彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

権力の素顔

トランプ次期米大統領が三島由紀夫と朝日新聞を笑う

朝日新聞本社ビル
朝日新聞本社ビル
1月20日、いよいよドナルド・トランプ氏が第45代米国大統領に就任する。共和党候補であったトランプ氏は昨年の11月8日、大方の予想を裏切ってヒラリー・クリントン氏を破り、米国大統領の指名を確実にした。

 

そのトランプ氏であるが過激な発言で米国にとどまらず国内外に様々な軋轢を生みだし、批判の集中砲火を浴び、中傷されてきた。それがゆえに選挙期間を通じて抜群の注目を集めてきたことも事実である。

 

そんな次期大統領であるが、当選後もツイッターでの呟きでまたまた世界の耳目を集め、その一言一言が世界のマーケットを動かし、世界の首脳を苛立たせ、メディアの反発を買った。

 

そして選挙後の2か月後の1月11日になって、ようやく選挙後初のいわゆる記者会見というものを開いた。CNNでその模様をみていたが、会見終盤の場内の迫力と緊張感はへたな映画よりも数十倍、いやどんな映画よりも真に迫り(真実の光景なのだが)、手に汗握るとはこのことなのだと知った。それほどにがなり立てる映像は生の迫真性のすごさを見せつけた。

 

トランプ氏が発した言葉の数々に既存メディアに対する同氏の強烈な不信感と猛烈な敵意を感じた。

 

会見が1時間6分を過ぎたあたりからトランプ氏のメディアへの敵愾心があらわとなった。ロシア当局がトランプ氏を恐喝できるみだらな情報をつかんでいるといった報道を流したネットメディアのBuzz・Feed(バズフィード)につづいてその一部を伝えたCNNの記者に対して怒りが爆発したのだ。その様子は仮にも10日後には世界最高の権力を掌中にしようとする人物の言葉とは信じがたいものであり、記者席からもまた壇上からも飛び交うすさまじい怒号は史上稀にみる映像にわたしの目は点になった。

 

その間、トランプ氏は「GO Ahead(次!)」と別人に質問を促すのだが、それを無視して質問を発し続けるCNN記者(ジム・アコスタ記者)に業を煮やし、指でさして「QUIET(黙れ!)」、「Not YOU(おまえじゃない!)」、 「You are FAKE NEWS(お前は偽物のニュース(記者)だ)」、「You are ORGANIZATION TERRIBLE(ひでえ会社だ)」と罵詈雑言を浴びせるという悪態の限りをつくした。

 

その映像は世界中に流されたが、民主主義国家の代表、指導者を自任する米国のトップに君臨する大統領候補と米メディアの会見とは思えぬ醜態をさらすものであった。

 

しかし、わたしはその修羅場を目にしながら、選挙期間中を通じてトランプ氏に対する特に大手メディアの執拗なネガティブキャンペーンを考えると、同氏がメディアという第四権力(the Fourth Estate)を敵対視し、根深い憎悪の念を露にするのもわからないわけではないと考えていた。

 

というよりも選挙期間中の米メディア、特にテレビ局の報道は目を覆いたくなるようなものがあった。ABCだったかNBCだったか忘れたが、トランプ氏とのインタビュー時に金髪がカツラではないかといってキャスターが一応、同氏の了解はとっていたが、手で髪の毛を鷲掴みにし引っ張り、本物の髪の毛だと証明できたという場面があった。

 

米国の一方の大統領候補である人物に対する敬意のかけらもなく、逆に見下したようなその蛮行にわたしは正直、驚いた。

 

その時、トランプ氏は、クシャクシャにされた髪の毛を手でならしながら複雑な笑みを浮かべていた。はらわたが煮えくり返っていたと思うが、トランプ氏が心中で「この野郎」と叫んでいたことは想像に難くない。わたしはその場で、「無礼である」と一括し、退席しても一向にかまわぬと思ったものだ。思いあがったメディアにわたしは別の意味で吐き気と憎悪を覚えたのである。

 

一昨日あたりであったか、トランプ氏は大統領になっての記者会見室にすべてのメディアは入りきれぬと発言した。選別をするぞとのメディアへの宣戦布告である。ツイッターを多用するトランプ氏。メディアを介さずに直接、自身の意見を伝える。メディアにいいように編集されることのない、本物の情報発信であるともいえる。140字で複雑な国際情勢、政治課題について語るのは不適切で、問題が多いと大方の識者は語る。しかし、自分たちの興味に関するところをつまみ上げ、それをニュースと称して配信する昨今のメディアをみると、言葉は練れていなくとも、本人が生でつぶやく言葉のほうが価値があり、直に接することのできる情報としての価値は、既存メディアが都合よく世論誘導をするために発言や情報を編集しなおした記事とは比較にならぬほどに、高いものがある。

 

1月12日に、NHKニュースやTBSなどテレビ各局で三島由紀夫の市谷の自衛隊で恰幅視察する9か月前にインタビューを受けたテープがTBSで発見されたと報じられた。自分の作風について率直な意見や文学論を語る一方で、憲法についての考え方も披瀝していた。

 

すなわち、

「憲法9条ってのは全部いけないって言っているんじゃないんです。つまり人類が戦争しないというのは立派なことです。平和を守るというのは立派なことです」

 

「(憲法9条の)第2項がいけないんでしょ。第2項がとにかく念押しの規定をしている。念押しをしてきているのをですね、日本の変な学者が逆解釈してね、自衛隊を認めているわけでしょ」

 

「ぼくは大嫌いなんですよ、そういうことが。ぼくは人間をごまかしてね。そうやって生きていくということが耐えられない」

と、解釈憲法で国家を運営していくことのまやかしを鋭く突いたものである。

 

戦後言論界の一方の雄であり、文明批評家としても一流の人物が現行憲法の問題点を語ったものとして、この発見は貴重であるし、戦後思想界の一級資料と評してもよい。

 

そんな資料について翌日の朝日新聞は「死が肉体に入ってきた 文を抽象的に塗る欠点」と三島由紀夫の肉声テープ発見の内容を報じた(朝日のネットニュースでは全文が読めぬようにされているので、150円をだして購入した。新聞って今150円もするんだとビックリ)。朝日の報じる内容が気にかかったので購入したのである。案の定、他社が報じた憲法改正に言及した部分は見事に無視されて、憲法のケの字もない記事であった。

13 朝日新聞 三島由紀夫肉声テープ発見
2017.1.13 朝日新聞記事
国防に殉じる自衛隊に正当性を与えるためには憲法改正が必要であるとした三島の主張は、その後の市谷の自衛隊突入、割腹自殺の主因である。こうした大切な歴史的事実を護憲や憲法9条死守といった社論に反するものであるとして、まったく伝えぬ報道というのはどう考えてもおかしいし卑怯である。新聞と呼ぶより機関紙と呼ぶのがふさわしいと考える。

 

今回、報道ステーションをチェックしていないので、テレビ朝日がどう伝えたかについて言及はできない。しかし、2015年11月25日に報道した「検証・三島由紀夫事件〜45年目の真実〜」でのコメンテーターのコメントは三島がバルコニーで発言した「もうこれで憲法改正のチャンスはない」という憲法改正が必要であると絶叫したことも完全無視したものであったことに鑑みるとおよそ察しはつくというものである。

 

トランプ次期大統領が既存メディアとこれから対峙し、情報をどのように発信していくか大きな関心を抱いて見守っていきたい。

 

わが国の報道機関も対岸の火事と拱手傍観する暇はないと考える。先日発表された数字でも新聞購読数が昨年よりもまた百万部弱の減少となった。国民のメディアに対する目は日に日に厳しいものとなっている。真実を伝える、事実を伝えることにわたしはメディアの原点はあるはずだと考えるが、いかがであろうか。




「防空法」と朝ドラ「ごちそうさん」とNスペ「東京が戦場になった日」

防空法カバー

朝ドラ・「ごちそうさん」も、残り一週間。


め以子の夫・悠太郎が軍属として満州送りになってから、終戦後もその消息は明らかでない。


「あまちゃん」以来、熱狂的朝ドラファンとなったわたしも、あと、一週間でどういう結末になるのか気が気でない。今週はあの初々しくてかわいらしい活男君の戦死がはっきりして、肩を落としたばかりである。


そのヤキモキさせている悠太郎であるが、「ごちそうさん」の2月・第4週の放送回で当局により逮捕された。そして、知人を通じての陸軍将帥の口利きで何とか罪一等を減じられ、軍属の建築士として満州へと送還されている。


逮捕理由は、軍部・行政当局の人間も参列する防火訓練において、「焼夷弾による火災は消火するのではなく」、「火を消さずに逃げなさい」と、指示したというもの。


その時、そんなことくらいで“なぜ、満州送り?”と、疑問を持ったのである。それも罪一等を減じられてということは、減じられなければ、いったいどういった罰になったのか。


そこで調べ始めて、「防空法」という戦時下の法律の存在を知った。早速、法律文化社出版の『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』(水島朝穂・大前治共著)を求め、熟読した。


その最中に69年前に東京大空襲があった3月10日を迎え、それに因んだNHKスペシャル特集ドラマ・「東京が戦場になった日」(3月15日放映)も見た。


昭和18年8月に導入された『年少消防官』と昭和20年年2月に都内の大学・旧制高校で編成された『学徒消防隊』に就役した二人の主人公やその仲間たちが、3月10日の東京大空襲の下で生死を分けるなどその苛烈な人生を描いた物語である。


ほぼ時期を同じくして「東京が戦場になった日」、「ごちそうさん」という戦時下の空襲、その防空についてのドラマを目にし、そして、手に取った『防空法』という一冊の書籍。


昭和17年4月18日、いわゆるドーリットル空襲が初めての本土空襲である。考えてみれば、真珠湾開戦の歓喜からわずかに4か月後に東京・名古屋・四日市・神戸などの主要都市が空襲を受け、死者約90人という甚大な被害を被っている。


その翌日の朝日新聞・一面トップには、『我が猛撃に敵機逃亡』、『軍防空部隊の士気旺盛』といった見出しが躍っていたという。


それから2年2ヶ月後の昭和19年6月16日の北九州空襲に始まり、10月10日沖縄空襲、11月24日の東京の中島飛行機工場(武蔵野市)の空襲と、本土空襲が本格化してゆく。


