彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

メディア批判

トランプ次期米大統領が三島由紀夫と朝日新聞を笑う

朝日新聞本社ビル
朝日新聞本社ビル
1月20日、いよいよドナルド・トランプ氏が第45代米国大統領に就任する。共和党候補であったトランプ氏は昨年の11月8日、大方の予想を裏切ってヒラリー・クリントン氏を破り、米国大統領の指名を確実にした。

 

そのトランプ氏であるが過激な発言で米国にとどまらず国内外に様々な軋轢を生みだし、批判の集中砲火を浴び、中傷されてきた。それがゆえに選挙期間を通じて抜群の注目を集めてきたことも事実である。

 

そんな次期大統領であるが、当選後もツイッターでの呟きでまたまた世界の耳目を集め、その一言一言が世界のマーケットを動かし、世界の首脳を苛立たせ、メディアの反発を買った。

 

そして選挙後の2か月後の1月11日になって、ようやく選挙後初のいわゆる記者会見というものを開いた。CNNでその模様をみていたが、会見終盤の場内の迫力と緊張感はへたな映画よりも数十倍、いやどんな映画よりも真に迫り(真実の光景なのだが)、手に汗握るとはこのことなのだと知った。それほどにがなり立てる映像は生の迫真性のすごさを見せつけた。

 

トランプ氏が発した言葉の数々に既存メディアに対する同氏の強烈な不信感と猛烈な敵意を感じた。

 

会見が1時間6分を過ぎたあたりからトランプ氏のメディアへの敵愾心があらわとなった。ロシア当局がトランプ氏を恐喝できるみだらな情報をつかんでいるといった報道を流したネットメディアのBuzz・Feed(バズフィード)につづいてその一部を伝えたCNNの記者に対して怒りが爆発したのだ。その様子は仮にも10日後には世界最高の権力を掌中にしようとする人物の言葉とは信じがたいものであり、記者席からもまた壇上からも飛び交うすさまじい怒号は史上稀にみる映像にわたしの目は点になった。

 

その間、トランプ氏は「GO Ahead(次!)」と別人に質問を促すのだが、それを無視して質問を発し続けるCNN記者(ジム・アコスタ記者)に業を煮やし、指でさして「QUIET(黙れ!)」、「Not YOU(おまえじゃない!)」、 「You are FAKE NEWS(お前は偽物のニュース(記者)だ)」、「You are ORGANIZATION TERRIBLE(ひでえ会社だ)」と罵詈雑言を浴びせるという悪態の限りをつくした。

 

その映像は世界中に流されたが、民主主義国家の代表、指導者を自任する米国のトップに君臨する大統領候補と米メディアの会見とは思えぬ醜態をさらすものであった。

 

しかし、わたしはその修羅場を目にしながら、選挙期間中を通じてトランプ氏に対する特に大手メディアの執拗なネガティブキャンペーンを考えると、同氏がメディアという第四権力(the Fourth Estate)を敵対視し、根深い憎悪の念を露にするのもわからないわけではないと考えていた。

 

というよりも選挙期間中の米メディア、特にテレビ局の報道は目を覆いたくなるようなものがあった。ABCだったかNBCだったか忘れたが、トランプ氏とのインタビュー時に金髪がカツラではないかといってキャスターが一応、同氏の了解はとっていたが、手で髪の毛を鷲掴みにし引っ張り、本物の髪の毛だと証明できたという場面があった。

 

米国の一方の大統領候補である人物に対する敬意のかけらもなく、逆に見下したようなその蛮行にわたしは正直、驚いた。

 

その時、トランプ氏は、クシャクシャにされた髪の毛を手でならしながら複雑な笑みを浮かべていた。はらわたが煮えくり返っていたと思うが、トランプ氏が心中で「この野郎」と叫んでいたことは想像に難くない。わたしはその場で、「無礼である」と一括し、退席しても一向にかまわぬと思ったものだ。思いあがったメディアにわたしは別の意味で吐き気と憎悪を覚えたのである。

 

一昨日あたりであったか、トランプ氏は大統領になっての記者会見室にすべてのメディアは入りきれぬと発言した。選別をするぞとのメディアへの宣戦布告である。ツイッターを多用するトランプ氏。メディアを介さずに直接、自身の意見を伝える。メディアにいいように編集されることのない、本物の情報発信であるともいえる。140字で複雑な国際情勢、政治課題について語るのは不適切で、問題が多いと大方の識者は語る。しかし、自分たちの興味に関するところをつまみ上げ、それをニュースと称して配信する昨今のメディアをみると、言葉は練れていなくとも、本人が生でつぶやく言葉のほうが価値があり、直に接することのできる情報としての価値は、既存メディアが都合よく世論誘導をするために発言や情報を編集しなおした記事とは比較にならぬほどに、高いものがある。

 

1月12日に、NHKニュースやTBSなどテレビ各局で三島由紀夫の市谷の自衛隊で恰幅視察する9か月前にインタビューを受けたテープがTBSで発見されたと報じられた。自分の作風について率直な意見や文学論を語る一方で、憲法についての考え方も披瀝していた。

 

すなわち、

「憲法9条ってのは全部いけないって言っているんじゃないんです。つまり人類が戦争しないというのは立派なことです。平和を守るというのは立派なことです」

 

「(憲法9条の)第2項がいけないんでしょ。第2項がとにかく念押しの規定をしている。念押しをしてきているのをですね、日本の変な学者が逆解釈してね、自衛隊を認めているわけでしょ」

 

「ぼくは大嫌いなんですよ、そういうことが。ぼくは人間をごまかしてね。そうやって生きていくということが耐えられない」

と、解釈憲法で国家を運営していくことのまやかしを鋭く突いたものである。

 

戦後言論界の一方の雄であり、文明批評家としても一流の人物が現行憲法の問題点を語ったものとして、この発見は貴重であるし、戦後思想界の一級資料と評してもよい。

 

そんな資料について翌日の朝日新聞は「死が肉体に入ってきた 文を抽象的に塗る欠点」と三島由紀夫の肉声テープ発見の内容を報じた(朝日のネットニュースでは全文が読めぬようにされているので、150円をだして購入した。新聞って今150円もするんだとビックリ)。朝日の報じる内容が気にかかったので購入したのである。案の定、他社が報じた憲法改正に言及した部分は見事に無視されて、憲法のケの字もない記事であった。

13 朝日新聞 三島由紀夫肉声テープ発見
2017.1.13 朝日新聞記事
国防に殉じる自衛隊に正当性を与えるためには憲法改正が必要であるとした三島の主張は、その後の市谷の自衛隊突入、割腹自殺の主因である。こうした大切な歴史的事実を護憲や憲法9条死守といった社論に反するものであるとして、まったく伝えぬ報道というのはどう考えてもおかしいし卑怯である。新聞と呼ぶより機関紙と呼ぶのがふさわしいと考える。

 

今回、報道ステーションをチェックしていないので、テレビ朝日がどう伝えたかについて言及はできない。しかし、2015年11月25日に報道した「検証・三島由紀夫事件〜45年目の真実〜」でのコメンテーターのコメントは三島がバルコニーで発言した「もうこれで憲法改正のチャンスはない」という憲法改正が必要であると絶叫したことも完全無視したものであったことに鑑みるとおよそ察しはつくというものである。

 

トランプ次期大統領が既存メディアとこれから対峙し、情報をどのように発信していくか大きな関心を抱いて見守っていきたい。

 

わが国の報道機関も対岸の火事と拱手傍観する暇はないと考える。先日発表された数字でも新聞購読数が昨年よりもまた百万部弱の減少となった。国民のメディアに対する目は日に日に厳しいものとなっている。真実を伝える、事実を伝えることにわたしはメディアの原点はあるはずだと考えるが、いかがであろうか。




鳥越俊太郎、各局テレビに物申す!!週刊文春・「女子大生淫行」疑惑記事

7月21日発売の週刊文春で、『鳥越俊太郎都知事候補 「女子大生淫行」疑惑 被害女性の夫が怒りの告白』との記事が掲載されている。


週刊誌を読まぬわたしもつい、文春のWEBサイトで確認した。すると、冒頭のタイトルの下に、次のように書かれていた。


「君の誕生日パーティーをしよう」。キスの経験もない20歳の大学生を富士山麓の別荘に誘い込んだ鳥越氏は二人きりになると豹変したという。都知事候補の資質を問う。」


この疑惑自体は14、5年前のことのようで、当時評判の月刊誌「噂の真相」にも掲載されたとのことで、一部ではよく知られた話なのだという。


わたしは週刊誌を買ってまで記事を読もうとは思わない。ただ、人気バンド「ゲスの極み乙女」のボーカル川谷絵音との不倫を暴かれたベッキーと鳥越氏との立場は根本的に異なっており、こうした応酬があるという事実を選挙民に伝える必要はあると考える。


甘利経産大臣の金銭授受問題や育児休暇取得で脚光を浴びた金子恵美衆議院議員の夫・宮崎衆議院議員の不倫報道などスクープを連発している文春の記事である。耳目が集まるのも不思議はない。


しかし、テレビ各局が永田町ネタの甘利、宮崎問題につき連日報道を繰り返し、ベッキー不倫でもこれでもかというほどに面白おかしく伝え(さすがにベッキー不倫はNHKはなかったかな)、舛添要一にいたっては記者会見の実況を、都度、流し続けるなどしたことを思い起こすと、今回、テレビ各局が示し合わせたように沈黙を守っていることは異様である。


現在がまさに都知事選挙の真っ最中であり、公職選挙法に抵触する恐れがあるとの判断が働いているであろうことは推測はできる。
実際に7月21日、週刊文春は鳥越氏の弁護団により名誉毀損と公職選挙法違反の疑いで東京地検に告訴された。

選挙期間中、各候補者に対する報道は公平であるべきである。しかし、実際問題として21人もの候補者が立った都知事選で公平を期すといっても、そこは良識の範囲で報道をしていくことで対応していくしかないし、現実に各TV局もそうした方針のように見受けられるし、国民もそこは目くじらを立てる気持ちもない。

ただ、本件が非常におかしな報道姿勢に見えるのは、選挙民が知るべき重要な事実を伝えることをテレビ局が放棄している、いや、わざと最近流行りの“報道しない自由の権利”の行使をしているように思えてならないのである。

わたしは鳥越俊太郎都知事候補の女性淫行を事実として伝えろと言っているのではない。民放テレビ各局とは異なり、入念な取材をもとに記事にし(たと言われている)、それなりの果実を獲得してきた昨今の週刊文春である。

その週刊誌が「都知事候補の女性淫行疑惑を報じた」ということは重い事実である。
そして、その記事に対し、候補者の弁護団が刑事告訴をしたことも事実である。

ただでさえ都政の政策を具体的に語らぬ候補であり、その是非が判断できぬ。まずはこの二つの事実を伝えることは選挙期間中であるからこそ必要なのだと考える。選挙民にとって、この人物が都知事としての資質があるか否かを判断するうえでの重要な情報のひとつとなるからである。

わたしも民放テレビをかじりつくほど観ることはない。ただ、TBSの情報バラエティ“ひるおび”はちょうど昼食時でもあり、NHKニュースのあとによく視聴する。

また、日テレの情報ライブ“ミヤネ屋”も舛添問題など事実確認をしたい時などは、都知事会見の実況中継をしておりずいぶんと重宝する番組である。

そんなテレビ各局もこの鳥越問題については一度は報道したのかも知れないが、先の甘利・宮崎・ベッキー・舛添の電波の使用時間に比較し、雲泥の差、先の例の扱いと比べれば一切、報道してない、意図的に無視しているに等しい。これが与党候補者の疑惑であったら、またジャーナリスト出身者でない候補者であったら、民放各局はどんな対応をしたのであろうか。

そんな鳥越都知事候補の女性疑惑、下卑た興味から申し上げるのではない。

まさに文春がタイトル下のキャッチで「都知事候補の資質を問う」と述べているように、そうした疑惑があるのであれば、事実無根だと告訴をしたのであるから、これまでジャーナリストと称してきた、そして、政治家として立候補した鳥越俊太郎なる人物は自らの口、言葉で選挙民の前でちゃんとした情報開示をし、説明を堂々とするべきなのである。

一方で、それを避けまくる鳥越候補に対し、なぜしないのだともっと詰め寄り、それにも応じないジャーナリストとも思えぬ男に、テレビ各社はしつこくテレビ画面で訴えるべきなのだ。

21日、街頭演説を終えた鳥越候補に取材陣がコメントを求めても、「私の法的代理人である弁護士に一任している」とのみ言い残し、逃げるように去っていったというではないか。

これが都知事を目指すジャーナリスト出身の政治家だといえようか。

そして、この文春記事について、「(この時期にこの記事が発表されたことには)何か政治的な大きな力が働いたと感じたと発言したことにつき数度の記者の問いかけに対してはジャーナリストと称する人物としては驚くべき答えが返ってきたのである。

理由は何もありません。僕のです。私は51年間この仕事をしてきて、直感をいつでも働かしながら仕事をしてきたので、直感である程度そういうことはあるかもしれないなと思った次第」

そして、極め付けが続くひと言。

それは何も事実があるわけではありませんので、こういう事実があるからこうだというつもりは全くない
と、言ってのけたと新聞は伝える。

いやはやもう呆れるしかないというより、この男はこれまでよくぞ言論の世界で曲がりなりにも生きて来られたな、それほど日本の言論界、ジャーナリズムは低レベル、大甘なのかとまさに開いた口がふさがらないとはこのことだが、こうした発言、自分が触れられたくない問題についての対応のあり方などが、リーダーたる資質を判断するに際しての大切な要素なのである。

こうした視点で今回の問題をとらえた時、テレビ各局が日ごろ国民の知る権利だと声高に叫ぶその知る権利とはいったい何を指しているのか、誰に伝えるために知らなければならぬのか。自分たちにとって都合の悪いことは報じたくない、調べない、追及しないでは、その知る権利、報道の自由といった居丈高に叫ばれる言葉は鴻毛のごとく軽く、あまりにも虚しい。

わたしはかねてから我が国のジャーナリズムのレベルの酷さ、身内にごく甘の体質はことあるごとに一刀両断してきたところである。

しかし、これはひどい、このレベルはひどすぎる。ジャーナリストとして51年やってきたと豪語する鳥越俊太郎という人物然り。この女子大生淫行疑惑の週刊誌・候補者双方の応酬を伝えぬテレビ局然りである。

また、これが野党四党の自信をもって推薦した候補かと思うと、参院選の一人区で相応の効果があったとされる政策合意なき野党連携もあまりにお粗末、はや馬脚をあらわしたのだと断じるほかない。



古館・報道ステーションの慰安婦問題検証番組、公共の電波を使い朝日新聞の言い逃れを一方的に言い募る、噴飯ものだ!!

