彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

権力の素顔

福島消費者・少子化担当大臣の署名拒否問題、閣内不一致明らか!5

 普天間問題で福島瑞穂社民党党首が閣議決定や閣議了解への署名拒否の場合、首相発言に止めることもあるとした平野官房長官発言は、国民の政治不信に拍車をかけるだけのあまりに姑息で国民を馬鹿にした所行。なぜ、いま、民主党内に良識ある声があがらぬのか。筋をなくした政治に明日はないし、そうした国は滅亡の道を辿るしかない。背筋を伸ばした政治を期待したい。

山岡賢次国対委員長の「雲の上発言」に民主党の本性を見た

教科書検定に「歴史に向き合う姿勢」を問う!(沖縄集団自決問題)(上)2007.4.4

教科書検定に「歴史に向き合う姿勢」を問う!(沖縄集団自決問題)(下)2007.4.4

二つの資料館が語る戦争の異なる実相――ひめゆりの塔を訪ねて(上)2007.4.4

二つの資料館が語る戦争の異なる実相(下)2007.4.4

 

 われわれは、54日の鳩山首相の沖縄訪問で、「最低でも県外」が素人同然の軍事知識や安全保障の考え方に基づいたものであったことを知り、愕然とさせられた。そして、「最低でも県外は公約ではない」との発言には、その無責任さに唖然とさせられたところである。

 

その直後の6日、今度は山岡賢次国対委員長が、「女性議員ネットワーク会議」の最後の挨拶で、「国会は、国民の生活を守るための立法府。普天間の話や政治とカネの話は、直接国民の生活には影響していない。間接的にはあるかもしれないが」と述べ、「(公立高校無償化や子ども手当は)大きな評価をいただいている。普天間の問題に掻き消されているようで残念だ」と語った。そして、「地方の人に聞くと、普天間は雲の上のような話で、子ども手当は自分たちの生活の話だという思いがあるように感じる」と驚くべき暴言を吐いた。

 

それに対し即座に、沖縄県の伊敷郁子糸満市市議会議員が発言を求め、「沖縄県民は国民じゃないのか」、「(沖縄)県民を冒涜(ぼうとく)している。民主党は国民の生活が第一なんでしょう。なぜ私たち県民の生活を守るためやらないんですか」と、声を荒げて抗議した。

 

会議後も報道陣に囲まれた同市議は、「私たちにとって普天間は政局でなく、生活の問題。生活が破壊されているから早めに撤去して欲しいと、生活者の視点で言っている。私たちは国民じゃないのか。沖縄の人はずっと差別され続け、これでいいのかと申し上げたかった」と、山岡国対委員長の発言を激しく批難した。

 

『ひめゆりの塔』の悲劇の舞台となった糸満市の伊敷議員が、歯軋りするように怒りを露わにしたのは当然である。先の大戦において創氏改名まで強いられた(「ひめゆり平和祈念資料館」に当時の新聞等と共にその実態資料が展示されている)沖縄県民のこれまでの深くて辛い思いが、伊敷議員の言葉の内に迸(ほとばし)っているのが痛いほど私の胸に伝わって来た。

 

「沖縄県民は国民じゃないのか」、「沖縄の人はずっと差別され続け」と咽喉から絞り出された言葉はあまりに重く、切なくわたしの心に突き刺さったのである。

 

この批難の対象となった山岡議員は過去においても色々と暴言を吐いている。特に200710月の大島理森自民党国対委員長(現幹事長)との会談において、「私らはアイヌ人の血を引く蛮族だ」と、差別的発言を行なったことは、今回の差別発言とその源を一つにするように思う。

 

それは、この山岡という人物がそもそも日本という国の成り立ちや歴史をちゃんと理解し、納得しておらぬ証拠ではないのか、そう考えるしかないのである。そうした発言を繰り返す人間が一方で、外国人参政権(「永住外国人に対する地方参政権(選挙権)付与法案」)には極めて積極的であることが、また、この人物の政治的立ち位置を不可解に見せる。

 

 そして、鳩山首相といい、この山岡国対委員長といい、民主党幹部の相次ぐ沖縄県民軽視の発言に、この民主党政権の底の浅さ、政権担当責任能力の欠如を認めざるを得ない。そこに民主党の国民目線とはほど遠い、痩せ細った本性を垣間見た気がしたのである。

旧自民党政治へ先祖帰りした民主党に絶望!

 鳩山総理のその場しのぎの発言や小沢幹事長のあこぎなやり口など、最近の民主党政治のあまりの体たらくさ、傍若無人振りにあきれ果て、加えて、民主党に多くを期待し過ぎた自分の愚かさを恥じて、しばらく政治に関するコメントを控えてきた。

 

 しかし、「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律案」(高校無償化法案)や「平成二十二年度における子ども手当の支給に関する法律案」(子供手当法案)の参議院選挙前の4月・6月施行を最優先とした国会審議のあり方や、普天間基地移転問題への朝令暮改も甚だしい無責任な対応振りを見せつけられては、もう口をつぐんでいるわけにはいかない。

 

 冒頭のまず参議院選挙ありきの強引な国会運営や安全保障の根幹である日米関係に亀裂を生じさせている普天間移転の問題に、ゆうちょ銀行の預け入れ限度額問題の迷走。そして、過去最大規模の22年度予算(92.3兆円)の成立と過去最大規模の新規国債発行(44.3兆円)、国債依存率(48%)と、悪い意味での過去最高の更新予算、などなど。かなり昔の自民党の利益誘導型の政治が、この時代に亡霊のように蘇えってきたようである。

 

 いずれにせよ、こうした対応は国民の思いとは大きく異なり、国民目線からはほど遠い政治と言わざるを得ない。

 

 昨年916日に国民の大きな期待を担ってスタートした鳩山内閣も、最近の政治的迷走の繰り返しにより、国民の我慢の限界もこれまでというかのように、内閣支持率は33%へと釣瓶落としに急落(読売新聞424日全国世論調査・前回357日調査は41%)。

 

然るに自民党の支持率は横ばいから逆に下落(同20%→16%)という惨状。挙句の果て、国会議員たった6名の政党である「みんなの党」の支持率が4%(同3%→4%)へと上昇、民主、自民に次ぐ支持率を得るなど、本当にこの国、どうなっちゃったのと言いたい。

 

 まぁ、これは、民主に失望した国民の既存政党に対する切り捨ての証であり、その負託を受け得る本格的な政党が存在しないことの証であると、評論家風に言えばそうなのだが、それとて犬の遠吠えにすぎない。

 

 そして、ここに来て、平沼赳夫元経済産業相、与謝野馨元財務相らによる新党の党名が「たちあがれ日本」と決まり、この10日の旗揚げが確実になったと報じられた。新党立上げの中心となった平沼、与謝野両議員は自民党の中でも政策通で通り、筋を大切にする政治姿勢にある種の安心感はある。

 

 しかし、この新党構想も基本大綱など党のビジョンを見ぬことには何とも言えぬが、どうもご両名の70歳、71歳という年齢に引っかかるのか、清新さを欠くのか、国民の盛り上がりには大きく欠けると言わざるを得ない。もう10年早ければという気がして残念である。

 

 さらにこの「たちあがれ日本」の党名は石原慎太郎東京都知事が命名したということだが、政治家たるもの政治信念こそ命である。新党の党名にその信念を語らずして、他人からの借り物で立上げようというのも、どうもわたしにはしっくり来ないのである。

 

 いずれにせよ、この国は本当に夢も活力もない三等、いや五等国に成り下がってしまったようだ。その責任は政治家ではなく、わたしを含めたこれまで選挙権を有してきた国民にあることは言うまでもない。脱力感、無力感、虚無・・・、いや、自己嫌悪、自業自得、因果応報・・・。どんな言葉で今の気持ちを表わせばよいのかまったく分からぬところに、いまの問題の根の深さがある。

民主党の検察批判・メディア批判は、政権与党として非常識

 小沢一郎幹事長の政治資金疑惑に関して、三人の元秘書が逮捕された。その事件に対する検察庁の捜査のあり方に対し、政権与党、公党として異常とも思われる反応を民主党は示している。


 まず、石川知裕衆院議員と同期の民主党衆院議員による「石川知裕代議士の逮捕を考える会」(会長・福田昭夫衆院議員)が結成され、その初会合が18日開かれた。出席者は、政府内からの政務官4人と首相補佐官1人を含む13人であった。同会は法務省や検察庁から話を聞く意向を明らかにしている。


 また
同日の党内役員会において、弁護士資格を持つ議員による「捜査情報漏えい問題対策チーム」の設置を決めた。幹事役の小川敏夫参院議員は「検察からマスコミへ捜査情報が漏れているのは明らか。強大な捜査権限で収集した情報を流すことは捜査の在り方として許されない」と述べている(読売新聞)という。

 

一方で、16日の民主党の党大会後に、森裕子選対委員長代理(参議院議員)が「検察をトップとする官僚機構と国民の代表である民主党政権との全面的な戦争です。一致団結して最後まで戦う」と熱っぽく語ったのも印象的であった。同氏は、19日のTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」でも、「水谷建設からのヤミ献金情報は検察のリーク情報で刑務所にいる元水谷建設幹部の証言だ。佐藤栄佐久元福島県知事の公判が示すように信用できない」などと、検察庁のリークする情報をあたかも真実のように断定的に報じるのはおかしいとメディアの報道のあり方にも言及した。彼女を見ていると、なんかオカルト教団の教祖様を必死で擁護する信者のように見えて、朝から不快な気分に襲われた。

 