そして、昭和20年3月10日の東京、12日の名古屋、13日の大阪と無差別大空襲につながってゆくのである。


そうした本土空襲に建前として備えるために整備されたのが『防空法』なのだが、その実態、目的とするところは、予想される本土空襲により国民が狼狽し、厭戦気分、反戦思想に陥り、戦争継続意思の破たんを招来することを避けるものであったというのだ。


だから、防空法の条項をよく読めばすぐわかるが、国民の生命財産を守る条項などひとつもなく、逆に隣組という周人監視の仕組みを設け、空襲による劫火のなかに国民を縛り、命を国家に奉げさせるマインドコントロールを徹底してゆく道具だったのである。


防空法は昭和12年4月5日に公布、10月1日から施行されたが、時局の緊迫度が高まってゆく昭和16年、次いで18年にその立法目的を完遂するための改正がなされた。


16年の改正においては、それまでの防火訓練、灯火管制といった協力義務から、都市からの‖犁邏愡漾複絃鬟裡魁法↓空襲時の応急消火義務(8条ノ5)が追加規定された。


『防空法』には「主務大臣は・・・退去を禁止または制限することを得」とあるが、以下の通り、法理論によれば下位法による勅令、通牒によって実質的には都市からの退去を禁止したという、きわめて巧妙・狡猾というより、法治国家ではあり得ぬ立法手順を踏んでいる。


その結果、国民は都市からの自由な退避、避難、疎開の道が閉ざされた。無断で避難した場合は、「町会台帳から名前が削除され、配給物資が停止される」とされたため、空襲を避けて逃げたとしても、糧道を絶たれ餓死の道を辿るしかなかったということである。


今ではにわかに信じ難いそんな非人道的、無謀な「防空法」が、ほんの70年前にこの日本に存在し、先の大戦で60万人ともいわれる非戦闘員、無辜の庶民の命を奪い去ったのである。


『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』を読めば読むほど、繰り返しの情宣活動や隣組という民間監視体制によって、人間はあまりにも無邪気にマインドコントロールされてしまうのである。


恐いと思った。本当に恐いと思った。


そして、「ごちそうさん」の悠太郎の満州送還理由だが、昭和16年の防空法改正に伴い、昭和17年3月に施行された『戦時刑事特例法』の10条1項「戦時に際し公共の防空のための建造物、工作物其の他の設備を損壊し又は其の他の方法を以て公共の防空の妨害を生ぜしめたる者死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」に拠ることを学んだのである。


つまり、防火訓練で『防空法』の狙いを根底から覆す「焼夷弾による火災は消火するのではなく」、「火を消さずに逃げなさい」と町の人々へ向かって叫んだ悠太郎の行動は、まさに、『其の他の方法の方法で防空の妨害を生ぜしめた者』に該当し、本来、死刑を言い渡されても仕方のないことであったのである。


たった、それだけの、というよりバケツの水で焼夷弾の消火をすれば、逆にマグネシウム反応により爆発が起きるという科学的論証を語っただけで、死刑が課される。


それが、罪一等を減じられて過酷な満州送還となった顛末であったことが、この書物によって分った。


そして、もっと、さまざまな愚かしいことが、あの狂気の時代に横行したことも、具体的事例によってよく理解できた。


だから、ドラマであっても、そんな時代に負けずに悠太郎には、何としてでも生きて帰って来て欲しいのである。


この機会に、是非、法律文化社出版の『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』(水島朝穂・大前治共著)の一読をお薦めする。

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参議院議員選挙、まずは投票所へ行ってから、文句を言おう!

来たる7月21日(日)は第23回参議院議員通常選挙の投票日である。

 

今回の争点は、各党がいろいろ言っているものの、国民が“政治の安定”を望むか否かの一点に絞られるといってよい。

 

衆参のねじれ現象は、1989年参院選の自民党敗北の結果、最初の本格的なねじれが起こり、その後、1998年参院選、2007年参院選、2010年参院選で時の与党が敗北を喫したため、都度、衆参のねじれが発生している。

 

衆参のねじれは、従来、影の薄かった参議院の存在を一挙にクローズアップさせ、かつてはテレビ放映も稀であった参議院予算委員会も俄然、注目度を増すなど、一概に“不都合”、“悪”と決めつける必要はない。

 

しかし、この20数年におよぶ政治の停滞、混乱、日本経済の著しい減退を考えると、その責は、“ねじれ”を奇貨として、それを建設的な政策論争に活かすのではなく、徒に政争の具として弄び、政局という政治ごっこに大半の国会審議の時間を費やした、やはり“衆参のねじれ現象”に帰するというしかない。

 

国民をないがしろにし、永田町の論理・常識のみで動いた“失われた20年”。

二大政党政治と形式にこだわったこの“20年”。

 

今回の参議院選挙は、ねじれを解消し、先延ばしされた政治課題の滞貨一掃を果たさせるべく“決められる政治”へ、もう一度、期待をかけてみるのか。

 

いや、今度こそ、“ねじれ”を具体的・建設的政策論争の促進剤として、再度、期待してみるのか。

 

山積する政治課題をスピーディーにかつ国民の豊かさ・安心を第一義に置いて、処理してゆく政治体制はどちらか。

 

“ねじれ維持”か“ねじれ解消”か、選ぶのは、言うまでもなく、わたしをふくめた国民一人ひとりである。

 

二日後の21日が投票日である。その日のスケジュールが未定な人は迷わず期日前投票に行って、先に投票を済ましておくことをお薦めする。

 

投票所へ行って選挙権を行使すべきである。

 

政治不信に陥っている人は、まずは投票所へ足を運び、白紙のまま投票箱へ投函すればよい。わたしも過去に一度だけ、白紙投票をしたことがある。白紙投票は今の政治全般に対する強烈な批判票なのだから。

 

政治に向かってまずは意思表示をし、初めて、政治に対する文句、注文をつける、政治を語る資格ができるのだとわたしは考えている。

前泊博盛氏の講演で、日米地位協定の恐るべき本質を知る

1972515日の沖縄復帰から今年で41年目である。なぜ、41年目などという中途半端な数え方をするのか。

それは、去る428日、サンフランシス講和条約の発効により、日本が完全なる主権を回復し、国際社会復帰を果たした61年目だとして、政府主催が“主権回復の日”の式典を開催した中途半端な節目をつけたことに倣(ナラ)ったまでである。

要は、60年目の切りのよい節目の年には、自民党が政権の座に座っていなかったため、政権に復帰した最初の428日に、一年遅れの式典を開催したものである。

だから、沖縄復帰後41年目というのも、一応、節目の年と言っておこう。その節目の年に、前泊博盛(マエドマリヒロモリ=沖縄国際大学教授・前琉球新報社論説委員長)の“日米同盟を問い直す”という講演会を聴いた。  

日米同盟を問い直す

前泊博盛氏は、2004113日に「日米地位協定の考え方」という外務省の機密文書を全文スクープし、同年のJCJ(日本ジャーナリスト会議)大賞や石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。そしえ、今年の31日に、“本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」”(創元社発行)という本を共著で上梓している。

前泊博盛氏
前泊博盛氏

なぜ、この講演についてわざわざブログにアップしたかというと、恥ずかしながら、わたしは今回の講演で、初めて“日米地位協定”の真の中身について知らされたからである。そしてその恐るべき本質を知るに至り、この国が戦後、この協定により米国の植民地に貶められたのだという事実に愕然としたからである。

講演会
日野市新町交流センターでの講演会

これまでも、米海兵隊のグアム移転費用の肩代わりやオスプレイの強引な沖縄配備や訓練地域の決定など、事あるごとに、この国は米国の属国なのではないかと考えさせられたことがあった。


それが米国の無理強いというのではなく、密約も含め法的な形で雁字搦(ガンジガラ)めに規定された、法的には当然の権利として米国は振る舞っていたのだという事を知り、正直、ここまでやられているのかと愕然としたのである。


そして、講和条約>日米安保条約>日米地位協定という通常に考えられる法体系が、実はその逆で、講和条約<日米安保条約<日米地位協定という、驚くべき法支配が外交密約により緻密に構築されていることも知った。

この国に主権があるのか? この国は本当に独立しているのか? 

日米地位協定は、この国家の存立にかかわる問題である。これから主権確立に為すべきことは何か、真の独立に必要な決断は何か、真剣に考えねばならぬ時機に来ていると感じたのである。

北朝鮮の核武装。中国海軍の軍備拡張と尖閣諸島接続水域への日常的な進入。韓国の竹島実質支配。ロシアの北方4島実質支配など、わが国領土・領海を侵犯する脅威は急速に高まり、実力行使もその過激さを増してきている。

国際情勢は緊迫度を急速に高めてきている。

その中で、わが国は日米同盟という絆にすがり、米国の核の下にいるというこの一点に依存し、国家の安全保障を担保していると思っている。

しかし、前泊氏は云う。「米国はいわば一夫多妻である。日本というオメデタイ妻は、米国は自分だけを愛してくれていると信じている。」

しかし、米国は軍事同盟関係でも韓国(米韓相互防衛条約) 、イギリス・フランス・カナダ・オランダなど北大西洋条約機構(NATO)、フィリピン(米比相互防衛条約)、オーストラリア・ニュージーランド(太平洋安全保障条約)、ラテンアメリカ諸国(米州共同防衛条約)と多くの国と締結している。

さらに、イスラエル・エジプト・サウジアラビア・パキスタン・イエメン・グルジア・タイ・マレーシアなどにも実質的な軍事援助を継続している。

そうした状況下、当然の如く、米国の紛争地域に対するコミットは半端ではなく、広範囲にわたっている。


今後、日本の為に戦闘を想定した実践的軍事展開の事態が発生した場合、本当にどこまで米国はこのone of themの妻のために、自国の若者の血を流してくれるのか。

こう問いかけられた時、この国の安全保障をどう考えるのか。日米安保同盟の問題、自衛隊の問題、そして、その延長線上に憲法改正の問題が当然のように浮かび上がって来る。

完全なる主権回復61年目の記念式典。沖縄復帰41年目。61年前に完全に日本の主権が回復していたというのであれば、沖縄は日本ではなかったというのか。

こうしたこと一つ取っても、この国の独立とは一体、本物なのか、考えさせられる問題は多い。

前泊博盛編者の「日米地位協定入門」は、そうした国家の主権とは何か、独立とは何かを深く考えさせられる素晴らしい本である。

非常に易しく、分かりやすく書かれているので、ぜひ、皆さんにも、ご一読いただければと思う。

林芳正(はやしよしまさ)政調会長代理の自民党総裁選への出馬を願う

国会議事堂
国会議事堂

今回の自民党総裁選においてメディアは、石破茂前政調会長や石原伸晃幹事長、安倍晋三元総理など総裁候補に名乗りを上げた候補者ならびに予定者について、自民党内の鍔迫り合いや派閥内の確執など権力闘争的な話題については飛び付くようにして報道はするものの、各候補者の諸々の政策に対する考えなどが報じられることはほとんどない。


