彦左の正眼!

世の中、すっきり一刀両断!で始めたこのブログ・・・・、でも・・・ 世の中、やってられねぇときには、うまいものでも喰うしかねぇか〜! ってぇことは・・・このブログに永田町の記事が多いときにゃあ、政治が活きている、少ねぇときは逆に語るも下らねぇ状態だってことかい? なぁ、一心太助よ!! さみしい時代になったなぁ

政治

米大統領選 クリントンVSトランプの第一回TV討論は35:65でクリントンが勝った

11月8日の米大統領選の候補者、ヒラリー・クリントン氏(民主党)とドナルド・トランプ氏(共和党)が26日午後9時(日本時間27日午前10時)からニューヨーク州のHofstra University.NYにおいてTV討論を行った。

 

9時少し過ぎ、両候補者はディベート会場であるHofstra Universityに特設された壇上に登場、双方、握手を交わしたあとNBCテレビのニュース・アンカーであるレスター・ホルト氏の司会によりディベートがスタート。

 

最初のテーマは雇用問題など経済政策で始まり、TPPなどの貿易問題、人種差別問題、イラク問題や核拡散など安全保障の問題、NATO・日本・韓国などとの同盟関係の考え方、テロ対策、Birtherism(オバマ大統領はアメリカ生まれでないので大統領として不適格とする運動)、トランプ氏の納税問題などさまざまな分野,関心事において意見が戦わされた。

 

90分の予定時間であったが、討論は初回から白熱し、予定を8分超過しての終了となった。

 

雇用問題ではクリントン氏はインフラ投資の拡大により雇用を創出するとした。一方でトランプ氏は米企業の海外逃避の制限、メキシコからの関税不平等による雇用喪失などを例示し、減少を食い止めるといった話が中心で、このテーマは双方の話がすれ違う形でまずは互いの主張を述べあった。双方、落ち着いた対応で無難な滑り出しとなる。

 

次にNAFTAやTPPなどの貿易問題ではトランプ氏が実際の閣僚として務めたクリント氏に、TPP賛否について過去の発言のブレなどを指摘。クリントン氏も予想されたことでもあり、危なげない安定した対応であるが、トランプ氏が大統領になったら既存の枠組みを大きく変えることで雇用問題など別次元の展開が拓けるのではとの期待も少しうかがわせた。

 

ディベートの潮目が変わりだしたのが、アフリカ系やイスラム系米国人、有色人種に対するトランプ氏のこれまでの過激な差別発言が議論の俎上に上ってからである。

 

クリントン氏は過去および選挙期間中のトランプ氏の差別発言を具体的に指し示し、大統領としての資質、人としての資質について問題があると指摘。トランプ氏はここあたりから口調も早まり、コップに手を出し口を潤す場面が頻発。クリントン氏の口撃に話を少しずらした返答を繰り返し、最後には女性は妊娠するのでビジネスには不向きなどの過去の数々の女性蔑視発言をクリントン氏にあげつらわれ、一挙にディベートは守勢となる。

 

このテーマ以後はクリントン氏が整理された頭で各々のテーマに具体的かつ冷静に応答するのに対し、トランプ氏はその場しのぎで話しているように見えた。挙句の果てに、トランプ氏は「あなたはこのひと月ほど家にこもってこの討論会の準備に専念していた。その間、わたしは全米を巡り人々声を聴いて歩いた」とクリントン氏に発言。

 

これに対しクリントン氏は、「わたしは大統領になる準備をしっかりしていたのだ」と切り返した。

 

そして、「NATOは今では無用の長物、73%ものコストを米国が負担するなど金がかかり過ぎ」と発言するトランプ氏に対し、クリントン氏は「日本・韓国に核保有を促す発言をするなどNATOだけでなく同盟国に大きな不安を与えてきた、大統領になろうかという者は自分の発言の重み、言葉が世界におよぼす影響を真剣に考えて発言すべきである」と、まるでわがままし放題の放蕩息子を親が諭すような場面では、クリントン支持者たちは拍手喝采であったのではなかろうか。

 

このあたりから討論の最終までクリントン氏は冷静沈着にトランプ氏の口撃に対応し、懐の深さを演じきって見せた。

 

その逆にトランプ氏は各テーマが持つ大きな視点での議論展開がなく、自分が見聞きした些末とも見える事柄を具体例として持論を展開、問題がその一事に矮小化されてしまった感がある。そして、自身の納税問題に関し、「政府が他国を守るためなど多額の無駄遣いをしており、納税をしていないことは賢い判断である」と語った時には、これでトランプ氏は終わったと感じたが、討論終了後の退席時のぶら下がりインタビューでは、「当然、州税は払っている」と答えていたが、この問題は今後とも燻り続けるのではないかと感じた。

 

総じて、トランプ氏は明らかな準備不足であり、少々、ビジネス界での商売口上の上手さを過信し過ぎ、政治とビジネスとは大きな相違点があるという重要な事実を軽んじてきたトガが当夜の討論では随所で見受けられた。

 

結果、わたしの採点はクリントン氏65点に対しトランプ氏は35点となった。

 

CNNが直後に行ったHofstra UniversitySpin Roomでのコメンテーター(両陣営支持者が出席)の議論も当初は候補者のディベートの優劣について穏やかであった。しかし、クリントン氏が勝ったとの評価がその場を支配し始めると、トランプ派のコメンテーターが猛然と反発するなど、その姿はどこか新興宗教の熱烈な信徒のように見えて、やや不気味な印象を受けた。

 

CNNフロリダ州オーランドの投票先未定の選挙人を含めた視聴者22名を現地会場に招じていた。TV討論直後にその優劣を問うたが、クリントン氏勝利が16名、トランプ氏6名(クリントン氏 1:トランプ氏0・38)という結果であった。そのインタビューのなかで民主党支持の若い女性の発言が特に印象的であった。

 

民主党でサンダース議員をずっと指示してきて人物とのことであったが、クリントン氏ができぬことをトランプ氏が代わってやってくれると期待したが「大変がっかりした」と述べたのである。

 

また、討論終了直後のCNNTVによるボタンによるどちらに軍配をあげるかとの投票(ORC POLL)は、この調査に応えてくれる視聴者は民主党支持者が41%と共和党支持者を10%ほど上回っていることを前提(支持政党なしの人も3割ほどいるか?)に、この結果を見てもらいたいとして挙げた数字が以下の通りである。

 

クリントン氏62% トランプ氏27% (クリントン氏 1 に対しトランプ氏 0・44)

11%の人はどちらとも言えぬと回答したものであろう。(  )内は勝敗をはっきりさせた視聴者の中での比率。

 

わたしが討論直後に受けた印象はタイトルに掲げたごとく、クリントン氏65点、トランプ氏35点である(クリントン氏 1 に対しトランプ氏 0・54)。

 

ディベート直後の全米での評価は、オーランドやCNNの視聴者の調査からみれば、倍以上の差でクリントン氏が勝利したといっている。私の採点の方がもう少しトランプが頑張ったと考えたことになる。

 

直後の興奮状態のなかでのぶら下がりインタビューで、ある記者がトランプ氏に「今回のディベートで反省すべきところはありますか?」と質問を発したことが今日のすべてを物語っていたといえる。

 

TV討論は11月8日の本選挙に向けてあと二回開催される。予定は次の通り。

10月9日:第二回大統領候補者テレビ討論会(ミズーリ州)

10月19日:第三回大統領候補者テレビ討論会(ネバダ州)

 

トランプ氏陣営もこのままではまずいと感じたことは確かである。10月9日に向けて今度は万全の対応また反撃の妙手を繰り出してくることは必至である。今回はこれまで以上に我が国の安全保障に重大な影響を与える米大統領選挙である。次回のディベートを大きな関心を持って待つこととしたい。


今こそ憲法を論ずる時、思考停止に陥る“九条教”からの解脱を

今回の選挙結果を受けた感想を、JT生命誌研究館館長の中村桂子氏があるNPO法人の会報のコラムで、


「投票率が史上最低という形で終ったのは気になります。ここでしか意志を伝えることはできないのに。」

「その結果、安倍さんが思うままに憲法改正ができる数になってしまった恐さ」


と書いておられた。


前段の、戦後最低の投票率となった点はおっしゃる通りであるが、引っかかるのは後段の部分である。


中村桂子氏といえば生命科学分野で専門的業績は言うに及ばないが、難解な生命科学の世界を世の中にわかりやすく紹介、啓蒙された功績でも評価されている人物である。


そうしたいわゆる知識人と呼称される人たちは、どうしてこうも現行憲法について語る時に一瞬にして思考停止の状態になってしまうのか、不思議でしようがない。


日本の言論界(そんなインテリジェンスな世界がこの国にあったとしたら)やメディア、そして知識人と総称される中村先生のような聡明な方々が何故にこうも憲法改正を頭から否定し、改正は悪だと与件として語るのか。


わたしにはそこがいつも分らず、理解に苦しむところである。


特に、他の様々な分野のお話において非常に見識の高さを示される人物が、こと9条問題や憲法改正問題について話される時に、決まってその脳軟化症といおうか脳硬化症という方が適切だと思われる病状に陥るのか。


中村先生ももちろん色んなことは分ったうえで、小さなコラムにちょっと書かれた感想であるから、いちいち目くじら立てて云うんじゃないとお叱りを受けるのは覚悟の上で、少々、やはり申し上げるべきと思い、愚考するところを述べることとする。


今後、2017年の参議院議員選挙において議席の2/3以上を確保し、衆参両院で与党がその条件を満たすことになったとしても、中村先生がおっしゃるような「安倍さんが思うままに憲法改正ができる数になってしまった恐さ」になるわけではない。


国会は憲法改正案を国民に対し発議することができることになるだけで、その後の国民投票において国民の過半数の賛成を得て初めて憲法改正は成る。


憲法第96条は、現在、その発議に必要な2/3を1/2に改正したいという自民党内の動きで注目を浴びたが、この条項自体は日本国憲法のなかで第9章“改正”とわざわざ章立てがなされて規定されているものである。


次にその第9章を記載するが、第9章は第96条の1条(二項)のみで成り立っており、第2章の“戦争の放棄”が第9条の1条(二項)のみで成り立っていることと同じ扱いであるともいえる。


第九十六条

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」


申すまでもないことだが、憲法改正の是非は主権者たる国民(2007年5月成立の「憲法改正手続法(国民投票法)」で18歳以上の日本国民)が判断するのである。


飽くまでも主権者たる国民が最終的に裁可するのであって、少なくとも、「安倍さんが思うままに」などはできないことは確かなことである。


もし、「思うままに」とおっしゃることが本音であるとしたら、それは国民主権というそもそも憲法の前文ならびに第一条で規定されている文言を信用されておらぬということになるし、また、国会で決められたことを国民は鵜呑みで賛成する、日本国民は愚かにも自己判断能力を持たぬということを言っておられることとなる。


もちろんそんなことを聡明な中村先生が考えておられるわけではないし、おっしゃるわけはない。


だから、憲法問題については丁寧な議論、言い回しが必要となるのではないかと愚考するのである。


1946年11月3日に公布された日本国憲法は、その後68年間にわたり改正は行われていない。


戦後70年目となる来年、その間に国際社会の構造やわが国を巡る周辺環境は大きく変化した。さらに民主主義に対する国民の理解も深まり、最近では税金の使い道といった視点でも、国民主権という考え方は、われわれ国民の血肉となってきたとも感じられる。


そうした歴史認識、現状認識に立ったところで、現行憲法を素直に読むと、この憲法が作られた70年前とは大きく国際情勢、国内情勢、そしてわが国国民の民度が変わって来ている。色々と現実にそぐわぬ、これは国の存亡にかかわるという点が多々、出てきているなというふうに正直に思うのである。


ひとつ、例えば憲法前文にある「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と赤字の部分など、現下の竹島情勢、尖閣諸島情勢、小笠原諸島での珊瑚乱獲に見る領海侵犯の問題、北朝鮮の核ミサイル開発問題等を列挙するまでもなく、“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して”、国民の生命と財産を守ることなど危なくてしようがないと考えるがどうであろうか。


第2章第9条の「戦争の放棄」も、もちろん第二次世界大戦を惹起した枢軸国の一員として大きな反省に立ってのものであることは否定しないが、前文の赤字部分の理想的な国際情勢認識といおうか願望を前提にしたものであることも否めぬのである。


現実にこの国は激変を重ねる国際情勢のなかで日米安保条約という軍事同盟を背景に戦後の経済発展を享受し、経済大国としての地位を確立してきた。


しかし、それは米国の核の傘があっての、日米地位協定という不平等で屈辱的な条件下での、平和の享受、経済繁栄の享受であったということも冷厳なる事実である。


真の独立国家とは何か。


この一点で戦後70年となる2015年、その目指すべき国家像を議論し、若者たちが誇りをもって生きていける国造りをなすために議論を尽くし、深めてゆくべき時機(とき)が来たと考える。


その詰まるところが憲法議論である。現行憲法を所与のものとする思考回路はもう棄てなければならぬ。硬直的な思索、いや、宗教ともいってよい“九条教”をまずは脇に置いて、誇りある真に自立した独立国家たるにはどういった課題を解決しなければならぬのか、核や国防軍など安全保障の問題を含めどういった国家としての構えが必要なのかを、真摯にかつ冷静に議論を進めてゆくべきである。


