彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

古都散策

葵祭の夜、“御料理はやし”で本物の“京都”に酔う=京都グルメ

上京区河原町通り今出川下る梶井町448−611  ☎075−213−4409


5月15日、下鴨神社で葵祭の社頭の儀に参列し、あたかも源氏物語の世界に身をゆだねる夢のような時間を過ごしたあと、夜を“御料理はやし”でいただいた。

御料理はやし
御料理はやしの玄関


“御料理はやし”は“京”を供するお店である。


1400余年受け継がれてきた葵祭の社頭の儀の〆は、やはり、千年の都の“京”でなければならぬと考えたのである。


“御料理はやし”は、二年まえに初めて伺い、京料理とはこういうものなのだということを教えられたお店である。


その時、ご主人の林亘氏と常連客との打ち解けた会話に加えていただき、料理はもちろん興味深い含蓄のある話にも満足し、後日の再来を期して“御料理はやし”を後にしたのである。


此の度は家内を初めて“御料理はやし”へ招待した。


お店にタクシーをつけると、前回同様に間髪入れずにお迎えの女性が門外まで出てこられる。


靴を脱ぎ、7人掛けの畳敷きのカウンター席へ案内される。足を掘りごたつ式に畳の縁から落とし込む形である。そして、各々に脇息が用意されている。


カウンターにお客が七名のみの小さな部屋である。カウンターの向こうには碁盤を二つ合わせたくらいの厚さ一尺を越える、まな板と呼ぶのがはばかられるほどの、上檜の“俎板”が二客。


ご主人が向って左のまな板を前に立つ。背筋の伸びた凛とした立ち姿である。


その後背には掛花入に活けられた一輪の白い花。清々しいほどのお席である。


この雰囲気はどこかの茶室でお薄を一服いただくような、そんな気がしてくるのである。言うなれば、私たちの前に立つご主人は茶会を催される“亭主”である。


そして、当夜の“正客”はカウンター左詰めに坐られた常連の大学の先生。

右端の“お詰め”の席には常連であろうご婦人がお二人。

カウンター席の真ん中に位置するわれわれ夫婦は、さしずめ“お詰め”に近い席に坐る素人に近い“相客”というところであろうか。


さらに、お客と亭主の会話に絶妙の合いの手を入れてくるお嬢さんが、まさに“半東”としての役回りを見事に果たされている。


そんなお席である。お茶会で写真を撮るほど私も野暮でない。だからこうして、“御料理はやし”の雰囲気を言葉で伝えようとしているのである。


御料理は着席と同時に紫蘇入りの白湯が供され、淡い緑色のうすい豆の豆腐造り、食前酒の梅酒、琵琶湖の稚鮎の素揚げなど八寸、イカ・鮪・白身のお造り、あぶらめ(あいなめ)の椀、真丈の蒸し物、こしあぶら等天ぷら、酢の物・しめ鯖、焼き魚・・・、ご飯・・・、菓子が柚子入りシャーベットで終了。


“御料理はやし”の料理は、旬の食材がそもそも持っている色香をおもてに引き出すために最低限の味付けがなされ、盛り付けは大仰ではなくきわめて控え目な佇まいで供される。


当店はいろんな方が書いておられるが、お客の方から訊ねない限り、お料理の説明はない。“御料理はやし”を訪なうお客はそうした料理がよく分かっておられるというご主人の考えである。これは“御料理はやし”というお店の哲学といってよい。


だが、そうは言っても判らぬものは素直に訊ねればよい。その際には、亭主から丁寧に説明があるし、さらに料理に対する興味深い話をいろいろとしていただける。


前述の料理で“焼き魚”なんて無粋に書いたのは、別に当夜、見栄を張って訊かなかったのではない。


焼き物が供される時間帯に入るころには、懐石料理に舌鼓を打つのは勿論だが、正客と亭主の長年にわたる交誼のにじみ出る談話は温かく、つい、こちらもその湯加減のよさに口を挟んだりして、脳内が忙しくなっていたためである。


また、ご主人とお嬢さんの“コメダ珈琲のモーニング”話の掛け合いは、ユーモアとウイットに溢れ、笑いが止まらなかった。


客を前にしてのこの企(たくら)まざる話術、親娘の会話が醸す藹々の団欒の場面は、見様によっては老練な剣客の立会いを目の当たりにしているようでもあり、爽快感とでもいおうか、ある種の至芸を見せられているような感覚にとらわれたものである。


このようにして葵祭りの夜は、“本物の京都”のおもてなしで過ごすことができたのである。そして、最後の極め付けが、正客たる先生が作られた “春蘭の塩漬け”による春蘭茶をいただけたことである。

 

年一回、先生が“はやし”にお持ちになるという。この日がたまたま、年一回のその日であったのだが、慶事などで“御料理はやし”では大切に一年かけて使っているという、その貴重な“春蘭茶”を、“和敬清寂”のおもてなしの最後にいただけたことは、“一期一会”を旨とするわが夫婦にとって、まさに最良の一夜であったと心から感謝する次第である。



2014年京都・葵祭の“社頭の儀”に参列する

(当ブログ・「彦左の正眼」内の一切の写真・記事等の転用を禁じます)

2014年5月15日午前11時40分から下鴨神社の“社頭の儀”に参列した。

斎王代の参進


葵祭は賀茂御祖神社(かもみおや・下鴨神社)賀茂別雷神社(かもわけいかづち・上賀茂神社)で5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に執り行われる例祭であり、1400余年もの歴史を有する。


葵祭といえば、あでやかな十二単をまとい、腰輿(およよ)に載った斎王代の行列の様子が有名であるが、それは祭儀のなかで“路頭の儀”という儀式の一部分ということだそうだ。今回、知人のご厚誼により“社頭の儀”への参列が叶ったが、葵祭の祭儀が“宮中の儀”、“路頭の儀”、“社頭の儀”の三つで構成されていることを初めて知った次第である。


10時半に京都御所を進発した行列は、近衛使代(勅使代)を中心とした本列と斎王代に従う斎王代列に分かれて最初の目的地・下鴨神社へ向けて都大路を進む。


その規模は総勢500余名、馬36匹、牛4頭、牛車2台におよび行列の長さは1km、最終目的地・上賀茂神社までの総行程は8kmにおよぶ。

京都御苑の玉砂利を踏んで行列が通ります
1時間前に葵祭りの行列を待つ京都御苑内の見物客


今回は当初、京都御苑で路頭の儀を拝見し、すぐに下鴨神社へタクシーで向かい、社頭の儀に参列の心づもりでいたが、斎王代の行列を見てから交通規制が布かれたところでタクシーを調達するのは至難の業であると判断し、急遽、下鴨神社へ直行することになった。

鳥居横から入場

下鴨神社へ到着すると、ここも行列到着の1時間以上前というのに人出は多く驚いた。受付を済まし、南口鳥居の脇から“社頭の儀”の催される楼門内へと入ってゆく。

楼門前で記念撮影・黒袍が宮司、赤袍が副宮司 左より権宮司・宮司・勅使
行列到着前に勅使と宮司・権宮司が楼門前で記念写真を撮っておられました


われわれは舞殿の東に位置する橋殿に設けられた平場の席へ着いた。

舞子さんも参列していました
舞子さんも参列

席は自由ということだったが、すでに前三列まではいっぱいで、四列目に陣取ることとなった。右隣りは斎王代関係者などが坐る椅子席となっていた。

4列目に陣取る 斎王代関係者の椅子席

そして、ほぼ予定通りに行列が南口鳥居前に到着との案内があった。11時50分過ぎ楼門が開き、虎の敷物を抱える従者を従えた本列の人物が入って来る。

本列の社頭参進

そして、楽隊の一団が入場したあとに、斎王代の行列が入って来る。

斎王代列が入って来る

斎王代は鳥居の前で腰輿(およよ)を降りられ、童女に裾を持たせて歩いて参進してくる。


華やかな十二単の衣装が美しい。


今年の斎王代の太田梨紗子(神戸大2年・20歳)さんは、京菓子司老松のお嬢さんである。

斎王代・太田梨紗子さん 斎王代に続く女人

女人列の命婦や女官たちが続く様子は、なるほど王朝絵巻を見るようである。


それに続き、社頭の儀の主役である勅使が陪従や舞人を従え、入場する。下鴨神社では、いったん剣の間に入り、勅使は腰の剣を解かれる。

勅使
剣の間で刀を解いた勅使が舞殿前に参進

それから参進され、内蔵使代から祭文を受取る。

内蔵使代より御祭文を受取る勅使
内蔵使代が祭文を手渡す
内蔵使代
内蔵使代

そして、舞殿の南階段を昇り、しずしずと歩み、祭文の座に着く。

祭文の座に進む勅使


祭文の奏上は微音にて行われるため、頭を垂れたわれわれ参列者の耳にその声は届かない。

祭文奏上が終わると宮司が北階段を昇り、神宣を勅使に伝える。

勅使に神宣を伝える新木宮司

宮司は一旦、舞殿を退き、今度は神禄を捧げ持ち、階段を昇り、勅使に授ける。

神禄を捧げる宮司

これで祭儀の肝の部分が終了。勅使は舞殿を退下し、剣の間にて佩刀される。


その間に、招待客による拝礼が順次行われる。今年の参列者総代は京都国立博物館の広報特使を務める藤原紀香さんであった。

藤原紀香さん 参列者総代の藤原紀香さんの拝礼

さすがに他の拝礼者とはカメラのシャッター音が異なった。ご祭神も苦笑いというところだろうか。


拝礼が終わると、神服殿で控えていた斎王代以下の女人たちが退出しはじめる。


その間に佩刀した勅使が陪従を従えて剣の間より出てこられ、橋殿の前に立つ。


そして、東游(あずまあそび)の序歌を陪従が唄うなか、牽馬(けんば)之儀が執り行われる。

牽馬(ひきうま)之儀

馬寮使が馬二頭を馬部に牽かせ、西から東へ舞殿を三廻りする。今年は舞殿正面で馬寮使が最敬礼する度に白馬も一緒に頭を下げるのが愛らしく、参列者に笑みがこぼれた。

舞殿を三廻りする



そして、舞人による“東游(あずまあそび)”が優雅に披露される。
駿河舞
まず、駿河舞が舞われる。
舞人・駿河舞

次に、求子(もとめご)舞が舞われる。

求子(もとめご)舞

東游が終わって、神前での社頭の儀は滞りなく終了ということになる。


ここで、勅使も陪従や舞人を従え、楼門より退出される。

勅使と陪従


参列者もこれにて橋殿を去ることになる。

風流傘と楼門
楼門前に路頭の儀で使用する風流傘が飾られていた

風流傘と神馬

牽馬之儀を終えた馬が厩舎で休憩中


そして、引き続き糺の森の馬場で“走馬の儀”が行われる。

走馬の儀

数頭の馬が疾駆し終えて、社頭の儀の一切が終了となる。


11時40分に始まった社頭の儀がすべて終了したのは午後2時10分であった。2時間半におよぶ厳粛な祭儀に参列できて、1400年余続いてきた古儀のなかに息づく日本人の敬虔な信仰の心、文化の伝承の大切さをあらためて思い返したのである。



“総本家駿河屋”の“古代伏見羊羹”=旅人の見た京都のお菓子

伏見は京都の南、宇治川の北岸に展開し、江戸時代には水運で栄えた宿場町であった。

伏見の水運 旅籠・寺田屋
伏見の水運              旅籠・寺田屋

近くは坂本龍馬の寺田屋や鳥羽伏見の戦いなど沸騰する幕末の時代を、遠くは安土・桃山の豪華絢爛、自由奔放な時代を、伏見桃山城の眼下に、まさに直に眺めてきた土地である。

伏見稲荷
伏見稲荷

その伏見の地、京阪本線の伏見桃山駅、近鉄京都線・桃山御陵駅から徒歩1分のところに“総本家駿河屋伏見本舗”はある。


京町通りを隔てて対面には、明和元(1764)年、讃岐出身の初代・三郎兵衛が創業した老舗京懐石・“魚三楼(うおさぶろう)”がある。

京懐石老舗・魚三郎

その店先の格子には鳥羽伏見の戦いの際に受けた弾痕がいまも生々しく残されていた。まさに、幕末乱世の劇中に舞い降りたような気分になれる通りでもある。

魚三楼店頭にある説明版 鳥羽伏見の戦いで受けた弾痕
弾痕がそのままの魚三楼の格子

今回は、前にご紹介した亀屋良長の“烏羽玉(うばたま)”や亀末廣の“竹裡(ちくり)”と同じく、戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行ない保護した“和菓子特殊銘柄18品”のひとつ、“古代伏見羊羹”に迫ってみた。

伏見本舗
総本家駿河屋・伏見本舗

総本家駿河屋は寛政二年(1461)、初代岡本善右衛門が船戸庄村(現在の伏見の郊外)に「鶴屋」の屋号で饅頭処の商いを始めたのを嚆矢とする。

店内
店内

天正年間に蒸羊羹を改良し「伏見羊羹」、別名「紅羊羹」を発売。それが、豊臣秀吉の大茶会で諸侯に引き出物として用いられ絶賛された(同社HPによる)。

店内・古代伏見羊羹説明書き
古代伏見羊羹の説明

ただ、どうもこの古代伏見羊羹は従来の蒸羊羹を改良して、澱粉、砂糖に赤色を加えた紅羊羹で、実際のところは今の煉羊羹とは異なるものであったようである。


さらに、駿河屋HPにある“天正17年(1589)の北野の大茶会で供された”ことについては、大茶会開催が天正15年であることから、総本家駿河屋の紅羊羹が引き出物として供され絶賛を博したのは、天正17年5月20日に催された聚楽第で公卿や徳川家康など諸大名に金6千枚、銀2万2千枚の金銀を配った、世に云われるところの“太閤の金配り”の際のことであったと推測される。


能書きはこれぐらいにして、早速に古代伏見羊羹を食べてみよう。購入したのは“夜の梅”と“練羊羹(紅羊羹)”の二棹の課題羊羹である。

古代伏見羊羹 夜の梅・紅羊羹

それと、比較の意味で、現代版の“夜の梅”を一棹購入した。家内に言わせると、何が比較衡量だと申しておりましたが、やはりグルメの達人の道へと少し足を踏み入れた男として、それは、突然、偶然でもなく、必然の行為であると、強く主張したい。

夜の梅・包装

それで、まず、現代版の“夜の梅”をいただく。見た目も肌裡細やかで、切り口に小豆が浮き出て、まるで夜の闇に浮かぶ梅の花のよう。

現代の夜の梅

味も上品な甘さでとてもおいしい。


次に、古代伏見羊羹の練羊羹、いわゆる紅羊羹をいただく。見た目に砂糖が少し吹き出しているのが、何とも郷愁といおうか、懐かしさを感じさせる。

古代伏見羊羹・練り羊羹

味はすっきり素朴で、甘みがしつこくなく、本当においしい。これぞ、“羊羹”である。昨今の甘みのきつい羊羹は、量があまりいけないが、これだと思う存分に羊羹の世界を堪能できる・・・


次に古代伏見羊羹の“夜の梅”にいく。

これはまた、見かけも漆黒の闇から咲き乱れた梅の花が浮かび上がってきたようで、なかなかの趣きである。

古代羊羹・梅花が浮き出ています

おいしい・・・おいしい・・・おいひ〜い!!