かように、小沢一郎幹事長の政治資金関連団体の疑惑にかかわる民主党議員の検察庁への過剰反応は目に余る。またリーク情報に基づくメディア報道批判も、これまでの各種事件報道のあり方の延長戦上での報道であり、今回が特別に偏った報道であるとは見えない。この点も批判するのであれば、これまでとどう具体的に異なるのかを述べたうえで、批判すべきと考える。

 

本来、検察庁の捜査を信じるところから始まらねばならぬ政権与党が、先頭切って検察批判を繰り返し、ヒートアップする。これから起こる小沢氏以外の事件についても個別に民主党は検察庁のリーク等捜査のあり方に、偏っているとして口を挟んでゆくのか。どう考えても、常識的な大人のやることではないように思えて仕方がない。

 

私は小沢氏が潔白だと言っているのだから、早く検察の任意の事情聴取に応じ、国政の混乱を一刻も早く終息させるのがやるべき最初のことだし、そう進言するのが与党議員の責務だと考えるがいかがであろう。

 

鳩山首相の検察批判容認は指揮権発動への道筋

小沢政治献金疑惑、特捜の隠し球、金沢敬氏が詳細暴露


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日の民主党大会で小沢一郎幹事長は、石川知裕衆院議員ら一連の元秘書逮捕の検察の動きを受けて、「(検察が)意図してかどうか分からないが、わが党の大会の日に合わせたかのような逮捕が行われている。到底このようなやり方を容認できない。私は断固として、このようなやり方、あり方について、毅然として自らの信念を通し、そして、(不当な捜査を行なう検察と)戦っていく決意である」と、今後、検察当局と全面的に対決してゆく覚悟を披歴した。

 

そのような覚悟にある小沢氏に対する鳩山由紀夫首相は、「小沢氏を信じています。どうぞ戦ってください」と同幹事長の検察庁への宣戦布告を容認し、しかも全面的肩入れをするものであった。何せ、あなたを「信じている」から「戦ってください」なのだから。

 

それを耳にした時、多くの人はある種の戸惑いを本能的に覚えたのではなかろうか。だって、総理大臣は検察庁をその一機関として内包する行政府のトップにある人物なのだから。検察庁は必死に巨悪を暴こうと日夜戦っているのだと信じてやるのが、そもそも総理大臣のあるべき、正しい姿なのではないのか。

 

鳩山首相は行政府の最終責任者、もっと言えば、指揮権発動により捜査の中止を命じ得る法務大臣の首のすげ替えが可能な唯一の最高権力者なのである。その最高権力者が、検察批判を目の前で堂々と行なった人物に対し、熱いエールを送るなどもってのほかである。あまりに能天気、不穏当な発言であり、最高権力者としての自分の立ち位置がお分かりになっていない、総理大臣としては不適格だと、残念だが申し上げるしかないのである。

 

それほどに今回の発言、いや失言は重い。この発言は、取りようによっては権力を恣意的に行使する恐ろしさを剥き出しにしたものとも言える。そして、その怖さをどうもご当人が気づかずにいることが、こんな人物に国政を任せてしまった本当の怖さがあると、いまわたしは、胆汁を呑み込むような思いで悔いているのである。

小沢一郎献金疑惑、特捜の隠し球、金沢敬氏が詳細暴露

小沢一郎にモノ申す!!=東京地検特捜部、陸山会等への一斉強制捜査

山岡国対委員長、政治と金の問題、国会議論は不要

鳩山・献金問題が贈与税納付で落着?おかしいだろう!!

恫喝で天皇を政治利用した小沢一郎=独裁者が正体を現わした!

習近平副主席、天皇陛下との会見、あからさまな政治利用

小沢訪中団、屈辱の一日=いつこの国は中国の属国になったのか

タイミングよすぎる小沢一郎秘書の逮捕?=郵政民営化疑惑(09.3,4)

鳩山首相の検察批判容認は指揮権発動への道筋(2010.1.17)


 小沢一郎幹事長の政治献金疑惑を巡る関係者は、政治献金の複雑な経路以上にややこしいので、まず、その人間関係をよく整理してから本題に入ることにしよう。

 

 一番目は石川知裕民主党衆院議員(36)である。

同氏は北海道11区を選挙区とし2005年総選挙に初出馬するも落選。2007327日、民主党衆院議員の荒井聰氏の北海道知事選出馬に伴なう議員辞職により、比例繰上げ初当選を果たし、現在、2期目を務める。同氏は早稲田大学在学中より小沢一郎氏の書生となり、以後、議員になるまで私設秘書を務める。その間、2000年から2004年まで陸山会の事務を担当し、陸山会の会計責任者であった大久保隆規氏を補佐した。その関係で、2009312日に東京地検から小沢氏の西松建設献金問題で任意の取調べを受けたが、容疑は否認した。その後12月に二回目そして2010313日に地検特捜部より三度目の事情聴取を受けている。

 

二番目は金沢敬氏(41)である。

ここに来て東京地検特捜部の隠し球的存在として登場して来た感のある人物である。同氏はその小沢氏の元秘書であった石川知裕民主党衆院議員の元秘書であった。小沢氏から見れば孫秘書?の位置付けであったことになる。後述する今回の同氏の爆弾発言も、このような人的関係から、資料隠蔽等の小沢氏からの指示が直接、金沢氏に行われたのではなく、石川氏を通じた間接的な指示であることに、今後、その告白の信憑性の弱さが指摘される懸念が存在する。

 

 三番目が200933日に逮捕、24日に起訴された小沢事務所の元公設第一秘書の大久保隆規容疑者(48)である。

逮捕容疑は西松建設からの企業献金を隠すため、ダミー団体を通して受け取っていたとされる政治資金規正法違反の罪である。その初公判が昨年の1218日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で始まった。同氏の経歴は1991年から99年まで釜石市の市議会議員をやり、その後市長選に立候補するものの落選。その直後、小沢氏の秘書となった。当初は私設秘書の地位にあったものの、次第に小沢氏の信任を得て、公設第一秘書として同議員の資金管理団体である陸山会の要となる会計責任者を任されるまでになった。

 

 さて、本日、金沢敬氏は自民党本部において同党からの意見聴取に応じた。その場で同氏は「昨年特捜部が陸山会の事務所を家宅捜索する際、石川氏に頼まれ証拠資料を隠すのを手伝った」と述べた。そして大久保公設第一秘書が逮捕された昨年の33日に石川氏から任地の札幌で電話を受け、東京の陸山会事務所へ急きょ赴き、証拠隠蔽工作を手伝ったと証言した。

 その際、石川氏の「隠せるものは隠したが、自分の衆院議員会館事務所も捜索が入るかもしれない」との指示で、翌4日に同氏事務所にあった鹿島や西松建設などゼネコン関係の名刺や資料を黒いナイロン製のボストンバッグに詰め込み、バッグは一度松木謙公民主党衆院議員の事務所に預けた
などと非常に具体的な説明を行った。  

 

 

そして、「今、私がこういうふうにすべてのことを公にしているのは、このようないきさつ(石川氏との確執)があったのもそうだが、『やはり』みたいな人間が議員バッジを付けてやっていることに非常に違和感を覚える。一つは金にだらしない。もうひとつは女にだらしない。こんな人間がやはり国民の税金で議員バッジを付けているというのは非常に違和感を覚えるということで、私は事実を話をしているという状況だ」と、永田町の暗部を示唆するような怒りの言葉も発している。同時に、18日召集の通常国会で参考人に呼ばれれば出席する考えを表明した。


今回の金沢敬氏の意見陳述は、これまでの永田町の世界では極めて異例であり、あまりの直截な告白に自民党議員もある種の戸惑いを覚えたようで、その陳述が個人的な恨みなどで事実を超えた部分があるのではとの懸念も隠しきれないでいる。

 

 だが、わたしはその話に、一部に感情が入り込んだ誇張や事実誤認がある可能性は否定できないものの、その供述があまりに具体的で詳細であり、日時の特定なども報道で知る限りは整合性が取られているように思われ、その信憑性は大きいと考える。

 

 そして、今日の発言が当然、東京地検でも供述された内容であることを考えると、これはとんでもない疑獄に発展することは確かである。そして、そのことは経世会を軸として築き上げられてきた日本の政治資金の吸収構造が、根っこから掘り起こされ、明るみに曝される大きな一歩につながる予感が膨らんできているのだと言えるのである。

 

 加えて、そうした戦後政治の暗部にかかわる部分であることから、金沢氏が早めに特捜に身柄の安全を求め、自民党本部で記者を入れた公開意見陳述を行ったことは賢明であったと言える。さらにこれから日本の政治構造の暗部を解明するということへ、この問題が発展してゆくことを考慮すると、小沢一郎議員ひとりに止まらず、民主党、自民党、さらにはその他の政党にも多かれ少なかれその火の粉が降りかかることも十分予想される。

 

 であるからこそ、国民は今後、この問題の行方については小沢氏一人ではなく、与党民主党にフォーカスするでもなく、長年、甘い蜜を吸ってきた自民党にも、監視の目を十二分に光らせておく必要がある。政権交代がとんでもない政治革新を惹起するのかも知れない。その思いは、いま私の中で、小さな期待から大きな確信へと確実に変わろうとしている。

小沢一郎にモノ申す!!=東京地検特捜部、陸山会等への一斉強制捜査

小沢政治献金疑惑、特捜の隠し球、金沢敬氏が詳細暴露

12日の小沢一郎民主党幹事長の記者会見は、小沢議員の会見態度もさることながら、メディアの連中の不甲斐なさも、同様に腹が立った。

しかし、小沢幹事長の「捜査中につき何も今の段階で言えない」と何も言わないと言うために、前もって記者からの献金疑惑に対する一括質問を徴する行為には、正直、驚いた。土地購入資金の疑惑に関する説明を求めることが主たる目的の会見である。以前から一貫して、自らは法を犯す行為はしていないと言ってきた御仁の会見である。言語道断にもほどがある。国民を馬鹿にするにもほどがあるというものだ。

そして13日の名古屋での小沢一郎議員のコメントがまた冴え過ぎている。

「国民も理解してくれる」だって?

