彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

特殊指定廃止

大手メディアの「不都合な真実」=NHKインサイダー事件3

大手メディアの「不都合な真実」=NHKインサイダー事件

 

NHKは17日、「NHKが平成1938日午後3時に放送した外食産業のゼンショーが回転寿司チェーンのカッパ・クリエイトをグループ化するというニュースに関連して、職員3人が株のインサイダー取引を行った疑いがあるとして、証券取引等監視委員会(SESC)が昨日、任意の調査に入りました」で始まる「職員の株取引をめぐる証券取引等監視委員会の調査について」を橋本元一会長のコメントとともに発表した。

 

 報道局テレビニュース部制作記者岐阜放送局放送部記者、水戸放送局放送部ディレクターの職員3人がインサイダー疑惑でSESCの調査を受けており、うち二人がその事実を認めている「不都合な真実」を公にしたのである。

 

 ジャーナリズムによるインサイダー取引と言えば、つい2年前の20062月に日本経済新聞社の広告局社員が出稿前の法定広告情報をもとに株取引を行い、数千万円にのぼる利益を得た事件が思い起こされる。

 

 報道機関、ジャーナリズムだからこそ知り得た情報、国民に公表する前の情報を悪用した不祥事というより悪質な犯罪は、その組織のレーゾン・デートル(存在理由)そのものを根底から揺るがすものであり、NHKの事件は日本の報道機関の情報管理に対する認識の甘さ、そこに帰属する社員のコンプライアンス(法令遵守)の欠如が半端でないことを性懲りもなくまた示したものと言える。

 

 ついひと月前、参院外交防衛委員会で防衛省不祥事に関する集中審議が行われる最中、イージス艦中枢情報流出事件により海自の3等海佐が逮捕された。報道機関各社が防衛省の情報管理のずさんさを厳しく取り上げ、批判したことはわれわれの記憶に新しい。NHKもイージス艦のミサイル発射の映像を繰り返し流し、防衛省の情報管理体制のずさんさを批判した。国益の毀損に直結する軍事機密の漏えい自体が大きく非難され、その責任の取り方や情報管理体制のあり方が厳しく糾弾されること自体は至極、当然なことである。

 

 しかし今回のNHKのケースでは、ニュース原稿は報道番組に携わる職員5千人のみならず、ニュース制作関連の契約スタッフ2千数百人も放映前の原稿が閲覧可能だったという。このことは「情報管理」がずさんといったレベルではなく、「情報管理」という言語が情報媒体が中枢機能であるはずのNHKという組織の中にそもそもなかったという恐ろしい事実を伝えているのである。

 

 そんなジャーナリズム、いや公共放送が防衛省の情報漏洩事件を報じ、事の重大性を訴えていたかと思うと、正直、怒りの矛先をどこへ向けてよいのか気持ちの持って行き場がなく、やり切れぬ思いでいっぱいである。

 

 報道機関が報道の自由や表現の自由を言うのであれば、その根源にある「伝えるべき情報」の「管理」をことさらに徹底せねばならぬことは自明の理である。それなくしてジャーナリズムの存在はあり得ぬし、その存在理由などあるわけがない。

 

 日経新聞の社説においては「今回の出来事はNHKだけの問題ではない。日本経済新聞社でも06年、広告担当の社員による違法な株式取引が発覚した。報道機関として改めて自らの襟を正す機会としたい」と自社の過去の事件にわずかに触れているのみで、「報道機関は記者をはじめ、社員に対する法令順守を徹底する必要がある」という結語が白々しく聴こえてならない。

 

 日本新聞協会が特殊指定廃止という見直し議論の最中に発表した「新聞の特殊指定見直し表明に関する新聞協会の声明」(平成17112日)のなかで、特殊指定存続の大きな理由として、「新聞は民主主義の基礎である国民の知る権利に応え、公正な情報を提供するとともに、活字を通じて日本文化を保持するという社会的・公共的使命を果たしている」ことをあげている。

 

 「公正な情報」であるはずの情報を「わたくし」する企業風土にあるジャーナリズムが、「日本文化を保持するという社会的・公共的使命を果たしている」などとよくも言えたものである。

 

 ねつ造、盗作、インサイダー取引、職員によるわいせつ行為、カラ出張着服等々、最近の大手メディアの紊乱(びんらん)ぶりは目を覆うばかりである。健全なジャーナリズムが存在する土壌にこそ健全な民主主義が育つのである。大手メディアを牽制、チェックするPJなど草の根メディアの成長がいよいよ期待されるところである。

