かつて本州(宇野)と四国(高松)を結ぶ主要幹線であった鉄道連絡船・宇高連絡船は、昭和63年(1988)に瀬戸大橋の開通と同時にその78年に及ぶ歴史の幕を閉じた。

宇野ゆき・四国フェリー
宇野と結ぶ四国フェリー

宇高連絡船を利用した大概の客は、連絡船の上部デッキで売られていた“うどん”の味を忘れられずにいる。

懐かしい連絡船のうどん

四国を郷里とする者、四国に勤務した者、四国に旅した者はあのデッキの上で潮風に吹かれながら“かやくうどん”を啜(スス)ったことを懐かしく思い出す。


四国と関わりを持った人たちと連絡船について語らうとき、必ずと言ってよいほどに、デッキで食べた“あの・うどん”がおいしかった、あの味が懐かしいという。


わたしも、連絡船の“あの・うどん”に強烈なノスタルジーを覚える一人である。


JR四国に勤務する大学時代の友人に、昔、「どうして、連絡船のうどんを止めたのか」と詰問したことがある。


その時、彼は、高松駅の構内で“連絡船うどん”としてお店を開いているので、そこへ行けばその味に再会できると言われた。

JR高松駅
JR四国・高松駅

しかし、時間が食事時に合わなかったり、乗車時間ギリギリだったりして、久しくその機会を得ることが出来ずにいた。


今回、ちょっとした調べものがあり、駅近くの香川県立ミュージアム(高松市玉藻町5-5)を訪れた。そこで、駅まで足を伸ばし遅い昼食として、この“連絡船うどん”を食べにいった。


“連絡船うどん”は高松駅構内・構外の双方から入店でき、その味を堪能できる。今回は構外からお店へ入った。

駅の構外からの入口
駅構外の入口
駅構内の店構え
駅構内の店構え

あの・“かやくうどん”を注文しようとしたが、メニューにそれはなかった。

そこで、シンプルに“かけうどん”を頼んだ。


店外の簡易テーブルに坐って、うどんを啜った。あの薄味の汁である。とてもおいしかった・・・


だけども、このテーブルに瀬戸内の潮風はそよいで来ない。

ここでは瀬戸内の水面に照り映える夕陽の眩さに目を細めることもしない。


そして、連絡船の船尾に流れる澪(ミオ)を無心に見つめることもない・・・


おそらく“あの・うどん”の味はそんなに変わってはいないのだと思う。


かけうどん

このわたしの上に過ぎ去った30数年の月日が、“あの・うどん”の味に薬味のように人生の苦(ニガ)みを加えてしまったのだろう・・・


そして、たとえ、このテーブルが船上のデッキに変わったとしても、わたしは“あの・うどん”の味にもう出会うことはないのだろうと、最後の汁を啜り、静かに箸を置いた。