あんなふざけた記者会見を開いておいて、国民が理解してくれると、本当に思っているのだとしたら、小沢一郎という男は、とてつもない大バカ者と言うしかない。また、国民なんか本当のところ眼中にないと、思っているのであれば、それこそガリガリの権力亡者であるし、恐ろしく勘違いした独裁者である。

どちらにせよ、12日の会見と13日の小沢民主党幹事長の発言が、国民、メディアそして検察庁を本気で怒らせたことは確かである。

そして、このことによって、民主党が自浄作用を働かせる動きをとらない場合は、国民を敵に回すことになることを、民主党議員はよく知らねばならぬ。

東京地検特捜部による、陸山会、鹿島建設本社、石川知裕衆議院議員事務所等への一斉強制捜査が13日夕方に始まった。法の下に平等な国家であることを、トコトン、小沢一郎という傲慢な男に知らしめて欲しいと強く思うし、真相解明を徹底して行ってもらいたいと心から願う。

山岡国対委員長、政治と金の問題、国会議論は不要

山岡賢次国会対策委員長は9日、鳥取市内で行われた講演のなかで、政治活動をめぐるカネの問題で自民党が小沢幹事長や鳩山首相の母親らを参考人招致しようとする動きに対し、「一切応じないつもりだ。政治とカネの問題をいくら議論しても、国民生活は一向によくならない。先に国民生活を救済すべきだ」と、発言した。

  

 現下の情勢で景気対策が焦眉の急であることは、わたしにも異論はない。

 

しかし、与党No1とNo2が政治献金疑惑にまみれている真っ只中で、政治とカネの問題を国会で議論する必要がないと言い切る、この厚顔無恥ぶりには開いた口が塞がらない。

 

あれだけ野党のときには自民党の政治管理団体による事務所経費の架空計上疑惑に対し、やるべき法案審議も拒否し、証人喚問、参考人招致と騒いでいた民主党ではなかったか。そして山岡衆議院議員はいま与党の国会対策委員長として、国会の健全で透明性ある運営を進める責任者の地位にあるのではないのか。そうした立場にある人間の発言である。看過するわけにはいかないのである。

 

民主党政策集INDEX2009の項目「政治改革」のなかで「政治資金の透明化」について以下のように、はっきりと謳っている。

 

「政治に対する国民の信頼を回復するため、政治資金の実態をガラス張りにして国民の監視のもとにおきます」と。

 

「国民の監視のもと」とは、国会でトコトン議論し、政治とカネの疑惑があれば、国民の前で堂々と明らかにして見せることを云うのではないのか。

 

山岡賢次議員も過去において、政治とカネの問題で胡散臭い話が幾つか取り沙汰されている人物である。そんな人物が今回のような発言をすれば、「国民を馬鹿にし、甘く見るんじゃね〜ぜ」と、馴れない啖呵を切っても見たくなる。


 そして、序でに、「子ども手当だけやっちまえば、マニフェストを守ったことになるなどと、ゆめゆめ思うんじゃね〜ぜ!!!」ってな。

鳩山・献金問題が贈与税納付で落着?おかしいだろう!!

 鳩山由紀夫首相が資金管理団体の偽装献金事件で、元公設第一秘書の政治資金規正法違反の罪で在宅起訴されたことを受けて、24日夜、国民に向けた記者会見を行った。そのなかで、「国民のみなさまに深くおわび申し上げたい」と謝罪した。「鳩山辞めろという声が圧倒的になった場合、国民の皆さんの声は尊重しなければならない」と、辞任する気はないが、国民が言うのならば辞任も考えると自身の進退問題も語った。

 

そして27日午前、恒例となった官邸前のぶらさがり会見で、母から多額の資金提供を受けていたことを受け、約6億円の贈与税を納税したことを公にした。しかも「修正ではなく申告して(約6億円を)納税した」と胸を張るようにして付け加えた。
 

 何せTVなど大手メディアのこの問題に対する扱い・論調は、あまりに温かく、国民もいまひとつ理解しがたいのである。加えて、庶民にはあまりに金額が大き過ぎて、よく事の重大性がわからぬところに、この問題の難しさがあるように思えてならない。

 

「お金持ちって、そうなんだ〜」

「年に18千万円もらってても知らない」って、言ってみたい・・。

「大富豪って金銭感覚がズレてて常識がないんだ。仕方ないのかもね」

 

「億」なんて単位の金額に縁のない庶民には見当もつかぬ、浮世離れした気分で、つい、妙に納得してしまう。あの気弱そうな鳩山由紀夫総理のきょとんとした眼をする表情を見てしまうと、「私は一切、知りませんでした」「6億円の贈与税を支払います」と、サラリと言われると不思議と怒りが分散してしまうのである。庶民の貴種に対する弱み、憧れを巧妙に使ったメディア対策でも駆使しているのではと、勘繰りたくもなる状況である。

 

 そして、こともあろうに「お金持ちにはお金持ちだからこそのこうした苦労もあるんだよな」なんて、分かったような同情的な気分にさえ、つい、陥ってしまう・・・。危ない!危ない!(`□´)コラッ!

 

 しかし、よくよく、この事件、敢えて事件と呼ぶが、その経緯を踏まえて考えてみると、これはずいぶん庶民を愚弄した悪質な脱税事件ではないかということに気がつく。

 

 月1500万円の財産分与、生前贈与は母の鳩山安子の口座から、子供の長女和子、長男由紀夫、次男邦夫にそれぞれ同額、行われている。月で合計金額4500万円、年にすると54千万円もの、気の遠くなるような多額の資金移動が、親から子へと長年にわたって行われて来たのである。

 

 当初、安子の関係者は、それは貸付金であると釈明していたが、そうであれば、長女和子への資金も同様に貸付金でなければおかしい。果たしてそうなっていたのか?

 

 そして長女が贈与税を払っていたのであれば、由紀夫、邦夫兄弟も、その資金を贈与と認識していなければならぬし、長女が払っていなければ、政治管理団体でもない個人が、それだけの多額な金を定期的に受け取って何も知らなかったというのも極めて不自然な話である。

 

 だから、実は長女がどう対応していたかが、一番気になるところである。だが、大手メディアもそのことを、意図的にか、なぜだか詳らかにしていない。

 そして、鳩山首相は今回、これが贈与であることをようやく明らかにした。しかし、そこは修正ではなく、気がついたので事後的に「申告」したという巧妙な形で決着をつけようとしている。悪質な税逃れではない、非課税特権を有する政治管理団体を悪用した相続税逃れのようなことはしていないと言っているのである。
 

 2010度予算を見ても分かるが、この国の税収は37兆円まで落ち込んでいる。われわれも貧者の一灯で所得税、住民税、そして一時所得があった時は、一時所得税をちゃんと払っている。そうした納税額が落ち込んでいる時代に、サラリーマンはガラス張りで納税する一方で、もし大金持ちが税金逃れを長年にわたって意図的に行っていたとしたら、それは到底、許される話ではない。

 

 この問題は、国のトップにある為政者自身の税金納付義務の意識のあまりの低さなのか、悪質な脱税犯罪なのかという視点でよく見ておくべき必要があるのである。

 

そもそも安子の財布である「六幸商会」は石橋・鳩山家の資産管理会社である。資産管理会社とは富豪一族の相続対策を目的に設立されることが多い。したがって、節税を旨とするのは当然であり、税のプロが顧問として目を光らせているのが普通である。そこに介在する人間は決して税の素人などではないのである。税のプロ中のプロと言ってよい。

 

 そうした人間が絡む今回の献金問題で、月々1500万円もの資金移動が、最低でも7年もの長きにわたって一銭の税金も払わずに行われてきた事実は、大きく受け止められなければいけない。

 

 気がついたので「申告」しますで、すまされる問題では決してないのである。今後、国税庁の積極的かつ厳正な調査に期待したいし、ぜひ、この事件の真相を国民の前に明らかにして欲しい。

恫喝で天皇を政治利用した小沢一郎=独裁者が正体を現わした!

 以下に記すのは14日の天皇特例会見にかかる小沢一郎民主党幹事長の記者会見での発言の抜粋である。

 

「何とかという宮内庁の役人(羽毛田信吾宮内庁長官)が、どうだこうだといったそうだが、日本国憲法民主主義というものを理解していない人間の発言としか思えない。どうしても反対なら、辞表を提出した後にいうべきだ。当たり前でしょ、役人なんだもん」

 

「天皇陛下のお体、体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないですか」

 

天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」

 

天皇陛下国事行為は内閣の助言と承認で行うことだ。それを政治利用だとかいったら天皇陛下、何もできないじゃない。内閣に助言も承認も求めない天皇陛下が勝手にやんの?」

 

 一方で、以下は、天皇陛下がご結婚満50年に際する記者会見(H.21.4.8)でのご発言である。


日本国憲法にある『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』であるという規定に心を致しつつ、国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています」

 

「象徴」とはどうあるべきなのかを求道者のように追求してこられた陛下の筆舌に尽くせぬご苦労を思うと、正直、胸が熱くなる。

 

 そのお言葉から窺い知れるご心労を思ったとき、「天皇陛下が勝手にやんの?」という小沢一郎の思い上がりとも取れる無礼なひと言に、「日本国民統合の象徴」に対する尊敬の念の一欠けらも感じられない。逆に権力に驕り高ぶった独裁者の恫喝を聴くようで、とても気分が悪い。そしてこんな為政者を野放しにさせておくのは非常に危険であると強く思った。小沢一郎という人物がとうとうその正体を国民の前に現わしたと言ってよい。恫喝を武器とする独裁者としての素顔を・・・。