 

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読売新聞の笑止な社説5

「読売新聞の笑止な社説」

 

 6月3日付け読売新聞の朝刊社説「[新聞の特殊指定]「『当面見直さず』の結論は当然だ(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060602ig91.htm)を読んで、メディアが、「新聞業界の考えはイコール国民の考え、世論であると強弁する思い上がりと、笑止な思い込みがここまで来たのかと、呆れてものも言えないというのが正直な気持ちだ。

 

 しかし、言わねばならぬ。次に社説中のとくに笑止な記述を引用する。

 

「再び不毛な見直し論が提起されることのないよう、強く公取委に求めたい」

「1955年の指定から半世紀、何ら弊害は生じていない」

「民主主義社会に不可欠な情報インフラとしての新聞の意義、日本の文化とも言える戸別配達制度が国民にもたらす幅広い利益といった視点が欠けていたのではないか。新聞業界からみれば、公取委は規制を改悪しようとしている、としか受け止められなかった」

「多方面から反対論がわき起こった」

「国会のコンセンサスと世論の重みを、公取委は忘れずにいてほしい」

 

 メディアの本分は何か。事実・真実を国民に知らしめることであろう。上に引用した意見というか、ご都合主義の解釈、意見を記述したに過ぎぬ。

「再び不毛な見直し論が提起されることのないよう、強く公取委に求めたい」などと、言論の自由を高々と標榜する新聞業界が決して口にすべきことではない。これこそ、正に言論弾圧・統制をペンの所有者が慫慂するという許し難い行為、意思表示である。

 

 加えて、今回、見直しが検討された五業界において、新聞のみが見直しを免れた。特殊指定廃止の中に、新聞よりも、重要と思われる「教科書」が入れられた。読売新聞や他の新聞社のこれ迄の「特殊指定廃止はおかしい」理屈から言えば、日本人の文化や民主主義の基盤を維持・守るには、この廃止により教科書業界も同等か、それ以上の影響があるのではないだろうか。

 

 他の業界については言及せずに、自らの利益を守るためにのみ、牽強付会の議論を進めてきた新聞業界から、「民主主義社会に不可欠な情報インフラ」「戸別配達制度が国民にもたらす幅広い利益」などと、したり顔で言われる筋合いは一切ない。以前にも書いたが、新聞業界が思い込んでいるほど国民は馬鹿でも、愚かでもない。それより、国民の方が、「日本の文化」であった「恥」というものを、新聞業界よりは、よくよくわきまえていると信じるに至った。


特殊指定維持! 開いた口がふさがらぬ!!1

「特殊指定維持! 開いた口がふさがらぬ!!」

 

 とうとう、やられてしまった。自民党の中川秀直政調会長は31日、新聞の宅配制度や同一紙の全国一律価格を支えている「特殊指定」問題で、公正取引委員会が当面、指定維持を決めたことを明らかにした(共同ニュース5/31)そうだ。

 

与野党議員がそろって特殊指定維持を声高に小学生の音楽の授業のように歌い上げていた最近の様子から、竹島公取委委員長は、いつまで見直しの姿勢を崩さずに頑張れるか、心配していた。しかし、冒頭の報道のごとく、公取委は6月2日に発表した(http://www.jftc.go.jp/pressrelease/06.june/06060205.pdf)「特殊指定見直しについて」で、「新聞特殊指定については、今回の見直しでは結論を出すことを見合わせることとした」と、新聞業界に対し全面的に白旗を掲げた。

 

 ペンの力とは何ぞや! 報道の自由とは何ぞや! 

 メディアは誰がために存在するのか!

 

 わたしたちがマスメディアに対して報道の自由の権利を与えているのは、国民の知る権利、表現・思想の自由を担保するためであると、わたしは考えている。決して、メディア業界の私利私欲を満足させるために、ペンの力を容認しているわけではない。特殊指定廃止については、これ迄の一連の報道は「厚顔無恥」「牽強付会」「文化の啓蒙者はメディアのみ」といった言葉がぴったりくる、いつしか傲慢でいやらしい化け物となってしまったメディア業界が、その力を存分に発揮した「事件」であったといえる。

 

 こうした「破廉恥な事件」を「社会の木鐸」「社会の公器」と常々、自らが唱えて憚らぬ新聞業界が起こしてしまったことを、世の良識ある人々はどう判断し、どう糾弾していくのだろうか。わたしは、民主主義は「権利」と「義務」の間に緊張感のある厳正な運用ルールがなければ、健全な形の民主主義は維持できないと思っている。