そう考えた時に、その“とば口”で、憲法改正は悪である、戦争国家への道だと決めつけて、憲法議論を脳内で封殺することだけは勘弁してほしいと思うのである。


安倍晋三が右寄りで怖いと考えるのはもちろん自由である。しかし、二一世紀の“複雑怪奇なる国際情勢”のなかで真の独立国家として生きてゆく道筋は何か、これからの誇りある日本人、若者たちのためにも、憲法議論に真正面から取り組んでいく覚悟が必要であり、その義務、責任がわれわれ大人にはあるのだと考える。


 


 



第47回総選挙・自公大勝の先に見たい景色

2014年11月21日の奇襲的な衆議院解散。12月2日に公示を受け、12月14日に施行された第47回総選挙は、自公の政権与党が全議席(475議席)の2/3(317議席)を上回る326議席を獲得する大勝利で終わった。

議事堂

大義なき解散とか税金の無駄遣いといった悲鳴のような声が野党側から挙がった今回の解散総選挙。


衆議院の2/3超という圧倒的議席数を誇っていた自公連立内閣が小渕経産大臣と松島法相のダブル辞任というスキャンダルにまみれ坂道を転がり落ちてゆく危機に直面、そのなかで勝負に出た解散・総選挙。


今回、解散を決断した時は、「自民は過半数確保、公明は現状維持、民主は伸び悩み」という情勢判断であったという。


自民党総裁室
自民党総裁室

内閣支持率をジリ貧に降下させてゆき、結果として政権交代という麻生内閣の悪夢を再来してはならぬというトラウマも今回の不意打ち解散の大きな要因であったと考える。


さらに、解散直前のサンプル調査では「自民は多くて30議席減、民主が85〜95議席で三桁に届かず」という数字。


そして、いよいよ14日の開票結果である。投票率は戦後これまでの最低であった2012年の前回衆院選を6・66%下回る52・66%(小選挙区)という低水準となった。


その投票結果を下の通りである。


         *( )内数字は(公示前議席比増減・前回選挙時獲得議席比増減)

自民党 291 (−2・−3)

公明党  35 (+4・+4)

民主党  73 (+11・+16)

維新会  41 (−1・−13)

共産党  21 (+13・+13)

次世代   2 (−17・+2)

みんな   0 (0・−18)

その他  12 (−12・−6)

合計数 475 (−4・−5)


総議席数 475 与党 326 野党 149  与党比率 68・6%

公示前時 479 与党 324 野党 155  与党比率 67・6%

前回選挙 480 与党 325 野党 155  与党比率 67・7%


上表の数字からその選挙結果が語るところをまとめてみた。


まず結論であるが、自公両党の獲得議席数は解散時比+2、前回選挙獲得議席数比+1と総議席が0増5減するなか絶対数を微増ながら増やし、与党比率という点でいえば公示前より1%アップの68・6%を占めるに至った。


逆に野党は解散時比、前回選挙獲得議席数比ともに−6議席と議員定数の削減の影響以上に議席数を減らした形となっている。


野党共闘という掛け声のもと小選挙区での野党一本化という画策もあったものの、結果を見る限り、その効果は限定的で、逆に野党同士のつぶし合い、足の引っ張り合いであったというのが今回の選挙結果の数字に表れているといえる。


すなわち、日本維新の会から分派した次世代の党がどう転んだか。

さらに、結の党への分派(衆院9)と最終的に解党に追い込まれたみんなの党(衆院9)の票がどこへ行ったか。


その議席合計37議席をどう野党で取り込めたかということであろう。


みんなの党からは維新と結いの党との合流で、9名が移動。


さらにみんなの党からは選挙前の駆け込み寺として民主へ3名。残りは無所属などでの選挙対応。


民主は他にも生活の党から2、新党大地から1、無所属から1の転籍があり、不意打ち解散の焼け太りで、みんなの党の3名を含め7名の議席増となっていた。


そうした野党の選挙前のドタバタを経て、臨んだ選挙。


結局、政策の摺り合わせなどを無視しての離合集散を重ねた野党陣営で、自民批判票の受け皿として国民の負託を受け得る党は出現しなかった。


そこで政権党になりうる政党としては認識されておらぬ日本共産党が、消極的な自民批判票の受け皿となった結果、13議席増と単独で議案提出が可能となる20議席を一議席超える21議席を獲得するという、いわば小さな漁夫の利を得た形となった。


こうして安倍総理も想定外の大勝利を得た国会であるが、今回の選挙でひとつ国民にとってひと筋ではあるが、今後の政治をわかり易くする道筋がほのかに見えてきたようにも思える。


左翼陣営から見てゆくと、社民・共産につづいて大きく左から右翼も包含する民主の右に、公明、維新、そして自民が並んだポリティカル・マップが見えてきた。


欲を言えば、自民の右に次世代のような自主憲法を掲げる20名程度の議員を抱える政党が必要であるが、この時点で多くを望むまい。


こうしたマップにおいて、今後、どうしても政党内外で整理してもらいたいのが、明確な政党綱領の改定、提示である。


民主党で言えば、たとえば集団的自衛権についての政党としての意見集約である。国の安全保障、現行憲法の扱いにおいて根幹となる国家観が決定的に異なる議員集団がひとつの政党の旗の下にいることが、この党の言うことが国民に信頼されない最大、致命的な欠陥である。


野党第一党がこういう一貫性を欠く主義主張のその場凌ぎの態度をとり続ける限り、せっかくのバブル政党の整理が進むなかで、自民党の対立軸の受け皿たる政党は出現しないというしかない。


是非、再来年の参議院選挙へ向けて真摯な政策協議を成し、明快な政党綱領を作り上げる作業に着手して欲しい。


対立軸はやはり護憲、改憲、自主憲法という国家観の相違点に着眼したものが国民にとってはわかり易い。


昨今、日々、周辺情勢が緊張度を増している国際情勢の真っただ中において、そうした視点、問題意識での政権選択を国民に可能とさせることが、いま、日本の政治家、政党に強く求められることである。


今回の選挙結果を糧に、そうしたクリアーな景色を見せて欲しいと切に願うところである。


 


 



国会の役割は政策論議・立法化にあり、大臣の首のすげ替えは本義にあらず

10月20日、関連政治団体の不明朗会計の責任を取り辞任した小渕優子前経済産業相の後任として翌日付で就任した宮沢洋一経産相の資金管理団体のSMバーへの支出が問題化されようとしている。

 

2010年9月6日に広島市のSMバーへゆき交際費として支払った金額1万8230円の問題である。宮澤大臣本人はその店へ行ったこともなく名前も知らぬと説明。

 

これまでの宮沢洋一議員の国会質疑の内容水準の高さ、質疑姿勢の端正さを日頃より高く評価している者として、同議員がこれに関与しているなどとは端(はな)から思ってはおらぬし、そうしたことを関係者がやっていたことも知らなかったと言うのも真実だと思う。

 

政治と金の問題は永田町をめぐる根深い問題として国民が常に監視を続けねばならぬことであることを否定はしない。

 

しかし、小渕前経産相の多額に及ぶ政治資金収支の不突合は別として、松島みどり法相のうちわ配布の件や今回のSMバーの問題に至っては、難癖といってもよいきわめてレベルの低い話であると考えている。

 

逆に、こうした話で国会審議をいたずらに遅延させたり、本来、急ぐべき政策論議を後送りにすることの方が国民にとってのマイナスは較べようもなく大きいと言わざるを得ない。

 

わたしがそう考えるSMバーの問題について朝日新聞デジタルニュースは10月23日の配信記事で民主党の対応を次のように伝えた。

 

「首相官邸は違法性はないとして問題視しない考えだが、民主党は閣僚のドミノ辞任を狙って追及する構えだ。

 

「『「あぜんとした。こうした問題を国会で取り上げざるを得ないのは、大変情けない」。民主党の枝野幸男幹事長は23日の記者会見で、宮沢氏をこう批判した。民主党執行部の一人は『チャンスだ。さらに変なことを言えば、完全にクビを取れる』と語り、辞任に追い込むことも視野に入れる。」

 

そもそも、わたしは10月7日の参議院予算委員会でうちわ問題を問い質す民主党の蓮舫議員の姿を見ていて、あまりに下らぬ、もっと議論すべきテーマがあるだろう、なぜ正面から政策論を挑まぬのか、テレビ越しに蓮舫という小賢しげな政治家に毒づいたものだ。予算委員会は大臣の首のすげ替えを本旨とするものではなく、立法府たる国会の重要な政策論を討議し、法律案を審議する場である。

 

最近のネットでは蓮舫議員が過去に配ったコースターのような丸い形をしたものを選挙区で配っていたとして、色々とうちわ問題追及のブーメラン効果が取りざたされている。

 

蓮舫議員のコースターのようなものには選管の証紙が貼ってあるからOKなのだとか、松島前大臣の時には選挙期間中ではなかったので、選管のお墨付きの証紙を貼ってもらおうにも無理であっただのといった井戸端会議が喧(かまびす)しい。

 

ネット上でも蓮舫議員のうちわ追及に対し、下らぬ議論、低レベルとの評価も多く、もっとやるべきことがあるだろうと手厳しく健全な意見も見られる。

 

国民の方が今どきの国会議員よりも数倍、賢明で大局観がある。

 

10月17日に民主党の階猛(しな・たけし)衆院議員が公職選挙法違反の容疑で松島氏を東京地検に刑事告発したが、もっと国政の方でやるべきことはたくさんあるだろうにと、事の軽重、ものの優先順位も分らぬ国会議員にはほとほと嫌気がさし、野党第一党だか何だか知らぬが、民主党には一分の見識というものもないのだろうと改めて再確認するだけであった。

 

民主党がそこまで言うのならば、菅直人元総理大臣が在日韓国人から計104万円の献金を受け取っていたことや同議員の資金管理団体から北朝鮮との関係も疑われかねない日本人拉致問題関連団体への6250万円の献金問題など、政治資金規正法22条違反(外国人からの寄付禁止)などもっとどす黒い政治と金の問題の方を先に追及すべきではないのか。

 

そして、今回の1万8230円のSM問題を報じるテレビ局、新聞社など大手メディアも、SMなどといった言葉を昼日中、白昼堂々と報じる必要があろうか。もっと青少年にも配慮した表現を考えるべきではないだろうか。

 

さらに、現在の我が国を取り巻く国際環境は厳しさというより危険度を増してきていると言わざるを得ない。尖閣諸島への領海侵犯に加え、最近は小笠原諸島周辺の排他的経済水域に侵犯し、紅サンゴの乱獲を繰り返す中国船などの問題である。日本国民の生活が法令順守など糞くらえの他国によって脅かされているのである。

 

度重なる波状攻撃的な違法侵犯の取り締まりに海上保安庁の巡視艇が足りない状況だという。早急な予算措置、国防体制の整備・見直しといった国防の根幹に触れる議論、対策立案も焦眉の急である。

 

一方でデフレ脱却政策で三本の矢を謳ったアベノミクスの先行きに黄色ランプが灯り、消費税の10%への増税の見極めの討議も、財政再建の国際公約とも併せ、慎重かつ神経質な議論が必要とされている。

 

他に、朝日新聞社の誤報というよりねつ造による慰安婦問題で毀損された国家の品格の回復の問題、国内に目を転じれば原発再稼働と将来のわが国のエネルギー政策の立案といった我が国産業の基盤を規定する重要な政治決断といった難題が内外の問題にかかわらず山積している。

 

立法府たる国会がいまなすべき役割は1万8230円のSM問題などではなく、直面する内外課題に対する迅速な対応、その法的根拠を与えるための立法、改定作業こそ本義であると考える。

 

一国民のわたしが言うのはまことに心苦しいが、国会議員はより大局的な視野を以て国政に従事してもらいたいと衷心より願っている。


海江田民主党党首、党首討論・集団的自衛権の行使容認批判は笑止

佐渡旅行から帰って来てまだまだアップしたい記事が多数ある。


しかし、11日の海江田万里民主党党首と安倍晋三総理との党首討論を聞いていて、さすがに佐渡のトビシマカンゾウがきれいだったと報告する前に、ひと言、集団的自衛権の行使容認について述べざるを得ない。


そもそも民主党は結党時に「基本理念」と「基本政策」を定めたものの、いわゆる公党としての綱領を有せずにきた。就中、現行憲法の在り方については党内意見の集約をこれまで怠ってきたと言える。


2013年2月24日の党大会で、民主党綱領をようやく採択したものの、公党結成の中軸となるべき国家観の共有に強くかかわる現行憲法の在り方に関し、その記述はあいまいであり、1998年結党時の基本理念の域を出ていない。


採択された党綱領で憲法については、「憲法の基本精神を具現化する」として、「私たちは、日本国憲法が掲げる『国民主権、基本的人権の尊重、平和主義』の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく」と、現行憲法の護憲なのか、改憲なのか、はたまた新憲法制定を目指すのか、まったく分らぬ表現となっている。


現下の東アジアには豺狼(さいろう)のごとき無法国家が跋扈する。


11日も東シナ海公海上を警戒監視していた自衛隊機2機に対し、中国の戦闘機2機が30mもの近さまで異常接近してきたという。つい2週間ほど前にも中国戦闘機がやはり30mの至近まで異常接近している。


そして、中国公船等が尖閣諸島周辺の接続水域内への入域や領海への侵入を繰り返すなど東シナ海における空・海での中国の力による脅嚇(きょうかく)行為は、今やいつ偶発的事故、衝突が起きても不思議ではない緊迫した状況となっている。


