彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

旅人の見た京都のお菓子

“Creme de la Creme(クレーム・デ・ラ・クレーム)”の“京野菜シュー”が旨い=旅人の見た京都のお菓子

八ッ橋発祥の老舗・本家西尾八ッ橋の懐かしい味=旅人の見た京都のお菓子(2016.9.24)

霊験あらたかなる あぶり餅・一文字屋(別称 一和)=旅人の見た京都のお菓子2016.8.19

京都そば茶寮「澤正」の創作そば会席を試した2009.11.8


(当ブログの写真・記事等の無断転用を禁じます)
 

中京区烏丸竹屋町少将井町225   075−241−4547

お土産には京都駅新幹線構内店が便利

 

つい先ほどのブログで軽薄な時流には乗らない昭和20年代生まれのこだわりについて語った。その舌の根も乾かぬうちにとはこのことであるとわれながら少々気恥ずかしいが、なにせちょっと風変わりだがおいしいシュークリームを紹介せずにはいられないので、恥を忍んでここにアップする。

 

何しろ京都駅の新幹線構内のみやげ売り場で運命の出会いがあってからこのひと月、二度もこの京野菜シューを買い求め、舌鼓を打ったほどに要ははまってしまったわけである。

1・京都駅・新幹線構内土産売場
京都駅新幹線構内・みやげ売り場
「Creme de la Creme(クレーム・デ・ラ・クレーム)」は、創業140年の“そばぼうろの元祖”石田老舗(いしだろうほ)がプロデュースするシュークリーム専門店なのだそうだ。

 

以前、うかがった“そば茶寮の澤正”もそばぼうろの元祖を謳い、そばぼうろの商標登録もおこなっていたはずだが・・・。

2・そば茶寮澤正
京都東山区今熊野のそば茶寮・澤正
あぶり餅の一文字と飾り屋のように昔のこととて、今どきの知的財産権どうのこうのと目くじら立てるなんて、千年の都を自負する京都の方々にとって、「都に元祖はいくらあってもよろしゅおす」といった様子で、いかにも懐の深いところであると、お門違いの感心をしてしまう。

3・今宮神社東門前に二軒のあぶり餅屋
今宮神社参道に二軒のあぶり餅元祖の店が
さて、わたしが買ったのは京野菜シューの5個入りセットで1080円と値段も手ごろ。包装もずいぶんとお洒落で、簡単なお使い物にはもってこい。シュークリームの種類は4種類で白味噌だけが二つ入っている。

4・オシャレな京野菜シューセット
包装がお洒落で色合いもセンスがよい
包装もなかなかお洒落で凝っているが、中身、シューの中身のクリームの彩がまた何とも言えず美しく食欲をそそる。

5・前列左から京とまと・加茂なす・万願寺とうがらし
包装以上にこのクリームの色合いは見事
こうして、ナイフでちょっと半分に切って彩りを玩味してから口に入れるのも通というもの。そして、いよいよ、お味の方だが・・・。

 

わたしがこれは面白いとその風味にほれ込んだのは万願寺とうがらしシューである。

6・万願寺とうがらし・グリーン
グリーンの万願寺とうがらしシュー
とうがらしという名前からちょっと警戒気味に口に入れたが、さわやかな青味みの味が咥内にひろがり、大げさに言えばシュークリームというものの常識を打ち破った、革命的なシュークリームである。

7・万願寺とうがらし
もちろん、京野菜の風味をクリームに混ぜ込むという発想自体が革新的であることは確かだが、最もその狙いがきわだっているのが万願寺唐辛子であると感じた。

 

また、京トマトの薄いピンクもひと口口にしてクリームの色を目にしたところで、なんといえぬトマトの味が鼻腔に届いてくるようで、これまた素晴らしい。

8・京とまと・薄ピンク
薄ピンクの京とまとシュー
トマトのもちろん臭みなどなく、口内にほのかにトマトの甘みが隠し味のように仄かな香りをただよわす。

9・京とまと
紫色が加茂なすである。

10・賀茂なす
そもそも茄子の匂いというものが薄弱であるため、これは色合いを楽しみつつおいしいクリームを堪能すればよい。

11・賀茂なす・紫
パープルの加茂なすシュー
京の白味噌は一風変わったシュークリームである。

12・かわいらしいシュークリーム・京の白味噌
京の白味噌シュー
見た目、外観からはもちろん分からないが、口にしてクリームのそこに下地が入っていて、ここに白味噌が含浸されているようである。

13・白味噌には中に下地があります
クリームと底のシュー皮の間に味噌を含浸させたパン生地が
なかなか手の込んだ仕事をしていて、これまた唸るしかない。目でも口でも楽しめる京野菜シュー、秀逸である。
14・目でも楽しめる京野菜シュー
たのしいシュークリーム
人数によって10個入りや16個入りが選べ、しかも季節によって丹後の大黒豆の紫ずきんや鹿ケ谷かぼちゃや丹波栗といった品ぞろえもあって、お土産としては目先も変わり場を盛り上げるのは請け合いの京のお菓子、お土産である。


八ッ橋発祥の老舗・本家西尾八ッ橋の懐かしい味=旅人の見た京都のお菓子

(当ブログの写真・記事等の無断転用を禁じます。) 
       
                          住所:京都市左京区 聖護院西町7  ☎ 075−761−0131

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月10日からはじまった聖護院門跡特別公開(2016月12月18日まで)を拝観した。

1・聖護院特別公開
聖護院門跡の山門
宸殿の襖に描かれた狩野永納・益信ら狩野派の障壁画130面を一挙に見ることができた。大玄関の老松の障壁画にまず度肝を抜かれ、つづいて宸殿の各間を飾る襖絵はどれも豪華で、その巧みな筆致には圧倒される。

2・聖護院・大玄関
大玄関・正面に老松の障壁画
また、当寺は修験道・山伏の総本山でもあり、拝観時には本堂の手前廊下で法螺貝を試みに吹かせてくれたが、予想した通りプッという音すらでなかった。そして、ご本尊の不動明王像を間近で拝ませていただき、満足の体で聖護院を後にした。

 

さて、聖護院は実は今を去ること50年弱前、高校の修学旅行の宿泊させてもらったところである。当時はそれはもう部屋の襖を指で押すと隣の間に倒れ込むといった古ぼけた宿、宿坊?であったが、いまは御殿荘の名前の通り御殿のような立派な建物へと変貌を遂げていた。

3・宿泊施設・御殿荘
境内の御殿荘 昔は暗くてふる〜い建物だったような・・・
なるほど私が高齢者の仲間入りを果たすわけだ、時間は確実に流れていることを実感させられた瞬間であった。そんな感慨に耽りながら寺域をでると、そこに聖護院八ッ橋の総本店の大きな暖簾が目に入った。

4・聖護院八ッ橋総本店・暖簾
聖護院八ッ橋総本店
そして、ここ20余年八ッ橋を口にしていないことに気づき、買い求めたいと店内に入った。道路上に修学旅行生がちらほらしていたが、なかに入ってみるとショーケースの前は若者の熱気と歓声で息苦しいほど。

5・修学旅行生でいっぱいの店内
若者の熱気がいっぱいの聖護院八ッ橋店内
最近は修学旅行も贅沢になり、少人数単位でタクシーに分乗し洛中を駆け巡っている。帰りに乗ったタクシーの運転手さんの話では、昼食の場所も生徒たちの求めに応じ案内するのだとか。

 

最近の子はアレルギー症が多く、食事のお店選びも神経を使うのだそうで、昔の先生と比べたら今の先生は丸投げできるので本当に楽ですよと溜め息交じりにいっておられたのが印象的であった。

 

そんな修学旅行の学生でいっぱいの聖護院八ッ橋をわたしたちはスルーすることにして、斜め前にあるここが八ッ橋発祥の正真正銘の老舗なのだと、店構えもいかにもといった格式を感じさせる本家西尾八ッ橋本店の暖簾をくぐることにした。

6・本家西尾八ッ橋・本店
歴史を感じさせる店構え さすが老舗!!
店内はしっとりと落ち着いた造りで、店内左手に置かれた聖護院門跡から譲り受けた大門扉や酒井雄哉大阿闍梨の書が目に入る。

7・聖護院から譲られた大門扉と酒井雄哉阿闍梨の書
大門扉と大阿闍梨の書
「江戸時代から八ッ橋やと言えば、西尾だったのです」とHPで謳うだけの歴史と風格を自然と感じさせる。

店員さんの話では聖護院八ッ橋さんはいまの若い人向けに様々な現代的な味の八ッ橋を販売しているそうで、西尾の方は種類はそんなに多くはなく、どちらかというと昔風のものが主体ですとのことであった。なるほど、レモン餡入りの“聖涼レモン”とかさくら餡の“櫻花”とか餡の種類も多彩で季節感たっぷりに若い人向けのネーミングも見事ではある。

8・昔ながらの八ッ橋が幅を利かすショーケース
昔ながらの堅焼き八ッ橋が幅を利かすショーケース
しかし、高齢者への仲間入りを果たしたわれわれ昭和20年代生まれの人間がそんな軟派な時流に乗るわけにはいかない。50年弱前に買って帰った堅焼きせんべいのようなあの八ッ橋とニッキ味とせいぜい抹茶味の二種類の生八ッ橋をここ老舗・西尾で求めたという次第である。

 

帰京後、同年代の家内の友人たちに西尾の八ッ橋をお茶請けにお出しした。

9・ニッキの硬い八ッ橋と生八ッ橋
西尾の堅焼きの八ッ橋とニッキ味の生八ッ橋
みなさん、堅焼きの八ッ橋の方をみて異口同音に「あら、なつかしい」とおっしゃる。

10・ニッキと抹茶の生八ッ橋
抹茶味とニッキ味の生八ッ橋
わたしはすかさず「歯を折らないように」と、なんとも失礼なひと言を発してしまった。あぁ、後の祭り、口は禍の元と頭を低くすること暫しであった。

 

菓子をひと口、それで一挙に数十年の時代を飛び越え、各々の思い出を蘇えさせる魔法の菓子・八ッ橋。

11・昔ながらの堅い八ッ橋
修学旅行のお土産、こんなんだったかなぁ
たまには阿闍梨餅ばかりでなく、話題作りに京土産として購入されてみてはいかがであろう。懐かしい青春の匂い、ニッキの味があなたを一足飛びにお肌ツルツルの世界へといざなってくれるはず・・・。

 

最後に八橋の名の由来であるが、WIKIPEDIAによれば、「箏曲の祖・八橋検校を偲び箏の形を模したことに由来するとする説と『伊勢物語』第九段「かきつばた」の舞台「三河国八橋」にちなむとする説がある」と書いてあった。

 

そこでわたしの新説であるが、仙洞御所の南池に架かる角々とした八橋の形がいかにも堅焼きせんべいの形そっくりで、京のみやびを思えば、その方が似合っていると思うのだがいかがであろうか。

