ってくださり、梶原さんが走って買ってきてくださるというご夫婦の連携プレイ。

とんでもない自儘、不躾をお許しいただいた。


何せ、甘泉堂の水羊羹は季節限定のレアものである。当日、遅くに高松へ到着、夜食に早速、この甘泉堂の水羊羹をいただいた。梶原さん、ありがとうございました!!

12・甘泉堂・水羊羹
この水羊羹は癖になる!

こうした出来の悪いお客の勝手にまでご配慮というか心遣いをいただき、本当に、この”かじ正”、これから大切にしていきたいハートフルで人情味熱い不思議な京料理のお店である。


次回、じっくり伺った際に再度、詳しい”かじ正”のご案内をブログにアップすることにしたい。

あなたも癖になる、“松屋常盤”の“味噌松風”=旅人の見た京都のお菓子

中京区堺町通丸太町下ル橘町83 ☎ 075-231-2884



0・名刺

今回は、またまた“和生菓子特殊銘柄品・18品(昭和17年・京都府指定)“の一つである“味噌松風”にチャレンジした。


予約しないと売切れ御免のお菓子だと後に知ったが、そこは旅人の無知なる厚顔さで“味噌松風”を二箱購入した。本当にラッキーであったし、何ともおいしかった。


その“味噌松風”を製造販売する“松屋常盤”は、七卿落ちの舞台、京都御所堺町御門の前、堺町通りを70メートルほど下った右手にある。

1・堺町御門  2・松屋常盤から御所・堺町御門を
京都御所堺町御門            松屋常盤前から堺町御門

当日はタクシーで向かったのだが、運転手さんも地図片手にようやく控えめな看板を見つけて到着した。注意しないと見つけることが難しい何気ない看板である。

3・お店の看板がわかりづらい
控えめで目立たぬ看板

お店は通りより少し引っ込んで建つ三階建てビルの一階にある。

4・松屋常盤のビル店舗

その“松屋常盤”であるが、その創業は承応年間(1652−55)の後期、後光明天皇(在位1643-1654)から“御菓子大将山城大掾(だいじょう)”という官位を賜るほどに由緒正しき御菓子調進所である。


入口に白い麻暖簾がかかっているが、お店の説明書きによると後光明天皇から “禁裏御菓子司” の白暖簾を賜ったとある。

5・松屋常盤暖簾

その白い暖簾の中央に“大掾(だいじょう)”であったことを今に伝える“松屋山城”と黒抜きされているのがなぜかとても印象に残った。


さて、暖簾を分けて店へ入ったのだが、少々、戸惑った。六畳ほどの畳敷きの小上りがあるのみで、いわゆるショーケースなど商品の陳列物が一切ない。


ちょっと驚きを隠せぬわれわれの目の前には小荷物の荷造りか発送作業のようなことをされている奥さまがおひとり。


こざっぱりとしたあまりにも簡素な店内である。由緒のありそうな書が額に入っているが、それも何気なく掲げられている。

6・由緒があるに違いない書もさり気なく

それから松風と書かれた木額も・・・

7・松風の木額があまりにもさり気ない

すべてが自然体・・・な店内。

8・古い看板でしょうか

入って左手に古い木箱や菓子の木型が置かれているのが、ようやくここが菓子屋の老舗であることをうかがわせる。

9・菓子の木型や古式ゆかしいお重がならぶ

「すみません、ここで味噌松風を・・・」と小声で訊ねると、「松風ですね」と応えてくれた。ここで間違いないと胸中でつぶやく。まずはひと安心である。


そして、さらに驚いたのだが、何個入りですかとかカステラのような大きさ何号といった問いかけがない。


そして訊かれたのが、「おいくつですか」


日持ちが三日間と聞いていたので、そう多くも買えないので二箱と注文する。

「少々、お待ちください」と、奥さまが奥へ入る。その間に、快諾いただけた店内撮影を心置きなく行なう。


ひと箱はその夜、夕食をご一緒するご夫婦へのお土産、もうひとつが翌日東京へ戻るわれわれの分である。


小上りで清算しているときに、切手盆のような小さなお盆に目がいった。“松屋常盤”の長い歴史を感じさせられた一品である。お願いして、それも写真に撮らせていただいた。

10・歴史を感じるお盆

帰京後、早速に“味噌松風”をいただく。まず包装紙の闊達な書に興を覚える。中身が楽しみである。

11・包装

包装紙を除けると紙箱が出て来る。今度の書は見事な風格を見せる。

12・紙箱に達筆

松風が我が口に至るまでにも思わず不覚の嘆声をもらしてしまう。


そして、おもむろに箱の蓋を開ける・・・

13・紙箱の蓋をあけるといっぱいに松風
いやぁ〜嬉しくなるこのみっちり感・・・

紙箱の中に香ばしい焦げ色のついた“松風”が目一杯詰まっているではないか。


それもカステラを覆う油紙のような遮蔽物も一切なく、“松風”そのものがド〜ンと目に飛び込んで来る。何故だか嬉しくなるような、得した気分になるような、駄菓子屋でおまけをちょっと貰えた幼児の頃の気持ちに戻った気がしたのである。


とても懐かしくて甘酸っぱくなるような感覚を呼び起こす不思議な箱詰めである。


さて、そこからギッシリ詰まったこれをどうやって取り出すのか、家内と協議となった。そして、まず、包丁で一本分を縦に切って、箱の外へ取り出した。

14・大胆に切り取りました

その作業、見ているだけだが、形を崩さずに取り出すのは、結構、難しそう。それから、ひとり分ずつ切り分けて仲良く食べた。

15・味噌松風

カステラのように切り口がきれいにならぬのは、口にしてみてよくわかった。

モッちりとした歯ごたえがあった。これではスパッと切れぬはず。家内のせいでも包丁の切れ味のせいでもないので、一応、ここに付言しておく。


そして松風の説明書に書いてあったが、西京味噌に小麦粉を練り混ぜ、焼き上げた味は、はっきり言って“癖”になる。

16・紫野味噌松風説明書

味噌味というより、なんだろう・・・ちょっと辛くて甘い・・・そしてこんがり感・・・あぁ〜

この文章を書きながらイヤシン坊の口の中に唾が湧き出すのを止められない。


この“松風”・・・、これは“癖”になる菓子である。美味しい・・・うまい・・・また早く食べたい・・・


でも、京都まで行かぬと手には入らぬ。どうしたものかと、いま、思案中である。


そんな“松風”後でいろいろ調べてみたところ、どなたかのブログで拝見したのだが、手づかみで毟(むし)って豪快に食べるのが大好きという方がおられたが、今度、手に入れた際にはぜひ豪快にと考えている。その方が絶対においしいに決まっている。

17・紙箱にドカンと入っています

ということで、今回の“和生菓子特殊銘柄品18品”は、“松屋常盤”の“味噌松風”でした。


これで、18品目のうち半分の9品目となった。あと9品、全品踏破まで道は遠い。今後、さらなる研鑽に努めねばと決意を新たにしたところである。

2014年、祇園祭の“割烹やました”で、涼をもとめる=京都グルメ

2016年9月、倦怠期に木屋町通りの「割烹やました」のランチは格別!(2016.9.30)
2014年祇園祭・山鉾巡行前祭(さきまつり)に興じる(2014.7.21)
2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ
(2013.7.1)

中京区木屋町通二条下ル上樵木町491−3 ☎075−256−4506


7月17日、山鉾巡行が終了した夜、京都の知人ご夫妻と“割烹やました”で会食をした。

0・いつもながらいい笑顔です
いつもこの笑顔がたまらぬ山下茂氏

祇園祭の本義である神幸祭の神輿渡御が木屋町通りすなわち“やました”の前を通ることを知ったので、この日に“やました”を予約した。

1・舞殿に並ぶ三基の神輿
宵宮に八坂神社舞殿にならぶ三基の神輿

要は、“やました”の料理に舌鼓を打ちながら神輿渡御も観覧するといった一挙両得、ぜいたくな目論見を立てたというわけだ。


加えて一年半ぶりの再会となる旧知のご夫妻と積もる話も同時に楽しもうとイベント、テンコ盛りな“やました”の夜を計画したわけである。


6時の予約にあわせ押小路橋を歩いていると“やました”の前で祭りの出店を準備する大将の姿を認めた。

2・割烹やましたへ

え〜っ! やました”が出店屋台?と訝(いぶか)るわたし、つい、「大将! 商売熱心だねぇ」と声をかけた。

3・神輿渡御振舞い酒の準備をする大将

気づいた大将が何か言うがよく聞こえない。近づくと缶ビールやらペットボトル飲料を氷で冷やす仕度中である。


神輿を挙げる連の人たちへの差入だという。当方、冗談にせよ商売熱心だねなどと声をかけたことに、少々、赤面の態。


それと、“やました”へ通うのに一斗樽を積んだ高瀬舟が見えないのはちょっと情緒に欠けていた。

4・高瀬川に浮かぶ旧高瀬舟  5・高瀬舟のない高瀬川
左:旧高瀬舟(2008年撮影)  右:2013年、撤去されて何もない高瀬川

当日はまだ明るい高瀬川にひとまわり大きくなった高瀬舟が新調なって浮かんでいた。そこで一枚、写真を撮った。

6・0新調なった高瀬舟

高瀬舟が浮かぶ景色、京都情緒たっぷりのまことにいい雰囲気である。


さて、店内、いつものカウンター奥の席へ陣取った。

6・1先付
先付

早速、乾いた喉を潤すべく恵比寿ビールを注文、それから“桃の滴”の冷酒をいただく。

6・2冷えた桃の滴

料理の方は今回のサプライズは“鱧の洗い”と“冷やし肉”。


これまで“やました”の鱧と云えば“炙り”であった。もちろん、当夜も炙ってもらった。

7・真剣に鱧を炙る芹生君
鱧を炙る芹生君

ところが、芹生君が“鱧の洗い”はいかがですかとさらに問う。

8・活きの良い鱧を捌く芹生君
跳ねる鱧を捌く芹生君、頑張る!!