いかにも客観的にテレ朝は報道しているのだと、巧妙というには程遠い見え見えの番組、肝心のところは視聴者に伝えない今夜の報道ステーションであった。


例えば、訂正が遅きに失したというが、32年も訂正に時間を費やした、吉田証言が虚偽であることが周知の事実となってから(済州島の地元紙で強制連行の事実はなかったとの記事掲載、1992年の朝日新聞が吉田証言に裏付けの事実が見つけられなかったとの言及にとどめた慰安婦特集記事等)少なくとも17年間にわたって吉田清治氏の虚偽証言を取り扱った記事の取り消しを行ってこなかった。

この92年以降、朝日新聞は慰安婦問題について物理的な行為である“強制連行”という言葉を、実に巧妙に“強制性”という慰安婦が感じた心理的な問題へと表現をすり替えて行っているのである。


その間、慰安婦の強制連行につき、事あるごとに日本政府を追及してきたあくどさ。わたしは事実を突き付けて時の権力を追及することは、ジャーナリスト、ジャーナリズムの本義であると信じる。

しかし、虚偽であろうが人口に膾炙していった事柄、それも自らが撒き散らし、あたかも事実のように思わせてきた虚偽証言をネタに、長年に亘り意に沿わぬ政府を転覆させようとしてきたことは、報道機関としてはあってはならぬ行為である。


そして今夜、朝日新聞木村伊量社長の謝罪会見を待ってとしか言いようがないタイミングで、40分程を費やし慰安婦問題につき特集を組んだテレビ朝日も同じ穴の狢と断罪するしかない。


テレビ報道は記者会見でもないので、もちろん、質疑応答などない。

テレビ朝日側というより朝日新聞社の言い分を全面的に反映した人権問題への問題のすり替えを行なったうえでの一方的な言い逃れを垂れ流したに過ぎない。


古舘伊知郎という似非キャスターの賢(さか)しらな解説と言おうか、大朝日に対するお追従なのだろうか、顔を見るのも嫌になったが、今日は我慢した。


さらに、河野談話は吉田証言に依拠していないという心証作りに利する反朝日の人物のインタビューの片言隻句をつまみ食いしたコメント放映などあざとくも卑劣な番組作りにさすがに怒り心頭であった。


そして、慰安婦問題で国際的に日本国が大きなダメージを被り、貶められたことは朝日の吉田証言報道とは直接、関係はない。


国連人権委員会に報告され、世界的に性奴隷を喧伝し、日本の信用を大きく失墜させた「クマラスワミ報告書」(1996年)についても、吉田証言が引用はされていても、「それが当時の日本官憲が慰安婦強制連行した大きな根拠ではない、慰安婦に直接ヒアリングした結果である」とするラディカ・クマーラスワーミ女史の証言を紹介。


要は、テレビ朝日は、朝日新聞社の吉田証言誤報は慰安婦強制連行という非人道的行為を時の日本官憲が行ったという誤解を世界に広めたことに責任はないと40分にわたって報道、いや、言い逃れをしたのである。


公共の電波を使って一私企業の言い分を一方的に代弁し、言い募るテレビ局。大変な問題である。


放送法第四条を以下に掲載する。


「放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

 公安及び善良な風俗を害しないこと。

 政治的に公平であること。

 報道は事実をまげないですること。

 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」


今夜の番組、慰安婦問題に関し朝日新聞社グループと意見を異にする識者の意見がそこここの場面にコメンテーター的に配されていた。放送法第4条第4項を体した狡猾な番組制作である。


なぜなら、全体を通して番組を見たときに、そうした識者の意見はきわめて意図的に編集され、先ほどの朝日は日本の国益毀損に責任はないという一点につき編集されていたのである。


放送法第4条第3項にいう“報道は事実をまげないですること”という報道の原点に照らしてみたとき、今夜の検証番組は、何をもって“事実”を視聴者に伝えようとしたのか。


ジャーナリストとしての一分の魂でも残っているのであれば、国民の利益に資するというより、この場合は棄損された国民の利益を原状回復するためには、朝日グループはこれから何をなさねばならぬかを真摯に視聴者に向かって語るべきであった。

そして、最初に吉田証言を記事にした植村隆という記者がある意図をもって作成したのだという事実についても正直に視聴者に対して伝えるべきであった。


さまざまな点であまりにも往生際の悪い胸糞の悪い三文芝居を見せられたようで、寝つきが悪いことこの上ない。


週刊文春・“朝日新聞『売国のDNA』”の広告拒否 朝日新聞社、“表現の自由”・“知る権利”はどうした!

朝日新聞社は慰安婦問題について、1982年9月に、吉田清治といういかがわしい人物の「日本官憲による済州島での慰安婦狩り」という虚言を記事に取り上げて以降、32年間にわたり、「日本軍が組織的に朝鮮人女性を強制連行した」、「朝鮮人女性が女子挺身隊として強制的に慰安婦にされた」といった事実と異なる虚偽報道を繰り返してきた。


そして、この8月5日の朝刊で、なぜか、従軍慰安婦問題を巡る報道について誤りがあったことを認め、「女性を強制連行した」との証言を紹介した記事(過去16回分)についてのみ撤回することを表明した。

朝日新聞社は、慰安婦問題によって当事国たる韓国はいうにおよばず広く海外に、日本という国が過去、国を挙げて朝鮮人女性を拉致し、性奴隷として強制連行した破廉恥極まりない人権無視の国であるということを、繰り返し刷り込むようにして報道を拡散させてきた。


その結果、韓国や米国に慰安婦像が設置され、われわれは国際的恥辱を味わわされ、切歯扼腕、国連をはじめとする国際世論になかなか抗しがたい事態となっている。


朝日新聞社がこれまで社を挙げて、この慰安婦問題を武器に事あるごとに日本政府を糾弾し、追い詰めてきたことは周知の事実である。


それを過去32年の「16本の記事は取り消します」だけで、日本の品格をここまで貶(おとし)め、国益を少なからず毀損してきた看過できぬ責任については何ら触れていないし、謝罪(謝罪ですむべき話ではないが)の一言もない。


そんな会社が、週刊文春が “朝日新聞『売国のDNA』の見出しで特集を組んだ広告掲載を拒否したという。


日頃、慰安婦の問題はいうにおよばず報道の自由、表現の自由、国民の知る権利だと大声あげて無理を通してきた朝日新聞社が、事、自分に向けられて“自由に表現”されたものは、名誉棄損だとかなんとか御託を並べて広告掲載を拒否する。


なんという身勝手、筋の通らぬ会社であることか。


これまで、週刊誌がさまざまな企業の醜聞、不祥事、そして謂われない誹謗中傷記事を書いたとしても、その記事がその企業の名誉を棄損するからといって、朝日新聞社が広告掲載を拒否したことなどないはずだ。


今回も記事の内容は当社はまだ読んでいるはずはない。ただ、タイトルだけを見て、掲載拒否をする。ふざけた話である。


他人さまが誣告(ぶこく)されるのは自業自得、身から出た錆と、隙あらば、週刊誌と一緒になって責め立て、囃したてる。国民の知る権利の代行者だから、執拗にその企業を追い詰める。


だが、自社は違う。国民に白も黒も併せた様々な情報を与えることは自社の名誉棄損となるため、国民は知る必要がない、そんなことを勝手に書く出版社は表現の自由を行使する資格はないのだと、今回の広告拒否という行為は言っているのである。

表現の自由とは、自社にとって都合の良いことを語るときにのみ許される、きわめて特権的、排他的な憲法上、許された権利なのだと、朝日新聞社は考え、信じ込んでいるのに違いない。


こんな卑劣で狡猾な企業がこれまで報道機関である、社会の木鐸であると、白日の下で嘯(うそぶ)いてきたかと思うと、ホント、日本人として情けなくなるし、いや、腸(はらわた)が煮え返る思いでいっぱいである。


今度、こちらは福島第一原発の吉田証言であるが、これが公表された暁に“命令に違反し撤退”した卑怯者が実際にはどうだったのかが判明した時、週刊誌の広告を今度はどう取り扱うのか、朝日新聞社が云う”表現の自由”の意味とはどういうことなのか、よくよく注目しておかねばならぬ。

最後に、28日、新潮社が週刊新潮の広告についても、「『朝日新聞社』の辞書に『反省』『謝罪』の言葉はない!」という文言などを理由に、掲載拒否を受けたことを公表した。

何ともいやはや、自分の意に沿わぬ表現は”朝日”という検閲機関によって問答無用の御裁きを受けることになるようだ。




吉田調書公開へ、朝日新聞社と云うどこぞの国の機関紙をどう葬るか

わたしは、こんなことをもう書きたくない。

美味しい料理や楽しい旅や可憐な花々の話をここでゆっくりと語るのが一番、幸せだと思っている。

なのに、やはり書かねばならぬ。朝日新聞、なぜ、ここまで日本という国を貶めるのか、何が目的なのか、わたしは本当に理解に苦しむ。以下、いやいや、時間を費やし記述するので、同じ思いをお持ちの方もおられよう、是非、ご一読願いたい。

20付け朝日新聞朝刊
ネット ”NEVERまとめ”から引用

菅義偉官房長官は25日の記者会見で、東電・福島第一原発の事故に関する故吉田昌郎元所長の「吉田調書」を「9月のできるだけ早いタイミングで公表したい」と述べた。


政府方針で非公開としていた“吉田調書”を急遽、公開とした理由は、巷間伝えられるように朝日新聞の5月20日付朝刊一面の報道にあることは自明である。


朝日新聞は吉田調書を入手したとして、5月20日の朝刊で、“原発所員、命令違反し撤退”の一面大見出しで、第一原発の所員の9割が吉田所長の命令に背き、第二原発に撤退していたと報じた。


そして“東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた”と、東電の隠蔽行為を批判している。


そして、この朝日報道を契機に、 “フクシマ・フィフティーズ”と世界のメディアから称賛された第一原発の崩壊阻止に命懸けで戦ってきた人々は、「福島のヒーローは、実は怖くて逃げた。全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」(オーストラリア有力紙・オーストラリアン)、「パニックになった作業員が福島第1原発から逃げ出した」(米紙ニューヨーク・タイムズ)などと、一転、“有事に逃げ出した”卑怯者が大勢いたとその栄誉は汚辱にまみれたものとなった。


その一方で、その後、吉田調書を手に入れた産経新聞が8月18日付の朝刊で、「吉田所長、『全面撤退』明確に否定 福島第1原発事故」との見出しで朝日報道を否定した。


そこでは、吉田元所長が「所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない」とも報じられており、朝日新聞の“命令違反”報道に大きな疑問符をつけた。


同じ吉田調書の原文コピーを入手しているとすれば、この二紙は同一事象をまったく逆の理解・認識で記事にしていることになる。


菅官房長官が公開方針に転じた理由を、「記録の一部を取り上げた記事が掲載され、このまま非公開とすることは、かえって本人の意思に反する」と述べたのはまさにおっしゃる通りである。


吉田氏は自分の証言が、「記憶の薄れ、混同により事実を誤認している部分もあると思う。全てが事実であったかのように独り歩きしないか危惧する」ので非公開としてほしい旨、上申書で伝えていた。


しかし、まさに証言の一部を捉えた報道で、まったく逆の評価を下す報道がなされ、その一部の見方は海外メディアのかっこうの餌食となって独り歩きを始めている。


ここで、吉田調書を即座に公開し、白日の下で、シロクロはっきりさせたらよい。


朝日が正しいのか、産経が正しいのか、国民はよく目をかっぴらいて注視すべきである。


今般、慰安婦報道の“誤解”を認めた形の朝日新聞だが、一切、謝罪はまったくしていない、問題のすり替え、開き直りの卑劣な記事であった。それも社として社長の名による報道でもなく、なんとも日本人をなめきった会社である。


これだけ国益を毀損する大誤報、いや捏造記事を32年間ものあいだ阿漕(あこぎ)に悪用してきたのに、この態度である。


今回の吉田調書報道も、まだ公開前ではあるが、朝日新聞デジタルHPにて日本語、英語版で一部、同社が入手したものが公開されている。


命令違反か否かを該当する部分を自分なりに読み込んでみた。日本語版はこの部分はどうも会員登録をしないと読めないようで、英語版にその該当する証言があった。


Actually, I never told them to go to 2F. This is the typical stuff with relayed messages. We were discussing, “Should we head for 2F if we are ever going?” I said, “Take shelter, get automobiles.” And somebody who relayed my message told the drivers to go to the Fukushima No. 2 plant. I thought I was saying, “Take temporary shelter somewhere near the Fukushima No. 1 plant, where radiation levels are low despite its location on the plant site, and wait for the next instruction,” but I was told, “They have left for 2F,” so I thought, “Heck!” I said, “Tell them to let us know once they have arrived at 2F, and tell ‘Group Manager’ level workers (senior employees) to return in the first place.” That’s how the GM-level staff had to return in the first place.