12・仙洞御所の八橋
仙洞御所南池の八橋
中国の庭園にはこの八橋形式の橋が多くみられるのだが、角々と橋を曲げることで真っすぐにしか進めぬ邪鬼を通せん坊するためだという。

 

八ッ橋をひと口、口にすれば邪鬼を追っ払うことができるという謳い文句で宣伝したら、久々の八ッ橋ブーム到来ってなことにならないだろうか。そんなわらべのような夢想にひたらせてくれた本家西尾の八ッ橋であった。



霊験あらたかなる あぶり餅・一文字屋(別称 一和)=旅人の見た京都のお菓子

(当ブログの写真の転用・二次利用を禁じます)
京都市北区紫野今宮町69番地  ☎ 492−6852


あぶり餅が食べたくて今宮神社へ参拝した。

1・今宮神社拝殿に一和とかざり屋の提灯
今宮神社拝殿に献灯された”かざり屋”と”一和”の提灯

もとい、今宮神社は疫病除けのやすらい人形の奉納ができるし、この近くで生まれた徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院(通称、お玉)にあやかり玉の輿にのれるというご利益も盛んな霊験あらたかなる神社なのであった。

0・疫病除けの人形を奉納
今宮神社の自分の名前を書き奉納する”やすらい人形(ひとがた)”

そんな今宮神社へ参拝したご褒美にあぶり餅の“一文字屋和輔”こと“一和”に立ち寄った。

2・右に一文字屋 左 かざり屋
右が”一文字屋” 左が”かざり屋” 奥に今宮神社東門

当店でいただいた略伝によれば、

3・一文字屋
一文字屋の略伝表紙

一条天皇(在位 寛和2年−寛弘8年)の御代に疫病が蔓延。正歴5年(西暦994年)、今宮神社で御霊会を執り行うとひと時おさまったものの、長保2年(西暦1000年)に再び流行。そこで、今度は“やすらい祭”を当社で行なうと疫病がたちまち終息したという。

4・一文字屋略傳
阿ぶり餅の由来

その“やすらい祭“で神前に供えたられたものが、当寺、香隆寺(現在の上品蓮台寺)の名物である“おかちん(阿ぶり餅)”で、初代一文字屋和助が作り、今宮神社の神前に供えたのが、この一文字屋のあぶり餅の始まりであると伝えられている。

5・上品蓮台寺(香隆寺)
京の三大風葬地のひとつ蓮台野にある上品蓮台寺(昔の香隆寺)

都人は疫病を避けようと当社のご利益を求め、こぞって今宮神社へ参詣すると、そのあぶり餅を持ち帰り、家人に分与し疫病を逃れたのだという。

その後、千利休がこの餅を茶菓がわりに用い、爾来、千家の御用達となっているとのこと。

6・一文字・あぶり餅
炭火で焼かれた一文字屋のあぶり餅

そんな所縁を訊くとこのあぶり餅、たかが餅というのも畏れ多い千年の物語をもった何ともゆかしいお菓子なのである。

そのあぶり餅、疫病除けの御利益以外に、俗姓をお玉と呼ばれた桂昌院にあやかり玉のような餅を食べるとお玉(桂昌院)のように玉の輿にのれるご利益があるとのことで、とくに若い女性の間で人気がうなぎ上りになったとか。

00・お玉の井を横から
今宮神社境内に桂昌院から寄進された”お玉の井”が現存

そのご利益は、参道を挟んで店を構える“かざり屋”さんでもあぶり餅をいただけるので、どちらの店が御利益があるか試してみられるのも一興。

7・あぶり餅 かざりや
こちらは創業四百年のかざり屋

その“かざり屋”は創業は四百年前の寛永14年(1637年)にさかのぼるこれまた古い、ふる〜いお店である。

かざり屋・財規への玄関
かざり屋の座敷への玄関

この度、われわれが訪ねた“一文字屋”さんこと“一和”さんが、源氏物語が書き起こされた時代に産声を上げたという“初代一文字屋和助”のお店であった。

8・一文字屋・いち和の暖簾
創業千年の一文字屋こと一和の暖簾

わたしは10年ほど前に、参道をはさんで店を構える“かざり屋”さんでこのあぶり餅をいただいたが、家内は今を去ること四十年ほど前、花も恥じらうお年頃にこの一文字屋さんでいただいたのだという。

9・奥に座敷 手前は今も使用する井戸
一文字屋の奥に座敷席 手前は現在も使用される創業時からの井戸

巷間、「一文字屋さんとかざり屋さん、どっちがおいしい?」、「わたしはかざり屋」、「いやわたしは一文字屋」とかいうやり取りが結構、交わされているようだが、これはその人の好みですなというしかない。


わたしが10年前に食べたかざり屋の味と今回の一文字屋(いち和)の味を10年越しに比較するのもはなはだ非科学的なことは承知の上で申し上げるが、白味噌の甘みが勝っている一文字屋の方が今のわたしはおいしいと感じた。

10・甘い白味噌が香ばしいあぶり餅
甘い白味噌だれがおいしい

ただ、両店の味は一子相伝のものといわれているので、味が一応、不変であると仮定すると、この10年余で甘いものに異様な執着心をよせるようになったわたしが変わってしまい、甘みが少し強い一文字がおいしいと感じたということであろう。

11・今宮神社東門前に二軒のあぶり餅屋
参道をはさみ一文字屋(右)とかざり屋

京都通、あぶり餅通の友人にご意見をたまわると言下に、「エッ? かざり屋がおいしいでしょう」とのたまう。

家内は40余年前との比較のこととて、「どっちもおいしいんじゃない」と、大人の対応。

12・今宮神社出てすぐ
今宮神社東門から一文字屋とかざり屋を

まぁ、紫野今宮神社名物の阿ぶり餅、神社参詣の折には是非、立ち寄られたらいかがでしょうか。

13・右の石灯篭の先に一文字
今宮神社参道に一文字屋、かざり屋はある

一文字屋、かざり屋ともに一人前五百円で、値段は同じです。あぶり餅のハシゴをして、「わたし、やっぱり、かざり屋」、「一文字屋のあぶりは香ばしくって、超ウマ!」なんて、ちょっと京都通ぶってみるのもどうですか。


あなたも癖になる、“松屋常盤”の“味噌松風”=旅人の見た京都のお菓子

中京区堺町通丸太町下ル橘町83 ☎ 075-231-2884



0・名刺

今回は、またまた“和生菓子特殊銘柄品・18品(昭和17年・京都府指定)“の一つである“味噌松風”にチャレンジした。


予約しないと売切れ御免のお菓子だと後に知ったが、そこは旅人の無知なる厚顔さで“味噌松風”を二箱購入した。本当にラッキーであったし、何ともおいしかった。


その“味噌松風”を製造販売する“松屋常盤”は、七卿落ちの舞台、京都御所堺町御門の前、堺町通りを70メートルほど下った右手にある。

1・堺町御門  2・松屋常盤から御所・堺町御門を
京都御所堺町御門            松屋常盤前から堺町御門

当日はタクシーで向かったのだが、運転手さんも地図片手にようやく控えめな看板を見つけて到着した。注意しないと見つけることが難しい何気ない看板である。

3・お店の看板がわかりづらい
控えめで目立たぬ看板

お店は通りより少し引っ込んで建つ三階建てビルの一階にある。

4・松屋常盤のビル店舗

その“松屋常盤”であるが、その創業は承応年間(1652−55)の後期、後光明天皇(在位1643-1654)から“御菓子大将山城大掾(だいじょう)”という官位を賜るほどに由緒正しき御菓子調進所である。


入口に白い麻暖簾がかかっているが、お店の説明書きによると後光明天皇から “禁裏御菓子司” の白暖簾を賜ったとある。

5・松屋常盤暖簾

その白い暖簾の中央に“大掾(だいじょう)”であったことを今に伝える“松屋山城”と黒抜きされているのがなぜかとても印象に残った。


さて、暖簾を分けて店へ入ったのだが、少々、戸惑った。六畳ほどの畳敷きの小上りがあるのみで、いわゆるショーケースなど商品の陳列物が一切ない。


ちょっと驚きを隠せぬわれわれの目の前には小荷物の荷造りか発送作業のようなことをされている奥さまがおひとり。


こざっぱりとしたあまりにも簡素な店内である。由緒のありそうな書が額に入っているが、それも何気なく掲げられている。

6・由緒があるに違いない書もさり気なく

それから松風と書かれた木額も・・・

7・松風の木額があまりにもさり気ない

すべてが自然体・・・な店内。

8・古い看板でしょうか

入って左手に古い木箱や菓子の木型が置かれているのが、ようやくここが菓子屋の老舗であることをうかがわせる。

9・菓子の木型や古式ゆかしいお重がならぶ

「すみません、ここで味噌松風を・・・」と小声で訊ねると、「松風ですね」と応えてくれた。ここで間違いないと胸中でつぶやく。まずはひと安心である。


そして、さらに驚いたのだが、何個入りですかとかカステラのような大きさ何号といった問いかけがない。


そして訊かれたのが、「おいくつですか」


日持ちが三日間と聞いていたので、そう多くも買えないので二箱と注文する。

「少々、お待ちください」と、奥さまが奥へ入る。その間に、快諾いただけた店内撮影を心置きなく行なう。


ひと箱はその夜、夕食をご一緒するご夫婦へのお土産、もうひとつが翌日東京へ戻るわれわれの分である。


小上りで清算しているときに、切手盆のような小さなお盆に目がいった。“松屋常盤”の長い歴史を感じさせられた一品である。お願いして、それも写真に撮らせていただいた。

10・歴史を感じるお盆

帰京後、早速に“味噌松風”をいただく。まず包装紙の闊達な書に興を覚える。中身が楽しみである。

11・包装

包装紙を除けると紙箱が出て来る。今度の書は見事な風格を見せる。

12・紙箱に達筆

松風が我が口に至るまでにも思わず不覚の嘆声をもらしてしまう。


そして、おもむろに箱の蓋を開ける・・・

13・紙箱の蓋をあけるといっぱいに松風
いやぁ〜嬉しくなるこのみっちり感・・・

紙箱の中に香ばしい焦げ色のついた“松風”が目一杯詰まっているではないか。


それもカステラを覆う油紙のような遮蔽物も一切なく、“松風”そのものがド〜ンと目に飛び込んで来る。何故だか嬉しくなるような、得した気分になるような、駄菓子屋でおまけをちょっと貰えた幼児の頃の気持ちに戻った気がしたのである。