昨日(10日)、谷垣禎一総裁が再選出馬を断念することを表明し、ほぼ立候補のメンバーが絞られて来た自民党総裁選も、14日告示、26日投開票へ向けて、いよいよ佳境へと入ってゆく。


自民党が次の総選挙において政権奪回を果たすか否かはもちろん分からぬが、最近の世論調査などによると、26日に選ばれる自民党総裁が最も次の総理大臣に近い政治家であると考えておく必要がある。

自民党総裁室
自由民主党総裁室

そうであれば、その政治家がどの程度の政策通なのかをよくよく吟味、知悉したいところである。

つまり現在のミゼラブルなデフレ経済の脱却を速やかにはかり、行き過ぎた円高水準の高位安定化をいかに突き崩し、失われたわが国企業の国際競争力を回復し、しかもその一方で財政再建を果たすというナロウパスな経済財政政策を立案させ、実行に移すに足る経済への造詣は深いのか浅いのか、あるいは菅直人前首相の如く”乗数効果”すら理解せぬ”愚かなるど素人”なのか。

竹島や尖閣諸島など領土問題で外交力の脆弱化が甚だしいなか、ユーロ危機など混迷を深める国際政治・外交の舞台で堂々と物が申せる人物なのか。

沖縄の普天間基地移転問題で大きく毀損した日米間の信頼関係の修復の一方で、沖縄県民が猛烈に反対する安全性に疑義が呈されているオスプレイの普天間配備計画で米国へ筋道の通った配備計画の見直しを迫れるかなど、わが国安全保障の根幹である対米外交を任せるに足る見識、胆力があるのか。

さらに福島原発事故から即座に脱原発といった現在の民主党政府の短絡思考、国債の信用力低下につながる国際収支の悪化や電力コストの高騰による国内企業の競争力喪失、CO2問題などマクロ的視野において大きくバランスを失したエネルギー新政策の大幅な手直しなど、国民の反原発感情のなかでいかに将来の国民の幸せのために断行できるか、等々、各々の政策に精通しているか否か、われわれが確認したい点がたくさんある。


それらを確認する方策のひとつが、林芳正政務調査会会長代理
51歳・参議院議員3期)が出馬されることだと考えている。

同議員はまだ正式に立候補は表明していないのだが、立候補に前向きな姿勢を示していると聞く。

わたしはこの候補者、取り沙汰されている候補予定者のなかでは、林芳正議員こそが次期総裁、総選挙の結果次第ではこの国のリーダーになる人物として最もふさわしい政治家であると考えるのだが、同議員の知名度はまだまだ低く、メディアの取り上げ方も少ない。

わたしが林芳正議員に総裁選にぜひ出馬して欲しいという理由は、総裁候補者間でのディベートを行ない、各人の政策理念、その理念・目標、目標を達成するための具体的なプロセス、政策手段を詳らかにして欲しいと願っているからである。

そのためには、ディベートをする際に、頭脳明晰で冷静かつ緻密な対応が出来る政治家、つまり林芳正参議院議員がいて欲しい。

そうでないと、永田町特有の“言語明瞭、意味不明”な議論ならぬ一方的演説で、その議論、討論が実のない空疎な抽象論で終わってしまう懸念が極めて高く、いや確実にそうなるに決まっている。その結果、各人がこの国難に立ち向かってゆく具体的な政策を有するのか否かさえ見極めが出来ぬという事態が十分に予想される。

それでは困るのである。

総裁候補者間のディベートでは、求められる国家ビジョンを語らせ、それを実現してゆくための道筋、実現の手段たる具体的政策論を互いに整理して議論を戦わせてもらいたいのである。

その核になる人物としてこの林芳正議員に総裁選挙に出馬してもらい、議論の抽象化、拡散をぜひ止めてもらい、具体的政策が語られるように、ディベートを整理、誘導してもらいたいのである。

ここまで推奨する最大の理由は、参議院のこれまでの予算委員会や直近では社会保障と税の一体改革に関する特別委員会などでの質疑を通じて、同議員が理路整然と相手をやんわりと論駁してゆく姿をたびたび目にするにつけ、林芳正議員がしっかりとした学識、知識、見識に裏打ちされた確固たる国家観を有する政治家であることを確信するに至ったからである。

本来であれば、51歳の若き林芳正総裁、総理大臣をわたしは強く望んでいるのだが、参議院議員の総理就任が憲政史上まだ例がないとか、閣僚経験や党務経験が乏しい、所属派閥内をはじめ同議員を支援する議員が少ないのではといった点から、国民ならびにメディアの注目度は低く、総裁に選ばれる確率は現時点では限りなくゼロに近いと言ってよかろう。

しかし、この難問山積のわが国である。今回の自民党総裁選挙ではぜひ民主党とはまったく違った具体的な政策論を戦わせてもらいたいのである。

その要の人物としてわたしは、林芳正参議院議員を推奨したいということである。

ぜひ、推薦人を集められ、出馬されんことを切に願う。 


出馬が叶い、ディベートが行なわれれば、その他候補者の得手不得手、あるいはどなたかのような長老の顔色ばかり伺い、政策論などかつて聞いたこともない政治家などは具体的政策論が構築できないといったことも、そこで白日のもとに曝されることになり、党内の政治力学だけで総裁が選ばれることを少しは回避できるのではないかとお節介ではあるが思っているところである。

「一票の格差」を是正せず法を侵す立法府に、三権分立を担う正統性はない

国会は言うまでもないが、日本国憲法第41条に定めるように、「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」。


そして憲法第43条で、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める」、第47条では「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」とある。


2011225日、本日をもって、「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関」が自ら立法した「衆議院議員選挙区画定審議会設置法」(1994年)を犯すことになった。


同法は小選挙区制導入に際し立法された政治改革四法のひとつである。

衆議院の小選挙区区割り法式は、まず衆議院議員選挙区画定審議会にて審議される。選挙区割りは国民の一票の格差を決定し、政治家の当落を左右する重要な問題である。


内閣府に置かれる「衆議院議員選挙区画定審議会(以下審議会)」は、「国会議員以外の者であって、識見が高く、かつ、衆議院小選挙区選出議員の選挙区の改定に関し公正な判断をすることができる」7名の内閣総理大臣に任命された委員で組織される(同法第6条)。


そして、審議会は、「各選挙区の人口の均衡を図り、各選挙区の人口のうち、その最も多いものを最も少ないもので除して得た数(一票の格差)二以上とならないようにすることを基本とし、行政区画、地勢、交通等の事情を総合的に考慮して合理的に行わなければならない」(第3条)と定められた改定案の作成基準を満たさなくなった場合には、「衆議院小選挙区選出議員の選挙区の改定に関し、調査審議し、必要があると認めるときは、その改定案を作成して内閣総理大臣に勧告する」ことが求められている(同法第2条)。


さらに、その改定案の勧告は、「国勢調査の結果による人口が最初に官報で公示された日から一年以内に行うもの」とされ、平成22年国勢調査の「人口速報集計結果」が公表された平成23年2月25日から1年後、すなわち本日が、その勧告期限となる。


小選挙区の議員定数の改定案の勧告がなされぬままこの状況を放置することは、「国民代表である国会の議決によって成文法を定める」立場にある立法府自らが「法」を無視するものであり、その行為は自己否定そのもので、法治国家の崩壊を意味するものである。


加えて、2011323日の最高裁大法廷において、第45回衆議院議員総選挙時(20098月)、「(各都道府県に1議席を割り振る)1人別枠方式に係る部分は、憲法の投票価値の平等の要求に反するに至っており、同基準に従って改定された本件区割規定の定める本件選挙区割りも、憲法の投票価値の平等の要求に反するに至っていたものである」と違憲判決を下している。


単なる「05減」ということではなく、「1人別枠方式」の選挙制度の在り方そのものの見直しを迫っているのである。


判決主文の「理由」のなかで、その重要なる部分を下に記す。

国民の意思を適正に反映する選挙制度は,民主政治の基盤である。変化の著しい社会の中で,投票価値の平等という憲法上の要請に応えつつ,これを実現していくことは容易なことではなく,そのために立法府には幅広い裁量が認められている。しかし,1人別枠方式は,衆議院議員の選挙制度に関して戦後初めての抜本的改正を行うという経緯の下に,一定の限られた時間の中でその合理性が認められるものであり,その経緯を離れてこれを見るときは,投票価値の平等という憲法の要求するところとは相容れないものといわざるを得ない。衆議院は,その権能,議員の任期及び解散制度の存在等に鑑み,常に的確に国民の意思を反映するものであることが求められており,選挙における投票価値の平等についてもより厳格な要請があるものといわなければならない。したがって,事柄の性質上必要とされる是正のための合理的期間内に,できるだけ速やかに本件区割基準中の1人別枠方式を廃止し,区画審設置法3条1項の趣旨に沿って本件区割規定を改正するなど,投票価値の平等の要請にかなう立法的措置を講ずる必要があるところである。


さらに、宮川光治裁判官の反対意見の今後,国会が速やかに1人別枠方式を廃止し,選挙権の平等にかなう立法的措置を講じない場合には,将来提起された選挙無効請求事件において,当該選挙区の結果について無効とすることがあり得ることを付言すべきである」とする厳しい付言に対し、聴く耳持たぬといった国会の姿勢は、法に拠る民主主義そのものを根底から否定するものであり、決して許されるべきものではない。


