彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

脳卒中・健康

「笑い」がもたらす健康と幸せ

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宇治万福寺の布袋さま
 
この一月中旬に、「単孔式腹腔鏡下・胆のう摘出手術」という長〜い名前の手術を慶応義塾大学病院で受けた。


お臍に穴をあけて、というより、生まれた時に結び合わせた結び目を久方ぶりに解き放つという方が、この場合は適切な表現のような気がする。


何はともあれ、お腹にひとつ穴を開け、そこに一本の管にまとめられた3本のファイバーを差し込み、3D角度を出して、肝臓の下にくっつくようにしてある胆のうを切除し、体外に摘出するのである。想像するだけでちょっと気分は滅入ってしまうが、全身麻酔によって全く分からぬうちに手術は終わっていた。


そんな小さな穴から「どうやって胆のうを取り出すのかい?」という疑念が当初からあったが、お臍の穴は意外と大きく広がるのだそうだ。術後の執刀医の説明で家内が見せられたのだが、ファイバーを収納した管(これを臍穴から入れる)の直径は2cm弱はあったというのだから、結構大きな穴が必要となるはずである。

家内も、人間の皮膚っていうのはずいぶんと柔軟で丈夫なのだと他人事ながら妙に感心したという。その孔を縫合しなおした傷口はまったく分からない。何せお臍の結び目をほどき、また結び直しただけなのだから、外見からも昔のままのわたしのお臍である。先生の技能が優れていたので、出べそにもならず綺麗なものである。

そして尾籠(ビロウ)な話で恐縮だが、手術前にお臍の掃除をしろと云われ、オリーブ油を垂らし、綿棒でお臍の穴の掃除をした。その結果、数十年分の垢を落としたのだから、逆に術前より美しくなったというべきか。お臍丸出しルックを厭わぬ女性には特にお奨めの方式である。


まぁ、そういうことで4時間弱の手術(内、1時間は麻酔を醒ますため手術室にいた)は予定通りで無事に終了。本人は気づいたらベッドの上。家内とおしゃべりをしたが、やや頭は朦朧気味で、その日はおしまい。


そして術後の翌日、早速、歩行が始まる。お腹の中心部が痛いが、シクシクとかジクジクといったものではなく、身体を動かすと痛いというだけである。それも開腹手術と違いお臍に穴を穿つだけなので、ひきつるような痛さとも違う。ただ、痛い。う〜ん、例えて言えば、体育会系的な痛さ?である。


昼過ぎにやって来た家内と話しながら、内容は忘れたが笑おうとしたら、お腹の中心が痛くて笑えない。「冗談を云うのは止めてくれ」とつい頼んでしまった。まだ点滴の管が身体に装着され、わたしが気が滅入っているのだろうと気を回し、折角、面白い話でもと持ち出したネタなのだろうが、これが堪らない。


咳をするのもお臍の傷に堪えるが、それは一瞬の痛みである。まぁ、それも薄倖の佳人がコホンコホンと儚(ハカナ)い咳をするようにやるのだが、う〜ん、やはり痛味が走る。


しかし、その「笑い」という動きが、身体の中心を絶えまなく小刻みに揺るがす運動であることに、この時、気づいた。つまり、よく分かるのである。お腹の全筋肉が相互につながって池の波紋がじわ〜っと湖面全体に伝わるように、筋肉の蠢動が小刻みに伝わってゆくのである。その伝播と一緒に、痛みもお腹全体に広がってゆく。痛みが拡散し、弱まるのではない。同量の痛みがロスなく正確に廻りの筋肉に伝えられるのである。


咳は一瞬の筋肉の動きであるが、笑いは波紋のようにしかも同量のエネルギーを廻りに伝える、何だか随分と効率のよい運動なんだと気づいた。


「笑い」は癌などの免疫力アップに良いとする治療が施されているという話を仄聞したことがあったが、今回、その意味するところが分かった気がしたのである。


これほど腹腔の筋肉を意図的に全て蠢動させることは、どんな理学療法士でも難しいだろう。でも、ひとつの楽しい話から生み出される「笑い」が、自律的に体内の筋肉そして多分、内臓の動きも微細に持続的に動かす。


命のエネルギーが細胞から細胞へ、生きる喜びのパワーが波紋のように体の隅々にまで沁み込んでゆく。


手術を終えて、痛みを味わうことで、「笑い」が持つ命のパワーを実感したものである。暗いニュースが氾濫する社会に、せめて健康的な「笑い」が家庭内でも仲間うちにでも溢れたら、もっとみんな健康に幸せに生きられるのだと感じた。


最後に胆のうを取ると油ものが食べれなくなると色んな人に訊かされていたが、事前に主治医が「そんなことはない」と言っておられたように、俗説でありまったく問題はない。ダイエットにまい進する家内と娘を横目に、美味しいものをこれからもどんどん食べられる・・・、それもわたしだけで・・・と思うと、また「笑い」の虫が蠢き出し、ちょっとまだ腹筋が痛む。これって、違う痛みなのかも・・・

脳卒中へのカウントダウン (脳出血発症9日目)3

脳卒中へのカウントダウン (脳出血発症9日目)

 

【妻の看病日記より】

 

2001.3.9(金)

 

 1145分。(妻、気分悪く、近所の)内科医へ。血圧を測ってもらう、非常に高い。薬をもらう。少し頭が重い。慎重に行動しなくては。

 

 1時半、病院着。リハビリの先生来られる。手と足をゆっくり動かす練習。CTを撮りに行く。頭が痛いと言っていたが、CTを撮ったあとはすっきりした様子。

 

 S主治医から話あり。

CTの結果。良好。出血の痕も少なくなっていっているので、順調と見て良し。来週からリハビリを頑張っていくこと。酸素の量も2Lから1Lへ。(降圧剤の)薬を(点滴から)飲み薬にしたので、血圧は高目。様子を見る。

さらにリハビリ病院の説明あり。伊豆の修善寺(慶応義塾大学が瀬リハビリテーションセンター)を紹介される。少し遠いけれど、(伊豆の病院へ行くのが)最上の方法と言われれば、行かなければならないのかも。弟と一緒に聞く。息子遅れてくる。

 

6時45分IN氏見える。

7時病院を出る。疲れた。

 

自宅に戻り、遅い夕食。娘、夕食をまた嘔吐する。胃痙攣(けいれん)の様子。一緒に寝る。夜は落ち着いて寝むれた様子。

 

【日記を読んで】

 発症9日目からベッドでのリハビリが始まる。ただ、リハビリと言っても、固まった関節をほぐす程度の軽いものであった。それでも、自分で思うように動かせない腕や足をほぐしてくれるのは、身体への好影響もそれなりにあったものの、それ以上に、ずっとベッドに縛り付けられていた自分が「これから回復へ向けた努力を始めるのだ」という気持ちの切り替えをするのに効果があったように思える。

 

 リハビリ病院の選択には正直、悩んだ。そもそもリハビリ病院のイメージは新聞や電車内の広告で目にした熱川などの「温泉リハビリ」と云った程度の知識しかなく、脳卒中という病気のリハビリに適した病院がどこかなど、わたしも家内もまったく無知であった。それにも増して脳卒中というものの「リハビリ」とはいったいどういったもので何をするのかさえ、まったく知識の一片すらなかったのである。

 

家内は修善寺までだと電車で自宅から2時間半から3時間はかかるので、これまでのように看病を日帰りと言うわけにはいかない。リハビリ病院では家族はどのような手助けが必要なのかもまだこの段階ではわかっていなかった。看病に行ける回数も多分、大きく減ってしまうだろう。そして精神的に不安定になっている娘を置いては行けないなど、色々と思いをめぐらせていた。

 

 言われた当日のこの段階では、何が一番よい方法かをすぐには見出せなかったのである。それは患者であるわたし自身も同じ気持ちであった。しばらく考えさせてくれと、そのとき主治医には返答したと思う。

 

 そして娘が精神的に疲れていたことを家内は、その当時、わたしを心配させないようにと伏せていた。いま日記を読んで見て、自分が病気にかかることがどれだけ周りの人々に身体面、精神面で大きな負担を強いることになるのかを、完膚なきまでに思い知らされた。それまで健康管理をどちらかと言うと馬鹿にして来た自分の愚かさを知り深く反省するとともに、そうした自分に対する家族の無償の愛情に心から感謝の念を覚えたのである。

 