とても懐かしくて甘酸っぱくなるような感覚を呼び起こす不思議な箱詰めである。


さて、そこからギッシリ詰まったこれをどうやって取り出すのか、家内と協議となった。そして、まず、包丁で一本分を縦に切って、箱の外へ取り出した。

14・大胆に切り取りました

その作業、見ているだけだが、形を崩さずに取り出すのは、結構、難しそう。それから、ひとり分ずつ切り分けて仲良く食べた。

15・味噌松風

カステラのように切り口がきれいにならぬのは、口にしてみてよくわかった。

モッちりとした歯ごたえがあった。これではスパッと切れぬはず。家内のせいでも包丁の切れ味のせいでもないので、一応、ここに付言しておく。


そして松風の説明書に書いてあったが、西京味噌に小麦粉を練り混ぜ、焼き上げた味は、はっきり言って“癖”になる。

16・紫野味噌松風説明書

味噌味というより、なんだろう・・・ちょっと辛くて甘い・・・そしてこんがり感・・・あぁ〜

この文章を書きながらイヤシン坊の口の中に唾が湧き出すのを止められない。


この“松風”・・・、これは“癖”になる菓子である。美味しい・・・うまい・・・また早く食べたい・・・


でも、京都まで行かぬと手には入らぬ。どうしたものかと、いま、思案中である。


そんな“松風”後でいろいろ調べてみたところ、どなたかのブログで拝見したのだが、手づかみで毟(むし)って豪快に食べるのが大好きという方がおられたが、今度、手に入れた際にはぜひ豪快にと考えている。その方が絶対においしいに決まっている。

17・紙箱にドカンと入っています

ということで、今回の“和生菓子特殊銘柄品18品”は、“松屋常盤”の“味噌松風”でした。


これで、18品目のうち半分の9品目となった。あと9品、全品踏破まで道は遠い。今後、さらなる研鑽に努めねばと決意を新たにしたところである。

祇園祭ゆかりの“祇園ちご餅”・三条若狭屋=旅人の見た京都のお菓子

中京区三条通堀川西入ル橋西町675


祇園祭といえば三条若狭屋の“ちご餅”というのは、京都人の常識だとか。


と云うことで、山鉾巡行の翌日、帰京前に地下鉄東西線にて二条城前駅へ。

1・二条城前
二条城前駅を出たところ

そして、堀川通を下ること500m、三条通堀河西入る、つまり三条通り商店街入口角にある“三条若狭屋”へ銘菓・“祇園ちご餅”を求めに伺った。

2・三条商店街入口角にある
トラックの入った角が入口

本店店舗の外観はいかにも京菓子司の趣きを醸し出す古風な造りである。

3・三条若狭屋

店内に入ると、すぐに“祇園ちご餅”が陳列されたショーケースが目に入る。正面にちご餅を印した暖簾が下がる。

13・祇園ちご餅の暖簾がかかる店内

そして、堀川通りに面してカウンターカフェがある。店内でお茶を戴きながら若狭屋の菓子を愉しむことのできる造りになっていた。

4・カウンターカフェ
早朝の入店のため、まだカフェが準備中であった

“ちご餅”は祇園祭所縁の京菓子であるが、昭和17年12月に京都府が指定した“銘菓和生菓子特殊銘柄品18品目”のひとつとしても有名である。

18・ちご餅
祇園ちご餅

祇園祭所縁というのは、この“祇園ちご餅”誕生譚が以下の説明書にあるので参照されたい。

5・祇園ちご餅

要は山鉾に載る生き稚児さんたちが八坂神社で御位貰いの儀式を終えたのち、楼門前で味噌だれをつけた餅を衆生にふるまったことに因むというのだ。


そしてこれを食べると、ちご餅に添えられた短冊にあるように“疫を除き福を招く”というので、京の人々はこぞって稚児さんからふるまわれる餅を求めたのだそうだ。

7・三本入りのちご餅

この三条若狭屋の“祇園ちご餅”の包の形状が山鉾町で求める厄除けの粽に似せてあることも、厄除けの祭、祇園祭にはなくてはならぬ菓子となっていったのではなかろうか。

6・粽の形をした包  8・蘇民将来の子孫也と記された粽と長刀鉾のフィギュア
左:3本のちご餅の入る包      右:放下鉾の粽と長刀鉾のフィギュア

包を開けると竹串に刺された“ちご餅”が現われるが、氷餅をまぶした求肥のなかに甘く炊いた上品な白味噌が入っているのもそうした所縁に基づいたものである。


ひと串口に入れると、氷餅のザラメが甘みを舌の上に載せ、やわらかな求肥を噛むうちに楚々とした白味噌の風味が口中に残る甘みとしとやかに調和する。

9・疫を除き福を招くちご餅

その味は上品でかつひと包に三本というのもまた奥ゆかしく、その由来と併せてまさに京都のお菓子というのにふさわしい逸品である。


お店のお嬢さんにまずは“祇園ちご餅”の5包入りをお願いする。

10・五包入り

その“ちご餅”を包装していただいている間にショーケースを子細に覗き込む。ちご餅以外にも甘党の心根をいたくくすぐるおいしそうな京菓子が並んでいる。

11・ちご餅以外にショーケースにはおいしそうな京菓子が並ぶ

そこで、いまは残念ながら製造が停止された“御所羊羹(銘菓和生菓子特殊銘柄品)”の代わりに“小倉羊羹”をひとつ求めた。これも18品目踏破を目論むわたしである、当然、それに少しでも肖(あやか)るお菓子だと勝手にわたしが決めて、注文したのである。


このようにして見境なくお菓子を購入し過ぎたため、実は、まだ小倉羊羹まで食すに至っていない。ということで、ここでは包装箱入りの写真を掲載する。

12・小倉羊羹

もちろん後日、小倉羊羹の生身写真は補遺することにする。


次にわたしの視線は小倉羊羹からちょっと右手にスパンして、あるお菓子を認めた。炎暑の夏に涼をもとめるかのような“京のせせらぎ”である。

14・今日のせせらぎ箱入り

色合いがまるで山間をめぐる清流のごとく目にも涼やかであったので、暑い京都でつい手が出たのは致し方のないところである。

15・京のせせらぎ説明書

本日、東京も36度という猛暑日。早速、“京のせせらぎ”で涼感を求めたという次第。

16・京のせせらぎ

口にしたこの家伝の琥珀糖を使った干菓子がまたミントのかすかな香りがしたりまことに爽快な風味であり好ましい。


三条若狭屋は明治26(1893)年に初代の藤本茂弘氏が“本家若狭屋(江戸文化年間に創業、屋号・若狭屋は若狭高浜の出身による。戦後この本家は廃業)”から“若狭屋茂弘”として分家独立したのが始まりという。 その後屋号を“三條若狭屋”と改め、昭和21年に現在の場所に移転し、今日に至っている。現在の当主は四代目・藤本知靖氏である。

17・暖簾

二条城前から歩いて6分ほどの至近にある三条若狭屋。祇園ちご餅はまさに京都の菓子、それにカフェもよし、お土産に日持ちが14日間という“京のせせらぎ”もお洒落でよし。


よいことずくめの三条若狭屋!! ぜひ一度、古風な佇まいの本店へ立ち寄って見られてはいかが。




日本の菓子のルーツ“清浄歓喜団”を“亀屋清永”で求めた=旅人の見た京都のお菓子

東山区祇園町南側534  ☎ 075−561−2181


”亀屋清永”は四条通りが八坂神社へ突き当たる祇園の三叉路を右折、70mほどいった東大路通り沿いにある。

亀屋清永店構え

“亀屋清永”は、わたしが最近、順次、訪ね歩いている“和生菓子特殊銘柄品18品(*)”のひとつ、“清浄歓喜団”という唐菓子(からくだもの)を製造販売する創業が元和三年(1617)という400年もの歴史を有する京菓子司である。


亀屋清永・暖簾

 

   和生菓子特殊銘柄品は、戦時中に物資統制され菓子の製造が難しくなった時に京都府が伝統菓子の保護のために昭和17年12月に選定した18品目の京都の菓子である。


“清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)”とは、これまたお菓子の名前としては奇妙奇天烈なものであるが、この菓子こそ日本の菓子のルーツだと知ってさらに驚いた。

菓子のルーツ
菓子のルーツ、唐菓子・清浄歓喜団

“清浄歓喜団”は、奈良時代、仏教の伝来とともに遣唐使により8種の唐菓子(からくだもの)と14種の果餅(かへい)がその製法と合わせ伝えられたが、その唐菓子8種のうちのひとつである。

亀屋清永・清浄歓喜団の由来

これら唐菓子は天台宗や真言宗など密教のお供え物として仏教寺院にその製造方法が長い間秘法として継承されてきた。


“亀屋清永”には、唐菓子のひとつである“清浄歓喜団”を作る秘法が江戸時代初期に比叡山の阿闍梨から伝授されたことが伝えられている。


“清浄歓喜団”は、漉し餡に「清め」の意味を持つ白檀、竜脳、桂皮末など七種の香を練り込み米粉、小麦粉で作った生地を金袋型に包み純正の胡麻油で20分、揚げて作った菓子である。

清浄歓喜団

伝来当時は中身は栗、柿、あんず等木の実をかんぞう、あまづら等の薬草で味付けしていたものが、江戸中期以降、小豆餡を用いるようになったという。

中身は餡子

餡に代わってからでも300余年が経過しているというとんでもない菓子なのである。


食べる前にちょっと焼いてから口にすると、包んだ皮が少し柔らかくなり食べやすい。味は何せ白檀などの高価なお香が練り込まれており、高級料亭で戴いているような、そんな贅沢な気分にさせられる。

清浄歓喜団五個入箱
五個入りの箱

五個入りで2600円だから決して安くはない。わたしも心して戴いたところである。

唐菓子です

そして、この“清浄歓喜団”の八葉の蓮華をあらわす八つの結びや金袋になぞらえた形状は、1300余年前の唐菓子の姿を忠実に保っているのだという。

清浄歓喜団の八つの結び目は蓮華の八葉
八つの結び目が蓮華をあらわす

また亀屋清永には“清浄歓喜団”のほかに、遣唐使が伝えた果餅(かへい)14種類のひとつである“餢飳(ぶと)”も伝わっており、神社の祭礼に供えられる神饌菓として現在も使用されている。

亀屋清永の果餅・餢飳(ぶと)

店内には、そうした神社仏閣のご用達所としての当店の歴史を物語るように、至近の八坂神社はもとより、延暦寺、下鴨(賀茂御祖)神社、金戒光明寺、南禅寺、清水寺などなど錚々たる大寺院、神社のご用達先の木札が掲げられている。

多くの神社仏閣ご用達
錚々たる寺社・仏閣の木札が並んでいる

その証でもあるまいが、店内には第253代天台座主・山田恵諦(えてい)氏の揮毫になる“清浄歓喜団”の扁額がさり気なく掲げられている。

第253代天台座主山田恵諦揮毫

そうした由緒正しい亀屋清永であるが、店内のスペースは狭く、ショーケース脇の板戸の奥が製造場所となっている。

ショーケース
ショーケース

その店の造りは華美に走ることもなく質素倹約の商売のあり方を頑なに守って来ているようで、1300有余年、唐菓子と果餅の形状を忠実に守り続けてきた“亀屋清永”の哲学が店舗の姿にも色濃く反映しているように思えた。

板戸の向こうで菓子製造
この板戸の奥が菓子の製造所

その狭い店内にちょっとした縁台が置かれている。“清浄歓喜団”を包装する間に、われわれ夫婦は喉を潤す冷茶と栗餡の“栗くり”という愛らしい名前の一口サイズの焼菓子でもてなしを受けた。何だかひとつひとつが有り難いと感じる不思議なお店であった。