その一方で、区割り規定改正案を策定、勧告する「衆議院議員選挙区画定審議会」そのものの位置付けが曖昧であることも、一票の格差是正がスピーディーに進まぬ大きな要因となっているともいえる。


すなわち、「衆議院議員選挙区画定審議会設置法および施行令」を読む限り、当審議会は、選挙区の状況が改定基準を満たさぬ状態に陥った場合は、自発的に会長が会議を招集し、「内閣府大臣官房企画調整課において総務省自治行政局選挙部選挙課の協力を得て」、投票価値の平等を担保すべく選挙区の区割規定改正案を作成、内閣総理大臣に勧告するとなっている。そして総理大臣は勧告を国会に報告しなければならぬ(第5条)と定められている。


どうも一義的には、まず会長(村松岐夫(ミチオ)京都大学名誉教授)が招集し、改定案を作成、総理大臣へ勧告しなければ、事は進まぬことになっている。国会議員の生殺与奪権を握る怖い審議会とも読み取れるのである。


その審議会の委員は、設置法の第6条・組織において、内閣府に置かれる「衆議院議員選挙区画定審議会(以下審議会)」は、「国会議員以外の者であって、識見が高く、かつ、衆議院小選挙区選出議員の選挙区の改定に関し公正な判断をすることができる」7名の内閣総理大臣に任命された委員で組織されるとある。なお、現在の委員の任期は平成21411日〜平成26410日までの5年間である。


つまり事の性質上、立法府構成員たる議員自らの利害に関することゆえ、選挙区割りの見直し案は、「識見が高く、かつ、公正な判断ができる」議員以外の人であるとするものである。


その意味するところは分かるが、一票の格差が生じた際に選挙区の区割り改定案を作成せぬ場合の責任の所在が、これではよく分からぬのが正直なところである。


実際に平成22年国勢調査の「人口速報集計結果」が公表された平成23225日、さらには同年323日の最高裁大法廷で違憲判決が下されて以降、この「選挙区画定審議会」が開催されたのは、平成23年の3月1日と28日のわずかに2回のみで、7名の委員が再任された平成21年4月11日からでもたったの6回、年間に2回ずつの開催にとどまっているのである。


こんな開催状況では、素案をつくるなどどだい無理という話である。


今回のメディア報道でも与野党協議の折り合いがつかずに勧告に至らず、「違法状態へ」とされているが、立法府たる国会が定めた法律では、どうも「衆議院議員選挙区画定審議会」の重大なサボタージュということになってしまうのだが、本当にわが国の政治は一体、法律に基づいて運営されているのか。どこかの国が人治主義だといって揶揄するのも、これではどうかと思ってしまう。人治ならまだしもよい。それすらしないアナーキー状態ともいえるいまの国政なのだから。

もう言うぞ!民主党の言う公務員給与削減と人事院勧告のまやかし

「綸言(りんげん)汗のごとし」と対極にある議事録作成をしない民主党政権の背任(2012.1.31)

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25日、民主、自民、公明3党が一般職の非現業国家公務員(以下、国家公務員給与という)の削減について、大筋で合意した。その内容といえば、2011年度の人事院勧告(平均023%減)に基づく給与引き下げを実施したうえで、今後2年間は平均78%を上乗せし削減するというものである。


逆に言えば、20124月から20143月までの2年間は平均803%の削減はするが、20144月からは給与削減上乗せ分の78%を解消し、人事院勧告の023%の削減に戻すという一種のマヤカシに近い。


2011年度の人事院勧告は、2012年の一般職の非現業国家公務員の平均年収を、6385万円(2011年実績)から637万円へ年間でわずかに15千円削減(マイナス023%)とした。月例給ベースでは396,824円(前年度マイナス899円、比率でマイナス0.23%)となる。その平均年齢は423歳である。


つまり今後2年間の201213年度の人事院勧告がプラス・マイナスゼロの現状並みと仮定した場合、20144月からは2011年度の人事院勧告の平均年収637万円(2012年人事院勧告ベース)に復するというのである。国民を馬鹿にするのいい加減にして欲しい。


その一方で民間給与の実態はどうかということであるが、厚労省が毎年行っている「国民生活基礎調査の概況」の平成22年版によると、平成21年(2009年)の一世帯当りの平均所得金額は、5496万円となっている。ただ、その平均所得は65歳以上の高齢者世帯(3079万円)、母子世帯(2626万円)および民間より高額となっている公務員世帯も含まれているため、いわゆる純粋な民間の勤労一世帯当りの平均所得はこれよりかなり少ない金額となる。


また一世帯当り所得は配偶者等の所得(パート収入・正社員給与)も含んだ数字であり、公務員給与と比較するに当っては、世帯主個人のみの所得と比較する必要がある。


そこで、国税庁が毎年調査をしている「民間給与実態統計調査」(2011.9公表)の2010年実績の数字を参考に表示すると、民間の年間平均給与(給料・手当+賞与)は4120万円(男性5074万円・女性2693万円)となっている。平均年齢は447歳と公務員給与の平均年齢の423歳より24歳高齢となっている。


これは1人〜9人の零細事業所から5000人以上の大企業まで8層ごとに、ある摘出率により抽出した268万人の標本給与所得者を調査対象としたものである。


人事院勧告で比較される民間給与の実地調査はその対象数が「約43万人」と、国税庁調査のサンプル数の「約27万人」を超えるものの、国税庁は事業所の規模を1人以上から大企業までの全てを網羅するのに対し、人事院勧告は「企業規模50人以上かつ事業所規模50人以上の事業所」と、企業数の多くを占める零細企業の給与実態がまったく反映されない仕組みとなっている。


このことは従来からよく指摘されてきたことだが、具体的にどのような影響が勧告の数字に表れているのかを説明したものはわたしは目にしていない。そこで、ここで国税庁調査の数字を使い、影響を分析してみる。


国税庁調査では、2010年の給与所得者数総合計5,415万人(100%)のうち、「1-9名の事業所の給与所得者数総数972万人(180%)」、「10-29名の事業所の給与所得者数総数777万人(143%)」 、「30-99名の事業所の給与所得者数総数881万人(163%)」とある。30人未満の事業所規模の合計だけで323%と13を占めている。


また中小企業庁の公表する「小規模企業の従業員数」は総従業員数4013万人の23%の約929万人とされている。ここにいう小規模企業の定義は製造業・その他で従業員20人以下、商業・サービス業5人以下の企業となっている。その小規模企業に就業する勤労者だけで全勤労者の23%を占めている。


以上の二つの統計調査からだけでも、人事院勧告のベースとなる「企業規模50人以上かつ事業所規模50人以上の事業所」に雇用される対象勤労者は、おそらく6割程度(零細企業従業員は少なくとも3割以上4割強と推定)の給与水準の高い部類の勤労者を民間給与のサンプルの母集団としていることになる。


そして国税庁の「民間給与実態統計調査」で、さらにその詳細内訳をみると、年間給与額は事業所規模10人未満は3357万円(平均年齢503歳)、10-29人事業所規模で3991万円(同462歳)、30-99人事業所規模は3870万円(同441歳)と、いわゆる零細企業の給与水準が実際にも、全民間給与平均の4120万円より低いことがわかる。


因みに100-499人が4156万円(同429歳)、500-999人が4634万円(同41.9歳)、1000-4999人が4804万円(同419歳)、5000人以上が4895万円(同422歳)であり、零細企業の給与が低いことは明らかである。


さらに、零細企業従業員の平均所得に対応する平均年齢が、従業員500人以上の大企業の従業員より10歳ほど高齢であることも、民間企業の間でも、企業規模別の給与格差が表面的な平均給与の差以上に、実態は、より大きなものであることも理解しておく必要がある。


そうした民間企業給与の実態を知ったうえで、公務員給与の人事院勧告を眺めると、給与決定の仕組みが経済の実態に適っていないと言わざるを得ない。そうした計算式で長年やっていれば、給与の官民格差が生じてゆくのは当然であり、零細企業によりしわ寄せのゆく現在の厳しい経済情勢に鑑みれば、消費税率アップ云々の前に、公務員給与水準の在り方そのものが議論されて然るべきと考える。


そう考えて来ると、現在、民主党が用意している2015年までに消費税率を現在の5%から10%へ引き上げる増税法案は、もちろん増税は将来にわたるものであり、公務員給与を2年間だけ一時的に78%に削減することで、自らも痛みを分かち合うのだと云うのは、先述したそもそもの官民格差(官637万円:民412万円)の是正を行なったうえにさらに「痛み」をどういう形で具体化するのかが、当然、求められるべきである。


ましてや2年間の一時的給与削減を理由に、労使交渉で給与を決められる労働協約締結権を付与することなど詐欺的なマヤカシであり、公務員制度改革関連法案の本質をわれわれ国民はもっと詳しく知っておくべきである。


民主党が支持母体である自治労連という身内に本気で痛みを強いさせることが出来るのだろうか。この給与の2年間削減だけで労働基本権の一つを与えようとしていることを見るだけで、とても難しいと断じざるを得ない。


民主党の本質が口先政党ということがわかった今、国会議員の定数削減、公務員給与の2割削減がなされぬ限り、国民にだけ痛みをしわ寄せする消費税増税は決して有り得ぬことを、野田政権はよくよく分かった上で、今国会の運営を進めてもらいたい。


強引に消費税増税案と労働協約締結権付与の公務員制度関連法案を通すつもりであるのなら、その前に国民にその信を問う、解散、総選挙を行なうのが、民主主義の王道である。何しろ、これだけ国民との約束と声高に叫んだマニフェストをことごとく反故にしてゆく政治に国民はほとほと嫌気がさし、不信の塊になっているのだから。

鳩山さん、あんたが先に辞めるべき=「原点を忘れたら政治家を辞めた方が良い」


鳩山首相に告ぐ=沖縄訪問のあまりの軽さ(2010.5.5)
「辺野古以外があるか。私は決してないとは思っていない」そんなら鳩山、口先じゃなく、汗かけよ!(2011.12.5)

25日午後、岡山市内の会合で鳩山由紀夫元首相が、「自分が辞めた後、2人の首相が頑張ってくれたが、必ずしもマニフェスト通りに事が進んでいないことに胸を痛めている。選挙で掲げたことを実現していくのが私たちの役割だ」と述べ、さらに、「民主党の原点に戻り、私もゼロからの出発という気持ちで頑張らないといけない。原点を忘れたら政治家を辞めた方が良い」とノタマワッタ!!!


