今年もはや冬至。恒例のゆず湯に入り、南瓜を喰らった。
風呂場に一歩足を踏み入れると柚子の香りが浴室いっぱいに漂っていた。湯船にゆっくり浸かり、手元に柚子を招き寄せ、その芳香を胸一杯に吸い込んだ。
そんなさわやかな気分になれるのはこの小さな浴室の空間だけである。
世の中は宗教や文明の衝突を背景とした無差別テロが頻発する不安定な国際情勢や全世界的な格差社会の蔓延といったものだけではない、激越なと称してよい異常気象に象徴される自然秩序の地球的規模での崩壊といったこれまで人類が経験したことのない苛烈な時代へと突き進んだ2016年であった。
世界はまさに動乱の時代に入ったと思わざるを得ない
そんな憂鬱で重苦しい雰囲気の一年ではあったが、わが家はみんな大病を患うこともなく、何とか一年間を乗り切りそうである。
年末ジャンボを当たるはずはないからと購入することもなく、いつものように来年の年賀状のお年玉抽選だけを心待ちにする、平々凡々な大晦日が訪れようとしている。
老若の差こそあれ、今年も当たり前だが家族はみんな平等にひとつずつ年を重ねた。それぞれにいろいろと思うところは違っているのは当然だが、年の瀬から三が日にかけてわが家へ集合してくるいつもの年越しの時間がもうそこに近づいている。
そうした何気ないことの繰り返しこそが、実は一番幸せなことだったのだと65歳の高齢者の仲間入りを果たしたころにようやく気づいてきた。
ずいぶんと奥手な高齢者であるが、まずはこの一年の残されたわずかな日々を無事に過ごし、新たな年を迎えられたらと心より願っている。
そして、このブログを訪れていただいた皆さんにも平穏無事な日々が続くことを祈って、今年の答辞、もとい、冬至の弁にしたいと思っている。