他方で、核兵器開発を急ぐ独裁国家・北朝鮮の動向もミサイル発射実験の多発とも併せ、東アジア情勢の弾薬庫と化し、その存在は金正恩の思考が読めぬこともあってきわめて不気味である。


先の大戦以降、国家安全保障上初めての目の前の危機といってよい現下の国際情勢を前にして、昨日の海江田民主党党首、野党第一党党首の討論は涙が出るほどに情けなく、これが日本国民を代表する国会議員の一方の旗頭なのかと、呆れ果ててしまった。


6月4日に民主党内の勉強会「防衛研究会(会長・前原誠司元外相)」が公表した「安全保障基本法案」の骨子では、集団的自衛権の行使を限定的に認める内容となっている。


現実的な対応としては、自民党の認識、方向感と大筋においてほぼ同じといってよく、国家安全保障に重大な問題について日本の最大野党は党内の意見統一が図られていない。党の分裂を惧れるあまり、国家安全保障上の重要課題について議論さえ行われていない。


笑止である。これで公党としてよく国会論戦に恥ずかしげもなく加われるものだと呆れてしまう。だから、昨日も党首討論冒頭に海江田代表が集団的自衛権に対する民主党の考え方を次の通り述べたが、安倍総理から、「果たして(民主党の)立場はどこにあるのかよく分かりませんでしたね」と軽く一蹴される始末。


*「集団的自衛権の行使について民主党の見解を申し上げる。これまで長年にわたる憲法解釈があり、この解釈を正面から否定して、集団的自衛権の行使一般を容認する変更は許されない。集団的自衛権を行使したいのならば、憲法改正の申し出をすべきだ」


いま目の前にある危機に対処するに際し、政治家はひたすら冷徹な現実主義者であらねばならない。そうでなければ、国家の安全、国民の生命・財産など守り切れるものではない。


その意味で、今回の党首討論はあまりにお粗末で、一国を代表する与野党のトップによる安全保障論争とはおよそ遠く離れた幼児の言葉遊びを見せられているようであった。


海江田党首が集団的自衛権の行使容認については憲法改正でやるのが筋だというのなら、それでは今の間近の危機を民主党はどうやって乗り越えようと考えているのか明確に国民の前に示したうえで自民党を責めるべきである。


よもや日本の国会議員が列をなして中国や北朝鮮へ赴き、習近平国家主席や金正恩第一書記の手を戴き、笑顔で握手でもすれば事は無難に済むとでも考えているわけではあるまい。


こんな野党第一党の体たらくゆえに本来の安全保障議論の深まりが期待できないのである。


本来、集団的自衛権の行使容認議論を行なう際には、この国の防衛を将来ともに現行憲法の枠組みのなかで日米安全保障のフレームを前提に考えるのか、それとも憲法改正あるいは自主憲法制定を想定し、急迫した現在の国際情勢への対処に慰労なきことを期し次善策として議論を深めるのかの、そもそもの現行憲法に対する姿勢が問われなければならない。


わたしは米国がかつての力を失ったいま、この国は本気で自分の手による防衛を考える時期に来ていると考える。


海江田代表が「日米安保条約は総合的にバランスの取れた義務をそれぞれが負っている。首相は米国とのイコールパートナーシップによって、先の太平洋戦争の歴史をひっくり返そうとしているのか。そうした考え方こそが日本の安全保障にとって大きなリスクだ」と言った意味がよく分らぬ。


いまのこの国の防衛が日米の“総合的にバランスの取れた義務”によって担保されていると本気で考えているのだとしたら、この人物は国際政治をまったく理解できていないと言うしかない。


また、日本国の真の独立とはいったい何なのかといった国家観に関わるテーゼについてもこれまで思念をめぐらせたことがないのかも知れない。


現行憲法を金科玉条とするのなら、まず前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とした国際政治に対する認識が大きく損なわれた現在、この憲法に謳う9条第2項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」ということでは、自国の防衛は果たせぬのではないのか。


また、米国の核の傘に守られてきた戦後日本の安全保障も、日米安全保障条約の陰に隠れた“日米地位協定”、即ち、「合衆国の軍法に服するすべての者に対して、また米軍基地内において、合衆国の法令のすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。」という治外法権適用の外人疎開地の存在を自儘に許した不平等条約との代償によって確保されてきたと言えるのである。


日米地位協定を法律的にそのまま準用すれば米軍は米軍基地を日本国内に必要とすればどこにでも設置することが可能とされている。


戦後、70年が経過した現在でも、沖縄はもとより首都東京に敵国であった軍事基地が存在する国家など、およそ独立国家と呼ぶことはできない。


国家の尊厳を見失い、屈辱的地位を当然としてきた“植民地根性”丸出しの安全保障議論でよいのか。自分たちで自国を守るという普通の国、尊厳ある国家をめざすべき時が来ているのだと考える。


 


渡辺喜美・“8億円借金問題” 往生際悪すぎ!脱官僚の前に政治不信の払拭を

渡辺喜美・みんなの党代表が、化粧品大手ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長から8億円を借り入れた件で、いままさに醜態を演じている。


3月26日発売の週刊誌・「週刊新潮」に吉田嘉明会長の手記が掲載されてから、“8億円問題”が世の中に明らかにされた。


発覚当初はテレビインタビューにも応じ、「熊手購入」、「政治資金ではない」、「個人的借入」だと政治資金規正法や公職選挙法には抵触しない旨の言い逃れをしてきた。


そして、28日、吉田嘉明会長によって、2012年・衆院選前の「あと5億円ほど必要」との融資依頼メールを明らかにされてからは、「党の選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然だ。選挙資金としての融資申し込みが本当でも、法律違反は生じない」(31日)と、渡辺代表は自身のHPで、釈明というより開き直ったものだ。


そして、「今回の騒動の本質はみんなの党から分かれた江田憲司氏の結いの党が仕掛けた権力抗争です」とまで、問題点の所在をすり替えようとしている。


国会議員の給与カット・定数削減や公務員制度改革を消費税増税の前にやるべきこととして、毅然として行革を推し進めようとする同代表の姿勢は、行革推進が掛け声だけでは駄目なのだと、その明快な物言いと相俟って国民の一定の評価を勝ち得てきたといってよい。


それが8億円もの大金を明らかに政治資金として借入しときながら、この10日間の渡辺代表の物言いは“さすがにないだろう”と、断罪するしかない。


事が露見し、不利な事実が次々と公表されるに至り、渡辺喜美代表は何と天の恵みなのか、“声が出なくなり”1日午前の党役員会を欠席。


また“みんなの党”HP上で、毎週木曜日にインターネット生放送されていた『週刊みん生!』も、今週(4/3)は“機材トラブルのため、中止とさせていただきます”ということで、まぁ、都合よく機材も故障してくれるなど党あげての“渡辺隠し”、“不正の隠蔽”と勘繰られてもおかしくない都合のよい出来事が続いている。


自民党を飛び出て、脱官僚という政治改革を標榜、メリハリのついた言葉力で与党提案の政策につき是々非々の対応をとってきた“みんなの党”。


反対!反対の旧来野党と一線を画した新しいスタイルの野党として独特の立ち位置を占めつつあったのに、現在の渡辺代表および同党の対応は誠に残念であり、遺憾である。


猪瀬直樹前東京都知事を引き合いに出すまでもなく、これまで舌鋒鋭く他人を攻撃・糾弾してきた人間は、殊に政治と金については、率先垂範、その嫌疑については逃げ隠れするのではなく、そのよく回る“舌”を動かし、国民が納得するまで説明を尽くすべきである。


そして、その出処進退はなおさらの如く堂々と、後ろ指を指されぬ始末をすべきものと考える。

それでなくとも、政権交代により歴史的政治改革を成し遂げることを期待した国民が、民主党の体たらくで受けた有形無形の傷は甚大である。


このままでは政治不信は深まる一方であり、今回の対応如何によっては、政治不信という根深い病は治癒不能の宿痾(しゅくあ)と化してしまうことは必然である。


その先にあるのは、政治に対する無関心、己さえ良ければそれで良い、弱者を思いやらぬ殺伐荒涼たる社会であることは言を俟たない。


それにしても、DHCの吉田嘉明会長という人物、謎の多い人ですね。ちょっと、というか、かなり気味の悪い話のような・・・


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「防空法」と朝ドラ「ごちそうさん」とNスペ「東京が戦場になった日」

防空法カバー

朝ドラ・「ごちそうさん」も、残り一週間。


め以子の夫・悠太郎が軍属として満州送りになってから、終戦後もその消息は明らかでない。


「あまちゃん」以来、熱狂的朝ドラファンとなったわたしも、あと、一週間でどういう結末になるのか気が気でない。今週はあの初々しくてかわいらしい活男君の戦死がはっきりして、肩を落としたばかりである。


そのヤキモキさせている悠太郎であるが、「ごちそうさん」の2月・第4週の放送回で当局により逮捕された。そして、知人を通じての陸軍将帥の口利きで何とか罪一等を減じられ、軍属の建築士として満州へと送還されている。


逮捕理由は、軍部・行政当局の人間も参列する防火訓練において、「焼夷弾による火災は消火するのではなく」、「火を消さずに逃げなさい」と、指示したというもの。


その時、そんなことくらいで“なぜ、満州送り?”と、疑問を持ったのである。それも罪一等を減じられてということは、減じられなければ、いったいどういった罰になったのか。


そこで調べ始めて、「防空法」という戦時下の法律の存在を知った。早速、法律文化社出版の『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』(水島朝穂・大前治共著)を求め、熟読した。


その最中に69年前に東京大空襲があった3月10日を迎え、それに因んだNHKスペシャル特集ドラマ・「東京が戦場になった日」(3月15日放映)も見た。


昭和18年8月に導入された『年少消防官』と昭和20年年2月に都内の大学・旧制高校で編成された『学徒消防隊』に就役した二人の主人公やその仲間たちが、3月10日の東京大空襲の下で生死を分けるなどその苛烈な人生を描いた物語である。


ほぼ時期を同じくして「東京が戦場になった日」、「ごちそうさん」という戦時下の空襲、その防空についてのドラマを目にし、そして、手に取った『防空法』という一冊の書籍。


昭和17年4月18日、いわゆるドーリットル空襲が初めての本土空襲である。考えてみれば、真珠湾開戦の歓喜からわずかに4か月後に東京・名古屋・四日市・神戸などの主要都市が空襲を受け、死者約90人という甚大な被害を被っている。


その翌日の朝日新聞・一面トップには、『我が猛撃に敵機逃亡』、『軍防空部隊の士気旺盛』といった見出しが躍っていたという。


それから2年2ヶ月後の昭和19年6月16日の北九州空襲に始まり、10月10日沖縄空襲、11月24日の東京の中島飛行機工場(武蔵野市)の空襲と、本土空襲が本格化してゆく。


そして、昭和20年3月10日の東京、12日の名古屋、13日の大阪と無差別大空襲につながってゆくのである。


そうした本土空襲に建前として備えるために整備されたのが『防空法』なのだが、その実態、目的とするところは、予想される本土空襲により国民が狼狽し、厭戦気分、反戦思想に陥り、戦争継続意思の破たんを招来することを避けるものであったというのだ。


だから、防空法の条項をよく読めばすぐわかるが、国民の生命財産を守る条項などひとつもなく、逆に隣組という周人監視の仕組みを設け、空襲による劫火のなかに国民を縛り、命を国家に奉げさせるマインドコントロールを徹底してゆく道具だったのである。


防空法は昭和12年4月5日に公布、10月1日から施行されたが、時局の緊迫度が高まってゆく昭和16年、次いで18年にその立法目的を完遂するための改正がなされた。


16年の改正においては、それまでの防火訓練、灯火管制といった協力義務から、都市からの‖犁邏愡漾複絃鬟裡魁法↓空襲時の応急消火義務(8条ノ5)が追加規定された。


『防空法』には「主務大臣は・・・退去を禁止または制限することを得」とあるが、以下の通り、法理論によれば下位法による勅令、通牒によって実質的には都市からの退去を禁止したという、きわめて巧妙・狡猾というより、法治国家ではあり得ぬ立法手順を踏んでいる。


その結果、国民は都市からの自由な退避、避難、疎開の道が閉ざされた。無断で避難した場合は、「町会台帳から名前が削除され、配給物資が停止される」とされたため、空襲を避けて逃げたとしても、糧道を絶たれ餓死の道を辿るしかなかったということである。


今ではにわかに信じ難いそんな非人道的、無謀な「防空法」が、ほんの70年前にこの日本に存在し、先の大戦で60万人ともいわれる非戦闘員、無辜の庶民の命を奪い去ったのである。


『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』を読めば読むほど、繰り返しの情宣活動や隣組という民間監視体制によって、人間はあまりにも無邪気にマインドコントロールされてしまうのである。


恐いと思った。本当に恐いと思った。


そして、「ごちそうさん」の悠太郎の満州送還理由だが、昭和16年の防空法改正に伴い、昭和17年3月に施行された『戦時刑事特例法』の10条1項「戦時に際し公共の防空のための建造物、工作物其の他の設備を損壊し又は其の他の方法を以て公共の防空の妨害を生ぜしめたる者死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」に拠ることを学んだのである。


つまり、防火訓練で『防空法』の狙いを根底から覆す「焼夷弾による火災は消火するのではなく」、「火を消さずに逃げなさい」と町の人々へ向かって叫んだ悠太郎の行動は、まさに、『其の他の方法の方法で防空の妨害を生ぜしめた者』に該当し、本来、死刑を言い渡されても仕方のないことであったのである。