以上のように吉田元所長は語っていたのである。


拙訳すれば、こうなるだろうか。


実は、私はみんなに第二原発へ行けなどとは一切、言っていない。これは、伝言ゲームのような(情報が誤って伝えられる)典型的なものだ。


万が一、我々が出るということになれば、それは第二原発なのだろといった話はしていた。


ただ私は、「自動車を使って避難できる場所へ行っていろ」といった。


私のメッセージを伝えづたえに聞いた人間がドライバーに第二原発へ行けと言ったのだ。


「この第一原発構内でも放射線濃度が低いところがあるのではないか、そこに一時的に避難し、次の指示を待て」と、言ったつもりだった。


しかし、「彼らは既に第二原発へ向かった」と云われたので、「ちくしょう!」と思ったが、

「第二原発に着いたらすぐ私たちに知らせろと言え、そして、グループマネージャーレベルの人間(中堅社員)に元の配置へ戻るように言え」と言った。


それがグループマネージャーレベルの人間たちが元の配置へ戻った経緯だ。



以上が、朝日新聞が9割の人間が吉田所長の命令に違反し、第二原発へ逃げていったという部分の証言である。


原発事故の収拾に必要な最低限の人間を残してほかの人間はできるだけ放射能レベルの低い場所に退避し、次の指示を待てと吉田所長は言っている。


伝言ゲームは普通の平常時でも最後に情報を受け取る人間は発信された情報とは似ても似つかぬとんでもないことを伝えられる。


ましてや緊急事態、混乱の極地のなかでの遣り取りである。放射能レベルが低いところへ一旦、退避しろといわれたものが、第二原発なら大丈夫と考えてもおかしくないし、車で行けといわれたので10km先の第二原発を思い描いたのかも知れぬのである。


現に、中堅どころは戻れと言われて現場へ戻ってきたと吉田氏も語っている。


なのに、朝日新聞は、ここの証言のどこを捉えて、命令違反という“不実”を敢えてこの人々になすりつけるのか。


そして、なぜ、彼らはこの必死で頑張った現場の人間の尊厳を踏みにじり、その人格、人間性までをも貶めようと目論むのか。


わたしは朝日新聞自身が記載している報道内容を読んでみて、どうしてもこの会社の連中の思考回路、思索のあり方、報道というもののあり方について理解することが出来ぬ。


9月上旬であろうか、吉田調書の公開を待って、今度こそこの新聞社といえぬ、どこぞの国の機関紙というべき会社の素っ首を、この国挙げて叩き斬るべきであると、腕をこまねいて待っているのである。


ペテン師・佐村河内守(さむらごうち・まもる)を作り上げたメディア・音楽界・出版界という似非クリエーター

3月7日午前11時から、「全聾(ぜんろう)の作曲家」・「現代のベートーヴェン」として一部の人に知られていた佐村河内守(さむらごうち・まもる)が、東京都内のホテルで記者会見を開いた。大学講師・新垣隆(にいがき・たかし)氏による「ゴーストライターをしていた」とする暴露会見(2月6日)を受けてその反応に関心が寄せられていたが、ようやく公衆の前にその姿を現した。


会見のなかで記者たちの多くの関心が、彼が本来、全聾であったのか否か、いまも手話通訳者を介さないと会話はできないのかといった些末な問題に絞られているようで、今更ながらメディアの質の度し難い低さに呆れた。白黒決着をつけるつもりなら、事前に世間が納得できる程度の耳鼻咽喉科の専門医師にヒアリングしておくのが、こうした場合の取材のイロハであろう。

即ち、全聾(聴覚障害2級)の認定を受けたケースで、障害認定もされぬ水準までに聴覚機能が劇的に回復する症例があるのか、あったとしたらどういったケースかその具体的事例を調査、検証しておくべきである。
そのうえで、会見でその専門的見解をもとに佐村河内のひとつの嘘をまず暴いて見せたらよかったのだ。

今まで佐村河内に関係してきた周囲の人々を丁寧に取材しておくべきであった。大半の記者は週刊誌の記事や人づての話を主材料として質問をしていたのではなかろうか。だから、映像を観て視聴者の誰もが“耳は聴こえてるよ、この人”と思っている、そのペテン師にいいようにノラリクラリと言い逃れをさせてしまったのだ。

具体的に、「あなたが耳が聞こえていたと判断すべき事例がコレコレあるよ」と、詰問していくべきであった。取材で一つ一つ積み上げた小さな事実こそが、こうしたペテン師の悪行を暴く最良の材料、武器となるはずなのに・・・。

そうすれば、“耳は聞こえているのに、まだ、白を切りとおすつもりかとはっきり言ったうえで、人として決して許されぬ悪行を為した佐村河内の”本来の罪“をストレートに糾弾できたはずである。

そして、障害認定の水準のない聴覚機能を有しながら、もっとはっきり言えば、耳が聞こえるのにも拘わらず、手話通訳者を配し、相変わらず障害者を装い会見を続ける不快極まる光景は、そのこと自体が障害者等社会的弱者を心底、愚弄し、さらに言いようもない悲しさ、悔しさを与えたものであったことをメディア自身がもっと自戒すべきである。


今回の事件は、他人に曲を作らせ、それを隠したまま、自分の曲と長年、世を欺いてきたものだが、全聾という障害者を装うことでその商品価値を高め、社会的名誉とCD販売増、書籍販売という直接、間接的な果実を手にしてきた、その“あざとい”やり口が許せぬのである。


津波で母を亡くした石巻市の少女のためにつくった、いやゴーストライターに密かに作らせた「ピアノのためのレクイエム」。

その“お涙頂戴”のシナリオ作成、条件を満たす“少女探し”に手を貸したと云われるNHKスペシャルの番組スタッフたち。

これはもう、佐村河内ひとりの罪ではない。メディアと共謀した“騙(だま)し”、“ペテン”、“イカサマ”である。

それも公共放送が片棒、いや両棒を担いだこれほどあくどいやり方はなかろうというものだ。それも全聾という障害者を装い、その欺瞞に満ちた“苦悩の姿”をカメラで追ったNHKのおどろおどろしい映像。

その映像は、事件後にカットで初めて見たが、よくぞここまで臭い演技ができたもの、NHKがこの臭さを恥も衒いもなく編集・放映したクリエーターとしての文化レベルの低さ、いや知的水準の低さには辟易(へきえき)した。

わたしは、この事件が起きるまで、幸か不幸か、2008年のTBS・「筑紫哲也 NEWS23」(TBS)を皮切りに、天下のNHKの「情報LIVE ただイマ!」、「あさイチ」、そして、「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」とまで宣(のたま)わったNHKスペシャルも観たこともなかったし、佐村河内というペテン師の名前を耳にしたことがなかった。

事件後にニュースでたびたび語られる“佐村河内”という珍しい名前が耳にひっかかり、ここまで引っ張られてきたというのが本当のところである。

社会的弱者、障害者を装い、他人の才能を自己の才能として世を欺き、その具現者として臭い演技を続け、己の名誉欲を満たそうとしてきた“最低卑劣”な男、佐村河内。この男の罪は重い。

しかし、この卑劣漢を世に広く?知らしめ、それを阿漕(あこぎ)にも商売に積極的に利用したテレビ界、音楽界、出版界といったクリエーターたちの世界こそ、その責任は重く追及されるべきである。

その結果、直接、間接に多くの障害者たちは決して小さくない傷を負い、非常にみじめな気持ちにさせられた。

“障害”を“商品”の付加価値を高める“道具”として利用されたことに、それも“差別のない社会に”と、常に声高に叫んでいるメディア界が率先して、“作品”そのもよりも“障害者”によって創られた“作品”であることを前面に打ち出し、その情宣に努めたことに憤りを覚えるのである。

“障害”が“商品”の付加価値を高める効果があるとの発想そのものが、実は、“障害”を特別な存在であると心裡的に区別・差別した行為そのものなのである。

その区別、思いやったふりをしながら“差別”する、その偽善、偽君子面が許せぬのである。少々、怒りで筆が滑りそうになり危険であるが、軽度の身体障害を持つわたしはそう感じるのである。日常的に目にする偽君子面のメディアには、もう辟易(へきえき)である。

そして、佐村河内およびそれを責めるメディアも同様に、社会にきわめて不快な気分を蔓延させた罪は大きい。やはり、“ごめんなさい”ではすませるべきでない。

佐村河内に詐欺罪の適用は難しいとの指摘が多いが、同人を素材としてCDを制作・販売した音楽会社や書籍発刊をおこなった出版会社などは、その返品、キャンセルによる損害が発生しているケースがあるはずである。

損害を被った企業、団体、個人は、“障害”を利用した商売ではなかった、もっとはっきり言うと、そもそも耳が聞こえていたことを知らなかったのであれば、まずは、民事で堂々と損害賠償の請求訴訟を起こして然るべきである。

それをしないというのは、彼らも今回の社会的弱者に対する世の同情を当て込んだ阿漕(あこぎ)なイカサマを共謀・実行したものとして逆に、今度は厳しく社会から糾弾されるべきである。

そして、最後にひと言。

佐村河内(実は新垣氏)の楽曲に対する世に高名な音楽家、作家として知られる先生方の大仰な絶賛コメントである。

「佐村河内守さんの交響曲第一番『HIROSHIMA』は、戦後の最高の鎮魂曲であり、未来への予感をはらんだ交響曲である。これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ」
「言ってみれば1音符たりとも無駄な音は無い」
「これは相当に命を削って生み出された音楽」
「本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽」
もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か?耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか・・・。もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが・・・、私の答は決まっている。佐村河内守の交響曲第1番である

等々・・・


世の“専門家”と呼ばれる人たちの芸術作品を評価する尺度に、作品そのものの価値とは異なる心理的脚色が加わると、こんな評価がなされるのだろうかと感心しきりである。

これはもちろん罪などではなく、人の意見、評論に頼ることなく、己自身の真偽眼さらには審美眼を養ううえでの貴重な事例、他山の石として肝に銘ずべき、後世に伝えられるべき褒賞ものの功績であるといえる。

“白菜窃盗”、ここまで曝す必要はないだろう。メディアの放送基準は何なのか

「『珍しい白菜だった』木更津市職員を窃盗容疑で逮捕」

これは、13日の民放テレビでこのキャプションで放映されたニュースである。


「東大生、中2女子に裸画像送らせる 家出で発覚、逮捕『13歳と知っていた』」

こちらは、14日にこのタイトルで配信された新聞報道(ウェブサイト)である。


白菜泥棒の報道は、この事件?がテレビのニュースで流さなければならぬほどの事柄なのかというそもそも論もあるのだが、まぁ、流してしまったのだからいまさら仕方がない。問題は、ニュースのなかでその職員の名前・年齢まで明らかにした必然性は何かということである。


また次の裸画像送付つまり児童ポルノの件では、罪を犯した弱冠二十歳の学生の実名がしっかりと記載されていた。これも、実名まで報道する必要性があったのだろうかということである。


もちろん、どちらも、やってはならぬ罪である。


とくに後者は、国際社会でも多くの深刻な問題を抱え、関心の高い児童ポルノにかかる犯罪であるから、児童買春・ポルノ禁止法の厳格適用の観点からも摘発・逮捕は当然であろう。


だが、メディアのニュース報道にあって気になるのが、強盗殺人事件などの重大犯罪などは報道されるのは当然だが、それらと比較すると明らかに微罪であると考えられるものでも、それを犯した人物の属性によってどうも報道される場合とされない場合があるということである。


なるほど、社会的地位の發ぜ圓筝的性格の強い職業についており社会に対する影響が大きいと判断される場合などは、微罪であっても報道がなされ、かつ実名も公表されるケースが多い。

それにしても、本当にそこまで執拗に報道する必要があるのかというケースも正直ある。


その者が犯した罪が社会に大きな影響を及ぼすと判断される場合、それは例え一般的には微罪であったとしても、報道に値するケースはあるだろうし、そうした場合は、わたしは多分、違和感を覚えぬことから、今回のような憤りを感じないのだと思う。