 

 その厳正な運用ルールを最も厳格に護らねばならぬのが、ほかならぬ「時の権力をチェック」し、「国民の知る権利の代理人」としてのメディア業界であると考えていた。しかし、それはあまりに子供じみた幻想であった。このようなマスメディアしか存在せぬ日本に、しっかりとした民主主義が根ざすとはとても思えぬ。土曜日の朝からこんな不愉快なことを記すつもりはなかったが、この国の行く末を考える時に、こんなことで本当に良いのだろうかと、私の気持ちは、まるで今朝の天気のように暗く沈んでしまった。



しつこく特殊指定廃止問題4

「しつこく特殊指定廃止問題」

 

 25日の毎日ニュースで、また自民党の中川秀直政調会長が、竹島公取委委員長に「特殊指定維持」について要請したと報じられていた。24日に党本部で竹島委員長と会談し、「国会が終わったら(公取委が指定解除を)抜き打ち的にやると、新聞業界は心配している。国会議員もこれだけ反対していることを受け止めて欲しい」と、指定維持を要請し、これに対し竹島委員長は「」国会が終わってすぐにやることは考えていない」としたが、「筋が通らない」と述べ、見直しの方針に変わりがないと応えたという。

 

 会談と報じるが、要は中川政調会長に呼び出しを食らい、「特殊指定を継続せよ」と政治的圧力をかけられたわけである。この圧力に屈せずに、「公取委の方針が変わらない」と委員長が応じたことは、至極当然のことであると評価したいし、その勇気と見識に対しは深い敬意の念を表したい。

 

しかし、この報道自体、一体、何を目的とし、そして問題はないのか、大きな疑問を感じざるをえない。これは世に言う「圧力団体からの陳情」をその業界から利益を享受する政治家が、その団体の利益を毀損しようとしているものに「政治的圧力」をかけていますというあまりにも明け透けで、破廉恥な報道なのではないか。「社会の公器」と自らを呼んで憚らぬメディアが、自身の利益擁護のためにその「公器」たる紙面を通じて行なう行為。これを破廉恥行為と呼ばずして、何を破廉恥と表現すればよいのだろうか、わたしは残念ながらその言葉を探し出すことができない。

 

一方、「特殊指定」については、中川秀直政調会長に限らず、与野党の政治家がこぞって新聞業界側に立った意見を述べているように見える。志位和夫日本共産党委員長、福島みずほ社民党委員長然りである。おそらく、特殊指定排除に賛成する議員もいると信ずるが、新聞業界を敵に回すのは得策でないとの判断から、沈黙を守っているのか、そうした発言をしても新聞業界が意図的に報道を控えているのか、何しろ国民の目には、全政治家が「特殊指定排除」はおかしいのだと声を揃えている、独断専行の公取委委員長はけしからぬとしか見えてこない。そう映るようにしか報道がなされていないのではないか。与野党こぞって同じように声をあげるのが、わたしには不思議に思えてならないのである。「野党の中の野党」と胸を反らす日本共産党までも、自民党と同じことを口にする。不思議だ!

 

これこそ、自らに利益を誘導することを目的とした報道姿勢なのではないか。ネット上で展開されている「特殊指定排除」に賛同する声や「再販制度廃止」を妥当な判断という国民の声が溢れていることを新聞は決して報じない。新聞業界の姑息な歩道姿勢に対し厳しい声が充ちていることを紙面で語ろうとしない。これが「社会の公器」である、「事実を知らしめる使命を帯びた」と自らを称するメディアの客観報道なのであろうか。「噴飯ものである」と、わたしは大声で一喝するしかない。

 

他人を評する者は、まず当然であるが、自らを常に客観的に分析・評価するという厳しい姿勢であらねばならぬはずである。そうでなければ、どんな立派なことを言おうが、どんな正しいことを言おうが、誰もその者の言葉に耳を貸さないし、向けようともしない。自分が出来ぬことを他人に求めるほど、この国の民は破廉恥、厚顔無恥ではないからである。

「特殊指定廃止問題に見る読者の関心度の高さとメディア不信」5

「特殊指定廃止問題に見る読者の関心度の高さとメディア不信」

 

