彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

湘南散策

三笠会館鵠沼店ーーグルメ湘南編 5

三笠会館 鵠沼店・・・湘南グルメ 

★★★★★

 住所:藤沢市鵠沼海岸1-11-23 国道134号線沿い

 電話:0466-34-5851

 三笠会館鵠沼店は湘南の海沿いを走る国道134号線沿いにある。どこか南欧風に造作されたお店が「湘南」という名前にふさわしい。

 自然石を重ねた階段を登った2階にお店の入り口がある。国道沿いに植えられた松並木の頭越しに湘南の海が見渡せる・・・、はずだったが、当日はあいにくの曇り日。もちろん、楽しみにしていた三笠会館からの富士山は影も形もない。

三笠会館より海岸を

三笠会館正面

入口よりレストランを

 

 

   

 生憎の天気         三笠会館鵠沼店     入口より外観を

 それでも海に向かって何もない開放感がこれからのランチのひと時を素敵なものへと盛り上げてくれる、そんなお店の造りである。いかにも年季の入ったレトロなエントランス、それだけでもこれからの食事のひと時を期待させてくれるに充分である。

入口

受付

店内

 

 

      

入口             素敵な受付          落着いた店内

店内2

ショップ

前菜

 

 

   

レトロな店内     エントランスのプチショップ    前菜

スープ

鱸のポワレ

若鶏もも肉炭火焼

 

 

      

スープ           すずきのポワレ        若鶏もも肉炭火焼

牛リブロースの炭火焼

デザート

誕生ケーキ

 

 

 

牛リブロース肉の炭火焼   デザート      線香花火の誕生ケーキ

 当日はお誕生日を迎えたご婦人を祝う会であった。通常のランチのメニューに加えて、お店のご好意で線香花火をあしらえたメルヘンチックに仕上げられたhappy birthday cake をいただけた。お誕生日に予約されたお客様にはそうした温かいおもてなしがなされるのだという。

 ご婦人からは恥ずかしいから黙っていたのにと、実はおしゃべりなわたしはお叱りを受けたのだが、線香花火のパチパチと小さく弾ける音がこれからもますますお元気でと聴こえたものである。

 そのご婦人とお店の長年のお付き合いのなかで生まれた、スタッフの方々との心の通った言葉のやりとりが、そばにいるわたしには、アンニュイというか午後のゆったりしたひとときが遠いメロディーように聴こえて、なんとも心地よく感じられた。

 素敵なお店というのは当たり前ではあるが、味覚とおもてなしの心が合致して初めて評価に値するものなのだと改めて思ったものである。

 

 当日のメニュー(3,990円のデギュスタション・ランチでした)

前菜(ブランダードと蟹肉のガトー仕立て プティサラダ添え)

本日のスープ(柚子入りポテトスープ)

 

三崎直送 鱸(スズキ)のポワレ アサリのジュとハーブの香り

オーストラリア産牛リブロース肉の炭火焼き 特製ソース

or


山梨県産若鶏のもも肉の炭火焼き 赤ワインヴィネガーソース

小さなケーキとフルーツ、シャーベットの盛り合わせ

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Hanako (ハナコ) 2008年 5/8号 [雑誌]

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ラーラ ビアンケ 名古屋ーーグルメ湘南編 5

ラーラ ビアンケ 名古屋 ーーーイタリア料理

グルメ湘南編  (★★★★★)

〒251-0037 藤沢市鵠沼海岸6-8-14(Tel  0466-35-4596)

 湘南海岸にいかにもふさわしい洒落たイタリア料理のお店。

 ここのスパゲッティーニは絶品。この日は、生シラス和えの腰のある細い麺に至極、満足!メインのお魚料理もあっさりとした味で、上品だ。デザートもかわいらしい。湘南のちょっとアンニュイな午後のひと時を過ごすには最適の場所。

ラーラ ビアンケ正面

ラーラビアンケ玄関脇

ケーキショップ

 

 

 

 

  正面玄関とイタリア国旗     玄関脇のメニュー       併設のケーキショップ

 お帰りには併設のケーキショップでこれまた絶品の湘南のケーキをどうぞ!