今回、なぜ、実名までもという報道が続いたものだから、敢えて、言うのだが、メディアに今回の報道について胸を張って言えるような公正・公平な基準があるのだろうか。


属するのが東大という名前だけで、やっつけてやれといった品性下劣な気持ちが蠢いていなかったか、面白いからやっちまえといった思いが頭をかすめなかったか。


白菜を盗む、それも理由が下らぬ、これは笑えるといった視点で、報道をしなかったか。


そして、ある意味、これからの人生を大きく毀損(きそん)させるに十分な“実名報道”ということまで、この二つの事件?はされねばならなかったのだろうか。


未成年の場合は重大事件を起こした者も、基本的に実名報道はされない。


しかし、成人であれば、罪を犯せば、どんな場合でも実名報道されても仕方がない。

成人なのだから、罪を犯すことには当然、それに付随して社会的責任を負わねばならぬ。


ただ、白菜のケースは起訴され、裁判までいくのかも疑問だし、たとえ裁判で有罪判決が下っても、罪を贖ったものには、今度は、更生して社会に復帰する権利がある。


また、20歳の若者の場合は、児童ポルノというまだ13歳という少女に対する行為であるので、何ともこれも言いようのない事柄ではあるが、これも、裁判になれば当り前だが、実名で判決が下される。


それで、刑を執行するのであれば、そこで粛々と刑に服すればよいし、それが終われば、しっかりと更生し、常識ある社会人として生きてゆけばよい。


何も、過ちを犯したこの段階で、実名を曝され、あまりにも重い社会的制裁を受けさせる必要はないのではないか、そう考えたのである。


今回のケースは、思慮の足りぬメディアのちょっとした一言が、ひとりの市井人をあまりにも事も無げに苛酷な人生の流れに放り込んだようで、どうにもやるせない気持ちになったのである。


特定秘密保護法案可決=大手メディアの偏向報道こそ恐怖・反対野党の笑止な政治信条

NHKが12月6〜8日にかけて実施した世論調査において、安倍内閣支持率は前月比10%下落、50%へと急落、第二次安倍内閣発足後の最低水準となった。また不支持率も、35%(前月比+10%)へと大きく上昇した。


その内閣支持率に大きな影響を与えたと考えられる“特定秘密保護法”について、その成立により国民の「知る権利」が侵害されることが指摘されているが、その可能性について不安を感じるかとの問いに対しては、大いに不安を感じる27%、ある程度不安を感じる46%と「不安を感じる人」が73%にのぼった。


今回の特定秘密保護法案成立にいたる過程で、テレビ、新聞など大手メディアの驚くべき偏向報道に、わたしは正直、恐怖心を覚えた。


新聞購読を止めているわたしも、この特定秘密保護法案については各紙の社説などネットを通じ、目を通していた。


そしてテレビでは、最近、左翼的平和主義に毒されてきた関口宏の“サンデーモーニング(TBS)” や独り善がりな古館伊知郎の“報道ステーション(テレ朝)”などの同法案に関する報道をチェックした。


同法案に対する民放テレビの反対キャンペーンの過激さは異常で、どこか狂信的ですらあった。何しろ、反対、反対、反対なのである。


この法案のどの条文が国民の知る権利を侵し、どの条項が表現の自由を脅かし、どの項目によって何も知らぬ一般人が、突然、現れた警察官によって逮捕されるのかなど、具体的に明示し、その蓋然性が高いことを納得いくように解説してくれる報道はなかった。


逆に、戦前の憲兵国家・特高国家になるのだと言わんばかりに、視聴者の不安を煽りに煽るだけであった。


激しい情報戦争が繰り広げられる冷厳な国際情勢のなか、国家の安全保障の面から、この種の機密情報の保護・管理につきしっかりと法律によって制定・整備することが、スパイやテロ活動の防止、延いては国の安全保障に資する他国からの高度な機密情報の取得を可能にするのだといった視点の解説は、ほぼ皆無のように思われた。


メディアが大きな問題として取り上げた“不当逮捕”や“知る権利”について、特定秘密保護法は、“この法律の解釈適用”と題する第22条において、次のように規程している。


この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。


2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。」


わたしは上位法である憲法・第21条で保障された表現の自由、すなわち、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」があるにもかかわらず、わざわざ同法第22条でそれを担保している。


そうであるのに、どうしてメディア、言論人、ノーベル賞受賞者、果ては映画監督、女優までがこぞって、表現の自由が脅かされる、知る権利が危うくなる、特高国家になってしまうと、狂ったように我先に叫ぶのか、分からない。


そして、これらの人たちが単視眼的・視野狭窄的意見をヒステリックに表明する姿を目にするにつけ、 “鬼畜米英”と声高に叫び続けた人間が、その狂乱に眉を顰め、批判的であった無辜の国民を憲兵隊に突き出していった戦前の日本の姿に、逆にダブってしまい仕方がなかった。


法案の条文のどこの部分を読めば、そうした懸念、というより、断定的に声高に言えるのか、浅薄なわたしには、正直、まったくわからない。


中国漁船衝突事件で一色正春保安官がその映像を流出させた際に、時の民主党政権において菅直人首相(当時)「国の情報管理がしっかりとした形になっていないことに危機感を強く覚えた」と閣僚懇談会において発言している。


また、仙谷由人官房長官(当時)は国会審議の中で、「我が国の秘密保全に関する法令が、例えば、国家公務員法の守秘義務規定に関する罰則は相当程度に軽い。現在の罰則では抑止力が必ずしも十分でない。秘密保全の法制のあり方について結論を得るよう早急に検討を進めていきたい」と答弁している。


大畠章宏民主党幹事長(当時、経済産業大臣)も、「情報管理という意味では政治的な責任があるが、政府としての情報管理のあり方を全体的に見直すことが必要だ」と述べていた。


半年前まで民主党と連立政権を組んでいた福島瑞穂社民党党首(当時)も、映像流出について、「日中間、国と国の未来を左右しかねない重大なことが簡単に流出してしまうことは、日本の危機管理としてきわめて問題」と、国家機密の保護・管理が必要との認識を示していた。


そうした政党、政治家が自民・公明政権が提出した今回の特定秘密保護法案に対しては、端から廃案(一応、民主はアリバイ作りとして、杜撰な対案なるものを国会閉会ギリギリのタイミングで出したが・・・)と決め込んでの国会対応。


笑止である。


それこそ国民の生命財産を守るため、真剣に、国家の安全保障問題を、党利党略という矮小化したエゴ抜きで、熟慮したのか。


前述した政権を担っていた時点での菅首相をはじめ民主党閣僚や福島瑞穂参議院議員の発言を引用するまでもなく、今回の反対野党の本意は何であるのか、政治信条はどうなっているのか、問い質したくなるのである。


毎日新聞・社説は、この法案成立を見て、「民主主義の後退」、「民主主義を否定し、言論統制や人権侵害につながる法律」という。


朝日新聞も2チャンネルの投稿記事によれば、同法案の解説を簡単な漫画でやっていたが、その例示がどう考えても不適切というより、異なる法案としか思えぬような悪意に満ちた説明を行っている。


そして12月9日に行われた総理会見でも、特定秘密保護法必要論を主張してきた産経新聞阿比留記者質疑応答に、タイミングを合わせたように民放各局がこぞってCMを挟むといった報道は、これまでの一連のネガティブキャンペーンをはってきたこれら民放局の姿勢と併せ、どう考えても放送法の第4条(下の注を参照)に抵触しているといわざるを得ない。


報道各局が自らの行為で、国民の知る権利の道筋を狭め、抹殺しているように思えてならない。


(注)

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

1.公安及び善良な風俗を害しないこと。

2.政治的に公平であること。

3.報道は事実をまげないですること。

4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


メディアとして“知る権利”の侵害を叫ぶ前に、法案の姿を正確に伝える、事実をありのままに伝えるという、そもそもの報道機関としての役割をこそ、見つめ直す必要があるのだと、心底、考えさせられた。


わたしは特定秘密保護法案の成立によって、自らの手で国を守る、真の独立を果たす意味において、普通の国となる手続きがようやくひとつ終えたのだと考える。憲法の改正になるのか、修正になるのか、実態と合わなくなっている現行憲法についても、真剣に議論すべき時期が到来していると思っている。


そして、同時に日米安全保障の問題も、その地位協定とも合わせ、誇りある日本国の安全保障をどう担保してゆくのか、国民的な議論を冷静に、丁寧に進めてゆくべきである。


今回の特定秘密法案の成立に至る過程での大手メディア、言論人など知識人と思われる人々の言動を見るにつけ、誇りある普通の独立国となるためには、真摯かつ冷静な議論を積み上げてゆくという地道な努力が必要なのだと強く感じたところである。


 

朝日という名のつくメディアには愛想が尽きた、一体、どこの国の報道機関なのか?

橋下徹の「慰安婦は必要だった」発言は、なぜ、ここまで批難されねばならぬのか!(2013.5.18)

テレ朝の日曜午前中の“報道ステーション SUNDAY”に慰安婦問題で渦中にある橋下大阪市長が大阪からだがテレビ出演をしていた。


そのなかで、橋下発言に関する韓国や中国、米国という海外での反応について映像が流れたのにつづき、ニューヨークの派遣駐在員に回線をつなぎ、直近の米国の状況を尋ねた。


そして、長野智子メインキャスターが米国務省のサキ報道官の反応について、「サキ報道官がわざわざ橋下市長の発言を取り上げてコメントした」ほどに、この問題に米国が大きな関心を寄せ、憤りを覚えているといったニュアンスの発言があった。


このサキ報道官の会見の詳細を知らぬ人は、あたかもサキ報道官が自らこの問題を取り上げて、この会見で米国の考えを敢えて述べたように思ったのではないだろうか。


16日の国務省での定例記者会見では国際情勢についての質疑が主であり、朝日新聞社の記者の前の質問者は、パキスタンの総選挙で勝利したシャリフ元首相の首相就任式への米国の参列の有無を問うものであった。(以下、会見内容については“極東ブログ”から引用させていただいた。一部、訳は当方で意訳)


その質疑の後に、サキ報道官が、「Why dont we go to the back?  Youve been very patient.(じゃぁ、後ろの方にいきましょう。 さっきからずっと辛抱されてましたからね)」と、朝日の記者を指名している。


その質問は、


「日本の朝日新聞から来ました。橋下大阪市長は最近、いわゆる『従軍慰安婦』問題に言及し、倫理的な点からは受容しがたいとしても、戦時に慰安婦は必要だったと議論しました。また彼は、売春によって性的なサービス提供する他の国の軍隊もあったのに、日本だけが米国や他国から批判されるのは公平ではないとも主張しました。そこで米国としては、米国に向けられた彼の批判についてどのような立場を取りますか?」と、


「米国や他国の軍隊も当時、売春によって性的なサービス提供していたのだから、日本だけが批難されるのはフェアーじゃない」という“米国に向けられた彼の批判”についてどのような立場を取るかというものであった。


そこで、サキ報道官は、次のように述べているのである。


We have seen, of course, those comments. Mayor Hashimotos comments were outrageous and offensive. As the United States has stated previously, what happened in that era to these women who were trafficked for sexual purposes is deplorable and clearly a grave human rights violation of enormous proportions. We extend, again, our sincere and deep sympathy to the victims, and we hope that Japan will continue to work with its neighbors to address this and other issues arising from the past and cultivate relationships that allow them to move forward.