たった、それだけの、というよりバケツの水で焼夷弾の消火をすれば、逆にマグネシウム反応により爆発が起きるという科学的論証を語っただけで、死刑が課される。


それが、罪一等を減じられて過酷な満州送還となった顛末であったことが、この書物によって分った。


そして、もっと、さまざまな愚かしいことが、あの狂気の時代に横行したことも、具体的事例によってよく理解できた。


だから、ドラマであっても、そんな時代に負けずに悠太郎には、何としてでも生きて帰って来て欲しいのである。


この機会に、是非、法律文化社出版の『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』(水島朝穂・大前治共著)の一読をお薦めする。

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特定秘密保護法案可決=大手メディアの偏向報道こそ恐怖・反対野党の笑止な政治信条

NHKが12月6〜8日にかけて実施した世論調査において、安倍内閣支持率は前月比10%下落、50%へと急落、第二次安倍内閣発足後の最低水準となった。また不支持率も、35%(前月比+10%)へと大きく上昇した。


その内閣支持率に大きな影響を与えたと考えられる“特定秘密保護法”について、その成立により国民の「知る権利」が侵害されることが指摘されているが、その可能性について不安を感じるかとの問いに対しては、大いに不安を感じる27%、ある程度不安を感じる46%と「不安を感じる人」が73%にのぼった。


今回の特定秘密保護法案成立にいたる過程で、テレビ、新聞など大手メディアの驚くべき偏向報道に、わたしは正直、恐怖心を覚えた。


新聞購読を止めているわたしも、この特定秘密保護法案については各紙の社説などネットを通じ、目を通していた。


そしてテレビでは、最近、左翼的平和主義に毒されてきた関口宏の“サンデーモーニング(TBS)” や独り善がりな古館伊知郎の“報道ステーション(テレ朝)”などの同法案に関する報道をチェックした。


同法案に対する民放テレビの反対キャンペーンの過激さは異常で、どこか狂信的ですらあった。何しろ、反対、反対、反対なのである。


この法案のどの条文が国民の知る権利を侵し、どの条項が表現の自由を脅かし、どの項目によって何も知らぬ一般人が、突然、現れた警察官によって逮捕されるのかなど、具体的に明示し、その蓋然性が高いことを納得いくように解説してくれる報道はなかった。


逆に、戦前の憲兵国家・特高国家になるのだと言わんばかりに、視聴者の不安を煽りに煽るだけであった。


激しい情報戦争が繰り広げられる冷厳な国際情勢のなか、国家の安全保障の面から、この種の機密情報の保護・管理につきしっかりと法律によって制定・整備することが、スパイやテロ活動の防止、延いては国の安全保障に資する他国からの高度な機密情報の取得を可能にするのだといった視点の解説は、ほぼ皆無のように思われた。


メディアが大きな問題として取り上げた“不当逮捕”や“知る権利”について、特定秘密保護法は、“この法律の解釈適用”と題する第22条において、次のように規程している。


この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。


2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。」


わたしは上位法である憲法・第21条で保障された表現の自由、すなわち、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」があるにもかかわらず、わざわざ同法第22条でそれを担保している。


そうであるのに、どうしてメディア、言論人、ノーベル賞受賞者、果ては映画監督、女優までがこぞって、表現の自由が脅かされる、知る権利が危うくなる、特高国家になってしまうと、狂ったように我先に叫ぶのか、分からない。


そして、これらの人たちが単視眼的・視野狭窄的意見をヒステリックに表明する姿を目にするにつけ、 “鬼畜米英”と声高に叫び続けた人間が、その狂乱に眉を顰め、批判的であった無辜の国民を憲兵隊に突き出していった戦前の日本の姿に、逆にダブってしまい仕方がなかった。


法案の条文のどこの部分を読めば、そうした懸念、というより、断定的に声高に言えるのか、浅薄なわたしには、正直、まったくわからない。


中国漁船衝突事件で一色正春保安官がその映像を流出させた際に、時の民主党政権において菅直人首相(当時)「国の情報管理がしっかりとした形になっていないことに危機感を強く覚えた」と閣僚懇談会において発言している。


また、仙谷由人官房長官(当時)は国会審議の中で、「我が国の秘密保全に関する法令が、例えば、国家公務員法の守秘義務規定に関する罰則は相当程度に軽い。現在の罰則では抑止力が必ずしも十分でない。秘密保全の法制のあり方について結論を得るよう早急に検討を進めていきたい」と答弁している。


大畠章宏民主党幹事長(当時、経済産業大臣)も、「情報管理という意味では政治的な責任があるが、政府としての情報管理のあり方を全体的に見直すことが必要だ」と述べていた。


半年前まで民主党と連立政権を組んでいた福島瑞穂社民党党首(当時)も、映像流出について、「日中間、国と国の未来を左右しかねない重大なことが簡単に流出してしまうことは、日本の危機管理としてきわめて問題」と、国家機密の保護・管理が必要との認識を示していた。


そうした政党、政治家が自民・公明政権が提出した今回の特定秘密保護法案に対しては、端から廃案(一応、民主はアリバイ作りとして、杜撰な対案なるものを国会閉会ギリギリのタイミングで出したが・・・)と決め込んでの国会対応。


笑止である。


それこそ国民の生命財産を守るため、真剣に、国家の安全保障問題を、党利党略という矮小化したエゴ抜きで、熟慮したのか。


前述した政権を担っていた時点での菅首相をはじめ民主党閣僚や福島瑞穂参議院議員の発言を引用するまでもなく、今回の反対野党の本意は何であるのか、政治信条はどうなっているのか、問い質したくなるのである。


毎日新聞・社説は、この法案成立を見て、「民主主義の後退」、「民主主義を否定し、言論統制や人権侵害につながる法律」という。


朝日新聞も2チャンネルの投稿記事によれば、同法案の解説を簡単な漫画でやっていたが、その例示がどう考えても不適切というより、異なる法案としか思えぬような悪意に満ちた説明を行っている。


そして12月9日に行われた総理会見でも、特定秘密保護法必要論を主張してきた産経新聞阿比留記者質疑応答に、タイミングを合わせたように民放各局がこぞってCMを挟むといった報道は、これまでの一連のネガティブキャンペーンをはってきたこれら民放局の姿勢と併せ、どう考えても放送法の第4条(下の注を参照)に抵触しているといわざるを得ない。


報道各局が自らの行為で、国民の知る権利の道筋を狭め、抹殺しているように思えてならない。


(注)

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

1.公安及び善良な風俗を害しないこと。

2.政治的に公平であること。

3.報道は事実をまげないですること。

4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


メディアとして“知る権利”の侵害を叫ぶ前に、法案の姿を正確に伝える、事実をありのままに伝えるという、そもそもの報道機関としての役割をこそ、見つめ直す必要があるのだと、心底、考えさせられた。


わたしは特定秘密保護法案の成立によって、自らの手で国を守る、真の独立を果たす意味において、普通の国となる手続きがようやくひとつ終えたのだと考える。憲法の改正になるのか、修正になるのか、実態と合わなくなっている現行憲法についても、真剣に議論すべき時期が到来していると思っている。


そして、同時に日米安全保障の問題も、その地位協定とも合わせ、誇りある日本国の安全保障をどう担保してゆくのか、国民的な議論を冷静に、丁寧に進めてゆくべきである。


今回の特定秘密法案の成立に至る過程での大手メディア、言論人など知識人と思われる人々の言動を見るにつけ、誇りある普通の独立国となるためには、真摯かつ冷静な議論を積み上げてゆくという地道な努力が必要なのだと強く感じたところである。


 

今こそ若者に、『言葉の力』の模範を示せ!! 猪瀬直樹東京都知事

猪瀬直樹東京都知事が、昨年11月、都知事選挙前に医療法人「徳洲会」グループから5千万円を受け取っていた問題で、同知事の発言が二転三転し、世の中を甚だしく騒がせている。

この胡散臭い男がこれまで発してきた言葉の数々などいちいち覚えてはいない。ただ、これまでの傲慢な言動のなか、時折見せた人の顔色を窺う卑屈な所作がわたしに嫌悪感を覚えさせた。

そもそも猪瀬直樹が作家なのか評論家なのか、それとも政治家なのか、何者であるのかはっきりせぬが、一応、言論をもってして糊口を凌いできたジャンルの人種であることは確かである。

そんな男が東京都副知事として、2010年4月に若者の活字離れの問題を解決するためと称して、知事本局内に横断的プロジェクトチーム“『言葉の力』再生プロジェクト”を立ち上げていた。

「日本人に足りないのは論理的に考え、議論する『言語技術』」であるというのが、この男の上から目線による持論であり、愚民啓蒙についての問題意識であったようだ。

具体的にそのプロジェクトとして、「言語」の専門家を招き若手職員向けの講演会を開催、新規採用職員を対象に言葉の表現力を高める研修を行うほか、本人も識者の一人として参加したシンポジウムの開催などの活動を行なっている。

その“『言葉の力』再生プロジェクト”の活動報告書(2010年11月26日付)を東京都知事本局HPの下部バナーをクリックすると読むことが出来る。

その冒頭で猪瀬副知事(当時)が署名入りで次のように述べている。

『最近、若者の「活字離れ」が社会問題になっています。かつては知識欲や好奇心に駆られ、または趣味や娯楽の一つとして、本を手にする若者が多く見られました。その中で、感性を育んだり、他国の文化や宗教を理解したり、あるいは社会で必要な規範や常識といったものを自然に学んでいたのです。また、新聞・雑誌や書籍を通じて日本や世界の動きを知ることで自分が社会とつながっているという当然の事実を自覚するとともに、社会を構成する一員として、自分がなすべきことについて、思いを巡らせていました。

しかし、最近、自分の周囲のことにしか関心をもてない若者が増えています。

・・・』と続き、最後に、次の言葉で締めくくっている。

今後は東京からはじめた「言葉の力」の再生に向けた取組を拡充し、国際化・情報化が進む現代社会を生き抜くために必要な技術と感性、そして情熱を若者が身に付けることができるように、必要な施策を講じていく考えであります。』

この赤字の部分に猪瀬直樹が該当し、今の若者はそれがまったくできていないので、俺が啓蒙・教育してやると言っているのである。

また、2010年11月3日に東京国際フォーラムで開かれたシンポジウムにおいて、猪瀬直樹は次のようにも語っている。

日本人同士は、なあなあでも通じてしまいます。例えば「サッカーは好き?」と聞かれて、「ビミョー…」とか「フツウ…」と答えてもなんとなく通じてしまう。そのため、自分の意見を説明できない若者が増えているのではないでしょうか。しかし、欧米では、きちんと伝わらないことを前提として、効果的に伝える方法を、技術として教育しているということです』

そんな自分の意見を説明できる・ご立派な男が引き起こしたのが今回の事件である。

徳田毅衆議院議員から借りたとする5千万円。

ちゃんと借用書があると、26日の記者会見で実物を示しながらの説明を聞いて、その説明内容、借用書なるもののおよそ貸借契約の社会常識からかけ離れた実態。

「社会で必要な規範や常識といったものを自然に学んで」きたはずの男の発言とは思えぬ、幼児とも思える言い逃れ、いや、最近の幼児は少なくとももっと気の利いた言い逃れをする、それほどに稚拙で醜悪な会見であった。

「自分が社会とつながっているという当然の事実を自覚するとともに、社会を構成する一員として、自分がなすべきことについて、思いを巡らせて」いる男であれば、これまでの自分が社会に対して発してきた言葉に対して責任をとるのは明々白々である。

そして、自らの立場、つまり曲がりなりにも言論を糊口としてきた社会人として、また東京都知事という公人として、今回の事件が、国民、就中、啓蒙しようとする若者たちに多大な影響もたらしていることを自覚すべきである。

“だから大人の言うことなんか信じちゃいけね〜んだよ”

“これまで他人へ言ってきたことと、ど〜してテメェ〜だけは違うんだよ”


一刻も早く、自分の社会的責任を全うすべく、猪瀬自身が言う“言葉の力”・“言語技術”で、論理的な明快さをもって、愚かな若者、愚昧な国民にも分かりやすく説明してほしい。


一刻も早く、このあまりにも醜く、卑屈で卑怯な振舞いを社会の面前で見せることを止めてほしい。

今回の医療法人徳洲会グループの公職選挙法違反事件の捜査から飛び出してきたこの幼児的借用書事件。もう、ウンザリである。


米国の尖閣・リップサービスでシリア問題の対応を過(あやま)つな。安倍外交の評価。

尖閣諸島問題について、オバマ大統領は2月の安倍首相との首脳会談では、「日米協力が地域の安定につながる」との見解にとどめ、日中双方に平和的解決を求める中立的な姿勢をみせていた。

ところが、シリアへの軍事介入を具体的に示唆してからの米国内はおろか英国をはじめとする国際世論は盛り上がりどころか、反対の声が高まり、オバマ政権の外交戦略は一挙に劣勢に立たされた。

そんななか、G20において、当初、見送りとされていた日米首脳会談が、「2日前の電話協議の後、米側から首脳会談をしたいとの提案があった」(菅義偉官房長官)ことから、急きょ、開催の運びとなり、尖閣諸島問題について次のオバマ大統領の発言がなされたのである。

「力による問題解決を目指すいかなる取り組みにも反対する」

これは、冒頭の2月首脳会談の「日米協力が地域の安定につながる」とのきわめて冷ややかな発言とは異なり、同盟国としてはある意味、当然の発言、肩入れをしてくれたものと評価してよい。