ちょっと待て、強行採決、話が違うぞ民主党!!=「返済猶予法案」たった一日の審議

最近の民主党の遣り口には、率直に疑問を呈せざるを得ない。それもこれまで同党が自民党政治揶揄してきた政治の透明性という問題だけでなく、悪質性の高い隠蔽の気配なり、嘘で誤魔化そうといった国民に対する不誠実な態度が目につくのである。

 

 「中小企業等金融円滑化法案」(返済猶予法案)が衆議院財務金融委員会で審議入りしたのは18日である。その翌日の19日には、同委員会で自民・公明両党欠席のまま採決が強行された。それにつづく20日未明の衆議院本会議でも、自民・公明党などが退席するなか強行採決が行なわれた。

 

 審議日数がたった一日の強行採決にはさすがに呆れたが、その採決を強行したことについて民主党の国対委員長が「何といわれても、国民生活を守ることが大事」と語り、鳩山由紀夫総理が「強行採決というより、審議拒否だ。審議拒否みたいなこと、お互いにやるべきではない」と答えるにいたっては、もう何をか況やである。こんなやり方で国民の生活を守ってくれと、われわれは民主党に頼んだ覚えはないし、一見、誠実に見える鳩山総理の口からこんな詭弁が飛び出すなど思ってもみなかった。

 

 野党時代の言動と較べて、今回の強行採決という国会運営は呆れ返るものの、官房機密費についての平野博文官房長官の説明は、国民に嘘にも等しい不誠実で稚拙対応を行なったという意味で、悪質性高いと言わざるを得ない

 

 平野官房長官は政権発足直後の917日の記者会見では機密費について「そんなものあるんですか。全く承知していないからコメントできない」と語ったが、1ヵ月半後の115日の会見では、政権発足前後に河村建夫前官房長官から引き継ぎを受けていたことを認めた。

 

このことを好意的に見れば、野党時代の2001年に機密費支払記録作成や公表の義務化を謳った「機密費改革法案」を提出したことやその後も使途の公表を迫っていたことなどとの整合性に苦慮したことは想像に難くない。

 

しかし政権の座につくや否や「そんなものあるんですか」では、これまで同党が言ってきた透明性の高い政治とは真逆の言動であると断じざるを得ないのである。機密費に関する一連の官房長の発言は「おとぼけ」という表現ですます話とは自ずから性質が異なるというものだ。

 

国益に反するものを公開する必要のないことは、われわれでも分かる。だから正直に最初から「野党時代の機密費公開という主張は言い過ぎであった。政権を取ってみて分かった部分は大きい。国益に関する機密性が高いものについては、公開等透明性の確保については「機密費改革法案」の精神を生かしつつ、国益の担保を前提に然るべく対応する」と言えばよかったのだ。「そんなものあるんですか」は、腐った政権党の辞書にしか掲載されていない言葉であることを、平野官房長官は知るべきである。

 

 さて、政権を民主党へ、二大政党政治を選択したいとするのは、小沢一郎民主党幹事長でも、鳩山由紀夫総理の思いでもない。ほかならぬ国民がそうあって欲しいと願ったから、その一歩として政権交代が実現できたのである。しか、それはあくまでも民意を反映する透明性の高い政治を国民が期待してのことであることを民主党は忘れてはならない

 

 然るに、今、われわれが目にしている国会の状態は、自民党政権時代と何ら変わることのない光景である。野党時代から強行採決は国会軽視だと憤慨し、数による暴挙は許せぬと拳を振り上げていた政党が与党になった途端、全く同じ行動をとったさらに、来週には各委員会で短時日の審議を行い、すべての法案を一斉に通すと息巻いているという。これは、判然言って、国民に対する裏切り行為である。いやそれ以上に、声高に自民党の政治手法を非難してきた分だけ、一層、罪は重いと言わざるを得ない。攻守処を替えた山岡国対委員長が強行採決という国会運営について「国民生活を守ることが大事」と嘯(うそぶ)いたなどは、笑止千万と言うものである。

 

 さらに、小沢幹事長、鳩山総理にかけられ政治献金疑惑に絡、この強引な国会審議日程のごり押しがあるのだと言われるのも、実際に疑惑隠しと言われても致し方ないところである。

 

 政府・与党の実質的なNO1の人物に対する献金疑惑である。あらぬ嫌疑であるというのなら、堂々と国会の場、国民の目の前で説明すればよい。現在の審議時間もないような国会運営では、疑惑の目が向けられていることを何とか糊塗しようとしているとしか見えぬのは、「普通の国民」の「普通の感想」である。

 

 また、鳩山総理の、日々その傾向は強まっているようだが、暖簾に腕押し的な態度が気になる。総理のそうした言動が、国民が期待した透明で分かりやすい政治とは対極にあるものだからである。支持率が低迷を続けたかつての自民党政治のと変わらぬのである。そして、それ以上に革新を期待した分だけ、その失望感と怒りは限りなく大きなものとなってゆく。

 

 このままでは、国民の期待する自民党政治の大掃除は出来ず仕舞いで、尻切れトンボのままこの政権交代劇は水泡に帰してしまう。もう一度、民主党は目覚めて欲しい。国民目線の政治への回帰を・・・。

民主党政権が政権交代でやるべきことは何であったか?

八ッ場(やんば)ダム建設中止の大きな意義(2009.9.24)
  
民主党、政権交代=静かなる革命は成就するか?(2009.9.5)

政権交代! Yes or No?(2009.8.14)
  
  民主党への期待が心の中で急速にしぼみ始めている。政権交代でわたしが望んだのは、長年の自民党政治、官僚支配政治による利権構造の洗い出しとその解体にあり、無駄遣いをなくし、国民の幸せの向上のため効率的に税金を使う政治を行うことである。

 

 然るに最近の民主党政府の発言を見ると、どうもその根本のところが違ってきているように見える。もう一度、政権交代を求めた国民の真意を再確認して欲しいのである。

 

 最近の報道各社の世論調査では、マニフェスト実現よりも赤字国債増発を慎重にすべきだとの回答が多数を占めている。マニフェストに書いてあるからと言って、直ぐにすべてを行なわねばならぬ訳ではなく、また、すべての政策を国民が容認したわけでもないことを、民主党は理解すべきである。

 

 それは民主党がこれだけの大勝をしたのは、加藤紘一自民党元幹事長がいみじくも予算委員会で語ったように「民主党が総選挙で勝ったのはマニフェストのためではなく、自民党のオウンゴールだった」のだから。

 

 そしてマニフェストは、高速道路の原則無料化(1.3兆円)や子ども手当ての創設(5.3兆円)、農家等の戸別所得補償制度の導入(1.4兆円)、公立高校の実質無償化と私立高校生の学費支援(0.9兆円)など、さまざまな分野での無料化や手当の支給を謳っていた。

 

ただ総選挙前から自民党や国民もその財源についてはどうするのか、現実的なものを示せと問い質してきた。それに対し「埋蔵金や行政の無駄遣いを洗い出すことで可能だ」と、民主党は反駁してきた。

 

実際にマニフェストでは、子ども手当、公立高校の無償化など民主党の新政策実行に、平成25年度までに16.8兆円の所要財源に対し、「国の総予算207兆円を徹底的に効率化。ムダ遣い、不要不急な事業の根絶」で9.1兆円(以下、平成25年度までに目標値実現)、「埋蔵金の活用や政府資産の売却」で5.0兆円(同)、「すべての租税特別措置法の見直しと配偶者控除・扶養控除の廃止による公平で透明な税制を創る」で2.7兆円の合計16.8兆円を充当できるとした。

平成25年度までで新政策の実施による支出増は、赤字国債なしで行財政の見直しにより帳尻が合う形となっているのである。

 

これからの4年間で政策を実施するのに際し、財源の大宗(84%)は徹底的な行財政改革によって捻出する形となっていた。税制改正による財源捻出は、租税特別措置の見直しや配偶者控除による16%であったのである。消費税はあらたな年金制度の設計議論のなかで行われるというのが、わたしの理解であった。

 

自民党政治の利権構造の下で行われていた税金の不公平な使用を抜本的に見直し、税金の無駄遣いをやめさせるのでどうか政権を取らせてくれ、民主党はそう主張していたのである。だから、国民も、「そうだな、自民党では難しかろう」と、政権交代を認めたのだ。

 

 しかし、来年度予算の95兆円にものぼる概算要求といった政権運営を見ていると、マニフェストの諸策を盛り込む予算作成を急ぐあまり、そもそもの国民との約束がなおざりにされ始めていることに危惧を表明せざるを得ないのである。

 

わたしは膨大な財政赤字をなくしてゆくのに奇策はないと考える。経済の早急な回復と、民主党の言うようにまずは税金の無駄遣いの徹底的な排除を行うべきである。最初に手をつけるべきは、行政の無駄遣いに大ナタを振るい、乾いた雑巾を絞り込むようにそれをトコトンまでやるのが、民主党政権に期待された責務であったはずである。

 

その無駄遣い排除の進捗を見ながら、政策ごとに優先順位をつけ、逐次、マニフェストに謳った諸施策を、再度、国会で本当に必要かどうかを議論しながら実施してゆくのが、筋と言うものではなかろうか。

 

そして、本当に必要な政策を遂行するに際し、最後に財源が足りないとなって初めて「公平で透明な税制を創る」の2.7兆円の財源手当ての議論になるのではないのか。わたしは財源捻出の手順もそのように理解していた。

 