今回は“清浄歓喜団”のみを求めたが、次回は“餢飳(ぶと)”にも挑戦したいと考えている。




京都の女の子に大人気の京洋菓子司・“ジュヴァンセル 祇園店”=旅人の見た京都のお菓子

東山区八坂鳥居前南入る ☎ 075−551−1511


八坂神社へお参りしたついでに、家内がちりめん山椒の“やよい”でちょっと買い物したいというので、南楼門を抜けて料亭旅館“畑中”やイタリアンの名店“キメラ”の前を過ぎ、一路、“やよい”へ向かった。


白い服の女性が入ろうとしている処がジュヴァンセル
”やよい”から八坂神社南楼門を見る


その“やよい”の3軒手前あたりに何故だか若い女の子たちがたむろしていた。

京うつわ”京ばん”の隣りの細い通路が入口
この角に女の子たちがたむろしていた。このお店は”京うつわの京ばん”
家内と何だろうねと喋りながら、“やよい”に入り、定番の“ちりめん山椒・おじゃこ”と季節限定の“山蕗ちりめん”を求めた。
ちりめん山椒の”やよい”
ちりめん山椒の”やよい”

そして、店内に置かれた縁台で冷茶をいただき、八坂神社、円山公園の散策で渇いた喉を潤し、外へ出る。

冷茶で喉を潤す

先ほどの女性たちの姿は消えていたが、その前へ来ると、路上にメニュー台があった。

暖簾の外にメニューがあります

二人で覗き込むと、要はスィーツ処である。ビルのなかに石敷きの細い通路が続いているのが見える。

突当り右手のエレベーターで二階へ

その入り口には浅葱色の“京洋菓子司 ジュヴァンセル”との暖簾がかかっていた。


メニューを覗き込んでいる間にも、若い女の子が横をすり抜け薄暗い細道へ入ってゆく。


二人して“うん?” “先ほどの女性軍はこの中へ入り込んだってこと?” 目を合わせると暗黙の了解である。われわれも勇躍、細道へ跳び込んだ。


突当りエレベーターにジュヴァンセルの案内が貼ってある。

エレベーターに貼られた案内

二階でドアーが開くと、“ジュヴァンセル”の店内といってよい。女の子たちのお喋りが聴こえて来る。


店内奥にテーブル席があったが、若い子たちばかりなので、気恥ずかしくてすぐ目をそらし、ショーケースを覗き込む。

店内ショーケース

どうも、老夫婦が来るには、少々照れくさいお店である。そこで、ここの評判の菓子であるという“竹取物語”を購入した。


家内が精算している間にも若い子たちが入店、順番待ちをするといった状況。

BlogPaint

いやはや、開店後、まだ13分しか経っていないのにこの盛況である。京都の女の子に人気のお店であることは確からしい。


帰京後、箱に入った竹取物語を取り出す。

”竹取物語”は箱入り娘です 竹の皮で包まれています

竹の皮に包まれているケーキである。名前の由縁であろう。

竹の皮をむくと大粒の和栗やつやつやした黒豆が“これでもか”といった体でトッピングされているケーキが出現。

竹皮に包まれた竹取物語

早速に、切り分けた竹取物語がお皿に載せられてきた。

大粒の和栗と黒豆がトッピングされている”竹取物語”

口に放り込むとふくよかな和栗の味と黒豆の甘さにほんのりとラム酒の香が混ざって、なかなか上質の味に仕上がっている。


これは、今後も京都の土産に使えると、まずは自分の食欲を満たすために、“オイシイ”、“オイシイ”と、二切れ目についフォークを伸ばしてしまったわたしであった。


そして、“ジュヴァンセル”が京都の女の子に人気があったのは、購入した竹取物語がお目当てではなく、“祇園フォンデュ”という代物だということが後でわかった。


季節のフルーツやお団子、パウンドケーキをとろりとろけた抹茶チョコレートソースにつけていただく人気メニューなのだそうだ。


そして、つけ終わって残った抹茶チョコレートにはホットミルクを注いでくれるそうで、チョコレートソースを少し残しておくのが、この祇園フォンデュを食べる時の極意なんだとか。なるほど今どきの女の子たちの情報網は怖るべしと感じた次第である。





餡子好きには堪らぬ、甘泉堂の“とりどりもなか”=旅人の見た京都のお菓子

東山区祇園東富永町 ☎ 075−561−2133

10:00−22:00・定休日 日曜日


春は花、夏は涼みに秋紅葉、冬は雪見ととりどりに四切れに分けて色も香も、たがえて忍ばす巧みのあんばい、先ず一切れを召しませば、いとし由縁の京情緒、舌に床しく風味する、そそる味覚に二切三切ついつい手を出すとりどり最中・・・

甘泉堂主人挨拶

と、主人の口上がつづく甘泉堂は、細い路地の奥にある。

細い路地に入ります
この細い路地の奥、左手に甘泉堂はある

四条通りと花見小路角の“よ−じや”の隣りの“京都現代美術館”横の路地を北側に入ってゆく。

京都現代美術館脇の路地を入る
表のこの甘泉堂の看板が目印

目印はその路地入口に掲げられる“京菓子司 甘泉堂”の看板である。

左手に甘泉堂の看板
左手に甘泉堂の縦看板

店構えはいたってこじんまり。

甘泉堂の店構え

店内正面に京都出身の文人画家・富岡鉄斎揮毫の味わい深い書・“甘泉堂”の扁額が素っ気なく掛けられている。

富岡鉄斎揮毫の扁額

そこに130年におよぶ当店の歴史が見て取れるが、雰囲気は老舗の京菓子司というより、下町のご近所にある肩の凝らぬ菓子屋といった風情である。

甘泉堂店内
飾らぬ店内

店内に入ってもよいのだろうが、硝子戸が開けられており、道ばたからショーケース越しに注文するというこれまた庶民的で威張っておらぬところが好ましい。

”とりどりもなか”の見本が置かれたショーケース

ショーケースには“とりどりもなか”の餡の説明がなされた見本も、まぁ、飾り気なく置かれている。

季節限定の水ようかんも  おいしそうな菓子が・・・

また、季節限定の“水ようかん”もあった。次のお客さんは、これを所望しておりました。

今回、お目当ての“とりどりもなか”は、物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと時の京都府が砂糖などを特別配給、保護した和菓子特殊銘柄18品のひとつで、川端道喜の“ちまき”や亀末廣の“竹裡(ちくり)”などと並ぶまことに由緒正しき御菓子なのである。


その“とりどりもなか”は注文してから餡を詰めてくれるので、手にするのに少々時間がかかる。皮のパリッとした食感を壊さぬための手間なのだという。


といっても、二個頼んでほんの2、3分程度の時間でしたが・・・。

ただ、この短い待ち時間が、温かな手作り感を顧客に伝えてくれる重要な要素であるとのちに思いついた。


帰京後、早速、“とりどりもなか”をいただく。

箱の中、こんな紙袋に入っています
紙箱のなか、紙袋に入っていました

直径14cmほどの大きな最中です。

直径14cmほどの大きい最中

その最中が島津藩の家紋・丸十のように最中の皮に溝が刻まれ、四つに仕切られている。時計回りに右上から春・夏・秋・冬の意匠が焼き付けられている。

四切れに分割
四つに分けます

その四つの仕切り毎に、甘泉堂主人の「ここ許参らするとりどり最中をご覧じませ一つが四季の味がする・・・」との挨拶にあるように、春の大納言粒餡(小豆・砂糖・寒天)、夏の緑色の柚餡(手芒(テボ)豆・砂糖・寒天・柚子)。

春の大納言粒餡 夏の緑色の柚子餡
左:春の大納言粒餡             右:夏の緑色柚餡
秋の小豆漉し餡(小豆・砂糖・寒天)、冬の白インゲンの斗六漉し餡(手芒豆・砂糖・寒天)と四種類の餡が一つの最中で楽しめる。
秋の小豆漉し餡 冬の白隠元の漉し餡
左:秋の小豆漉し餡           右:冬の白隠元の斗六漉し餡


アンコ大好き族には堪らぬ菓子である。それも・・・大きくて・・・食べ応えがある・・・


それでは、店主に代わり、甘泉堂の“とりどりもなか”、
「豊かな味も伝来の暖簾にかけし最中の家元 先づは召しませ、試しませ」

京都祇園を訪れた際には京都の路地(ろーじ)に足を踏み入れて、甘泉堂の“とりどりもなか”を是非ともご賞味あれ。


“総本家駿河屋”の“古代伏見羊羹”=旅人の見た京都のお菓子

伏見は京都の南、宇治川の北岸に展開し、江戸時代には水運で栄えた宿場町であった。

伏見の水運 旅籠・寺田屋
伏見の水運              旅籠・寺田屋

近くは坂本龍馬の寺田屋や鳥羽伏見の戦いなど沸騰する幕末の時代を、遠くは安土・桃山の豪華絢爛、自由奔放な時代を、伏見桃山城の眼下に、まさに直に眺めてきた土地である。

伏見稲荷
伏見稲荷

その伏見の地、京阪本線の伏見桃山駅、近鉄京都線・桃山御陵駅から徒歩1分のところに“総本家駿河屋伏見本舗”はある。


京町通りを隔てて対面には、明和元(1764)年、讃岐出身の初代・三郎兵衛が創業した老舗京懐石・“魚三楼(うおさぶろう)”がある。

京懐石老舗・魚三郎

その店先の格子には鳥羽伏見の戦いの際に受けた弾痕がいまも生々しく残されていた。まさに、幕末乱世の劇中に舞い降りたような気分になれる通りでもある。

魚三楼店頭にある説明版 鳥羽伏見の戦いで受けた弾痕
弾痕がそのままの魚三楼の格子

今回は、前にご紹介した亀屋良長の“烏羽玉(うばたま)”や亀末廣の“竹裡(ちくり)”と同じく、戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した“和菓子特殊銘柄18品”のひとつ、“古代伏見羊羹”に迫ってみた。

伏見本舗
総本家駿河屋・伏見本舗

総本家駿河屋は寛政二年(1461)、初代岡本善右衛門が船戸庄村(現在の伏見の郊外)に「鶴屋」の屋号で饅頭処の商いを始めたのを嚆矢とする。

店内
店内

天正年間に蒸羊羹を改良し「伏見羊羹」、別名「紅羊羹」を発売。それが、豊臣秀吉の大茶会で諸侯に引き出物として用いられ絶賛された(同社HPによる)。

店内・古代伏見羊羹説明書き
古代伏見羊羹の説明

ただ、どうもこの古代伏見羊羹は従来の蒸羊羹を改良して、澱粉、砂糖に赤色を加えた紅羊羹で、実際のところは今の煉羊羹とは異なるものであったようである。


さらに、駿河屋HPにある“天正17年(1589)の北野の大茶会で供された”ことについては、大茶会開催が天正15年であることから、総本家駿河屋の紅羊羹が引き出物として供され絶賛を博したのは、天正17年5月20日に催された聚楽第で公卿や徳川家康など諸大名に金6千枚、銀2万2千枚の金銀を配った、世に云われるところの“太閤の金配り”の際のことであったと推測される。