しかし、この首脳会談が米国側の要請で急きょ設営された経緯、日米首脳会談が予定されぬなかで日露首脳会談は実施されるという情勢、さらに、このオバマ発言を日本政府が一切、公表しなかったにも拘らず、ローズ大統領副補佐官が記者団に明らかにしたことを考えると、米国側の狙いは明らかである。

この発言が尖閣周辺への領海侵犯など中国側の挑発行為を牽制するもので、日本側が欣喜雀躍して公表したのであれば、それはこれまでの日米外交の力関係のなかで、頻繁に目にしてきた光景である。

しかし、今回の日本政府は尖閣について意見交換したことすら会談後の記者会見で明らかにしていなかったのである。

わが国に尖閣という飴を与え、率先、米国のシリア軍事介入に賛同の意を表させる。そんな見え透いた手に乗るべきではないのである。

攻撃に関する国連安保理の決議採択を除き、第三国が、議会承認があろうがなかろうが、紛争国へ自儘(じまま)に軍事介入をすること自体がそもそも許されることではない。

その原理原則を蔑(ないがし)ろにして、国際社会からの真の信頼は得られない。

今のところ、プーチン大統領との会談、オバマ大統領との会談においても、シリア情勢に関する安倍外交は周到な対応、受け答え、そして熟慮したメディア戦略をとっているものと評価してよい。

殊に米国が民主党(鳩山)政権以来、中国の外交大国としての急速な台頭とも相まって、わが国への冷淡な外交姿勢をとり続けるなかで、シリア問題で武力行使反対を鮮明にするロシアとの首脳会談を行なおうとした、この天秤外交が、これまで、意のままに日本を操れるとしてきた米国中枢の外交戦略に、蟻の一穴を穿(うが)つに相応の効果を引き出したことは、積極的評価に値する。

米国に、わが国の属国としての価値ではなく同盟国としての価値を認識させるには、“遠交近攻”は言い過ぎだが、米国が嫌がる国との接近、親密度のアップが外交戦略の要諦であることを、今回はよく示してくれたものとして、記憶にとどめておくべきである。

最後に、付け足しのようで恐縮だが、「米国のイラク攻撃を支持してはいけない」と、時の総理、小泉純一郎氏に進言した反骨の元外交官と自認する天木直人・外交評論家が、9月4日付の“YAHOOJAPAN ニュース”・「シリア情勢でぶれまくってオバマを失望させる安倍首相は小泉首相より劣る」で持論を展開されておられるが、この方、何だか言っておられること、信念がどうも首尾一貫していないようで、これまで持っていた外交のプロ?といったイメージは捨てた方がよいようだ。

米国のシリアへの軍事介入には日本政府は断固、反対を表明すべし

わが国は明日未明に決定を見る2020年オリンピック開催都市に東京が選ばれるか否かに高い関心が寄せられている。


しかし、国際情勢に目を転じれば、オバマ米・大統領のシリアへの軍事介入へ向けた動きが風雲急を告げている。


中国・ロシアの反対により合意には至らなかったものの、この8月28日には英国が化学兵器使用を理由にシリアへの武力行使容認決議案を国連安全保障理事会へ提出した。それと平仄を合わせ、同日、オバマ大統領がテレビ局インタビューの中で、アサド政権側が化学兵器を使用したことの確証を得たとして軍事介入を示唆。


まさに中東に莫大な石油利権を有し、イスラエルの安全保障の堅持が国益にかなう米英両国による水も漏らさぬ国際政治の舞台における連携プレイであった。


しかし、今回はこれまでの湾岸戦争やイラク戦争に突き進んでいった様相とは、国際世論の反応は大きく異なっている。


まず、お膝下の英国議会であるが、安全保障委提議に対する反応は早く、翌日の下院において、即座に、シリアへの軍事介入容認動議を否決、英政府の短慮を戒め、武力行使の動きを強く牽制した。


それに危機感を覚えた米政府が米国議会を説得、承認をとる方向へと動き出した。

9月3日のケリー米国務長官は、米上院外交委員会の公聴会で、シリアのアサド政権が反体制派に対し化学兵器を使用した証拠が確認できたとして、米国による軍事介入の議会承認を得ようとつとめている。


そのなかで、ケリー長官はイラクの大量破壊兵器所有誤情報により軍事行動を決断した経緯を踏まえ、「今回は誤った情報に基づいて議会に採決を迫ることのないよう、証拠を慎重に確認してきた」と述べ、オバマ大統領が主張しているのは「米国が戦争を始めることではなく、アサド政権が持つ化学兵器使用の能力を抑え込むことだ」と陳述した。

であれば、米議会を説得する前に、武力行使へ猪突猛進するのでなく、もっと国連や中国、ロシアとの利害調整をギリギリまで行ない、非人道的兵器の使用廃止に向けた事態収拾に尽力すべきなのである。


シリアでの化学兵器使用疑惑を調べている国連調査団は8月末にシリアでの現地調査を終え、複数の研究機関が収集データを分析中であり、最終結果が出るのが9月の中旬から下旬にかかるとの見通しである。


そうした状況も踏まえ、欧州連合(EU)は9月6日からリトアニアのビリニュスで開いている外相会議で、シリアの化学兵器使用疑惑への対応につき、国連調査団の報告を待つべきだとの見解で一致した模様である。


シリアでの化学兵器の使用は、その使用者が体制側、反体制側を問わず、重大な国際法違反であることは言を俟たない。だからといって、非当事者の第三国が恣意的に割って入るように軍事介入することは、そもそも、国連憲章においては許されていない。


紛争国への軍事介入は国連安保理においての承認が大原則である。


ロシア、中国が反対し、安保理決議がされないなかでの武力行使は、まさにルール違反であり、米国やその同盟国の私益・利権擁護のゆえであるといってよい。


そんな状況のなか、わが国は、当然、米国から強力な圧力を受けることは確実である。既に、水面下ではTPPや尖閣諸島問題や北朝鮮問題などを材料とするさまざまな揺さぶりが掛けられてきていることは想像に難くない。


もちろん、直面する外交課題は、その単独事案のみを見るのでなく、現在抱える諸々の外交懸案、そして将来的課題等々を総合的に勘案し、最終的に自国の国益にプラスになるか否かで、その断を下すものと考える。


しかし、国際政治の大原則というものを捻じ曲げて、外交課題を判断するようなことがあってはならない。

今回のシリアへの武力介入がまさにそれである。


国連の調査結果もまだ出ていない。そして国連安全保障理事会での承認を取得することが難しいなか、日米安保の同盟国である米国が前懸かりになり圧力をかけてきているからと言って、米国の判断に賛同、後押しするようなことだけは断じてするべきではない。


これは独立国家としての筋を通す、国際社会に日本は米国の属国ではないのだと、今後の立ち位置を毅然とアピールする絶好の機会ととらえるべきである。


これまでわが国が米国の武力行使に異を唱えたことはない。

だからこそ、今回のシリアに対する米国主体の武力介入には、国連安保理の決議がない限り、断固、反対を表明すべきなのである。


そのことによって、わが国への国際社会からの視線も変化し、独立国としての扱いを、わずかの尊敬を、勝ち得る道程へと入ってゆけるのだと考える。

参議院議員選挙、まずは投票所へ行ってから、文句を言おう!

来たる7月21日(日)は第23回参議院議員通常選挙の投票日である。

 

今回の争点は、各党がいろいろ言っているものの、国民が“政治の安定”を望むか否かの一点に絞られるといってよい。

 

衆参のねじれ現象は、1989年参院選の自民党敗北の結果、最初の本格的なねじれが起こり、その後、1998年参院選、2007年参院選、2010年参院選で時の与党が敗北を喫したため、都度、衆参のねじれが発生している。

 

衆参のねじれは、従来、影の薄かった参議院の存在を一挙にクローズアップさせ、かつてはテレビ放映も稀であった参議院予算委員会も俄然、注目度を増すなど、一概に“不都合”、“悪”と決めつける必要はない。

 

しかし、この20数年におよぶ政治の停滞、混乱、日本経済の著しい減退を考えると、その責は、“ねじれ”を奇貨として、それを建設的な政策論争に活かすのではなく、徒に政争の具として弄び、政局という政治ごっこに大半の国会審議の時間を費やした、やはり“衆参のねじれ現象”に帰するというしかない。

 

国民をないがしろにし、永田町の論理・常識のみで動いた“失われた20年”。

二大政党政治と形式にこだわったこの“20年”。

 

今回の参議院選挙は、ねじれを解消し、先延ばしされた政治課題の滞貨一掃を果たさせるべく“決められる政治”へ、もう一度、期待をかけてみるのか。

 

いや、今度こそ、“ねじれ”を具体的・建設的政策論争の促進剤として、再度、期待してみるのか。

 

山積する政治課題をスピーディーにかつ国民の豊かさ・安心を第一義に置いて、処理してゆく政治体制はどちらか。

 

“ねじれ維持”か“ねじれ解消”か、選ぶのは、言うまでもなく、わたしをふくめた国民一人ひとりである。

 

二日後の21日が投票日である。その日のスケジュールが未定な人は迷わず期日前投票に行って、先に投票を済ましておくことをお薦めする。

 

投票所へ行って選挙権を行使すべきである。

 

政治不信に陥っている人は、まずは投票所へ足を運び、白紙のまま投票箱へ投函すればよい。わたしも過去に一度だけ、白紙投票をしたことがある。白紙投票は今の政治全般に対する強烈な批判票なのだから。

 

政治に向かってまずは意思表示をし、初めて、政治に対する文句、注文をつける、政治を語る資格ができるのだとわたしは考えている。

橋下徹の「慰安婦は必要だった」発言は、なぜ、ここまで批難されねばならぬのか!

朝日という名のつくメディアには愛想が尽きた、一体、どこの国の報道機関なのか?(2013.5.19)

橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要だった」発言が、国内だけでなく、韓国はいうにおよばず米国防省、国務省など海外諸国を巻き込み、轟々たる批難の嵐が拡がりつづけている。


発端は513日の大阪市役所での登庁時の定例のぶらさがり取材である。


記者団からの「昨日も自民党の高市政審会長が侵略という言葉はどうかといった批判的なことを言ったり、安倍首相も侵略ということをはっきりとおっしゃっていないのだが」につづいて、「村山談話についてどう思うか」という質問に対して答えたもの。


当日の1542秒に及ぶyoutubeにアップされたぶらさがり取材を見たが、村山談話に対する考え方を11分半にわたり語ったなかで、いま問題となっている慰安婦問題について一部、語っているものである。


この橋下徹大阪市長・日本維新の会共同代表の話を聴いて、わたしは、なぜ、日本のメディアや自民党をはじめ他党がこれほどに批難しなければならぬのか、どうもよく分からない。


他党が一斉に非難の声を挙げているのは、来たるべき参議院選挙の民意を我が党へ向けようとの魂胆丸見えのようで、こっちの方が事の本質を見極めることをせず、日本の政治家、政党として、大きな問題なのではないかと思っている。


なるほど、この会見は橋下氏のいつもの断定的物言いが気にはなるが、これはいつもの橋下節といおうか、橋下という人物のディベート・テクニック、政治テクニックのようなものと理解している。


そして、この会見の時間中に同氏の発言がここまで海を越えて拡散し、批難の嵐が起きようとは、同人も、取り囲んだ記者たちも、考えていなかったのではないだろうか。


その証拠に、この慰安婦発言の後にはエネルギー問題について原発再稼働の話についての同氏の話が淡々と続き、会見は終了した。慰安婦についての同氏の発言を咎めたり、再確認をする質問も一切なかったのである。


さらにYoutubeをご覧いただくと分かるが、橋下共同代表は、村山談話については、「侵略と植民地政策によって周辺諸国に多大な損害と苦痛を与えたことは、敗戦国としてしっかりと認識し、反省とお詫びはしないといけない」と、繰り返し、談話の内容を肯定しているのである。


さらに慰安婦の方たちが戦争によって意思に反してその苦界に身を沈めねばならなかったことについては、よくよく理解をしなければならぬ、そこに想いをいたさねばならぬということも再三にわたって述べている。


また、被害にあった当事者や中立の第三者がこの話は終わりということにならない限り、この種の問題は、加害者側が60年経ったのだから、70年経ったからもう謝罪はこれでよいと考えるのは間違いとも語っている。


では、何が問題なのだということだが、「過去の戦争においても、各国の軍隊は慰安婦制度を持っていた。時代的に(現代とは違い)そういうものだった」、さらに会見開始916秒後の「銃弾をくぐって、命をさらし、気持ちが昂った猛者達に、慰安婦制度が必要だったことは誰だってわかる話だ」という下りであろう。


そして、いま、日本のメディアや政党、韓国や米国など諸外国の批難がこの橋下発言全てが問題だと断じているが、わたしはまるで偽善者の言葉を訊くようで非常に気にくわぬのである。


1995年、沖縄で起きた米海兵隊3人の兵士による小学生暴行事件(レンタカーを借り、拉致監禁・暴行)において、時の米太平洋司令官であるリチャード・マッキー海軍大将が、「兵士らは、レンタカーを借りているが、その金があったら女が買えた」と発言した。要は暴行するくらいなら、レンタカー代で女を買っていた。だからそんなことをするはずがない。そして女は金で買えるのだと太平洋司令官が言ったのである。


こんな米国から「言語道断で不快だ」などといわれる筋合いは一切ないと私は断言する。彼らは人権、人権と言いながら、日米地位協定を盾に、その時、12歳の女子を暴行した卑劣極まりない犯人の引き渡しを拒絶した国なのだから。