そう思っていたところが、現在の予算議論は、消費税はさすがに俎上に上らぬが、税の見直し議論の方が次から次へと湧き上がり、活発化しており、正直、戸惑いが隠せないでいる。いまの時期は、まさに民主党あげて自民党政治の無駄を次から次に暴いていっている最中ではなかったのか。

 

まだ政権発足というより政権交代後、わずかに50日弱である。何も政権公約を急ぐ必要はない。「民主党政権が政権交代でやるべきことは何か」を、再度、足元を見つめ直して欲しいのである。国民がまず求めたことは何かを。

 

それを真摯に、誠実に、愚直にやってゆけば支持率は後から必ずついてゆくのである。

 

173回臨時国会がいよいよ1026日に召集され、112日から衆議院予算委員会が始まった。その討論のなかでもよい、民主党には、もう一度、政権交代の本来の意味を問い直して欲しいと切に願うのである。

 

107名の命を二度奪うJR西日本=命を軽んじる企業体質

もう28か月前になるが、JR福知山線脱線事故の航空・鉄道事故調査委員会は、遺族・被害者3名を含む13名を公述人とした意見聴取会(2007.2.1)を開催した。その中で公述人たる丸尾和明JR西日本副社長(当時)を初めとする経営陣の発言等を知り、「107人の命を奪ったJR西日本の原罪意識を問う!2007.2.21付)を記述した。そのなかで「JR西日本という企業は『自分が加害者である』という重大な原罪意識に欠けているのではないか」と企業体質を厳しく糾弾した。

 

 JR西日本は線区福知山線塚口駅―尼崎駅間において、2005425日午前918分頃、塚口駅を通過した直後の半径304mの右曲線を走行中に脱線、死者107名、負傷者562名という未曽有の大惨事を引き起こした。

 

 そうした大惨事であるにもかかわらず、事故原因の究明、事故に遭われた被害者のご遺族や当事者の方々への謝罪姿勢や補償問題等で、罪の重さを衷心から反省し、悔いているのか甚だ疑問に思うと、ブログのなかで同社の姿勢と企業体質を厳しく批判したのである。その批判こそ、現在、事前の働きかけ等で問題となっている公述人による意見聴取会の様子が伝えられたからのことである。その閉会後に被害者や遺族の方たちは、公述人たる丸尾副社長(20087月日本旅行社長就任)の意見陳述に対し、「企業防衛や自らの保身に終始した公述だ」と批判したことに如実に表れているが、JR西日本の大量交通機関としての使命感と責任に重大な欠陥があると強い憤りを覚えたのである。

 

 ここ連日、発覚しているJR西日本の山崎正夫前社長等による航空・鉄道事故調査委員会への情報漏洩・接待などの働きかけや兵庫県警や大阪地検による事情聴取社員への事前資料配布等の画策は、どう言い訳しようが、107名の尊い命を奪ったJR西日本という鉄道会社は事故直後からこれまで一貫して、旅客の命の重さより企業防衛に全力を挙げて来たと断ずるしかない。

 

 そして事故調査委員会側にも、事故当事者との公式の場以外での接触・情報漏洩など看過できぬ重大な不始末がある。それも旧国鉄時代に同僚であった人物たちが、加害者と、その事故原因の究明に当たる委員側にも入っているという考えられぬ委員構成であった事実もJRの監督官庁であり、委員会の当局でもある国土交通省の責任もきわめて大きく、なぜ、そうした人事を行なったかも今後、詳しく究明していかねばならない。

 

17日に兵庫県伊丹市で開かれた「おわびの会」で、佐々木隆之社長は「調査報告書に対する思いを裏切り、深く反省しています」と遺族らに謝罪したが、事故後に次々発覚する一連の画策の動きを見ると、とてもではないが言葉通りに受け取ることはできない。

会場で「誠心誠意と言いながら、裏切るようなことをしていた」、「JR西は組織と人の命のどちらが大事なのか」と被害者が激しい口調で詰め寄ったと言うが、関係者の怒りは想像を絶するものがあるに違いない。事故発生からすでに46か月が経過しているのである。

 

 JR西日本が掲げる「企業理念」には六項目ある。その第一項には「私たちは、お客様のかけがえのない尊い命をお預かりしている責任を自覚し、安全第一を積み重ね、お客様から安心、信頼していただける鉄道を築きあげます」とある。

また、第六項には「私たちは、法令の精神に則り、誠実かつ公正に行動するとともに、企業倫理の向上に努めることにより、地域、社会から信頼される企業となることを目指します」とある。企業理念はその企業の存在使命と価値を社会に対し約束するものである。その約束の少なくとも13は見事に反故にされたと言ってよい。

 

 そして、福知山線事故を踏まえて作成された5項目からなる「安全憲章」の前書きにある「お客様のかけがえのない尊い命をお預かりしている責任を自覚し、安全の確保こそ最大の使命であるとの決意」がまったく白々しい嘘八百であり、急場をしのぐお題目を経営陣が先頭になって作成させたものであると、断罪できる。場合によっては自己の「地位保全」のために、敢えて心にもない文章を作らせたのかもしれぬと、邪推したくなる。それほどに、このJR西日本の事故後の対応は、大量の命を預かる大量輸送機関としての企業適性が欠如していると判断せざるを得ない状況なのである。

 

 企業理念、安全憲章からすれば、当然のことであるが、なぜあのような大惨事を引き起こしたのか、技術的問題、企業体質の問題、組織の問題等、洗いざらい、真摯に見直しを行ない、その原因をなんとか究明し、今後の対応策と併せて、社会に対し公にすることで、今後の事故防止につなげることになるのではないのか。それでこそ、公共機関としての義務を果たすことになるのではなかったのかと、思うのである。

 

にも拘らず、今回、航空・鉄道事故調査委員会(後藤昇弘委員長)が公表した最終報告書(2007.6.28)の中立性に重大な疑念が生じたことになる。

 

前原国土交通大臣は928日に佐々木社長を呼び「前原国交相は佐々木社長に対し「今回の情報漏えいは、被害者の方々や国民への背信行為で言語道断。重く受け止めてもらい、再発防止に努めてもらいたい」と要請した。

 

事故後の同社の対応は107名にもおよぶ人命を一度ならず、二度奪ったのだと言ってもよく、私は、命を命とも思わぬこのJR西日本という企業の今後の対応に、厳しい監視の目と猜疑心の視線を注ぎ続けねばならぬと、強く思った次第である。

 

補正予算2兆5000億円削減の裏で旧態依然の地方自治体(日野市)

 前政権党の自民党の組んだ2009年度補正予算の切り込みが、まさにいま胸突き八丁のところにある。この6日、政府はその削減額の一次集計数字を公表した。補正予算総額146630億円に対し、執行停止がかけられたのは25169億円であった。17.2%の切り込みである。これまでの政治手法、利権構造からすると、各省庁が分捕った予算を返上することなど考えられないことであった。その意味でも無駄をなくす政治の大きな第一歩が踏み出されたのだと、政権交代の意義を実感する。

 

 この一次集計の削減率17.2%という数字は、これまでの自民党政治を前提とすれば、とてつもなく大きいものだと言えるが、民主党のいう新規政策の財源目標である3兆円にはまだ足りない数字であることも明らかである。

 

 再度の積み上げに必死に努める国政の大きな変革の動きを好感する一方で、正直者が損をする社会にしてはならぬというそんな事例を目にしたので、ここに怒りとともに告発することとする。

 

それは中央の補助金行政にタカル、これまでの意識を変えられぬ地方自治体の実態である。国の財政危機の実情を知りながら、相変わらず土建国家の利権構造にどっぷりとつかり、箱もの行政を姑息に遂行する地方自治体が今なお存在することである。無駄をなくす政治の貫徹には、ひとつひとつの地方自治体もこれまでの意識を根本から変えてゆかねばならぬことは言うまでもない。

 

 しかし、ここに紹介する事例はその真逆の行政行為であり、地方議会の実態である。

 

 日野市の広報「ひの」(10/1付)の一面に「平成23年度完成に向けて(仮称)市民の森ふれあいホールの建設に着手」というヘッドラインで、建設費約25億円の箱もの着工が謳われている。そのなかで建設費「約25億円」の調達について「国や都などの補助金約12億円、基金(預金)約3億円、起債その他約10億円」と記載されている。国が補助金削減に躍起になっている最中の出来事である。

 

 この箱ものは平成2012月に「昨今の経済不況の影響から、法人市民税等の減収が見込まれるため、20年度に予定していた建設工事発注を取りやめ、休止を決定」と建設休止宣言が行なわれていた事案であった。それを市の行政側は「市税収の落ち込みは変わらず、補助金の見通しは未だはっきりせず、景気動向についても厳しいまま」と財政窮乏の現状を語りながらも、「今建設を始めなければ、補助金をもらえなくなる」と答弁し、議会最終日の928日に建設着工を与党賛成多数で可決したという。それも議案上程期限直前に市長が突然に提案、わずか数時間の議論がなされただけである。(「」内の引用等は大高哲史日野市議会議員の市政報告冊子No178より参照)。

 

 この「今建設を始めなければ、補助金をもらえなくなる」という行政側の答弁にこそ、そして強行採決にも似た議会運営で可決した「箱もの行政」にこそ、今の日本の地方自治体の実態が表れていると言える。地方自治体すなわち、地方議会・与党議員の意識改革は、国政が大きな変革の波の中にあるというのに、なんら旧来の意識を変えようとしていない、そう思えるのである。もちろん、変革を標榜する首長を戴く自治体が職員の意識変革をはじめ、「チェンジ」に苦闘している事実はあるが、大概の地方自治体は依然、旧来の思考回路にあるのではないかと、日野市の事例を見て思わざるを得ない。

 