古代紅羊羹・肌裡は細やかです 古代羊羹・しっとりしています

これが羊羹!! これぞ羊羹!!と、はしたなくも雄叫びを上げたものでした。


以上が“古代伏見羊羹を食す”のレポートであるが、この紅羊羹を製造販売する法人・(株)駿河屋の現況についても、残念ながら少し触れておかねばならぬ。

総本家駿河屋看板

駿河屋(本社・和歌山市)は本年1月17日に和歌山地裁に民事再生法の適用を申請、保全命令を受けている。


ただ、同法の適用が受諾されたことから、これまで通り営業を続けながら同社の再生が図られてゆくわけで、古代伏見羊羹は今までと同じようにわれわれは口にすることが出来る。


古代伏見羊羹札

“古代伏見羊羹”の熱烈なファンが少なくとも、一人、ここに厳然といることを同社経営陣は肝に銘じて速やかなる再建を果たさんことを強く願うものである。


そしてこの懐かしい味をわたしの舌の上に運んでくれる“紅羊羹”を、これからも大切に心を籠めて作り続けて頂きたいと望む。


そのためにも全国羊羹愛好会の一員であると自負して止まない方々は、総本家駿河屋に伺うもよし、ネットで購入するもよし(電話で頼めば、古代伏見羊羹も送ってもらえます)、彦左衛門のためにも、古代伏見羊羹を食べてくださ〜い!!



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2013年11月、比叡山・延暦寺の紅葉は今が見頃

1114日、京都市内の紅葉はまだ早いということで、比叡山・延暦寺をひさしぶりに訪れた。少しでも標高が高い方が京都の紅葉をちょっとでも目にすることができるだろうとの思いである。

見上げると

わたしにとって延暦寺はほぼ40年ぶりであったし、比叡山ドライブウェイを通って入山するのは初めてであった。

そのドライブウェイの途中に“夢見が丘展望台”という大津、琵琶湖を一望できる観光スポットがあった。

そこに“もみじ見頃”の看板が立ち、タクシーの運転手さんも、ここからの紅葉はきれいですよと、車を降りた。

秋の陽光に染まる紅葉・展望台

天候もよく、琵琶湖を見下ろすことができ、それだけでも感激であったが、そのうえに紅葉も素晴らしく、こちらに来てよかったと家内ともども“大正解”と満悦(当初は高雄の神護寺でも行こうかと考えていたが、運転手さんが延暦寺を奨めてくれた)。

展望台より琵琶湖を望む
紅葉の向こうに琵琶湖が見える夢見が丘展望台

琵琶湖から山側に目を転じると、そこにも紅葉はあざやかにわれわれの目を射る。青空とのコントラストが素晴らしい。

延暦寺有料道路展望台の紅葉はきれい

それに比べて、延暦寺の紅葉はもう少しであった。

紅葉がはじまる

たぶん、本日(11/21)あたりがちょうど見頃になっているのではなかろうか。

延暦寺大講堂
大講堂

大講堂前の紅葉もようやく始まった感じだろうか。うわぁ〜ってなとこまではいきませんでした。

大講堂前に紅葉
大講堂前

大黒堂の一部、色づいていたので、パチリ。

大国堂にも紅葉がちらほら
大黒堂

根本中堂の紅葉もどうでしょうか、今夏の猛暑の影響もあるのでしょうか、ちょっと赤の色合いが今一つの感です。

根本中堂に紅葉
根本中堂の紅葉

ただ、根本中堂の威容、堂内で感じた敬虔な信仰心の凄味、不滅の灯明に見た伝統を継承する人間の強さを肌身で感得したことは、得難い経験であった。

文殊楼から根本中堂を
文殊楼から根本中堂を見る

そして、実際の根本中堂が学生時代に訪れたときの記憶にあったものとは大きく異なり、あの記憶はいったいどこの建造物だったのか、再度、ゆっくりと東塔、西塔、横川地区を散策する必要があると、感じた次第である。


そんなことを思いながら、歩いていたところ傾いた太陽が樹間を抜けて光の紐をわたしに届けてくれた、その情景はやはり信仰の山にふさわしい神々しいものであった。

聖地の紅葉

そういうことで、今回は展望台、東塔の紅葉をまずはお愉しみいただけたらとアップしました。お時間出来たら、ぜひ、比叡山へ足を向けられたらいかがでしょうか。

京都の夜、“Bar K6” 朱色の物語に酔う

京都でアートな夜を、カクテルバー“K6”(2013.1.29)

中京区二条通木屋町東入ル東生洲町481 ヴァルズビル2

075-255-5009


われわれ夫婦は、今年の一月以来、久しぶりにK6を訪れた。

K6階段

割烹“まつおか”(東山区・075-531-0233)で“旅は道連れ”となったお嬢さん・Aさんをお誘いして、京都の夜をもう少し堪能しようと向かった。


店内に入ると、いつもの左手のカウンターに席は用意されていた。

名バーテンダーの澤真吾さんにAさんのご紹介をすませると、さっそく、オーダー。

K6・澤真吾さん
アートな腕を振るう・澤真吾氏

家内が注文したのが、え〜っと、名前が・・・、何しろ下の写真です。爽やか系の軽いカクテルだったかなぁ・・・。


リキュールと光のアート
光に浮かぶカクテルが京都の夜を彩る

そして、わたしがまず20116月に大震災を悼んで澤さんにつくっていただいた“鎮魂”をお願いした。 

光にうかぶ”鎮魂”

深遠で厳粛な雰囲気を醸し出す不思議なカクテル・・・“鎮魂” 。いろんな思いのこもった一杯である。


この透明でどこかさみしげなブルー・・・。

鎮魂
いろんな思いのこもったカクテル”鎮魂”です

海の深みと透明感が意匠された”鎮魂”


そして、当夜、K6デヴューのAさんに、京都の一人旅の想い出に、ひとつ貴女のカクテルをオーダーしなさいと慫慂(しょうよう)した。


京都のひとり旅で何がもっとも印象に残ったのか、それをイメージして澤さんにオーダーしなさいと云うと、しばらく間をおいて「上賀茂、下鴨神社で雨にあったが、雨に煙った緑の繁みのなかに鮮やかに映える朱の色が瞼に焼き付いている」という。


そこで、“神秘的な朱色の世界”というお題で、新作のカクテルをお願いした。若いお嬢さんが京都の上賀茂神社、下鴨神社をひとり彷徨し、いつしか紡ぎ出されていった素敵な物語・・・


澤さんがじっくりと彼女の話に耳を傾け、それから顔を伏せ、しばし熟考する。


手がグラスへ向かい、そしてリキュールのボトルへと伸びる・・・

バーカウンターに嵌め込まれたライトの上に、新作のカクテルがそっと置かれる。

ライトに浮かぶヴェルミオン・ロマン(朱色の物語)

“ヴェルミオン・ロマン”(フランス語)こと、”朱色の物語”の誕生である。命名はAさんと相談し、行ったものです。澤さん、これから、これでお願いします。

ヴェルミオン・ロマン(朱色の物語)
”ヴェルミオン・ロマン”こと、”朱色の物語”の誕生である!!


写真の出来がいまひとつで、その瞬間の感動をうまくお伝えすることが出来ぬのが残念であるが、見事な作品である。

もちろん、Aさんも大感激で、自らのためだけに創られた“ヴェルミオン・ロマンに、そっと口唇をつけていた。


最後に、この一月のお題で生まれた飛龍をほうふつとさせる名作・“天橋立”をいただき、素晴らしい出逢いのあった京都の思い出深いひと夜も終焉の時を迎えたのである。

龍が昇るカクテル”天橋立”


タクシーで帰るAさんを見送り(家内は何かあったらと、タクシーのナンバーを確認しておりましたなぁ)、われわれ二人は人気もなくなった木屋町通りを下り、押小路へと入り、ホテルへと仲良く歩いて帰って行ったのでありました。

中央の明るい個所がK6
人影の消えた交差点・写真中央の明るい個所がBar K6です

 

そして、Aさんとはひと月後に松本の“レストラン澤田”で再会することとなるのである。それはまた別の機会に、アップしましょう。

味と妙技と人の出逢いを演出する・割烹“まつおか” =京都の“割烹まつおか

初々しさの匂い立つ、京都・“割烹まつおか”に初見参=京都グルメ(2012.10.7)
京都市東山区松原通大和大路西入ル弓矢町25

075-531-0233

定休日:水曜日


9月の上旬、一年ぶりに割烹まつおかを訪れた。


開店から一年半が経ったお店は盛況で、われわれが入店した6時半頃ですでにカウンターも座敷も満席となった。

板場の人数も、仲居さんの数も増え、お店の勢いが、一歩、お店に足を踏み入れてすぐに伝わって来た。

戦力アップ中です

殊に、松岡君を筆頭に“若い”ということが、層倍にお店の溌溂さを印象づける。われわれ老夫婦も確実に十歳は若返ったと感じるのだから不思議だ。


いま、京都で若手の料理人として注目度を高める松岡秀雄氏の仕切りにも、風格が備わってきている。

料理を語る松岡秀雄氏

そうした“まつおか”で、料理はいつものようにお任せで、まず、八寸からスタート。

八寸

次に新鮮な季節のお刺身。やはり、

向付

仕入れが素晴らしい、なかなかに美味である。


さて、そんななか、当夜はいつもと異なる展開が待っていた。というより、家内に言わせると、展開をわたしが作り出したのだという。


カウンター席右隅、わたしの右隣りに若くてチャーミングな女性が独り、ひっそりと坐っておられるではないか。

そこで、料理はにぎやかに愉しむのがモットーのわたしは早速、声をかけさせていただいた。


松本市から来られた方で、忙しい日々を過ごすご自身へのご褒美の旅だという。訊いたら、大変、緊張を強いられるお仕事である。俄然、わたしはホスピタリティーの精神全開となる。


もちろん、こうした会話にはうちの家内も一緒に入っている。これもわが家のモットーである。断じて、ナンパなどという軽佻浮薄な心などこの彦左衛門に微塵もない。


ただ “若い女の人だと、すぐこれなんだから”と、家内の双眸(りょうめ)が笑っていたことも何を隠そう事実である。何事も正直、正直に・・・


そんな楽しい会話のなか、家内がしっかりと岩ガキに目をつけ、注文する。

岩牡蠣

脂ののった大振りのまさに海のミルクの岩牡蠣は、やはりおいしかった。岩牡蠣はやはり肉厚の大振りのものでないと、本当の旨味はでないのだと思う。


次にグジ(甘鯛)の焼物。脂がのり、皮もカリッと香ばしい。

焼物・グジ


そして、本日のメインである、鱧の炙り焼きである。

鱧の炙り

鱧の炙り焼きです

鱧の骨切りの妙技をじっくりと鑑賞。

鱧の骨切りの妙技

お隣の女性も興味津々で、松岡君が鱧の骨切り用の包丁の説明をしてくれるなどカウンターと板場の温かな交流も絶好調。


そして、上品な味とあつらえの野菜の煮浸し。

野菜の煮浸し

蟹をのせた真薯(しんじょ)もおいしい。

真薯(しんじょ)

すると、秋刀魚の肝和えが出て来るではないか。この肝和えのタレの写真を撮り忘れたのだが、これがひと工夫、いや、ふた工夫もされた“まつおか”の新しい味である。

“日々、是、進歩”  昔、どこかの予備校でよく目にしたなぁ、この言葉・・・

秋刀魚の肝和え

〆に鱧鮨を家内は注文しておられましたなぁ・・・

鱧鮨

わたしはお隣の女性との会話で胸が・・・、いや、お腹が・・・あれっ・・・何しろ、なんだかいっぱいで、もう入りませんでした。

そして黄桃のデザート。

デザート・黄桃

松岡君に、“バーk6”の予約をお願いし、お隣の女性もお誘いし、三人仲良く、いろんな出逢いを演出してくれた・“割烹まつおか”を後にしたのでありました。

6月の京都、花の寺社めぐり(平安神宮・法金剛院・しょうざん庭園・建仁寺両足院・蘆山寺)

