王家の谷、善通寺・有岡古墳群を歩く=積石塚古墳・野田院古墳

王墓山古墳説明版 王墓山古墳案内板
王墓山古墳の説明版と案内板

王墓山古墳は王家の谷・有岡古墳群のほぼ中央に位置する全長46mの前方後円墳である。

王墓山古墳全景
王墓山古墳全景

この有岡古墳群を含む善通寺から北東部に広がる“弥生末期讃岐国の中心集落・旧練兵場遺跡”は45万岼幣紊肪し、佐賀県の吉野ケ里遺跡にも匹敵する規模であることが分かっている。

吉野ケ里遺跡
吉野ケ里遺跡(2004年撮影)

大和王朝の全国統一前に、この四国の地にも大きな古代の“クニ”が存在していたのである。

前方墳と我拝師山
前方墳と我拝師山
後円墳と香色山と五重塔
後円墳と香色山と五重塔

その古代国家の王家の谷の中心に位置するのが、この王墓山古墳なのである。

王墓山古墳と青空
後円墳を見上げる・横穴式石室の入口が見える

6世紀中頃に築造された横穴式石室内に石屋形を設置する特異な埋葬方式をとっており、その方式の古墳を多く残す九州・肥後地方との関係が強く類推されている。

羨道と玄室
狭い羨道と奥に石屋形を有する玄室が見える

この古墳の被葬者であるが、副葬品のなかに朝鮮半島製の金銅製冠帽や装身具、鉄地金銅張りの馬具がたくさん見られたこと、また、鉄製品や須恵器類など桁違いの数を誇ることなどから、この地で巨大な権力を振るい、瀬戸内海を通じ朝鮮半島や九州など他の先進地域とも活発に交流をはかる大きな文化圏の中心に坐っていた人物であったことが十分に想像される。(石屋形を有する横穴式石室は、6世紀前期頃から肥後地方の菊池川流域と白川流域に集中して設けられ両地域内に40例以上が分布している)

後円墳から前方墳を  前方墳下から後円墳を見上げる
前方墳から後円墳を見る
後円墳
後円墳
円墳から前方墳を見る
円墳頂上から前方墳を見る

その候補としては、やはり善通寺を氏寺として栄えてきた古代豪族、佐伯氏の首長を挙げるのが最も妥当であろう。

善通寺・五重塔
善通寺五重塔

そして、この王墓山古墳の主の何代かのち、およそ200年後に、佐伯氏の御曹司として生まれたのが、佐伯真魚、のちの空海である。

善通寺済世橋より大麻山と香色山裾を
善通寺済世橋より南に大麻山を見る。右の山裾は香色山
済世橋より香色山・筆の山を見る
済世橋より西に香色山と筆の山を見る

この国の創世記の宗教、思想の成熟に決定的な影響を及ぼした巨人が、卑弥呼の時代にすでに讃岐で栄えていた古代豪族、王家の出身であったことは、さまざまなことを考え、類推させ、まことにもって興味が尽きないのである。