(もちろん、そのコメントは見ている。橋下市長のコメントはひどすぎるし、非礼である。米国の立場は前に述べたように、その時代に性的目的で売買された女性たちに起きたことは、嘆かわしいことだし、それよりもっと、はるかに厳粛な人権侵害であった。われわれはその犠牲者の方々に重ねて衷心より深い同情の意を表します。そして、日本が、過去に起因するこうしたことや他の問題に向き合い、近隣国と議論を続け、その関係を未来へ向けて深めてゆく努力を続けてゆくことを強く望んでいる)」、と。


そして、さらに朝日の記者が、「Do you describe this issue sex slave or comfort women? (この問題を、性奴隷または慰安婦、どう評しますか?)」と、こうした公開会見の場でどうかと思うが、問い質したことに、


Again, I dont know that Im going to define it. You kind of laid out the specific details there, and we have described this issue in the past as comfort women.(繰り返すけど、いま私がそれを定義する必要があるのか分からない。あなた、それこそ、そこに詳細な資料を持っているのでしょ。私たちはこの点は、以前に、慰安婦と述べている。)」と応じ、


Go ahead in the back (次、その後ろの人)」と、次の質問者を促し、その問答を打ち切り、フィリピン沿岸警備隊による台湾漁船銃撃の質疑に移っていったのである。


さらに、後刻、公表された会見記録に、Do you describe this issue sex slave or comfort women? 」の質問に対し、会見場でコメントしたことに加え、わざわざ、注書きが添えられている。


Rather than focusing on the label placed on these victims, we prefer to address the fact that this was a grave human rights violation of enormous proportions. The United States is also committed to working with our partners and allies around the world to denounce modern-day slavery and trafficking in persons no matter where it occurs.(私たちは、これら犠牲者の人たちにどのような符牒を貼るかに関心を置くのではなく、このことが、はるかに厳粛な人権侵害であったという事実に向き合う方がよい。また米国は、今日の奴隷制や人身売買がどこで起きようとも、世界の友好国や同盟国と協調して弾劾することを約束している)」


つまり、米国は日本の野党党首、しかも一市長が言ったことであり、そのことは知ってはいるが、訊かれたから答えた。それに、公開の場でsex slave と呼ぶのか、comfort womenと呼ぶのかと執拗に訊く記者に、少々、業を煮やした感があり、木で鼻をくくったような答弁となっているように思える。


それで、わざわざ、当日の会見記録において、その部分に考え方を丁寧に添えたものと考えられる。


そうした顛末があるにも拘らず、長野智子キャスターがいかにも米国が質問もされないのに、敢えて、橋下市長の慰安婦発言に対し、強い不快感を示したように紹介するのは、物事を殊更に大事(オオゴト)に見せようとしているとしかわたしには思えなかった。


橋下徹大阪市長は、発端となった13日のぶらさがり会見のなかで、「侵略と植民地政策によって周辺諸国に多大な損害と苦痛を与えたことは、敗戦国としてしっかりと認識し、反省とお詫びはしないといけない」と、繰り返し、村山談話の内容を肯定している。


さらに「慰安婦の方たちが戦争によって意思に反してその苦界に身を沈めねばならなかったことについては、よくよく理解をしなければならぬ、そこに想いをいたさねばならぬ」ということも再三にわたって述べており、その部分はサキ報道官が記者の質問に対し答えた内容と同質のものである。


だから、何かこのサキ報道官と朝日の記者の質疑はチグハグというか、日本国内向けの質問を“為にしている”としか思えぬのである。


“報道”はその発言がなされた状況、なぜそうした発言内容になったかその真意をできるだけ忠実に伝えるのが役目であると考える。


その意味で、今度の慰安婦必要発言で同市長が云うように、その文脈を理解し真意を汲み取る報道姿勢を徹底しておれば、こんな大事になることもなかったし、米国で、しかも各国記者の満座の中で、こうした品格を欠く質問をする事態を招くことはなかったのではないか。


なにしろ、橋下氏に、517日の退庁時のぶらさがり会見(youtube)で「“必要”とはどういう定義か」などと問うている記者とのやりとりを聴いていると、そのレベルの低さには暗澹とした気持になったのである。


もう朝日と名のつくメディアにはほとほと愛想が尽きたし、ネットで言われているように、このメディアは一体、どこの国の報道機関なのかと正直に考えてしまうのである。

中山成彬衆院議員、慰安婦問題で朝日新聞歪曲報道を指摘、国会招致を要請

辞任する必要などない、中山成彬国交相(2008.9.28)
中山成彬氏の日教組批判発言は失言か?(2008.10.5)
中山成彬衆議院議員は堂々と信念に殉じて出馬すればよい(2008.10.17)

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8日の衆議院予算委員会において国会復帰を果たした中山成彬(なりあき)議員が、日本維新の会の議員として “慰安婦問題” の歴史認識について言及した。


そのNHK映像がyoutubeにアップされたが、同局の要請により削除されたとしてネット上で騒がれていたことで、わたしは憂国の士、中山成彬議員が慰安婦問題について語ったことを知った。


そこで中山議員のオフィシャルHPに掲載された1時間におよぶ質疑に関する映像を視聴し、予算委員会での発言内容とその際に使用されたパネル資料を確認した。


なお、国会での本会議や予算委員会を含む常任委員会、特別委員会などの審議の様子は、衆参議院のHPにおいて、いつでも“衆議院インターネット審議中継”・“参議院インターネット審議中継”においてライブおよびアーカイブの閲覧が可能である。


実際に景気対策などは財政金融委員会、雇用問題や社会保障問題などは厚生労働委員会で、予算委員会とは異なる具体的かつ専門的な質疑がなされており、その審議内容はすべて視聴可能である。


こうした審議の様子を見ると、一部の政治家はその分野、分野で、専門的知見をもって国政に従事していることを確認でき、少し安心もするところである。ぜひ、この機会に関心ある問題についてその常任委員会の映像をご覧になったらよいと思う。パフォーマンスに偏り過ぎた予算委員会の審議内容とは大きく異なる実質的審議を見ることができ、政治を身近に感じ、見直す機会ともなり、意義があると考える。


因みにインターネット映像は、本日時点では衆議院は20101月から、参議院は20121月からのすべての国会審議を閲覧できる。


さて本題に戻るが、中山成彬議員は持ち時間1時間のなかで、半分の34分をアベノミクスやTPP問題など経済・産業分野での質疑にあてた後、歴史認識について26分間におよび正論を展開した。


とくに慰安婦問題については、戦前の資料を明示し、それが組織的強制的に行なわれたとする歴史認識は事実と反するとして、誤認識の引き金のひとつとなった1992111日付朝日新聞の朝刊一面トップ記事「慰安所軍関与示す資料」について、戦時中、日本軍が発出した文書・“軍慰安所従業婦等募集に関する件”の具体的中身に言及することで、この朝日新聞記事が事実を歪曲して造られたものであることを示した。


さらに質疑の締めくくりにあたって、中山議員は慰安婦問題を含めた歴史認識にかかる教育問題についての集中審議の開催と朝日新聞社の関係者を国会招致することを予算委員会議長へ要請した。


同議員は、“植民地政策のなかで内地と同等に社会インフラ整備を行なった”、“創氏改名は強制ではなかった”など、当時の新聞記事など具体的資料を提示しながら分かりやすく丁寧にそれらの歴史認識について述べたが、慰安婦問題はとくに力点を置いて説明を行なった。


午前中に行われた辻本民主党議員が“外交問題の根幹”とまで位置づける慰安婦問題につき、どこの国の国会議員か分からぬ議論を展開する異様な様とは対照的に、中山成彬議員のしっかりした当時の資料をもとに、朝日新聞社の誤った報道がこの慰安婦問題を韓国の大きな外交カードにまでさせてしまったとする毅然たる態度を見、ひさびさに政治家のあるべき姿に触れ、ある種の清々しさを覚えた。


そして中山議員の「本当に何ていうのかな・・・、朝鮮の方というのは粘り強いというか、しつこいというか、本当にすごいなと思うんですけど・・・」と語る口調に、この政治家のやるせない憂国の情が余りなく吐露されており、こちらも国辱ものの誤解、いやねつ造事案を、事実に基づいた歴史認識までまずは何とか引き戻さねばと歯ぎしりする思いで同議員の心情に心を寄せたものである。


慰安婦問題について以前、わたしは、中華民国(台湾)の評論家で、台湾ペンクラブ賞の受賞者でもある黄文雄氏が著した改訂版「『慰安婦問題』は韓国と朝日の捏造だ 100100答」(出版:ワック蝓20129月発行)という新書本で慰安婦問題の歴史的経緯を学び、頭の整理をすることができた。


そもそも慰安婦問題は、元軍人の吉田清治なる人物が19837月に出版した「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」(三一書房)のなかで、「戦中、自ら済州島で200人の女性を拉致し慰安婦にした」と証言し、この人物を朝日新聞が同年1110日付けの「ひと欄」で紹介したことから慰安婦問題がある政治的意図を以てクローズアップされてきた。


この吉田証言について、前述の「慰安婦問題は韓国と朝日の捏造だ」(黄文雄著)は、以下のように、その証言が嘘であり、捏造であることを証明している。


「しかし吉田の著書が韓国で翻訳出版された際に、それを読んだ韓国の済州新聞の女性記者・許栄善氏が現地取材をした結果、吉田証言はでっち上げであることが判明し、彼女は1989814日の紙面に吉田証言を全面的に否定する記事を書いています。また、秦郁彦教授の現地検証でもねつ造が証明され、吉田自身も嘘を認めました」


そうした胡散臭い事柄であるにも拘らず、朝日新聞は1991811日、「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で船上に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人が」名乗り出たという、事実とは異なる記事を掲載した。(黄文雄・上掲著)


この女性および事の真偽については、同著23頁に詳しく「この女性は従軍慰安婦ではない」と説明があるので読んでいただきたい。


ことほどさように慰安婦問題は、「済州島の郷土史家金奉玉は吉田による証言について、『数年間も追跡調査を行った結果、事実ではないことが明らかになった。この本は日本人の浅ましさをあらわす軽薄な商魂の産物であると考える』と述べている」(wikipedia:慰安婦)ほどに、“為にする”ものであって、そこに政治的意図をもった政治家、一部メディアが後押しをして、現在のような事実とはかけ離れた外交問題にまで発展、一人歩きをして行ったと思うしかない。


この慰安婦問題についてこれまで大きく関与してきた朝日新聞社を、中山成彬議員が言うように、ぜひ、国会招致し、これまでの記事掲載も含め、真実の報道を旨とするメディアとして、その真意および今後の対処について問い質す必要があると考える。


言いっ放しで国益を大きく毀損させておきながら、過去の誤報、歪曲報道について何ら責任を取らぬという態度は決して許されることではない。


わたしもぜひ国会招致を願うところである。


また今回の国会審議を見ていて、中山議員のような識見ある議員が国益を前面に打ち出す極めて常識的な見解を日本維新の会という野党の立場で披歴するというのは、与党では直截に言明出来ぬ事柄について、なかなか巧みな政治環境が整いつつあると感じた次第でもある。

新聞購読を止めて、平穏な日々が訪れた

今年の初仕事といってよいだろう。この2月1日より新聞購読を止めた。

これで毎朝のわたしのブツブツが止まり、家内も静かで平穏な日々が訪れると喜んでいる。

振り返ってみると、わたしの新聞購読遍歴も波乱に満ちたものであった。

親父存命の間は、陸軍少尉で戦後を迎え、バリバリのライトウイングだった男が、なぜか新聞は、“朝日新聞”にこだわり続けた。事あるごとに朝日の社説が気にくわぬわたしであったが、朝日の購読を父が中断することはなかった。

だから社会人になって一家を構えたわたしは、ご多分に漏れず“日経新聞”を購読することとなった。

そして少し家計に余裕が出てきたのだろう、当時江川が好きで巨人ファンだったこともあり、読売新聞も併読するようになった。

その後、新聞社は産業界に規制緩和と自由競争を求める論陣を張りながら、再販制度の特殊指定廃止の機運が高まったときなど、こぞって我田引水の社説を掲げ、自分たちだけは違う、業界権益の擁護に汲々とし、永田町をも巻き込み、その権益を守り通した。

それに嫌気がさし、仕事上、毎日大手5紙を購読すると云った酔狂な時期もあったが、ナベツネの傲慢な言動が目立ち始めた頃、巨人ファンと読売購読を止めた。

そして、いまなお横綱審議会などでその顔を曝す日経新聞の元鶴田社長の赤坂の高級バー遊興費などに関わる関連会社を巻き込んだ経費の公私混同問題、それを糾弾した社員株主の造反などで示した、日経が口酸っぱく経済界に求めたアカウンタビリティ、コンプライアンスの徹底において、まったくといってよいほど、その逆の姿勢を貫いた厚顔無恥さに、日経新聞の購読もスパッと止めた。

そこで、産経新聞購読となったが、これも何だか忘れてしまったが、自社に都合のよいことしか言わぬ、他社と変わらぬ姿勢に嫌気がさし、最後に東京新聞へ辿り着いた。

そして原発問題、エネルギー政策に関わる論陣で、頭から原発ゼロ、原発廃止と決めてかかる報道の在り方に大きな不満を抱き、先の総選挙で未来の党の結党をうけた時の記事など、“これで原発廃止”の大勢の世論を汲み上げる第三極ができたなどと、政党の在り方そのものの議論もせず、浮かれて、よいしょを続けた東京新聞。

2012年末にその購読も止めた。そこで自民党政権となったところで、じゃぁ、産経をと新年から購読したが、元旦の一面で・・・、何だったか中国と戦争でもやれとでも言わんばかりの記事を目にして、こりゃもうイカンと、2013年1月をもって、長きにわたったわたしの新聞購読生活に終止符を打ち、静かに余生を送る生活に入ることとなった次第である。

まぁ、報道はNHKを主体にテレビのニュースとネットで新聞社配信の記事を無料で読めば、腹も立たぬというもの。この続きを読みたい人は有料というネット記事が某新聞社などで試行されているが、その価値があるほどのオピニオンなり記事が万が一出現すれば、“そのしい事実、意見をく”ことにもなろうかと思うが、おそらくこのまま、朝の穏やかな日々を愉しむこととなろう。

石原慎太郎の第3極結集の理由が低レベルで笑わせる

80歳になる石原慎太郎東京都知事が10月25日、緊急記者会見を開き、「今日をもって都知事を辞職する。国会に復帰しようと思っている。新党を立ち上げて仲間とやっていく」とし、都知事の辞職、国政復帰を表明した。

さらに、国政復帰への思いを「最後のご奉公。硬直した中央官僚の支配制度を変えないとダメ。役人と戦っていかないと、この国は沈んで窒息して死ぬ」と語った。

大手メディアはこの石原という話題性には事欠かぬ男が動き、こぞってすわ第3極結集かいや乱立かといった論調で大騒ぎしている。

しかし、メディアを含めて冷静に考えてもらいたい。そもそも石原という政治家がこれまで何ほどの実績を残してきたのか。日本の国益にどれほど貢献してきたというのか。

政治家は口舌の徒にあらず、やってなんぼの世界である。

そのことを検証せずして、いたずらに第三極陣営に大石が投じられたような見方は、甚だ見識に欠けると言わざるを得ない。

この時代、メディアに見識をそもそも期待することが大間違いというのは、世間一般の共通認識になっているようで、前段の表現は適当でないのかも知れぬが、80歳になった都知事が突如噴出した国救いという老いの一徹を理由に、無責任にも4年の任期をわずか1年半で放り出し、好き勝手を許すことなどあってはならぬ。