能書きはこれぐらいにして、早速に古代伏見羊羹を食べてみよう。購入したのは“夜の梅”と“練羊羹(紅羊羹)”の二棹の課題羊羹である。

古代伏見羊羹 夜の梅・紅羊羹

それと、比較の意味で、現代版の“夜の梅”を一棹購入した。家内に言わせると、何が比較衡量だと申しておりましたが、やはりグルメの達人の道へと少し足を踏み入れた男として、それは、突然、偶然でもなく、必然の行為であると、強く主張したい。

夜の梅・包装

それで、まず、現代版の“夜の梅”をいただく。見た目も肌裡細やかで、切り口に小豆が浮き出て、まるで夜の闇に浮かぶ梅の花のよう。

現代の夜の梅

味も上品な甘さでとてもおいしい。


次に、古代伏見羊羹の練羊羹、いわゆる紅羊羹をいただく。見た目に砂糖が少し吹き出しているのが、何とも郷愁といおうか、懐かしさを感じさせる。

古代伏見羊羹・練り羊羹

味はすっきり素朴で、甘みがしつこくなく、本当においしい。これぞ、“羊羹”である。昨今の甘みのきつい羊羹は、量があまりいけないが、これだと思う存分に羊羹の世界を堪能できる・・・


次に古代伏見羊羹の“夜の梅”にいく。

これはまた、見かけも漆黒の闇から咲き乱れた梅の花が浮かび上がってきたようで、なかなかの趣きである。

古代羊羹・梅花が浮き出ています

おいしい・・・おいしい・・・おいひ〜い!!

古代紅羊羹・肌裡は細やかです 古代羊羹・しっとりしています

これが羊羹!! これぞ羊羹!!と、はしたなくも雄叫びを上げたものでした。


以上が“古代伏見羊羹を食す”のレポートであるが、この紅羊羹を製造販売する法人・(株)駿河屋の現況についても、残念ながら少し触れておかねばならぬ。

総本家駿河屋看板

駿河屋(本社・和歌山市)は本年1月17日に和歌山地裁に民事再生法の適用を申請、保全命令を受けている。


ただ、同法の適用が受諾されたことから、これまで通り営業を続けながら同社の再生が図られてゆくわけで、古代伏見羊羹は今までと同じようにわれわれは口にすることが出来る。


古代伏見羊羹札

“古代伏見羊羹”の熱烈なファンが少なくとも、一人、ここに厳然といることを同社経営陣は肝に銘じて速やかなる再建を果たさんことを強く願うものである。


そしてこの懐かしい味をわたしの舌の上に運んでくれる“紅羊羹”を、これからも大切に心を籠めて作り続けて頂きたいと望む。


そのためにも全国羊羹愛好会の一員であると自負して止まない方々は、総本家駿河屋に伺うもよし、ネットで購入するもよし(電話で頼めば、古代伏見羊羹も送ってもらえます)、彦左衛門のためにも、古代伏見羊羹を食べてくださ〜い!!



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“亀屋良長”で念願の“烏羽玉(うばたま)”を求める=旅人の見た京都のお菓子

“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”が買えた〜!!=旅人の見た京都のお菓子

京都市下京区四条堀川町東入北側醒ケ井角

075-221-2005

亀屋良長


ぬばたま(烏玉)の夜の更けゆけば久木(ひさぎ)生ふる 清き川原に千鳥しば鳴く

(万葉集・山部赤人)

ぬばたま(夜干玉)の吾が黒髪を引きぬらし、乱れてさらに恋わたるかも

(万葉集・詠み人知らず)

“亀屋良長”は四条堀川の交差点から東に一筋目の醒ヶ井(さめがい)通りと四条通りのぶつかる角に位置する享和3年(1803)創業の京和菓子の老舗である。

四条通りを挟んで”亀屋良長”のビルを見る
四条通りを挟んで”亀屋良長”ビルを見る

“鶴屋吉信”が同年の創業であり、先に紹介した姉小路の“亀末廣”が文化元年(1804)創業ということなので、この頃、現代まで暖簾を継ぐ“上菓子屋”が続々と立ち上がっている。


四条堀川交差点から”亀屋良長”ビルを見る

当店を訪ねた理由は、20114月に九州の平戸を旅した際に訪ねた「蔦屋総本家」(創業・文亀2(1502))という菓子舗で、売り切れの為購入を断念した平戸藩主のお留め菓子であった“烏羽玉(うばたま)”なるものがどうしても食べて見たかったからである。


平戸の菓子をなぜ京都で?

亀屋良長前
亀屋良長本店前

何となれば、その“烏羽玉”なる菓子を創業以来200年以上にわたり家伝銘菓として作っていたのが、京都の“亀屋良長”という菓子司であったからである。


そしてこの烏羽玉も、“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”同様に、戦時下の昭和17年、京の菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した“和菓子特殊銘柄18品”のひとつなのである。

亀屋良長店内
亀屋良長店内

烏羽玉は茶花のヒオウギの実「ぬばたま」をかたどった菓子で、波照間島産の黒砂糖入りのこし餡を寒天でくるみ、ケシ粒をかけたビー玉状のまことに愛らしい菓子である。


烏羽玉

ひと口で食べるのはもったいないので、まず半分かじってみた。ヌバタマの艶光を表わすしっとりした寒天の膜をサクリと噛み割ると、黒糖で濃縮されたこし餡の甘さが舌の上に広がる。甘党には堪らぬ至福のひと時である。

寒天におおわれた中身は黒糖入りのこし餡です
黒糖の入ったこし餡

さて、烏羽玉(うばたま)とはずいぶんと変わった名前であるが、その由来が当店のHPで以下のように説明されている。


「お茶花(ちゃばな)のヒオウギは、この葉があたかも平安期の大宮人が用いた“桧扇”のような形になるのでその名があります。夏に花を開いた後、袋状の実を結び、それがはじけると中には黒色の種子が入っています。『漆黒』というよりも、濡れて光り、見る者の心を吸い取り透明感さえ与える小さなつぶ。この実が“ヌバタ マ”です。


『ぬばたまの吾が黒髪を引きぬらし、乱れてさらに恋わたるかも』

万葉の古歌にもみられるようにぬばたまは黒、夜、夢にかかる枕詞で「ぬば」という語は『黒い』の最も古い言葉とされています。

当店の烏羽玉(うばたま)も転訛して、その名がつけられたものです。烏羽玉は当店が創業の昔より代々作り続け、今まで受け継がれてまいりました銘菓で、昔通りの黒砂糖を用いた桧扇の実を思わせる漆黒のお菓子でございます。」


烏羽玉です、漆黒の感じ出てますかね

そこで、帰京後、ヌバタマなるものを調べたところ、何とこの10月頃に檜扇(ひおうぎ)の種子であるヌバタマが成るというではないか。

都立野川公園
都立野川公園

早速、三鷹市にある都立野川公園(40万屐貌發亮然観察園(5万屐砲悗搬を運び、ヌバタマを見つけ出すことに成功した。

自然観察園内
自然観察園内

何せ5万屬箸い広大な敷地の中で、総数で数十株ほどの檜扇を見つけるのだから、それは難事業・・・。でも、職員さんに植生する辺りを事前に確認していたので、何とか黒い実を発見・・・喜び勇んで「見つけた」と叫んだところ、草花大好き人間の家内が「葉っぱが違うでしょう。檜扇の形をしてないでしょ」と冷ややかに却下。

葉っぱが檜扇の形
檜扇の葉、檜扇を広げた形にそっくりです

その直後に「こっちにあるわよ」と家内の声。そこにヌバタマの袋を見つけ、まだ袋が弾けていないと落胆するも、すぐにまた「こっちの方は実が出ている」との声に、トボトボと歩を運ぶ。


檜扇の種が入った袋が・・・、でも種のヌバタマがまだ・・・

袋が弾けたやつがありました
これぞヌバタマ
まさに艶光りする漆黒のヌバタマです

なるほど、実の大きさは思ったよりも小さかったものの、艶光する黒い実は、まさに烏羽玉の艶っぽさそのもの。 “ぬばたま” という言葉が、夜や黒を導く枕詞であることをある種艶めかしく感じた瞬間であった。


といった顛末にて、山部赤人の短歌など教養度もちょっとアップし、秋日和の半日、お弁当持参で公園まで足を運んだ甲斐があったと“亀屋良長”さんに遠く東京から感謝申し上げる次第である。

野川公園内を流れる野川
野川公園に流れる野川
ホット・サンドのお弁当食べて・・・
ホット・サンドのお弁当を好天の園内で食べました

烏羽玉の顛末はこれくらいにして、亀屋良長で見つけたほかのおいしいお菓子もご紹介しなければならぬ。 


まずお店で目をつけたのが“ほほ柿”である。


”ほほ柿”です

生地はモチモチとして柔らかくあの阿闍梨餅に似ているようだが、もっとしっとりとした上品さがある。

ほほ柿
しっとりとした生地のなかに・・・

そして“ほほ柿”の名はもちろんその中身にあり、寒天をかけた熟柿が三層にうすくはさまれている。

中に寒天をかけた熟柿が入っています
この熟柿がおいしいことといったら・・・

柿大好き、それも熟し柿大好き人間のわたしには、スライスされた熟し柿がモチッとした求肥粉入りのカステラ生地に挟まれたこの“ほほ柿”は、まさに頬っぺたが落ちるほど“うんめ〜い”(NHKの“おひさま”で陽子が口にしたイントネーションで・・・)菓子であった。これもそんじょそこらでは手に入らぬ秋限定の逸品である。

醒ヶ井水のお茶と”季の菓”でおもてなしを受けました
醒ヶ井水でいれた煎茶と”季の菓”の”夕暮れ”でおもてなし

もうひとつが“季の菓”というひと口サイズの羊羹に寒天をかけた菓子である。良長さんに入って、烏羽玉以外にもおいしそうなお菓子があったので物色していたところ、「こちらでおひとつお茶でもどうぞ」と女性の方が出してくれたお茶請けが、この“季の菓”の柿入り錦玉と粒あん羊羹の“夕暮れ”というものであった。

柿入り錦玉と粒あん羊羹の”夕暮れ”
夕暮れ

この色合いも秋めいた可愛らしい菓子を店前に湧き出る醒ヶ井の名水でいれた煎茶ともども、おいしくいただき、早速、琥珀羹と餅羊羹の“月あかり”、葡萄ジュース入りの“ぶどう”、羊羹の上空に星あかりだろうか金箔入りの“夜長”を買い求めた。