 公正取引委員会による「特殊指定の見直し」について、一般の関心が高いのに驚いている。各種新聞が特殊指定の維持を全国一律料金、全国均一の文化の維持などと御託を並べては、必死にその廃止反対を訴えている。しかし、国民は彼らの本質を疾うに見抜いている。

 

 特殊指定と再販制度の廃止に関する新聞紙上でのもっともらしい議論ほど、しらじらしく、内容空疎で、もういい加減にして欲しいと心底、思っている。実際にネット上に氾濫する「特殊指定維持」を図ろうとする新聞業界への批判の多さは、その検索をやるまでもなく、尋常ではない。また、わたし自身のブログへの「特殊指定」によるキーワード検索の頻度の高さを見ても、その関心の高さが実証されている。

 

 メディアの自己に都合の悪い問題は、報道をしない。そのあまりにも身勝手な姿勢に国民もそろそろ愛想が尽きてきている。品性下劣な例で恐縮だが、つい先日の日テレの「どっちの料理ショー」のアナウンサーが起こした女子高生スカート盗撮事件に関する報道姿勢にかれらの本質を見ることができる。事件そのものが起訴猶予であり、プライバシーの問題であるため、報道をしなかったと、後に弁明する。かれらは週刊誌でそのアナウンサーの件が掲載されると分かって、慌てて実名を明かさずにしぶしぶ事実の釈明(報道ではなく)を行なった。これが大手の民間会社なり、役人、学者であれば、敵の首を取ったかのように騒ぎ立てるのが常であるのにである。その場合に、個人のプラーバシーを云々することはない。しかし、身内は守ると云うより、身内の恥は姑息に隠蔽しようとする。それは日テレに限らずである。

 

 実例があまりに下劣であったが、「特殊指定」の問題についての扱いも事の本質は同様である。ある新聞社の見識ある人間は、「さすがに再販問題での新聞業界の論陣は鼻白むもので、身内として恥ずかしい」とわたしにいう。そうした良識のある人物も勿論、たくさん存在するのだろうが、紙面に踊る記事は、先に述べたとおりである。

 

 こうした身内に甘い報道姿勢は、メディアに対する国民の信頼を大きく損ねるものである。そのことの方が、「特殊指定・再販制度」が維持されることより、数倍、いやそれ以上に怖いことなのだと思う。国民の信頼を失ったメディアはつい60年前にこの国に存在していたのだから。そして、そのことが国民を地獄へと導いた歴史、事実をわれわれは有していることを決して忘れてはならぬと思うのである。新聞業界に公平で公正な報道を自らの問題にも心掛けることを期待して止まない。



特殊指定問題に見る新聞社の手前勝手3

「特殊指定問題に見る新聞社の手前勝手」

 

 以下の毎日新聞の五月一日付けの社説を読んで欲しい。この手前勝手さに呆然となってしまった。わたしはこの新聞を購読していないので、From Cambridge, MA (http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/9844940)さんのブログを読んでこのことを知った。

 

(毎日新聞の五月一日付けの社説)

 

社説:特殊指定廃止 公取委員長の独断で決めるな

 「独立した行政組織のトップとして、広く国民の意見に耳を傾ける姿勢に欠けるのではないか。新聞の「特殊指定」を廃止しようとしている公正取引委員会の竹島一彦委員長のことである。

 特殊指定の廃止は新聞の宅配制度を崩しかねないと、新聞業界だけでなく、政界、財界、言論界などから反対の声が高まっている。しかし、竹島委員長はインタビューに「戸別配達が大変だとか、知る権利のために必要だとか、ピントのずれた、ワンパターンの話ばかり出てくる」と語っている。

 3月27日には、学識経験者や財界人らが意見交換する独占禁止懇話会の席で「皆さん完全にマインドコントロールにかかっている。戸別配達のためには特殊指定が必要だという議論をうのみにしている」とまで言い切った。公的な場で「マインドコントロール」を持ち出して反対論者を非難するのはあまりにも礼節を欠き、不穏当だ。

 特殊指定は独占禁止法に基づき、公取委が「不公正な取引方法」に当たるとして、特定の事業分野の取引方法を告示によって禁じる制度だ。新聞の場合、1955年の告示で、新聞社や新聞販売店は地域や販売相手にかかわらず値引き販売することが禁止された。99年の告示見直しで、新聞社が教材用や大量一括購読者向けなどに値引きすることは認められた。

 独禁法は新聞社が販売店に定価販売を求めることができる「再販制度」も認めている。特殊指定と再販制度の双方によって、新聞は原則として同一紙なら全国どこでも同じ価格で宅配されるシステムが守られてきた。