此の度、ようやく念願かなって蘆山寺の桔梗を鑑賞できたが、そのほかにも京都には花をたのしむ神社・仏閣がたくさんある。

山門より
蘆山寺・薬医門

そこで、ここでは花の寺社めぐりを紹介しよう。季節は2年前のやはり6月。家内とともに京都の花めぐりをした際のものである。


まず平安神宮である。

大極殿
平安神宮・大極殿

平安神宮は東西に池がめぐらされている。東が東神苑といい、泰平閣(橋殿)で有名である。

東神苑、橋殿を望む
東神苑

西が西神苑である。

西神苑・花しょうぶ
西神苑

6月は花しょうぶなどが美しくこの神苑を彩る。

花菖蒲がきれい

その水辺の河骨、睡蓮、花しょうぶの花の競演は見事である。

花菖蒲、河骨、睡蓮の揃い踏み
手前より花しょうぶ、河骨、睡蓮

睡蓮が咲く。

睡蓮

河骨もまだ多くはないが、緑の葉のなかから黄色の花をいくつかのぞかせていた。

河骨がチラホラ咲いています

河骨の花はどこか印象的であり、一度見たら忘れない花である。

河骨が咲いています 河骨の花がのぞく


次いで、花の寺あるいは蓮の寺の名で有名な法金剛院である。

花の寺・法金剛院

ここは蓮がとくに有名だが、6月なので、沙羅双樹と菩提樹の花が見られるはずと、家内の強い希望で訪れた。

手前、方丈玄関の唐破風と本堂を望む

平家物語の書き出し部分のあのあまりに有名な条(くだり)。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」

沙羅双樹落花

沙羅の木の高みに花芯が黄色のくっきりとした白い花、樹下にその花びらが数片、散華しているのを認めた家内はいたくご満悦であった。

沙羅双樹の花が咲く
沙羅双樹の花

もちろん、わたしも、“盛者必衰の理をあらわす花の色”とはいったいどんな花で、どんな色をしているのか興味津々で観察した。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
盛者必衰の落花の図

そして、菩提樹の花も見つけた家内は、今日はラッキーと喜色満面であった。

菩提樹の花
菩提樹の花

そこで、ちょっと薀蓄を・・・


釈迦が亡くなったのは“沙羅双樹”の下であるが、わが国では“夏椿”を間違って、沙羅双樹と呼んでいるそうである。だから、インドの沙羅双樹は法金剛院のものとはまったく別物ということだそうだ。


ただ、平家物語に謳われている沙羅双樹はまさにこの“夏椿”のことなのだから、日本人の感性でいう盛者必衰をイメージさせるのは、まさにこの花の色なのである。

沙羅双樹花弁
日本では、これを沙羅双樹というのです

さらに云えば、釈迦が悟りを開いたのは“菩提樹”の木の下ということだが、これも正しくは“インド菩提樹”の下であるとのこと。

菩提樹の名札

これもわが国では、“菩提樹”を“インド菩提樹”と混同しているのだそうだ。


だから、この法金剛院の菩提樹の下に坐っていても凡人はなおさらに悟りなど開けぬということになる。

菩提樹の花の下で
菩提樹の花が満開

いやぁ、つまらぬ理屈をいって申し訳ない。「本当に無粋なんだから」とつぶやく声がすぐ耳元で聴こえてきそうだ。


法金剛院には“苑池”と呼ばれる平安時代の浄土式庭園が残されており、季節は異なるが蓮の花が水面に咲いたらさぞ美しかろうと思ったものだ。

苑池
浄土式庭園の苑池

ただ、この時季、花しょうぶが咲いていて、さすが花の寺と呼ばれるだけあって、花が尽きず、来る者の目を愉しませてくれる。


花しょうぶといえば、洛北の“しょうざん庭園”も訪れる価値はある。此の時はまだ一面というわけではなかったが、静かな園内をゆっくり散策するのもよい。

しょうざん庭園
しょうざん庭園
しょうざん庭園・花しょうぶ

菖蒲がきれいです 石と苔と清流
落ち着いた雰囲気の庭園です

紅葉の季節などは人出も多かろうが、季節の節目節目で訪れても面白いところである。


あと、以前アップした建仁寺の両足院の半夏生はぜひご覧になるとよい。

両足院・半夏生の庭
半夏生の庭です

これだけの株数の半夏生が植わるのはここだけだという。

いつ見ても、半夏生は不思議な謎めいた植物である。とくに雨がしとしと降っているときの濡れた白い葉と緑の葉のコントラストは何ともいえず清らかで美しい。

雨にぬれる半夏生
半夏生、大好きです

最後に、おまけで、蘆山寺の桔梗の花の写真を掲載して、“京の花めぐり”を終了しよう。

桔梗と楓

二年越しのブログのアップとなったが、前から気になっていた“花めぐりの記”であったので、これでようやく小さな肩の荷を下ろすことができた。

2013年・水無月の割烹“やました”、“あこう”の洗いで初夏の爽やかな音色を聴く=京都グルメ

実は“やました”、今年は二度目の訪問である。


1
月、いや、睦月に天橋立の帰りに寄っている。その時、なぜか印象としてあまり“やました”では種類を頼んでなかったと思い、ブログに敢えてアップしなかった。宮津のお昼に大きな牡蠣のピザや鴨の燻製や何とかのパスタやなどと、たらふく食べ過ぎ、どうもそんなに夜は食が進んでいないと勘違いしていたようだ。

1月に食べた”おこぜの薄造り”  1月の本もろこ
1月にまた、”おこぜの薄造り”と”本もろこ”頼んでた〜
1月の大きい白子
この白子、大きくておいしかったの思い出した

あらためて写真を調べると、な〜んだ、いつものように頼んでは、しっかり食べているではないか。

さすが“やました”。ただでは客を帰さないのである。

そういうことで、2013年の“彦左の正眼”での初お目見えである。

此の度の“ウリ”は、なんといっても、この大きくてりっぱな“あこう”である。

立派な”あこう”が入った
この”あこう”、半端なく立派です!

大将がいつものように捌(さば)くのだが、その写真がうまく撮れない。いつもの一番奥の定位置で、満席でして(まぁ、いつものことか・・・、でも隣には家内が・・・、でも、この日はひとり)、と云うことで、お隣に迷惑なので、ちょっと遠慮しました。

大将が捌きます

なので、この写真、お嬢さんのような仲居さんが「撮ってきましょうか」と、ご親切にもわたしの苦しい心中を察して下さり、正面からバッチリ映してくれたものです。もちろん、知的財産権は彼女のものであります。あっ! 掲載する了解とるの忘れた・・・。今度、事後承諾を取らなければ。

さて、その“あこう”、“洗い”がおいしいというので、それにした。

”あこう”の洗いです
見事な”あこう”の洗いでした

脂が流されたうえ、冷水で締まった身の歯ごたえ、のど越しはさすがだ。洗いを食べると、そこに“初夏”の爽やかな音色を聴くようであった。


そして、洗い、定番の冷酒・桃の滴によく合う。そう云えば、グラスが変わったね。少しずつ前のが割れてゆき、大将に新しいのを買ってもらったのだと、件の仲居さんが言っていた。

新しいグラスが登場・酒は、桃の滴
”桃の滴”が入っています

さて、先付からいかねばならぬ。え〜っと、魚のムース、山クラゲの胡麻酢和え、青梅煮、胡瓜のピクルスに鯵鮨でした(忘れちゃったので、後で紙に書いてもらいました・・・)。

先付

“あこう”の次に、目の前の水槽で泳いでいる美山の鮎を、“背ごし”でもらうことにした。今日は大きいのが入っているから“背ごし”大丈夫ですと芹生君が言う。

美山の鮎の”せごし”です
美山の献上鮎の”背ごし”です

この前、揚げ方・焼き方に入っていた右近君は実家の方に戻ったのだそうで、これから芹生(せりう)君がこの大役を担ってゆく。

芹生、いくぞ!
いくぞ、芹生!と、大将・頑張れ芹生!!

大将に捌かれた“背ごし”はやはり、見事。

”せごし”、いいねぇ
シャリシャリ感、伝わりません?

早速にいただいた。シャリシャリとこれも初夏の旋律である。

残った頭と尻尾はから揚げでいただく。これも、何気に、おいひ〜い!

鮎の頭と尻尾のから揚げ

次いで、花島さんが「野菜ものでもどうですか」といつものように食のバランスを調整してくれる。

花島さん頑張ってます!川飛君も!
花島さん、いつもありがとう!!

そこで、“芋茎(ずいき)の生姜煮”をいただく。ひとりでは、これ少々、量が多かった。

芋茎(ずいき)の生姜煮

そして最近、嵌(はま)り出した貝に気持ちが向かう。とり貝をいただく。

とり貝です

りっぱなとり貝である。

お酒は月桂冠の“鳳麟”。グラスがいつものに戻った。なぜか落ち着く。

とり貝といつものグラス
このグラス、やはり落ち着くなぁ・・・。”鳳麟”さすがに〆の芳香

“鳳麟”をやりながらふと気づくと、いつものようにお客様は誰もいなくなっていた。カウンター中央に移動し、大将と四方山話。


こうして、20132度目の“やました”の夜も更けていったのでした。

高瀬舟のない高瀬川

それと店の前の高瀬舟がこの前からなくなっていたので、訊ねたところ、古くなったので撤去しているとのこと。新造に1700万円かかるのだとか・・・。その工面、とても大変そう・・・。誰か、京都を愛する篤志家いないのかなぁ。

“露庵・菊乃井”、一見さんでしたが、フレンドリーでお洒落なお店でした

“菊乃井”と言えば、古都京都を代表する老舗料亭。

これまではもちろん敷居が高いのもあったが、旅先で料亭料理というのもいかがなものかという思いもあって、足が向いていない(ただ菊乃井店主は“料亭とは、基本は飯屋”と豪快に割り切っておられる)。


だが、昨年、家内の知人から「露庵・菊乃井は気楽でいいわよ」との情報を入手。

コースが3つあり、7千円からは季節の懐石になるとのことだったので、これにした。後で教えて頂いたが、その季節で食べたいものがあれば、事前に云っておけば用意してくれるとのことでしたので、融通は効くようです。

露庵・菊乃井

虎視眈々とその機会をうかがっていたが、此の度、友人のあるお祝いをお昼に、しかも京都でやろうとの話になり、当店を予約したもの。

店内に敷かれた石畳
なかなかな趣き・・・

当日、広島からやって来た友人と二人で、カウンター席中央に陣取った。一見客で大胆な振舞いとは思ったが、そこは年の功。

カウンター席です
もちろんお客でいっぱいでした・長尻組みが残っているのです

最初に、紫蘇でつけた食前酒が供される。この梅雨時に切れの良い爽快感がよく似合う。

紫蘇風味の食前酒

先付には、雲丹がまぶされた、ワサビをトッピングした雲丹豆腐。これ、ピリッと美味でした。お酒の飲めぬ友人を後目に、あぁ、冷酒を頼んでしまいました。

雲丹豆腐

次に八寸。この季節です。蘇民将来の茅の輪で厄払いもかねた飾りつけが粋で癪(しゃく)である。味も材料も多彩で、これで舌も口の方もパワーアップ。

八寸

早速、板場中央にでんと構える店長の村田喜治氏へ。菊乃井本店店主・村田吉弘氏の弟さんです。その村田さんにお写真をと申し出たら快く応諾していただけたので、パチリ! 

店主の村田喜治氏

そしてポーズまで注文してしまう勝手放題。すみませんでした・・・

自然な形で・村田喜治店主
自然な姿で・・・なんてオーダーしちゃいました

次に向付。大好きな鯛とシマ鯵、しっかり食べました。もちろん黒龍と一緒にです。

鯛とシマ鯵

さて鱧の落としです。ここのは身がしっかりしていて、湯引きは嫌いというわたしも満足。梅肉のすり身を二倍酢で溶いた浸けで、いただきました。

鱧の落とし

あっさり系が多い献立で口がちょっとさびしいころに、芋茎(ずいき)と豚の角煮。お肉のとろける柔らかさと量が少なめなのが、料理のアクセントとして効いている。

豚の角煮と芋茎

箸休めにトマトのソルベ。まさに肉の膏が残る舌に、この酸味が効いたソルベは絶妙の間合いと選択。

トマトのソルベ

そして目の前の火鉢で鮎の網焼き。

琵琶湖の北で採れた鮎です

琵琶湖の北方で採れた小ぶりの鮎なので、頭からいけるそうです。蓼酢に浸けて、ガブリ!

鮎の塩焼き

茄子の田楽。しゃべりに夢中で、たぶん、パクっとやっちゃったかな・・・

茄子の田楽

そして、鱧の炊込みご飯です。お釜で炊いたご飯でおいしかった。

鱧の炊込みご飯

日頃、飯粒を食べないわたしが、お代りをしてしまいました。味噌汁が牛蒡の掏り流し仕立てで、ぷ〜んと土の香りがしてくるようでお腹がすとんと落ち着くのが不思議であった。

味噌汁・牛蒡のすり流し仕立て

デザートはもちろんわらび餅。アイスクリームもついています。

わらび餅とアイスクリーム

残ったご飯は折に入れて友人の奥様のお土産とした。鯖寿司もおいしそうだったので、一緒に奥様へ持っていただくことにした。


本来、1時半からの予約受付であったものを、こちらの都合で1時に前倒し頂いたうえ、さらに10分前に席に着き、3時半過ぎまで長居をした。

小上りはこんな感じです
小上りです。ここのお客様もお帰りになりました・・・

店主の村田さん自らが、レジの横でわたしのジャケットを抱えて待っていてくれる。腕を通し、店を出ると、外まで店主自らがお見送りする。皆さんにそうされているようで、お客様はもう満足、満足。

阪急河原町駅1番B出口からすぐです
阪急・河原町駅1番B出口から露庵を見る・赤いコーンの前

菊乃井の名前に気圧されずに、仲間や板前さんたちとも気楽にお喋りし、おいしい料理に舌鼓が打てる。懐石料理といった名前に怖気づく必要もない、至ってフレンドリーな露庵・菊乃井であった。


次回は家内同伴を約して、まだ友人と話足りなかったので、“鍵善”でお薄と生菓子をいただこうと四条通りを八坂神社の方へ歩いて行った。

鍵善

四条大橋から今年の川床風景をパチリとおさめた。もう少しで梅雨明け、そして、暑い夏がやってくる。月日が経つのが本当に早い今日この頃です。

2013年・鴨川の川床です

エッ! “カギゼ〜ン”と言われる京都通のお方もおられようが、まぁ、手近で手頃で、わたしは結構、利用させてもらってます。


だって、箱に幾種類か入った生菓子を「どれにされますか?」って言われて、迷う、あの10数秒の幸せな時間って、そう日常にはないんじゃないのかなぁ・・・

京都の旨い蕎麦処・“おがわ”は、味だけでなく、サプライズ!!