琥珀羹と餅羊羹の”月あかり”
月あかり
”ぶどう”
ぶどう
金箔入りの”夜長”
夜長

味はもちろんだが、ちょっとしたお茶請けにお洒落で上品な菓子である。お客様に「わ〜、可愛いい」と褒められること請け合いの小品である。

店頭の“亀屋良長菓子舗”の看板に“宜茶宜酒”という四言が揮毫されている。


”宜茶宜酒”の看板

帰京後、電話にてお訊ねしたところ、亀屋良長の菓子は「茶に宜(よろ)し、酒にも宜(よろ)し」ということだそうで、既に全菓子を胃袋に納め終わったわたしは、次回こそは酒に宜しおす“亀屋良長”の菓子でちょっと一献と洒落込もうと算段したところである。


店内にも酒器形の板に宜茶宜酒の言葉が

店内には “宜茶宜酒“の瓢箪形の木版と”懐澄”という額が掛かっていた。


”懐澄の書が掛る

この“懐澄”とは、二代目当主が定めた「懐が澄む」という家訓ということであった。これは懐を誰に見られてもよいように適正な利潤をあげながら事業を継続せよという意味だという。“亀末廣”の家訓である「一対一の商い」と相通じるもののある、市場原理主義一辺倒の時代に爽やかな一石を投じるものであると深く感じ入った次第である。

醒ヶ井
店の前に名水”醒ヶ井”が湧き出る

醒ヶ井水のお茶のお持て成しやお店の方の洗練された応対ぶりなど、“亀末廣”同様にまたまた“商いの本質”、“商人道”に触れさせていただいたひと時であった。

“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”が買えた〜!!=旅人の見た京都のお菓子

“亀屋良長”で念願の“烏羽玉(うばたま)”を求める=旅人の見た京都のお菓子

京都市中京区姉小路通烏丸東入ル

075-221-5110

定休日:日祝日・正月

営業時間:8001800

亀末廣 


亀末廣は
文化元年(1804)に伏見醍醐の釜師であった初代・亀屋源助により創業され、以降、二条城の徳川家や御所から特別注文を賜ってきた歴史を有す京菓子の老舗である。

右読みの亀末廣店看板
右読みの亀末廣の看板

趣のある名刺です

夏の銘菓・夏柑糖(なつかんとう)や正月の花びら餅で有名なあの上七間の老舗“老松”でさえ明治42年(1909)創業というのだから、菓子作り200余年の歴史を誇る“亀末廣”は、次に紹介する亀屋良長(創業1802年)と並びまさに京菓子司として老舗中の老舗といってよい。

亀末廣本店正面
亀末廣の歴史を語る建物

店舗はここ烏丸御池の本店のみである。


明治29年に唯一暖簾分けした名古屋(中区錦)の“亀末廣”が奇しくも今年の731日をもって廃業したことで、“亀末廣”の名前を冠する京菓子屋は本当にこのお店のみということになった。
 

菓子の木型を額縁に活用した由緒ある看板
看板の額縁は菓子の木型を利用している。これって、江戸時代のエコ?

したがって、これからご紹介する菓子も一部商品の例外的発送はあるものの、この烏丸御池のお店、この飴色の木のカウンター越しに手渡しで買い求めるしかない。

このカウンターにお菓子が並んでいます
飴色をした木製カウンター

ネット通販全盛のこの時代、逆に人肌の温もり、人情が直接通じあう商いのあり方にこだわる姿勢はまことに痛快この上なく、まさに見事というしかない。

昔のお店の佇まいそのままです
どこか懐かしい大福帳の架かる風景

その商いのあり方や長い歴史を目で見、実感できるのが、亀末廣の建物外観、右読みの表看板、商家という語感そのままの店内造作、菓子屋とは思えぬ広い敷地などなどである。

古い歴史を物語る亀末廣の建物
広い敷地の一画が店舗となっている

すなわち暖簾をかき分け、一歩、店内に足を踏み入れると、そこにははじめて訪れた処とは思えぬ温もりのあるどこか甘酸っぱく懐かしい空間があった。

”かめや末ひろ”の暖簾が架かる
温もりのある空間

そして何よりもお店の方の応対ぶりが、“亀末廣”の家訓である「一対一の商い」、「一人のお客様との、心のふれあいを大切にして」、“そのまま”であったことが、一見(いちげん)の旅人であってもかねての馴染み客のように振る舞え、そこに長い歴史で培われた商いの本質を見せてもらったようで、殊のほか心地好く得難い体験ができたと深く感謝している。

古い歴史を感じさせる陳列品
歴史を感じさせる調度品が・・・

その日(9/26)、わたしはひそかな期待をもって亀末廣に足を踏み入れた。


そしてまずカウンター上の菓子に素早く視線をめぐらせた。秋限定の“竹裡(ちくり)”があるか否かを確認しようとしたのである。

そして・・・見つけた・・・「あった!!」 

竹裡があった!
竹裡(ちくり)があった!!

物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行なうことで保護しようとして選抜した京都の“和菓子特殊銘柄18品”の一品である“竹裡(ちくり)”を求めるのが、今回の旅の大きな目的のひとつであった。


だから、カウンターに置かれた“竹裡(ちくり)”を認め、「竹裡ありますか」と問うて、「はい」と言われた時は、掛け値なく本当にうれしかった。


まさに「売って喜ぶよりも、買って喜んでいただく」という亀末廣の家訓通りの“竹裡(ちくり)”との出逢いであった。


聞けば、今年、竹裡が店頭にならんだのは前日であったということで、己の運も満更ではないと、ちょっと嬉しくなったりしたのである。

“竹裡”は亀末廣指定の丹波の新栗が入手できる9月の末頃から10月末、長くて11月の上旬までのわずかにひと月ほどの短い期間の限定販売なのである。

ただ、この限定販売と殊更に強調しているのも、竹裡を手にできたわたしがレア物だぞと自慢しているだけであって、お店の方にそんな思いはなく、「(そんなに慌てずとも)栗が入って来る間は竹裡は大丈夫ですよ」と、やさしく言ってくれたことを付け加えておかねばならぬ。

おいしいものを本当においしくいただいてもらえる時期だけにお客様にお届けする。

店主は言われる。

「近年は、味わい深い京菓子の季節感も、しだいに薄れつつあるように思われます。しかし、当店は昔ながらの変わらない味、手づくりの良さにこだわりながら、京菓子の風情や風雅を守っていきたいと考えています」

まさにその通りの亀末廣の“竹裡(ちくり)”であった。 

竹裡の趣ある包み紙
竹裡の趣ある包み紙

その竹裡とは、20cmほどの竹の皮に巻かれた栗蒸し羊羹である。 

竹裡
ひと棹20cmほどの竹裡

食べ方は「竹皮のままニセンチくらいに切ってから皮をむき」召しあがれと、亀末廣の主が丁寧に書いてくれている。 

食べ方の指南書
しっかり読んでから食べましょう・・・ね

当方は最初、その短冊を読まずしていやしくも手をつけようとしたため、申し訳ないが下の写真の如く、“竹裡”を身ぐるみはがした姿を思いがけず目にすることとなった。 

竹裡の竹皮をむいてしまった
身ぐるみ剥がれた竹裡・・・、失礼しました(*´Д`*)

竹皮で適度な力で巻かれたことが、竹皮の絞りのような縞が羊羹の身に刻まれていることで分かった。


わが身のはしたなさに苦笑しながら、竹皮を包み直し、改めて2センチいや、もうちょっと食べたい・・・、3センチほどに包丁を入れた。

竹皮ごと切った竹裡
ちょっと分厚くいただきました

竹の皮を切り込むとパリッでもなくザクッでもない、どこか爽快な音がする。目をつぶると秋風が吹き抜ける竹林のなかを落ち敷いたばかりの落葉を踏みしだいてゆくときのあの静寂感が伝わってきたのである。 

竹包みの絞りが映った竹裡
おいしそうです

さっそく、竹裡を口にする。蒸し羊羹によくある抜けたような甘味ではなく、小豆の味がしっかり伝わる上品な甘みであった。そして蒸していると分からぬ羊羹の締り具合は栗のホッコリさとあわさって絶妙である。 

丹波の新栗がたっぷり入っています
しっかり栗が入っています

練り羊羹ほどのしつこさはなく、かと言って蒸し羊羹のどこか空虚な噛みごたえとも微妙に異なる、練り羊羹と蒸し羊羹の中ほどに位置する、ほっこりとして大きな旬の栗を餡子でくるんだ秋口だけの菓子、“竹裡(ちくり)”という上質の京菓子というしかない。



丹波栗の溢れんばかりの大きさは堪りません

そして、年一回、10月に“亀末廣”を訪れることに意味があり、そこで竹林の涼風に想いを馳せる、旬を年ごとに運んでくれるそんな素朴で心豊かな菓子なのだと思った。


そのほか、亀末廣は人気の高い“京のよすが”(3500円)、別名“四畳半”とも愛称される季節ごとの菓子の詰め合わせがある。

これが有名な”京のよすが”です
杉材で四畳半形に仕切られた”京のよすが”

今回は“竹裡”を求めたので、次回のお楽しみということで写真は、店頭に置かれていたものである。

四畳半に区切った秋田杉の箱に、季節感あふれる干菓子や有平糖、半生菓子などが彩り良く詰め合わされており、時期折々の菓子が二段に詰められているとのことで、お使い物にするとその季節の彩りや時々に詰められた菓子の多様さに先方は宝石箱を開けたような輝きを顔面に浮かべてくれるというから、これも逸品である。

今回は、予算の関係もあり、竹裡(3500円)のほかは、次の“京の土”(700円)を買い求めた。 

お餅煎餅”京の土”です
京のお寺の築地塀から切り取ってきたかのような”京の土”

“京の土”とは名前からして主の菓子作りへのこだわりが表れているようで、興味深く、買い求めることとなった。上等の和三盆を使った砂糖蜜で覆われた20cm四方の麩焼き煎餅である。 

DSCF5341
風流な書体で”京の土”
DSCF5346
紅葉があしらわれている”京の土”・お寺の築地塀を切り取ったような色合いです

帰宅後に、“京の土”の包装を開け、食べようとしたところ、下なる主の手紙が入っていた。

DSCF5343
風流を友として食べよ!!との主の言葉でありました・・・

もっともなる言い分である。 

割って盛った京の土
コンポートに盛ってみました
いろいろ試した京の土
こんどは銘々皿にちょっと・・・
砂糖蜜がなかまで沁み込んでいます
砂糖蜜が適度に中の方まで沁み込んでいるのがよい

そして主の奨めるようにそれでは面白く割って見ようと、「それは小さい」、「これは大き過ぎる」と還暦過ぎのいい大人二人がワイワイと皿に盛っているうちに、あぁ・・・これも風流といったものか・・・と、亀末廣の主の思惑に見事に嵌ってしまった、二人加えて123歳になる老夫婦の日常の他愛のないひと時であった。

「船屋秋月」の“わらしべ長者”=旅人の見た京都のお菓子

老松の「花びら餅」―――旅人の見た京都の御菓子(京都グルメ)
右京区宇多野福王子町13-3(本店)

上京区北野天満宮鳥居前(北野店)


