防空法カバー

朝ドラ・「ごちそうさん」も、残り一週間。


め以子の夫・悠太郎が軍属として満州送りになってから、終戦後もその消息は明らかでない。


「あまちゃん」以来、熱狂的朝ドラファンとなったわたしも、あと、一週間でどういう結末になるのか気が気でない。今週はあの初々しくてかわいらしい活男君の戦死がはっきりして、肩を落としたばかりである。


そのヤキモキさせている悠太郎であるが、「ごちそうさん」の2月・第4週の放送回で当局により逮捕された。そして、知人を通じての陸軍将帥の口利きで何とか罪一等を減じられ、軍属の建築士として満州へと送還されている。


逮捕理由は、軍部・行政当局の人間も参列する防火訓練において、「焼夷弾による火災は消火するのではなく」、「火を消さずに逃げなさい」と、指示したというもの。


その時、そんなことくらいで“なぜ、満州送り?”と、疑問を持ったのである。それも罪一等を減じられてということは、減じられなければ、いったいどういった罰になったのか。


そこで調べ始めて、「防空法」という戦時下の法律の存在を知った。早速、法律文化社出版の『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』(水島朝穂・大前治共著)を求め、熟読した。


その最中に69年前に東京大空襲があった3月10日を迎え、それに因んだNHKスペシャル特集ドラマ・「東京が戦場になった日」(3月15日放映)も見た。


昭和18年8月に導入された『年少消防官』と昭和20年年2月に都内の大学・旧制高校で編成された『学徒消防隊』に就役した二人の主人公やその仲間たちが、3月10日の東京大空襲の下で生死を分けるなどその苛烈な人生を描いた物語である。


ほぼ時期を同じくして「東京が戦場になった日」、「ごちそうさん」という戦時下の空襲、その防空についてのドラマを目にし、そして、手に取った『防空法』という一冊の書籍。


昭和17年4月18日、いわゆるドーリットル空襲が初めての本土空襲である。考えてみれば、真珠湾開戦の歓喜からわずかに4か月後に東京・名古屋・四日市・神戸などの主要都市が空襲を受け、死者約90人という甚大な被害を被っている。


その翌日の朝日新聞・一面トップには、『我が猛撃に敵機逃亡』、『軍防空部隊の士気旺盛』といった見出しが躍っていたという。


それから2年2ヶ月後の昭和19年6月16日の北九州空襲に始まり、10月10日沖縄空襲、11月24日の東京の中島飛行機工場(武蔵野市)の空襲と、本土空襲が本格化してゆく。


そして、昭和20年3月10日の東京、12日の名古屋、13日の大阪と無差別大空襲につながってゆくのである。


そうした本土空襲に建前として備えるために整備されたのが『防空法』なのだが、その実態、目的とするところは、予想される本土空襲により国民が狼狽し、厭戦気分、反戦思想に陥り、戦争継続意思の破たんを招来することを避けるものであったというのだ。


だから、防空法の条項をよく読めばすぐわかるが、国民の生命財産を守る条項などひとつもなく、逆に隣組という周人監視の仕組みを設け、空襲による劫火のなかに国民を縛り、命を国家に奉げさせるマインドコントロールを徹底してゆく道具だったのである。


防空法は昭和12年4月5日に公布、10月1日から施行されたが、時局の緊迫度が高まってゆく昭和16年、次いで18年にその立法目的を完遂するための改正がなされた。


16年の改正においては、それまでの防火訓練、灯火管制といった協力義務から、都市からの‖犁邏愡漾複絃鬟裡魁法↓空襲時の応急消火義務(8条ノ5)が追加規定された。


『防空法』には「主務大臣は・・・退去を禁止または制限することを得」とあるが、以下の通り、法理論によれば下位法による勅令、通牒によって実質的には都市からの退去を禁止したという、きわめて巧妙・狡猾というより、法治国家ではあり得ぬ立法手順を踏んでいる。


その結果、国民は都市からの自由な退避、避難、疎開の道が閉ざされた。無断で避難した場合は、「町会台帳から名前が削除され、配給物資が停止される」とされたため、空襲を避けて逃げたとしても、糧道を絶たれ餓死の道を辿るしかなかったということである。


今ではにわかに信じ難いそんな非人道的、無謀な「防空法」が、ほんの70年前にこの日本に存在し、先の大戦で60万人ともいわれる非戦闘員、無辜の庶民の命を奪い去ったのである。


『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』を読めば読むほど、繰り返しの情宣活動や隣組という民間監視体制によって、人間はあまりにも無邪気にマインドコントロールされてしまうのである。


恐いと思った。本当に恐いと思った。


そして、「ごちそうさん」の悠太郎の満州送還理由だが、昭和16年の防空法改正に伴い、昭和17年3月に施行された『戦時刑事特例法』の10条1項「戦時に際し公共の防空のための建造物、工作物其の他の設備を損壊し又は其の他の方法を以て公共の防空の妨害を生ぜしめたる者死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」に拠ることを学んだのである。


つまり、防火訓練で『防空法』の狙いを根底から覆す「焼夷弾による火災は消火するのではなく」、「火を消さずに逃げなさい」と町の人々へ向かって叫んだ悠太郎の行動は、まさに、『其の他の方法の方法で防空の妨害を生ぜしめた者』に該当し、本来、死刑を言い渡されても仕方のないことであったのである。


たった、それだけの、というよりバケツの水で焼夷弾の消火をすれば、逆にマグネシウム反応により爆発が起きるという科学的論証を語っただけで、死刑が課される。


それが、罪一等を減じられて過酷な満州送還となった顛末であったことが、この書物によって分った。


そして、もっと、さまざまな愚かしいことが、あの狂気の時代に横行したことも、具体的事例によってよく理解できた。


だから、ドラマであっても、そんな時代に負けずに悠太郎には、何としてでも生きて帰って来て欲しいのである。


この機会に、是非、法律文化社出版の『検証 防空法 ---空襲下で禁じられた避難』(水島朝穂・大前治共著)の一読をお薦めする。

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