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パワースポット・霊峰明神岳の下、明神池湖畔に鎮まる“穂高神社・奥宮”(2013.11.2)
穂高神社・奥宮の例祭で、毎年10月8日に催される“御船神事”を参観してみたいものとかねてより思っていたが、今年、ようやくその願いがかなった。
安曇野市穂高に鎮座する穂高神社本宮では、例年、9月26・27日、例大祭として御船祭りと呼ばれる御船神事が執り行われる。
海洋と遠く離れた急峻な山脈に囲まれた信濃という地で何故に船祭りかとまことに不思議ではあるが、その謎はいずれ謎解きに汗をかくとして、ここでは御船祭りについて簡単に説明しておく。
御船祭りの起源は定かでない。
北九州を本拠とする海人(あま)族の安曇族は6世紀頃にはこの安曇野へ進出したという。
海神である綿津見命(わたつみのみこと)とその子・穂高見命(ほたかみのみこと)をこの地に祀り、そして、海民としてのもだしがたいDNAかそれとも白村江の海戦を指揮した海人族の矜持なのか、船合戦の模様を後世に伝承すべく祭りという形で様式化したのか、いまにしてはもうその真相を推し量る術はないが、千数百年前へ遠く思いを馳せる壮大なロマンを感じさせる神事である。
そんな本宮の御船祭りの10日ほど後に、奥宮の例大祭として御船神事が催される。毎年、10月8日の午前11時からその神事は始まる。11時から奥宮前で神官の祝詞や巫女の舞の奉納が30分にわたって行われる。そのなかに併せて、「日本アルプス山岳遭難者慰霊祭」も斎行されている。
これが当日の神事としてのメインなのだが、観光客の関心は、私を含め、明神池を龍頭鷁首の舟が廻る“絵になる”儀式の方に集まるのは、仕方のないところか。
そのお目当ての御船神事は11時半ころより執り行われる。すでに湖畔にはたくさんの人たちがカメラ片手に待ちわびる。そのなかを、番いの鴛鴦が余興のようにして池の畔に寄って来て、参観者の目を愉しませる。
一瞬、どよめきが・・・
明神の神使(しんし)であろうか、明神岳の高みから一羽の白鷺が湖面すれすれに舞い降りてきたのだ。
対岸の木の枝に羽を休める白鷺が美しい。
しばらくして、もう一度、湖面を滑空し、明神岳麓の一の池奥の湖面の枯れ木に停まる。
その姿は端正で神々しくすらある。その様子はまるで神事の前触れでもあるかのようである。
明神池・一の池の桟橋に係留された龍島鷁首の二艘の舟に神官、巫女、雅楽師が乗り込む。
そして、いよいよその姿を明神池にあらわす。御船神事の一番の見どころのスタートである。
その刹那、明神池奥から先ほどの白鷺がさ〜っと池の上を横切り、いずこかへ飛び去ったのである。
夢のような一瞬であった。明神さまのお使いだったことは、不思議なことに撮ったはずの写真に飛空する白鷺の姿がひとつもなかったことからそう信じるしかないのである。
御船神事は神官と巫女が乗り込む一艘目には氏子が幣帛を高く捧げている。
二艘目には雅楽師が乗り込み、湖上に雅な雅楽の響きをわたらす。
さぁ、これから、順次、写真で御船神事の一切をご覧いただくことにしよう。
こうして、2013年の穂高神社・奥宮の御船神事は無事、終了の運びとなった。
終わってみると、舟が池を廻った時間はほんの10分余と短かったのだが、その厳かななかに雅な華やかさを感じさせる神事は、その物理的時間よりもはるかに永い時の流れを観るものに与えたから不思議である。
夢のようなひとときに酔い痴れた人々が明神池をあとにし始めたとき、この神事を参観した人々がこんなにもたくさんいたのかと、社務所脇の出口を埋め尽くす人の列を目にして驚いた。
そして、前日にあれほど静かだった奥宮の前が人で溢れかえるさまを見て、御船神事という古式ゆかしい例大祭への関心が、想像以上に高まっていることに嬉しいような、ちょっと寂しいような複雑な気持ちに襲われたところである。