北野天満宮一の鳥居脇の船屋秋月北野店
一の鳥居脇にある船屋秋月・北野店

北野天満宮で梅を観賞した帰り一の鳥居を出てすぐ左、今出川通り沿いに“船屋秋月・北野店”はある。

今出川通り正面から船屋秋月北野店
今出川通りをはさんで正面より船屋秋月・北野店を

同じく梅苑を散策しての帰りであろう、わたしのちょっと先を歩いていた老夫婦が立ち寄ったお店があった。硝子戸を開けて入る姿がお馴染さんとわかるほどにどこか自宅にでも入ってゆくかのように自然に見えたのである。


わたしもその様子に吊られてふっと立ち止り、看板を見あげた。

船屋秋月・北野店店頭

そこには“京菓子處船屋秋月”とあった。支店ということもあるのだろうか、店の造作に老松などの老舗の佇まいはなかったが、ちょっとショーウインドーを覗いて見ると餡子大好き人間の虫がうずいてしまったのである。


気づくとその老夫婦の後ろから、わたしもお連れのようにして店内へと足を踏み入れていた。


簡素な店内のショーウインドーに目を凝らし、わたしは“わらしべ長者”(第22回全国菓子大博覧会・名誉総裁賞)と当日の北野天満宮の美しい紅梅をあしらったような“北野梅林”(第21回全国菓子大博覧会・内閣総理大臣賞)を戴くことにした。仲睦まじい老夫婦が迷うことなく“わらしべ長者”を求めていたのを見ていたこともあったが、黄な粉のかかった“わらしべ長者”の何とも素朴なたたずまいが懐かしく、わたしも購入したのである。  

わらしべ長者

“わらしべ長者”は、「大納言は殿中で抜刀しても切腹しないで済む」ところから、煮ても腹の割れない小豆ということで名づけられた“丹波大納言小豆”で造られた餡を薄く伸ばした餅粟生地ではさみ込み、そのうえを黄な粉でまぶした菓子である。

わらしべ長者
黄な粉でまぶされた餅粟生地で包まれた”わらしべ長者”
丹波大納言餡がみっちりのわらしべ長者
丹波大納言小豆餡がみっちり詰まっているのが、とても嬉しい・・・

とても素朴な味で、でも餡子好きには丹波大納言の餡がみっちりとはさまったこの和菓子は、正直に実直に生きてゆくけば福は向うからやって来るという昔話の“わらしべ長者”のように、贅沢でもなく、奇をてらうでもなく、欲をかくでもなく手造りでひとつひとつ丁寧に造られた心温まる京のお菓子として皆さんにぜひお薦めしたい“旅人”がふと手に取った京都の味である。

可愛らしい北野梅林
北野の梅を思わせる可愛らしい”北野梅林”
甘酸っぱい北野梅林
ちょっと甘酸っぱいのが癖になりそう・・・

また、北野天満宮の梅苑での観梅のお帰りにはぜひ、この可愛らしいお菓子、“北野梅林”も、おひとついかがでしょうか。北野の梅を想い出しながら、おいしく頂きました。

 

 

 

「百万遍かぎや政秋」の「ときわ木」=旅人の見た京都のお菓子・京都グルメ

左京区吉田泉殿町1番地・075-761-5311


 京漆匠「象彦」でお茶請けに出された和菓子があまりにおいしかったので、つい「どちらのお菓子ですか」と尋ねたところ、「百万遍の『かぎや』の『ときわ木』というお菓子です」とお店のパンフレットまで戴いた。  

百万遍かぎや・ときわ木
鎰屋政秋・ときわ木

 そこで、翌日、百万遍の交差点、東大路通りを挟み京都大学西側に位置する「かぎや政秋」へ向かった。 

百万遍交差点に立つ「百万遍かぎや」

 お目当ての「ときわ木」をもとめるつもりだったのだが、京都では珍しくショーケースに並ぶお菓子の試食をさせてくれた。その結果といおうか、「かぎや」さんの術中に見事にはまったといおうか、「ときわ木」のほかに異なる趣きを放つ「益寿糖(エキジュトウ)」や「黄檗(オウバク)」、「野菊」とついつい財布のひもがゆるんでいった次第である。  

店内に掲げられた「鎰屋政秋」の扁額
かぎや店頭

「かぎや政秋」は、元禄9年(1696)創業の「鎰屋延秋(カギヤノブアキ)本家」から大正9年(1920)に分家し創業された。そして、昭和25年に「鎰屋延秋」の廃業に伴い、その銘菓であった「黄梁(コウリョウ)」と「ときわ木」を継承した。

つぶ餡を薄くのばし焼きあげた「ときわ木」、大好きになりました
ニッキの香りのする胡桃入り求肥餅「益寿糖」、プーアール茶にもあいます
アーモンド入りの落雁「野菊」、不思議な味です

物資不足の戦時下、伝統ある京和菓子のなかでこれだけは残してゆこうと京都府が指定(昭和1712月)した「和菓子特殊銘柄品18品のひとつ「かぎや延秋」の「黄梁」が、現在の「黄檗」である(お店に確認済み)。

栗ようかんを豆の粉でまぶした「黄檗」、本当に素朴な味です

「かぎや」の菓子4種類(ときわ木・益寿糖・黄檗・野菊)を食べて見たが、共通して言えるのが、どれも控えめで上品な味である。だからお抹茶や煎茶をいただく際に、突出した主張をしない「お茶請け」として最適な菓子のように思えた。

葵祭の申餅(さるもち)=宝泉堂

京都市左京区下鴨膳部町21

075-781-1051


下鴨神社の境内で今年140年ぶりに復元されたという「申餅(サルモチ)」を求めた。「はねず色」した可愛らしいお餅である。



「“はねず色”とは、明け方の一瞬、空面が薄あかね色に染まる様子で、命の生まれる瞬間を表すとされています。食べることで身体を清め、元気の気(け)をいただき、無事息災に過ごせるようにとお祈りした故事にならい、下鴨神社の申餅を140年ぶりに復元いたしました」と、宝泉堂の申餅の紹介状に記されている。



 

古来、葵祭の申の日には小豆の茹で汁で搗いたお餅を神前に供し無事息災を祈ったという。都人はこのほんのりと“はねず色”に輝くお餅を「葵祭りの申餅」と呼び親しんでいたのだそうだ。



 

実際に江戸時代の文献「出来斎京土産」に、下鴨神社の境内で「さるや」と看板をかかげた店が申餅を売る様子が描かれている。ところが、その慣わしも明治政府による因習排斥・文明開化の動きのなかで廃絶を余儀なくされたという。


今回ご紹介する「申餅(さるもち)」は、その故事に因んで代々の宮司に継承されてきた口伝に基づいて復元された和菓子である。葵祭の味をぜひ復活させたいと下鴨神社の新木直人宮司が神社近くの和菓子職人の古田泰久宝泉堂社長に依頼、140年ぶりに復元された。今年の葵祭から下鴨神社と宝泉堂で販売が開始されたばかりのなかなかに古式ゆかしい和菓子であった。


「加茂みたらし茶屋」のみたらし団子と併せて、無病息災を願う世の人たちにぜひお勧めの一品である。


 

 


 

 

下鴨神社のみたらし団子=「加茂みたらし茶屋」

京都市左京区下鴨宮崎町17(市バス下鴨神社前徒歩3分・下鴨本通り沿い)

水曜日定休日なのでご注意あれ!

075−781−1460

 


 糺の森

下鴨神社・糺の森

 

 いまが盛りの紅葉

 

「最後の忠臣蔵」で役所広司扮する瀬尾孫左衛門が紅葉の中を歩いた場所

 

 

 

 

 

 126日、京の名残の紅葉を下鴨神社で堪能した。「糺(タダス)の森」のなかを紅葉狩りした。日頃、とくに歩くことに無精なわたしであるが、ついつい美しい紅葉に目を奪われ、「お〜っ!」、「わ〜っ!」と声を挙げているうちに、ずいぶんと歩数が嵩み、気がついたら、足が痛い!何か気つけ薬が・・・

 

みたらし池
 
みたらし池

 

 

 境内にある末社・御手洗社に手を合わせ、御手洗池を眺めたからにはと云うことで、こじつけの様ではあるが「加茂みたらし茶屋」へ向かい、暫しの休息をとることとした。御手洗社に加茂みたらし茶屋の提灯がしっかり奉納されているのだから・・・

 

御手洗社
 
みたらし池を護る御手洗(ミタラシ)社

 

毎年土用の丑の日前後に行われる「御手洗祭り」が、神池である御手洗池に足をつけ罪や穢れを祓い、無病息災を願うお祭りなのだから、紅葉狩りで足を痛めたのなら治癒を願って所縁の「みたらし団子」を食すのがよいという理屈である。

 

え〜っと、そんな屁理屈は、実はタクシーの運転手さんが疲労困憊のわたしに救いの手を差伸べ教えてくれたのです・・・が。

 

そして、わたしの好物である「みたらし団子」発祥の地が、何とこの「加茂みたらし茶屋」であると説明を聞き、ビックリ!

 

 店入り口

加茂みたらし茶屋

 

こじんまりした店構えであるが、鬼子母善神の祠を祀った前庭には緋毛氈の縁台に野点傘という風情ある光景も乙である。



 
前庭には緋毛氈に野点傘


店の前庭に鬼子母善神
 
鬼子母善神を祀る祠も

 

当日はちょっと肌寒さもあったので店内に席を求めたが、外で野点の雰囲気を楽しむのも一興である。

 店内

奥にもお席があります

 

本家のみたらし団子は、ビー玉を気もちひと回り小さくした愛らしい団子が五つ串刺しになったもので、突端のひとつだけが離れている、変わった様子のものであった。あとで説明を訊くと、団子は人体を模しており、頭が1つと四肢を表わす4つなのだそうです。そう聞くと、ガブッと団子をっていうのも見ようによってはグロではありますが・・・。

 


 
本家・みたらし団子

 

メニュー
 
メニューの一部です。まだまだ、たくさん甘いものありました

 

何はともあれ、タレは甘過ぎず辛過ぎず、団子もお焦げの香ばしい匂いがして、本家「みたらし」は流石とまさに舌を巻かせるものでありました。

 

さらに僅かの生姜がきりっと味を〆めた甘酒も本物のテーストで、お試しの価値は十分あると思います。

本物の味、甘酒
 
甘酒も本物でした

 

下鴨神社へお参りの節は、ぜひ、この「みたらし本家」の「加茂みたらし茶屋」へ足を運ばれてはいかが。

 

 

 

「御州浜司 植村義次」の「春日乃豆」――旅人の見た京都の御菓子(京都グルメ)

俵屋吉富の「雲龍」―――旅人の見た京都の御菓子 京都グルメ

老松の「花びら餅」―――旅人の見た京都の御菓子(京都グルメ)

旅人の見た京都のお菓子

京都市中京区丸太町通烏丸西入常真横町193

0752315028

営業時間:1000-1700・定休日は日曜・祝日(また臨時休業有)


春日豆1
春日乃豆
 

 

お土産に戴いたもので恐縮ではありますが、京都の馨があまりにゆたかなものでしたので、戴いた方のご諒解を得たうえで、ここにご紹介することになりました。

 