そもそも国救いを心底熟慮していたのなら、多選弊害が言われるなか、昨年の都知事選に何も4期目を目指すことはなかったはずだ。奇しくも3.11午後の大震災勃発直前の都議会本会議のなかで、立候補を表明。

さらに震災後の14日、石原は再度出馬宣言、事実上の後継候補であった神奈川県知事(当時)の松沢成文はその傍らで立候補断念を表明するという後味の悪い記者会見を覚えている人も多いと思う。

そこまでして都知事を選択しながら、突然の辞任さらには国政復帰表明とは、都民を愚弄し、舐めきった破廉恥漢と呼ぶしかないし、選挙で選ばれる公選知事を“猪瀬で十分”などとオーナー企業じゃあるまいし、どこまで成り上がっているのか、この男は、憤懣はつきない。

昨年、煮え湯を飲まされた松沢成文氏に至っては、“猪瀬で十分”をどう聞いたのだろうか、はっきり“ふざけるな”と吠えれば、次期都知事の目もあろうってものなのに。

そんな人非人が国政復帰、第三極の結集とか話題にすることすら不愉快極まりないのだが、ここは冷静に語らねば、大手マスゴミ、失礼、大手マスコミと同レベルになってしまう。

そこで、石原の政治家としての実績の検証であるが、彼が国政で、また国務大臣として何か具体的な政策を仕上げたという記憶はないし、今回、調べても政治家として特筆するようなものは見当たらぬ。国政に置いて目立つのはやはり青嵐会の活動だけ要は口舌の部分だけだったといってよい。

次に都政をあずかった13年半で記憶に残る“政(まつりごと)”といえば、緻密な事業計画検討もされぬままの新銀行東京設立、そして1000億円におよぶ財政負担。

ディーゼル車排ガス規制で都民の命を救ったと高らかにその成果をひけらかす一方で、土壌汚染が判明している豊洲への強引な築地市場移転の決定を行なうというご都合主義の環境問題無視の姿勢。

視察と称し、公費による妻同伴の豪勢な海外旅行、煮詰まらぬままに猛進し、失敗した東京五輪招致、低所得者に対する都民税減税公約の当選後の一瞥もせず反故、週23日のみの登庁という都民を舐めきった所業の数々。

重度障害者に対し「ああいう人っていうのは人格あるのかね」といった発言に代表される差別発言、傲慢発言の数々・・・、本当に枚挙に暇がないとはこの男の非道をあげつらう時に使う言葉なのだと、本日、気がついた。

そんな男がこの国難の時に、第三極かなんだか知らぬが、俺が中心となって風を起すなどとよくぞほざけたものである。

30日、たちあげれ日本の全国拡大支部長会議の席上で、石原はこう述べたという。「政策のあそこが違う、ここが違う、とつまらんことを言うな。小異を捨てて大同に就かないと、大きなヤマは張れない」と。

日本維新の会やみんなの党と原発政策や消費税増税問題など小異であるとし、野合しようぜと吠えている。理念と現実の問題の妥協をはかるのが政治のはず。その泥臭く地道な調整が政治そのものであるはず。

それを小異を捨ててと言い捨てるこの男。もう怒りを超えて、この低能レベルを笑うしかない。

自分に都合の悪い質問には恫喝や話のすり替えで逃げ続けてきた本質的には怯懦な男、石原の胡散臭さがここに来て、腐臭へと変わり、その毒によりこの日本は奈落へと落とされるのだということをよく肝に銘じなければならぬ。

くれぐれも大手メディアの目くらましに騙されぬよう、今後の政治の動向に五感を研ぎ澄まし、己の基本軸をぶれさせずに大局を過たぬ判断をしてゆきたいと心から思っている。

言葉を商売とする小説家の言葉とは思えぬ、石原のおよそ人の心を打たぬ空疎な単語の羅列、まぁ、かれを一度も一流の小説家などと思ったこともないが・・・、そんな人間の大言壮語、唾棄して痰壺に飛ばしてやればよい。

まだ都知事の仕事をすべき人間が、今度の選挙で当選するかどうかも分からぬ男が、まぁ、よくぞテレビの前で、偉そうにほざけたもんだと心底胸糞が悪いといったらない。

もうこれくらいで止めよう、この怯懦な男と同じ低レベルまでどんどん落ちていってしまうから・・・

理屈の通らぬ子供、韓国には“外道には外道の対応”をするしかない・天皇謝罪要求発言の真相

景福宮光化門
景福宮・光化門

8月17日、野田首相は李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸や天皇謝罪要求発言に「遺憾の意」を伝え、竹島問題を国際司法裁判所に共同提訴することを提案する内容の親書を出した。


それに対し韓国政府は23日に、この親書を返送する方針を表明、同日、在日韓国大使館員が親書を持参、外務省を訪れた。わが国は同員の省内立ち入りを拒否し、受取を拒絶したところ、今度は書留郵便で親書を郵送したという。そうした非礼に対し、日本政府が受け取らぬ方針であることは言を俟たない。

8月10日に李明博(イ・ミョンバク)大統領が島根県竹島に上陸したことに端を発する一連の対日外交強硬姿勢は、あれよあれよという間に、現実感はないが事実は国交断絶にあと一歩といった危機的局面へとヒートアップしてきた。

その原因はひとえに李明博大統領(以下、相手の外交レベルに合わせ、“李明博”と呼び捨てにする)および韓国政府の理屈と礼儀をわきまえぬ外交とも呼べぬ幼稚で稚拙で下品な政治姿勢にある。

また一方で、野田首相は親書返送という例を見ない韓国の遣り口に対し、天皇訪韓をめぐる大統領発言について謝罪・撤回すべきだとの考えを表明した。

そこで、謝罪撤回を要求する李明博の“天皇謝罪要求発言”について、われわれはしっかりとその正確な事実を理解しておかなければいけない。

大手新聞、テレビがこれまで伝えているのは、8月14日、李明博大統領が忠清北道清原(チュンチョンブクド・チョンウォン)の韓国教員大学校で開かれた教育関連の会合において、天皇訪韓の条件として「(日本の植民地統治期に)亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪するなら来なさい」と発言したというものである。

この発言内容だとしても、そもそも天皇が訪韓を希望した事実はなく、国家元首に対する一方的な“無礼”発言であると断じるべきものだが、実際はそんな生易しい表現ではなかったのである。

8月14日、李明博は忠清北道清原の地において発言した真実をわれわれ日本国民は正確に知っておかなければならない。なぜならこれからの対韓外交姿勢の基軸を誤ることになるからである。

実際に語られた部分の直訳は次の通りである。

「日王(日本国天皇)は韓国民に心から土下座したいのなら来い。重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない。(痛惜の念という)言葉で謝るだけならふざけた話しだ。そんな馬鹿な話しは通用しない。それなら入国は許さないぞ」(引用:2ちゃんねる

これが大韓民国の現職大統領たる李明博の口から出た実際の言葉である。

あまりに非礼極まりない、低俗・下劣な発言であったためにこれを伝えた韓国記者も、当初のオリジナル記事を冒頭の「亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪するなら来なさい」といった形に後刻、削除・訂正して、いわば意訳?した記事を流したのが事の真相だという。

日本の大手メディアは事実の報道というメディア本来の使命を果たしていない。

事実を伝えるといたずらに反韓感情を煽る、あるいは韓国政府のご機嫌を損ねるとでも下衆が勘繰ったのか、李明博の実際の発言内容を隠ぺいしている。

報道機関は政府ではない。メディアが外交関係に配慮し事実を事実として伝えぬことは、わが国の国益を毀損し、対韓外交の考え方を誤った方向へと向けさせてしまうことにつながることを、十分に自ら認識すべきである。

また政府もここに至っては、ただ天皇に謝罪を要求した発言に対する謝罪・撤回要求というだけでは、国民にはちょっとやり過ぎではとの懸念も持たれかねない。

李明博が正確にどう発言したかを、野田総理、いや、さすがに礼節をわきまえて玄葉外務大臣は国民に説明すべきである。

不法占拠の島根県・竹島へ大統領までが上陸、“重罪人に相応しく(日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇の)手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる”との言語道断、無礼発言、首相の親書返送といった厳然たる事実を踏まえての対応であれば、やるときはやる、理屈の通らぬ子供には、“ならぬものはならぬ”と一喝するのが外交の王道であると、品格ある国家のなすべき筋であると国民も全面的に支持するはずである。

この局面において“大人の対応を”などと云うのは、国家の誇りを汚すことにほかならず、外道には外道の相手の仕方があることを政府も国民もよく肝に銘じて、今後の対応に万慰労なきようせねばならぬ。

“冷静に”などとこの期に及んで言うのは苛烈な決断のできぬ怯懦(きょうだ)な輩の妄言であって、いまは国益毀損の切所にあるのだから、沈着にして峻烈な、戦後初めての果断、勇断が求められる局面であるといってよい。怒らねばならぬ時には思いっきり怒るのは事の道理に適っているのだということを、日本人も思い出す時期が来たということである。

今後、国家としての誇りをもった毅然たる行動に出ることを政府に祈ってやまぬところである。


「社会保障と税の一体改革」というマヤカシで国民を洗脳する民主党と大手メディア

以前からメディアが民主党の云うが儘に「社会保障と税の一体改革」という言葉を、あたかも実態があるかのように使用し続けるのが、どうもわたしは気にくわない。


民主党が云う「社会保障と税の一体改革」とは何のことはない、消費税率の5%アップ、すなわち増税案のことのみを意味しているだけなのに、「一体改革」という言葉は、あたかも「2009マニフェスト」で約束した社会保障抜本改革へ向けての具体的行程表、それを支える詳細な数字・試算が、増税負担と表裏一体で提示されているかのような錯覚を覚えさせる。


民主党が一体改革と云うのであれば、それに値する内容があって初めてその言葉は使用されるべきであり、権力のチェック機能を果たすべきメディアが、増税案に関する一連の動きを報じる時に、決まって「社会保障と税の一体改革」という民主党の標語・願望を批判なく使用していることに、わたしは常々大きな違和感を覚えている。


5%の増税分の使途に限ってもその説明はフラフラと定まらず、「社会保障支出に限って消費税増税分は使用する」と語って来た民主党の大原則もいとも簡単に捨て去ったような当初の説明に、わたしも唖然としたものである。


そして、そもそも消費税および社会保障改革について民主党は「2009マニフェスト」でどう約束したのかを、もう一度、思い起こしておく必要がある。


これは何も揚げ足取りをするものではなく、20099月に発足しすでに二年半が経とうとする民主党政権下で、彼らが標榜(ヒョウボウ)した社会保障改革が具体的にどう制度設計が進められて来ているのか、どのような修正が図られようとしているのか等々、「社会保障と税の一体改革」という言葉が各種メディアで日常的に氾濫している状況のなか、少し頭を整理しておく必要があると考えたからである。


“消費税”について、2009年の「民主党政策集・INDEX2009」では、国民に次のように約束している。


消費税に対する国民の信頼を得るために、その税収を決して財政赤字の穴埋めには使わないということを約束した上で、国民に確実に還元することになる社会保障以外に充てないことを法律上も会計上も明確にします。


具体的には、現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します。将来的には、すべての国民に対して一定程度の年金を保障する「最低保障年金」や国民皆保険を担保する「医療費」など、最低限のセーフティネットを確実に提供するための財源とします。


税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提となります。その上で、引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します。・・・」と、


“社会保障制度の抜本的改革”が消費税率アップの前提であり、その抜本策の具体的内容と消費税率の引上げ幅をセットとして国民に提示し、国民の審判を受けたのちに具体化する、すなわち、法案を提示して解散を打ち、総選挙で国民の判断を仰ぐと約束している。


その「社会保障制度の抜本的改革」の目玉としてマニフェストで麗々しく謳ったのが、


O  年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します

O  後期高齢者医療制度の廃止と医療保険の一元化をします


の大きく二つの一元化政策である。


その目玉政策の具体的制度設計の提示なしに、増税案のみの審議を優先させることなど、あってはならぬのである。


2年半たった現在、社会保障改革の具体的審議は国会でなされていないし、それ以前に民主党内での具体的制度設計の議論や法案化へ向けた地道な活動の姿もまったく見えぬのだから、政治生命をかけて消費税増税を成し遂げると野田首相が悲壮感を漂わせようと、国民はしらけるしかないし、マニフェストでは具体的約束もしていない“5%引上げ”のみが突然、降って湧いたように法案提出されるというのでは、それで国民が納得するはずがないのは当然の道理である。


INDEX2009」で「公平な新しい年金制度を創る」として、次のように国民に約束した。


「危機的状況にある現行の年金制度を公平で分かりやすい制度に改め、年金に対する国民の信頼を確保するため、以下を骨格とする年金制度創設のための法律を2013年までに成立させます。