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年間は上げないと約束した消費税率の増税に野田佳彦首相が前のめりになり、 “コンクリートから人へ”の象徴であった八ツ場ダムの建設中止の破棄を決めたことなどを指して、首相経験者としての大所高所からのご意見を宣わったのだろう。

2009
726日、政権交代を目前に控えた総選挙(830日投票日)での民主党立候補予定者の集会(新発田市)で、あんたは、「首相を退任後、政界に残ってはいけない。影響力を残したいという人が結構いるが、首相まで極めた人がその後、影響力を行使することが政治の混乱を招いている」なんて、賢(さか)しらに叫んでいたよね。

そして首相退任後、議員辞職を宣言し、それをまたあっさり、“議員を辞めることをヤメタ”んだったよね〜。

鳩山さん、こう書いているうちに、ふと気づいたんだが、あんたには、考えてみれば、人として、政治家としての“原点”なんていうものが、そもそもないんだから、「忘れる」ってことはあり得ないんだ・・・って、気がついた・・・

するって〜と、「原点を忘れたら政治家を辞めた方が良い」って言ったことも、あんた自身には降り懸かって来ないってことになるのかなぁ・・・


「わたしは人としての原点がないから辞める必要はない」ってこと・・・、

「わたしだけは別格」ってこと・・・

どうもこの男や菅のことになると、胸糞悪くって、言葉がお下劣になり、まことに申し訳ありません・・・

ほんとに、ふざけんじゃね〜よってんだ!!

なぜ、ビデオを非公開としたのか、民主党!5

 尖閣ビデオ流出事件において大事な問題がそれていっているようなので、ここで、一言述べておかなければならない。
 
 衝撃のビデオ投稿から数日が経った。そして、メディア、とくにTVメディアにおいて、この投稿者は誰かといった犯人捜しが始まっている。

 衆議院予算委員会でも、先日の国際テロ対策関連の情報漏洩と併せて政府の情報管理の在り方が問題とされ、追求がなされている。

 そのことが大事な問題であることは十二分に認識しているが、今回の尖閣ビデオ流出事件については、少し、扱いは違うのではないのかと考える。

 すなわち、YouTubeに投稿されたビデオの中身を見て、なぜ、このビデオが非公開にされなければならなかったのかという素朴な疑問が湧き出てくるのである。それが払しょくされないまま、この問題を先に進めてゆくのは適当でないとの思いが強くなっている。

 だから、そのことがまず、国民の前で分かりやすく説明されやければならない。 つまり、流出させたのは誰か?を、探偵ごっこで探すのは、いま、国会で議論するような事案ではないということだ。

 それこそ、告発はしたのだから、犯人探しはまずは捜査当局に任せておけばよい。

 国益の観点からして、政府がこのビデオを非公開とすべき理由は何だったのか。この疑問が氷解されないままに、情報管理といった問題へ今回の事件を拡散させてゆくのは、時機尚早であり、問題に潜む本質を放置することになる。

 多くの国民が公開を求めたビデオをいたずらに秘匿しようとした、そうとしか見えないのだが、その本意は一体何なのか。

 これを明らかにすべきなのである。

 もしそれが日中間に波風を立てたくないといった、とんでもない理由であれば、これは、国土の安全を守るという政府のもっともプリミティブなミッションをないがしろにする言語道断の所行であり、反国家的な犯罪ともいうべきことなのである。

 そうでないことを願うのは当然だが、そこは、信用の置けぬ菅政権である。さらには直接、国益に関わる問題である。この予算委の場において、堂々と国民の前に明らかにされるべき事柄だと考える。

 そして、尖閣ビデオ流出の問題で海上保安庁に寄せられた電話の多くに「流出させた職員を追及するな」、「なぜ、告発したのか」といった声があるということを、民主党政府はよく吟味したうえで、早急に「ビデオの非公開理由」を国民に明らかにすべきである。

 と同時に、ビデオの全面公開を行うべきである。

尖閣流出ビデオ事件の本質は、「クーデター」と知るべき

 河野雅治駐露大使の強制召還に、ロシア側は即座に高圧的反応=メドベージェフ大統領の北方領土・国後島訪問事件 (2010.11.3)

「竹島」に李明博(イ・ミョンバク)大統領がやって来る!=露大統領、北方領土訪問(2010.11.2)

菅首相の国辱外交=「尖閣諸島」の致命傷となった日中首脳会談(2010.10.6)

尖閣諸島、船長釈放=民主党の政治主導はマヤカシ!(2010.9.26)

 114日午後9時ころ、合計44分におよぶ6本のビデオがYoutubeに投稿された。97日に中国漁船(�罨晋漁(ミンシンリョウ)5179)が尖閣諸島付近で操業後、海上保安庁の巡視船「よなくに」(午前1016分)、「みずき」(午前1056分)に相次いで衝突してくる映像であった。 

 民主党政府が尖閣事件の全貌をかたくなに秘匿するなかで、一般投稿サイト「ユーチュブ」における政府の意図せぬビデオ映像の公開である。

 

 衝突映像全体は延べ数時間におよぶと云われているが、今回、投稿された映像は約44分、111日衆議院予算委員会に提出されたビデオはたったの650秒であった。今回の投稿ビデオにも、海上保安庁職員が中国漁船に乗り込む場面や中国人船長が逮捕される瞬間の映像はなかった。海上保安庁が公権力を行使する場面が意図的に削除されているとすれば、この投稿者が当局外の人間でなければ、その属性はおよそ推測される。

 

 そうした属性が容易に特定されるビデオが何故に違法に公開されたのか。その意図は何なのか。

 

 今回の投稿者は、ひとつは外部の人間がビデオのコピーを何らかの手段で違法に入手し、投稿した。もう一つは、内部の人間がコピーを外部の人間に渡し、外部の人間が投稿した。もう一つが内部の人間が直接コピーを投稿した、との三つが想定される。

 

 その一方で投稿の目的は、一つは尖閣衝突事件の処理に不満を持つ人間が少しでも事件の全容を伝えたいと考え、何らかの手段で入手したビデオコピーを国民の目の前に曝し、政府の外交姿勢に非難の声を高めようとする極めて政治色の濃いものである。もう一つは、愉快犯的なもので、みんなが興味を有す情報を流出させて、社会が大騒ぎし混乱する様を見て面白がるものである。

 

 その意図が愉快犯的なものであれば、この問題は、ビデオが国民の目に触れることから惹起される今後の政府批判の動きは別に対処すべきで、投稿事件そのものは情報漏洩という政府の危機管理問題として扱われるべき筋合いのものである。

 

しかし、投稿の意図が政治的なものであれば、これは大きな問題というか、大事件と位置付け、対応すべきものである。

 

そして、事件の中核に座る人物が「内部(海保・検察庁)の人間」であったとすれば、これは、実は「クーデター」として対応すべき事変である。

 

菅首相は5日、ビデオ映像流出について、「まずは徹底的な原因究明が先決だ。真相究明に全力を挙げる」と述べた。

 

やはり、この一言を聞いて、菅という人物は一国の宰相たる資格はまったくないと断言するしかない。

 

まずやるべきは、犯人あるいはグループの摘発である。菅首相は、この投稿者が今回の投稿で終わりと安易に考えている節がある。「クーデター」であれば、次の一手、その次の一手と、国民と中国政府の反応を見ながら矢継ぎ早に手を打ってくるはずである。

 

先の一言が、国家の安全保障という最大の責務に対する自覚がこの男には皆無と言わざるを得ない証左なのである。

 

記者の質問に対する答えで、何も国民を不安におとしめる「クーデター」といった不穏当な言葉を使えと言っているのではない。ただ、現下の危機的事態を認識したうえで事に対処すべきだと云っているのである。

 

つまり、「犯人摘発と被害の拡大防止に万全を期す」といったニュアンスの発言が、まずは最初に発されるべきであり、この時点での国家指導者の国民へのメッセージとはそうあるものだ。

 

そして、被害拡大防止の観点で云えば、数時間におよぶオリジナル・ビデオの全面公開を早急に用意すべきなのである。

 

編集者の意図が全面的に反映された中途半端な情報公開は、この際、しない方がよい。

 

この「クーデター」の意図が、現場で国土の安全のため必死に一身をささげ頑張るものたちが現政府の領土問題への定見なき姿勢に対する強烈な反撃にあるのだと、思えてならぬのである。「臭いものには蓋」、「事なかれ主義」で国土は守れないのだと、この投稿者は叫んでいるに違いないと思えてくるのである。

 

そうであれば、事の発端である中国漁船による衝突・船長逮捕の場面を余すことなく公開するのが、この時点での被害最小化の手であるし、国際社会に対して国益堅守の有効な一手であると考えるところである。遅きに失したことは否めぬが、客観的判断を国際社会に委ねるのが、軍事力を背景に持たぬ国家が成しうる最良の手段と考えるべきである。

 

海上保安庁は、領海侵犯をしたうえ国境を守る巡視船に体当たりを繰り返す漁船を拿捕し、船長を逮捕した。一部にやり過ぎがあった?のかも知れぬが、法に基づく手続きを踏んだうえでの一連の逮捕劇だったのであろう。また、そうしたビデオを見た検察は無謀な領海侵犯者に対し国内法を適正に適用しようとした・・・。

 

Youtubeの映像を見る限り、今回の投稿は国土防衛に懸ける海保の強烈な使命感、或いは傍若無人な侵略者に対し国内法を適正に適用しようとした検察庁の正義感が暴走したものであり、この船長を処分保留のまま釈放した民主党政府(政府は那覇地検の判断とする)への不信感の高まり、現場の危機意識の先鋭化から暴発したものと考えるのが自然である。

 

わたしの心情は、まさに昭和11年に陸軍青年将校によって引き起こされた「二・二六事件」の際の国民感情に近いものがある。「義」は青年将校にあるとの気持ちを抑えることは至難である。しかし、やはり、事情はどうであれ、手段は適正かつ適法であらねばならぬ。だからこそ、首相は、「犯人摘発に全力を挙げる」と、まず声を発すべきだったのである。

 