「馬鹿は死ななきゃ直らない」という冗談のようなフレーズがあるが、「馬鹿であろうとなかろうと」といった冗談は別として、「愛する家族を残して」は、決して「無闇な死を選んではならぬ」「健康を維持するのは大事な家族を守る最低の義務である」と、心底から思い知らされたのである。

 

 

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脳卒中へのカウントダウン (脳出血発症7、8日目)5

脳卒中へのカウントダウン (脳出血発症7、8日目)

【妻の看病日記より】

 

2001..7(水) 晴れ

 

午前中、たまった雑用をこなし、一時半病院着。H、A研修医と話し中。

ヨーグルトを何口か食べたところ。(嚥下に)問題ないので、降圧剤の点滴を1本にし、飲み薬にする。むくみの方の薬は今しばらく点滴による。とうふ、卵とうふ、プリンなどなめらかな物は食べてもよい。ジュースなどもOK。さっそく、みかんのジュースを作り飲む。(飲んだのは)半分。吸飲みで飲むので、味気ないとの感想。

 

 2時40分頃、首すじのエコーを撮りに出かける。3時15分頃もどると、I夫人がお見えで、待っておられる。エコーの後のせいか、H、疲れ気味。血圧を測ったりとあわただしく、早々にお帰りになる。

 

 4時、O氏見える。H、ウトウトと寝ていて、あまりしゃべれず。(妻が)一応の状態を話し、O氏帰られる。

 

 5時、医学部生が臨床実習か?診察に来る。血圧が高め177(収縮期)。

 

【日記を読んでのコメント】

 

 やわらかい物はよいと言われたものの、その頃はまだ気分的に食欲があるとはとても言えぬ状態であった。そして、お見舞いはもちろんありがたいのだが、人との応対がこんなに気づかれすることも初めて知った。脳がむくんでおり、体は当然だが、心も思考能力もまだ正常ではない。とくに色々な意味において「意欲」というものが、まだまだ湧いてこなかったなと、今にして思い起こされる。

 

 

【妻の看病日記より】

 

2001.3.8(木) 晴れ

 

 3時到着。色々と(自宅に)電話があり、その応対、そして銀行など必要な先で手続きなどすませ、(Hの)眼鏡ができたので、それをピックアップしての3時到着。

「やっと来たか」の(H)のひと声。

 

 リハビリの先生はすでに来られたとのことで、明日より(まず、病室内で簡易リハビリを)始めるとのこと。また昨日、S主治医より「9日はCTをとり、エコーおよびCTの結果説明を5時半頃よりする」と言われていたが、弟、息子には連絡済み。

 

 441分、H、軽いいびきをかいて寝ている。立て続けに来客があると疲れるのかな・・(昼過ぎから三人の見舞い客があった)。来客の合間にプリンを8分目ほど食べる。

 

 昨夜は考え事を始めると眠れなかった、血圧も190(収縮期)近くなり(睡眠)薬をもらって寝たとのこと。まだまだの様子。血圧が早く安定して欲しいものである。

 

 5時15分夕食。おかゆ3口、鯵(あじ)の塩焼き1/4、こうやとうふ1切れ、とうふ少々、おいしくないと言いながら食べる。帰宅後、方々からお見舞いやHの状態確認の電話がある。こちらの要件連絡先にも電話を入れる。

 

 

【日記を読んでのコメント】

 

 日記を読んでいて、この時期の患者(わたしのこと)は自分だけのことしか考えていないのだなと思った。これはわたしのわがままな性格もあると思うが、自分を取り巻く全体感が把握できていないことは確かであった(何せ、自分の病状についても一時は命も危なかったのだということを、この時点ではまだ理解もしていなかった)。だから、発症後1週間がたって妻がどれほど心身ともに疲労困憊(こんぱい)しているかなど、思いが至らなかった。目の前で振る舞う妻の姿はいつもながらの姿に見えていた。

 

 一方、わたしの病状は順調に回復をしていたことがわかる。ただ、当時は血圧について過敏なほどに過剰反応していたことを思い出した。収縮期いわゆる上の血圧値が190などと言われると、それだけで胸がドキドキし、血圧がどんどん上がって行っているのではと恐怖に捕らわれた。今では「上は200を超えることも正常な人でも、状況によってはあるんですよ」と医者に言われて、「そうですか」と、どっしりと構えているものの、その時は定時の血圧検診に一喜一憂したものだ。

 

 ただ、約一週間目にして普通の食事(病院食ではあるが)を自分の口で食べられる状態にあったことは、やはり回復は幸いかな至極、順調であったことの証左であろう。

 

 

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につづく

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脳卒中へのカウントダウン 5

脳卒中へのカウントダウン(脳出血発症6日目)

【妻の看病日記より主に病状について抜粋】

 

2001.3.6(火)晴れ 

 

 H、うとうと寝ている。

頭の痛さ、首の痛さは変わらない様子。左半身もしびれ感は同じ。意識で左腕を挙げたり、(左手を)握ったりはできるが、(自分の腕が)どの辺りに挙がっているかとかの感覚はないので、(妻が)手を離すとことができない。

 

 CDでプレスリーをかける。(中略)

Hはこちらが話し掛けている途中で、軽いいびき。見舞い客があると、一生懸命にしゃべるので、どうしてもその後は疲れる様子。なぜかお客が重なるものである。夜はあまり眠れないということで、看護師さん達は昼の間は起きていてねと声を掛けて行く。

 

 445分頃、M氏にお見舞いいただく。狭心症で2回ほど入院経験があると、色々と病気になったときの心境について語ってくれる。励ましてくれてありがたい。

 

 53分、T助教授が顔を出す。

 

 眼鏡店で眼鏡を注文する(わたしはコンタクトレンズ使用で、それまで眼鏡を持っていなかった。自力で立つこともできぬわたしは足元が見えぬではリハビリは不可能であった。コンタクトなど左手が意思どおりに動かぬのに装着などできなかった。7年経った現在は、自由な右手で両目に装着している。今でも、左指にレンズを載せての装着は眼球を傷つける危険があり、できない)。

 

(妻が帰宅後、見舞いに来た)息子と弟から(翌日になるが)午前1時に電話あり。

 

 明日、プリンを食べる練習をして、それがOKだと降圧剤を(点滴から)飲み薬に替えるとのこと。

 

【日記を読んだわたしのコメント】

発症後、5日目で左腕を意識して挙げることはできていたのだと、日記を読んで本人がびっくりしている。発症してから左手の指すらまったく動かなかったのが、わずかに動き出したのが1週間くらい経ってからと思っていたが、腕を挙げることが5日目にできていたということは、わずかにでも動きを取り戻したのは3日目とか4日目のことなのであろう。

 

さらに、これはリハビリセンターに転院してから知らされたが、重要なことなのでここに記しておく。まだこれから2〜3週間後においても腕を挙げた時に、自分ではその腕がどこの位置にあるかまったく分からぬ状態であった。感覚がないのである。目をつぶって挙げようものなら、挙がっていると思った腕が寝ている顔のすぐ前にあるといった状態である。そしてまだ痛さなどの感覚がないため、どんな恰好でも腕を持っていける。「痛くないのだから」。そして中程度以上の麻痺を抱えた大抵の患者は、不随になった側の腕の肩を脱臼してリハビリセンターに転院してくると、月ヶ瀬リハビリテーションセンターの作業療法士に言われた。「あなたは、家族および医療スタッフがよく注意して看護してもらっていたので、本当によかった」と。

 

脱臼をしていると麻痺した腕や指のリハビリに即座に入れない。ひと月ほどは健全な右手での社会復帰へ向けた動作をやるしかない。早期リハビリがよいのに、ひと月ほどを無駄にすることになる。最初の病院で注意深く脱臼させないように看護することが、その後のリハビリにきわめて重要ということを知らされた。

 

現に、弟に退院後に言われたが、ICUにいるときの兄貴は不自由ながら、腰が痛いと体をくねらせていた。その時に不随の左腕がアクロバティックな形で背中の下に行こうが、苦痛を感じないのと、どこに自分の腕があるのか位置感覚が分からぬため、悲鳴どころか眉一本動かすこともなかったという。感覚喪失というのは本当に恐ろしいものだ。

 

「俺たちがその度に兄貴の腕を引き出したんだ」と、後に言われた。いま振り返り、家族と云うもののありがたみをしみじみと思う。本当に感謝の言葉しかない。

 

 

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につづく

 

脳卒中へのカウントダウン 5

脳卒中へのカウントダウン 

【妻の看病日記より】

―――( )内は筆者がこの掲載にあたり説明の為の加筆。〔 〕は日記のママ。

 