京都のそば処 おがわ(石臼挽き手打ちそば)(2010.12.11)
京都の蕎麦処「おがわ」=雅な京の爽やかさ!(2009.2.10)

泊ってみたい宿=摘み草料理の美山荘(2013.10.23)

京都市北区紫竹下芝本町25 

0754958281

 

今回ばかりはJR四国にお礼を言わねばならぬ。

高松駅・マリンライナー22号
このマリンライナーが遅延

家内の実家のある高松からのマリンライナーが雨による遅れとかで、岡山駅での乗換が慌ただしかった。ホームで階段を昇ったところでまさに入線してきた新幹線に飛び乗るといった離れ技をやってのけ、疲れてフーフーいっているうちに車内販売のお弁当が売切れてしまった。


そのため京都へお昼抜きで着き、まずはランチをとらねばならぬということになった。そこで思案し、久しぶりの“おがわ”に向かうことになった。


店内はいつものように清潔感あふれ、硝子戸から入る明かりが一段と“おがわ”の透明感を惹き立てる。

”おがわ”のマークが刻まれた硝子戸
おがわのロゴが入る硝子戸

ご主人の小川幸伸さんと奥様の夕子さんに無沙汰を詫びる。


そして、当日はうるさい女房殿もいないので、ちょっと昼酒をいただくことにした。

期間限定”美濃国大垣城・しぼりたて”です

銘柄は奥様お薦めの“美濃国大垣城”の“しぼりたて”にした。麹の馨がしっかりするという。


お洒落なガラス酒器です お猪口です

“鴨の塩焼き”と生わさびをつまみに、この腰の強い酒がよく合う。 


絶品な鴨塩焼き

一合をチビチビやっているうちに、う〜ん、焼みそであと一合いきたいなと思っていると、お待たせしましたと、大好きな“辛味蕎麦”がやってきた。



万事休す!! そう、これから蘆山寺で桔梗を愛でるのだったと当初の教養溢れる目的を思い出し、おいしい蕎麦をいただいた。

”おがわ”の蕎麦です

そう2年前には“夏そば”という期間限定・特別メニューをいただいていた。爽やかな味だったのを覚えている。

爽やかな味でした
2011年6月にいただいた”夏そば”

そしてお客様も一段落したところで、小川ご夫妻に近況挨拶をし、お勘定をと思った矢先。硝子戸の向こうにどこか見覚えのある作務衣を身にまとう女人の姿が見えた。

店内から外を

硝子戸を開けて入ってこられたのは、なんと美山荘の若女将ではないか。


え〜!!と、これまた長の無沙汰を詫びる顛末となった。


若女将は市内に所要があって花脊から出てこられたという。だいたい、そうした際には、よく“おがわ”さんでお蕎麦をいただくのだそうだ。

相変わらずおきれいな若女将

そこで、話は一挙に盛り上がり、わたしもそのドサクサのなかで、“焼みそ”を注文し、もちろん、あと一合追加となった。

出ました!焼みそ

若女将のお酌で恐縮ではあったが、ぜいたくなお昼を過ごすこととなった。


その後、小川夫妻も合流し、四人で“こんなことがあるんだ”と感心し、結論は、好みの合う者たちは、そうした処で出くわす確率が高いのだということで、この楽しい出逢いの時間を〆ることにした。


時計を見たら3時を回っていた。若女将とは近いうちに美山荘へ遊びにいくと約束し、別れることになった。


そして前回ブログに掲載したご主人の幸伸さんの写真が、もうちょっといい写真だったらなぁとの話になり、最後に、それじゃ、場所はご主人の希望するところでということになり、以下の写真が出来上がった次第。

ショット1 ショット2

ご主人おひとりのものは4枚。ご夫婦お揃いは2枚撮ったが、ご主人のものはこの2枚だけを掲載する。

ツーショット1 ツーショット2

ツーショットの写真とも見比べていただくと、なんとなくわかる気がするが、奥様は自然な笑顔。ご主人はどういう表情にしたらよいか迷っているうちに、シャッターが切られている・・・


手元に残る2枚の写真は今度、直接、幸伸さんに手渡すことで、わたしの写真技術のせいではないことをご理解いただこうと思っている。


ご主人が長身でハンサムな方であることは、お客様はよくご存じなのだが、どうも写真の前では江戸時代の武士のように身構えてしまうのか、何でしょうか、夕子さん!!


 

源氏物語執筆の地、蘆山寺(ろざんじ)の桔梗は三分咲き、満開は7月中旬!

山門

蘆山寺薬医門・上京区寺町広小路上る


この前、蘆山寺を訪れたのは、二年前の6月12日であった。源氏庭いっぱいの桔梗を期待していたところ、一輪の花も咲いていず、落胆したものである。

一輪も咲いてませんでした
2011年6月12日。一輪の桔梗も見えなかった

此の度は6月26日。二週間遅いので、捲土重来を期しての再訪である。

が、当日は雨。梅雨だもんね、仕方はない。

蘆山寺の広縁に出て、源氏庭を見た。

うん?

黴雨に濡れる源氏庭

目を凝らす・・・、咲いている。桔梗が咲いている。

雨滴と桔梗
雨滴をおく桔梗

でも、白い敷き砂利に緑色がすっくと立つが、紫色は少ない。

二分咲きかな

源氏雲文様に造られた杉苔の地が黴雨に濡れ、緑が浮き立つようで、ことのほか美しい。

黴雨に映える杉苔

観覧終了時を過ぎて、見学者もなくなった静謐のひと時・・・



翌日、新島襄旧宅の見学を終えて、昼食までに時間が残ったので、歩いて15分ほどにある蘆山寺を再訪することにした。

山門より
薬医門より

一日違えば桔梗の数も・・・、そして晴れた日差しのなかの桔梗も美しかろうと思ったのである。

本堂玄関
本堂玄関

ひと夜にして満開になろうはずはない。自然のごく自然な摂理である。

まだ三分咲きの源氏庭
う〜ん・・・

桔梗は贔屓目に見て三分咲き。

桔梗、咲いています
咲くところには咲いていますよ

でも、梅雨の合間の日差しに源氏庭はやはり映える。

源氏庭
源氏庭

源氏物語絵巻の雲の意匠から名づいた“源氏雲”の文様にあしらわれた杉苔と白石のコントラストがこの庭の清楚さを際立たせる。

源氏雲に桔梗

桔梗も日差しの関係だろうか、幾輪も咲かせる株もところどころに見える。

御黒戸隅から

また、そこに数輪だけ小さい花をつける桔梗も、凛としたたたずまいで好もしい。

凛と咲く桔梗

庭の南西に位置する“紫式部邸宅跡(考証した歴史学者・角田文衛)”と揮毫(言語学者・新村出)された石碑も桔梗のなかに馴染んで落ち着いている。

紫式部邸宅跡揮毫の石碑
紫式部邸宅跡と比定する石碑

見学者もまばらなこの日。ひとり、黙然と、庭を眺める。

本堂・内廊下
本堂・内廊下

ここで、紫式部は源氏物語を千年前に執筆したのだ・・・

蕾と花

この地で、紫式部は娘の時代、結婚してからも過ごし、息をしていたのだ・・・

桔梗と楓

光源氏って、藤原道長・・・、源融・・・、なんて想いをめぐらす・・・

桔梗がチラホラ咲いている

現代を紫式部が見て、なんと思い、そしてどのような男と女の物語を紡ぎだすのだろうか・・・

色模様

蘆山寺はひとり時間があるときに、夢想、妄想、空想にふけるときに訪ねるのが良いと感じたひと時であった。

蘆山寺の桔梗の満開は7月中旬あたりとのことである。

京の台所、錦市場がチョ〜おもしろい!!

初めて錦市場を探索した。


下の写真は京都の錦市場で買物したおつまみと杯で、帰京した夜、さっそく晩酌をした際のものである。 

錦市場膳
器土合楽の杯で、旬味屋の山椒味噌と麩嘉の生麩。酒は宮津の酒呑童子
 
生麩をちょっと焼いて山椒味噌で食す、伊豫又の鯵鮨も最高!

お酒のみ錦調達ではなく、天橋立をご一緒したご夫婦のご主人から旅の記念にひとつと地酒の・“酒呑童子”のカップ酒をご愛嬌でいただいたもの。 

さて、われわれは市場の西詰めから市場へ入った。

錦市場入口
西詰めの錦市場入口

錦市HP”の地図でいうと下から、上まで約390mの距離をエッチラホッチラ歩いたことになる。


さて、歩き出してすぐに大好きなちりめん山椒のお店があった。“田邉屋商店”という。早速にちりめんや可愛い五色あられ、色鮮やかなゴマも買っちゃいました。

鰹節・乾物老舗田辺屋商店 

堺町通りを越えて直ぐに“麩嘉”があった。当然の如く麩饅頭と御所麩を購入。 

 
左:堺町通りから麩嘉を        右:麩嘉店内

家内がお麩を買っている間に、わたしは二軒先の陶器のお店“器土合楽”に飛び込む。目にとまった幾何学文様の杯を購入。なかなか美しい・・・と一人悦に入る。

 
店の奥に窯を置く陶工房昌の蔵・器土合楽    酒が栄える杯買いました

“器土合楽”から引きずり出された私の目に次に飛び込んできたのが、おいしそうなお惣菜。家内曰く、テレビで頻繁にお目にかかる“井上佃煮店”だそうだ。佃煮がおいしいのだろうが、わたしには目の前に並ぶお惣菜をすぐにでも口に入れたいと思わせたお店であった。

またちりめん山椒が・・・。井上佃煮店”の対面の“京こんぶ・千波”である。ここでも試食してもちろん購入。

“千波”の隣にかの有名な“生まぐろのカルパッチョ”串のお店、“鮮魚木村”があった。もう、あちこちと目が忙しくて大変。


写真アップしてみてください、おいしそうですよ

そして京都といえばお漬物。“打田”という店が店頭に桶を置き、おいしそうな漬物が漬かっていた。

 

京野菜の“かね松”もある。

お結びの“中央米穀”の正面に“”嵐山ちりめん細工館錦店“がある。外人観光客も入っていたが、若い女性好みの丹後ちりめんの小間物店である。家内もここで娘と息子の嫁のお土産にと何だか風呂敷を買っていましたな。

 
右の黄色の風呂敷なぞ、買っていましたな・・・

そして柳馬場通りを越える。まだまだ市場は続く・・・

直ぐ右手角にレトロなポスターが目に入った。“元蔵”というお店である。一杯呑み屋のような非常に趣きのある店構えと店頭メニューであったが、まだ、昼間とてグッと我慢の子。後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎた。次回、ここで夕ご飯、いや一杯というのも一興かな・・・


なんとも魅力的な・・・

そのすぐ先左手にこれまた旨そうなさつま揚げ、いや、京蒲鉾の“丸亀”を見つけた。一枚、買い込んでパクッといきたかったなぁ。

“丸亀”の右斜め正面に川魚専門店・“のとよ”がある。琵琶湖産の“本もろこ”が並んでいる。さすが京の台所である。こんな珍味も売っているんだ。

 
本モロコがこんなに・・・

二軒先に豆大福のおいしそうな“もちつき屋”があった。もう、唾液は異常噴出、胃袋は暴発状態である。

  豆大福
豆大福がぁ〜

その難所を何とか切り抜けたわたしが次に見つけたのが、鰻の“大國屋”である。関西はどちらかというとアナゴが主なのかと思っていたが、そうでもなく、鰻の暖簾が大きく下がっていた。

その斜め左先には鱧の照焼を売る“魚力”という店。ここは、う〜ん、すごいのひと言。わたしはただ、黙然と陳列された鱧に視線を這わせるのみであった。


はも、はも、はも・・・

そして精肉店のゾーンへ。“三木鶏卵”、“むら瀬精肉店”、鶏肉専門店“鳥清”がある。ここもいろいろと悩ましい買い食いゾ〜ンではある。

 

左:出巻き卵がおいしそうな”三木鶏卵” 右:コロッケ食べた〜い”むら瀬精肉店”

カシワ専門店”鳥清”

それと“三木鶏卵”の対面にはまたもやちりめん山椒が・・・、京佃煮・“旬味屋”である。ここでもちりめんに山椒味噌が美味しそうなので購入。

 
ここの山椒味噌、イケテました

三軒のちりめん山椒を抱えて、さて富小路通りを越える。


すぐ左に何と乾物のマエストロなる店、“大友”があった。さすが京都、乾物にマエストロである。


マエストロですぞ!!