 竹島委員長の考えはこうだ。独禁法は価格競争を促進するための法律なのに、特殊指定では値引きすれば独禁法違反になり、おかしい。新聞には再販制度があり、特殊指定がなくなっても宅配がなくなることはない−−。この50年間、特殊指定の法的根拠がないとの理由で公取委が撤廃を言い出したのは初めてだ。委員長が就任後自ら考えつき、見直しを指示したことを認めている。

 しかしこの間、特殊指定制度に不都合が生じたことはなく、7年前の見直し以降の環境にも変化がないことは公取委も認めている。政策は市民生活に支障が出た場合などには当然変更すべきだが、そうでない時の見直しには大きなリスクが伴う。再販制度は値引きそのものを禁じてはいないため、特殊指定の廃止で販売店間の値引き競争が始まり、国民に必要な情報をくまなく提供する宅配制度が揺らぐことは予想がつくはずだ。

 結局、竹島委員長は独禁法という狭い枠の中だけで判断し、国民の知る権利に応え、民主主義を支えてきた新聞の公共性への理解が足りないように映る。

 特殊指定廃止は公取委の判断だけでできるため、反対する与党の一部が廃止には国会議決を必要とする議員立法の検討に着手する異例の事態となっている。先人たちの知恵で築かれてきた日本の活字文化が、委員長の独断で壊されるようなことになっては困る。」

 

 以上の社説を目にして、わたしは今回もとうとう新聞社はこの最後の手段に討って出たかと思った。「新聞の公共性」と謳うのであれば、その社論であるべき「社説」には客観性と国民の良識を是非、反映させて欲しいと願うのはわたしだけであろうか。この問題については、三月二十日付けのブログ「新聞の独禁法特殊指定と再販制度の時代錯誤」に詳しく述べています。(http://app.blog.livedoor.jp/hero1945/tb.cgi/50069199



自民党丹羽・古賀派の新聞「特殊指定撤廃反対」の不見識3

自民党の「特殊指定撤廃反対」の余りの不見識

 『四月六日、自民党丹羽・古賀派の総会で、新聞の全国同一価格での販売などを定めた「特殊指定」の撤廃に反対することを決めた。

 代表の丹羽雄哉・元厚相は総会で、「どの地域においても、(同じ新聞ならば)同一価格ということが今の新聞業界を支えており、これは再販売価格維持(再販)制度と特殊指定制度の二重の縛りになっている。これ(特殊指定)が崩れていくと、宅配制度に影響する」と述べた。さらに、「竹島一彦・公正取引委員会委員長は強気だそうなので、非常に予断を許さない」との懸念を示した。また、社民党は同日、特殊指定に関する公取委と日本新聞協会からの意見聴取を十一日の政審全体会議で行なうことを決めた。』 (4.6 22:44読売新聞)

 この特殊指定問題については撤廃すべきとの意見を三月二十日付けブログhttp://app.blog.livedoor.jp/hero1945/tb.cgi/50069199で述べたが、冒頭の記事を知り、私は口をあんぐりと開けざるを得なかった。この丹羽雄哉代表の認識は一体、どこから出てくるのか。どの地域でも同一価格でないと宅配制度はなくなると、云っているのである。

 もし、新聞が同一価格の宅配制度を維持したければ、つまり新聞は公共財であるというのなら、電力小売の自由化と同じ問題になる。つまり、ユニバーサルサービス(普遍的・公平なサービスの提供)をどうするかの議論をすればよい。

 私は新聞は公共財などとこれまで思ったことはなかったし、公共財であると思って新聞業界が記事を書いているとは思ってもいない。やれ、特ダネだの、他社を出し抜いただのと自分たちの世界の価値観だけで動いている業界を私は決して公共財を提供する事業体などと思わない。でなければ、記事の捏造、社内で色々なケースを検討しているだけで、そのひとつを抜き出し、「A社が○○と合併」と云った記事が一面トップなどに踊るはずはない。公共財を扱っているという意識であれば、事実だけを伝えるべきであり、もし検討中であれば全ての検討中のものは、常に新聞紙上を飾らねばならぬ。読者は一面トップで報じられたニュースでその後、何の音沙汰・続報もない経験を何度も持ったことがあると思う。また、その渦中に放り込まれ迷惑をかけられた会社人も多いと思う。