2001.3.5(月)晴れ(脳出血発症5日目)

 

 雛の日に色と言葉をとりもどす〔Hが披露した句〕

 

 2時半病院到着。社外のM氏見える。ウォークマンとマドレーヌ持ってきてくれる。Mさん見える。神田明神のお守りを持参してくれた。土曜日もお見えになったとか。(ICUが)ものものしくてそのまま帰られた由。弟が(社外の)M氏と入れ違いに来る。その後すぐ、S氏とRさん見える。

 

 看護師さんより(わたしが)夜眠れないので、昼間はなるべく起きておくように言われる。が、やはりうとうとする。4時半以降は来客につき話すこと多し。(入院病棟の)担当のA医師(研修医)が挨拶に来る。

 

 T助教授診察。

首筋痛い〔出血のためいましばらく仕方ないとのこと〕。吐き気があるのも同様。安静は10日〜2週間くらいかかる(とのこと)。

 

(入院病棟)主治医のS医師とA研修医来る。来週、長期的な事について話し合う。今週、CTをもう一回とる。

 

 7時近くI氏来る。

 

【以上看病日記より転載】

 

【日記を読んで、いま言えるわたしのコメント】

 

これまでの妻の日記を読んでいると、本人が思っていた以上に改善のテンポが早いように見える。発症後、4日目で面会を拒絶されることなく、わたしが多くの見舞い客と話ができる状態にあったことは、今、思い返せば本当に奇跡に近いことだと思わざるを得ない。

 

 ただ、会社へ復帰後、その時点で見舞いに来てくれた方々に話を聞くと、わたしの会話は相当にゆっくりで、呂律(ろれつ)がまわらず朦朧とする部分があったと証言している。

 

 しっかりした口調で話をしているつもりが、やはり、まだ脳のむくみなどは、依然ひどく、会話が打々発止というわけにいかなかったのは当然である。しかし、発症前と較べると、相当に滑舌(カツゼツ)が悪くなったことは感じていた。口を動かすのにも発音しやすい単語を探して会話をするという脳内作業をこの頃から始め出したようだ。

 

しかし、家族にとって、場合によっては言葉も失う病であるにも関わらず、ノロノロであろうが呂律が回っていなかろうが、口が効けることだけで妻は「話ができる」として心から喜んでいたのだと思う。意思の疎通は確実に図れていたのだから。

 

 

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脳卒中へのカウントダウン 5

脳卒中へのカウントダウン 

(脳出血発症3、4日目)

【妻の看病日記より】

これより、病気に関することを中心に参考となるものを日記より抜粋することにする。

 

2001.3.3(土)(ICUにて治療中)

 

 1240、特急にて病院へ。H(わたし)、ウトウトと眠る。昨日ほどうるさく腰痛を訴えず。まどろんでいる。夜もゆっくりねむれた様子。

 

 ベッドを30度上げる許可がおり、4時頃動かしてもらう。色々に姿勢がかえられ少し楽になった様子。3時半頃、(担当医の)S医師、Kインターンより状態を聞く。きわめて安定しているので、月曜日(5日)には一般病棟へ移動とのこと。差額ベッド代につき同意書提出。

 

 酸素の管は安定しているのでとれるであろう事。胃よりの管は明日にでも水を飲み下せるようだと、とれるとのこと。

 

 一般病棟では機械はとりはずし、血圧の確認で様子を見るが、一週間は安静の状態。その後、徐々に動き、リハビリを行っていくと同時に、高血圧治療を進める。

 

(会社の)F・M両氏からのお見舞い、お守りを見せる。(仕事の案件成就の)“祝勝会”の文字を見て少し涙ぐむ。〔つらいね!!〕

 

 昨日の新聞の記事を見たがる。新聞を忘れてくる〔失策〕。社長の偉大さ、強さ、そして勉強させてもらった事を話す。社長わざわざの見舞いについても感謝。気持ち的につらさがわかる。けど、これからも何度も感じるつらさと思うと、ただ、はげますしかない。

 息子、弟の事、気にかける。〔(見舞いは)いいといいながら待っているところ有〕

 今日はおとなしくねている事が多く、6時には帰っていいよという声。娘のこともあり、早目に出る。

 

 息子よりTel7時頃、弟と(病院へ)出かけた由。

 

 

2001.3.4(日)(ICUにて治療中)

 

 娘と2時過ぎに病院に着く。

 

 ベッドが50度まで起きて、胃液をとる管がはずれて、少し楽そう。氷とポカリを買いに行く。氷は少し口に入れてとかす。ポカリも吸い飲みで少し飲み下す。少しづつ良好。

 

 4時半頃少し動いたせいか、頭を動かすと気持ちが悪い(吐き気)と言う。看護婦さんに伝えるが、まだ(脳出血後)4日目で脳内のむくみのせいだろう、今しばらく安静が必要とのこと。特に異常な状態ではないとのこと。

 

 弟、4時前に来て、4時半頃帰る。

 

 

(12)につづく

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発症翌日(ICU)

 【妻の看病日記】

慶応病院外観

ペンのマーク

入院病棟望む

 

 

    

 慶応病院外観      慶応病院のペンのマーク   入院病棟を望む

2001.3.2(金)

 

 10時すぎI氏よりTel。会議の結果が当方の思い通りに決着がついたとのこと。早くHさんに知らせて欲しい旨のTel。弟宅で掃除、食事後、買物(病院に持っていく物)をして病院にむかう。1時すぎ。タクシーが混んでいるため途中で下車、電車に変更。結局、病院着が2時15分頃。I氏、N氏、K氏が待っている。さっそくに面会。会議の結果を伝える。連絡が遅いと叱られる。正常の時だともっと怒っていただろうと思われる。N氏にじきじきのお見舞いをいただく。K氏、W氏見舞いに来られる。会議の決着につき皆喜ぶ。Hさんの状態は落ち着いている。話は十分に出来、会話は正常。ただ、腰が痛いと訴える。しばしば。4持半頃にDrSより説明有。

 

 第3回目。

 

 2回目のCTを12時半頃とる。出血の状態は昨日からほぼ変化なし。脳室穿破による脳室にも変化なく、水頭症にはなっていない。状態はきわめて安定している。来週〔月〕には病室移動も可能。これからは自然に血液がひく(脳内に吸収されていく)のを待つのみ。筋力の回復は認められるが、感覚神経については重症であるため、回復力によるが、つえ歩行の可能性が大である。リハビリ次第ではある。慶応(信濃町)は2ヶ月程度、その後はリハビリ病院に転院になる。〔リハビリ病院紹介する。リハビリ期間が〕3ケ月程度。退院は6か月後が目途。その時の状態により会社復帰の可能性をさぐる。病室が空いていないため差額ベッド代が必要。

 

(同期の)N氏、I氏及び弟、息子、娘が一緒に聞く。

 

N氏〔同期・人事部〕が医療保険及びリハビリ病院について調べてくれる由。保険については自分でも調べてみる必要あり。

 

 H(わたしは)、ひたすら腰痛をうったえる。病室(ICU)につき添うよう看護婦さんよりの連絡。3時すぎから9時まで腰をさするしか方法なし。(鎮痛剤の)座薬を2回使う。

 

 6時、弟を含め食事。娘を息子が送る。弟、Hさんの顔を見た後帰る。(妹を送った)息子病院に戻り、帰る。

 

 9時消灯につき座薬で少しねむりにはいったので帰る。帰りのバスの中、涙がとまらない。

 

(ペットの猫)R、庭にいる。一緒に(家に)入り、だきしめる。

1時就寝。めずらしくすでにRふとんの中!!

 

 PS:留守電M氏よりTel有。「健康はいかが?懸案事項うまくいって  おめでとう」

  

 帰宅途中、病院の前でF、MU両氏に会う。日枝神社の御守を届けて下さる。感謝!