そしてこうした無駄な公共事業が監視の目をかいくぐり強行される一方で、削られた予算の中に、国民の命にかかわるものも含まれていることを知ると、正直者が損をするというか、公平な社会に早くしなければならぬという思いを強くしたのである。

 

 例えば優先すべき公共事業とは、9日に執行停止された阪和自動車道御坊IC―南紀田辺IC間(27キロ)の4車線化である。現在、この御坊南紀田辺間は上下2車線での暫定供用で、対面通行の中央線上にはポールが立つだけで、正面衝突など3件の死亡事故が発生しているという。補正予算規模は745億円と先の日野市の25億円とは大きく隔たりのある大規模工事であるが、本当に必要な公共工事はもちろんのことだが、今後も実施すべきであることは言を俟たない。

 

 だからこそ、この4車線事業化の執行が停止された田辺市(和歌山県)がある一方で、姑息に「補助金」目当てに不要不急の箱もの建設を急いだ日野市のような地方政治がいまだ跋扈していることが許せぬのである。

 

 国政を変革するには、まず、国民自身が日々の生活を営む社会基盤である共同体の政治を変えなければならぬ。それがなくて、「地方分権」などという大層な歴史的大事業の成就などとても覚束ない。その意味で地方選挙への国民の投票行動、投票率の低さは問題と言わざるを得ない。まず、投票所へ足を運び、地方自治の主権者たる自分の意見を投票という行為で表すことが、この国を本当に変革してゆく大事な一歩であり、地に足の着いた「チェンジ」への一歩なのだとわれわれ自身が再度、自覚する必要がある。革命は「地方」から「中央」へ。これは、これまでのわが国の、いや世界の歴史が示してきたことである。

政権交代には岡田克也代表(現副代表)しかない!5

 民主党の小沢一郎代表が511日に西松建設の政治資金問題を理由に辞任表明をした。その後継代表を選ぶ選挙が16日(土)に行われる。あわただしい党代表の決定スケジュールであるが、次の総選挙の顔であり、しかも次の日本の総理大臣を選ぶ選挙でもあるかもしれない。

 

 その意味で、今回の民主党代表選挙の注目度は極めて高いし、われわれも鳩山由紀夫(幹事長)衆議院議員、岡田克也(副代表)衆議院議員両立候補者のどちらが日本のリーダーとしてふさわしいのかをしっかりと見極める必要がある。

 

 結論から言えば、この閉塞感の立ち込める社会を「チェンジ」させるには、従来、気まじめ過ぎる、融通が利かないといった柔軟性に欠けるとの評価が多かった岡田克也副代表が、この両日のTV朝日(報道ステーション)、NHK(ニュース9)に出演し、代表選出馬の決意を述べた内容を聞き、リーダーとしてその政治姿勢の清廉さとこの4年間で政治家としての勉強を一段と深め、一皮むけたと感じ、この人しかないのだと感じた。これは画面を通じての印象でしかないが、人間の大きさもひとまわり大きくなり、懐の深さも大きくなったと感じたものである。

 

 折しも鴻池官房副長官がJRの無料パスを使用し、夫人以外の女性とゴルフ旅行にしけこむなどという公私混同も甚だしい醜聞が報道されたばかりである。

 

 国民はこうした語るのも恥ずかしい事例に顕著に顕われた権力の密汁にどっぷりとつかった腐敗に辟易としている。そしてそうした国民の怒りに不感症になった与党自民党には、どうしても政権の座を降りてもらうしかないと強く感じたところである。

 

 そうした政治環境のなかで小沢民主党の幹事長として脇を固めてきた鳩山氏では、その予想される路線には申訳ないが清新さは期待されず、政権奪取後の政権運営にも小沢氏の影がつきまとう気がして仕方がない。どうしても灰色の色彩がちらついて仕方がないのである。

 

 だからこそ、若くて気まじめで、その顔つきから溢れる不正を許さぬ気骨、そしてどこか力強さを増した岡田克也議員にこれからの日本のリーダーを託してみたいと感じたのである。

 

 この人にかけてみたい、そう思わせる真面目な政治姿勢をテレビ画面を通じてではあるが、それも短い時間ではあるがそう確信したのである。

裁判員だったら推定無罪?=和歌山カレー事件死刑確定5

来月からスタートする裁判員制度で、もし自分が裁判員だったらと、この和歌山カレー事件の最高裁の上告棄却を聞いて急に恐ろしくなった。

 

 1998年に起こったこの事件は、当時、テレビ、新聞、雑誌などメディアの過激な報道合戦によって、林真須美被告の一挙手一投足が連日、テレビ画面や紙面を通じて国民の目に曝され、被告の水撒きといった印象的な行動が繰り返し放映されたりしたことから、逮捕前から心証は「真っ黒」であった。

 

しかし、刑事訴訟法第336条は「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」と、いわゆる「無罪の推定」つまり裁判官側に立った「疑わしきは罰せず」を定めている。

 

今回の事件は殺人を犯したという林真須美被告につながる直接的物証がないことに加え、犯罪の動機が解明されぬまま一、二審そして最高裁まで争われた点で、「疑わしきは罰せず」という「刑事裁判の原則」がどう扱われ、最高裁がどう判断するのか、わたしは非常の関心を持ってこの日を待ったのである。

 

 そして21日、一・二審で死刑判決を受けていた林被告に対し、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は上告棄却を告げた。

 

 その判決主旨は、.レー鍋から検出されたものと同じ特徴のヒ素が林被告宅などから発見された、⇔喩鏐陲蓮頭髪から高濃度ヒ素が検出されており、ヒ素を扱ったと認められる、N喩鏐陲世韻ヒ素を入れる機会があり、カレー鍋のふたを開けるなど不審な行動をしていた等の「状況証拠」を挙げ、「被告が犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地がない程度に証明されている」として、林被告人の上告を棄却した。

 

これによって事件発生後約11年を経て、同被告の死刑が確定することとなった。

 

 また最高裁は、この事件の大きな疑問点であった無差別殺人の動機について「動機が解明されていないことは、被告が犯人であるという認定を左右しない」と一蹴、動機は解明されないままとなった。

 

 刑事裁判においては当然のことだが、挙証責任は検察側にある。ところが林被告の「無差別殺人」の「動機」は何かを証明できぬまま、無罪を終始主張し続けた(一審は黙秘)被告の極刑が確定したことになる。

 

 刑事訴訟法では「有罪の言渡をするには、罪となるべき事実、証拠の標目及び法令の適用を示さなければならない」(第335条)となっており、証拠については標目いわゆる証拠の目録・目次を示せばよいとされている。そのため最高裁は「これこれの証拠によって罪となすべき事実を認めた」、その理由を述べる必要がないことになる。

 

わたしが今回の最高裁の判断を理屈で理解できないのは、どうもその点にあるようである。被告を有罪しかも極刑に処するのに、被告の犯罪と決めつける直接の物的証拠がなく状況証拠だけで、しかも最も重要と思われる「犯罪動機」も解明されないままの判決である。

 

 実際に今回のような刑事事件の裁判員になったときの自分を想定した時、こうしたケースで法曹のプロはどう判断するのだろうかと固唾を飲んでいたのだが、何らわたしに解決のヒントを与えてくれはしなかった。

 

 心証はメディア報道のお陰で「真っ黒」であった。しかし10年余にわたる公判のなかで被告と犯罪を直接的に特定する物的証拠は提示されなかった。しかも動機も。そして判決主旨のなかで林被告が犯人であることに合理的疑いを挟む「余地がない程度に証明されている」と、「程度」という曖昧な単語を使用し、直接的につながる証拠がないことをいみじくも語っているのである。

 

 こういうケースは、まさに「疑わしきは罰せず」になるのではないのか。

しかし、メディア報道や被告の言動を思い出すと、限りなく「真っ黒」である。

 

それでは決断を迫られた時、どう裁いたらよいのか。「庶民の常識」でと言われても、こうした場合「死刑」という極刑判決を下すほどわたしは強靭な精神力と炯眼を持ち合わせていない。こんなことではわたしはとても裁判員として「人を裁く」資格、いや度胸などないと思ったのである。


 

検察庁の分かりづらい判断基準=大麻所持不起訴・中村雅俊長男の俳優俊太氏5

検察庁の分かりづらい判断基準

 

大麻所持不起訴・中村雅俊長男の俳優俊太氏

 

 大麻取締法第6章「罰則」の24条の2項に「大麻を、みだりに、所持し、譲り受け、又は譲り渡した者は、5年以下の懲役に処する」とあるように、大麻所持は重い犯罪である。

 

東京地検は14日、先に大麻取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕した俳優中村俊太(中村雅俊の長男)を不起訴(起訴猶予)とし釈放した。不起訴理由を地検は「初犯で所持量も微量だったため」とした。

 

今回の中村俊太氏の不起訴は、刑事訴訟法第248「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」、事件事務規定第72220号「起訴猶予 被疑事実が明白な場合において、被疑者の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないとき」に依拠している。

 

 わたしは「相撲界と芸能界、大麻事件にご都合主義のテレビ業界」(24日)で同じ大麻取締法違反(共同所持)容疑で現行犯逮捕・起訴された十両力士(当時)若麒麟の解雇処分に関連し、芸能界の大麻事件との比較においてメディアの対応の違い(芸能界に甘い)を批判した。

 

 そしてこの度は小沢代表の公設第一秘書の逮捕・起訴でも「?」が冠せられた検察庁の対応・公正さへの疑問である。

 

 若麒麟(鈴川真一)被告は逮捕・起訴され、中村俊太氏は逮捕・起訴猶予となったが、同じ大麻所持という行為に対して検察庁の対応の違いはなぜ起きるのか、そこがどうも釈然としないのである。

 