そしてその正面に目を転じると、色鮮やかで可愛らしい京野菜が並ぶ。“川政”である。見ているだけで楽しい。


金時人参・・・

亀の形をした竹の子なんて、これって、食材に対する愛情なのだと感心した次第。ただ口に放り込めばいいってもんじゃないことを教えてくれた“亀竹の子”、粋で貴重な一品である。


亀の形に細工された亀竹の子、芸術品か〜

その斜め前には生麩と湯葉の“近喜商店”。いやはや魅力的な食材が目白押しで忙しいことこの上ない。

次に店頭に積み上げた“鯖鮨”など押し鮨を見つけた。“伊豫又”である。この夜の夕飯にと“鯵鮨”を購入。するとこれから鯵鮨を作るので暫し、店内で待ってくれと招じ入れられた。そこで緑茶のサービス。疲れも溜まっていた私には甘露であり、椅子に坐ってまさに極楽。家内はというと、市場で購入した品々を「こんなにたくさん」なんて呟きながらひとつにまとめるべくテーブルの上で整理を始めた。“伊豫又”の鯵鮨のお蔭で、疲れも取れ、荷物も纏まり、大正解。

 
店内、手前テーブルで一服です

帰宅後、早速、鯵鮨を食したが、これは半端なくおいしかった。京都の好物がまたひとつ増えた。


それからちょっと数軒先左に、“ぎぼし最中”という魅力的な和菓子を売る“幸福堂”があった。これも次回、試さぬといけない一品である。


幸福堂 
この生菓子ほしかったなぁ〜

いよいよ錦市場も最終コーナー。麩屋町通りを越える。

右手三軒目、“焼きポン”なるおいしそうな丹波の焼き栗を商う“京丹波”がある。

さらに市場の東詰め辺りで、京の手書き扇子・“絵師の店”を見つけた。昨夏、愛用の扇子を失くしたこともあり、トンボの図案の涼しげなやつを購入した。ご主人の滝さんが上絵書きをしたなかなかセンスある扇子であった。

最後の〆はやはり京の漬物。“樽出しすぐき”を売る“高倉屋”である。

そして私たちのエッチラホッチラの錦市場探索も新京極通りへとぶつかり、これにて終焉となる。ずいぶんと長い距離を歩いたようだが、わずかに390mに過ぎない。


しかし錦市場を歩いてみて、京の町の人々が“食”を口だけでなく京野菜やあられなど目でも楽しむもの、また“まぐろのカルパッチョ串”のように既成概念に捉われず新たな食べ方を追求する様子などは、1200年の長い歴史が培った文化を愉しむ余裕、文化は自らが創り出すのだという覚悟のようなものを感じさせられたものである。

そんな感想を抱きながら、最後に東詰め突き当りの錦天満宮にお参りした。境内に吊られた提灯に今歩いてきた錦市場のお店の名前を見つけては一丁前の“錦マエストロ”だと早々にうぬぼれたところである。

 

よくぞ通しで歩けたと家内にお褒めの言葉を頂いたが、食い意地の張ったわたしである。美味しいものがあればどこまでも必死で歩いてゆくのである。

東大寺二月堂修二会(しゅにえ)・お水取りに涙する

かねてよりお水取りのあの二月堂の廻廊を奔る大松明を見てみたいと思っていた。

火、走る
舞台を奔る”おたいまつ”

今回、春日ホテルの企画する“東大寺二月堂修二会(お水取り)セミナー”というものを見つけ、これに参加してみることにした。

セミナー会場の東大寺ミュージアム
南大門をくぐり、すぐ左手にあるセミナー会場の東大寺ミュージアム

奈良国立博物館学芸部長の西山厚先生のお話を一時間ほど聴講し、その後、二月堂で“おたいまつ”を観覧するという趣向である。


西山厚先生

わたしは“お水取り”が実際にはどのような意味を持つ行事なのか浅学にしてまったく知らず、ただ松明がきれいな仏教儀式といった皮相的興味しかなかったため、今回はちょうどよい機会ということで勉強も兼ねてセミナーの参加を決めた。


セミナー案内板

3月4日、東大寺ミュージアムのホールで西山先生が一時間余にわたり、お水取りについてその長い歴史と法要本来の意味や行法の具体的中身についてレジメとパワーポイントを使い、分かりやすくまたユーモアあふれる語り口で説明された。

その講演を訊いて、巷間、“お水取り”と呼ばれる修二会が正式には“十一面観音悔過(けか)”といい、二月堂のご本尊である十一面観音に31日から14日にかけて“悔過(けか)”すなわち“おわびをする”法要(本行)であることを知った。

“災いは意図的なものは勿論、人が無意識のうちにも悪業を重ねているから起きる”。だから仏教による鎮護国家を担った東大寺の僧侶たちが、万民に代わって十一面観音に“おわびをする”ことで災いの根を断ち、天下安穏、五穀成熟、万民豊楽を祈願するというものだそうだ。

しかもこの修二会は“不退の行法”と呼ばれ、752年に東大寺の僧・実忠が創めて以来、一度の中断もなく続けられてきた法要であることを知った。


東大寺大仏殿

あの平重衛が大仏殿を炎上、焼失させた治承5年(1181)にも東大寺のすべての法会が中止されるなか、この“十一面観音悔過”だけは、寛秀ら11人の僧侶が“不退の行法”であるとし、敢然、法要を決行し、“不退”を貫き通したという。


奈良の大仏さま

その御蔭で、21世紀の御代、私たち夫婦は1262回目の“修二会”に参加できることとなったのである。

そして、私たちが見物する予定の“おたいまつ”は、法要を行う11人の練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる僧侶たちを先導する道明かりのことだと知った。


そういうことで、松明が本来の法要の主要部分でないことはよく分かったものの、やはりそこは凡人。まずは“おたいまつ”なのである。6時にわれわれは二月堂舞台下の竹矢来で囲まれた芝生の上にいた。前列から4番目と云う好位置である。

  
1時間前に前列から4番目に場所を確保   右は開始10分前で周囲に闇が押し寄せる

長さ6m、重さ60kg(12日の籠松明のみ長さ8m、重さ80kg)もの“おたいまつ”を担ぐのは、僧侶ではなく世襲でその役を担ってきた童子(どうじ)と呼ばれる一般人であることも驚きであった(わたしも家内も僧侶が担いで走っているのだと思っていた・・・(;一_))。


松明は本行の行なわれる14日間、二月堂北側の登廊を上り、上堂する。

    
左:この登廊を松明があがってゆく 右:舞台より右下に登廊を見る

本行の間、10本の松明と10人の練行衆が順に上堂し(12日のみ11本・11人)、練行衆は堂内へ、道明り役を終えた“おたいまつ”は、懸(かけ)造りの舞台へと姿を現し、境内にひしめく法要参加の人々の頭上に無病息災の火の粉をまき散らすのである。


3月4日、午後7時。大鐘の音を合図に境内の一切の燈火が消された。ざわめいていた群衆が一瞬、し〜んと静まり返る。


すると、左手の登廊の上り口の方がぼんやりと赤味をましてきた。


登廊の登り口辺りが炎色に染まってきた

いよいよ一本目の松明が炎を挙げながら階段を上がってくるのだ。これからの炎の饗宴への期待に胸がたかまる。そして・・・“おたいまつ”が登廊の屋根に炎をぶつけるようにして静々と上って来た。 

  
松明が登ってゆく  

階段上部では炎で屋根が燃えているようだ

一旦、その火明かりが消え、静寂が二月堂をつつむ。そして二月堂の舞台の軒先が橙色にぼ〜っと染まってくる・・・


二月堂の軒先が朱に染まる

一間通りの吹き放ち舞台北西隅から松明が突き出された。

  回る松明
松明が欄干の外に突き出された

「うぉ〜!!」と歓声が挙がる。下にひしめく人々の頭上へキラキラと煌めく火の粉が襲いかかる。

  
松明が廻り、火の粉が舞い落ちる

しばらく松明は欄干の外で揺らいだ後、向きを南へと変える。

登廊より北西隅舞台を見る 
この廻廊角から松明を突き出す。左に曲がると舞台正面である

懸造り舞台:松明は向こうからこちらへと走って来る
さぁ、走るぞ
さぁ、向きが変わった・・・


そして燃え盛る炎で大屋根を焦がすようにして、松明はゆっくりと舞台上を歩み出す。

火の玉奔る
回廊を走りだす

と、松明は新たな命を吹き込まれたように火勢を増し、北側から南側へと懸造りの舞台を一気に韋駄天の如く駆け抜けてゆくのである。

二月堂、燃ゆる
二月堂、燃ゆる

背景の闇のなか燃え盛る火の玉が一直線に奔りぬける様は1262年もの間、生き続けてきた物の怪のようにも見え、その異様なまでの美しさにわたしは息を呑んだ。

松明を回しながら奔る
火勢を増した”物の化”のような火の玉

突き当りの高欄南隅に至ると、童子は燃え尽きんとする松明を今度は思いっきり回転させ、無数の火の粉をこれでもかと闇夜にとけこませてゆく。

廻廊突き当りで松明をクルクルと回転させる
舞台突き当りで最後の火の粉を乱れ落とす

火の粉を浴びる人たちから黄色い声が・・・

30分におよぶ“おたいまつ”はその一本一本、童子により見せ場が異なり、法要とはいえ、そのエンターテインメント性は高く、境内に集う群衆の目を十分に楽しませてくれた。

 
”おたいまつ”が終わり帰路につく人々  右:登廊下に置かれた燃え尽きた松明

翌日、われわれはホテルで夕食をすませ、タクシーで手向山八幡宮までゆき、午後8時半頃に二月堂の南側局(つぼね)へ入った。

初夜の行法が行なわれている夜の二月堂
初夜の行法が行なわれている夜の二月堂、外にもう人はいない・・・

そもそもは“おたいまつ”の観光に来たのだが、西山先生の講演を伺い、練行そのものに触れてみたいと思ったからである。

  
左:南側の局入口            右:局に入ろうとしている人

局の中は真っ暗である。目が馴れてきて、はじめて局内の人々の姿がうっすらと見えてきた。そして、須弥壇の辺りに盛り上げられた餅とそれを取り囲む燈火が内陣の格子の隙間から見えた。とても神秘的な厳粛な時間と空間である。


局のなかはこのように真っ暗・薄らとした火明りは内陣の燈火が洩れる(外から撮影)

入室した時間帯は“実忠忌”の法要が行われていた。

二月堂舞台より大仏殿と右に良弁杉
舞台南隅より右に良弁杉と正面に大仏殿の大屋根を見る

その法要が終ると、今度は神名帳(じんみょうちょう)の奉読が始まった。日本全国の神々の名を読み上げてゆくのだが、鎮護国家の象徴であった東大寺において、こうした神仏混合の法要が行われてきたことにわが国の宗教のあり方、本質を垣間見たように感じた。


当夜は午前零時頃に過去帳の読誦において有名な“青衣女人(しょうえのにょにん)”の名前が読み上げられ、その後に“走りの行法”というこれまた奇怪な行法が行なわれたのだが、われわれは真っ暗な格子で閉ざされた局のなかで2時間ほど坐り続けて退出したため、修二会の名場面は次回のお預けとなった。


ただ2時間の法要の中でさえ、練行衆が“南無観自在菩薩”、“南無観自在”そして“南無観”と十一面観音さまのお名前を徐々に高揚感をもって暗闇に唱えあげてゆく、その読経の律動と声音に、自然と手を合わせ祈っている自分に気づかされた。

わたしは“五体投地”という、練行衆がその身を礼堂の床に投げつける悔過(けか)の行法を前日のセミナーでの映像で見ていた。


セミナーで見た”五体投地”

この夜、われわれの局から練行衆の姿を見ることはできなかったが、下駄の足音も荒々しく、内陣から礼堂へ駆け出し、“バーン”と全身を床に叩きつけるすさまじい音を聴いているうちにいつしか涙が頬を伝わり落ちていた。

わたしにとって東大寺二月堂の“お水取り”見学という旅は、前日のセミナー参加によって“修二会(しゅにえ)”という法要参加に変わり、“五体投地”の悔過(けか)の行法を暗闇のなか己の五感で感じ取ることで、その目的は心の浄化へと見事に変じていた。


”達陀(だっかん)の行法”

また十一面観音悔過にはぜひ、参加しようと強く思う。そして、今度は局で午前四時までずっと坐り続ける心の準備と体力をつけ、“青衣女人”を聴き、“走りの行法”を垣間見、咒師作法のあとの“達陀(だったん)”の荒ぶる行法を五感で感じ取りたいものと願っている。


“南無観”、“南無観”、“南無観”・・・



京都でアートな夜を、カクテルバー“K6”

中京区二条通木屋町東入ル東生洲町481 ヴァルズビル2

電話:075-255-5009


大寒のころ、天橋立と籠(この)神社を訪ね、帰路、京都で冬の特別拝観を愉しんだ。夜はいつもの割烹やましたで冬の味覚を堪能した。


そして、一年半ぶりにカクテルバーK6に足を運んだ。バーカウンターに坐って、バーテンダーの澤真吾氏に天橋立に行って来たこと、丹後風土記に橋立の話が記載されていることなどを語った。 

澤真吾氏
K6のバーテンダー、澤真吾氏

そこで、まず一杯目を“天橋立”というタイトルでお願いしたいと注文した。


澤さんはしばらく考えておられたが、構想がまとまったのだろう、上半分がブルーの洒落たグラスをテーブルに置くや棚から取り出したボトルからベースのリキュールを注ぎ込み、something fantasticを加え、手早くバー・スプーンで混ぜた。 

そしてデザインカットしたライムをグラスの中に沈め、その一部をRimに掛けた。 


ライムでデザインした龍の頭です・・・見事です

テーブルのライトに照らし出された新作、“天橋立”の出来上がりである。 

カクテル”天橋立”
カクテル”天橋立”

天橋立は伊奘諾尊(イザナギノミコト)が天と地を行き交う梯子が倒れたものだと丹後風土記にはあるが、後世の人々はまるで天に舞い上がる龍のようでもあると評したものだ。

その飛天龍をイメージされたのだろう、写真にはその瞬間をとらえることは出来なかったが、仕上げの最後に滴らされた一筋の液体がグラスの海に乳白色の煙を棚引かせたのには、家内ともども“fantastic !!”と叫ぶしかなかった。 

  

k6のカクテルはまさにArtである。



家内が頼んでいたカクテルです

下の写真は2011年の6月に訪れた際に、澤さんに“鎮魂”のタイトルで創作して頂いたものである。 


カクテル”鎮魂”

rimmed saltがかすかにあしらわれ、ブルーキュラソーの青色がわたしの心にストレートに迫って来た・・・、心のこもった見事なカクテルであった。 

深い悲しみを湛えたようなカクテル”鎮魂”
このブルーがストレートに胸に飛び込んできた・・・

“K6”の澤真吾氏が創り出すArtな世界にあなたもひと夜、酔われてみてはいかが。

 

 

 

 

先斗町、納涼床“LUNGAMO(ルンガモ)”でランチを愉しむ

中京区 先斗町通四条上ル鍋屋町232-10

075-212-1555

定休日:火曜日



LUNGAMO(ルンガモ)
先斗町のイタリアンレストラン ”ルンガモ”