 

「発症翌日の3月2日の妻の看病日記より」

 

(11)につづく

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脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

妻の看病日記

 

 「その時」の家族のストレートな気持ちを知っていただくために文章は原文をそのまま転記する。個人名のみイニシャルとさせていただいた。( )内はわたしの注釈。〔 〕内は妻が書いたもの。

 

 

救急部入口正面

慶応病院本館全貌

入院病棟の看板

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで最初のCTを撮った 病院本館を望む   外来入口

 

 

「妻の看病日記」

 

2001.3.1

 

31日)pm500頃、Tel有。Hさん(わたし)より体のしびれ有。現在、社内診療所におり、救急車で慶応病院へ向かうとのこと。泊まることも考え、娘は家においておき、とりあえず病院へ向かう。S駅(自宅の最寄り駅)にて、息子にTel。再度連絡することを確認。

 

 病院にてI氏、Y氏(会社の同僚)が待っていてくれる。症状説明を聞く。外出先から帰社(4時頃)の折、自分で体の変調〔しびれ〕を感じる。すぐS先生(診療所長)に連絡、診療所で受診。真っ青だったとのこと。受診中に気分が悪くなり救急車を呼ぶ。救急車の中でもどす。会社の看護婦さんがついてくれる。意識は鮮明。

 

 救急担当T.Dr第1回目の説明有。視床脳出血(手術は不可能な場所)。出血量2×3cm、中程度。24時間が勝負。これ以上の出血がない場合は容態安定。もし、3cm以上の出血が継続すると生命に危険あり。今の段階では血圧を上げないよう管理するのみの処置(説明内容部分「カウントダウン─廚傍載)。

 

 T氏、IK氏(会社上司)が来て下さる。息子に再度Tel。(わたしの)弟に連絡のうえ、至急来るよう指示。入院手続。娘にTel。出かける用意をしてYさん(会社の同僚)の迎えを待つよう指示。Y氏タクシーにて娘を迎えに行って下さる。H(わたし)集中治療室に移動。

 

 二回目の説明有。担当医SDr、KDr

 第一回目とほぼ同じ。視床出血について。(出血箇所は)感覚と筋力の神経の場所。右側出血のため左半身の麻痺と痺れがあり。麻痺については最初より回復の兆しあり。感覚についてはなし。

 

 もう一点の心配は脳室に血液が流れ込んでいること。髄液を溜め流す所で、血液が詰まって髄液の流れが悪くなると水頭症になる。水頭症になると麻痺、意識障害が起こる。その場合は水を抜くために手術が必要になる。これも24時間が目途になる。

 

 現在は降圧剤と脳内のむくみをとる点滴処置をし、様子を見るのみ。明日(2日)の午後、再度CT(コンピューター断層撮影)をとり、出血の拡大がない場合は容態は安定するだろうとのこと。4〜5日、GICU(一般集中治療室)にて管理、その後一般病棟に移る予定。現在、本人の意識はあり、言葉もしゃべれる

(以上の説明内容「カウントダウン─廚傍載)

 

 視床について

 感覚と筋力〔肉〕の神経の場所。右側出血のため左半身のまひとしびれが現在有。感覚についてはなし。(日記帳には脳の断面図と出血個所の図が記載されている)

 

 視床は脳の中心にあるため普通手術は不可。他の細胞を針でさすことできずつける危険が高いため。

 水頭症になると、まひ、意識障害が起こる。

 

 集中治療室にて安定後面会が可能。IK氏、I氏面会。弟、息子面会。娘面会。H(わたし)会話に問題なし。少しもうろうとしている感あり。

T氏、I氏(同僚)の連絡先を伺う。

 

 先生より30分以内の移動可能きょりであれば帰宅を勧められる。弟宅に泊まることにする。息子の車で移動。10時半。途中、“とんでん”で食事後帰宅。娘もさすがにねむれない様子。1時半すぎにねむる。息子2時すぎに(近くの下宿)帰る。ウトウトと10時すぎまでねる。

 

「発症日の31日の妻の看病日記より」

 

につづく

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脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

妻の看病日記(慶応病院搬入後)

ICUの急性期から回復そして転院(〜328日)

 

 

救急車搬送

救急車乗付口

救急外来入口

 

 

 

 

 

 

 

 

 救急車救急入口横づけ 救急患者搬入入口  救急部入口

 

こうして救急車で慶応病院に担ぎ込まれたわたしは、ここから脳卒中と本格的に対峙することになる。「その時」をこれまではわたしの視点のみから記述してきたが、救急室でCTを撮られ、そしてICUにストレッチャーで運ばれ、点滴による救急治療が始まった。そのあたりからわたしの記憶は薬のせいか病状のせいか曖昧となっている。妻がいつの時点で病院に駆けつけたのか、子供たちは、会社の人たちは・・・、記憶は交錯し、まさに夢現(ゆめうつつ)の状態になっていった。そのためここからは妻の看病日記より適宜、テーマに合わせて抜粋させていただき、客観的記録にしたいと思う。もちろん妻の了解を得たうえで、公表させてもらっている。脳卒中と云う怖ろしい「病気」の辛さを味わい、それと向き合い、そこから這い上がってくることは、患者本人の力だけで出来ることではないことを分かってもらいたいからである。そのわたしの意を少しでも汲み取っていただければ幸甚である。

 

 

【妻の看病日記より症状の記述を抜粋】( )内は筆者説明

31日(木)(慶応病院ICU

第一回説明【救急担当医 T医師】

視床脳出血(手術は不可能な場所)。出血量2×3cm、中程度。24時間が勝負。これ以上の出血がない場合は容態安定。もし、3cm以上の出血が継続すると生命に危険あり。今の段階では血圧を上げないよう管理するのみの処置。

 

第二回説明【担当医 S医師およびインターンK医師】

第一回目とほぼ同じ。視床出血について。(出血箇所は)感覚と筋力の神経の場所。右側出血のため左半身の麻痺と痺れがあり。麻痺については最初より回復の兆しあり。感覚についてはなし。

もう一点の心配は脳室に血液が流れ込んでいること。髄液を溜め流す所で、血液が詰まって髄液の流れが悪くなると水頭症になる。水頭症になると麻痺、意識障害が起こる。その場合は水を抜くために手術が必要になる。現在は降圧剤と脳内のむくみをとる点滴処置をし、様子を見るのみ。明日(2日)の午後、再度CT(コンピューター断層撮影)をとり、出血の拡大がない場合は容態は安定するだろうとのこと。4、5日、GICU(一般集中治療室)にて管理、その後一般病棟へ移る予定。現在、本人の意識はあり、言葉もしゃべれる。

 

32

午前10時過ぎI氏より懸案であった事案が思い通りの結果になったとのこと。早く、本人に知らせて欲しい旨のTel

タクシーが混み、途中から電車へ。午後215分病院着。仕事の話を伝える。連絡が遅いと叱られる。正常の時だともっと怒っていただろうと思われる。

 

第三回目説明(担当医 S医師)――午後4時半

12時半に2回目のCTを取る。出血の常態は昨日からほぼ変化なし。脳室穿破による脳室にも変化なく、水頭症にはなっていない。状態はきわめて安定している

来週(月)には病室移動も可能。これからは自然に血液が引くのを待つのみ。筋力の回復は認められるが、感覚神経については重症であるため、回復力によるが、杖歩行の可能性が大である。リハビリ次第ではある。慶応(信濃町)は2ヶ月程度、その後はリハビリ病院に転院になる。(リハビリ病院の照会に)3ヶ月。退院は6ヶ月が目処。その時に会社復帰の可能性をさぐる。

以上「妻の看病日記=症状に関わる部分」

 

 こうしてわたしはまことに運良く、週明けの35日、ICUから一般病棟へ移動することができた。ICUで覚えているのは、S医師が二桁の足し算の問題に答えよと云ったことが、「何をこいつは馬鹿にしているんだと」と、感じたことが強烈な記憶として残っている。意識の鮮明度をチェックするためと後に訊いたが、TVのER番組などで患者に氏名や年齢を確認し意識の鮮明さを測る場面をよく見ていたわりに、自分がその当事者になるやいろいろと不審に思う点も出てくるものだと感じた。そしてここが大事な点であるが、その時にわたしが出した答えが正解であったか否か未だ確認がとれていないのである。斯様に患者とはまことに厄介なものとも云える。

 

 次に本人が倒れていた時、家族はどう対応していたのか、どういう気持ちでいたのかを妻の承諾を得て、その看病日記からお力になれると考える部分を転記させてもらう。そもそもこの日記の存在をわたしは、社会復帰して2年ほど経ったころに知った。わたしが倒れたときから、混乱のなかで妻が克明に退院まで心をこめ、こうした記録と日記をつけてくれていたことを知り、またその内容に触れ、心から深い感謝の気持ちと言葉を捧げたいと思う。

 

 

につづく

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ICUでの病態管理と急変時に役立つQ&A―集中治療が常に必要な重症患者への対応のポイント! (Q&Aでわかるシリーズ)


 

ICUブック 第3版

 

 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

掘ト症、その時(2001年3月1日午後5時)

救急車で慶応病院へ

慶応病院正門看板

救急車着

救急部吊り看板

 

 

 