この「適正かつ適法」という最後のタガを失ったときに、この国は亡国の急坂を転げ落ち始めたのだから。われわれ国民はその深い反省のもとに、戦後の65年を生きてきたはずであるから。

 

それにしても現場にこうした苦渋の選択をさせた民主党政府の国土防衛に対する危機意識の欠如はひどい。一日、民主党政府が政権の座に居続ければ、国益はその分毀損することがはっきりしてきた。もはや、今国会で民主党を追い詰め、早急に政権の座から引きずり落とすしかない。

 

次の政権は、政権の座優先という姑息で卑劣な政権ではなく、国益最優先の旗印の下に集結した者たちが担うべきであるし、この局面ではその「大義」は、必ずや国民の熱烈な支持を獲得するものと信じる。

NHK記者、捜査情報漏えい言語道断、でも一番悪いのは検察庁など捜査当局

 

 「あす賭博関連で数ヶ所に警察の捜索が入るようです。すでに知っていたらすみません。ガセ情報だったらすみません。あと他言無用で願います。NHKから聞いたとバレたら大変な問題ですので」(NHK発表)

 

 これは、NHK報道局スポーツ部の男性記者が、野球とばくに係る家宅捜索が行われる当日(7月7日)の午前零時頃に、時津風親方に送信した携帯メールの内容である。記者はその情報を、6日に両国国技館で取材中、他社の記者から聞いたのだと、NHKの内部調査では答えているという。

 

 NHK記者のこの行為は、報道に携わる人間としてあってはならぬことであり、言語道断と云うしかない。

 

 ここでは、それは一応、置いといて、言いたいのは、前から釈然としないことなのだが、世間の耳目を集める事件での捜査当局の動き、あり方についてである。

 

 例えば、この前の厚労省の村木厚子元局長(現内閣府政策統括官・2010.9.21無罪確定)のケースで見ると、2009615日に厚労省等への一斉家宅捜索があった。その際だが、いつものようにNHKのテレビ映像は、厚労省へ向かい入口へと入ってゆく地検特捜部の面々を映し出す。いかにもこれから巨悪を暴きに行くのだと、思い入れたっぷりの映像である。

 

 これって、前から不思議に思っていた人も多いと思うのだけれども、家宅捜索って、捜査上の極めて重要な機密情報だよね。その部外者の者は誰も知らないはずの家宅捜索の、それも真正面からの映像が、堂々とNHKの放送で流される。

 

 「特捜が動いた!」、「スワッ!」と、記者クラブの連中が走り出したとしても、極秘に行なわれる家宅捜索の場所に、検察より先にテレビ局の人が到着し、ご丁寧にカメラの放列を敷いて待機するなど、普通じゃ考えられなくない? 一回や二回であれば、それこそ特ダネ映像になるのだろうけど・・・。

 

大きな事件になればなるほど、粛々と特捜が隊列を組み、捜査対象のビルへ入ってゆく映像が、それも脚立を立てたベストアングルからの映像が、流される。いつもそうだ。

 

これって、事前に報道機関が知っていなければ、出来ない芸当だよね。

 

とくに、これまでのNHKはこの手の事件では、そうした映像で後れをとったことはないのではなかろうか。

 

そう考えて来ると、今回の大相撲とばく事件の家宅捜索も、NHKは事前に知っていて、その情報が内部の記者に漏れたと考えるのが、自然だと思えるんだよね。だって、家宅捜索を何日に行うなんて情報は、記者の間では重要情報に決まっているのだから。他社の記者にそんな貴重な情報を教えるはずがない。

 

NHKもインサイダー事件などで、コンプライアンスの徹底など内部管理体制の整備徹底に尽力していると云っているのだから、今回の顛末も、正直に視聴者に話をしなけりゃね。

 

そして、これが一番大事な問題なんだけれど、家宅捜索の情報を聞いた奴が悪いんじゃなくて、その機密情報を最初に漏らした奴が、一番悪いに決まっていることは、云わなくたって自明だよね。

 

そう、検察なり、警察という捜査当局が流さなければ、誰もその事実を知ることはできないんだから。

 

今回の大阪地検特捜部のFD改ざん事件も言語道断で怖ろしい事件なんだけれど、これまでの前田恒彦元主任検事や大坪弘道前大阪地検特捜部長、佐賀元明前副部長の最高検察庁による取り調べについてだけど、これも変なんだよね。

 

だって、密室で行われているはずの取り調べの内容が、タイミングよく詳しく、報道機関から流れて来る。これって、最高検察庁の取り調べに関わっている人が、しゃべっているってことだよね。じゃなければ、各報道機関は同じ内容の報道になるはずないもんね。み〜んな、同じだよね、内容が・・・。これって、目的は情報操作?

 

そもそも、検察庁が取り調べ中の情報を漏らすって、厳密にいえば、公務員の守秘義務違反だし、それ以上に、大阪地検特捜部が自ら描いたシナリオに沿って捜査を誘導してきて冤罪を造り上げた構図そのものだよね。

 

何か、検察も報道機関も、村木さんの時に犯した過ちを、性懲りもなくまた、繰り返しているとしか思えないんだよなぁ〜。この冤罪造りの馴れ合い、自分だけが正義だという思い上がり・・・。仕様がないのかね、権力の体質ってやはり変わらないのかねぇ〜。自らを省みることなどするはずがないのが、権力ってもんだからなぁ・・・。あ〜ぁ・・・

郵便不正事件=大阪地検のトップ、やはり改竄の事実知っていた

あってはならぬ国家の犯罪=郵政不正事件・地検特捜部検事が押収資料を改竄 

 今回の郵便不正事件に関し、検察関係者の話で、今年2月の初め頃、大坪弘道部長(現・京都地検次席検事)をはじめその上の玉井英章次席検事(現・大阪高検次席検事)、さらに地検トップの小林敬検事正にも、前田恒彦容疑者(当時・捜査主任検事)のデータ改竄の事実が伝えられていたことが分かった。

 

そして、今回の発覚まで上層部は何ら必要な措置をとらなかったということである。そのことは結果として、大阪地検トップを含めた組織全体が、前田容疑者による改竄行為(本人は現段階で、「誤って書き換えた」とするが)の隠ぺい工作に加担したとも云える。

 

地検内には前田容疑者がフロッピー・ディスク(FD)に細工したとの噂が広がっていたという。それにも拘わらず、事の真相究明の動きすらなかったのだろうか。押収資料を改竄する行為がどういう意味を持つか、優秀な検事の方々に分からぬ訳がない。

 

 国家権力の中枢中の中枢に居続けると、権力は他者に対してのみ行使され、自らには行使されないとでも、勘違いしてしまうものなのか。そうした環境、立場に身を置いたことのない私には、そこら辺りの心理状態を分析する術も力もない。

 

 ただ、改竄されたFDは、そもそもは村木厚子元局長(9月21日無罪確定)の無罪を証明するひとつの証拠となるものであった。その証拠があるのに、それを無罪の証明に使用させない。怖ろしいことだ。起訴したら、無罪の証拠が出てきても何としてでも罪人に仕立て上げるとしか見えぬ行為である。

 

言うまでもなく、この国は国民主権を高らかに標榜する憲法を持っている。そう大上段にこぶしを振り上げるまでもないが、検察という組織は、当たり前だが、国民のためにあるはずである。

 

 だからこそ、国民の利益を守るためにだけ、その絶大な権力を行使できるはずである。無実の国民を罪人に仕立て上げることなどあってはならぬし、ましてや捜査の過程のなかで被告の無罪を証明する証拠に違法な改竄を加え、犯罪をねつ造するなど、言語道断である。

 

 そして、その改竄を地検トップ以下、知っていながら、それを放置していたとしたら・・・。国民の権利と利益と正義を守るべき検察組織は、一体、どこを向いてその権力を行使しようとしていたのか。

 

 事の次第によっては、そんな怖ろしい組織はご破算にして、再度、国民主権を中核に据えた正義の守護者を新たに創設することも検討すべき、そんな戦慄すべき事態が今、われわれの目の前で展開され、その真相が詳らかにされようとしている。

 

 検察上層部の身内の犯罪に対する放置行為が、放置すべき何らかの正当な理由があり、最低でもその事情が斟酌できる事実があったのだと、国民が納得できるような結果になることを、心から願うような気持ちでいる。

 

 まずは、国民の目の間ですべてを詳らかにして欲しい。それから、一からやり直すために、みんなで考えよう。今はあまりの事態に、そう言うしかない。

 

 今回の事件は、本来なかった犯罪を、全能の権力を有す検察庁がねつ造し、無辜の国民を罪人に仕立て上げようとしたのだから。

あってはならぬ国家の犯罪=郵政不正事件・地検特捜部検事が押収資料を改竄

郵便不正事件=大阪地検のトップ、やはり改竄の事実知っていた

 郵便料金の割引特例を利用する為、実体のない障害者団体「凛の会」が偽の証明書を発行させた事件で、それを指示したとして起訴された村木厚子厚労省元局長の裁判は、つい2週間ほど前の
910日、無罪判決が言い渡されたばかりである。

 

その無罪判決の内容を知るにおよび、大阪地検特捜部の杜撰な捜査のあり方に驚くとともに、検察の描くシナリオに無実の人間を強引に押し込める供述誘導乃至供述ねつ造自体、これは一種の犯罪ではないかと、憤っていたところである。

 

大阪高検はさすがに「新たな証拠はなく、無罪を覆すのは難しい」と、控訴断念の方針を固め、24日(控訴期限)までに最高検の了承を得、正式にその旨を表明する予定であった。

 

 その控訴期限が迫る21日、驚くべきニュースが飛び込んできた。事件の捜査主任であった前田恒彦検事(43)が、押収したフロッピー・ディスク(FD)の証明書作成の最終更新日時を「200461日午前12006秒」から「同年同月の8日午後91056秒」へと改竄したというのである。

 

 改竄理由はまだはっきりせぬが、FDの実際の更新日時では、検察の描いた事件のシナリオに不都合が生じるため、「凛の会」から発行依頼があったとする日付以降に改竄する必要があったのではないかというのである。

 

捜査側、それも泣く子も黙る地検特捜部において、そんなことがあってよいのか!