まず、事実関係を整理してみる。

若麒麟は相撲界というプロ、中村俊太も俳優というプロの世界に属する人間である。

年齢は、若麒麟が25才、中村は31才である。

若麒麟の逮捕時保有は5.69g、中村は0.03gである。

若麒麟は大麻吸引の常習性ありとの検察判断、中村は常習性についての言及なしである。

若麒麟の勾留期間は29日間、中村は11日間である。

両人とももちろん初犯である。

 

 

上の事実関係を比較してみて、「法の素人」には若麒麟がなぜ起訴され、中村俊太がなぜ起訴猶予となったのか、その理由がよくわからないのである。

被疑者の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況」という起訴猶予となる要素について、客観的事実を材料に、素人なりに分析してみる。

 

まず被疑者の「性格」は分らぬが、両人とも法で禁じられた大麻に手を染める性格の弱さ、遵法精神の欠如は同様に指摘できる。

「年齢」は起訴猶予となった中村氏の方が31才と若麒麟より6才年上で、より分別はあるはずである。

「境遇」は中村俊太氏が芸能界でも有名な中村雅俊、五十嵐淳子夫妻の長男であり、世間一般的な基準での境遇はよい部類に入ると判断される。一方、若麒麟は兵庫県の飲食店経営の父親の息子であり、普通一般庶民の境遇であったと思われる。一概には言えないものの、「境遇」としては中村氏の方が恵まれていたといってよいのではなかろうか。

 

そして「犯罪の軽重及び情状」の点で、大麻保持量が大きく違うことである。常習性については、中村氏についてのその点の検察側からの情報が世上に出回っておらず(小沢代表秘書の逮捕・起訴ではなぜか色々と情報が漏れてきた)、客観的な判断はしにくい。ただ、中村氏の方が常習性について何ら言及されていないという点で、常習性がないのだという心証が形成されている。

 

こう見ると、本件に対する検察庁の対応の差異は、「年齢」や「境遇」においては中村氏の方が、罪に対する罰は重いと判断すべきだが、「犯罪の軽重及び情状」の点で、起訴・不起訴の対応が分かれたと推定される。

 

若麒麟の時は、逮捕は六本木のCD販売事務所での現行犯逮捕であり、その後、尾車部屋への家宅捜査が入った。中村俊太氏の場合は、逮捕は上高井戸の乗用車(外車)内での現行犯逮捕であったが、自宅などの家宅捜査がその後行われたとの報道はない(自宅に多量の大麻があれば「犯罪の軽重及び情状」は大きく変わるはず。なのに・・・、やった気配はない。なぜ?)。

 

若麒麟について13日、検察は論告で「大麻が少量ではなく、常習的な使用がうかがわれる。相撲界で問題化していたのに安易で無責任だ」とし、懲役10月を求刑した。判決は422日の予定である。

 

 一方の中村俊太について同じ検察はその翌日の14日、冒頭の「初犯で所持量も微量だったため」として起訴を猶予した。

 

 若麒麟と中村俊太の差は逮捕当時に所持していた「大麻の量」と「常習性」であるとしか見えぬ。片方は家宅捜査、もう片方はそれをやったとの報道がない。

そして本来は逮捕時の所持量ではなく、「常習性」の方が起訴・不起訴の判断基準で重きが置かれるはずである。

 

その点において中村氏の場合は「今回が初めての所持であった」というもっとも情状酌量の理由としやすい検察説明がないところを見ると(勾留中の取り調べだけでは)「常習性がない」とまでは言い切れなかったのではなかろうか。

 

そう考えて見れば、若麒麟に対する検察の論告の弁「大麻が少量ではなく、常習的な使用がうかがわれる。相撲界で問題化していたのに安易で無責任だ」を借りて中村俊太氏のケースを再現すれば、どうなるのか。

 

「大麻が量ではなく、常習的な使用がうかがわれるとまでは言えない。相撲界や芸能界を問わず社会で問題化していたのに安易で無責任だが、有名人である爽やかさで売った父たる中村雅俊が「人間として絶対に許されない。事の大きさを認識して生まれ変わってほしい」と涙の会見を行ない、父親が社長である事務所からも解雇し、俳優業も辞めさせる考えを父親が明らかにしたことを大きく考慮」して不起訴としたとなる。

 

太字のポップ体文字の部分がわたしの方で付け加えたものだが、若麒麟の懲役10月求刑と不起訴の差が、このポップ体の部分なのかと浅はかにも推測してみた。

 

当然、検察側には専門的な法律知識・表面に出ていない捜査情報があってこうした判断に至ったということなのだろうが、浅学非才の身のわたしには、今回の検察庁の捜査・取調べには、とことん納得がいかない。

 

 永田町を揺るがした民主党代表小沢一郎衆議院議員の公設第一秘書の「政治資金規正法違反(虚偽記載)」(5年以下の禁固又は100万円以下の罰金)容疑による逮捕・起訴も、これまでの同様の事件に比べて検察庁の判断及び対応は非常にわかりにくい。

 

裁判員制度がいよいよ521日から始まる。わたしも正直、あまり気は進まぬが、裁判員候補にあがれば国民の義務として当然、その責務を果たすつもりでいる。しかし、今回の事件の扱いひとつとっても憲法第14条で謳われている「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とする「法の下の平等」がどうも担保されていないように思われる。

 

こうした検察庁の判断基準の分かりにくさでは、素人のわたしには到底、裁判員の責務は果たせぬように思えて仕方がない。

 

有名人の子供だからといった「門地」が関係しているのかとも邪推したくもなる中村俊太氏の不起訴判断。野党第1党代表の公設秘書だからという「政治的関係」が背景にあるとしか思えぬ大久保秘書の逮捕・起訴。

 

「法の下に」、「差別されない」と謳う憲法第14条を持ち出すまでもないのだが、裁判員制度がスタートする直前のこの検察庁のプロとしての「判断」の分かりづらさ、不透明性がやけに気になるのである。

 

それは、裁判員制度をプロたる権力側の免罪符として巧妙に使われはしないだろうかという大きな疑念、不安がますます大きくなってきているからである。

小泉の乱、Q.E.D(証明終了)!―郵政民営化の本質(上)5

小泉の乱、Q.E.D(証明終了)!――郵政民営化の本質(下)

 

12日午後開催の「郵政民営化を堅持し推進する集い」における小泉元首相の発言から、永田町はにわかに風雲急を告げてきた。「郵政民営化に賛成ではなかった」に始まるここ数日の麻生総理の一連発言を受けて、昨年末に小泉・安倍元首相等郵政民営化推進派を中心に結成された議員連盟「郵政民営化を堅持し推進する集い」の開催を決定、そして当日の小泉発言である。

「郵政民営化の骨抜き」に発展しかねない見直し議論の浮上に、直近の派閥人事で降格の憂き目を見た中川秀直元幹事長や、最近とみに影の薄くなった小泉ファミリー等「改革派を自称する一派」が、その勢力復元を企図し、「郵政民営化命」の小泉元首相を引きずり出し、「小泉の怒り」を演出したというのが表面上の動きである。

しかし、事は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の棲むという永田町で起こった話。そう単純な話で割り切れるものではない。「麻生おろし」といったお決まりの自民党内での権力闘争と見るのではあまりに早計に過ぎるし、それは人の良すぎる話である。

「小泉の乱」の真相はいったい何か? その解明をせねばならない。それでは、ラテン語でいうQ..D(Quod Erat Demonstrandum=証明終了)へ向けて説明開始としよう。

そもそも「郵政民営化」という政策課題が、日米政府間で毎年交換される「年次改革要望書」(正式名称「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」)において、その作成が開始された2001年当初から米国政府が要望項目に掲げていた事実をどれほどの日本人が知っていたであろうか。

その米国の意図については、当時、郵政民営化に反対を唱え小泉首相に反旗を翻した末、刺客(小池百合子元防衛大臣)に敗れた小林興起前衆議院議員のHPより、少し長くなるが引用したい。

「日本の郵政事業は、郵便料の赤字を補填する為、郵便以外に、郵貯・簡保を一緒にした3事業が一体で行われている特色があります。この為、税金を一切投入することなく郵政事業が成り立っています。アメリカにとっては日本国民が郵政公社に預けている350兆円が魅力であり、郵政民営化によってこの資金がアメリカに流れることを期待しているということが大きな背景としてあります(20054月「今月のひと言=国民にとっての郵政民営化」)」因みに郵政民営化を強要した米国において、ユニバーサル・サービス(全国何処でも均一料金)を基本とする郵便事業はなんと「国営」のままである。

このことは言葉を換えれば、われわれ日本国民は米国の国益追求のため、郵政民営化に熱狂・狂奔(きょうほん)し、国民の貯蓄350兆円を「どうぞ米国債の購入など自分の財布としてご自由にお使い下さい」と、米国に供出したと同じことになるのである。

小泉内閣が行なった「独占禁止法の強化と運用の厳密化」や「医療制度改革」など規制緩和という名の「改革」の多くは、「年次改革要望書」で米国から要求されていた項目であり、その実現は米国の保険業者などの日本進出を加速化させマーケットシェアを急拡大させる大きな力となったものである。

国民に熱狂的に支持された「小泉改革」が、実は米国の国益に沿ったものであったこと、誰のための改革であったのかをわれわれはよく認識しておかねばならない。大手メディアを巧妙に巻き込んだ情宣戦略で小泉内閣は、高支持率を維持した。そして郵政選挙で「ぶっ壊すはず」の自民党の衆議院議席を2/3以上確保、党勢回復を劇的に図ったことは周知である。

郵政民営化法案の通過により、350兆円と言われる国民の貯金をその後、米国債や米国の金融商品等の運用に向かわせる態勢が整った。米国にとっては長年の宿望がかないヤレヤレといったところであったろう。そして粛々と民営化(政府株式の放出)への手続きが進んでゆくはずであった。

そこへ「かんぽの宿のオリックスグループへの一括譲渡」疑惑が浮上した。鳩山総務相の横槍は、思いもかけなかった出来事だったのであろう・・・。米国にとっても・・・、そして改革利権の甘い汁を吸ってきた、またこれから吸えるはずの日本の一部企業群にとっても・・・。民営化人事も思い通りに行われ、事はまさに上首尾に運んでいたはずだったからである。


キャノン工事関連の脱税事件=特捜部の狙いは誰?5

東京地検特捜部の狙いは一体、誰?