 慶応病院信濃町正門    救急車搬入路         救急部入口  

 左半身の感覚がなくなったとき、わたしは診療所長にこうした場合に最も懼(おそ)れたことをまず訊(たず)ねた。

「先生、わたしの喋っていることはわかりますか」

「わかるよ。左が麻痺してるってことは、右脳がやられているはず。言語能力は左脳だ」

 その時のこの所長の言葉ほどこの危機的状況のなか、いまでも映像だけでなくその確信に満ちた口調が感謝とともに鮮明に蘇ってくることはない。

 その言葉で、「言葉は失わない」と安心した。

 その所長の簡潔かつ的確な説明で、救われた気持ちを持ったことだけは強烈にいまでも思い出せる。

 こうした会話(自分は流暢に話しているつもりだったが、すでに口調はゆったりとしたものになっていた=後日の先生の話)をやりながら、診療所長はわたしの血圧をテキパキと計った。

「いくらか?」との質問に対し「190の130」との確か?答えだった。

「そんなに致命的な水準ではないな」と、瞬間的に思ったのを覚えている。

 しかし、今、考えてみればもっと高かったはずである。わたしの心理的混乱を鎮めるためにわざと低い数値を云ったに違いない。だが、もう、このことを確かめる術はない。命の恩人である先生は実は4年ほど前に鬼籍に入られたのである。

 次に「救急車を呼ぶか」と問うてきた。「お願いする」と答えた。

 看護師も所長室内に3名ほど入ってきていた。所長が慶応病院の救急部に電話を入れていた。わたしの症状をテキパキと伝え、救急車を手配した旨も同時に伝えた。

 その間、わたしは動く右手で携帯電話で家内に電話を入れた。「気分が悪くなり、救急車で慶応病院へゆく。いまは診療所長の前にいる。申し訳ないが、病院に来てくれ」しゃべった内容はほぼこの通りである。

 その連絡が終わったころ、所長の指示で看護師により右肩に注射を打たれていた。これがわたしの命を救った降圧剤である。救急車の到着前に医薬による降圧救急治療がなされたのである。奇跡としか言いようがない。

 わたしはネクタイをはずされ、ワイシャツのボタンも二つほどはずされ、ゆったりとするように云われ、頭をソファーにもたれさせられた。そうこうする内に、救急車が到着し、タンカーで運び出された。

 通常であれば15分から20分でゆく距離が混んでいたということで病院到着までに30分ほど時間がかかったと聞いた。その救急車のなかに診療所の看護師が二人同乗してくれた。これほど心強い思いをしたことはない。日頃見知った看護師が傍にいてくれた。いつも憎たれ口をきいていたわたしの傍でわたしの手を握っていてくれたのである。

 途中で初めて吐き気が襲ってきた。頭をやられたとき、吐き気が一番悪いと聞いていたので、後で考えればおかしいのだが、必死で我慢しようとした。吐いてしまったからといって容態が悪くなるわけではないのに、なぜかその時はそう思ったのである。

 ただ、素人考えでは、我慢するという行為が意識を失わせない効果につながったのではないかとも思う。しかし結果的にはとうとう我慢できずに吐瀉(としゃ)した。内容物を看護師が確認していた。お昼に食べた食事は鉄火丼であったが、両名の推理は違っていた。

 朦朧とする頭のなかで「俺に聞けよ。昼は鉄火丼だ」と云った。

「黙って、安静にして下さい」と叱られたのをなぜか覚えている。命があってのことである。ようやく救急車は信濃町の慶応病院の救急入口に横づけになった。

┐砲弔鼎

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 慶応病院HP

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

掘デ沼潅罅△修了(2001年3月1日午後5時)

,修了

 その日は日がな小糠雨の降る寒い日であった。連日、仕事上の夜の付き合いが入っており、発症前日も午前様の帰宅であった。翌日は午前10時に重要な会議が入っていた。

 発症当日、午後4時に近くの取引先で、ある人物との面会があった。その話の途中(4時半頃)で、その人物の声が遠くからボーッと聴こえ始めた。その時、軽い出血が始まったのだろう。そのときは吐き気や頭痛はまったくなかったが、今までとは何か異なる、自分の存在が遠くにあるような奇妙な気分に捉われたことを覚えている。魂だけが遊離しているようなとでも表現したらよいのだろうか。そんな状態だったので、早めに話は切り上げることにして歩いて帰路についた。

 幸い数分の距離であったので、結果的に大事はなかったが、どこか雲の上を歩いているようなポワーンとした状態であったと思う。のちに同期の人物から会社の通用門ですれ違ったときのわたしの表情について話があった。目礼をしたのだが、わたしが返礼するどころか見向きもせず、顔が真っ青であったという。ずいぶんと忙しそうだし、また難題が降りかかっているのだろうと思ったとのことであった。わたしは退院したのちにそう云われたが、その時は彼に会った記憶はまったくないのである。足元を見つめて歩くだけで多分、必死の状態であったのだと思う。

 一旦、部屋へ戻り、午後5時ころであったが、明日が大事な日であったので、体調も考え、早目に帰宅しようと考えた。その時、ふと、社内の診療所の所長の顔が思い浮かんだ。念のため電話を入れてみた。所長は在室であった。わたしのフロアーは10階である。診療所は6階にある。エレベーターで向かった。

 エレベーターを降りて歩きだそうとした時、足を動かすのが難しくなっていた。右手で廊下の壁を支えにしてゆっくりとゆっくりと足を運んだ。それが精一杯であった。ただ、その時も頭痛や吐き気は一切、なかった。所長室に入り、ソファーに座った。

 所長にひと言、「調子が悪い。頭かも知れぬ。歩くのも大変」と云った。所長が前面に座り、筆でわたしの顔や手の甲をなでた。「感覚があるか」と、問うた。

 頬を撫でられて「ある」と答えたところで、頭上から左顔面にザ〜ッと何かを浴びせられたような、何とも云えぬ気分になった。筆が顔を撫でているのが自分の目で確認できる。右頬はくすぐったい。左頬は筆先が当たっているのに感覚がない。

 「ない!」

 突然ではなかった。感覚が失われるまでにたぶん、1,2分は経過したはずである。サドゥンデスではなかった。最初は少しは触られているのが分かったのだから。それは不思議な感じ、いや光景であった。

 そうその時の感覚は、左顔面上部からザ〜ッと血が流れるというより、顔全体に御簾がかかってくるような気がした。その時、本格的な出血が始まったのだと思う。所長が毛筆と金槌で左顔面、左手、左足に触れるが、ものの2、3分もかからずに感覚はなくなった。わたしの左半身が沈黙してしまった瞬間であった。

 

Г砲弔鼎

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脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

供イ修了へ向かってーー直前の予兆と考えられる原因

1.発症(2001.3.1)前の血圧と直前の脳ドックの結果

 発症前の約3か月前(2000.12)にわたしは、日帰りの人間ドックに入り、かつ同時に脳ドックも受けていたのである。

 その時のわたしの受信結果は、血圧は145(収縮期)と95(拡張期)くらいであると記憶している。そして、脳ドックの結果といえば、年齢相応の小さな脳梗塞の跡が見られるが心配はいらない。念のため、血液サラサラの薬を二週間分持って帰りなさいという処方であった。

 そして医師は、売薬であるが小児バッファリンが血液サラサラに効果があるから、それを飲むようにと指示を出した。わたしは、その後小児バッファリンを購入し、一か月ほど毎日とはいわぬが、気がついたときに飲むようにしていた。脳出血の際には命取りになる逆効果の薬を発症3か月前の脳ドックの結果、医師より指示されていたのである。

 脳ドックの意味とは何ぞやと声を大きくして言いたいところである。

2.発症直前数か月の予兆・前兆

ー鷆擇留βΔ常に棍棒を入れたように凝っていた(出血は右脳であった。従って後遺症は左半身に残っている)

⊂し歩くだけですぐに滴るほどの汗が出て、ハンカチがいつも濡れる状態であった

人の話を聞いている最中に、頭がポーッとして遠くからその話声が聴こえてくるような現象が何回も起こっていた

せ折、大した運動もせず理由もないのに動悸が激しくなることがあった

ド垰弋弔覆曚匹法頭痛はまったくといってよいほどになかった。わたしの場合、発症時にも頭痛はなかった

3.男の更年期障害

 いま思い起こすと直前の予兆にもあるように、発症原因のある部分は最近よく云われるようになった「男の更年期障害」に求められるものもあったのではなかろうか(2000年当時は男の更年期といったことはあまり一般的には云われていなかったように思う。少なくとも私の意識のなかにはまったくなかった)

