東山区祇園町南側534  ☎ 075−561−2181


”亀屋清永”は四条通りが八坂神社へ突き当たる祇園の三叉路を右折、70mほどいった東大路通り沿いにある。

亀屋清永店構え

“亀屋清永”は、わたしが最近、順次、訪ね歩いている“和生菓子特殊銘柄品18品(*)”のひとつ、“清浄歓喜団”という唐菓子(からくだもの)を製造販売する創業が元和三年(1617)という400年もの歴史を有する京菓子司である。


亀屋清永・暖簾

 

   和生菓子特殊銘柄品は、戦時中に物資統制され菓子の製造が難しくなった時に京都府が伝統菓子の保護のために昭和17年12月に選定した18品目の京都の菓子である。


“清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)”とは、これまたお菓子の名前としては奇妙奇天烈なものであるが、この菓子こそ日本の菓子のルーツだと知ってさらに驚いた。

菓子のルーツ
菓子のルーツ、唐菓子・清浄歓喜団

“清浄歓喜団”は、奈良時代、仏教の伝来とともに遣唐使により8種の唐菓子(からくだもの)と14種の果餅(かへい)がその製法と合わせ伝えられたが、その唐菓子8種のうちのひとつである。

亀屋清永・清浄歓喜団の由来

これら唐菓子は天台宗や真言宗など密教のお供え物として仏教寺院にその製造方法が長い間秘法として継承されてきた。


“亀屋清永”には、唐菓子のひとつである“清浄歓喜団”を作る秘法が江戸時代初期に比叡山の阿闍梨から伝授されたことが伝えられている。


“清浄歓喜団”は、漉し餡に「清め」の意味を持つ白檀、竜脳、桂皮末など七種の香を練り込み米粉、小麦粉で作った生地を金袋型に包み純正の胡麻油で20分、揚げて作った菓子である。

清浄歓喜団

伝来当時は中身は栗、柿、あんず等木の実をかんぞう、あまづら等の薬草で味付けしていたものが、江戸中期以降、小豆餡を用いるようになったという。

中身は餡子

餡に代わってからでも300余年が経過しているというとんでもない菓子なのである。


食べる前にちょっと焼いてから口にすると、包んだ皮が少し柔らかくなり食べやすい。味は何せ白檀などの高価なお香が練り込まれており、高級料亭で戴いているような、そんな贅沢な気分にさせられる。

清浄歓喜団五個入箱
五個入りの箱

五個入りで2600円だから決して安くはない。わたしも心して戴いたところである。

唐菓子です

そして、この“清浄歓喜団”の八葉の蓮華をあらわす八つの結びや金袋になぞらえた形状は、1300余年前の唐菓子の姿を忠実に保っているのだという。

清浄歓喜団の八つの結び目は蓮華の八葉
八つの結び目が蓮華をあらわす

また亀屋清永には“清浄歓喜団”のほかに、遣唐使が伝えた果餅(かへい)14種類のひとつである“餢飳(ぶと)”も伝わっており、神社の祭礼に供えられる神饌菓として現在も使用されている。

亀屋清永の果餅・餢飳(ぶと)

店内には、そうした神社仏閣のご用達所としての当店の歴史を物語るように、至近の八坂神社はもとより、延暦寺、下鴨(賀茂御祖)神社、金戒光明寺、南禅寺、清水寺などなど錚々たる大寺院、神社のご用達先の木札が掲げられている。

多くの神社仏閣ご用達
錚々たる寺社・仏閣の木札が並んでいる

その証でもあるまいが、店内には第253代天台座主・山田恵諦(えてい)氏の揮毫になる“清浄歓喜団”の扁額がさり気なく掲げられている。

第253代天台座主山田恵諦揮毫

そうした由緒正しい亀屋清永であるが、店内のスペースは狭く、ショーケース脇の板戸の奥が製造場所となっている。

ショーケース
ショーケース

その店の造りは華美に走ることもなく質素倹約の商売のあり方を頑なに守って来ているようで、1300有余年、唐菓子と果餅の形状を忠実に守り続けてきた“亀屋清永”の哲学が店舗の姿にも色濃く反映しているように思えた。

板戸の向こうで菓子製造
この板戸の奥が菓子の製造所

その狭い店内にちょっとした縁台が置かれている。“清浄歓喜団”を包装する間に、われわれ夫婦は喉を潤す冷茶と栗餡の“栗くり”という愛らしい名前の一口サイズの焼菓子でもてなしを受けた。何だかひとつひとつが有り難いと感じる不思議なお店であった。


今回は“清浄歓喜団”のみを求めたが、次回は“餢飳(ぶと)”にも挑戦したいと考えている。