 

国家権力を恣(ホシイママ)にする検察庁が、自らの手で、無辜(ムコ)の国民を犯罪者に仕立てる。そのために、事実を捻じ曲げる工作をする。信じられないし、信じたくない。しかし、事実であれば、背筋の凍る、ぞっとする話である。

 

現段階では、前田検事は、「誤って書き換えてしまった」と弁明しているそうだが、6年前の更新日付をキィー操作を「誤って」書き換えてしまうことなどあり得ぬことは、ちょっとパソコンやワードを弄(イジ)っている人であれば、分かるはずである。

 

これは、国家権力による犯罪である。全能の神が罪を犯すというに等しい。

 

そして、それが前田検事一人でなく、もし、組織的に行なわれていたとしたら・・・。

 

 考えれば考えるほど怖ろしい。

 

村木厚子氏が本日の記者会見で述べられたように、それが事実とすれば「怖ろしい」ことだし、「(トカゲの尻尾切りをするように)個人の問題にするのではなく、(検察)組織として二度と起こらない仕組みを作ってほしい」と強調したのは、当然である。

 

 国民の目の前に事の真相を詳らかにし、何も隠していないと国民が十分に納得できるまで、最高検察庁は調査、いや、捜査の一部始終を、都度、丁寧に説明し、国民の理解を得るべきである。

 

 その上で、責任の取り方をどうするか、さらに最も重要なことだが、今後、同じことを起こさぬセキュリティー・システムをどう設けるかが、検察庁全体に課せられた重い十字架となっていることを知るべきである。

 

 また、本件については、村木氏の逮捕、起訴、公判、一審無罪、検察の控訴断念という一連の流れを、全体として、検証すべきである。それも、国民の前で目に見える形で行うべきである。

 

なぜ、無辜の国民を犯罪者に仕立て上げる捜査がなされたのか。その真相解明には、検察と云う国家権力の闇に迫ることが是非とも必要だが、それをやるのは、もはや、体たらくの政治家でもマスコミでもなく、「正義の確立」に対する国民の毅然たる態度であり、それを為さしめるため真相解明の声を国民が挙げ続けることである。

3年後にダブル選挙の矛盾 また、失言、菅首相4

民社党の代表選の国会議員の囲い込みなのだろうが、昨日、菅首相が新人議員を集めて、意見交換会なるものを開催した。
その中で、3年後のW選挙の話が出た。
と言うことは、3年間は消費税は上げないということでよろしいのでしょうか。菅さん。だって、増税の時は国民の信を問うとはっきり、言っていましたからね。
財政再建など取り巻く懸案は多い。
自分を縛る政治はこの生き馬の目を抜く時代、最悪の選択だと考えるが。
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政策コンテストは政権放棄、早く総選挙を!!

 突然のことで、まだ、詳細は分からぬが、民主党政府がまた訳の分からぬことを言い出した。

 

 来年度予算の概算要求の策定が急がれる時期がやってきたが、今回の2011年度予算こそ政権交代後初めての民主党政府による本格的な予算策定である。民主党が掲げたマニフェストに基づき、民主党政府が描く国家像を具体的に国民の前に提示して見せるのが、何あろう、2011年度予算である。

 

それが、各省庁予算を一律1割削減して捻出される「1兆円を相当程度超える」特別枠を「元気な日本復活特別枠」と命名し、その配分を公開で行う「政策コンテスト」で決めようというのである。

 

要は、参院選対策で行なった「子ども手当」や「公立高校無償化」などのバラマキ後の財源の手当てや、依然、厳しい歳入状況に直面し、残るマニフェスト項目の実現が難しい状況となった。そのため、2兆円足らずの金を何とか捻出する。国がメニューを提示するので、どうか国民の皆さん、お好きなものをお選びください、と言っているのである。国民の皆さんのご意見を徴し、あなた好みの予算を作りましょうと、言っているのである。

 

この「政策コンテスト」なるものには、国民との約束であったマニフェスト達成が「不可能と分かってしまう」来年度予算に対する、国民からの厳しい批判をかわそうとする狙い、姑息な思惑が透けて見えるのである。

 

およそ責任ある政権、政府・与党が行なうことではない。ましてや、まともな大人がやること、考えることではない。

 

「こんな予算なんて」と、国民が文句を言っても、予算づくりの過程での「公開と透明性」を盾に、「国民の皆さんと一緒になって作った予算ですから」と、しゃあしゃあと言い逃れをするつもりなのだ。

 

菅首相が就任会見で強く国民に訴えた「強い経済、強い財政、強い社会保障」という具体的な中身・姿を、それこそ国民に見せてくれるのが、来年度予算のはずである。政権与党が語る言葉、国家像を具体的な数字で示すのが予算策定と言う行為であり、それこそが政治の本質である。権力を手にした政権の当たり前の役割である。

 

然るに、「皆さんと一緒に」などと、責任逃れというか、税金の配分を決めるため発生したはずの「議会」の存在そのものも否定するに等しい愚か過ぎる行為である。

 

残念ながら、民主党政府は統治能力を欠いた、幼児性脳の政権であると言わざるをえない。

 

「政策コンテスト」が新しい手法だって? 目くらましの「事業仕分け」が少し国民の喝采を浴びたからって、「人気取り」という同様の幼児的な発想で、政治をもてあそび、国民を愚弄するのはもう止めにして欲しい。「政策コンテスト」は政権放棄に等しい行為なのである。

 

もう、ここに至っては、今度こそ党内議論を尽くした実現可能な国家像を打ち出して、堂々と、総選挙を行ない、もう一度、国民に政権選択を迫るべきである。

予算委員会を開催せぬ臨時国会は、国民生活の軽視!

民主党公認、谷亮子の大きな考え違い

 国会法の第1章「国会の召集及び開会式」において、第2条の3項は、「参議院議員の通常選挙が行われたときは、その任期が始まる日から三十日以内に臨時会を召集しなければならない」と規程している。

 

 7月11日の第22回参議院通常選挙で当選した議員の任期は、7月26日から始まる(第20回通常選挙の当選議員の任期は7月25日まで)。

 

 現在、臨時国会につき7月30日召集の方向で与野党間の調整が進んでいる。しかしその会期は数日間で、民主党は参院正副議長の選任などにとどめ、野党が求める4日以上の予算委開催は、両院で衆参1日ずつ、たった2日間の開催にとどめたいという。当初は、そもそも予算委開催を避ける目論みだったというではないか。何をかいわんやである。本格的論戦を展開する臨時国会は9月13日頃、2か月後の開催を予定しているという。

 

 本当にとんでもない話である。この難局に国民生活軽視、国民愚弄もほどほどにしろと言いたい。

 

先の通常国会(会期1月18日-6月16日/150日間)で6月4日に首班指名を受け、4日後の8日に発足した菅直人内閣は、所信表明演説と代表質問だけを受けて、新内閣としての予算委員会を開くことなく、会期延長もせずに国会を閉会、参院選に突入した。

 

そして、菅首相が行なおうとしている、国会法で定められた臨時国会を機械的に開催し、9月30日に任期切れとなる民主党代表の改選を9月5日へ前倒しするという党内権力事情だけでの国政運営に、わたしは憤りを越えて、この国の政治のあり方に絶望するしかない。

 

 いま、この国は、経済、外交、社会保障、治安、環境など、あらゆる分野でかつてない複雑で難しい課題に直面している。国民生活重視、命を大事にする政治というなら、国民生活の安定と夢のある将来を築くために、国会議員の本来の仕事場である国会で、寸暇を惜しんで寝る間も惜しみ、与野党で議論をすべきなのではないのか。

 

 いくら参議院選挙があったからとはいえ、7月、8月の二ヶ月間でたった4、5日の国会開催。(調査費・秘書手当・政党交付金等含む)議員歳費で試算すれば、二か月で一人当たり約2000万円を支払っていることになる。財政難の折、やはり、おかしいと言わざるを得ない。国民のために盆暮れもなく必死に議論し、働いている姿を見れば、こんな下衆なことを言う気はない。

 

 しかし、この国難とも言うべき事態に、もっとも深まった議論ができる予算委員会を、避けに避け回る菅直人という人物に、「誠実さ」の欠片を見出すことは難しい。そして、その姿勢には、「国民生活を重視する」視線の一瞥(いちべつ)すら認められないのである。

「『政治とカネ、普天間』クリアした」、菅首相の暴言を見逃すな!!

 第22回参議院選挙戦終盤の7月10日、菅首相は福井県坂井市内の街頭演説で、「政治とカネとか、普天間のことで少しご心配をおかけしたが、それもクリアして、いよいよ本格的に時計の針を前に進めようという時のこの選挙だ」と、声を張りあげた。 

 6月17日の参院選公約発表記者会見で、菅直人首相が「(自民党の)消費税10%を参考にする」と発言したことから、今回は、あたかも「消費税増税」の賛否が争点であるかのような選挙となった。そうした騒動のなかで、「政治とカネ、普天間」はクリアしたとの、とんでもない菅首相の政治認識が示された。

 

 一部報道機関はその発言を取り上げたものの、発言が投票日の前日であったため、各種メディアは選挙特集番組や投開票報道へとなだれ込み、結果として、この重大な発言は看過されたままとなっている。

 

 まず、「政治とカネ」の問題であるが、鳩山前首相、小沢前幹事長だけでなく、小林千代美前衆議院議員と北海道教職員組合の違法献金事件など、公党としての説明責任を果たしていない。野党時代には、「ナントカ還元水」とか事務所経費問題で騒ぎまくった民主党が、もっと巨額の政治資金の不透明な流れにメスを入れることをしない。

 

 当然のことながら、国民は秘書が逮捕され立件されている鳩山、小沢両議員の政治資金問題がクリアされたなどと思ったこともないし、言ったこともない。

 

 次に「普天間米軍基地の移設」問題だが、この問題の迷走、行き詰まりで、鳩山首相は退任したのではなかったのか。菅首相は就任早々のオバマ大統領との電話会談において、5月末に結んだ「県内移設」の「日米合意」にしっかりと取り組んで行くことを伝えた。多くの沖縄県民が怒りを以って県内移設を反対するなか、県の頭越しに強行された日米合意。

 

 仲井真沖縄県知事が「いまや県民の(県内移設の)合意をとることは極めて難しい」と、不快感を以ってたびたび語っていたにも拘わらず、菅首相になっても、沖縄に事前のひと言もなく、電話会談で「県内移設の日米合意」の踏襲をオバマ大統領に伝えた。

 

 またまた、地元無視、沖縄県民の被差別感情を逆なでするような首相の政治手法と暴言である。

 

 こんな状況で、どこをとって「クリアした」と判断したのか。菅首相の政治課題認識の甘さに愕然とするしかない。その同じ思考回路のなかに、「消費税10%」発言があったことは容易に推察される。

 

 鳩山前首相に続く最高権力者の「言葉の寸毫(すんごう)の軽さ」が、またこの国の国益を大きく損なおうとしている。それをさせないためにも、「政治とカネ」と「普天間」の「クリア」発言について、菅首相にその発言の真意を問いただすべきである。

これが国民本位の政治と言うのか、民主党!