 ●最近、男性の更年期障害は加齢による男性ホルモンの低下が発症に大きくかかわっていることがわかってきた。それに加えて仕事上の中年男性の3要素「ストレス」「肥満」「運動不足」なども、それを後押しする間接的要因としてあげられよう

4.喫煙習慣

 それまで何度か禁煙を試みたものの、発症時は喫煙習慣は一日、3箱から4箱になっていた。飲酒時には6箱程度になるといった超ヘビースモーカーであった

5.肥満

,錣燭靴療正体重は肥満度ゼロベースで約60kgだが、発症前3年ほど前には63から64kgであったものが、やはり倒れる直前には68kgにまで急速に太っていった。顔も二重あごになり、ある人に云わせると醜い顔になっていたのである

発症後、医師から云われた言葉でなるほどと思ったことがある。「適正体重から10kgオーバーの人とはどういうことか。よく考えてみなさい。いつも200gのビフテキを50切れお腹に巻いて歩いていることだ。心臓への負担がいかに大きいか想像がつくだろう」と。もっともである。

6.食事と飲酒

^酒後のラーメン、しかも塩味の濃い味でないと味覚が麻痺した舌にはうまくないと感じていた。塩分摂取過多が常態となっていた。

飲酒はほぼ連日。それでも土日は晩酌もせず飲んでいなかった、と云うより呑む気がしないほどに酒席が多かった

7.運動不足

 若いころは中高と陸上部で運動部で体力に過剰な自信をもっていた。加えて、性格がもともとものぐさときていた。そのため自らゴルフに行くでもなく、仕事が忙しくそんな暇もなかったというのが現実であり、疲れて運動などする心理的余裕もなかった

8.ストレス

 会社が大変な時期にあり、仕事の上でのストレスが半端でなかった。土日もなく仕事が追いかけてくる状態であった。まさに常在戦場の渦中のある日々を過ごしていた。心の余裕など一欠けらもなかった

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はらたいらのジタバタ男の更年期 (小学館文庫)

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男の更年期に警告反応―人間ドック医の報告

 

脳卒中へのカウントダウン5

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5.高血圧とは(日本高血圧学会ガイドライン)

 脳卒中の原因のひとつが高血圧であることはほぼ周知のことであるが、そのガイドラインは現在、どうなっているかを見ておこう。

 まず、血圧は心臓がギュッと収縮し左心室から大動脈を経由、脳や全身へ血液が送り出されるときに、最大となる。その血圧を収縮期血圧という。いわゆる上の血圧、下の血圧というときの上の血圧にあたる正式な呼称である。

 そして逆に肺から左心房に肺静脈を通じ、血液を取り込むときには心臓は拡張している。そのときに血圧は下がっている。その下の血圧を正式に拡張期血圧という。

 日本高血圧学会ガイドラインによれば高血圧について以下の通り、定義している。

 至適血圧・・120(収縮期)未満かつ80(拡張期)未満

 正常血圧・・130未満かつ85未満

 正常高値血圧・・130〜139または85〜89

 軽症高血圧・・140〜159または90〜99

 中等症高血圧・・160〜179または100〜109

 重症高血圧・・180以上または110以上

 収縮期高血圧・・140以上かつ90未満

 

(参考)

 米国において2003年5月公表された「高血圧の予防、発見、診断、治療に関する米国合同委員会の第7次報告」いわゆる「JNC7」で数値基準が厳しくなった。

 それに合わせるように従来に比べて日本のガイドラインも2004年に改定されより厳しい数値となった。

 【JNC7基準値】

 正常値:120(収縮期)未満かつ80(拡張期)未満

 高血圧前状態:120〜139/80〜89

 軽症の高血圧:140以上または90以上

 

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最新版 高血圧これで安心―高血圧治療の新ガイドラインに準拠 (ホーム・メディカ安心ガイド)

実地医家のための高血圧治療ガイドライン

 

 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

3.脳の構造と働き(構造図:東海大学付属病院病院内HPより)

’召旅渋ぁ次柴皮から順に

 頭がい骨・硬膜・くも膜・(脳脊髄液・栄養血管)・軟膜・脳

脳の循環機能

 脳には心臓から送り出される血液量の15〜16%が流れており、全身で消費される酸素のうち20%が消費されるなど、その活動を維持するため多量のエネルギーを必要とする。その源となるブドウ糖や酸素が血液を通じて供給されている。その脳内血液が数分以上途絶えることになると、神経細胞の障害が起きることになる

4.脳卒中とはどんな病気で症状は?

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 脳卒中は脳の血管が詰まったり、破れたりして、その先の脳細胞に栄養が届かなくなり、細胞が死んでしまう結果、その脳細胞がつかさどる機能が壊滅するか機能障害が起きる病気で、今の医学では死んだ細胞の再生は不可能である。また、血管障害による副次的障害として脳にむくみが生じることから同様のさまざまな障害が生まれる。

 【閑話休題】

 昨年(2007.11.21)公表された京都大学の山中伸弥教授(物質−細胞統合システム拠点/再生医科学研究所)らの研究グループの成果が、今後の再生医学に実践的な道筋をつけるものとして大きな期待が寄せられている。細胞の再生すなわち神経あるいは臓器の再生、機能回復など障害に苦しむ人たちにとって、臨床研究分野への移行や倫理基準等の問題も含めた議論を尽くしたうえでの医療現場での早期実践が強く待たれるところである。

 その研究成果はノーベル賞に値すると云われており、ヒトの皮膚細胞からES細胞(胚性幹細胞)と遜色のない能力をもった人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発に成功したものである。

 2005年の韓国ソウル大学の黄博士の胚性幹細胞(ES細胞)捏造事件は記憶に新しいが、胚性幹細胞の開発には従来、受精卵ないしはそこから発生がすすんだ胚盤胞までの初期段階の初期胚が必要とされ、人道上の倫理問題が大きなネックとなっていた。

(参考1)ーー胚

 一の細胞(生殖細胞を除く)または細胞群であって、そのまま人または動物の胎内において発生の過程を経ることによって一の個体に成長する可能性のあるもののうち、胎盤(たいばん)の形成を開始する前のものをいう

(参考2)ーーヒト胚

 ヒトの胚(ヒトとしての遺伝子情報を有する胚を含む)をいう

(参考3)ーーヒトES細胞

 現在、よく耳にするヒトES細胞はヒト胚から採取された細胞または当該細胞の分裂により生ずる細胞であって、「胚」でないもののうち、多能性を有しかつ自己複製能力を維持しているもの、またはそれに類する能力を有すると推定されるもの

 〔ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針について−文部科学省より〕

 

脳卒中の症状

 急に昏倒(こんとう)し意識がなくなったり、半身の麻痺が起きたり、口のろれつがまわらなくなったり、食事中に箸で物をとりこぼしたりと様々な症状が起きる

G晶亰譴版捷失匹楼磴ι袖

 脳の障害からくる後遺症が同様であるため脳出血と脳梗塞がごっちゃにしている人が多く見られるが、原因も異なる部分もあり、さらに予防治療においてまったく異なることがあるため専門医師との相談が必須である

 脳卒中による死亡者数のうち60%以上を脳梗塞が占め、脳出血は25%である。これは、カウントダウン△能劼戮患者数の内訳と比べると、脳出血の方が、死亡確率は高いともいえる。

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脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

2.脳卒中は大きく4つに分類される

脳出血

(ア)脳内出血・・・高血圧、動脈硬化、脳動脈瘤や血管の奇形などが原因で脳内深部で血管が破れて出血するもの

(イ)クモ膜下出血・・・頭蓋骨といわゆる脳みそとの間にあるクモ膜と脳みそを覆う軟膜の間で血管が破裂し出血するもの。原因の8割以上が脳動脈瘤の破裂といわれている。死亡率は50%に達する。

脳梗塞

(ア)脳血栓(けっせん)・・・脳の血管の動脈硬化巣の表面を覆う膜が破れ、血栓ができて血管を詰まらせたり、頸動脈などにできた血栓が脳の血管に流れ込んで詰まるもの

(イ)脳塞栓(そくせん)・・・脳以外の場所、たとえば不整脈が原因で心臓(心房)のなかにできた血の塊が血流に載って流れ着いて、脳の血管に詰まるもの。しばしば、血の塊が大きいので太い動脈が詰まってしまい、重症な脳梗塞を起こすことが多い。