 

=キャノン工事関連の脱税事件

 

 

 210日、とうとうコンサルタント会社「大光」(本社・大分市)の社長、大賀規久容疑者(65)が、東京地検特捜部により逮捕された。逮捕容疑はキヤノンの関連施設工事をめぐる法人税法違反である。

 

 当初、この事件が報道されたとき、キャノンの工場建設にかかる工事受注会社である大手ゼネコン「鹿島」がコンサル業者を絡めて裏金作りをし、脱税を行なうという単純な図柄事件であるように見えた。

 

 しかし、その報道の当初よりふたつの違和感が実はこのわたしにはあった。

 

 ひとつは工事の発注者であり、資金の流れからして「出し手」である、「キャノン」がことあるごとにその社名を連呼され、テレビ映像もキャノンの本社ビルを映しだし、「キャノン」のロゴマークを大きく映し出す、その異様さであった。

 

 通常は工事受注に際して業者たる「鹿島」あるいはその斡旋に汗をかいたという「大光」の裏金作り、脱税事件ということで、「鹿島」と「大光」にフォーカスされたニュース報道がされるはずである。そうであるのに、なぜか「キャノン」のロゴが刷り込まれる報道であったのである。

 

 そして、もうひとつの大きな違和感は、天下の東京地検特捜部がこの事件を摘発したということであった。脱税という行為は個人法人を問わず重大な犯罪ではあるが、東京地検の特捜部がなんでまた?という気がしたのである。「鹿島」には失礼だが? コンサル会社「大光」においては問題外で、どう考えてもそうした名前で、東京地検特捜部が出動するはずがない・・・。権力の中枢かそのすぐ周辺に息をひそめる人物・組織に狙いを定めているのに違いないと、考えるのが普通である。

 

 こうして、御手洗冨士夫経団連会長(現キャノン会長)と「大光」社長大賀規久容疑者との関係がオオキククローズアップされて来た。さらに御手洗会長の親類である、「大光」の元取締役で元大分県議会議長であった長田助勝容疑者(80)も同時に逮捕された。

 

何のことはない、「キャノン」のロゴが報道当初からテレビ画面に踊ったのは、こういう伏線があったわけである。警視庁の記者クラブ(七社会・警視庁記者倶楽部・ニュース記者会)の面々は、とうにこうした事情を知っていたのだろう。

 

 しかし、「キャノン」の問題もふくめ、「鹿島」の裏金が一体どこに向かったのか。その先、いやもっと先にこの事件の本当の忌まわしい正体が見えてくるのだろう。単に経団連会長の御手洗氏を狙った特捜部の動きとはどうしても思えぬのである。

 

東京地検特捜部が動いたからには、その正体について相当程度の確証を得ているに違いない。外堀をしっかりと埋めた後だからこそ、こうして世の中ににぶち上げたのだと信じたいのである。もはや財界総理と言われた時代の経団連会長のステータスはない、今の時代に、こう言っては何だが、御手洗氏ごときで特捜部が動くとは、悲しいことながらどうしても思えぬのである。

 

「キャノン」のロゴの裏にひそむ巨悪の正体とは、いったい何者なのだろうか? 郵政民営化にからむ「かんぽの宿」のオリックス不動産への一括売却疑惑など、小泉政権時代の「改革なくして成長なし」に国民が踊らされ、何らかの意図をもって率先してそのお先棒を担いだ人たちには、何か胡散臭いにおいがつきまとって仕方がないというのが、このキャノン事件で連想ゲームのように思い浮かんできたことごとなのである。

 

 小泉政権時代の拙速過激の「改革」に関連した、経済界なぞにとどまらぬ政界(元政界もふくむ)、官界を巻き込む大疑獄事件へと進展してゆくのだろうか・・・。いまわたしは残念ながら、この不吉な予感が的中しそうな気がしてならないのである。

また宮内義彦、規制緩和で大もうけ?=「かんぽの宿」オリックスへ一括譲渡5

鳩山邦夫総務大臣が1月6日、日本郵政の「かんぽの宿」の一括譲渡に対して反対の方針を表明した。その理由は一括譲渡先であるオリックス不動産(オリックス(株)100%出資)の親会社であるオリックス(株)の代表取締役兼代表執行役会長・グループCEOである宮内義彦氏が、「規制改革会議の議長をやり、郵政民営化の議論も随分やられた。出来レースと受け取る可能性がある」、「オリックスは立派な会社だが、譲渡に国民が納得するか。出来レースと受け取られかねない。率直にまずいと思う」、「正義感を持って対応する。『李下に冠を正さず』ということは大事だ」との同大臣の発言に要約されている。


宮内義彦氏と言えば、「ミスター規制緩和」とも呼ばれたほどの人物である。オリックスの社長時代に就任した規制緩和小委員会の座長に始まり、規制改革委員会委員長、総合規制改革会議議長、規制改革・民間開放推進会議議長を歴任、わが国の規制緩和・撤廃の歴史とともに歩んで来た人物と言っても過言ではない。そして小泉内閣(平成134月〜189月)5年半の間に「改革」の掛け声のもと、劇的に進められた規制の緩和・撤廃をその先頭に立ち、第三者・有識者という名のもとに進めた人物でもある。


今日、「派遣切り」という大きな社会問題化している派遣労働者の製造業解禁(平成163月施行)も、人材派遣会社をグループ内企業に持つ宮内義彦氏が総合規制改革会議議長のポストにあった平成156月の改正により実施に移されたものである。


また千葉県銚子市立総合病院(平成209月末休止・事実上の閉鎖)、大阪府松原市立松原病院(本年3月末閉鎖予定)など自治体病院の閉鎖や「全国に約1000か所ある自治体病院の75%は赤字(H20930日読売新聞)」と言われる公的医療機関の窮状をもたらした大きな原因とされるH16年の新医師臨床研修制度(研修医の都市部集中とアルバイト禁止)やH18年の医療制度改革(診療報酬点数の削減)も、同氏が規制改革・民間開放推進会議議長のときに実施された規制緩和である。


小泉内閣時に推進された規制緩和はおよそ6000項目を超えると言われている。市場原理主義をベースとする経済的側面のみに著しく偏した規制緩和の理論的推進エンジンが竹中平蔵経済財政政策担当大臣(当時)であり、その具体的テーマを設定、緩和項目の具体的肉付けをし、かつ、第三者としてのお墨付きを与える役割を担ったのが、規制緩和小委員会から規制改革・民間開放推進会議に至る我が国の一連の規制緩和・撤廃の推進にあたりそのトップにあった宮内義彦氏である。


規制緩和に関する一連の委員会の座長に座り続ける宮内氏に対しては、国会においても、「利害の抵触」(ある役職に就く人が、その立場や権限を利用することで、その人自身や近しい人の個人的利得を得ることが可能となる状況)の視点から、その不透明性が指摘、糾弾されている。

平成16119日には櫻井充民主党参議院議員が扇千景参議院議長あての「規制改革・民間開放推進会議委員の資質に関する質問主意書」を提出している。


主たる内容は、宮内義彦氏について「政府の政策を国民の利益で決定する会議の長の立場を利用して、特定の企業の利益を図ることが可能となる状況、すなわち『利害の抵触』が発生していると言わざるを得ない。残念ながら政府はこうした『利害の抵触』という問題についての精神が欠落している人選を行っているのではないか」とするものである。


また同月11日の厚生労働委員会においては、医療制度改革の中身について、小池晃共産党参議院議員(現同党参議院幹事長)が「混合診療解禁に関連し、保険会社の利益狙いだ」として、規制改革・民間開放推進会議(宮内議長)のメンバーが「内閣府の殻を被った企業集団」の人間ばかりで「行政の中立性が担保されない」と厳しく政府を追及するなど、議長たる宮内氏をふくめた医療保険の事業拡大という「利害抵触」についての不透明性を取り上げている。


そしてこのわたしも「タクシー料金値上げをめぐる美しくない三人」(2007.5.31付けブログ)のなかで、タクシー運転手の著しい労働条件の悪化をもたらしたタクシー事業の規制緩和(量的規制である需給調整規制を廃止)について、グループ内にオリックス自動車(オートリース業)を抱える宮内氏の利害抵触について取り上げた。


こうした過去の経緯を詳らかにするまでもなく、規制緩和の歴史のなかにおいて規制緩和にかかる政府委員会議長たる宮内義彦氏とオリックスグループの事業との「利害抵触」については、過去にもいろいろとその不透明性が指摘されているのである。


今回の日本郵政の保養宿泊施設「かんぽの宿」のオリックスへの一括譲渡については、これまで舌禍事件で目立って活躍した鳩山総務大臣にしては、その反対表明は素早く、そしてきわめて妥当な判断であった。


『(1)なぜオリックスなのか(2)なぜ一括譲渡なのか(3)なぜ不動産価格が急落しているこの時期なのか』の3点について大臣が日本郵政に問い合わせたが、納得のいく説明はなかったとして反対の方針を表明したのは、大いに納得のいくものなのである。今後、納得のゆく説明が日本郵政にはぜひとも求められるところである。



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