本題に戻るが、橋下発言の「過去の戦争においても、各国の軍隊は慰安婦制度を持っていた。時代的に(現代とは違い)そういうものだった」の部分だが、これは歴史の事実である。


さらに、「銃弾をくぐって、命をさらし、気持ちが昂った猛者達に、慰安婦制度が必要だってことは誰だってわかる話だ」の部分についてだが、これも言葉がきついので、つい時制を混同してしまうのだが、今の時代にそれが許されるとは言っていない。実際にいま、そんなことは許されないと言っている。


そうした橋下氏の発言の真意を色眼鏡なしに受け止めれば、本来、この問題はここまで大きくなるべきものではなかったと考える。


同氏は、村山談話を肯定している。ただし、いわれなき批難、評価については違うことは違うということをはっきり言うべきだと言ったのである。


慰安婦問題について、現段階で日本軍乃至政府が組織として強制的に拉致、強制した証拠はない。2007年の閣議決定でもそうなっている。その根拠がないものを、国際社会のなかで“レイプ国家”と貶められていることが許せないのだと言いたかったのである。


これは会見内容を普通に聴けば、そのように彼が言おうと努めていることは分かるはずである。


さらに、「もし、そうした証拠が出てきたのであれば、それはきっぱりと謝罪すべき」だとも言っている。


そして、橋下氏は514日のツイッターでこう呟いている。


「敗戦国として反省とお詫びをしなければならないところはしっかりやる。ただ、不当に侮辱を受けるようなことに関してはしっかりと反論する。これが、本来の政治家の態度振る舞いだと思う。」


わたしは、その通りだと思っている。よくぞ言ってくれたというのが、わたしの正直な気持ちである。


大手メディアや自民党や民主党など野党の輩こそ、本来自らが言わねばならぬこと、信念をもう一度問い直すべきである。


ただ、橋下氏も、もう少し丁寧に言葉を選び己の真意が伝わるように発言すべき政治家としての時期が来ていることは十二分に自覚すべきである。

川口順子参院環境委員長の解任決議を可決させた野党に国政に携わる資格なし

参議院本会議場
参議院本会議場

5月9日、参議院本会議で、“川口順子参院環境委員長の解任決議”が可決された。


常設委員会である環境委員会の審議が意味がないとはもちろん言わぬが、いまの政治情勢のなかで、環境委員会の開催を一日も延ばせぬということより、外務大臣経験者と中国の外交政策を担う要人との会談を優先させることの方が重要であることは自明である。


政治家とは何かといった本質的理解において、この決議案に反対しなかった野党議員の資質に、正直、うんざりし、政治の質の劣化もここまで来たかと、暗澹たる気持ちになった。


5月9日、参議院本会議場で趣旨説明に立った民主党の松井孝治議員は、その解任理由を次のように語った。


「参院の渡航許可違反、かつ、委員長が自らの責任で招集した委員会を個人渡航の無許可延長によって流会に至らしめるという、憲政史上にも例のない事案であり、委員長として不適格の誹(ソシ)りを免れない」とし、国会ルールを守らずに渡航延長を敢行した川口議員の行動を「看過できないもの」、「暴挙以外の何物でもない」と批判した。


そこで、じゃぁ、どこが「看過できな」くて、どこが「暴挙以外の何物でもない」のかを、川口順子参議院議員が57日付文書で、「中国渡航延長に関する経緯説明」を行なっているので、検証してみた。


同議員は「滞在を一日延長することについて、24日朝、自由民主党の判断を仰ぎ、議院運営委員会に延長の手続きを取って」もらったが、野党側の同意が得られず、結果的には時間切れとなり、議院運営委員会決定(2324日両日の渡航許可)と異なる形の滞在延長とな」ったと、何も無断で日程を一日延長したのではないと語っている。


しかも、一日延長すべきと判断したのは、「中国の外交政策決定当事者であり旧知の楊潔篪国務委員及び外交政策に関し政権に提言をする立場のシンクタンク幹部と本件(尖閣諸島問題・閣僚の靖国参拝)に関し直接に十分な議論・反論を行い、現在対話がほぼ途絶えている状態の中国側に対し、我が国の考え方を伝えるとともに理解を慫慂することも国益上必須と考え」たからであると述べている。


そして、最後を、「我が国の政治家として主権と領土を守る国益に背中を向けることができなかったことが、今回の私の行動の理由であった」と、政治家としての矜持に満ちた言葉で締めくくっている。


政治の劣化が叫ばれて久しいが、久しぶりに、真の政治家の言葉を聴いたようでもある。川口議員の渡航延長は速やかに承諾すべきであったし、暴挙とは野党の承諾拒否の行動にあったというべきである。

議事堂

こうした今回の解任劇の一連の顛末は、自民党政権の揺さ振りをはかった野党の狙いとは反対に、結局、“政治家とは一体、何か”という根源的問いを解任決議に賛成した野党議員に厳しく衝き付けたものとなったと言わざるを得ない。


当日夜の輿石東・民主党参院議員会長の「国会ルールを破ったのだから当然の結果だ」とのコメントに、これで民主党復活の夢は潰(ツイ)えたと思った以上に、この党が政党で有り続けること自体が無意味であると強く感じたところである。


そして維新の会をはじめとする他の野党に国政に携わる資格はないとの思いも同時に抱いたところである。

中山成彬衆院議員、慰安婦問題で朝日新聞歪曲報道を指摘、国会招致を要請

辞任する必要などない、中山成彬国交相(2008.9.28)
中山成彬氏の日教組批判発言は失言か?(2008.10.5)
中山成彬衆議院議員は堂々と信念に殉じて出馬すればよい(2008.10.17)

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8日の衆議院予算委員会において国会復帰を果たした中山成彬(なりあき)議員が、日本維新の会の議員として “慰安婦問題” の歴史認識について言及した。


そのNHK映像がyoutubeにアップされたが、同局の要請により削除されたとしてネット上で騒がれていたことで、わたしは憂国の士、中山成彬議員が慰安婦問題について語ったことを知った。


そこで中山議員のオフィシャルHPに掲載された1時間におよぶ質疑に関する映像を視聴し、予算委員会での発言内容とその際に使用されたパネル資料を確認した。


なお、国会での本会議や予算委員会を含む常任委員会、特別委員会などの審議の様子は、衆参議院のHPにおいて、いつでも“衆議院インターネット審議中継”・“参議院インターネット審議中継”においてライブおよびアーカイブの閲覧が可能である。


実際に景気対策などは財政金融委員会、雇用問題や社会保障問題などは厚生労働委員会で、予算委員会とは異なる具体的かつ専門的な質疑がなされており、その審議内容はすべて視聴可能である。


こうした審議の様子を見ると、一部の政治家はその分野、分野で、専門的知見をもって国政に従事していることを確認でき、少し安心もするところである。ぜひ、この機会に関心ある問題についてその常任委員会の映像をご覧になったらよいと思う。パフォーマンスに偏り過ぎた予算委員会の審議内容とは大きく異なる実質的審議を見ることができ、政治を身近に感じ、見直す機会ともなり、意義があると考える。


因みにインターネット映像は、本日時点では衆議院は20101月から、参議院は20121月からのすべての国会審議を閲覧できる。


さて本題に戻るが、中山成彬議員は持ち時間1時間のなかで、半分の34分をアベノミクスやTPP問題など経済・産業分野での質疑にあてた後、歴史認識について26分間におよび正論を展開した。


とくに慰安婦問題については、戦前の資料を明示し、それが組織的強制的に行なわれたとする歴史認識は事実と反するとして、誤認識の引き金のひとつとなった1992111日付朝日新聞の朝刊一面トップ記事「慰安所軍関与示す資料」について、戦時中、日本軍が発出した文書・“軍慰安所従業婦等募集に関する件”の具体的中身に言及することで、この朝日新聞記事が事実を歪曲して造られたものであることを示した。


さらに質疑の締めくくりにあたって、中山議員は慰安婦問題を含めた歴史認識にかかる教育問題についての集中審議の開催と朝日新聞社の関係者を国会招致することを予算委員会議長へ要請した。


同議員は、“植民地政策のなかで内地と同等に社会インフラ整備を行なった”、“創氏改名は強制ではなかった”など、当時の新聞記事など具体的資料を提示しながら分かりやすく丁寧にそれらの歴史認識について述べたが、慰安婦問題はとくに力点を置いて説明を行なった。


午前中に行われた辻本民主党議員が“外交問題の根幹”とまで位置づける慰安婦問題につき、どこの国の国会議員か分からぬ議論を展開する異様な様とは対照的に、中山成彬議員のしっかりした当時の資料をもとに、朝日新聞社の誤った報道がこの慰安婦問題を韓国の大きな外交カードにまでさせてしまったとする毅然たる態度を見、ひさびさに政治家のあるべき姿に触れ、ある種の清々しさを覚えた。


そして中山議員の「本当に何ていうのかな・・・、朝鮮の方というのは粘り強いというか、しつこいというか、本当にすごいなと思うんですけど・・・」と語る口調に、この政治家のやるせない憂国の情が余りなく吐露されており、こちらも国辱ものの誤解、いやねつ造事案を、事実に基づいた歴史認識までまずは何とか引き戻さねばと歯ぎしりする思いで同議員の心情に心を寄せたものである。


慰安婦問題について以前、わたしは、中華民国(台湾)の評論家で、台湾ペンクラブ賞の受賞者でもある黄文雄氏が著した改訂版「『慰安婦問題』は韓国と朝日の捏造だ 100100答」(出版:ワック蝓20129月発行)という新書本で慰安婦問題の歴史的経緯を学び、頭の整理をすることができた。


そもそも慰安婦問題は、元軍人の吉田清治なる人物が19837月に出版した「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」(三一書房)のなかで、「戦中、自ら済州島で200人の女性を拉致し慰安婦にした」と証言し、この人物を朝日新聞が同年1110日付けの「ひと欄」で紹介したことから慰安婦問題がある政治的意図を以てクローズアップされてきた。


この吉田証言について、前述の「慰安婦問題は韓国と朝日の捏造だ」(黄文雄著)は、以下のように、その証言が嘘であり、捏造であることを証明している。


「しかし吉田の著書が韓国で翻訳出版された際に、それを読んだ韓国の済州新聞の女性記者・許栄善氏が現地取材をした結果、吉田証言はでっち上げであることが判明し、彼女は1989814日の紙面に吉田証言を全面的に否定する記事を書いています。また、秦郁彦教授の現地検証でもねつ造が証明され、吉田自身も嘘を認めました」


そうした胡散臭い事柄であるにも拘らず、朝日新聞は1991811日、「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で船上に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人が」名乗り出たという、事実とは異なる記事を掲載した。(黄文雄・上掲著)


この女性および事の真偽については、同著23頁に詳しく「この女性は従軍慰安婦ではない」と説明があるので読んでいただきたい。


ことほどさように慰安婦問題は、「済州島の郷土史家金奉玉は吉田による証言について、『数年間も追跡調査を行った結果、事実ではないことが明らかになった。この本は日本人の浅ましさをあらわす軽薄な商魂の産物であると考える』と述べている」(wikipedia:慰安婦)ほどに、“為にする”ものであって、そこに政治的意図をもった政治家、一部メディアが後押しをして、現在のような事実とはかけ離れた外交問題にまで発展、一人歩きをして行ったと思うしかない。


この慰安婦問題についてこれまで大きく関与してきた朝日新聞社を、中山成彬議員が言うように、ぜひ、国会招致し、これまでの記事掲載も含め、真実の報道を旨とするメディアとして、その真意および今後の対処について問い質す必要があると考える。


言いっ放しで国益を大きく毀損させておきながら、過去の誤報、歪曲報道について何ら責任を取らぬという態度は決して許されることではない。


わたしもぜひ国会招致を願うところである。


また今回の国会審議を見ていて、中山議員のような識見ある議員が国益を前面に打ち出す極めて常識的な見解を日本維新の会という野党の立場で披歴するというのは、与党では直截に言明出来ぬ事柄について、なかなか巧みな政治環境が整いつつあると感じた次第でもある。

第46回衆議院議員総選挙、本日(12月4日)公示、わたしはこう考える?