(参考)血栓:血管内の血液が何らかの原因で形成される血の塊のと。主に血管壁が毀損されて起こることが多い。

0豌畧脳虚血発作・・・脳の細小動脈が一過性に詰まったり、細くなって血液の流れが減少して起こる。

す盞谿祇脳症・・・血圧の急激な上昇により脳圧があがり、脳にむくみが起きるもの。脳血管の自動調節機能の範囲を超えて血圧が上昇すると、血液が異常に増加し、脳の毛細血管内から血管外へ血漿(ケッショウ)成分がしみ出し、脳にむくみが生じ、頭蓋内圧が亢進する結果、頭痛・悪心・嘔吐・痙攣・意識障害などの症状が起こる。

 

 ●約30年前の日本では脳卒中患者の2/3が脳出血であった。それが現在では脳梗塞が75%を占める形となっている。食生活の欧米化が原因のひとつと云われている。因みに欧米の脳卒中のなかに占める脳梗塞は85%に達している(日本脳卒中協会)

につづく

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脳梗塞・脳出血・くも膜下出血―脳腫瘍、もやもや病などその他の脳の病気 (よくわかる最新医学) (よくわかる最新医学)

脳神経外科 脳動脈瘤の血管内治療―最新症例集

脳梗塞・脳出血・くも膜下出血が心配な人の本―脳血管の病気の不安解消・予防・早期発見のために

 

 

脳卒中へのカウントダウン5

脳卒中へのカウントダウン

 約7年前にわたしは脳出血という恐ろしい病におそわれた。幸運なことに命をとり止め、何とか社会復帰も果たした。しびれや麻痺は一生残るものの、こうして与えられた人生をそう不自由なく過ごすまでになった。

 ブログを二年ほど前に始めて、わたしのサイトに「脳出血」や「痺れ」、「リハビリ」といった検索項目で入ってくる方たちが結構いらっしゃる。これまで、脳卒中について整理したまとまったことは書いてきていない。

 脳卒中という病気について、罹病した患者の立場で気がついたことや何かお役に立てるかも知れぬ事柄をそれなりにここで整理をしてみたいと考えた。

 もちろん医療については素人であるが、患者としては医師と異なりこちらが玄人である。玄人の患者として「脳卒中」にかかり悲嘆にくれている方あるいはこれからかかるかもしれぬ「あなた」の力にすこしでもなるようにシリーズで「脳卒中へのカウントダウン」を書き綴ってゆきたいと思う。

 まず、目次であるが以下の順序で書き進めて参りたいと考えている。気痢屬呂犬瓩法廚播計調査の数字を使用して脳卒中という病気を概観する。つぎに兇痢屬修了へ向かって」で、わたしが脳卒中(脳内出血)になった直前の予兆やそこに至ったと考えられる原因について、自分自身の反省を込めて振り返り、整理をしてみようと考える。掘屬修了」で、倒れた当日から退院までの3ヶ月半の出来事を事実通りに書いてみることとする。そして、最後に検屬わりに」で、その時を経て思うことについて書きとめておきたいと思う。それでは、まず、「はじめに」からスタートすることにする。

 

機イ呂犬瓩

1.脳卒中は脳血管疾患の総称

 脳卒中という病名は古くは「脳が卒然として邪風に中(あた)る病気」ということから脳血管疾患のことをおおむね「脳卒中」と呼んできた。死亡率が高く、その後遺症もひどく、治療方法がなかったことから「中風」や「中気」とも呼ばれ、不治の病としてながく恐れられてきた。

 そこで、現在の脳卒中はどうなのか。その死因別・疾病別要因における位置付けについて述べておこう。

 昭和28年以来、死因順位の一位を占め続けて来たが、昭和45年をピークに減少に転じ、昭和56年には悪性新生物(ガン)に、ついで昭和60年には心疾患に順位を譲り、目下第3位にある。依然、恐ろしい病気であることに違いはない。

 平成18年の厚生労働省調査の「人口動態統計」で死因別の数字を見てみよう。同年の総死亡者数は108万人である。

 その死因の一位が悪性新生物(ガン)の33万人(30.4%)、二位が心疾患17万人(16.0%)で、脳血管疾患は13万人(11.8%)と第三位となっている。因みに第四位は肺炎(11万人、9.9%)である。

 つぎに平成17年の厚生労働省の「患者調査」で疾病別の数字を見てみよう   

 【()内数字は平成11年の同調査によるものである】。

 悪性新生物142(127)万人、虚血性心疾患[狭心症・心筋梗塞]86(107)万人、高血圧性疾患781(719)万人、糖尿病247(212)万人、脳血管疾患137(147)万人となっている。

 「脳卒中」ということで云えば、死因別順位で第三位に後退したといっても、疾病別の罹病者数ではほぼ一位のガン患者数に匹敵する、依然として恐ろしい病気であることに違いはない。

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患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン5

脳出血へのカウントダウン

 

,砲發匹

 

 

 

 今、思い起こしてみると、右脳出血する一年半ほど前から前兆となる症状があったように思う。

 

 その代表的な症状は次の四つである。

1.      首筋の右側が棍棒を入れたように凝っていた

2.      少し歩くだけで、すぐ汗が出るほどの暑がりになっていた

3.      人の話を聞いている最中に、頭がポーッとして、遠くから声が聞こえてくるような現象が、何回か、起きた

4.      時折、たいした運動もせず、理由もないのに動悸が激しくなることがあった

 

血圧が高いことは健康診断で指摘を受けていたので、降圧剤の軽いものを毎日飲まされていた。その降圧剤も、今から考えると愚かであったが、飲み始めてすぐ血圧が正常値の範囲内に収まっていたので、一年程で徐々に飲むのを止めるようになっていった。副作用はないと医師から言われていたものの、どこか服薬に対する心理的抵抗感があったのだろう。ひと月ほど降圧剤の服用を止めても、血圧が正常値であったので、自分でその服用をやめてしまった。後で医師から聞いたら、降圧剤は止めてすぐに、効能がなくなるのでなく、数週間は効能が持続しているのだと言われた。わたしが自働血圧計の「健太郎君」で、血圧測定をやっていた一月ほどは、薬は止めたものの、薬効がまだ残っている時期であったのである。

 

わたしは、一年ほどの降圧剤の服用で高血圧が治ったと、勝手に考えた。そして、仕事が急速に忙しくなるにつれ、医師の診断も健康診断のみで、頭から高血圧という言葉が弾き飛ばされていった。

 

そうしたなかで、肩や首筋が凝り、そして時々、ボーッとなることから再び、高血圧が脳裡に浮かんできた。そして、診療所にかかる時間はとても昼間にとることはできなかったので、夕方に自働血圧計で血圧を測りに行き始めた。倒れる3、4ヶ月前当りからだったと思う。

 

社内診療所には「健太郎君」は三台設置されていた。そのすべてで測っても、常にエラーが表示された。ボタンを押すと、差し入れた右腕がギューッと圧迫されるのだが、それが固定、停止しないまますぐに、ふわ〜っと弛んでくるのである。そして、表示板にエラーとメッセージが現われる。機器が壊れているのだと思ったが、いつも看護士も退社したあとであったので、それを伝えることもなかった。

 

「どうしようもないな」と、ブツブツ言いながら自席に戻る日々が度重なった。その頃には、実はわたしの血圧はとんでもないほどに高くなっていたのである。その時に、何とか時間をひねり出して直接に医師にかかり、血圧を測ってもらっておれば、最悪の事態は避けられたのではないかと思う。おそらく、相応の緊急治療がなされたことと思うし、「健太郎君」の測定範囲を超えるほどに血圧が異常に上昇していたことは、簡単にわかったはずである。

 

 素人判断で降圧剤を勝手に止めるなど医師の指示に従わなかったことと、おかしいと思ったとき、すなわち病魔がすぐ脇まで寄り添っている時にも、医師のもとへ向かわなかった無謀さが、その直後の脳出血に至る大きな要因である。兆候は色々とあった。シグナルはガンガン鳴っていた。なのに、わたしはなにも行動は起こさなかったのである・・・。「かえすがえすも」という言葉があるが、「その時歴史は動い」てしまったのである。

 

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おとなのADHD―社会でじょうずに生きていくために

「リハビリ制度改革の患者置き去りの愚行」5

「リハビリ制度改革の患者置き去りの愚行」

 

 この四月の診療報酬改定で、リハビリ医療界に激震が走っている。医療機関で保険診療を受診できるリハビリ日数に以下のような制限が設けられたのである。

 