 こうした新聞業界は、今、「特殊指定」の撤廃問題で、それを阻止しようと横一線で論陣を張っている。常々、市場原理を振りかざし、経済界にその刃を衝き続けてきた業界が、「自分だけは違う」と叫んでいるのである。まさに笑止である。

 丹羽・古賀派総会の「新聞の特殊指定撤廃の廃止」という、早口言葉で舌がもつれそうなことを真面目に決めたというのだが、新聞業界に何か弱みでもあるのか、何かこの業界に貸しをつくると得だとの判断でも働いたのかとでも、邪推したくなるほど、彼らの不見識さに愛想が尽きた。

 

 

新聞の再販制度と特殊指定は廃止すべし5

「新聞の独禁法特殊指定と再販制度の時代錯誤」

 

再販制度は「再販売価格維持制度」を略したもので、製造業者が小売店と定価販売(小売価格の維持)の契約を結ぶことができる制度。独占禁止法では原則的に禁じられている行為だが、新聞や書籍などの著作物については適用除外として認められている。ただ、再販制度はあくまで民間業者間の取り決めとして位置づけられている。

一方、特殊指定は公正取引委員会が独禁法に基づいて行う告示で、新聞については発行本社、販売店双方に定価の割引や割引販売を禁じ、違反した場合は独禁法に問われる。このため、再販制度と特殊指定が一対の関係となって、新聞の定価販売、さらには宅配制度が維持されてきた経緯がある。(毎日新聞 200632日 東京朝刊)

 

公取委は昨年11月に今年6月を目処に、「新聞業の特殊指定」の撤廃を含めた見直す方針を発表した。そして、これを受けた形で日本新聞協会はこの3月15日に「特殊指定堅持を求める特別決議」を採択、世に発表した。

 

これまでもこの再販問題と特殊指定問題は長々と議論がなされ、その都度、絶大な権力を誇る「ペンの力」によってその廃止が阻止されてきた。新聞は常々、規制緩和を声高々と謳っている。競争原理が働く市場で競争力のない企業は淘汰され、結果として各業界の力を増し、国民に対するサービスの質も高まるのだと。

 

この理屈が何故、新聞業には当てはまらないのか浅学非才の私には理解できない。

 

決議は「特殊指定の見直しは、特殊指定と一体である再販制度を骨抜きにする。販売店の価格競争は戸別配達網を崩壊に向かわせる」、「その結果、多様な新聞を選択できるという読者・国民の機会均等を失わせることにつながる」と主張する。

また、北村日本新聞協会長は「他の物品と同じように価格競争にさらし、生き残るものだけが残ればいいというものではない」と新聞が果たしている公共的な役割を強調したと云う。加えて、日本新聞販売協会もそのコメントに併せるように、「戸別配達制度は新聞社、販売店が一体となって長年にわたって築き上げてきたもので、多くの読者は制度の継続を望んでいる。特殊指定の改廃は、戸別配達制度の崩壊を招く」との中畦会長の談話を発表した。

 

新聞協会並びに販売協会のこの牽強付会な主張に私は、新聞業界の「思い上がり」と「人に厳しく自分に甘い」そのご都合主義に唖然とし、開いた口がふさがらない。多様な新聞を選択する国民の機会均等を失わせる多くの読者は制度の継続を望んでいるとは、一体、どういうところから出てきた事実認識、時代感覚なのであろうか?これだけTVや携帯・パソコンを初めとするネット社会が広まっている時代にである。

 

ニュースの鮮度で云えば、即時性の観点からTV、ネットに紙情報が勝てるわけはない。さらに、麗々しく謳われる「他の物品と同じように価格競争にさらし、生き残るものだけが残ればいいというものではない」という新聞は愚かなる国民に文化と教養を普及・指導させているとでも云いたげな一種の選民意識はかつて新聞が事大主義的な権力に向って牙を剥く時に最も忌み嫌った意識だったのではなかったか。その俗臭芬々たるご都合主義にはほとほと嫌気がさすし、もうそろそろ新聞の宅配自体を断るべき時期がきたなと感じる次第である。あの、販売員の強引で恐喝に近い販促の実態を体験すると、尚更にその感を強くする。

 

私は新聞の宅配制度がなくなるからといって、自分の教養・文化程度が低下していくなどとは寸分も思ったことはないし、そのような危惧すら抱いたこともない。反って、己の主張を通すためある意図すら感じる捏造にも似た強引な記事を目にしないですむだけ、冷静な判断ができると思っている。



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