11月16日の午後3時48分、休憩後に再開された衆院本会議で横路孝弘衆議院議長は「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する」と、藤村官房長官が運びこんできた解散詔書を朗読し、衆議院の解散を宣言した。

その瞬間、わたしは議長席正面の一般傍聴席にいた。議場ニ階に設けられた参議院議員傍聴席、報道機関席、一般傍聴席はびっしり、加えて一般傍聴席の最上部には秘書傍聴席から溢れた秘書たちが立ったままで立錐の余地もないほどにひしめきあっていた。

同行してくれた若い議員秘書がこれほど熱気があるのは初めての経験ですと少し興奮気味に語っていたのがいまもわたしの耳に残っている。


色々な意味で関心の極めて高い第46回総選挙が事実上スタートした瞬間であった。


解散の16日から公示日の12月4日までの僅かに2週間余の間に、新党が生まれ、そして合流とその創出、離合集散の果てに、既存政党と合わせて、今回、われわれ国民は12もの政党の乱立する過去に例を見ない総選挙を経験することになった。


その目まぐるしい、いやはっきり言って節操のない離合集散を繰り返す第三極といわれる政党の乱立で、何をどう見たらよいのか戸惑いの声がたびたび寄せられていることもあり、本日公示日にあたり不肖わたしの考えを披露することにした。


今回の選挙にあたって何を基準に考えるかであるが、わたしはただひとつ“政権担当能力の有無”であると考えている。言い換えれば、国外あるいは国内での立場の立ち位置によって利害得失が複雑に錯綜する政治課題を冷静、果断に現実的に処理してゆく推進力を有する政党、政権を選ぶということである。


大手メディアの一部に脱原発・卒原発というSingle Issueにこの選挙の争点を持ってゆこうとする意図が見え見えのところもあるが、目下、わが国を取り巻く環境はそんなに争点を絞り込めるほど単純なものではない。


その他にもきな臭さを増す尖閣諸島・竹島・北方四島の領土問題、一次産業の自立とTPP加入という喫緊の問題、沖縄の普天間米軍基地の移転紛糾やオスプレイ強行配備の延長線上にある日米地位協定、延いては日米安保の問題、デフレ脱却と経済回復、それに関連する消費税増税、財政再建の問題、行き過ぎた市場原理主義の結果生まれた格差社会の是正、子育て支援、年金、医療の社会保障一体改革の具体的推進、教育改革、公務員改革、議員定数是正はもちろん二院制の見直しなど政治改革、財政自立を伴った地方分権のあり方、九条問題を含めた憲法改正の問題、等々、どれ一つとっても解決が待ったなしの重要な政治課題である。


どれかひとつの解決に政権が没頭するなど出来ぬ、極めて高度かつ熟練した行政能力と政治手腕と老練な外交能力が求められ、一方で各分野にそれぞれの専門ノウハウや人的パイプを有した人材を多数擁する政党あるいは連立政権でなければならぬということは、上記に列挙した課題の喫緊性、重みを考えれば、当然の帰結であると考える。


そのなかでも、トラスト・ミーで大きく揺らいだ日米関係の足元を見透かし、201097日の中国漁船衝突事件に始まる民主党政権の弱腰外交、ドタバタを見据えて、111日にはロシアのメドベージェフ大統領が元首として初めて北方領土・国後島訪問を敢行、次いで2012810日の李明博韓国大統領の島根県竹島への上陸と、わが国領土を他国の国家元首自らが踏み躙(にじ)るといった前代未聞の国辱的危機が民主党政権の稚拙な外交能力の下で連続して起こったわが国固有の領土を巡る問題がまず挙げられる。


この日米関係の改善とわが国国境の安全確保が至上課題であると考える。


次に内政ではどう考えても3.11大震災の復興である。それはスピードアップといった時間軸の問題ではなく、東北被災地区を現法下の行政区分けで考えるのではなく、被災特別区といった新たな時限行政区分けを制定し、県をまたぐあるいは中央行政の管轄からもはずれる、謂わば香港のような外交権と軍事権のみを持たぬ“特別行政自治区”のような小政府を持つ行政府で自己完結的に復興を果たしてゆく、そんなフレームに根本的に組み直し、大胆かつ繊細かつ迅速に生活再建を果たしてゆく復興策の見直し、復興実現が求められる。


そしていたずらな混乱を避ける意味からも、早急に課題整理と課題処理へ向けた手順の確定が必要なのが原発問題である。


脱原発の決断には、国民の直接的生命や安全の問題だけでなく、生活の維持、雇用、産業、国家財政、国家安全保障といった広範にわたる影響について数値と時間を入れ込んだ検討、検証が必要であり、その具体的な数値、見通しを国民に示した上でのコンセンサスが必要である。


ましてやいまだ福島第一原発事故の原因すらはっきりできぬ段階で、網羅的な数値の提示もなく、ただ一足飛びに原発NOの社会を叫ぶのは、あまりに無責任かつ危険な政治と斬って捨てるしかない。


エネルギー戦略は国家運営の大きな要である、その重責を政治が担っているという自覚に大きく欠けた所業であるとわたしは断じざるを得ないのである。


また脱・卒原発についてひと言、云っておくが、現在、大飯原発が稼働する以外、原発は動いていない。


原発なしでもこの猛暑の夏は乗りきれたし、これから節電、省エネ、再生可能エネルギーを開発してゆけば、十分、脱原発、卒原発でやってゆけるじゃないかと、叫んでいる人たちは、その状況のまま行った際のコストの問題、われわれの生活にかぶさってくる負担の大きさについては言葉を尽くさない。


つまり、発電量だけの問題で言えば、原発設備がなくとも老朽化した火力発電設備などを総動員して稼働させることで、その量の確保は可能である(老朽設備は今後の新規GTCCなどの新規発電設備に順次代替)。


しかし、これまでは、昼間の需要の変動が多い時間帯を発電コストは高いが稼働・停止に経済的、運転上の優位性のある火力発電を使用し、夜間を通じてベースロードとして常に発電する電源としてコストの安い原子力発電を使うという運転形態であった。


そのベースロードの原発部分が現在はLNG発電などに代替され、結果としてLNG輸入量が増加、欧州危機による輸出減少とも相まって貿易収支は、2012年上半期は赤字、特に直近7-9月は3ヶ月連続の赤字と、構造的な要因が顕著となって来た。


構造的貿易収支の赤字は円の価値の信頼を揺るがし、結果として円安、さらなる貿易収支の赤字、信用不安、国債暴落、金利高騰、財政破綻という究極の悪魔のシナリオへと向かってゆく。


こうした一面だけを捉えても原発問題はさまざまな影響をおよぼす問題であり、慎重な議論のもと、綿密な数値の検証も踏まえたうえでの国民的コンセンサスが求められる極めて高度な政治課題である。


一か八か、きっぱりNOと云おうなどといった“時の勢い”や“声の大きさ”で決められる問題ではないと考える。まだYES、NOを判断するには材料が余りに少な過ぎるのである。(原発に関するわたしの考えは”それでも原子力発電は推進すべき(2011.5.7)”を参照して下さい)


デフレ脱却への具体的政策などまだ色々とコメントしたい点は多数あるが、字数の関係もありこれで止めるが、今次選挙は云うまでもなく民主党が念願の政権交代を実現した2009年8月30日の総選挙以来、初めての選挙である。


従って、常であれば、その争点は3年4ヶ月におよんだ“民主党政治”の審判であるはずである。


しかし、われわれは2011年3月11日に東日本大震災という未曾有の国難に見舞われ、それに起因するレベル7の東電福島第一原発事故を経験し、いまだその復興、収束へ向けた具体的道筋が描けていない状態にある。


戦後、国民の生命と財産の保障がこれほどに蔑(ないがし)ろにされ、社会の混乱が放置された時代はない。そんな過酷な時代背景のなかでの総選挙である。


だからこそわたしは3年半前の口先だけの公約や“政権交代”という言葉に甘い夢を託し、熱に浮かされたような投票行動に走ることだけは厳に戒めたいと思う。


多くの問題を一挙に解決できる快刀乱麻のような政策、政治はあり得ぬのだということをこの3年半の反省も踏まえて肝に銘じ、それぞれの政治課題が抱える正の部分と負の部分を愚直に訴え、地道にその解決の道を探ってゆく姿勢を見せる政党、候補者に一票を投じようと考えている。

石原慎太郎の第3極結集の理由が低レベルで笑わせる

80歳になる石原慎太郎東京都知事が10月25日、緊急記者会見を開き、「今日をもって都知事を辞職する。国会に復帰しようと思っている。新党を立ち上げて仲間とやっていく」とし、都知事の辞職、国政復帰を表明した。

さらに、国政復帰への思いを「最後のご奉公。硬直した中央官僚の支配制度を変えないとダメ。役人と戦っていかないと、この国は沈んで窒息して死ぬ」と語った。

大手メディアはこの石原という話題性には事欠かぬ男が動き、こぞってすわ第3極結集かいや乱立かといった論調で大騒ぎしている。

しかし、メディアを含めて冷静に考えてもらいたい。そもそも石原という政治家がこれまで何ほどの実績を残してきたのか。日本の国益にどれほど貢献してきたというのか。

政治家は口舌の徒にあらず、やってなんぼの世界である。

そのことを検証せずして、いたずらに第三極陣営に大石が投じられたような見方は、甚だ見識に欠けると言わざるを得ない。

この時代、メディアに見識をそもそも期待することが大間違いというのは、世間一般の共通認識になっているようで、前段の表現は適当でないのかも知れぬが、80歳になった都知事が突如噴出した国救いという老いの一徹を理由に、無責任にも4年の任期をわずか1年半で放り出し、好き勝手を許すことなどあってはならぬ。

そもそも国救いを心底熟慮していたのなら、多選弊害が言われるなか、昨年の都知事選に何も4期目を目指すことはなかったはずだ。奇しくも3.11午後の大震災勃発直前の都議会本会議のなかで、立候補を表明。

さらに震災後の14日、石原は再度出馬宣言、事実上の後継候補であった神奈川県知事(当時)の松沢成文はその傍らで立候補断念を表明するという後味の悪い記者会見を覚えている人も多いと思う。

そこまでして都知事を選択しながら、突然の辞任さらには国政復帰表明とは、都民を愚弄し、舐めきった破廉恥漢と呼ぶしかないし、選挙で選ばれる公選知事を“猪瀬で十分”などとオーナー企業じゃあるまいし、どこまで成り上がっているのか、この男は、憤懣はつきない。

昨年、煮え湯を飲まされた松沢成文氏に至っては、“猪瀬で十分”をどう聞いたのだろうか、はっきり“ふざけるな”と吠えれば、次期都知事の目もあろうってものなのに。

そんな人非人が国政復帰、第三極の結集とか話題にすることすら不愉快極まりないのだが、ここは冷静に語らねば、大手マスゴミ、失礼、大手マスコミと同レベルになってしまう。

そこで、石原の政治家としての実績の検証であるが、彼が国政で、また国務大臣として何か具体的な政策を仕上げたという記憶はないし、今回、調べても政治家として特筆するようなものは見当たらぬ。国政に置いて目立つのはやはり青嵐会の活動だけ要は口舌の部分だけだったといってよい。

次に都政をあずかった13年半で記憶に残る“政(まつりごと)”といえば、緻密な事業計画検討もされぬままの新銀行東京設立、そして1000億円におよぶ財政負担。

ディーゼル車排ガス規制で都民の命を救ったと高らかにその成果をひけらかす一方で、土壌汚染が判明している豊洲への強引な築地市場移転の決定を行なうというご都合主義の環境問題無視の姿勢。

視察と称し、公費による妻同伴の豪勢な海外旅行、煮詰まらぬままに猛進し、失敗した東京五輪招致、低所得者に対する都民税減税公約の当選後の一瞥もせず反故、週23日のみの登庁という都民を舐めきった所業の数々。

重度障害者に対し「ああいう人っていうのは人格あるのかね」といった発言に代表される差別発言、傲慢発言の数々・・・、本当に枚挙に暇がないとはこの男の非道をあげつらう時に使う言葉なのだと、本日、気がついた。

そんな男がこの国難の時に、第三極かなんだか知らぬが、俺が中心となって風を起すなどとよくぞほざけたものである。

30日、たちあげれ日本の全国拡大支部長会議の席上で、石原はこう述べたという。「政策のあそこが違う、ここが違う、とつまらんことを言うな。小異を捨てて大同に就かないと、大きなヤマは張れない」と。

日本維新の会やみんなの党と原発政策や消費税増税問題など小異であるとし、野合しようぜと吠えている。理念と現実の問題の妥協をはかるのが政治のはず。その泥臭く地道な調整が政治そのものであるはず。

それを小異を捨ててと言い捨てるこの男。もう怒りを超えて、この低能レベルを笑うしかない。

自分に都合の悪い質問には恫喝や話のすり替えで逃げ続けてきた本質的には怯懦な男、石原の胡散臭さがここに来て、腐臭へと変わり、その毒によりこの日本は奈落へと落とされるのだということをよく肝に銘じなければならぬ。

くれぐれも大手メディアの目くらましに騙されぬよう、今後の政治の動向に五感を研ぎ澄まし、己の基本軸をぶれさせずに大局を過たぬ判断をしてゆきたいと心から思っている。

言葉を商売とする小説家の言葉とは思えぬ、石原のおよそ人の心を打たぬ空疎な単語の羅列、まぁ、かれを一度も一流の小説家などと思ったこともないが・・・、そんな人間の大言壮語、唾棄して痰壺に飛ばしてやればよい。

まだ都知事の仕事をすべき人間が、今度の選挙で当選するかどうかも分からぬ男が、まぁ、よくぞテレビの前で、偉そうにほざけたもんだと心底胸糞が悪いといったらない。

もうこれくらいで止めよう、この怯懦な男と同じ低レベルまでどんどん落ちていってしまうから・・・

林芳正(はやしよしまさ)政調会長代理の自民党総裁選への出馬を願う

国会議事堂
国会議事堂

今回の自民党総裁選においてメディアは、石破茂前政調会長や石原伸晃幹事長、安倍晋三元総理など総裁候補に名乗りを上げた候補者ならびに予定者について、自民党内の鍔迫り合いや派閥内の確執など権力闘争的な話題については飛び付くようにして報道はするものの、各候補者の諸々の政策に対する考えなどが報じられることはほとんどない。


昨日(10日)、谷垣禎一総裁が再選出馬を断念することを表明し、ほぼ立候補のメンバーが絞られて来た自民党総裁選も、14日告示、26日投開票へ向けて、いよいよ佳境へと入ってゆく。


自民党が次の総選挙において政権奪回を果たすか否かはもちろん分からぬが、最近の世論調査などによると、26日に選ばれる自民党総裁が最も次の総理大臣に近い政治家であると考えておく必要がある。