脳血管疾患

脳腫瘍・脳外傷・脳卒中・脊髄損傷など

180

運動器

手足の重い外傷・骨折後の手術、切断・運動器

の不安定症など

150

呼吸器

肺炎、無気肺、肺梗塞開胸手術後など

90

心大血管疾患

急性心筋梗塞・狭心症・冠動脈バイパス手術など

150

 

 一方で、一日当たりの訓練時間は1時間20分から2時間に拡大された。早期リハビリが機能回復の効果が高いとの知見から、早期の集中的リハビリを可能とすることが目的といわれる。

 

 早期治療が目的であれば、一日当たりの診療時間を、米国の臨床実験で最も効果が高いといわれる3時間/日に延長すれば事足りる。厚労省は期限を設けた理由として、「これまで効果が明確でないリハビリが長期間続けられるケースが多くあった」を挙げている。これは、ある側面は役所の言うとおりの実態が医療現場にあるといってよく、その理由の一面には肯くところはある。しかし、リハビリをどれだけの期間必要とするかは、患者によって、それこそまちまちである。そのことを賢いお役人が知らぬはずはない。

 

 厚労省のいう「長期間続けるケース」は、町医者的な整形外科院で長々と続けられている赤外線治療や温湿布治療などをいっているのだと思う。通常、街の整形外科院にリハビリの専門の理学療法士や作業療法士を常時、配置しているケースは、コスト面からそれこそ少ないのである。リハビリに素人の医療従事者が、患者の気休めに漫然と赤外線治療などを施し続け、医療報酬を貪(むさぼ)っている実態を厚労省は、指弾し、止めさせたいのである。

 

 そのこと自体、医療財政の赤字が年々、増大する状況に鑑みれば、やむを得ぬことではある。要は、本来リハビリ治療の継続を必要とする患者に専門的な療法士の指導を受けさせるために、医療費の無駄遣いとの兼ね合いの中で、どうバランスをとるかということなのである。厚労省のこの施策により、リハビリ医療の現場には、結果として何が起こっているか。

 

 何のことはない、専門のPTOTを指導できる大病院や専門医療機関から溢れ出た患者は、療法士のいない街の整形外科へ止むを得ず通院することを余儀なくされているのである。町の整形外科院は、一人当たりの診療時間には制限がかかったが、受診者数が増えることによって、逆にリハビリの診療報酬は増加しているというのが予想される実態である。財政的には全く逆の効果が出てくる危険性がある。そして、最も大切なことだが、専門治療を必要とされるリハビリ患者が、最大限の機能回復に至るまでの期間、熟練の理学療法士なり作業療法士からの訓練指導が受けれなくなってしまったことに、今回の制度改革は一体、何のために、誰のために行なわれたのかと言いたいのである。

 

 ほくそえんでいるのは、日本医師会傘下の専門の療法士を配備せぬ整形外科病院なのではないか。そして、絶望と不安のなかに放り込まれたのが、脳梗塞などで引き続き長期の専門リハビリを必要とする患者たちなのである。

 

 即刻、リハビリ制度の見直しに手をつけるべきである。歩くことのできぬ、箸を持つことのできぬ患者たちは、泣いているのである。

 

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リハビリテーション医療の打ち切りに反対する署名活動

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脳から見たリハビリ治療―脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方

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患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン5

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン

 

,砲發匹

 

 わたしの酒量と喫煙量は日増しに増えていった。それと反比例で睡眠時間が短縮されていった。そして、今から考えれば一番、大切であった食生活つまり、塩分の規制については、逆にどんどん塩辛いものへの嗜好が強まっていた。

 

 高血圧の改善に最も即効性があるのは、血液中のナトリウムの量を少なくすることである。逆にいえば、腎臓のナトリウム排泄機能を超えて、血液中の塩分量が増えると血圧が上がる。血中に塩分が増えれば、塩分濃度を一定に保持しようと血液中の(本来排泄されるべき)水分も保全され、その結果、体液量が増加する。その大量の体液を体内中に運ぶためには、ポンプ役の心臓は必死にその血液を押し出す圧力を上げなければならない。つまり、血圧を上げざるをえないのである。

 

 このメカニズムを、倒れる前に詳しく知っていたら、もう少し対応は変わっていたかもしれない・・・、と思って見たりするが、まぁ、生活習慣は恐らく変わらなかったのであろう。「健康のありがたみは失くしてみて、初めてその価値がわかる」という名言があるくらいだから、凡人のわたしがいくら塩分濃度のカラクリを知ったからといって、生活態度や食生活のスタイルを根本から変えるなどということはなかったであろう。

 

 本当に病気というものを回避するのは難しい。わかっていても、病気の真実の姿、つまりどれだけ己の生活が制約を受けるかが、実感でき難いところに、健康の維持に対する努力の方が本当は格段に己の人生に対する負担は軽いことが、この愚かな人間にはわからないのであろう。

 

 年齢が50歳にあと2ヶ月という日に、わたしは脳出血に見舞われた。

 

その悲劇の日に向かって、わたしの体は徐々に悲鳴を上げていったのである。そして、その体の発する悲痛な叫び声にわたしは真摯に耳を傾けることをしなかった。悲劇の日まで2、3年の頃、想起すればすでに脳卒中の前兆は確かにあったのである。悪魔の囁きではなく、天使の囁き、いや嘆きの声がわたしの耳には届けられていたのである。

 

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン5

患者がしゃべる脳出血へのカウントダウン

 

,砲發匹

 

 わたしは、30歳代後半あたりの健康診断で、初めて血圧が高めであると医者から注意を喚起された。それまでの血圧は、確か110(収縮期)−70(拡張期)くらいで、血圧自体を意識したことはなかった。だから、医者から言われた時、ちょっと驚いたのを覚えている。まだ高いといっても当時は、135−90といった程度であったと思うが、下の方の数値、つまり拡張期の血圧が高いといわれたのを覚えている。

 

 現在の高血圧症の定義は20035月に米国の高血圧治療ガイドラインとも言える、『高血圧の予防,発見,診断,治療に関する米国合同委員会の第7次報告』いわゆるJNC7」が発表され、見直しがなされた。従来よりもその数値基準は厳しくなり、具体的数値(JNC7」基準)をあげると、正常血圧は最高血圧が120mmHg未満、かつ最低血圧が80mmHg未満(日本高血圧学会基準 130−85)。120〜139/80〜89mmHgは高血圧前状態と定義された。ステージ1(軽症)の高血圧は140以上(収縮期)または90以上(拡張期)となった。(軽症の高血圧基準は日米同数値の基準となった)

 

因みにわたしが、医者から注意を喚起された10数年前には、正常値であったものが、この基準で言うと、わたしは高血圧前状態というジャンルにあったというより、拡張期血圧がステージ1にあり、まさにわたしは当時、すでに高血圧症であったわけである。

 

ただ、30歳代後半のわたしは、そうした医者の声に対し、まったく聞く耳を持たなかった。若い頃から病気もせず健康一筋で来た並々ならぬ自信が、「高血圧」という病の恐ろしさなど意にも介せず、鼻先でせせら笑わせたのである。

そういえば、その時医者は「運動をして体重を減らせ」「酒を控えろ」、そして「塩を控えろ」とも注意していたが、こちらは上の空の生返事であった。いやぁ、度し難い健康に対する「驕慢さ」であった。穴があったら入りたいとはこのことを言うのだろう。

 

傲慢なわたしも、一度くらいは「塩分控えめ運動」を展開した。しかし、それも一週間ともたなかった。塩を振らない焼き魚にレモン汁をかけて食うなど、日本男児たるものそこまでして、「命にこだわるのか」と、すぐにその虚弱な努力は頓挫してしまった。要すれば、濃い塩分に馴れた舌には、レモン如きでは無臭といおうか、味が感じられなかったのである。いま思い起こすと、当然のことながらあの減塩療法をずっと続けていればと、後悔仕切りである。

 

そして、その後、徐々に責任ある仕事を任され、夜昼なく猛烈に仕事と遊びに熱中していく。当然、酒もすすむ。帰宅も遅くなる。その間、体は加齢とともに徐々に抵抗力を弱めていっていた。一方で、健康面では体に悪いことが重なっていく。当時は喫煙もしており(一日3箱位)、絵に書いたような不養生な生活を送っていたのである。徐々に病魔の暗黒の眼がわたしを睨みつけ出していたのである。まだ、血圧とちょっとした肥満以外にどこといって異常のないわたしに、病魔の視線を感じることなどできなかったし、「摂生」などという言葉はまったく無縁のものであった。

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