納涼床(のうりょうゆか)といえば、京都の夏の風物詩となっている。夏の暑い時分に京都を訪れる機会がないこともあり、これまで納涼床なるものを試したことがなかった。


納涼床のよしず屋根が連なる

川床といえば、遠い昔に貴船の川床(かわどこ)を愉しんだことはあったが、鴨川はどこか俗っぽくってこれまで敬遠していたというのが、正直なところである。


そんなわたしがどうしてということだが、この日に帰京することからゆっくりランチをとり、そのままの足で京都駅へ向かいたかった。そして“割烹まつおか”、“割烹やました”と連夜の和風料理だったため、ランチくらいは洋風でいいかなと思った。


そこで少しお洒落にゆったりできるお店はと探したところ、ミシュランガイドでイタリアンで京都初の星を獲得したという“cucina italiana LUNGAMO(クチーナ・イタリアーナ ルンガモ)”を見つけた(旧店名:リスタ・ジョルジオ・ピンキオーリ)。ちょっとまぁミーハー的関心もあったりしたのだが・・・

店先には先斗町の紋章”千鳥入り”提燈が
先斗町の紋章、千鳥の提灯が下がっています

その“LUNGAMO(ルンガモ)”がたまたま納涼床をやっていた、まぁ、出合い頭にエイッ!“納涼床”ってな調子で、こうした次第と相成ったわけである。


そもそも鴨川の納涼床は例年、5/1-9/30までの営業だが、5月と9月の2ヶ月だけはお昼も床を開いてよい取り

決めとなっているそうで、シーズン限定という甘い言葉に何だかラッキー!と軽い乗りで予約を入れたというのもあったかもしれないなぁ・・・。

レストラン内より納涼床を
店内から納涼床を見る

まぁそんなこんなで9月下旬という時期外れに初の鴨川納涼床の体験となったというわけである。


さて“LUNGAMO(ルンガモ)”のランチだが12時から15時まででゆったり過ごせる。


ルンガモの対面はお茶屋”楠本”でした

場所は四条通りから先斗町通りへ入ってわずか8軒目であるが、むか〜しお世話になったお茶屋“楠本”の対面にありました。

テーブルから南座を眺めて
席から南座と四条大橋が見えます

入店前に先斗町の通りをぶらぶらしてみたが、昼明かりのなかでのこうした場所はいささか気の抜けたビールのようなもので、いささか無粋であったが、ずいぶんマルチ・ナショナルな通りになっていたのには驚いた。

  
イタリア国旗が掲げられる先斗町  こちらはいかにも先斗町といった風情の景色

先斗町にもjazz Barの看板

韓国酒店

自分が先斗町のイタリアンレストランにいこうとしているのにそんな感慨に耽るのもいかがなものかと思ったが、逆に先斗町だからこそ時代の流れをうまく己の懐に抱き込んでいるのかも知れぬと考えなおしたものである。


つまり先斗(ポント)町という奇妙な町名の由来のひとつに、ポルトガル語のポント(先端)、ポンスト(橋)から来たという説があるそうで、時代の最先端とか未来への懸け橋なんて・・・いかにも京都の革新性を象徴しているような気がしないでもないと思ったのである。


さて9月下旬の昼下がり、テラスいや納涼床でランチをとるのには恰好の天気である。日本晴れで、しかも秋というより晩夏を想わせる陽射しが川風に冷める肌に快い。 

南座と四条大橋
京都!青空の下、南座が見えます・・・

納涼床を被う“よしず”が、季節は秋であるのにこの日の陽射しにはよく似合っていた。


よしず越しに青空が・・・

繁忙期にはもう少し席数は増えるのだろうが、納涼床にはゆったりと5つのテーブルが置かれていた。わたしたちは南座と四条大橋がよく見える席へと案内された。

納涼床にテーブル席
ルンガモの納涼床、テーブル席です

上空には青い空、眼下には水底の見える鴨川、斜め正面に南座を眺めながらの落ち着いた雰囲気でのランチ。

納涼床 ビールと南座
納涼床 ビールと南座と青空と

これは納涼床に抱いていた喧騒なイメージとはまったく異なる予想外の出来事であった。


その静謐な空気を揺るがさぬようにスタッフはアダージョな旋律で料理を運んでくる。


まず前菜3品がスマートなお皿に盛られてサーブされた。ひとつひとつ丁寧に説明がなされ、これはもう本格的なイタリアンである。納涼床だからさぁなんてレベルでないことは確かである。


パルミジャーノのビアンコマンジャーレとキノコのズッパ、要はスープである。

ホタテ、モルタデッラのスプーマとビーツ、要は、・・・写真を見てください。

カツオのアフミカートのプッタネスカ風バベッティーニ、要は平たくて長いパスタである。

料理のお皿から鴨川へと視線を転じると、清澄な鴨川に一羽の白鷺が遊んでいる。そのゆったりとした動きにこちらも知らず知らずに憂き世の憂さを忘れてゆく・・・

白鷺が鴨川に游ぶ

そしてメイン料理はわたしが魚、家内がお肉を注文し、それぞれを仲良くシェアした。


お魚がイトヨリのポワレで、かなりイケてましたね。

イトヨリのポワレ フィノッキオのソテーと
イトヨリのポアレ

お肉はホロホロ鳥のアッローストで、これも淡白な味でリンゴのソースとよく合って美味でした。

ホロホロ鳥のアッロースト リンゴソース
ホロホロ鳥のアッロースト

一品、一品をお客の様子に合わせて供してくれるので、贅沢な時間をゆっくり堪能できた。


さっきの白鷺は視界から消えて、今度、目に映じたのは、なんと風流な・・・、投網する人である。じっと目を凝らし、その瞬間をパチリ。

鴨川で投網する人、何だか風流・・・

この納涼床のゆったりとした時の流れを愉しみながらデザートを待った。


そして運ばれてきたデザートの色合いになぜか徐々に深まりゆく秋の季節の移ろいを感じた。

それを引き立てる小道具もお洒落でした。

  

そして愛嬌満点のコーヒーが可愛らしく挨拶をしてくれたのにはこちらもニッコリして、“アリガト〜!”と応えたものでした。

京都、楽しかったですか・・・
京都は楽しかったですか?だって

ルンガモも忘れないでねぇ〜

三日間にわたる京都の旅をこのようにリラクゼーションした雰囲気で終われたことは望外の喜びであった。


LUNGAMO(ルンガモ)”はミシュランで選ばれたから素晴らしいのではない。料理の味はもちろん、それを引き立てるシンプルだがスマートな器、スタッフの心のこもったサーブに加え、鴨川や南座を借景とする京都を象徴する景観、それらすべてがミックスされて、お客の気持ちを満たしてくれるから素晴らしいのだと、考えて見れば当たり前のことが妙に納得されたところである。

納涼床からレストラン内を
納涼床から店内を

そして“LUNGAMO(ルンガモ)”は、今度は夜も訪ねて見たいと思わせる大人のレストランである。

2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 朝日の瀬・嵐山まで


のんびりと曲り淵を抜けると保津川下りもいよいよ後半戦をむかえる。


その後半戦の最初に、保津川で最後の瀬となる“朝日の瀬”が待っているのだが、その瀬に入る前に、川中に猪の形をした“イノシシ岩”があったのだが、わたしは次なる“朝日の瀬”に気を取られ、写真を撮る余裕がなかった。


前方、狭い水路です

水量が少ないため、前方の水路が極端に狭くなっていて、注意がそっちにとられたのである。

舟がその狭まった水路をあっという間に抜けて、“朝日の瀬”に入ると一挙に川面は泡立ち、瀬音が高くなる。


11:35 朝日の瀬です
朝日の瀬です

“あっ!”、岩にぶつかる〜・・・と思った瞬間、船頭さんは馴れた手つきで竿を岩にぶつけるようにして船首の向きを変える。

11:36 ギリギリ、竿で岩をかわす
瞬時に竿で岩を突き放す

われわれは舟の前方に坐るため、艫で舵を切っている様子は分からないため、余計に恐怖感が増す。


瀬を抜けると川幅も広がり、流れは一転、ゆったりとなる。心地好い揺れに身を任せていると、前方の岸辺で鮎釣りを楽しむ人がいた。渓谷に架かる橋と釣人・・・まるで一幅の山水画を見るようである。

釣人を後方に置き舟が進むと、江戸当初から昭和24年頃まで続いた戻り舟を曳いた曳き綱の跡が左手の岩場に見えてくる。


戻り舟を曳いた綱の跡
写真をクリックし拡大して見てください

そして船頭たちが乗船場まで舟を曳き、走り歩くために設けられた綱道が川岸のところどころに残っている。




平らになっているところが綱道です

その往時の様を“虞美人草”は次のように活写している。


“向から空舟が上ってくる。竿も使わねば、櫂は無論の事である。岩角に突っ張った懸命の拳を収めて、肩から斜めに目暗縞を掠めた細引縄に、長々と谷間伝いを根限り戻り舟を牽いて来る。水行くほかに尺寸の余地だに見出しがたき岸辺を、石に飛び、岩に這うて、穿く草鞋の滅り込むまで腰を前に折る。だらりと下げた両の手は塞かれて注ぐ渦の中に指先を浸すばかりである。うんと踏ん張る幾世の金剛力に、岩は自然と擦り減って、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹をここ、かしこと、岩の上に渡したのは、牽綱をわが勢に逆わぬほどに、疾く滑らすための策と云う。”


遠く想いを馳せていると、今度は右手の山腹に、トロッコ列車が走ってゆくのが見えた。緑の中に紅色と橙色の車両が見え隠れし走る様子は、どこか紅葉のはじまりのころの渓谷の景観のようにも見えた。

11:45 トロッコ列車にみんなでご挨拶しました

手を振る舟人と汽車人との山気を通した交わりはまた爽やかである。


トロッコ列車に御挨拶

次に船頭さんの熟練の腕の披露があった。数百年の間に幾千、幾万の船頭の竿によって穿たれた岩の穴に、竿をピタリとはめる妙技である。お客たちは穴の開いた岩が近づくにつれ、その趣向に固唾を呑んで見入ることになる。


入った〜!お見事! 


11:47 400年間、竿を突き続けた窪みに見事に入りました
ピタリと入りました!!

さすがの腕である。すると船頭さんはまるで勧進帳の弁慶ではないが、竿を頭上高くクルクル回し大きく見得を切る。その姿は海老蔵も顔負けのなかなかな千両役者である。


イヨッ、大統領!じゃなくって、成田屋〜!!

名演技を堪能する間もなく、すぐに左手に“屏風岩”が見えてくる。変わった形の大石である。


屏風に見えますか? 見る角度が大事です

今度は右手一帯が清和天皇(在位858876)が鵜飼を楽しまれた場所だという“鵜飼の浜”となる。歴史を感じさせる保津川下りです。

  
右手の岩場一帯が”鵜飼の浜”    左手のがけ中腹に”鵜飼の浜”表示板

そのちょっと先に川鵜がいたが、嵐山の鵜飼(7/19/15)や長良川などのいわゆる“鵜飼”で使われる鵜は海鵜で、川鵜はそれよりずいぶん小さいことを知った。

川鵜がいました
川鵜がいました。海鵜に較べてかなり小さいです

保津川下りも残り30分となったころ、右手の大岩に向かってみんなでポーズ。いわゆる観光用の記念写真を撮ってくれます。1枚1300円で、後日、自宅に送ってくれます。人生のひとコマを切り取った素敵な写真が届きましたよ。


橋の下辺り、パラソルの立つ岩場からパチリ!

橋上の駅として有名な“トロッコ保津峡駅”を下から見上げます。



トロッコ保津峡駅

次にミステリーのロケ地として頻繁に使用される崖が見えてきました。

12:04 左の崖上で殺人が起こり、下の河原で犯人が捕まるのだとか
左の崖上で殺人劇、下の小さな浜で”片平なぎさ”さんが何と犯人を逮捕したのだそうです

崖の上で殺人が起きて、崖下のこんなに小さな砂浜で、犯人が捕われるということでした。こうして一望すると、随分お手軽なロケ場所なんだと感じ入った次第です。


そして、次に登場したのが、ここから猿が対岸の岩に跳び移るのだとか、だから“猿岩”というのだそうだ。対岸の岩まで結構距離がありましたが、本当かなぁ・・・


右手前方の岩上に”猿岩”の表示

橋桁がないことで有名な“保津川橋梁”をくぐります。


トロッコ列車で通った保津川橋梁です

この橋を岸で支えるレンガ造りの柱に印された赤線は過去の最高水位だそうです。もの凄い水量です・・・、ぞ〜っ・・・


保津川橋梁の袂に過去の増水時の印が
写真をクリックし、拡大して下さい。丸で囲んだ所まで水が来たというのです・・・

そろそろ、終着点が近づいて来ました。左手先に見える石積みの塔は船頭さんの守り神だとかで、船頭さんたちによって祀られているとか・・・云っていたような・・・


この石塔だと思うのですが・・・

上流の“不動明王”と混同しているのかもしれません。皆さんで船頭さんに確認して見てください。スイマセン・・・


ライオン岩です。これ、似ていましたよ。



ライオン岩です、かなり似ていると思いました

これはオットセイ岩、可愛らしいのですが、ちょっと造作が過ぎますかね・・・なんて・・・

12:15 オットセイ岩
オットセイ岩ですが、ちょっと凝り過ぎですよね・・・

な〜んて、のんびりしているといきなり来ました。ドスンと落ちました。安心しきっていたので、少々、驚きました。保津川下りに油断は禁物でした。


12:17 落ちました
落ちちゃいましたぁ〜、ビックリです

そしていよいよ終盤。百年余の歴史を誇る嵐山の琴ヶ瀬茶屋の名物、“水上屋台”が遠くに見えてきました。


12:18 遠くに琴ヶ瀬茶屋の水上屋台が見えます
遠くに水上屋台の舟が見えています。緑の屋根の舟ですよ・・・、ず〜っと遠くです

舟が横づけになると舷側同士を縄で結え、しばし小休止。メニューはまるで水上コンビニです。


  
        いらっしゃ〜い!      イカ焼き、おでんなどいろいろあります

御手洗団子に烏賊焼きなんぞを頼んでしまいましたねぇ。おいしかったなぁ〜。

12:20 みたらし団子も食べました  

さて、心躍る水上屋台とお別れすると、もうそこはなんと嵐山ではありませんか。



右手がかの有名な嵐山です。川から見上げる嵐山、イケマスよ!!