自民党総裁室
自由民主党総裁室

そうであれば、その政治家がどの程度の政策通なのかをよくよく吟味、知悉したいところである。

つまり現在のミゼラブルなデフレ経済の脱却を速やかにはかり、行き過ぎた円高水準の高位安定化をいかに突き崩し、失われたわが国企業の国際競争力を回復し、しかもその一方で財政再建を果たすというナロウパスな経済財政政策を立案させ、実行に移すに足る経済への造詣は深いのか浅いのか、あるいは菅直人前首相の如く”乗数効果”すら理解せぬ”愚かなるど素人”なのか。

竹島や尖閣諸島など領土問題で外交力の脆弱化が甚だしいなか、ユーロ危機など混迷を深める国際政治・外交の舞台で堂々と物が申せる人物なのか。

沖縄の普天間基地移転問題で大きく毀損した日米間の信頼関係の修復の一方で、沖縄県民が猛烈に反対する安全性に疑義が呈されているオスプレイの普天間配備計画で米国へ筋道の通った配備計画の見直しを迫れるかなど、わが国安全保障の根幹である対米外交を任せるに足る見識、胆力があるのか。

さらに福島原発事故から即座に脱原発といった現在の民主党政府の短絡思考、国債の信用力低下につながる国際収支の悪化や電力コストの高騰による国内企業の競争力喪失、CO2問題などマクロ的視野において大きくバランスを失したエネルギー新政策の大幅な手直しなど、国民の反原発感情のなかでいかに将来の国民の幸せのために断行できるか、等々、各々の政策に精通しているか否か、われわれが確認したい点がたくさんある。


それらを確認する方策のひとつが、林芳正政務調査会会長代理
51歳・参議院議員3期)が出馬されることだと考えている。

同議員はまだ正式に立候補は表明していないのだが、立候補に前向きな姿勢を示していると聞く。

わたしはこの候補者、取り沙汰されている候補予定者のなかでは、林芳正議員こそが次期総裁、総選挙の結果次第ではこの国のリーダーになる人物として最もふさわしい政治家であると考えるのだが、同議員の知名度はまだまだ低く、メディアの取り上げ方も少ない。

わたしが林芳正議員に総裁選にぜひ出馬して欲しいという理由は、総裁候補者間でのディベートを行ない、各人の政策理念、その理念・目標、目標を達成するための具体的なプロセス、政策手段を詳らかにして欲しいと願っているからである。

そのためには、ディベートをする際に、頭脳明晰で冷静かつ緻密な対応が出来る政治家、つまり林芳正参議院議員がいて欲しい。

そうでないと、永田町特有の“言語明瞭、意味不明”な議論ならぬ一方的演説で、その議論、討論が実のない空疎な抽象論で終わってしまう懸念が極めて高く、いや確実にそうなるに決まっている。その結果、各人がこの国難に立ち向かってゆく具体的な政策を有するのか否かさえ見極めが出来ぬという事態が十分に予想される。

それでは困るのである。

総裁候補者間のディベートでは、求められる国家ビジョンを語らせ、それを実現してゆくための道筋、実現の手段たる具体的政策論を互いに整理して議論を戦わせてもらいたいのである。

その核になる人物としてこの林芳正議員に総裁選挙に出馬してもらい、議論の抽象化、拡散をぜひ止めてもらい、具体的政策が語られるように、ディベートを整理、誘導してもらいたいのである。

ここまで推奨する最大の理由は、参議院のこれまでの予算委員会や直近では社会保障と税の一体改革に関する特別委員会などでの質疑を通じて、同議員が理路整然と相手をやんわりと論駁してゆく姿をたびたび目にするにつけ、林芳正議員がしっかりとした学識、知識、見識に裏打ちされた確固たる国家観を有する政治家であることを確信するに至ったからである。

本来であれば、51歳の若き林芳正総裁、総理大臣をわたしは強く望んでいるのだが、参議院議員の総理就任が憲政史上まだ例がないとか、閣僚経験や党務経験が乏しい、所属派閥内をはじめ同議員を支援する議員が少ないのではといった点から、国民ならびにメディアの注目度は低く、総裁に選ばれる確率は現時点では限りなくゼロに近いと言ってよかろう。

しかし、この難問山積のわが国である。今回の自民党総裁選挙ではぜひ民主党とはまったく違った具体的な政策論を戦わせてもらいたいのである。

その要の人物としてわたしは、林芳正参議院議員を推奨したいということである。

ぜひ、推薦人を集められ、出馬されんことを切に願う。 


出馬が叶い、ディベートが行なわれれば、その他候補者の得手不得手、あるいはどなたかのような長老の顔色ばかり伺い、政策論などかつて聞いたこともない政治家などは具体的政策論が構築できないといったことも、そこで白日のもとに曝されることになり、党内の政治力学だけで総裁が選ばれることを少しは回避できるのではないかとお節介ではあるが思っているところである。

理屈の通らぬ子供、韓国には“外道には外道の対応”をするしかない・天皇謝罪要求発言の真相

景福宮光化門
景福宮・光化門

8月17日、野田首相は李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸や天皇謝罪要求発言に「遺憾の意」を伝え、竹島問題を国際司法裁判所に共同提訴することを提案する内容の親書を出した。


それに対し韓国政府は23日に、この親書を返送する方針を表明、同日、在日韓国大使館員が親書を持参、外務省を訪れた。わが国は同員の省内立ち入りを拒否し、受取を拒絶したところ、今度は書留郵便で親書を郵送したという。そうした非礼に対し、日本政府が受け取らぬ方針であることは言を俟たない。

8月10日に李明博(イ・ミョンバク)大統領が島根県竹島に上陸したことに端を発する一連の対日外交強硬姿勢は、あれよあれよという間に、現実感はないが事実は国交断絶にあと一歩といった危機的局面へとヒートアップしてきた。

その原因はひとえに李明博大統領(以下、相手の外交レベルに合わせ、“李明博”と呼び捨てにする)および韓国政府の理屈と礼儀をわきまえぬ外交とも呼べぬ幼稚で稚拙で下品な政治姿勢にある。

また一方で、野田首相は親書返送という例を見ない韓国の遣り口に対し、天皇訪韓をめぐる大統領発言について謝罪・撤回すべきだとの考えを表明した。

そこで、謝罪撤回を要求する李明博の“天皇謝罪要求発言”について、われわれはしっかりとその正確な事実を理解しておかなければいけない。

大手新聞、テレビがこれまで伝えているのは、8月14日、李明博大統領が忠清北道清原(チュンチョンブクド・チョンウォン)の韓国教員大学校で開かれた教育関連の会合において、天皇訪韓の条件として「(日本の植民地統治期に)亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪するなら来なさい」と発言したというものである。

この発言内容だとしても、そもそも天皇が訪韓を希望した事実はなく、国家元首に対する一方的な“無礼”発言であると断じるべきものだが、実際はそんな生易しい表現ではなかったのである。

8月14日、李明博は忠清北道清原の地において発言した真実をわれわれ日本国民は正確に知っておかなければならない。なぜならこれからの対韓外交姿勢の基軸を誤ることになるからである。

実際に語られた部分の直訳は次の通りである。

「日王(日本国天皇)は韓国民に心から土下座したいのなら来い。重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる。重罪人が土下座もしない。(痛惜の念という)言葉で謝るだけならふざけた話しだ。そんな馬鹿な話しは通用しない。それなら入国は許さないぞ」(引用:2ちゃんねる

これが大韓民国の現職大統領たる李明博の口から出た実際の言葉である。

あまりに非礼極まりない、低俗・下劣な発言であったためにこれを伝えた韓国記者も、当初のオリジナル記事を冒頭の「亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪するなら来なさい」といった形に後刻、削除・訂正して、いわば意訳?した記事を流したのが事の真相だという。

日本の大手メディアは事実の報道というメディア本来の使命を果たしていない。

事実を伝えるといたずらに反韓感情を煽る、あるいは韓国政府のご機嫌を損ねるとでも下衆が勘繰ったのか、李明博の実際の発言内容を隠ぺいしている。

報道機関は政府ではない。メディアが外交関係に配慮し事実を事実として伝えぬことは、わが国の国益を毀損し、対韓外交の考え方を誤った方向へと向けさせてしまうことにつながることを、十分に自ら認識すべきである。

また政府もここに至っては、ただ天皇に謝罪を要求した発言に対する謝罪・撤回要求というだけでは、国民にはちょっとやり過ぎではとの懸念も持たれかねない。

李明博が正確にどう発言したかを、野田総理、いや、さすがに礼節をわきまえて玄葉外務大臣は国民に説明すべきである。

不法占拠の島根県・竹島へ大統領までが上陸、“重罪人に相応しく(日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇の)手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて謝らせてやる”との言語道断、無礼発言、首相の親書返送といった厳然たる事実を踏まえての対応であれば、やるときはやる、理屈の通らぬ子供には、“ならぬものはならぬ”と一喝するのが外交の王道であると、品格ある国家のなすべき筋であると国民も全面的に支持するはずである。

この局面において“大人の対応を”などと云うのは、国家の誇りを汚すことにほかならず、外道には外道の相手の仕方があることを政府も国民もよく肝に銘じて、今後の対応に万慰労なきようせねばならぬ。

“冷静に”などとこの期に及んで言うのは苛烈な決断のできぬ怯懦(きょうだ)な輩の妄言であって、いまは国益毀損の切所にあるのだから、沈着にして峻烈な、戦後初めての果断、勇断が求められる局面であるといってよい。怒らねばならぬ時には思いっきり怒るのは事の道理に適っているのだということを、日本人も思い出す時期が来たということである。

今後、国家としての誇りをもった毅然たる行動に出ることを政府に祈ってやまぬところである。


“MV-22オスプレイ”の普天間配備に“NO!”を=岩国基地への搬入開始

723日、飛行の安全性に大きな疑問が突きつけられているティルトローター方式垂直離着陸機MV-22(海兵隊仕様)オスプレイ12機の米軍岩国基地への搬入作業が始まった。

オスプレイはいったんこの岩国にて待機、試験飛行を重ねた後、タイミングをはかって10月初旬からの本格運用へ向け、沖縄の米軍普天間飛行場へ再搬入、配備される予定である。

オスプレイは開発段階から墜落事故が多発し、米国では“寡婦製造機”と呼ばれていたこともあるほどに飛行の安全性に疑問の多い軍用機である。

現にこの直近時でも、411日に米海兵隊のMV-22(海兵隊仕様)がモロッコ南方沖海上で強襲揚陸艦での訓練中、離艦後に墜落し、2名の死者を出した。

さらに2012613日に米空軍の垂直離着陸輸送機CV‐22(空軍仕様)が、南部フロリダ州で訓練中に墜落事故を起こし、乗員5人が負傷しているなど、普天間配備を前にオスプレイの墜落事故が発生しているのである。

開発段階の多くの事故を受け、さまざまな改良を重ねたうえでの量産化決定というものの、この2ヶ月でも上記の墜落事故である。政府が何を言おうが、安全性において多くの不安を抱えざるを得ないのは国民として当然である。

ましてや配備や試験飛行が予定されている普天間・岩国基地の周辺住民の不安がひっ迫したものであることは想像に難くない。

そんななか、NHKが717日のニュースで、2010年4月8日にアフガニスタンで起きたCV‐22オスプレイの墜落事故で、事故調査委員会の委員長を務めたドナルド・ハーベル元准将が「事故の原因として視界不良や天候などに加え、エンジンの出力低下が要因の1つに挙げられるという見方を示した」とそのインタビュー内容を伝えた。さらに「事故報告書にエンジンの出力低下を原因の1つとして盛り込もうとしたところ、空軍の上官から検証し直すよう求められたことを明らかにした」とも伝えた。

最終的報告書は空軍上層部の判断で“機体の欠陥”という指摘は、エンジン検証データが誤っていたとされ、必ずしも原因特定はできないと結論づけられたという。

こうした報道に触れると、政府が米国へ専門家を派遣し、安全性を確認するといってもそれはアリバイ作りに過ぎず、機密事項の多い軍用機の安全確認などどだい無理ということなど自明である。

そうしたオスプレイの飛行訓練に関し、本家たる米国においても安全性の問題があるとして基地周辺住民の反対の動きがある。

米・南西部に位置するキャノン空軍基地がこの6月に、周辺住民の反対を受けて、“CV-22(空軍仕様) オスプレイ”の基地西側での夜間低空飛行訓練を20131月まで延期する旨発表したことが伝えられている。

国民の生命を守るのは政治の要諦中の要諦である。

そして民主党政権は “国民の生活が第一”を旗印として歴史的政権交代を果たした。

その政権がいま、国民の命をないがしろにする政治決断をしようとしている。見せかけの安全審査だけで大飯原発再稼働に踏み切った政治判断とまったく同じ、口先だけの“民意”重視であり、まったく誠意を感じさせないやり口である。

何の具体案もなかった「最低でも県外」を叫び、それを弊履のごとく捨て去り、反故にした後、今度は「沖縄の基地負担軽減」をまたも具体的行動を伴うことなく軽々に唱え出した民主党政権の不実、不誠実さはこの沖縄問題の取り扱い方に象徴的に表れている。

このオスプレイの普天間基地配備に“NO”という判断こそが、民主党政権の“国民の生活が第一”とした旗印がすべて嘘であったわけでないと実証する最初で最後の機会なのだということを強権政治に走る野田総理はよくよく分別しておく必要があろう。

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