「エッ? 鱧の洗い」と問い返すと同時に「それもちょうだい」と即答する。まだまだ私も若い、すばらしいクイックリスポンス、条件反射能力であると妙なところで悦に入る。

9・鱧の洗い
これが鱧の洗いです

ともあれ、この洗いには正直、唸り声を上げた。この発想、仕上げにはアッパレというしかなかったのである。

あまりにも新鮮な食感! 炙り鱧にも、もちろん湯引きの鱧など遠く足元にもおよばぬ斬新なまさに炎暑に涼を呼び込む食感である。

10・鱧の洗い、これは新たな発見
お見事、この食感!!

常に食材の新たな調理法を追い求める“やました”の姿勢に恐れ入り、またまた惚れ直したところである。


次に“冷やし肉”なる、これまたこんなお肉の食べ方、初めてという代物。

実のところ男性陣は網焼きを頼んでいたのだが、お隣のご婦人方の前にならぶお肉に目がいった。

11・牛の網焼き
男性陣が頼んだ網焼き

それに気づいた女性陣がおひとついかがと憐憫をかけてくれたので、この新たなる珍味にありつけたもの。

12・0冷やし肉
これが冷やし肉です

二杯酢でさっぱりと“涼”をいただく、美味である。


12・1万願寺唐辛子の掏り流し  12・2冷たい野菜の炊合せ
左:万願寺唐辛子の掏り流し 右:詰めた野菜の炊き合せ

炎暑の夜に斯様な涼を次々と演出する大将の凄腕にあらためて驚嘆するとともに、衷心からの敬意を表するところである。


そして、いよいよもうひとつのビッグイベント、神輿渡御の始まりである。


まだまだ明るい午後7時少し前。神輿を先導する行列が“やました”の前の木屋町通りに入ってきた。

13・色々、雅な行列が続きます

お客さんも一時、食事を中断、外にて観覧。駒形稚児や騎馬で進む神官の行列がつづく。

14・稚児さんも騎馬でゆく
可愛らしい駒形稚児が通る

神輿の前にこれほど本格的な行列を見たのは初めてであった。

15・騎馬行列がゆく

7時17分。三若神輿会の担ぐ中御座神輿が“ほいっと、ほいっと〜!”の掛け声とともに近づいてきた。

道路を埋め尽くす人、人、人にはビックリ。

16・道を埋め尽くす人
大勢の人と共に中御座が見えて来る

中御座は六角形の屋根に鳳凰を冠し、ご祭神は八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(スサノオノミコト)である。

17・中御座
中御座神輿

何しろすごい人数が次々と店の前を通り過ぎてゆく。

18・大勢の担ぎ手が過ぎてゆく

中御座を見送ると、一同、一旦、店内へ戻る。


午後9時前、錦神輿会が担ぐ西御座がやってきたので外へどうぞとの声。大将以下、お客とともに道路へ出る。さすがにもう外は真っ暗。


だが、神輿が近づくにつれ人の大群が押し寄せるようなどよめきが聴こえる。

19・西御座がやって来る
西御座が近づく

“ほいっと!ほいっと!” 西御座神輿が現われる。

屋根が八角形の鳳凰を冠するこれまたりっぱな神輿である。ご祭神は素戔嗚尊の御子たちである八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。

20・錦神輿会・西御座
西御座神輿

錦神輿会のメンバーは“やました”が仕入れでお世話になる錦市場の人たちが大勢いるのだという。

“やました”の前で神輿もしばし休憩。担ぎ手の人たちも乾いた喉を潤す。大将が準備した飲料の前は昂揚した連の人たちの熱気があふれる。芹生君や女子衆もお世話に大活躍。

21・錦神輿会の人たちに振る舞う

そんななかを粛然と騎乗の神官が行く姿もこれまたすばらしい。

22・担ぎ手のなかを行く騎馬

そして、神輿はふたたび大勢の担ぎ手に担がれ、暗闇に“ほいっと! ほいっと!”の響(とよ)みを残し四条の御旅所へと去っていった。

23・西御座

嵐のようにやってきた神輿を見送り、暖簾の方を見返ると大将が満足の笑みである。

大将、満面の笑み
大将、最高の祭だね〜

神輿渡御の迫力と行列の厳かさを目にし、1100年の歴史を有する祇園祭の本義・神幸祭は京都の町衆に支えられてきたまさに神儀であると実感させられた。


路傍から観覧するだけで祭の当事者のような高揚感を味わったわれわれはふたたび店内へ戻り、じっくりと“やました”の料理を堪能。

25・料理が並んでいます
まだまだ祇園祭の夜は長いのです・・・

神輿渡御を“やました”の前で観覧するという最高の祇園祭を過ごすことが出来た。満足この上ない一日であった。


そして、“やました”の“もてなし”の真義が大将の日頃の心映えにこそあったのだと心底、納得した。


2014年の“割烹やました”!!


祇園祭の神輿渡御を観ながら料理に舌鼓をうつという新たな“やました”の魅力を発見した一日でもあった。


そして最後に新料理長を紹介しておかねばならない。安達料理長である。

26・大将と新料理長の安達さん
新料理長・安達さん

以前、長年“やました”におられたということで、これから勝手知ったる板場で大将の右腕として思う存分その腕を振るっていただけると大いに期待している。


何せ、当夜は神輿見物に出たり入ったり、久しぶりの旧知の友との語らいとやたら忙しく慌ただしい時間を“やました”で過ごした。


次回にじっくり安達さんとお話できることをきたいして2014年の“やました・訪問記”の筆を置くことにする。



祇園祭ゆかりの“祇園ちご餅”・三条若狭屋=旅人の見た京都のお菓子

中京区三条通堀川西入ル橋西町675


祇園祭といえば三条若狭屋の“ちご餅”というのは、京都人の常識だとか。


と云うことで、山鉾巡行の翌日、帰京前に地下鉄東西線にて二条城前駅へ。

1・二条城前
二条城前駅を出たところ

そして、堀川通を下ること500m、三条通堀河西入る、つまり三条通り商店街入口角にある“三条若狭屋”へ銘菓・“祇園ちご餅”を求めに伺った。

2・三条商店街入口角にある
トラックの入った角が入口

本店店舗の外観はいかにも京菓子司の趣きを醸し出す古風な造りである。

3・三条若狭屋

店内に入ると、すぐに“祇園ちご餅”が陳列されたショーケースが目に入る。正面にちご餅を印した暖簾が下がる。

13・祇園ちご餅の暖簾がかかる店内

そして、堀川通りに面してカウンターカフェがある。店内でお茶を戴きながら若狭屋の菓子を愉しむことのできる造りになっていた。

4・カウンターカフェ
早朝の入店のため、まだカフェが準備中であった

“ちご餅”は祇園祭所縁の京菓子であるが、昭和17年12月に京都府が指定した“銘菓和生菓子特殊銘柄品18品目”のひとつとしても有名である。

18・ちご餅
祇園ちご餅

祇園祭所縁というのは、この“祇園ちご餅”誕生譚が以下の説明書にあるので参照されたい。

5・祇園ちご餅

要は山鉾に載る生き稚児さんたちが八坂神社で御位貰いの儀式を終えたのち、楼門前で味噌だれをつけた餅を衆生にふるまったことに因むというのだ。


そしてこれを食べると、ちご餅に添えられた短冊にあるように“疫を除き福を招く”というので、京の人々はこぞって稚児さんからふるまわれる餅を求めたのだそうだ。

7・三本入りのちご餅

この三条若狭屋の“祇園ちご餅”の包の形状が山鉾町で求める厄除けの粽に似せてあることも、厄除けの祭、祇園祭にはなくてはならぬ菓子となっていったのではなかろうか。

6・粽の形をした包  8・蘇民将来の子孫也と記された粽と長刀鉾のフィギュア
左:3本のちご餅の入る包      右:放下鉾の粽と長刀鉾のフィギュア

包を開けると竹串に刺された“ちご餅”が現われるが、氷餅をまぶした求肥のなかに甘く炊いた上品な白味噌が入っているのもそうした所縁に基づいたものである。


ひと串口に入れると、氷餅のザラメが甘みを舌の上に載せ、やわらかな求肥を噛むうちに楚々とした白味噌の風味が口中に残る甘みとしとやかに調和する。

9・疫を除き福を招くちご餅

その味は上品でかつひと包に三本というのもまた奥ゆかしく、その由来と併せてまさに京都のお菓子というのにふさわしい逸品である。


お店のお嬢さんにまずは“祇園ちご餅”の5包入りをお願いする。

10・五包入り

その“ちご餅”を包装していただいている間にショーケースを子細に覗き込む。ちご餅以外にも甘党の心根をいたくくすぐるおいしそうな京菓子が並んでいる。

11・ちご餅以外にショーケースにはおいしそうな京菓子が並ぶ

そこで、いまは残念ながら製造が停止された“御所羊羹(銘菓和生菓子特殊銘柄品)”の代わりに“小倉羊羹”をひとつ求めた。これも18品目踏破を目論むわたしである、当然、それに少しでも肖(あやか)るお菓子だと勝手にわたしが決めて、注文したのである。