それは、江戸時代の明暦(1655-1658年)年間に創業したと伝わる「御州浜司」で、現在のお店の名称が第14代当主の名となる「植村義次」という老舗の「春日乃豆」といいます。現在、「州浜」だけを一枚看板として商うお店としては、「植村義次」が唯一のお店になってしまったそうです。

 

この「春日乃豆」は、当家初代の作品だそうです。ですから、350年前からの由緒あるお菓子ということになります。棹物菓子である「州浜」を指先でひとひねりして、お多福豆(空豆)を作って、丸太町の古名である春日小路にちなみ名付けたということです。そして、当地では「豆のすはま」と親しまれているそうです。

 

「州浜」自体は、大豆を浅く炒った州浜粉と砂糖を水飴をつなぎとして練った棹菓子で、菓子の横断面が、州が発達して汀の輪郭が波模様のように出入りした州浜に似ていることから名づけられたといわれています(また、そこから意匠された『州浜紋』そっくりなので、そう命名されたとも)。

 

 おいしい州浜には良質の水飴がポイントになるとのことで、「植村義次」では石川県金沢の俵屋の飴を使用し、砂糖を煮詰め方で伝統の味が生まれる。州浜の生地作りは、その日の気温や湿度で砂糖を煮詰め、水飴と練ってゆく。それも水と温度で調整しながら、堅くならないようにするのが要諦だとのこと。う〜ん、まさに匠の技なのでしょう。

 

 味は大豆の油分の匂いがほのかに残り、和菓子としては珍しい部類に入るのだそうだが、わたしにはそのほっこりとしたまろやかな大豆の味がとても好ましく思えた。辛口のお酒のつまみにも合うのではないかと、実はひそかに考えているわたしである。

 

 それと、「春日乃豆」がそもそも州浜であると説明書きを読んで、わたしは即座に桂離宮や京都御所、朱学院離宮など回遊式庭園に造られた州浜の玉石を思い浮かべたのです。この「春日乃豆」が、州浜に敷き詰められた、あの拳大の扁平した円い玉石にそっくりだったからです。この感想はわたしのみでなく、家内もてっきりそうなのだと思ったとのことでした。そちらの印象もまた京都らしくて趣があるなぁと、思ってみたりしました。


春日豆
どこか、州浜の玉石の形に似てませんか・・・
 

 

 いかにも京都の御菓子という味の上品さと形のかわいらしさがたまりません。戴いておいてなんですが、京都の手軽なお土産としてはお値段もお手ごろ(¥500〜)で、しかもちょっとお洒落で、お薦めです。

 

 

俵屋吉富の「雲龍」―――旅人の見た京都の御菓子 京都グルメ5

俵屋吉富の「雲龍」――旅人の見た京都の御菓子 

京都グルメ

 

住所:上京区烏丸通上立売上ル

電話:075-432-3101

定休日:毎水曜日

 

 室町通にある本店の裏側と言ってはなんだが、道幅の広い烏丸通に面した俵屋吉富(京菓子司)烏丸店にゆき、お目当ての「雲龍」を手に入れた。

 

俵屋吉冨表看板

小豆色の暖簾

初春の飾り

 

 

 

 

 

 

  

 ここも同行のひとりが是非とも雲龍を求めたいと言うので、わたしもお相伴したのである。「俵屋吉富」は宝暦5年、う〜ん、西暦でいうと1755年だそうだ。今から254年前、いや赤穂浪士の討ち入りから52年後と言う方が近い、そんな時代に創業という京菓子のほんまもんの老舗である。

 

 「雲龍」は俵屋吉富を代表する京菓子で、丹波大納言小豆製の粒餡を蒸しそぼろ状にしたいわゆる村雨で巻いた棹菓子である。会社沿革によれば、「雲龍」は当店7代目の石原留次郎が相国寺法堂の天井に描かれた「鳴き龍」、別名「八方睨みの龍」の画(狩野洞春作)を見て、そのたくましさ雄々しさに打たれて、大正7年に創作した菓子とある。そしてこの銘菓に「雲龍」と命名したのは相国寺の故山崎大耕老師とのことである。なお現在のご当主石原義清氏は9代目に当たる。

 

緋毛氈と雅な画

雲龍縁の歌

雲龍各種

 

 

 


 

 

 

 

 まずはオーソドックスにわたしは「雲龍」を求め(他に白雲龍・黒糖雲龍・龍鳳・龍翔がある)、食した。丹波大納言の餡とロールカステラ状の村雨がない交ぜになった、しかもしっとり、もっちりした食感は上品で絶妙であった。一度、お求めになられてはいかが・・・。

 

雲龍包装

雲龍

雲龍切口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

老松の「花びら餅」―――旅人の見た京都の御菓子(京都グルメ)5

 「船屋秋月」の“わらしべ長者”=旅人の見た京都のお菓子

老松の看板

住所:京都市上京区北野上七軒

電話:075-463-3050 FAX075-463-3051

営業時間:8:30-18:00 定休日:無休

厳寒の1月に京都を訪れた。冬の桂離宮と修学院離宮を拝観するのが目的であった。その次いでと言ってはなんだが、冬の京料理もいつものように楽しみであった。

老松の店構え
老松の店構え

帰京する最終日の朝、同行の女性陣のひとりが、「せっかくお正月に来たのだから、老松さんの花びら餅を食べたい」と言い出した。「花びら餅」はお正月だけに作られる御菓子だということで、裏千家の初釜には必ずこの「花びら餅」が独楽盆に載せられ茶菓子として使われるとのこと。茶道に造詣の深い方々には周知のことなのだろうが、とんとそちらに縁のないわたしには、「ふ〜ん!」といったところであった。

お店の前に上七軒を説明する駒札が立っていた。

そういうわたしの心中などお構いなしに、善は急げと女史が上七軒の老松に電話で確認したところ、「花びら餅」はまだ、作っているとのこと。北野天満宮の東に位置するお店へと早速に駆けつけ、風情ある店内になだれをうって入り込んだのである。

上七軒の五つ団子の紋章入り提灯の下がる店頭

 上七軒の紋章・五つ団子の提灯がさがる

老松ショーケース
落ち着いた店内のショーケース

初めて目にする「花びら餅」は半透明の求肥(ぎゅうひ)餅の肌越しにほんのりと桃色が浮き出た上品な羽二重餅であった。絹織物の薄くて繊細な光沢に満ちた肌触りが伝わってくるように思えた。その編笠の形に折られた餅の真ん中を貫く竹棒状のものが餅の両端から飛び出ていた。

花びら餅
求肥越しにうっすらと紅色が透けて見えるはなびら餅

はしたないと思いつつ、タクシーのなかでひとつ旬なところを食して見た。竹棒状のものは何と牛蒡(ごぼう)であった。餡は白味噌仕立てで、表面の餅の内側にうすい紅色に色づけられた餅が重ねられ、それがほんのりと表面に浮き出ていたのだと分かった。何とも心憎い手練であり、また可愛らしい。

花びら餅包装
包装されたはなびら餅

思いがけないほどにしっとりとした牛蒡の味も、牛蒡臭さがほとんど消され、わずかに香る牛蒡の味が、上品さのなかにある種の野趣を感じさせた点は、まさに匠の技と言ってよい。

新年を彩る老松の菓子
新年を彩る老松の菓子

旅の仲間のひと言で、今年は正月からまさに「初春」を感じることが出来て、「持つべきものは友」を舌とお腹で実感したものである。そして「花びら餅」の編笠でなく蛤とも見ようによっては見える形状とそれを貫く牛蒡に秘められた別の意味があることを知ったのも、やはり「持つべきものは熟年の友」の御蔭である。

新年菓の老松箱詰め
老松の新年菓の詰め合わせ

深夜の帰宅となったその日、午前零時に家内共々、賞味期限が明朝?いや当日の「花びら餅」とつい買ってしまった新年菓(育み・北野の梅・丑の春)を茶菓子に、ミニ茶会を催した。 

深夜の茶会

おいしかった!!

 
そして、後日、その時買い求めた「流鏑馬(やぶさめ)」を食べたが、これまた上品な餡の味でわたし好みであった。いやぁ、メ・タ・ボ街道まっしぐらか・・・   

流鏑馬
しっとりした舌触りの”流鏑馬”

花びら餅の正式な名前は「菱葩(ひしはなびら)」と呼ぶのだそうで、二重の紅色の餅が菱形のところから来ているのかも知れない。次は、明治時代にこの「花びら餅」を初めて作ったと言われる同じ京都の「川端道喜(かわばたどうき)=左京区下鴨南野々町2-12)」の「菱葩(ひしはなびら)」にぜひ、挑戦してみよう。

旅人の見た京都のお菓子5

  

 

 「御倉屋(みくらや)」(京都市北区紫竹大門町78 ?0754925948)の黒砂糖菓子の「旅奴(たびやっこ)」は、形もまん丸で可愛いく食べやすく味もおいしい。さすが老舗の味。基本的にはお奨めだが、お菓子を買うのに予約して、いかにも仰々しく出て来られる家付き娘のご内儀には鼻白む。奥で菓子作りに汗を流されているご主人はご苦労と思うが、老舗に胡座をかいた販売のあり方と接客の悪さには辟易する。

 

 今宮神社の「かざり屋」の「あぶり餅」は、小腹が空いたときにちょっと食べに寄るのがよい。短い参道の両脇にもう一軒「一文字屋」というお店もあるが、「かざり屋」の方がわたしは好きである。好みなのだが、それぞれ贔屓があってよいのではないだろうか。

 

 桂離宮に寄ったついでに立ち寄るのによい「中村軒」は「麦代餅」(ムギテモチ)とこしあんの「かつら饅頭」で有名だ。お薄をいただきながら素朴な饅頭や麦代餅をいただくのも一興である。

 

 あと、大好きなのが「麩饅頭」。なぜか京都のがおいしく感じるから不思議だ。「麩嘉(フウカ)」の「麩嘉饅頭」をつい買ってしまう。高雄の神護寺に参り、本殿前の石段に腰掛けて緑山を一望しながら食べた麩饅頭のおいしさが忘れられない。麩饅頭は買って直ぐ食べなければ、どんなおいしい麩饅頭でも、味は落ちる。これ当り前、以前、頂いた麩饅頭を冷蔵庫に入れたまま二日目に思い出し、食してみたがとても食べれるものではなかった。

 だが、神護寺には申し訳ないが、仏様にお尻を向けて食べた麩饅頭の味は本当に格別であった。

 

 

 そして、忘れてならないのが阿闍梨餅本舗の「満月」の「阿闍梨餅(あじゃりもち)」。一度、もちっとした食感を経験してしまうと、もう止まらない。京都駅のお土産コーナーで売っているが、夕方ちょっと遅いと売切れは常時である。伊勢丹でも売っているが、そこまで足が延ばせないときには、改札を入ったところのお土産コーナーが最後の拠り所である。何度か、その最後の拠り所に救われた経験がある。

 

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