そしてこの先すぐの左崖上に近衛文麿公の元別邸で、豆腐料理“松籟庵”も見えてきました。

12:25 近衛文麿公の別邸で現在は豆腐料理”松籟庵”
樹間に松籟庵が見える

あぁ遠くに渡月橋が・・・、すぐ手前左に着船場が見てきました。いよいよ保津川下りも終了です。

12:29 左手に着船場が見えます
遠くに渡月橋、左手先に桟橋、手前の建物はトイレです

トウチャ〜ク!! 12時半の下船ということで、ちょうど1時間40分の川下りでした。


桟橋に到着です

そして、下船する際に舟の舷よりちょっと高い桟橋にどうやって移動しようかと思案していたところ、馬車でご一緒したお嬢さんが”どうぞ”と手を差し伸べてくれた。つい、”大丈夫ですよ”と、無理やり何とか飛び移ったものだが、いつも”最近の若い者は・・・”と嘆いていたのが申し訳ないような事態に自分が遭遇しドギマギしてしまったようである。

と云うより愛らしいお嬢さんであったことが、この初老の男心に時ならぬ動揺をもたらしたのかもしれぬ。

桟橋に無事降り立ったわたしは、下船の所作を心配そうに見守ってくれたお嬢さんに”幸せになってくださいね”と言葉をかけた。

彼女はにっこりと微笑み返し、”ありがとうございます”というと、さっと踵を返して、あの素敵な彼氏と嵯峨野の町へと歩み去って行った。

その様子を眺めていた家内が、”どうして、手を握ってもらわなかったの”と優しく声をかけてくれたが、”手を握られるとかえって不安定になるんだ”と、なぜか無愛想な返事をした。

そして、話術というより話芸といったほうがピッタシの船頭さんたちにお礼を言い、お別れした。

本当に楽しい川下りだった。皆さんも是非一度、トロッコ列車を乗り継いで保津川下りを楽しんでみてください。


ありがとう!!船頭さん

最後に、さてさて、この舟はどうやって上流に戻すのかということですが・・・



もう、椅子をはずしてます

渡月橋へ向かって川岸を歩いていると、さっきの舟はあっという間に屋根から椅子から取外されて、何の変哲もない簡素な和船に姿を変えていました。


屋根もなくなりました

これをトラックに積み込み、乗船場まで運んでゆくのだそうです。納得されましたか?


それと船頭さんたちはJR山陰本線で亀岡駅まで帰ります。トロッコ列車ではありません・・・


われわれはこれから嵐山でお昼を食べる先を探します。それでは“保津川下り乗船記”、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

千変万化、山下茂氏の手練の技、“2012年秋の割烹やました” に感服!!=京都グルメ

2012年春の“割烹やました”=京都グルメ(2012.5.13)
割烹やました・2010年の味=京都グルメ(2010.12.12)
秋の京割烹「やました」、行って参りました=京都グルメ
(2009.11.23)
割烹「やました」天下の珍味を堪能!!(上)(2009.2.18)
葵祭りの日、割烹「やました」へ(前編)(2008.5.21)
割烹「やました」・・・京都グルメ編(2008.3.14)

中京区木屋町二条下ル

075-256-4506


2012年・割烹やました”秋の陣に勇躍、わが夫婦は参戦した。


当夜はいつもの席、カウンター奥の席が用意されていた。板場の真ん中に大将の山下茂氏、その左脇には料理長としての風格と存在感が一段と増してきた花島さんが凛々しく立つ。

そして、わたしの正面には焼き方デビューを果たした右近君が立つ。新しい“やました”の形である。

お絞りで手を拭う間にさっと通される八寸。


八寸

その一連の流れを目にすると、あぁ、“やました”のワクワクな夜が始まるのだと感じる瞬間である。


この日の日本酒は“やました”定番である伏見の “桃の滴” (松本酒造)を注文した。


桃の滴です、料理に合います

八寸に箸をつけ終わるころ、右近君がおもむろに“今日、鯨の頬肉が入っています”と切り出すではないか。久しぶりの鯨、それも頬肉、もちろんお願いすることにした。


早速、大物の”鯨の頬肉”がやってきた

こうして“やました・2012年秋の陣”の戦端は、緒戦から本格的な戦闘をともない切って落とされることになった。


そしてカウンター中央には、秋の味覚の王者たる松茸がこれでもかっていうほどに盛り上げられている。いつあの山に攻め上がるべきか、当方も心中ひそかに策を練る。


すると敵将の山下茂氏はまるでこちらの心中を察したかのように大きな松茸を手に取り、敵の陣中深くへあたかも誘い込むように陽動作戦を進める。

大将、大きな松茸ですねぇ
松茸を盛り上げた中から大物を・・・。花島さん、凛々しい

もちろん、こちらはそんな見え見えの策には乗らずに、水槽に泳ぐ琵琶湖産の鮎に着目。


鮎が勢いよく泳ぐ水槽

これを料理してくれと、注文をつける。そして、われわれの目の前に供されたのが、次なる子持ち鮎の塩焼きであった。

子持ち鮎の塩焼き
素晴らしい子持ち鮎です

膳の上で身を躍らせて泳ぐかのような鮎、しかもこの卵のはみ出す様(さま)のふくよかな美しさ、造形を目にして、敵将の手練の技に不覚にも息を呑んでしまった当方陣営である。


見事な仕上げです

色合いの良い器に入った蓼酢でいただいたが、美味である。加えてこの蓼酢がまた何とも上品でおいしい。


上品な蓼酢です

敵将にエールを送ると、“これ、ちょっと食べて見てください”と緑色の葉っぱを差し出してきた。


この蓼の葉を食べさせていただいた、このエグミがいいのかな・・・

とうとう、敵もまともでは敵わぬとでも思ったか、毒草でも盛ろうとするのかと、しばし逡巡するも、敵に後ろは見せられぬ。エイやっと口に放り込み、噛みしだく。


苦み走った味・・・、でも、もちろん毒何ぞではない。


これがあの“蓼喰う虫も好き好き”の蓼の葉だという。ふと板場を見ると、大将は蓼の葉を丁寧に下ごしらえしているではないか。

敵ながら天晴れと、ちょっともう、投降してよいかなと気弱になった瞬間である。でも、戦闘はまだ始まったばかり。まだまだと、気を取り戻し、態勢を立て直して、次なる攻撃目標を探すと、“いい秋刀魚が入ってますが”と、まさに秋の陣にふさわしい攻勢を仕掛けてきたではないか。

こちらに否やは応はない。堂々と受けて立つことにした。

すると大将はキラキラと照明に光る一尾のりっぱな秋刀魚を示し、包丁を入れてゆく。


秋刀魚に包丁を入れる大将

俎板の上で、その包丁は時に繊細に、時には大胆に、リズミカルに動いてゆく。


バラバラに解体された秋刀魚

右手の包丁と職人の左手は、まるで蝶が花の蜜をめぐって絡み合うように優美な曲線を描き翔んでいる様に見えた。


見事な手さばきが続きます

どうも内臓を包丁の峰や平を駆使し随分と丁寧に時間をかけて処理している。少し不思議な光景である。つい、その所作に惹き込まれてしまう。

一体、彼は何をしようと目論んでいるのか、当方の単純脳には理解しがたい時間が過ぎていった。

そして、三枚におろされた秋刀魚の片身がこんがりと黄金色した薄塩焼きとして供された。


薄塩焼き

レモン汁をたっぷりかけて食べた。さすが旬である。脂が乗っていて旨い。


しかし、あの、俎板上での面倒に見えた包丁捌きは何なのか。敵将の魂胆が分からぬと思案中、目の前に拍子切りされた秋刀魚の切り身が登場した。


これは何だ?

はてな?と怪訝な表情でいると、大将がちょっと“食べて見てください”と云うではないか。箸をつけた。その拍子切りの切り身を口に入れた。


エッ!!


このかかっているパープルソース・・・、何? バルサミコかい・・・、いやオリーブオイルも・・・、そしてこの色の正体は・・・

このソースは秋刀魚の肝でできてます
このソースの正体は?

もう、降参するしかない。こちらも食の武人である。負けを潔く認めようではないか。


“これ、何?” 全面降伏である。

秋刀魚の内臓を丁寧につぶしたものをバルサミコとオリーブオイルで溶き作ったソースだという。

何という斬新な発想。料理人の真髄を少し垣間見た得難く貴重な瞬間であった。

そして身を削ぎ落とした後の骨をこんがりと芯から揚げた唐揚げはもちろん、おいしくいただきました。


カラリと揚がっています

この秋刀魚一尾の丸ごと調理により、当方は完全に白旗を掲げることとなった。すると、もうあとは雪崩を打ってという状態となるのは必定の成り行き。


あの松茸山から敵は逆落としに駈け下りてくることになった。


まず、松茸の鮨である。これはまた、趣向も乙で、焼き松茸や土瓶蒸し、松茸ご飯ではない扱いにはホトホト脱帽。

松茸の鮨です!
豪勢な松茸鮨

そして次に焼き松茸を奨められたものの、まだ僅かに抵抗の気力が残っていたのか、何か違うやつはないかなと云うと、間髪いれずに“天ぷらにしましょうか”と来た。

これ、松茸の天ぷらです
松茸と野菜の天ぷら

もう、どうにでもしてってなことで・・・、いやぁ、これも実に絶品でありました。


ほぼ、秋の陣の攻防も、当陣営の敗退は決定をみたところで、家内が先ほどから目の前で花島さんが何か細々と手を動かし続けているのが気になったのか、“それ、花島さん、さっきから何してるの?”と問うた。


キクラゲのように見えるが、ちょっと違う・・・


そして、最後にいただくことになったのが、天下の珍味、“岩茸(いわたけ)”の酢の物である。

天下の珍味、岩茸(いわたけ)です
天下の珍味、”岩茸(いわたけ)”です

岩茸は標高800m以上の岩壁の垂直面にへばりつくように生える地衣類、つまり、苔の一種なのだという。掌くらいの大きさの物だと、20、30年かかる幻の逸品なんだそうで、国産品はほとんど入手不可能とのこと。


先ほど、花島さんが細々作業していたのは、苔の表面に付いた不純物を丁寧に根気よく取り除いていたということでした。


秋刀魚の一尾喰い、松茸鮨に天ぷら、最後には本邦の珍味なる“岩茸”を供されるに至り、“2012年秋の割烹やました”の陣も、山下茂大将のもと、花島参謀長、右近将校の一方的攻勢により、当方は慶んで白旗を掲げる次第と相成り、大団円を迎えることとなった。

いつもいつも、おいしく独創性にあふれた料理で旅人の心を愉しませてくれる“割烹やました”さんに心からの感謝の念をお伝えし、終稿とすることとしたい。

押し小路の夜も更けて
押し小路の夜も更けて、トコトコとホテルへ帰ってゆきました


それから帰宅後、家内が石巻より届いた秋刀魚で拍子切りに挑戦しました。花島さんのご教示による内臓の喉元に近い所の鱗も丁寧に除け、ソースを作ったのですが、微妙に何か違うんですよね・・・。バルサミコやオリーブオイルの量の問題なのか・・・、今度伺った時に復習しますので、よろしく。


それでは、また、来年、お会いししましょう。

2012年秋、保津川下り=乗って知った“便利な豆知識” 小鮎の滝・曲り淵まで

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2012年秋の嵐山・嵯峨野=“トロッコ列車”で保津川下りに行ってきました!!

夏目漱石が明治40年(1907)に体験した保津川下り。今から100年前の様子が、その名著、“虞美人草”にあざやかに描写されている。


川下りの冒頭は次のようにはじまる。


“浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨より二条に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波へ抜ける。二人は丹波行の切符を買って、亀岡に降りた。保津川の急湍はこの駅より下る掟である。下るべき水は眼の前にまだ緩く流れて碧油(へきゆう)の趣をなす。岸は開いて、里の子の摘む土筆も生える。舟子は舟を渚に寄せて客を待つ。”


さすが江戸っ子、坊ちゃん文豪である。啖呵のきいた、リズムのよい名文である。


その保津川下りのコースは105年前の漱石の時代と異なることはない。 “保津川下り公式HP”(保津川遊船企業組合)に分かりやすい図があるのでそこから引用させていただき、下に添付する。



保津川下りマップ


そして保津川下りには、幾多の浅瀬や落差の多い急流を下るため船底が平らな高瀬舟が使われている。



高瀬舟
高瀬川一之舟入りに浮かぶ”高瀬舟”