このようにして見境なくお菓子を購入し過ぎたため、実は、まだ小倉羊羹まで食すに至っていない。ということで、ここでは包装箱入りの写真を掲載する。

12・小倉羊羹

もちろん後日、小倉羊羹の生身写真は補遺することにする。


次にわたしの視線は小倉羊羹からちょっと右手にスパンして、あるお菓子を認めた。炎暑の夏に涼をもとめるかのような“京のせせらぎ”である。

14・今日のせせらぎ箱入り

色合いがまるで山間をめぐる清流のごとく目にも涼やかであったので、暑い京都でつい手が出たのは致し方のないところである。

15・京のせせらぎ説明書

本日、東京も36度という猛暑日。早速、“京のせせらぎ”で涼感を求めたという次第。

16・京のせせらぎ

口にしたこの家伝の琥珀糖を使った干菓子がまたミントのかすかな香りがしたりまことに爽快な風味であり好ましい。


三条若狭屋は明治26(1893)年に初代の藤本茂弘氏が“本家若狭屋(江戸文化年間に創業、屋号・若狭屋は若狭高浜の出身による。戦後この本家は廃業)”から“若狭屋茂弘”として分家独立したのが始まりという。 その後屋号を“三條若狭屋”と改め、昭和21年に現在の場所に移転し、今日に至っている。現在の当主は四代目・藤本知靖氏である。

17・暖簾

二条城前から歩いて6分ほどの至近にある三条若狭屋。祇園ちご餅はまさに京都の菓子、それにカフェもよし、お土産に日持ちが14日間という“京のせせらぎ”もお洒落でよし。


よいことずくめの三条若狭屋!! ぜひ一度、古風な佇まいの本店へ立ち寄って見られてはいかが。




佐々木蔵ノ介・ハンチョウの蔵元、佐々木酒造に御礼=京都グルメ

6月30日の“鶴瓶の家族に乾杯”で佐々木蔵ノ介が茨城県石岡市の造り酒屋を訪問していた。現在、上映中の超高速参勤交代の舞台となる街道筋の宿場町を訪ねてみたいというのが訪問の契機ということであった。

1・超高速参勤交代
くだらねぇ〜!! でも超!面白かった!!

そこで、佐々木蔵ノ介が実家と同業の造り酒屋を訪ね、蔵の中を見学。蔵主との何気ない会話のなかで日本酒への造詣の深さが何気なく語られ、そうだ、彼の実家、佐々木酒造のアップを忘れていたと、本日、こうして京都の旅の写真フォルダから引っ張り出してここに掲載する次第である。


訪問日は2011年6月13日、TBSドラマ・“ハンチョウ〜神南署安積班〜のシリーズ#4が放映中の最中であった(シリーズ#5から“ハンチョウ〜警視庁安積班〜)。


さて、16世紀頃の京都市街の景観や風俗を描いた“洛中洛外図”という屏風はあまりにも有名である。正確な名前は言えずともその屏風絵を目にすれば、あぁ、この絵かと誰しも頷(うなず)くはずである。


そこで、“洛中洛外”とは一体何を意味するのか?


この佐々木酒造を紹介するには、そこから話を進めてゆかねばならない。
なぜなら、現在、洛中で唯一、酒蔵を営んでいる蔵元が、ほかならぬ佐々木酒造であるからである。

2・佐々木酒造正面
佐々木酒造・正面

豊臣秀吉は“御土居”といわれる土塁で京の町全体をぐるりと囲撓(いにょう)した。そして御土居の内側を洛中、外側を洛外と区分、御土居の数か所に関所を設け洛外から洛中へ入る者を検分したという。

3・北野天満宮・御土居説明板
北野天満宮の御土居案内

その意味でいう洛中は現在の京都市内中心部と比較しても、相当に狭い範囲を指すことが分る。東西が鴨川の西側から北野天満宮辺りまで、南北が京都駅から大宮交通公園へ辺りまでの南北に細長い地域となっている。

4・北野天満宮・御土居の上部 5・蘆山寺墓地内にある”史蹟御土居”
左:北野天満宮の御土居の上部  右:蘆山寺の御土居跡

その狭い、京都のいわゆる中心部で蔵元として日本酒を造り続けているのが、この佐々木酒造一軒ということになる。


余談であるが、今に名前が残る鞍馬口や粟田口、丹波口といった“口”のつく地名は関所のあった名残であるという。


さて、佐々木酒造はここ良質な湧き水が豊かな上京の地で明治26年(1893)に創業、120年の歴史を有する、現在では、先述の洛中における唯一の蔵元・造り酒屋となっている。


いまでは京都のお酒といえば“伏見”と相場が決まっているが、室町時代中期にはこの洛中の地下水の良い処に300軒を超える蔵元が建っていた(佐々木酒造について・佐々木晃社長)のだそうで、京都の造り酒屋の起源は洛中にあったということである。


その由緒正しき場所・洛中に残るただ一つの蔵元“佐々木酒造”は二条城の北側にあり、当日は千本釈迦堂へお参りする途中にお寄りしたという次第。


丸太町通を日暮通へ上がると、茶色の杉玉が店頭に下がる懐かしい商店造りの二階建ての佐々木酒造が見える。

6・佐々木酒造
佐々木酒造

店舗の脇、手前に日本酒を造る大きな蔵が併設されている。この時代、よくぞ京都のど真ん中に造り酒屋の蔵が現存しているなと感心したというより、ちょっとした感動を覚えたのを思い出した。

洛中唯一の蔵元・佐々木酒造
右手が店舗入口

早速、店内に入る。こじんまりしたお店である。入って正面に“ハンチョウ”のポスターが貼ってあった。

7・ハンチョウのポスターが貼られた店内

右手コーナーに佐々木酒造の代表銘柄の“古都”をはじめ純米大吟醸の“聚楽第”など豊富な銘柄が取り揃えられていた。

8・たくさんの銘柄があります

その “古都”のラベルの文字は、同名の小説を物し、「この酒の風味こそ京都の味」と愛飲された川端康成の揮毫によるものである。


そうした古都京都に所縁のある佐々木酒造のお酒を、旅先でもあり、荷物にあまりならないようにと夏季限定のセットと放映中のみの限定販売の“ハンチョウ”を購入した。


そして帰京後、早速、封を開け、以下の銘柄をおいしくいただいたというわけである。


特別純米・“西陣”と蔵出し原酒・“呑切り”である。

9・特別純米酒”西陣”     蔵出原酒”古都”の”呑切り”

シュワーっと爽やかな純米吟醸原酒の“夏方(なつざま)”

10・”古都”の純米吟醸・生貯蔵酒”夏方(なつざま)”

そして、娘が大ファンのTVドラマ“ハンチョウ〜警視庁安積班〜”に因んだ特別純米酒“ハンチョウ”である。

11・神南署安積班の刻印のある”ハンチョウ”

帰ってから判ったのだが、この銘柄は“ハンチョウ”が放映されている期間だけの限定販売で超レアものであったといってよい。


そんなことはもちろん知らずに訪ねたのだが、娘への土産といってもお酒を嗜むわけではないが、土産話にと思い買って帰った。


案の定、娘には大うけに受けて、早く飲んで頂戴と日頃にない“飲酒慫慂令”が出されて700mlの中瓶はあっという間に空瓶と化したのである。


そして、その空き瓶はきれいに洗浄され、現在、娘の机の上に麗麗しく鎮座している。

12・佐々木酒造”ハンチョウ”

グループホームの生活が楽し過ぎてなかなかこちらへ帰って来てくれない娘に、実家の良さを再認識させるに当り多大な貢献を戴いている佐々木酒造さんにこの場をお借りして御礼申し上げて、この稿を閉じることとする。



日本の菓子のルーツ“清浄歓喜団”を“亀屋清永”で求めた=旅人の見た京都のお菓子

東山区祇園町南側534  ☎ 075−561−2181


”亀屋清永”は四条通りが八坂神社へ突き当たる祇園の三叉路を右折、70mほどいった東大路通り沿いにある。

亀屋清永店構え

“亀屋清永”は、わたしが最近、順次、訪ね歩いている“和生菓子特殊銘柄品18品(*)”のひとつ、“清浄歓喜団”という唐菓子(からくだもの)を製造販売する創業が元和三年(1617)という400年もの歴史を有する京菓子司である。


亀屋清永・暖簾

 

   和生菓子特殊銘柄品は、戦時中に物資統制され菓子の製造が難しくなった時に京都府が伝統菓子の保護のために昭和17年12月に選定した18品目の京都の菓子である。


“清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)”とは、これまたお菓子の名前としては奇妙奇天烈なものであるが、この菓子こそ日本の菓子のルーツだと知ってさらに驚いた。

菓子のルーツ
菓子のルーツ、唐菓子・清浄歓喜団

“清浄歓喜団”は、奈良時代、仏教の伝来とともに遣唐使により8種の唐菓子(からくだもの)と14種の果餅(かへい)がその製法と合わせ伝えられたが、その唐菓子8種のうちのひとつである。

亀屋清永・清浄歓喜団の由来

これら唐菓子は天台宗や真言宗など密教のお供え物として仏教寺院にその製造方法が長い間秘法として継承されてきた。


“亀屋清永”には、唐菓子のひとつである“清浄歓喜団”を作る秘法が江戸時代初期に比叡山の阿闍梨から伝授されたことが伝えられている。


“清浄歓喜団”は、漉し餡に「清め」の意味を持つ白檀、竜脳、桂皮末など七種の香を練り込み米粉、小麦粉で作った生地を金袋型に包み純正の胡麻油で20分、揚げて作った菓子である。