174回通常国会が会期延長もせず当初予定の期日、616日の閉会を見た。これで、参議院選挙は624日公示、711日投開票という選挙日程が確定した。

 

 いま、この国には多くの難問が山積している。それも早急に手を打ち、対応策を講じなければならぬ問題ばかりである。

 

 リーマンショックからギリシャ危機、それに端を発した金融危機の影、赤字国債問題。哨戒艦沈没を因とする南北朝鮮の一触即発の軍事的緊張。対応が後手後手に回り、拡大を続ける口蹄疫被害。就職希望の4年生大学卒405千人のうち、2割に当たる81千人がこの春の就職先が決まらなかったという厳しい経済・雇用環境。沖縄の意向をないがしろにしたまま、復び、オバマ大統領と合意した普天間基地移転にかかる日米合意。

 

さらに国会審議においても、「障害者自立支援法等の一部を改正する法案」(撤回)、「労働者派遣法の一部改正法案」(閉会中審査)、「国家公務員法の一部を改正する法案」(未了)、「地球温暖化対策基本法案」(未了)、「地域主権改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律案」(閉会中審査)等々、民主党が重要案件とした法案での審議未了および閉会中審査が目白押しである。また、与野党で合意していたネット選挙解禁を目指す「公職選挙法の一部改正法案」に至っては、法案提出すら叶わぬ事態となった。

 

結果として、今国会の内閣提出の法案、いわゆる閣法の成立率は55.6%と戦後最低となった。

 

こうした事態は、ひとえに内閣支持率がV字回復しているうちに、参議院選挙に持ち込みたいという民主党の「党利優先」の姿勢が招来したものであることは言を俟たない。

 

組閣に5日間をかけた菅内閣。しかし、国民生活にとって重要な法案審議を少しでも進めるための国会会期延長はまったく行なわず、新内閣発足にも関わらず1日も予算委員会を開かないまま閉会という、国会軽視いや国会無視とも言える異常な通常国会であった。

 

菅首相は15日の参議院本会議での各党の代表質問に対し、野党が求める衆院解散・総選挙に関して「参院選も国政選挙だ。まず参院選で民意を聴くのが筋だ」と述べた。

 

所信表明で信を問う材料は国民の前に提出していると、嘯(うそぶく)く菅新首相。「参院選で民意を聴くのが筋」と言うのであれば、最低、1週間でも国会会期を延長し、自らが唱えた「第三の道」を歩むための具体的政策を国民の前で語るべきである。

 

「強い経済。強い財政。強い社会保障」を「一体として実現してゆく」のは、もちろん結構なことだし、早くそうすべきだと私も思う。しかし、それは一つ一つが相矛盾する政策課題であることも事実である。だからこそ、そうありたいと願って、これまでそれが成就せずに来たのである。

 

 それを一体として実現すると言うのであれば、国民の前にまずは具体的な政策、ものの考え方、道筋といったものをちゃんと提示すべきである。

 

 それなくして、あの所信表明だけで「民意を問う」というのは、国民を馬鹿にするにも程があると、一蹴せざるを得ない。

 

 国民生活を後回しにした選挙ありきの民主党。よくもまぁ、「最小不幸の社会を作る」などと抜け抜けと言えたものである。

菅直人氏が後継代表濃厚=「逃げ隠れ」する新代表で民主党は国民の信を問え

 鳩山総理の辞任表明を受け、早速、民主党の後任代表のポスト争いにマスコミの関心が移った。

 

 でも、ちょっと待って欲しい。

 

 支持率が下がって、政権維持が困難として、総理の首の挿げ替えを繰り返し、民意に基づかぬ自民政権に「正統性はない」と糾弾してきたのは、ほかならぬ民主党ではなかったのか。

 

 そして、自民党のそうした選挙によらぬ総理ポストのたらい回しに怒った国民が、308という空前の議席数を民主党に与え、政権交代を果たしたのは、つい9ヶ月前のことである。

 

 今日、岡田外務大臣、前原国交大臣らが「小沢一郎議員の影響排除」を前提として菅直人氏支持を相次いで表明、菅氏の民主党代表就任が濃厚となってきた。

 

 しかし、国民は自民党が行なった総理のたらい回しで、民主主義の原則にもとる政治の理不尽さに怒りを覚えてきたはずである。そして、今度は、鳩山首相の下で、嫌というほど「総理の資質」とは何かを学び、考えさせられたはずである。

 

「クリーンな政治」はもちろん大事である。だが、国を引っ張ってゆく総理大臣は明確な国家ビジョンと確固たる政治信条がなければ務まらぬことを、この8ヶ月の政治の迷走で知った。

また、米国との信頼をぶち壊した結果、先方の言うがままに普天間の共同声明を呑まされた。そして、日米地位協定の見直しなどどこかへ吹っ飛んでしまい、国益の毀損という大きな代償を払わされた。総理の資質が国家の将来を左右する極めて大事な問題であることをわれわれは痛感させられたばかりである。

 

 その総理の資質を菅という人物が備えているかと問われれば、私は即座に「NO!」と答えざるを得ない。その理由は大きく二つある。

 

 一つは、鳩山内閣のなかで副総理というNO2の立場にありながら、普天間問題に関し、「私は直接、普天間の問題には関わっていない」と、明言したことである。

 

 鳩山内閣が、いかに「最低でも県外」という首相自身の言葉で追い込まれていったとはいえ、安全保障という国の根幹に関わる沖縄問題の解決へ向けた政治課題について、「無関係だ」と洞ヶ峠を決め込む政治姿勢は、一国を率いて行く総理の資質としては、零点と言わざるを得ない。

 

 必死に一政治家としての安全保障の考え方を総理に訴え、助言すべきであった。ましてや、彼は副総理の地位にあったのだから。そういう意味では、副総理としてもすでに失格の烙印を私は押すしかなかったのである。

 

 第二に、旧聞に属するが女性問題で週刊誌に取り上げられた時の、菅氏の対応である。こうした時の対応は、ある種、その人間の本質に近い姿を見ることが出来ると私は考えている。ある意味、皮肉ではあるが危機対応能力にも相通じるものがあるとも考えている。

 

 そうした観点で、あの醜聞を思い起こすと、菅という人物が廊下の蔭だったかどこだったかコソコソと記者から逃げ隠れしていた写真の姿が、私の脳裡に色濃く焼き付けられているのである。

 

 その件では、「不適切な関係はない」と釈明した菅氏がお相手の女性を「愛人」と報じた週刊誌に対し法的手段を講じることもなく、何かウヤムヤのうちに終わらせてしまったようだ。いずれにしても、「クリーンな政治」を標榜するのであればなおさらのこと、堂々たる人生を歩む人物こそ、総理として、国民を引っ張ってゆく人物として、ふさわしいのだと思う。

 

 その意味で、内閣に難題が降りかかった際にも、自分の身に醜聞の疑いが降りかかった際にも同様に「逃げ隠れ」し、己の心情を明快に述べなかった人物は、とてもではないが、総理の資質を欠くと断定せざるを得ないのである。

 

 その一方で、やはり、ここは政治の常道として、総選挙によって民意を問うべきである。

 

もし民主党が新代表による総理を選んだとしても、国会召集の冒頭解散を断行し、衆参同日選挙で国民の信を再度問うべきだと考える。そのことこそが、民主党自身が糾弾してきた政権の正統性を与えるものであることは、彼らが一番よく知っているはずである。政権選択の総選挙こそが、次の政権に国を運営してゆく「正統性」を与える唯一の道であると信じるが、いかがであろうか。

遅過ぎた鳩山首相退任5

 6月2日、鳩山首相がようやく退任を発表した。両院議員総会での退任挨拶で、また、ずいぶんと無責任な、自分が負うべき責任の意味が分かっていない、能天気な言葉を発した。「ただ、残念なことに、そのような政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の皆さんの心に映っていない。国民の皆さんが徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった。そのことは残念でならないし、まさにそれは私の不徳の致すところ」だと・・・。

 なんか国民が首相の言葉をしっかり理解し、受け止め切れなかったのが悪いとでも、言っているかのようである。

 子ども手当て、農家の個別所得補償、高校授業料無償化といった「素晴らしい」バラマキ政策を行なっていたのに、国民の理解力が足りず、その良さが分らぬままマスコミの声に愚かな民が煽られて、退任に追い込まれたのが無念でならないと、言わんばかり。

 そう、この鳩山という人物は、最後までKYどころでない、事の実相を見極めることのできぬ男であったことを、恥ずかしげもなく、さらけ出して退任するはめになった。

 日米間の信頼関係をぶち壊し、沖縄の人々の心を弄び、傷口に塩を擦り込むようにして、いろんなことをこの八か月余で滅茶苦茶にしてしまった。その修復は並大抵のコストと時間でも解決しないという、懺悔と反省の欠片もない、あの寸豪の軽さの言葉であった。

 まぁ、それが分かる人物であれば、そんな器量で首相、いや、政治家になどそもそもなっているはずはなかったのだ。国家にとって国民にとって、一人の人物の大きな勘違いが、こうも簡単に国益を大きく毀損するのだと、ずいぶんと高い授業料を払って教えられたものだ。

 そう言えば、「謎の鳥」が日本にいると、一時期、ネット上で話題になったことがあったが、結局、自分を「ハト」だと言い張った鳥は、最後の「トキ」を迎えたのだと思うと、結局、やはり、「謎の鳥」は「謎」のままで終わったのかも知れない。
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