上京区河原町通り今出川下る梶井町448−611  ☎075−213−4409


5月15日、下鴨神社で葵祭の社頭の儀に参列し、あたかも源氏物語の世界に身をゆだねる夢のような時間を過ごしたあと、夜を“御料理はやし”でいただいた。

御料理はやし
御料理はやしの玄関


“御料理はやし”は“京”を供するお店である。


1400余年受け継がれてきた葵祭の社頭の儀の〆は、やはり、千年の都の“京”でなければならぬと考えたのである。


“御料理はやし”は、二年まえに初めて伺い、京料理とはこういうものなのだということを教えられたお店である。


その時、ご主人の林亘氏と常連客との打ち解けた会話に加えていただき、料理はもちろん興味深い含蓄のある話にも満足し、後日の再来を期して“御料理はやし”を後にしたのである。


此の度は家内を初めて“御料理はやし”へ招待した。


お店にタクシーをつけると、前回同様に間髪入れずにお迎えの女性が門外まで出てこられる。


靴を脱ぎ、7人掛けの畳敷きのカウンター席へ案内される。足を掘りごたつ式に畳の縁から落とし込む形である。そして、各々に脇息が用意されている。


カウンターにお客が七名のみの小さな部屋である。カウンターの向こうには碁盤を二つ合わせたくらいの厚さ一尺を越える、まな板と呼ぶのがはばかられるほどの、上檜の“俎板”が二客。


ご主人が向って左のまな板を前に立つ。背筋の伸びた凛とした立ち姿である。


その後背には掛花入に活けられた一輪の白い花。清々しいほどのお席である。


この雰囲気はどこかの茶室でお薄を一服いただくような、そんな気がしてくるのである。言うなれば、私たちの前に立つご主人は茶会を催される“亭主”である。


そして、当夜の“正客”はカウンター左詰めに坐られた常連の大学の先生。

右端の“お詰め”の席には常連であろうご婦人がお二人。

カウンター席の真ん中に位置するわれわれ夫婦は、さしずめ“お詰め”に近い席に坐る素人に近い“相客”というところであろうか。


さらに、お客と亭主の会話に絶妙の合いの手を入れてくるお嬢さんが、まさに“半東”としての役回りを見事に果たされている。


そんなお席である。お茶会で写真を撮るほど私も野暮でない。だからこうして、“御料理はやし”の雰囲気を言葉で伝えようとしているのである。


御料理は着席と同時に紫蘇入りの白湯が供され、淡い緑色のうすい豆の豆腐造り、食前酒の梅酒、琵琶湖の稚鮎の素揚げなど八寸、イカ・鮪・白身のお造り、あぶらめ(あいなめ)の椀、真丈の蒸し物、こしあぶら等天ぷら、酢の物・しめ鯖、焼き魚・・・、ご飯・・・、菓子が柚子入りシャーベットで終了。


“御料理はやし”の料理は、旬の食材がそもそも持っている色香をおもてに引き出すために最低限の味付けがなされ、盛り付けは大仰ではなくきわめて控え目な佇まいで供される。


当店はいろんな方が書いておられるが、お客の方から訊ねない限り、お料理の説明はない。“御料理はやし”を訪なうお客はそうした料理がよく分かっておられるというご主人の考えである。これは“御料理はやし”というお店の哲学といってよい。


だが、そうは言っても判らぬものは素直に訊ねればよい。その際には、亭主から丁寧に説明があるし、さらに料理に対する興味深い話をいろいろとしていただける。


前述の料理で“焼き魚”なんて無粋に書いたのは、別に当夜、見栄を張って訊かなかったのではない。


焼き物が供される時間帯に入るころには、懐石料理に舌鼓を打つのは勿論だが、正客と亭主の長年にわたる交誼のにじみ出る談話は温かく、つい、こちらもその湯加減のよさに口を挟んだりして、脳内が忙しくなっていたためである。


また、ご主人とお嬢さんの“コメダ珈琲のモーニング”話の掛け合いは、ユーモアとウイットに溢れ、笑いが止まらなかった。


客を前にしてのこの企(たくら)まざる話術、親娘の会話が醸す藹々の団欒の場面は、見様によっては老練な剣客の立会いを目の当たりにしているようでもあり、爽快感とでもいおうか、ある種の至芸を見せられているような感覚にとらわれたものである。


このようにして葵祭りの夜は、“本物の京都”のおもてなしで過ごすことができたのである。そして、最後の極め付けが、正客たる先生が作られた “春蘭の塩漬け”による春蘭茶をいただけたことである。

 

年一回、先生が“はやし”にお持ちになるという。この日がたまたま、年一回のその日であったのだが、慶事などで“御料理はやし”では大切に一年かけて使っているという、その貴重な“春蘭茶”を、“和敬清寂”のおもてなしの最後にいただけたことは、“一期一会”を旨とするわが夫婦にとって、まさに最良の一夜であったと心から感謝する次第である。