清浄歓喜団

伝来当時は中身は栗、柿、あんず等木の実をかんぞう、あまづら等の薬草で味付けしていたものが、江戸中期以降、小豆餡を用いるようになったという。

中身は餡子

餡に代わってからでも300余年が経過しているというとんでもない菓子なのである。


食べる前にちょっと焼いてから口にすると、包んだ皮が少し柔らかくなり食べやすい。味は何せ白檀などの高価なお香が練り込まれており、高級料亭で戴いているような、そんな贅沢な気分にさせられる。

清浄歓喜団五個入箱
五個入りの箱

五個入りで2600円だから決して安くはない。わたしも心して戴いたところである。

唐菓子です

そして、この“清浄歓喜団”の八葉の蓮華をあらわす八つの結びや金袋になぞらえた形状は、1300余年前の唐菓子の姿を忠実に保っているのだという。

清浄歓喜団の八つの結び目は蓮華の八葉
八つの結び目が蓮華をあらわす

また亀屋清永には“清浄歓喜団”のほかに、遣唐使が伝えた果餅(かへい)14種類のひとつである“餢飳(ぶと)”も伝わっており、神社の祭礼に供えられる神饌菓として現在も使用されている。

亀屋清永の果餅・餢飳(ぶと)

店内には、そうした神社仏閣のご用達所としての当店の歴史を物語るように、至近の八坂神社はもとより、延暦寺、下鴨(賀茂御祖)神社、金戒光明寺、南禅寺、清水寺などなど錚々たる大寺院、神社のご用達先の木札が掲げられている。

多くの神社仏閣ご用達
錚々たる寺社・仏閣の木札が並んでいる

その証でもあるまいが、店内には第253代天台座主・山田恵諦(えてい)氏の揮毫になる“清浄歓喜団”の扁額がさり気なく掲げられている。

第253代天台座主山田恵諦揮毫

そうした由緒正しい亀屋清永であるが、店内のスペースは狭く、ショーケース脇の板戸の奥が製造場所となっている。

ショーケース
ショーケース

その店の造りは華美に走ることもなく質素倹約の商売のあり方を頑なに守って来ているようで、1300有余年、唐菓子と果餅の形状を忠実に守り続けてきた“亀屋清永”の哲学が店舗の姿にも色濃く反映しているように思えた。

板戸の向こうで菓子製造
この板戸の奥が菓子の製造所

その狭い店内にちょっとした縁台が置かれている。“清浄歓喜団”を包装する間に、われわれ夫婦は喉を潤す冷茶と栗餡の“栗くり”という愛らしい名前の一口サイズの焼菓子でもてなしを受けた。何だかひとつひとつが有り難いと感じる不思議なお店であった。


今回は“清浄歓喜団”のみを求めたが、次回は“餢飳(ぶと)”にも挑戦したいと考えている。




聖地・“てら川”に根づいてきた“割烹まつおか”=京都グルメ

初々しさの匂い立つ、京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ(2012.10.7)
味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹“まつおか” =京都の“割烹まつおか(2013.9.20)


開業二周年をひと月前に迎えた五月、“割烹まつおか”を訪れた。

割烹まつおか

今年は13日に、湖東三山の秘仏巡りをしてから京都のホテルでシャワーを浴びてお店へ向かうので、予約は当初、午後9時としていた。“割烹まつおか”の利点のひとつに、午後10時以降でもお店へ入れるということがある。

当日のようにちょっと寄り道をして京都へ入り、夕食が遅めになるときには、旅行者にとってこうした京料理のお店があるのはとても便利である。

和室から入口を
奥の和室前から入口を見る

本当の馴染になれば色々と無理のきくお店も当然あるのだろうが、旅人風情ではそうした我が儘はききにくい。

その意味で、“まつおか”は遊ぶの大好き人間にとっては必要不可欠な京の割烹なのである。


割烹まつおかのお蔭で、もう一生見ることのできぬ湖東三山の秘仏三体を一挙に見たうえに、こうしておいしい料理にありつけたのである。
予定より早めに京都へ到着できたので、まつおかへは八時過ぎには到着。

まず、八寸がだされる。

八寸

そして、当夜は、松岡君の心づくしで私たちの好物である今年の初物を二品いただいた。

ひとつ目が岩ガキである。もちろん、おいしいのは当然である。

岩ガキ

次に、私が来るというので、まだ日本産は早いのでといって、韓国産でいいのが出ていたので用意したと、今年初の鱧の炙りを食した。

鱧を炙る松岡店主

目の前で炙ってくれる鱧を二倍酢でさらりと食べる。

鱧 鱧の炙り

おいしい。今年も夏が来た・・・と、脳内細胞が蠢いてくるのが分る。


この日、わたしの左横に若い男性が一人坐っていた。

和室への通路からカウンターを
和室への通路からカウンターを

昨年の九月に松本市のお嬢さんと知り合いになったのがこの“まつおか”である。

その時の様子を「味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹まつおかというタイトルでアップしたのだが、今年はどんな出逢いが待っている?


そして、カウンター内で調理の手伝いをする木村有紗(ありさ)さんと控えめに言葉を交わしていた若者たちの間に、またまたこのお節介おじさんが割り込んでしまった。

木村有紗(ありさ)さん
がんばる”ありさ”さん

家内は横でまた始まったと、我関せずに次の料理を物色している。


男性は梅津君と言い、現在、かの瓢亭で修業中だとのこと。ありささんとは、京都の調理学校での同期生であるという。


そして、ビックリしたのが、ありささんがこの”まつおか”で働いていることをわたしのブログの写真で知り、連絡を取って、当日、初めて来店したのだというではないか。


わたしもその偶然に驚いたが、梅津君もえぇ〜ということで、三人で盛り上がってしまいました。

家内は横でその間、松岡君とお喋りしながらしっかりと料理を口へ運んでいた様子。


それから鰹のいいのが入っているので、タタキでどうかというので、それを注文。

かつおのたたき

翌日は別段、用もないのでニンニクも多めにいただく。これも身がしっかりとしていてさすがにおいしい。

当日のお酒は桃の滴の冷酒。伏見の松本酒造の酒である。舌に柔らかく、口触りのよい日本酒である。

桃の滴の冷酒

それからカワハギだったか、白身の魚のお造り。思った以上に肉厚で歯ごたえがしっかりとしていて、美味である。

カワハギのお造り

あとで、皮と背骨だったか揚げ物ででてきたが、これもカリッとして、なかなかよい。

揚げ物

天婦羅大好きの家内が、何か揚げてくれますって注文した”芝エビ”の天婦羅を半分、つまみ食い。いやぁ、これも、絶妙。

芝エビの天ぷら

ここらで、わたしもだいぶお腹がいっぱいになってきた。煮物でちょっとしたものはと訊くと、蛸の柔らか煮はどうかというので、それを頼む。

蛸の柔らか煮

またこれが優しい味付けで、もちろんふんわりと至極柔らかいのである。


家内はウニのおいしいのが入っているときき、これをいただこうということになった。どうして食べたらおいしいかと相談の上、結局、白いご飯の上に生うにをぶっかけた所謂、あまちゃん・うに丼が一番いいんじゃない?と、わたしが無粋なアドバイス。

洲本のうに丼

松岡君の調理の腕を封じ込めたようで、今になって少々反省をしているが、家内曰く、”とてもおいしかった”とのコメントで、結果良ければ全てよしなのかなと思い直しているところである。


こうして葵祭社頭の儀の前々夜も、賑々しく更けていったのであります。


”割烹まつおか”も、まる二年を過ぎ、三年目に入った。開店当初はやはり仕事の流れもスムースさに欠けていたが、昨年九月にはそれぞれ店の人間の持ち場、役割も収まる所に収まる落ち着きをみせていた。


そして二周年を迎えた今年は、あきらかに”まつおか”に変化が見えた。

店主の松岡氏をはじめそれぞれが、どっしりとこの聖地・てら川の跡地に根を張ったように、仕事をこなしているのである。

主人が板についてきた松岡氏

最初は新装なったこのお店にちょっと浮いたように見えた松岡氏も、堂々たる店主の趣きを見せ、その安定感を支えに店の者も手際よく仕事を進めてゆく。


カウンター越しの会話も店主の松岡氏に倣い、ありささん、也子(なりこ)さんも上手に話をつないでゆく。


松岡氏はじめみなさん、お若い方々である。それでもなのか、だからこそなのか、しっかりと地に足をつけた仕事ぶりが徐々に際立ってきており、これからますます楽しみな応援し甲斐のあるお店となってきた。


それと最後になったが、当夜、知り合った梅津さんの今後の修行の更なる実りを願って、またの機会の出逢いを楽しみにすることにする。


松岡君のいつものおもてなしに感謝である。




京都の女の子に大人気の京洋菓子司・“ジュヴァンセル 祇園店”=旅人の見た京都のお菓子

東山区八坂鳥居前南入る ☎ 075−551−1511


八坂神社へお参りしたついでに、家内がちりめん山椒の“やよい”でちょっと買い物したいというので、南楼門を抜けて料亭旅館“畑中”やイタリアンの名店“キメラ”の前を過ぎ、一路、“やよい”へ向かった。


白い服の女性が入ろうとしている処がジュヴァンセル
”やよい”から八坂神社南楼門を見る


その“やよい”の3軒手前あたりに何故だか若い女の子たちがたむろしていた。

京うつわ”京ばん”の隣りの細い通路が入口
この角に女の子たちがたむろしていた。このお店は”京うつわの京ばん”
家内と何だろうねと喋りながら、“やよい”に入り、定番の“ちりめん山椒・おじゃこ”と季節限定の“山蕗ちりめん”を求めた。
ちりめん山椒の”やよい”
ちりめん山椒の”やよい”