(1)すべての人が同じ年金制度に加入し、職業を移動しても面倒な手続きが不要となるように、年金制度を例外なく一元化する

(2)すべての人が「所得が同じなら、同じ保険料」を負担し、納めた保険料を基に受給額を計算する「所得比例年金」を創設する。これにより納めた保険料は必ず返ってくる制度として、年金制度への信頼を確保する

(3)消費税を財源とする「最低保障年金」を創設し、すべての人が7万円以上の年金を受け取れるようにすることで、誰もが最低限の年金を受給でき、安心して高齢期を迎えられる制度にする。「所得比例年金」を一定額以上受給できる人には「最低保障年金」を減額する

(4)消費税5%税収相当分を全額「最低保障年金」の財源として投入し、年金財政を安定させる」と。


消費税5%税収相当部分は全額「最低保障年金」の財源として投入すると約束しているのである。


増税の使途がフラフラしていること自体が、何も社会保障制度の抜本改革案が民主党内および政府に存在しないことを明らかに物語っているのである。


またそんな不実な政党の「社会保障と税の一体改革」の標語を、批判精神もなく安易に使用する大手メディアは、民主党があたかも具体的制度案があるかのように国民を欺き洗脳することに、手を貸しているのだと言わざるを得ぬのである。

鉢呂経産大臣「死のまち」発言と意図的な一部大手メディアの報道

国会議事堂


「取り囲む記者団の一人に防災服の袖をなすりつけるようにして『放射能をうつしてやる』などと語った」ことについては、この報道がその通りだとすれば、これは原発を所管する担当大臣の発言として、即、『レッドカード』である。政治家いや日本人として、そもそも発すべき言葉ではない。野田佳彦首相が語る国民の心に寄り添う、国民目線の「どじょう政治」とは対極に位置する発言である。

 

民主党の政治家たちはどうしてこの手の『国民の心に寄り添わぬ』言葉を次から次へと繰り出すのだろう。政権を担っているという緊張感や重責感が見事なまでに微塵も感じられないのである。

 

鉢呂吉雄経産大臣も「放射能をうつしてやる」発言に関しては、それ相応の重い責任を取らねばならぬ。

 

この「うつす」発言の前に、大手メディアで大きく伝えられたのが、同じ鉢呂大臣の「死のまち」発言である。

 

この発言は鉢呂経済産業大臣が、野田佳彦首相に同行した98日の福島県視察について、9日の閣議後の記者会見でなされたものだが、一部大手紙はその「死のまち」という表現について、「原発事故やその後の対応で政府の責任が問われる中、担当閣僚自身が周辺地域を「死のまち」と表現したことは波紋を呼びそうだ」(99日付読売新聞)、「「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」と語った。「死の町」との表現に配慮を欠くとの批判も出そうだ」(同日付産経新聞)と、不適切であり今後問題となるとの見方を伝えた。

 

鉢呂大臣の「死のまち」発言の詳細は次の通りである。

 

「東京電力福島第一原子力発電所事故の(略)現場は、まだ高濃度で汚染されていた。(中略)大変厳しい状況が続いている。福島の汚染が、私ども経産省の原点ととらえ、そこから出発すべきだ。事故現場の作業員や管理している人たちは予想以上に前向きで、明るく活力を持って取り組んでいる。3月、4月に入った人もいたが、雲泥の差だと話していた。残念ながら、周辺町村の市街地は、人っ子ひとりいない、まさに死のまちという形だった。私からももちろんだが、野田首相から、「福島の再生なくして、日本の元気な再生はない」と。これを第一の柱に、野田内閣としてやっていくということを、至るところでお話をした」

 

この発言を、前後の話の流れのなかで素直に耳を傾ければ、「死のまち」という語感は少々きついものの、「原発事故現場は事故発生当時の極限状態と比べれば雲泥の差で落ち着いてきているが、原発周辺の町の方は、残念ながら依然として、荒涼として悲惨な状態のままである」と、原発事故の悲惨さを目に映ったまま正直に語ったものだと云える。

 

表現がややストレート過ぎたのかも知れぬが、「うつす」発言とは異なるもので、不見識とか不誠実というのとは別次元の話だと云ってよい。

 

「死のまち」発言について一部メディアが大騒ぎするのに慌てたのか、台風豪雨被災地を視察中だった野田首相が、自分が任命した大臣の釈明も聞かずに、記者団に対し「不穏当な発言だ。経産相には謝罪して訂正してほしい」と述べたのも首相としての見識を疑うところである。

 

またその発言を受けた鉢呂大臣が謝罪、撤回したのも、自分の発した言葉にあまりにも責任を負わぬ、言葉が命のはずの政治家としての適性を著しく欠くものであると断じるしかない。

 

そして、この謝罪撤回に追い込んだ読売新聞などが、「鉢呂経産相「死のまち」発言を撤回、陳謝」との見出しで次のように報じたのも、あまりに意図的であると、メディアの報道姿勢として問題が大きいと指摘せざるを得ないのである。

 

即ち、「『被災地の皆さんに誤解を与える表現だったと真摯に反省し、表現を撤回し、深く陳謝申し上げる』と述べ、発言を撤回した」と報じたのである。鉢呂大臣は発言を撤回したのではなく、表現を撤回した、すなわち、伝えるべき事実を撤回するのではなく、表現が不適切であったので表現のあり方を撤回すると云っている。

 

だから、本来であれば、「表現を撤回するのであれば、今度はその町の様子をどう表現するのか」と、聞き返し、大臣が伝えたかった事実を報じればよいのではなかったのか。

 

どうも言葉狩りと言おうか、揚げ足取りと言おうか、メディアの意図的報道のあり方にも、いまの政治を混乱させる原因があるように思える。

 

鬼の首を取るのには大きな勇気がいる。しかし、いまの政治家、民主党政権は怖ろしい鬼にはほど遠い、大衆のご機嫌をとるのに汲々とする小心者の集まりである。大臣を辞めさせればメディアの勲章、勝ちであるとばかりに、意図的な報道、表現を駆使するメディアの方こそ、社会の木鐸などちゃんちゃらおかしい、国民を愚弄する獅子身中の虫であると言わざるを得ない。

 

メディアも政治も、どっちもこっちも、国民軽視も甚だしい、権力をもてあそぶ輩(ヤカラ)であると、非力で醒めきった国民は嘯(ウソブ)くぐらいしか能がないのが、正直、切ないところである。

 

ヤレ、ヤレ、本当に困ったものだ・・・

吐き気がする「菅直人の北朝鮮系政治団体献金」と「口をふさぐメディア」の深い闇

721日の参議院予算委員会で自民党・山谷えり子議員は、菅直人首相の資金管理団体「草志会」が、北朝鮮による日本人拉致事件容疑者の親族が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表=元参議院議員・社民連代表 田英夫の娘婿)から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」(奈良握代表)に、計6250万円の政治献金をしていたことについて、その真意を質し、拉致被害者家族の方々への謝罪を求めた。

 また、都内でパチンコ店を経営する在日韓国人から「草志会」が104万円を受け取っていた問題で、7日の同委員会における自民党・礒崎陽輔議員の質問に対し「314日に返金し、領収書は弁護士が預かっている」 との首相答弁があったが、同議員は領収書の委員会提出を求めた。本件はその後、参議院予算委員会の理事会で協議され、提出の要請につき菅首相に伝達されていた件でも、山谷えり子議員が同委員会での提示を求めた。

 この件について菅首相が見当外れの返答を意図的に繰り返したため委員会は紛糾、与野党の筆頭理事による場内協議を委員長が要請し、休憩に入り、36分後に再開を見た。震災復興の第二次補正予算の素早い成立を目指さねばならぬ予算審議において、首相自らが起こした問題で不誠実な国会答弁に終始することで、無為の時間を浪費している。自身の保身のためには、被災者の方々の一日でも早く生活支援をとの悲痛な叫び声に一切耳を傾けぬ、これが菅直人の正体である。

 このやり取りはNHKで実況中継されていたが、菅首相が領収書の提示をここまで頑なに拒絶し、また、北朝鮮系政治団体に6250万円もの多額の献金を行なっていた件でも被害者家族への謝罪を執拗に拒否し続けた。その姿は異様であり、何がそこまでさせるのかと謎が深まるばかりである。

 拉致実行犯とずぶずぶの関係の団体に民主党は二億円以上寄附しているということに対して、家族会の皆様に申し訳ないと思っていらっしゃいませんか」という山谷議員の質問に対し、何度もその意をはぐらかし謝罪を拒み続ける菅直人は、どこの国の利益を擁護する人物なのか、さすがに気味が悪くなってきた。

 そして、山谷議員が参考人として招聘した拉致被害者家族会事務局長の増元照明氏が発言した。

増元照明氏の「菅総理の資金管理団体から、この市民の会、市民の党への、市民の会の献金問題、本当にこれあっていいものだろうか。これが、私たちがこれまで闘ってきて、そしてようやく北朝鮮金正日総書記に拉致を認めさせる流れをつくったこの流れの中で、再びまた私たちが闘わなければならない闇が生じているのではないかという危惧を私は今現在考えています」という強い憤りの言葉が悲しく私の耳朶を打ったのである。


 信頼どころか裏切り行為ともいえる北朝鮮系政治団体への2億円献金問題は、一国の指導者、さらに政権与党としての資格そのものが問われる重大事件である。一国の安全保障の根幹に関わる事件であるからである。

 そうであるにも拘らず、実はこの山谷えり子議員と菅首相の質疑は、実況中継したNHK7時のニュースでも他局のTVニュースでも一切、報じられていない。それどころか、大手新聞社もなぜかその質疑、献金事件自体を記事に取り上げていない、また大きく報じていない。産経新聞と関西テレビで報道されているのみのようである(一部、朝日新聞社が小さく報じてあった)。

 このこと自体がまた非常に不気味なのである。メディアが本来、厳しくチェックするべき国家の安全保障問題で、なぜ、こうも足並みをそろえて押し黙るのか。気味が悪いし、家族会の増元氏のいう「日本の社会の闇というか、政治の闇」を覗きこんだようで、背筋がうすら寒くなってくる。

なぜ、メディアは北朝鮮系政治団体への献金問題について、口をつぐむのか!

日頃、声高に「真実を知る権利」を謳うメディアに一体、何が口を閉ざさせているのか、その闇は深く、不気味でさえある。

 わたしには拉致問題を金正日総書紀が認めた後にも、菅直人という人物がこの北朝鮮系政治団体と30年来の親交を維持し続けているという一点だけでも、一国の首相としての正当性はないと断じるしかない。また、2億円以上の献金を行なう民主党自体も、この国の国益を著しく損なう危険な政党であると認識せざるを得ない。

 マニフェスト違反とか、内閣不一致だとか、原発事故対応の稚拙さとかいうレベル以前の、政権を任せることの本質的部分において、極めて深刻かつゆゆしき事態が、いま、あぶり出されている。そのことを国民がはっきりと意識し、事実の解明を厳しく要求、監視し続けなければならぬと考える。

 また、なぜ、メディアが口をつぐむのかも大きな謎である。途方もなく大きな力が作用しているのか、メディアにとって何か不都合な陥穽に嵌ってしまったのか、こちらもネット等で声を挙げ続けて行かねばならぬと考えている。

 横田めぐみさんの母、早紀江さんが菅首相の献金問題を知り、「何を信じていいのか分からない。政府を信じていいのか・・・、吐き気がする」と語った意味はあまりに大きく、重い。



ニューヨーク・タイムズの赤字とネット人口20億人へ到達

米新聞大手のニューヨーク・タイムズが19日に79月期決算が426万ドル(約35千万円)の赤字であったと発表した。前年同期に3560万ドル(約29億円)という大きな純損失を計上して以来、4四半期ぶりの赤字であった。


売上高は前年同期比で2.7%減少の55400万ドル(約450億円)に止まった。購読料収入が4.8%減の落ち込みを見せる一方で、広告料収入も1.0%減と引き続き減少したことが減収、延いては赤字の要因となった。広告収入減の内訳を見ると、インターネット広告は14.6%と二ケタの伸びを示したものの、従来からの収益の柱である紙広告の5.8%の減少が全体収入の足を引っ張ることになった。


その同じ日に国際電気通信連合(ITU)が、2010年内に世界のインターネット利用者が20億人に達する見通しとの報告書を発表した(ニュースソースはCNN)。


その報告書によると、世界のネット利用者は過去5年間で倍増。就中、途上国の利用者の伸びが顕著で、今年の純増22600万人の72%にあたる16200万人が途上国の新規利用者となっている。


ただし、地域ごとにネット利用の普及率を見ると、欧州で人口の約65%がネットを利用しているのに対し、アフリカでは未だ10%に満たないなど、依然、先進国と途上国との格差は大きいと報告している。


ITUはその報告書のなかで、携帯電話の契約件数がこの年内に世界人口の8割近い53億件に達するとの見通しも併せて発表している。その契約の内訳を見ると、全体の72%に当たる38億件が途上国における契約であるとし、固定電話の普及率の低い途上国での携帯端末の契約数の急増ぶりが伺われる。


ITUの報告書が述べるこうした傾向は、今後、ますます、ネット利用者数の急増を予想させるもので、ニュース等ネット配信の多様化の動きと併せ、広告媒体の紙からネットへという雪崩現象をさらに加速させるものである。


新聞社に限らずテレビなどを含めた旧来スタイルの大手メディアが、紙面・テレビ画面でのニュース配信、それに合わせた広告といった事業モデルの存立基盤が急速に浸蝕され、崩壊しようとしている。


NYタイムズ社の赤字決算が、日本の大手メディアの現在の窮乏がさらに深刻化する予兆のように思えてならない。


また、そうしたメディア媒体の世界的大変革の時代に、我が国メディアの日々の紙面づくり、番組づくりなどを見るにつけ、その危機感のなさ、時代のスピード、変化への順応度、適応力の低さなどがひどく目につくのが、実際に気になるところである。

臓器移植テレビ報道のあり方に疑問!!