 玄関ホールを入ると気分はアンティークで、気怠い贅沢感が身を包む・・・

 

ホール階段

ホール天井

しゃれた置物

 

 

 

 

 

 

 

テーブル

テラス

アンティークな雰囲気の館内

そして、80坪のお庭でも食事が楽しめるテラス・・・、

ブライダルもここで OK !

 まさにこれぞ、「湘南レストラン」の真髄、近くにある「三笠会館」と対でおしゃれなレストランです・・・

 そして、おいしいイタリア料理を堪能!

メイン料理魚

               デザート

しゃれた気遣い

 

 

 

 



値段はお手ごろで、大満足でした。

 ランチ  Pranzo A 2,600 (メインをお魚かお肉)  

        Pranzo  B 3,600 (メインがお魚+お肉) 


ネットで踊る上海一国二制度論に中国内紛の火種!4

 

 13日付けの東京新聞の小さな囲みだが、非常に気になる記事が載っていた。昨年末学術交流会の席上で復旦大学(上海市)の張軍・中国経済研究センター所長が「上海も香港と同じ特別行政区となるべき」と私見を述べ、その主張が中国のネット上で大きな話題をさらっているのだという。試みに「上海的“大膽”設想」つまり「上海の大胆な構想」で中国語検索をかけると10100件、「上海成為香港那樣的新特別行政區」つまり「香港のような特別区に新しく上海がなるべき」は18900件にのぼった。

 特別行政区とは中国の全国人民代表大会が制定した「特別行政区基本法」に基づき設置される「高度な自治権を有するが、外交と防衛権を有しない」行政単位であり、行政長官と立法機関(立法会)もつ。いわゆる一国二制度と呼ばれる中国独特の統治システムである。現在の中国には香港とマカオの2つの特別行政区が存在する。

 
自由主義経済を謳歌し、レッセ・フェール(自由放任・規制のない)経済の代表格であった香港が199771日中国に返還される際に、共産国家である中国の統治下でこの経済システムを許容する窮余の一策がこの一国二制度という統治システムであった。当時、一国二制度が議論され決定されていくその最中に、わたしは香港に駐在していた。そのころ日本から来られる香港投資を検討する企業人から同様の質問をよく受けた。「返還されてしまえば香港は結局のところ中国化される、つまり経済合理性の働かないビジネスフィールドになる」と、ビジネス面でのリスクが相当に高くなるのではないかとの懸念が多く示されたのであるその懸念に対して、わたしは「それはある一点の理由でありえないと断言」していたが、「もうひとつの問題が出てきた場合だけは一国二制度の存続は保障されず、葬り去られる」と説明していた。

 

その「一点の理由」とは、英中共同声明(1985年5月発行)に基づいて「返還前の諸制度を50年間変更しない」ことが確約されており、この確約が守られるかどうかが、台湾が自発的に中国へ復帰するか否かの試金石となると考えたからである。

現在、中国政府は台湾を中国の一省としており、7110月の国連総会で中華人民共和国に国連での議席を与えることを提議した第二七五八号決議案が採択されている。わが国もその翌年、日中国交正常化を行い、その日中宣言で「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と認め、それまで国交のあった中華民国(台湾)には国交断絶を通告した。いくつかの例外国はあるものの、現在の中台問題は国際政治上では、大勢として形式的には筋の通った姿に整備されていると言ってよい。

しかし、相変わらず台湾問題は存在し内政問題という名のものとにその実質的解決は見られていない。そこで香港で始まった壮大な実験ともいえる一国二制度のシステムが有効に機能し、50年間変更せぬとの約束が守られ、その後もドラスチックな変更がなければ、台湾問題は台湾政府自身または台湾人民の意思により一国二制度前提として中国政府の下に収まる可能性が高いと判断したのである。その脈絡のなかで台湾が実質的に還ってくるまでは「大きな制度変更はありえぬ」と答えたまでである。