そして、店内に置かれた縁台で冷茶をいただき、八坂神社、円山公園の散策で渇いた喉を潤し、外へ出る。

冷茶で喉を潤す

先ほどの女性たちの姿は消えていたが、その前へ来ると、路上にメニュー台があった。

暖簾の外にメニューがあります

二人で覗き込むと、要はスィーツ処である。ビルのなかに石敷きの細い通路が続いているのが見える。

突当り右手のエレベーターで二階へ

その入り口には浅葱色の“京洋菓子司 ジュヴァンセル”との暖簾がかかっていた。


メニューを覗き込んでいる間にも、若い女の子が横をすり抜け薄暗い細道へ入ってゆく。


二人して“うん?” “先ほどの女性軍はこの中へ入り込んだってこと?” 目を合わせると暗黙の了解である。われわれも勇躍、細道へ跳び込んだ。


突当りエレベーターにジュヴァンセルの案内が貼ってある。

エレベーターに貼られた案内

二階でドアーが開くと、“ジュヴァンセル”の店内といってよい。女の子たちのお喋りが聴こえて来る。


店内奥にテーブル席があったが、若い子たちばかりなので、気恥ずかしくてすぐ目をそらし、ショーケースを覗き込む。

店内ショーケース

どうも、老夫婦が来るには、少々照れくさいお店である。そこで、ここの評判の菓子であるという“竹取物語”を購入した。


家内が精算している間にも若い子たちが入店、順番待ちをするといった状況。

BlogPaint

いやはや、開店後、まだ13分しか経っていないのにこの盛況である。京都の女の子に人気のお店であることは確からしい。


帰京後、箱に入った竹取物語を取り出す。

”竹取物語”は箱入り娘です 竹の皮で包まれています

竹の皮に包まれているケーキである。名前の由縁であろう。

竹の皮をむくと大粒の和栗やつやつやした黒豆が“これでもか”といった体でトッピングされているケーキが出現。

竹皮に包まれた竹取物語

早速に、切り分けた竹取物語がお皿に載せられてきた。

大粒の和栗と黒豆がトッピングされている”竹取物語”

口に放り込むとふくよかな和栗の味と黒豆の甘さにほんのりとラム酒の香が混ざって、なかなか上質の味に仕上がっている。


これは、今後も京都の土産に使えると、まずは自分の食欲を満たすために、“オイシイ”、“オイシイ”と、二切れ目についフォークを伸ばしてしまったわたしであった。


そして、“ジュヴァンセル”が京都の女の子に人気があったのは、購入した竹取物語がお目当てではなく、“祇園フォンデュ”という代物だということが後でわかった。


季節のフルーツやお団子、パウンドケーキをとろりとろけた抹茶チョコレートソースにつけていただく人気メニューなのだそうだ。


そして、つけ終わって残った抹茶チョコレートにはホットミルクを注いでくれるそうで、チョコレートソースを少し残しておくのが、この祇園フォンデュを食べる時の極意なんだとか。なるほど今どきの女の子たちの情報網は怖るべしと感じた次第である。





葵祭の夜、“御料理はやし”で本物の“京都”に酔う=京都グルメ

上京区河原町通り今出川下る梶井町448−611  ☎075−213−4409


5月15日、下鴨神社で葵祭の社頭の儀に参列し、あたかも源氏物語の世界に身をゆだねる夢のような時間を過ごしたあと、夜を“御料理はやし”でいただいた。

御料理はやし
御料理はやしの玄関


“御料理はやし”は“京”を供するお店である。


1400余年受け継がれてきた葵祭の社頭の儀の〆は、やはり、千年の都の“京”でなければならぬと考えたのである。


“御料理はやし”は、二年まえに初めて伺い、京料理とはこういうものなのだということを教えられたお店である。


その時、ご主人の林亘氏と常連客との打ち解けた会話に加えていただき、料理はもちろん興味深い含蓄のある話にも満足し、後日の再来を期して“御料理はやし”を後にしたのである。


此の度は家内を初めて“御料理はやし”へ招待した。


お店にタクシーをつけると、前回同様に間髪入れずにお迎えの女性が門外まで出てこられる。


靴を脱ぎ、7人掛けの畳敷きのカウンター席へ案内される。足を掘りごたつ式に畳の縁から落とし込む形である。そして、各々に脇息が用意されている。


カウンターにお客が七名のみの小さな部屋である。カウンターの向こうには碁盤を二つ合わせたくらいの厚さ一尺を越える、まな板と呼ぶのがはばかられるほどの、上檜の“俎板”が二客。


ご主人が向って左のまな板を前に立つ。背筋の伸びた凛とした立ち姿である。


その後背には掛花入に活けられた一輪の白い花。清々しいほどのお席である。


この雰囲気はどこかの茶室でお薄を一服いただくような、そんな気がしてくるのである。言うなれば、私たちの前に立つご主人は茶会を催される“亭主”である。


そして、当夜の“正客”はカウンター左詰めに坐られた常連の大学の先生。

右端の“お詰め”の席には常連であろうご婦人がお二人。

カウンター席の真ん中に位置するわれわれ夫婦は、さしずめ“お詰め”に近い席に坐る素人に近い“相客”というところであろうか。


さらに、お客と亭主の会話に絶妙の合いの手を入れてくるお嬢さんが、まさに“半東”としての役回りを見事に果たされている。


そんなお席である。お茶会で写真を撮るほど私も野暮でない。だからこうして、“御料理はやし”の雰囲気を言葉で伝えようとしているのである。


御料理は着席と同時に紫蘇入りの白湯が供され、淡い緑色のうすい豆の豆腐造り、食前酒の梅酒、琵琶湖の稚鮎の素揚げなど八寸、イカ・鮪・白身のお造り、あぶらめ(あいなめ)の椀、真丈の蒸し物、こしあぶら等天ぷら、酢の物・しめ鯖、焼き魚・・・、ご飯・・・、菓子が柚子入りシャーベットで終了。


“御料理はやし”の料理は、旬の食材がそもそも持っている色香をおもてに引き出すために最低限の味付けがなされ、盛り付けは大仰ではなくきわめて控え目な佇まいで供される。


当店はいろんな方が書いておられるが、お客の方から訊ねない限り、お料理の説明はない。“御料理はやし”を訪なうお客はそうした料理がよく分かっておられるというご主人の考えである。これは“御料理はやし”というお店の哲学といってよい。


だが、そうは言っても判らぬものは素直に訊ねればよい。その際には、亭主から丁寧に説明があるし、さらに料理に対する興味深い話をいろいろとしていただける。


前述の料理で“焼き魚”なんて無粋に書いたのは、別に当夜、見栄を張って訊かなかったのではない。


焼き物が供される時間帯に入るころには、懐石料理に舌鼓を打つのは勿論だが、正客と亭主の長年にわたる交誼のにじみ出る談話は温かく、つい、こちらもその湯加減のよさに口を挟んだりして、脳内が忙しくなっていたためである。


また、ご主人とお嬢さんの“コメダ珈琲のモーニング”話の掛け合いは、ユーモアとウイットに溢れ、笑いが止まらなかった。


客を前にしてのこの企(たくら)まざる話術、親娘の会話が醸す藹々の団欒の場面は、見様によっては老練な剣客の立会いを目の当たりにしているようでもあり、爽快感とでもいおうか、ある種の至芸を見せられているような感覚にとらわれたものである。


このようにして葵祭りの夜は、“本物の京都”のおもてなしで過ごすことができたのである。そして、最後の極め付けが、正客たる先生が作られた “春蘭の塩漬け”による春蘭茶をいただけたことである。

 

年一回、先生が“はやし”にお持ちになるという。この日がたまたま、年一回のその日であったのだが、慶事などで“御料理はやし”では大切に一年かけて使っているという、その貴重な“春蘭茶”を、“和敬清寂”のおもてなしの最後にいただけたことは、“一期一会”を旨とするわが夫婦にとって、まさに最良の一夜であったと心から感謝する次第である。



餡子好きには堪らぬ、甘泉堂の“とりどりもなか”=旅人の見た京都のお菓子

東山区祇園東富永町 ☎ 075−561−2133

10:00−22:00・定休日 日曜日


春は花、夏は涼みに秋紅葉、冬は雪見ととりどりに四切れに分けて色も香も、たがえて忍ばす巧みのあんばい、先ず一切れを召しませば、いとし由縁の京情緒、舌に床しく風味する、そそる味覚に二切三切ついつい手を出すとりどり最中・・・

甘泉堂主人挨拶

と、主人の口上がつづく甘泉堂は、細い路地の奥にある。

細い路地に入ります
この細い路地の奥、左手に甘泉堂はある

四条通りと花見小路角の“よ−じや”の隣りの“京都現代美術館”横の路地を北側に入ってゆく。

京都現代美術館脇の路地を入る
表のこの甘泉堂の看板が目印

目印はその路地入口に掲げられる“京菓子司 甘泉堂”の看板である。

左手に甘泉堂の看板
左手に甘泉堂の縦看板

店構えはいたってこじんまり。

甘泉堂の店構え

店内正面に京都出身の文人画家・富岡鉄斎揮毫の味わい深い書・“甘泉堂”の扁額が素っ気なく掛けられている。

富岡鉄斎揮毫の扁額

そこに130年におよぶ当店の歴史が見て取れるが、雰囲気は老舗の京菓子司というより、下町のご近所にある肩の凝らぬ菓子屋といった風情である。

甘泉堂店内
飾らぬ店内

店内に入ってもよいのだろうが、硝子戸が開けられており、道ばたからショーケース越しに注文するというこれまた庶民的で威張っておらぬところが好ましい。

”とりどりもなか”の見本が置かれたショーケース

ショーケースには“とりどりもなか”の餡の説明がなされた見本も、まぁ、飾り気なく置かれている。

季節限定の水ようかんも  おいしそうな菓子が・・・

また、季節限定の“水ようかん”もあった。次のお客さんは、これを所望しておりました。

今回、お目当ての“とりどりもなか”は、物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと時の京都府が砂糖などを特別配給、保護した和菓子特殊銘柄18品のひとつで、川端道喜の“ちまき”や亀末廣の“竹裡(ちくり)”などと並ぶまことに由緒正しき御菓子なのである。