“高瀬舟”と云えば、これまた明治の大文豪、森鴎外の小説である。われわれは近代文学の黎明期に出現した文学界の両巨星とともに保津川下りを始めるというわけである。


てなことで、漱石のいう碧油(“緑色の油を流したような流れ”のことだとか・・・)のなかに105年後のわれわれも高瀬舟に乗って漕ぎだしていった。


乗船開始。川面は穏やかである。

午前10時50分の船出である。天気晴朗で空は抜けるように青い。


さぁ、船出! 空は抜けるように青い。絶好の川下り日和である。

桟橋を離れてしばらくは、漱石のいうように川の流れは緩やかで、しかも当日は水量が少ないので、船底を擦るのではないかと思うほどに水深が浅い。

岸辺にのんびりとこの船旅を見送ってくれる亀が見えた。悠々と時が流れるようである。


亀が見送ってくれました

この辺りの川の名はまだ確か“桂川”のはずだが、この桂川にも四国の吉野川や四万十川に架かる橋で有名な“沈下橋”があったことに、少し感激。


前方に沈下橋

その橋の下をくぐるときにちょっと舟が落ち込んだ。乗客がちょっとざわめくが船頭さんはの〜んびり・・・


ゴトンと落ちたが・・・大したことはない・・・

10分ほどゆったりと行ったところで、右手の土手に京馬車がこれまたポッコ、パッカとのんびりトロッコ亀岡駅の方向に向かっているのが見えた。


われわれも乗ってきた京馬車が見えた

左手の石垣のうえに、“保津の火祭り”で有名な“請田(うけた)神社”が見えてきた。

11:07 請田神社
請田(うけた)神社

この下辺りが保津川下りの一の瀬とも呼ばれる“宮の下の瀬”である。


請田神社の下にあるので”宮の下の瀬”と呼ばれる

少々、白い波が立っています。


この先の山の端が迫った辺りからいよいよ保津峡へと舟は入ってゆく。ここらからが、いわゆる保津川と通称される川となる。


あの先の狭まった辺りから保津峡

20分ほど下った左岸に大きく立つ “烏帽子岩”がある。角度によって烏帽子の形に見えるのだが、奔り去る舟上からなかなかそのタイミングを見つけるのは難しい。


岸辺の大石が”烏帽子岩”、見えますか、烏帽子の形に

それを過ぎて3分ほどすると、遠くに自然石を積み上げた一画に保津川の守り本尊である“不動明王”が見えてくる。


遠くに不動明王の石積みが見えてくる

縦長の板状の大石にレリーフされた石像である。

この不動明王を過ぎると、“金岐(かねぎ)の瀬”に入ってゆく。舟足も速まり、白く泡立つ波頭も結構、迫力がでてきました。


金岐の瀬に入っています

そして保津川下り最大の名所、高低差2mの“小鮎の滝”に突入する。水路が急速に狭まり、スピードも上がる。


さぁ、これから”小鮎の滝”へと入ってゆきます

さぁ、あそこが“小鮎の滝”だ。保津川下りで唯一、滝の名称が付けられた場所である。


この先が落差2mです

あぁ、落ちてま〜す。



いま落ちました、小鮎の滝を・・・

“キャ〜!”、“オ〜ッ!”と舟客は無意識に嬌声、大声を上げた。

すると船頭さんがすかさず、“これで今日のお客の年齢が分かったなぁ”と云うではないか。無意識に悲鳴を挙げる時、30代までは大体、“キャ〜!”と高く叫ぶのだそうだが、40代を超えたあたりから“ウォ〜!”とドスのきいた叫びに変わるのだとか・・・。皆さんに、いやぁ〜、受けていましたなぁ〜。


綾小路きみまろの上をゆく“名言”でありました。家内も横でこっそりと裏声の発声練習などしておりましたな。まだまだ、色気はありますな・・・


当日は水量が少ないため、ビニールシートも最前列の人たちだけですみましたが、水量が多い時には両サイドの舷側にシートを上げて飛沫から身を守ります。私がこの日浴びた飛沫はズボンが下の写真の程度に濡れただけでした。

11:17 水量が少ないので、この程度で済みました
この程度ですみました

良かったのか悪かったのか。やはり、ドバ〜ッと濡れるスリルを味わいたかったというのが本音でありました。


ともあれ、最大の難所の“小鮎の滝”を無事、乗り切り、舟はすぐに次の難所、“大高瀬”へと入ってゆきます。


すぐに大高瀬に入ります

川幅が狭まり、岩肌を丸太が覆いつくしている様子は、いざという時の舟が衝突した際の被害を防ぐためと思うと、舟の速度、すぐ横を過ぎ去る岩、荒れる飛沫が、いや増しに緊張感を昂めてゆく。


岩肌を覆う丸太が逆に恐怖心を煽る

この大高瀬は結構、長い距離で、スリルは十分。最前列の若いカップル二組を除くみなさん、“ウォ〜ッ!!”と

地獄の底から響いてくるような嬌声ならぬ、狂声?をあげていましたなぁ・・・


ということで、急流を凌いだ舟はしばしのんびりと下りまして、水深10mの保津川下りで二番目に深い“殿の漁場”へさしかかった。


岩場に”殿の漁場”の表示板が

ここは、昔、丹波の殿さまが釣りを楽しまれたところで、淵のように静かな水面を見せている。ちょっと不思議な景色である。


まったりとした水面が急流下りとは思えぬ、不思議な気分に・・・

その余裕もわずかで、舟はすぐに“”獅子ヶ口の瀬“の急流へと向かってゆく。


この先、左カーブに”獅子ヶ口の瀬”

また急速に岩肌が舷側に迫り、船頭さんが“舟の縁から手を離して、内側の棒を握ってください”と、声が飛ぶ。これは、結構、危ない、スリリングである。

  
結構、きわどい!!獅子ヶ口の瀬    難所は越えたなと船頭さんもひと休み

“獅子ヶ口の瀬”を抜けると、“女淵”と呼ばれる流れの緩やかな淵が遠くに見えてくる。小山のような岩が行く手をふさぎ、川筋がここで大きくUターンする。


正面の岩上に”女淵”の表示板

この女淵を右にぐるりと回った辺りが、水深の最も深い“曲り淵” (15m)となる。漱石の表する“碧油(へきゆう)”とはこんな色ではないかと思った処である。


水深15mの”曲り淵”、碧油色に見えません?

こうして曲り淵に達した時が11時30分。スタートして、距離的には大体半分、時間でいうと1/3の40分がかかったことになる。(以下、次回に続く)

2012年秋、保津川下り=乗って知った“知っとくと便利な豆知識” 保津川とは?

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これからコースの見どころ、楽しみどころをご紹介していくのだが、その前に“保津川”なるものは一体どういう川なのかについて説明をしておかねばならぬ。

迫る渓谷にJRの鉄橋
保津川

なお、この説明が、あぁ鬱陶しいという方は次の保津川下りレポートへスキップしていただいて構いません。

さて、そもそも保津川とはどこからどこまでを言うのとか、保津川の下流はあの有名な桂川につながってるよねとか、ひとつ流れの川を保津川とか桂川って呼んでいるの?ってな、いろいろ疑問を抱かれる方も多いと思われる。

そこで船下りの前に、その点だけは一応、得心しておいた方がよいと思われるので、少々、保津川についての薀蓄(うんちく)を述べさせていただく。

そもそも“保津川”の行政上の呼称はあの有名な“桂川”である。その“桂川”は琵琶湖から流れ出る唯一の河川で大阪湾に流れ込むあの“淀川”の水系に属する一級河川だということである。

そして桂川の源流はと謂えば、日本海の若狭湾へ流れ込む由良川水系と、最後には瀬戸内海(大阪湾)に流れ込む淀川水系(桂川)との大分水嶺である佐々里峠(京都市左京区広河原と京都府南丹市の境)にまで遡る。

その“桂川”は源流を離れると、まず左京区の広河原、花脊を南流し、花脊の南部で流れを大きく西へと転じる。そして今度は右京区の京北地区を東から西へ大きく蛇行しながら横断し、南丹市の世木ダム・日吉ダムへ流れ込み、日吉ダムから出ると今度は亀岡盆地へ向けて南丹市を南下してゆく。

亀岡市の中央部を南東の方向に縦断して、途中、保津川下り乗船場を過ぎて、保津峡に入ってゆく。


保津峡の入口・請田神社下

その保津峡をさらに南東へ流れて嵐山に到達、京都盆地へと出ることとなる。


右が嵐山、この先に渡月橋があります

それから桂離宮脇を過ぎ一挙に南下し、伏見区の辺りで鴨川と西高瀬川を併せ、大阪府との境で宇治川と木津川と合流し、淀川となり、大阪湾へそそぎ込むこととなる。


平等院の脇を流れる宇治川

要するに、“桂川”は、京都北部の佐々里峠という大分水嶺に源を発し僅かに南流するが、市街の北端辺りで西行し南丹市にて、今度は南東方向へと流れを変え、亀岡市を抜け、伏見区で京都市街を流れてきた鴨川と合流するまで、京都市街をあたかも避けるかのように、また京都の町を抱き込むようにも見える、大きく“くの字”形をして流れているのである。


そのように洛中を包み込むように流れる川だけに、京都の長い歴史と合わさって色々な面を併せ持つ川が“桂川”だといえる。


そのため桂川には、一本の川でありながら、その歴史との関わりに於いて、その流れのある個所に通称としての川の名前が冠されているのである。

その源流から順にその通称を列べると、次の如くである。

上桂川→桂川(南丹市園部地区)→大井川(南丹市八木地区から亀岡市)→保津川(亀岡市保津町請田から嵐山)→大堰(おおい)川(渡月橋を挟み堰と堰の間2km)→桂川

何とも賑やかな変幻自在ぶりである。そして、驚きが、嵐山の名勝、渡月橋の真下を流れる時は、“桂川”ではなく“大堰川”という通称というのだから、面白い・・・。


渡月橋の下を流れる川の通称は、なんと、大堰(おおい)川といいます

その詳細については当ブログの “名勝嵐山の桂川は変幻自在” (2009.2.1)にも詳しく記載しているので、それを参照されたい。


堰の手前までが保津川・その先渡月橋をくぐり2kmほど先の堰までが大堰(おおい)川

要は、保津川とは桂川の一部、保津峡の入口である保津町請田から嵐山の下船場の先の堰まで、まさに保津川下りの16kmの流れを呼ぶ通称であるということである。


堰の右が保津川、左が大堰川

なお、京都の豪商、角倉良以が慶長11年(1606)に保津川を開削し、丹波から京都への水上輸送を確立してから400年余が経つ“保津川下りの歴史”については、“保津川下り公式HP”に詳しいので、それを参照してください。

もう、そんなこんなで紙数を費やすのはよそう。さぁ早く、保津川下りの船出としよう・・・

2012年秋、保津川下り=乗って知った! 知っとくと便利な豆知識

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トロッコ列車と馬車を乗り継いだ小さな旅を終え、いよいよ、本命の保津川下りに挑む時がやって来た。


馬車でこの保津川下り乗船場に到着したのが1015分、乗船が1046分だったので、待合所で30分を使える時間的にちょうどよい按分の旅となった。


待合所ビル・バス客はこのビル内の降車場。馬車降車地からも1分弱で至近。

これを “トロッコ亀岡駅”からバスで来ているとすると、947にこの乗船場着となり、10時船出の保津川下りに乗るのに、わずか13分の乗り換え時間となり(トロッコ亀岡駅から保津川下り乗船場行きバス、保津川下り舟の時刻表)、足が不自由なわたしにはちょっとタイトで、心の余裕のないまま、まわりの景色も味わうことのないまま、船中の人となったのだと思う。

10:23 広くて明るい待合所
広くて明るい二階の待合所ホール。手前左のカウンターは船の券売所。

旅は時間に余裕を持たせたゆったり、ほんわか旅がやはりよいものだと、歳を重ねるにつれその思いは募ってきている。


船下りの所要時間は水量の多い時で60分ほど、水量の最も少ない時で110分ほどと“保津川下りのHP”の“よくある質問”に記載されている。ちなみに、われわれは1時間40分の船旅となりました。


その2時間弱の船旅に備えるために、その日のスケジュールによっては、この待合所で簡単に食事をとったり、ゆっくりトイレに行ったりする必要がある方もおられよう。


そこで、ご参考のために、“保津川下り”をより快適に楽しむために、この待合所の施設について少し述べておく。


まず食事に関して、レストランは館内にないが、待合ホールに軽食コーナーがあり、うどんや蕎麦、サンドイッチなど簡単に口にできるようになっている。


ホールの奥に軽食の取れるコーナーがある

そして2時間弱という船旅である。トイレはぜひ、事前に行っておかれた方がよい。これから紅葉の最盛期にかけて気温もぐっと低くなってくるので、なおさらである。


広くて清潔です

トイレもこの待合所のものは、広くて、清潔であるので、お薦めである(トロッコ亀岡駅のトイレもきれいだが、ここほど広さはありません)。


男性用で恐縮だが、小用は7器、個室が洋式3、和式1である。女性用も相応の室数と思われる。悪しからず・・・

数もしっかりあります

時間待ちの間に、お土産コーナーを物色していたら、一番人気商品!“保津川下りこけし船形せんべい”という焼菓子があったので、買い求めた。

これ、お土産に買いました

これって、530円という手頃な値段だし、保津川下りをしましたと知り合いにちょっと宣伝したい人には、お土産として結構、おいしいし、面白いと思った。


7艘の高瀬舟が入っています

保津川を下っているようでしょう

着物を脱がせるとこんなになっていました。味が三種類でおいしかったですよ。

そんなこんなしているうちに、館内でエントリー・コールが始まった。


乗船口に向かいます

チケットの番号が呼ばれて、乗船口から階段、また足元の弱い人はスロープで乗船場へ降りてゆく。

10:42 待合所から乗船場へ向かう橋
正面が階段、左にスロープがあります。下に桟橋あります。

桟橋に横づけになった先頭の舟にみんなが向かうので、わたしたちものんびり続いた。


階段上から撮る。この舟に乗りました

前からニ列の席であった。横に4名坐る形式である。坐るとベルト状の浮き袋を腰に巻くよう指示がある。


さぁ、乗船です

われわれの前の最前列には乗客の中で最も若い方4名が坐った。最前列の乗客のみ膝にビニールを掛けさせられたが、船下りの最中、水飛沫がたくさんかかるために最前列の人のみそうさせられるのだが、船頭さんの指示で34度、ビニールを上げ下げしていたが、やはり、これって、若い人の方がスムースにやっておられましたな。


・・・ってなことで、10時50分、いよいよ、保津川下りの船出となりました。


さぁ、出航で〜す!!天気晴朗で〜す!!

舟の時刻は通常時、毎時00分発となっているが、定員に足るとその時点で、適宜、舟を出すようで、思ったより早めの出立となりました。


次から、分刻みの“保津川下り”レポートが始まります。何回かに分けて掲載しますので、これから保津川下りをトライされる方は、ぜひ、これを参考に、わたしが見逃したところも含めて、事前に頭に入れていかれると、より保津川下りが楽しめること請け合いです。ぜひ、ご笑覧あれ。


右が嵐山・左手に下船場

それでは、“保津川下り、嵐山までの1時間40分の旅、はじまり、はじまり〜!!”

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