  平成21717日に改正された「臓器の移植に関する法(改正臓器移植法)」が、この717日から施行された。

 

昨日(89日)、その改正臓器移植法に基づき、脳死と判定された患者さんの家族が、故人の生前の口頭による意思を尊重し、初めて臓器移植に承諾した。

 

そして、本日、故人の尊い臓器は摘出され、臓器提供を待つ患者さんに対する移植手術が全国で実施されている。

 

 そのこと自体をわたしはここで批判する意思は毛頭ない。

 

私ども夫婦も臓器移植については、平成17年から「臓器提供意思表示カード」((社)日本臓器移植ネットワーク)に臓器提供の意思あることを承諾・署名し、家内と共に常時、そのカードを携帯している(このカードで「臓器を提供しない」との意思表示も可能)。私どもの臓器がその移植により、新たな命の歩みを手助けできることは、社会に生かされて来た人間としてきわめて意味のあることだと考えているからである。

 

ただ、今日のテレビ報道を観ていて、摘出された臓器をここまで追跡して報道をする必然性があるのかと疑問とともに不快感を覚え、メディアが伝えるべき情報とは何なのかと考えさせられた。

 

もし、わたしが臓器提供を承諾した当の家族であれば、肝臓は東京都の東大病院へ、心臓が大阪府、膵臓は愛知県、腎臓は群馬県へと、臓器が入った保冷ケースが各病院内に搬入される映像が流される度に、「不快感」を覚え、「こんなことであれば、承諾しなかった方がよかった」と、深い反省の念に苛(さいな)まれたのではなかろうかと思ったのである。

 

何か自分の愛する家族の尊い命、臓器がバラバラにされ、各地にまるで宅配便のように配送される。テレビ局がテレビ画面の向こうには物見高い見物客がたくさんいるのだと勝手に思い込み、声高にその様子を放映している。その映像を目で観ることが、何か、不謹慎であるかのような気持ちに襲われた。大切な家族の尊い遺志である提供臓器が、切り刻まれ、一個の無機質な物として配られてゆく。そう感じたのである。

 

家族にとって最も辛い愛する人の「死」に加えて、さらに故人を鞭打つような無神経な報道映像・・・。保冷ケースの中には、愛おしい家族の臓器が入っているのである。それを目の前に見せつけられる。そして、全国の見知らぬ人たちにまで、その光景が曝される。

 

決して故人はそんなことは望んでいなかったのではないのか。ただ、人間として当然のことを、静かに淡々と進めてもらいたいと願っていたのではないのだろうか。そう思ったのである。

 

臓器移植はこれまでも日々、行われている手術である。しかし、今回は、改正臓器移植法後の本人の書面での意思表示がない初のケースでの臓器摘出、移植という事例であったため、ニュース価値があるとのメディアの判断であったのであろう。

 

そのこと自体は、報道すべき意味はあると考える。

 

しかし、その尊い臓器が各地に運ばれ、搬入先、臓器名まで詳しく伝える意味、意図は何なのか、わたしには分からない。少なくともわたしは、臓器を提供された故人とそれを承諾されたご家族の臓器提供に対する深い理解のお気持ちはよく分かっているつもりだ。

 

だからこそ、今日のテレビ報道に、メディアが伝えねばならぬ情報とは何なのか、彼らは真剣に考えたうえでの今回の報道なのかと、大きな疑問と視覚に訴えるテレビメディアのあり方に、ある種の不快感と憤懣を覚えたのである。

 

 

金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚招聘で曝す民主党とメディアの醜態

 20日未明に政府がチャーターした小型ジェット機で来日した金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚の一挙手一投足がテレビ各局をはじめ新聞等で細かく報道されている。本来であれば静かな避暑の日々を楽しんでいるはずの旧軽の別荘の人々も、はた迷惑なことと思っているに違いない。

 

 金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚は、1987年、大韓航空機爆破事件で115人の無辜(ムコ)の人々を殺した人間である。北朝鮮という凶暴な国家の意思の下で行ったミッションであったことはわかるが、「115人の尊い命」を一瞬にして奪ったテロリストであることも、また一方で消し去ることの出来ぬ事実である。

 

 そうした人物を、差し向けたチャーター機でまるで国賓のように迎えた民主党政府。加えて、来日以降のTV局を中心とした時々刻々の密着報道は、まるでどこかの王妃や大スターを追っかけまわしているようで、その薄っぺらなジャーナリズムに辟易とする。

 

 本来、四半世紀前の事実しか知らぬ人物から、しかもこれまでも警察当局などの事情聴取が重ねられている人物から、拉致問題の重大な新事実が出て来るはずがない。拉致被害者家族の方々の、藁にもすがりたいとの悲痛な気持ちはよく分かる。だからこそ、政府は北朝鮮政府との交渉、あるいは一層の経済制裁など新たな動き、地道で継続的な努力がなされなければならぬし、被害者家族の心をいたずらに弄ぶような行動は控えるべきはずのものである。

 

 民主党政権になって、沖縄普天間の問題そしてこの拉致問題など外交課題について、地に足のついた地道で実効的な手が打たれているとは到底思えない。逆に「最低でも県外」と発言した普天間基地移設問題の迷走や金賢姫元死刑囚に対するヘリコプター遊覧ツアーのサービスなど、用意周到で巧緻な外交とはおよそ対極にある、幼稚で法的詰めすらちゃんと行なったのかさえ疑われる始末に、日本国民として心底恥ずかしさを覚え、こうした政府に危うさを感じるのである。

 

 今回の金氏の来日について、英インディペンデント紙は「ジェット機爆破事件の北朝鮮元工作員が日本で歓迎される」と題し、「もっともありえないスパイ物語」だと皮肉ったうえで、「日本国籍の偽造パスポートで大韓航空機爆破を試み、一度死刑を宣告された金元工作員は、東京の羽田空港で逮捕されなければならない。にもかかわらず、彼女の地位は犯罪者どころか、まるで要人扱いだ」と、日本政府の対応に疑問を呈しているという。

 

 一方、お隣の韓国では、朝鮮日報が「金賢姫元死刑囚が訪日、専用機などVIP待遇」と題した記事を21日付で配信している。そのなかで、「日本のテレビ局による中継映像によれば、金元死刑囚が乗った車を中心に10台が高速道路の追い越し車線を走り、女性の警備担当者を乗せた車が走行車線を同じ速度で並走していた。さらに、それをマスコミの取材車両約20台とヘリコプター7機が追った」と、日本メディアのお目出度い狂騒ぶりを報じている。

 

そのうえで、「日本政府は通常、懲役1年以上の刑罰を受けた人の入国を認めていない。金元死刑囚が工作員時代に日本の偽造旅券を行使した犯罪行為の時効も過ぎていない。このため、批判的な世論もある。しかし、日本政府はそうした壁を超え、法相による特別許可という方式で、金元死刑囚の入国を認めた」と、今回の超法規的な措置について、英インディペンデント紙同様、政府の法的措置についてもその妥当性に疑問を投げかけている。

 

日本の報道もそうした見方やオピニオンを発信してないわけではない。しかし、テレビという視覚に訴える「垂れ流し」報道の力は、そうした冷静なメディア報道を圧し去っているのが実態である。

 

昨日のNHKのニュース報道で、「『ヘリコプター遊覧』と、ネットなどで批判されているヘリコプターでの移動も予定通り行われた」と、もって回った表現があったが、NHKも、もっとはっきり、今回の元死刑囚招聘の政府の目的と意義、そしてその成果について、批判の目をもって毅然とした報道をすべきである。

 

拉致被害者家族の気持ちに寄り添い過ぎの報道では、「本当の努力」を怠っている政府の目くらましパフォーマンスの愚かさを追求することはできぬ。さらに、他国も問題視するテロリストの超法規的入国など、もっと問題とすべき点は多数ある。そして貴重な税金を使い、どのような成果を挙げ得たのかなど、政府の見解を厳しく問うべきである。

ブラックノート、なぜ続くTBSの不適切な取材と報道

昨年125日、TBSは「報道特集NEXT」において「ブラックノート」という偽造紙幣詐欺事件のドキュメントを報道した。その取材の中で容疑者宛ての郵便物を無断開封したり、詐欺であることを突き止めた段階でも警察への通報を怠り、容疑者の国外逃亡を許した。その取材過程や報道姿勢について、TBS当局やBPO放送倫理・番組向上機構)へ視聴者からの批判が相次いでいるという。

 

TBSはこの3年ほどを見ても、報道機関として首を傾げざるを得ない問題をたびたび引き起こしている。以下にその主なものをいくつか列挙する。

 

  2007122日、328日の「みのもんたの朝ズバッ!」において、不二家の期限切れ原材料の使用問題につき、みのもんたが捏造とも思える情報を元に同社に対し「廃業発言」を迫るがごとき厳しい批判を行ない、その信用を著しく貶めた。

  200765日、関東アマチュア選手権ゴルフ大会に出場する石川遼氏の同伴競技者などに、「ピンポン!」関係者がプレー中の盗聴を依頼。

  20082月「みのもんたの朝ズバッ!」で放映された「幼児割り箸事故の医療裁判判決報道」における判決要旨の不正確な理解に基づく不適切なコメント。

  2008年9月に起きた千葉県東金市の児童殺害事件で、TBS女性記者が知的障害を持つ容疑者をカラオケ店に誘い、それを映像に納める。障害者が被疑者という状況のなかで、弁護団がTBSの不適切な取材や報道のあり方に対しクレームを呈したが、同局は当該映像を流し続けた。

  200810月、「サンデージャポン」において、大阪府門真市の保育園の畑が道路建設用地として行政代執行で強制収用される場面で、収容前日に現場に並ばせた園児らの映像をあたかも収容当日のことのようにして放送。

  2009411日、『情報7days ニュースキャスター』で、国と地方の「二重行政の現場」の具体例を演出するため、大阪府南部を通る国道26号と大阪府道の清掃作業において常識ではあり得ない清掃作業の手順を業者に依頼し、そのように行なわせ、その映像を流した。橋下徹大阪府知事は「行き過ぎた表現と(TBSは)言っているが、事実ではないわけだから虚偽だろう。私的流用がなければ裏金じゃないといっている行政の弁明と同じ」と厳しく糾弾した。

 

以上にあげた事例意外にも不適切な報道は多数あるが、前掲はその一部に過ぎないことは、正直、驚きを隠すことはできない。

 

 こうした不正確、不適切な報道や取材のあり方については、BPOの放送倫理検証委員会や放送人権委員会から幾度も勧告や見解が出されている。そして、その都度、TBSは神妙な反省の弁と全社を挙げて再発防止に努める旨、言明して来たのは周知のことである。

 

 それにも拘らず、また、「ブラックノート」である。仏の顔も三度までという諺があるが、こうやって見ると、TBSの社内には仏様が無尽蔵にいらっしゃるとしか思えない。冗談はさておき、これだけ性懲りもなく反省もなくこうした報道を続けるTBSという企業は、その体質ならびに社員の意識そのものに問題の根があるとしか考えようがないのである。

 加えて致命的なことが、この繰り返される不適切な報道がジャーナリズムの根本精神に基づくものではなく、視聴率を稼ぐためのコマーシャリズムに毒されたものなのではないのかということである。

 

 放送法は第1章の2「放送番組の編集等に関する通則」の国内放送の放送番組の編集等」において第3条の2で次のように規程している。

 

放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

1.公安及び善良な風俗を害しないこと。

2.政治的に公平であること。

3.報道は事実をまげないですること。

4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

この条文を素直に読んで、これまでの多くの番組におけるTBSの不祥事を一覧すれば、少なくともこの企業は、その各号を遵守する気などないのだと見られても仕方がないと言える。

 

 電波法は、その第二章「無線局の免許等」の第13条「免許の有効期間」において、「免許の有効期間は、免許の日から起算して五年を超えない範囲内において総務省令で定める。ただし、再免許を妨げない。」と規程している。これまでも放送事業者の免許更新は五年ごとになされているはずなのである。しかし、遵法精神のない、懲りない放送事業者であれば再免許を交付する必要はないのである。

 

 20081031日に直近の再免許の更新は行なわれた。その際、総務省は過去の更新時に行なってきた個別放送局に対する事情聴取という再免許ヒアリング手続きを踏むことなく、免許交付を行なった。デジタル化移行を直前に控える特別な時期であるとは言え、度重なるTBSの不適切、いや悪質とも言える取材・番組編集のあり方に対し、免許交付権限を有する総務省が最低限のチェックすらせず免許再交付を行なったことも、TBSのコンプライアンス意識の欠如を助長したと言えなくもないのである。

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