その“とりどりもなか”は注文してから餡を詰めてくれるので、手にするのに少々時間がかかる。皮のパリッとした食感を壊さぬための手間なのだという。


といっても、二個頼んでほんの2、3分程度の時間でしたが・・・。

ただ、この短い待ち時間が、温かな手作り感を顧客に伝えてくれる重要な要素であるとのちに思いついた。


帰京後、早速、“とりどりもなか”をいただく。

箱の中、こんな紙袋に入っています
紙箱のなか、紙袋に入っていました

直径14cmほどの大きな最中です。

直径14cmほどの大きい最中

その最中が島津藩の家紋・丸十のように最中の皮に溝が刻まれ、四つに仕切られている。時計回りに右上から春・夏・秋・冬の意匠が焼き付けられている。

四切れに分割
四つに分けます

その四つの仕切り毎に、甘泉堂主人の「ここ許参らするとりどり最中をご覧じませ一つが四季の味がする・・・」との挨拶にあるように、春の大納言粒餡(小豆・砂糖・寒天)、夏の緑色の柚餡(手芒(テボ)豆・砂糖・寒天・柚子)。

春の大納言粒餡 夏の緑色の柚子餡
左:春の大納言粒餡             右:夏の緑色柚餡
秋の小豆漉し餡(小豆・砂糖・寒天)、冬の白インゲンの斗六漉し餡(手芒豆・砂糖・寒天)と四種類の餡が一つの最中で楽しめる。
秋の小豆漉し餡 冬の白隠元の漉し餡
左:秋の小豆漉し餡           右:冬の白隠元の斗六漉し餡


アンコ大好き族には堪らぬ菓子である。それも・・・大きくて・・・食べ応えがある・・・


それでは、店主に代わり、甘泉堂の“とりどりもなか”、
「豊かな味も伝来の暖簾にかけし最中の家元 先づは召しませ、試しませ」

京都祇園を訪れた際には京都の路地(ろーじ)に足を踏み入れて、甘泉堂の“とりどりもなか”を是非ともご賞味あれ。


味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹“まつおか” =京都の“割烹まつおか

初々しさの匂い立つ、京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ(2012.10.7)
京都市東山区松原通大和大路西入ル弓矢町25

075-531-0233

定休日:水曜日


9月の上旬、一年ぶりに割烹まつおかを訪れた。


開店から一年半が経ったお店は盛況で、われわれが入店した6時半頃ですでにカウンターも座敷も満席となった。

板場の人数も、仲居さんの数も増え、お店の勢いが、一歩、お店に足を踏み入れてすぐに伝わって来た。

戦力アップ中です

殊に、松岡君を筆頭に“若い”ということが、層倍にお店の溌溂さを印象づける。われわれ老夫婦も確実に十歳は若返ったと感じるのだから不思議だ。


いま、京都で若手の料理人として注目度を高める松岡秀雄氏の仕切りにも、風格が備わってきている。

料理を語る松岡秀雄氏

そうした“まつおか”で、料理はいつものようにお任せで、まず、八寸からスタート。

八寸

次に新鮮な季節のお刺身。やはり、

向付

仕入れが素晴らしい、なかなかに美味である。


さて、そんななか、当夜はいつもと異なる展開が待っていた。というより、家内に言わせると、展開をわたしが作り出したのだという。


カウンター席右隅、わたしの右隣りに若くてチャーミングな女性が独り、ひっそりと坐っておられるではないか。

そこで、料理はにぎやかに愉しむのがモットーのわたしは早速、声をかけさせていただいた。


松本市から来られた方で、忙しい日々を過ごすご自身へのご褒美の旅だという。訊いたら、大変、緊張を強いられるお仕事である。俄然、わたしはホスピタリティーの精神全開となる。


もちろん、こうした会話にはうちの家内も一緒に入っている。これもわが家のモットーである。断じて、ナンパなどという軽佻浮薄な心などこの彦左衛門に微塵もない。


ただ “若い女の人だと、すぐこれなんだから”と、家内の双眸(りょうめ)が笑っていたことも何を隠そう事実である。何事も正直、正直に・・・


そんな楽しい会話のなか、家内がしっかりと岩ガキに目をつけ、注文する。

岩牡蠣

脂ののった大振りのまさに海のミルクの岩牡蠣は、やはりおいしかった。岩牡蠣はやはり肉厚の大振りのものでないと、本当の旨味はでないのだと思う。


次にグジ(甘鯛)の焼物。脂がのり、皮もカリッと香ばしい。

焼物・グジ


そして、本日のメインである、鱧の炙り焼きである。

鱧の炙り

鱧の炙り焼きです

鱧の骨切りの妙技をじっくりと鑑賞。

鱧の骨切りの妙技

お隣の女性も興味津々で、松岡君が鱧の骨切り用の包丁の説明をしてくれるなどカウンターと板場の温かな交流も絶好調。


そして、上品な味とあつらえの野菜の煮浸し。

野菜の煮浸し

蟹をのせた真薯(しんじょ)もおいしい。

真薯(しんじょ)

すると、秋刀魚の肝和えが出て来るではないか。この肝和えのタレの写真を撮り忘れたのだが、これがひと工夫、いや、ふた工夫もされた“まつおか”の新しい味である。

“日々、是、進歩”  昔、どこかの予備校でよく目にしたなぁ、この言葉・・・

秋刀魚の肝和え

〆に鱧鮨を家内は注文しておられましたなぁ・・・

鱧鮨

わたしはお隣の女性との会話で胸が・・・、いや、お腹が・・・あれっ・・・何しろ、なんだかいっぱいで、もう入りませんでした。

そして黄桃のデザート。

デザート・黄桃

松岡君に、“バーk6”の予約をお願いし、お隣の女性もお誘いし、三人仲良く、いろんな出逢いを演出してくれた・“割烹まつおか”を後にしたのでありました。

2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ

実は“やました”、今年は二度目の訪問である。


1
月、いや、睦月に天橋立の帰りに寄っている。その時、なぜか印象としてあまり“やました”では種類を頼んでなかったと思い、ブログに敢えてアップしなかった。宮津のお昼に大きな牡蠣のピザや鴨の燻製や何とかのパスタやなどと、たらふく食べ過ぎ、どうもそんなに夜は食が進んでいないと勘違いしていたようだ。

1月に食べた”おこぜの薄造り”  1月の本もろこ
1月にまた、”おこぜの薄造り”と”本もろこ”頼んでた〜
1月の大きい白子
この白子、大きくておいしかったの思い出した

あらためて写真を調べると、な〜んだ、いつものように頼んでは、しっかり食べているではないか。

さすが“やました”。ただでは客を帰さないのである。

そういうことで、2013年の“彦左の正眼”での初お目見えである。

此の度の“ウリ”は、なんといっても、この大きくてりっぱな“あこう”である。

立派な”あこう”が入った
この”あこう”、半端なく立派です!

大将がいつものように捌(さば)くのだが、その写真がうまく撮れない。いつもの一番奥の定位置で、満席でして(まぁ、いつものことか・・・、でも隣には家内が・・・、でも、この日はひとり)、と云うことで、お隣に迷惑なので、ちょっと遠慮しました。

大将が捌きます

なので、この写真、お嬢さんのような仲居さんが「撮ってきましょうか」と、ご親切にもわたしの苦しい心中を察して下さり、正面からバッチリ映してくれたものです。もちろん、知的財産権は彼女のものであります。あっ! 掲載する了解とるの忘れた・・・。今度、事後承諾を取らなければ。

さて、その“あこう”、“洗い”がおいしいというので、それにした。

”あこう”の洗いです
見事な”あこう”の洗いでした

脂が流されたうえ、冷水で締まった身の歯ごたえ、のど越しはさすがだ。洗いを食べると、そこに“初夏”の爽やかな音色を聴くようであった。


そして、洗い、定番の冷酒・桃の滴によく合う。そう云えば、グラスが変わったね。少しずつ前のが割れてゆき、大将に新しいのを買ってもらったのだと、件の仲居さんが言っていた。

新しいグラスが登場・酒は、桃の滴
”桃の滴”が入っています

さて、先付からいかねばならぬ。え〜っと、魚のムース、山クラゲの胡麻酢和え、青梅煮、胡瓜のピクルスに鯵鮨でした(忘れちゃったので、後で紙に書いてもらいました・・・)。

先付

“あこう”の次に、目の前の水槽で泳いでいる美山の鮎を、“背ごし”でもらうことにした。今日は大きいのが入っているから“背ごし”大丈夫ですと芹生君が言う。

美山の鮎の”せごし”です
美山の献上鮎の”背ごし”です

この前、揚げ方・焼き方に入っていた右近君は実家の方に戻ったのだそうで、これから芹生(せりう)君がこの大役を担ってゆく。

芹生、いくぞ!
いくぞ、芹生!と、大将・頑張れ芹生!!

大将に捌かれた“背ごし”はやはり、見事。

”せごし”、いいねぇ
シャリシャリ感、伝わりません?