 

 そして「ひとつの問題が出てきた場合に一国二制度は崩れる」としたのが、実は冒頭の上海問題であった。上海は1990年当時ですら膨大な税金(上納金)を中央政府に納めていた。自らの地域で稼いだ金を自らの発展に使えぬ不満がくすぶっていた。北京政府は裕福な地域の金を内陸部など未発展地域に回すことで、沿岸地区と内陸部の経済格差を埋め、多くの農民の不満解消に努めていたのである。しかし、それから十数年の月日が過ぎ去るなかで、テレビ報道や上海の駐在員の話からも中国経済、なかんずく上海経済の発展は目覚しく、目を見張らせるものがある。当然、収奪され続けていく今の立場に上海人民の不満が鬱積するのは時間の問題であり、それを解消しようとする合法的な政治的動きが早晩出てくる可能性が10年前でも十分懸念された。それは中国にその被収奪の立場から脱することのできる統治機構が存在するからであった。

 
それが一国二制度という巧妙で老獪であるはずの中国的統治システムであった。上海が自分も特別自治区になると宣言する「上海問題」が大きくクローズアップされたとき、中国は中台問題より大きな内政問題、内紛の可能性をはらんだ火種が表に現れ出ると当時、わたしは考えた。そして、そうした事態の萌芽が表われたときには北京政府は悩むことなく即座に香港の特別行政区を廃する行動をとると考えたのである近代中国の権力闘争史のなかで上海派閥がここという政治的局面で常に重要な役回りを果たしてきたことは近代中国政治史が如実に物語っている。その上海勢力が中央政府の統制から離れて高度な自治権を持ったとしたら、中国の内政は大きな不安定要因、いや国家が空中分解する爆弾を大陸の中枢内部に抱えることになる。そうした大きな危険の道を北京政府が選択する理由などあるはずがないからである。

 
中国の中央政界では現在、江沢民前総書記につながる上海派閥を一掃する権力闘争が本格化して来ようとしている。上海市労働社会保障局の不正融資事件などに関連して、同市の最高実力者である党委員会書記陳良宇氏が解任され、同氏とつながる局長ら同市幹部の多数が拘束されたという。また一部の情報によれば、陳良宇氏と黄菊副首相の夫人も軟禁されたと伝えられた。陳良宇氏と黄菊副首相は党最高幹部の政治局員で、江沢民を中心とする上海派閥の重要人物とされている。上海派閥は明らかに息の根を止められようとしている。その最中での張軍・中国経済研究センター所長の「上海市を特別行政区へ」との発言である。私見とのことだが、ネット社会では私見であろうがなかろうが、張軍氏が撒いた火種は燎原の火のように中国全土を瞬時に駆け巡り、内陸農村部で頻発していると伝えられる数万件もの暴動に新たな不満の油を注ぐことになるのではないか。


今年は香港返還からちょうど10年目にあたるが、上海の火種は思ったよりも相当早く中国という大国を政治的猛火の中へと投じるのではなかろうか。そのひとつの危険な兆候が今回の上海の
復旦大学中国経済研究センター所長・張軍氏の挑戦的な発言であると思えてならないのである。

10年前には想像もできなかった広範囲に発達したインターネットという情報手段で、わが国の25倍の国土面積と10倍の人口を誇る大国は情報操作という国家統制システムの限界をすでに露呈し始めている。もし本件でひそかに情報管理がなされているとしても、冒頭の検索件数は1万件から2万件にのぼっており、どんなに黙らせようとしても人の口に戸は立てられないことは明白だからである。

 

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清岡卓行氏の逝去に原口統三を想う5

 