早速にいただいた。シャリシャリとこれも初夏の旋律である。

残った頭と尻尾はから揚げでいただく。これも、何気に、おいひ〜い!

鮎の頭と尻尾のから揚げ

次いで、花島さんが「野菜ものでもどうですか」といつものように食のバランスを調整してくれる。

花島さん頑張ってます!川飛君も!
花島さん、いつもありがとう!!

そこで、“芋茎(ずいき)の生姜煮”をいただく。ひとりでは、これ少々、量が多かった。

芋茎(ずいき)の生姜煮

そして最近、嵌(はま)り出した貝に気持ちが向かう。とり貝をいただく。

とり貝です

りっぱなとり貝である。

お酒は月桂冠の“鳳麟”。グラスがいつものに戻った。なぜか落ち着く。

とり貝といつものグラス
このグラス、やはり落ち着くなぁ・・・。”鳳麟”さすがに〆の芳香

“鳳麟”をやりながらふと気づくと、いつものようにお客様は誰もいなくなっていた。カウンター中央に移動し、大将と四方山話。


こうして、20132度目の“やました”の夜も更けていったのでした。

高瀬舟のない高瀬川

それと店の前の高瀬舟がこの前からなくなっていたので、訊ねたところ、古くなったので撤去しているとのこと。新造に1700万円かかるのだとか・・・。その工面、とても大変そう・・・。誰か、京都を愛する篤志家いないのかなぁ。

“露庵・菊乃井”、一見さんでしたが、フレンドリーでお洒落なお店でした

“菊乃井”と言えば、古都京都を代表する老舗料亭。

これまではもちろん敷居が高いのもあったが、旅先で料亭料理というのもいかがなものかという思いもあって、足が向いていない(ただ菊乃井店主は“料亭とは、基本は飯屋”と豪快に割り切っておられる)。


だが、昨年、家内の知人から「露庵・菊乃井は気楽でいいわよ」との情報を入手。

コースが3つあり、7千円からは季節の懐石になるとのことだったので、これにした。後で教えて頂いたが、その季節で食べたいものがあれば、事前に云っておけば用意してくれるとのことでしたので、融通は効くようです。

露庵・菊乃井

虎視眈々とその機会をうかがっていたが、此の度、友人のあるお祝いをお昼に、しかも京都でやろうとの話になり、当店を予約したもの。

店内に敷かれた石畳
なかなかな趣き・・・

当日、広島からやって来た友人と二人で、カウンター席中央に陣取った。一見客で大胆な振舞いとは思ったが、そこは年の功。

カウンター席です
もちろんお客でいっぱいでした・長尻組みが残っているのです

最初に、紫蘇でつけた食前酒が供される。この梅雨時に切れの良い爽快感がよく似合う。

紫蘇風味の食前酒

先付には、雲丹がまぶされた、ワサビをトッピングした雲丹豆腐。これ、ピリッと美味でした。お酒の飲めぬ友人を後目に、あぁ、冷酒を頼んでしまいました。

雲丹豆腐

次に八寸。この季節です。蘇民将来の茅の輪で厄払いもかねた飾りつけが粋で癪(しゃく)である。味も材料も多彩で、これで舌も口の方もパワーアップ。

八寸

早速、板場中央にでんと構える店長の村田喜治氏へ。菊乃井本店店主・村田吉弘氏の弟さんです。その村田さんにお写真をと申し出たら快く応諾していただけたので、パチリ! 

店主の村田喜治氏

そしてポーズまで注文してしまう勝手放題。すみませんでした・・・

自然な形で・村田喜治店主
自然な姿で・・・なんてオーダーしちゃいました

次に向付。大好きな鯛とシマ鯵、しっかり食べました。もちろん黒龍と一緒にです。

鯛とシマ鯵

さて鱧の落としです。ここのは身がしっかりしていて、湯引きは嫌いというわたしも満足。梅肉のすり身を二倍酢で溶いた浸けで、いただきました。

鱧の落とし

あっさり系が多い献立で口がちょっとさびしいころに、芋茎(ずいき)と豚の角煮。お肉のとろける柔らかさと量が少なめなのが、料理のアクセントとして効いている。

豚の角煮と芋茎

箸休めにトマトのソルベ。まさに肉の膏が残る舌に、この酸味が効いたソルベは絶妙の間合いと選択。

トマトのソルベ

そして目の前の火鉢で鮎の網焼き。

琵琶湖の北で採れた鮎です

琵琶湖の北方で採れた小ぶりの鮎なので、頭からいけるそうです。蓼酢に浸けて、ガブリ!

鮎の塩焼き

茄子の田楽。しゃべりに夢中で、たぶん、パクっとやっちゃったかな・・・

茄子の田楽

そして、鱧の炊込みご飯です。お釜で炊いたご飯でおいしかった。

鱧の炊込みご飯

日頃、飯粒を食べないわたしが、お代りをしてしまいました。味噌汁が牛蒡の掏り流し仕立てで、ぷ〜んと土の香りがしてくるようでお腹がすとんと落ち着くのが不思議であった。

味噌汁・牛蒡のすり流し仕立て

デザートはもちろんわらび餅。アイスクリームもついています。

わらび餅とアイスクリーム

残ったご飯は折に入れて友人の奥様のお土産とした。鯖寿司もおいしそうだったので、一緒に奥様へ持っていただくことにした。


本来、1時半からの予約受付であったものを、こちらの都合で1時に前倒し頂いたうえ、さらに10分前に席に着き、3時半過ぎまで長居をした。

小上りはこんな感じです
小上りです。ここのお客様もお帰りになりました・・・

店主の村田さん自らが、レジの横でわたしのジャケットを抱えて待っていてくれる。腕を通し、店を出ると、外まで店主自らがお見送りする。皆さんにそうされているようで、お客様はもう満足、満足。

阪急河原町駅1番B出口からすぐです
阪急・河原町駅1番B出口から露庵を見る・赤いコーンの前

菊乃井の名前に気圧されずに、仲間や板前さんたちとも気楽にお喋りし、おいしい料理に舌鼓が打てる。懐石料理といった名前に怖気づく必要もない、至ってフレンドリーな露庵・菊乃井であった。


次回は家内同伴を約して、まだ友人と話足りなかったので、“鍵善”でお薄と生菓子をいただこうと四条通りを八坂神社の方へ歩いて行った。

鍵善

四条大橋から今年の川床風景をパチリとおさめた。もう少しで梅雨明け、そして、暑い夏がやってくる。月日が経つのが本当に早い今日この頃です。

2013年・鴨川の川床です

エッ! “カギゼ〜ン”と言われる京都通のお方もおられようが、まぁ、手近で手頃で、わたしは結構、利用させてもらってます。


だって、箱に幾種類か入った生菓子を「どれにされますか?」って言われて、迷う、あの10数秒の幸せな時間って、そう日常にはないんじゃないのかなぁ・・・

京都の旨い蕎麦処・“おがわ”は、味だけでなく、サプライズ!!

京都のそば処 おがわ(石臼挽き手打ちそば)(2010.12.11)
京都の蕎麦処「おがわ」=雅な京の爽やかさ!(2009.2.10)

泊ってみたい宿=摘み草料理の美山荘(2013.10.23)

京都市北区紫竹下芝本町25 

0754958281

 

今回ばかりはJR四国にお礼を言わねばならぬ。

高松駅・マリンライナー22号
このマリンライナーが遅延

家内の実家のある高松からのマリンライナーが雨による遅れとかで、岡山駅での乗換が慌ただしかった。ホームで階段を昇ったところでまさに入線してきた新幹線に飛び乗るといった離れ技をやってのけ、疲れてフーフーいっているうちに車内販売のお弁当が売切れてしまった。


そのため京都へお昼抜きで着き、まずはランチをとらねばならぬということになった。そこで思案し、久しぶりの“おがわ”に向かうことになった。


店内はいつものように清潔感あふれ、硝子戸から入る明かりが一段と“おがわ”の透明感を惹き立てる。

”おがわ”のマークが刻まれた硝子戸
おがわのロゴが入る硝子戸

ご主人の小川幸伸さんと奥様の夕子さんに無沙汰を詫びる。


そして、当日はうるさい女房殿もいないので、ちょっと昼酒をいただくことにした。

期間限定”美濃国大垣城・しぼりたて”です

銘柄は奥様お薦めの“美濃国大垣城”の“しぼりたて”にした。麹の馨がしっかりするという。


お洒落なガラス酒器です お猪口です

“鴨の塩焼き”と生わさびをつまみに、この腰の強い酒がよく合う。 


絶品な鴨塩焼き

一合をチビチビやっているうちに、う〜ん、焼みそであと一合いきたいなと思っていると、お待たせしましたと、大好きな“辛味蕎麦”がやってきた。



万事休す!! そう、これから蘆山寺で桔梗を愛でるのだったと当初の教養溢れる目的を思い出し、おいしい蕎麦をいただいた。

”おがわ”の蕎麦です

そう2年前には“夏そば”という期間限定・特別メニューをいただいていた。爽やかな味だったのを覚えている。

爽やかな味でした
2011年6月にいただいた”夏そば”

そしてお客様も一段落したところで、小川ご夫妻に近況挨拶をし、お勘定をと思った矢先。硝子戸の向こうにどこか見覚えのある作務衣を身にまとう女人の姿が見えた。

店内から外を

硝子戸を開けて入ってこられたのは、なんと美山荘の若女将ではないか。


え〜!!と、これまた長の無沙汰を詫びる顛末となった。


若女将は市内に所要があって花脊から出てこられたという。だいたい、そうした際には、よく“おがわ”さんでお蕎麦をいただくのだそうだ。

相変わらずおきれいな若女将

そこで、話は一挙に盛り上がり、わたしもそのドサクサのなかで、“焼みそ”を注文し、もちろん、あと一合追加となった。

出ました!焼みそ

若女将のお酌で恐縮ではあったが、ぜいたくなお昼を過ごすこととなった。


その後、小川夫妻も合流し、四人で“こんなことがあるんだ”と感心し、結論は、好みの合う者たちは、そうした処で出くわす確率が高いのだということで、この楽しい出逢いの時間を〆ることにした。


時計を見たら3時を回っていた。若女将とは近いうちに美山荘へ遊びにいくと約束し、別れることになった。


そして前回ブログに掲載したご主人の幸伸さんの写真が、もうちょっといい写真だったらなぁとの話になり、最後に、それじゃ、場所はご主人の希望するところでということになり、以下の写真が出来上がった次第。

ショット1 ショット2

ご主人おひとりのものは4枚。ご夫婦お揃いは2枚撮ったが、ご主人のものはこの2枚だけを掲載する。

ツーショット1 ツーショット2

ツーショットの写真とも見比べていただくと、なんとなくわかる気がするが、奥様は自然な笑顔。ご主人はどういう表情にしたらよいか迷っているうちに、シャッターが切られている・・・


手元に残る2枚の写真は今度、直接、幸伸さんに手渡すことで、わたしの写真技術のせいではないことをご理解いただこうと思っている。


ご主人が長身でハンサムな方であることは、お客様はよくご存じなのだが、どうも写真の前では江戸時代の武士のように身構えてしまうのか、何でしょうか、夕子さん!!


 

京の台所、錦市場がチョ〜おもしろい!!

初めて錦市場を探索した。


下の写真は京都の錦市場で買物したおつまみと杯で、帰京した夜、さっそく晩酌をした際のものである。 

錦市場膳
器土合楽の杯で、旬味屋の山椒味噌と麩嘉の生麩。酒は宮津の酒呑童子
 
生麩をちょっと焼いて山椒味噌で食す、伊豫又の鯵鮨も最高!

お酒のみ錦調達ではなく、天橋立をご一緒したご夫婦のご主人から旅の記念にひとつと地酒の・“酒呑童子”のカップ酒をご愛嬌でいただいたもの。 

さて、われわれは市場の西詰めから市場へ入った。

錦市場入口
西詰めの錦市場入口

錦市HP”の地図でいうと下から、上まで約390mの距離をエッチラホッチラ歩いたことになる。


さて、歩き出してすぐに大好きなちりめん山椒のお店があった。“田邉屋商店”という。早速にちりめんや可愛い五色あられ、色鮮やかなゴマも買っちゃいました。

鰹節・乾物老舗田辺屋商店 

堺町通りを越えて直ぐに“麩嘉”があった。当然の如く麩饅頭と御所麩を購入。 

 
左:堺町通りから麩嘉を        右:麩嘉店内

家内がお麩を買っている間に、わたしは二軒先の陶器のお店“器土合楽”に飛び込む。目にとまった幾何学文様の杯を購入。なかなか美しい・・・と一人悦に入る。

 
店の奥に窯を置く陶工房昌の蔵・器土合楽    酒が栄える杯買いました

“器土合楽”から引きずり出された私の目に次に飛び込んできたのが、おいしそうなお惣菜。家内曰く、テレビで頻繁にお目にかかる“井上佃煮店”だそうだ。佃煮がおいしいのだろうが、わたしには目の前に並ぶお惣菜をすぐにでも口に入れたいと思わせたお店であった。

またちりめん山椒が・・・。井上佃煮店”の対面の“京こんぶ・千波”である。ここでも試食してもちろん購入。

“千波”の隣にかの有名な“生まぐろのカルパッチョ”串のお店、“鮮魚木村”があった。もう、あちこちと目が忙しくて大変。


写真アップしてみてください、おいしそうですよ

そして京都といえばお漬物。“打田”という店が店頭に桶を置き、おいしそうな漬物が漬かっていた。

 

京野菜の“かね松”もある。

お結びの“中央米穀”の正面に“”嵐山ちりめん細工館錦店“がある。外人観光客も入っていたが、若い女性好みの丹後ちりめんの小間物店である。家内もここで娘と息子の嫁のお土産にと何だか風呂敷を買っていましたな。

 
右の黄色の風呂敷なぞ、買っていましたな・・・

そして柳馬場通りを越える。まだまだ市場は続く・・・

直ぐ右手角にレトロなポスターが目に入った。“元蔵”というお店である。一杯呑み屋のような非常に趣きのある店構えと店頭メニューであったが、まだ、昼間とてグッと我慢の子。後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎた。次回、ここで夕ご飯、いや一杯というのも一興かな・・・


なんとも魅力的な・・・

そのすぐ先左手にこれまた旨そうなさつま揚げ、いや、京蒲鉾の“丸亀”を見つけた。一枚、買い込んでパクッといきたかったなぁ。

“丸亀”の右斜め正面に川魚専門店・“のとよ”がある。琵琶湖産の“本もろこ”が並んでいる。さすが京の台所である。こんな珍味も売っているんだ。

 
本モロコがこんなに・・・

二軒先に豆大福のおいしそうな“もちつき屋”があった。もう、唾液は異常噴出、胃袋は暴発状態である。

  豆大福
豆大福がぁ〜

その難所を何とか切り抜けたわたしが次に見つけたのが、鰻の“大國屋”である。関西はどちらかというとアナゴが主なのかと思っていたが、そうでもなく、鰻の暖簾が大きく下がっていた。

その斜め左先には鱧の照焼を売る“魚力”という店。ここは、う〜ん、すごいのひと言。わたしはただ、黙然と陳列された鱧に視線を這わせるのみであった。


はも、はも、はも・・・

そして精肉店のゾーンへ。“三木鶏卵”、“むら瀬精肉店”、鶏肉専門店“鳥清”がある。ここもいろいろと悩ましい買い食いゾ〜ンではある。

 

左:出巻き卵がおいしそうな”三木鶏卵” 右:コロッケ食べた〜い”むら瀬精肉店”

カシワ専門店”鳥清”

それと“三木鶏卵”の対面にはまたもやちりめん山椒が・・・、京佃煮・“旬味屋”である。ここでもちりめんに山椒味噌が美味しそうなので購入。

 
ここの山椒味噌、イケテました

三軒のちりめん山椒を抱えて、さて富小路通りを越える。


すぐ左に何と乾物のマエストロなる店、“大友”があった。さすが京都、乾物にマエストロである。


マエストロですぞ!!

そしてその正面に目を転じると、色鮮やかで可愛らしい京野菜が並ぶ。“川政”である。見ているだけで楽しい。


金時人参・・・

亀の形をした竹の子なんて、これって、食材に対する愛情なのだと感心した次第。ただ口に放り込めばいいってもんじゃないことを教えてくれた“亀竹の子”、粋で貴重な一品である。


亀の形に細工された亀竹の子、芸術品か〜

その斜め前には生麩と湯葉の“近喜商店”。いやはや魅力的な食材が目白押しで忙しいことこの上ない。

次に店頭に積み上げた“鯖鮨”など押し鮨を見つけた。“伊豫又”である。この夜の夕飯にと“鯵鮨”を購入。するとこれから鯵鮨を作るので暫し、店内で待ってくれと招じ入れられた。そこで緑茶のサービス。疲れも溜まっていた私には甘露であり、椅子に坐ってまさに極楽。家内はというと、市場で購入した品々を「こんなにたくさん」なんて呟きながらひとつにまとめるべくテーブルの上で整理を始めた。“伊豫又”の鯵鮨のお蔭で、疲れも取れ、荷物も纏まり、大正解。

 
店内、手前テーブルで一服です

帰宅後、早速、鯵鮨を食したが、これは半端なくおいしかった。京都の好物がまたひとつ増えた。


それからちょっと数軒先左に、“ぎぼし最中”という魅力的な和菓子を売る“幸福堂”があった。これも次回、試さぬといけない一品である。


幸福堂 
この生菓子ほしかったなぁ〜

いよいよ錦市場も最終コーナー。麩屋町通りを越える。

右手三軒目、“焼きポン”なるおいしそうな丹波の焼き栗を商う“京丹波”がある。

さらに市場の東詰め辺りで、京の手書き扇子・“絵師の店”を見つけた。昨夏、愛用の扇子を失くしたこともあり、トンボの図案の涼しげなやつを購入した。ご主人の滝さんが上絵書きをしたなかなかセンスある扇子であった。

最後の〆はやはり京の漬物。“樽出しすぐき”を売る“高倉屋”である。

そして私たちのエッチラホッチラの錦市場探索も新京極通りへとぶつかり、これにて終焉となる。ずいぶんと長い距離を歩いたようだが、わずかに390mに過ぎない。


しかし錦市場を歩いてみて、京の町の人々が“食”を口だけでなく京野菜やあられなど目でも楽しむもの、また“まぐろのカルパッチョ串”のように既成概念に捉われず新たな食べ方を追求する様子などは、1200年の長い歴史が培った文化を愉しむ余裕、文化は自らが創り出すのだという覚悟のようなものを感じさせられたものである。

そんな感想を抱きながら、最後に東詰め突き当りの錦天満宮にお参りした。境内に吊られた提灯に今歩いてきた錦市場のお店の名前を見つけては一丁前の“錦マエストロ”だと早々にうぬぼれたところである。

 

よくぞ通しで歩けたと家内にお褒めの言葉を頂いたが、食い意地の張ったわたしである。美味しいものがあればどこまでも必死で歩いてゆくのである。

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