詩人で作家の清岡卓行(きよおか・たかゆき)さんが3日、東京都内の病院で間質性肺炎のため死去(83歳)されたことを新聞の訃報欄でたまたま知った。ここに同氏のご冥福を祈るとともに、久しぶりに清岡氏の名を目にしたことで、原口統三とアルチュール・ランボーのことを思い起こした。この30年近く、この両名のことをじっくり考えてみる余裕などなかった。

 

原口統三の「二十歳のエチュード」とランボーの「地獄の季節」


その「二十歳のエチュード」のなかで、原口はアルチュール・ランボーについて熱病に浮かされたように語っていた。また、尊敬する先輩として清岡卓行氏に言及する個所が何ヶ所も出てきた。それで、昭和
45年に芥川賞を受賞した清岡氏の「アカシアの大連」を読んだことがある。読後にこの清岡氏がどうして原口にあれほどまでに賛美される先輩として映ったのか、正直、よくわからなかった。「アカシアの大連」という小説にもほとんどといってよいほど感激をしなかった。この清岡氏という人物に20才になったばかりの私は、人生というものの謎解きを期待し、受賞作を熟読したつもりであった。詩人らしく文章が透明感に満ちて、さらりとしていたように記憶しているが、人生の深奥に迫る迫力は感じなかった。読後感として物足りなさが残ったのだと思う。(今読み返して見たら、どうなのだろうかとも思うが・・・)

わたしは逆にそれほどに「二十歳のエチュード」に出合った青春のある時期、自分の魂を吸い取られるような興奮に駆られ、人生というものへの好奇心に満ちていたのだと、いまさらながら懐かしく思い出すのである。たかだか20歳直前の同年代の人間がこのような思想、思考、表現力を有し得るものなのか、これほどまでに人生を透徹する(その時はそう思った)眼力を有し得るものなのかと、思い悩んだ日々が走馬灯のように、いま、わたしの脳裡を駆け巡る。

原口統三は昭和2年1月14日に生を受け、同211025日夜、神奈川県逗子海岸において入水自殺をした。『逗子海岸に面する「なぎさホテル」の白ペンキで塗られた柵に古ぼけた一高の制帽と風呂敷包みが残され、遺体はその翌日、ホテル前の浜に打上げられ、発見された』と当時の新聞記事にあった。

なぎさホテル全貌
なぎさホテルの面影
「逗子なぎさホテル」は1989年に閉鎖し、今は、もうない。私の学生時代には、まだ、その木造二階建ての瀟洒な洋風建築の「なぎさホテル」が残っていた。大学三年生の時に、ゼミ合宿で一泊だけだが、大正15年開業の由緒あるホテルに宿泊した。朝食時に食堂内にシャンソンが気だるく流れていたことが、思い出される。どこか薄絹越しに見える映像として、今のわたしの記憶に残っている。その「なぎさホテル」と浜辺との間には、国道134号線が横たわっていたが、昔は、国道はそこを通っておらず、ホテルから直接、浜辺に出られたとその時、マネージャーから聞いた。

だから、原口統三はこの瀟洒な西洋建築の白い柵に浜辺から直接歩いてきて、一高の制帽と風呂敷包みを引っ掛けたのだろう。風呂敷のなかには「死人覚え書」という自筆の身元証明のような書面が入っていたということだ。

わたしは宿泊したその時点には、原口統三がこのホテルと、死ぬ直前にそうした接点があったことをまったく知らなかった。知っておれば、芝生の庭に出てそっと木柵に手を触れ、原口統三という若者の人生に間接的に触れてみたいと思ったに違いない。

なぎさホテルの朝食時に食堂内に漂っていた「アンニュイ」と言おうか「虚無感」のような空気は、今でもわたしの内に、皮膚感覚として確かに残っている。本当にどこか気だるい、このまま誰にも知られずにどこか遠くへ行ってしまいたくなるような、そんな不思議な雰囲気にさせる魔物のような時空がそこにはあった・・・。

 

原口統三・・・、それは、と〜い、と〜い昔のわたしの御伽噺である。



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