3月のお水取りを観覧した際に、久方ぶりに春日大社を訪ねた。

世界遺産・春日大社
世界遺産・春日大社

春日大社といえば、朱塗りの廻廊と釣燈籠のイメージしか浮かんでこず、その御祭神がどなたであるかも知らずにいたのが正直なところである。 

御廊(オロウ)
御廊(オロウ)
西回廊
西回廊

この機会に同神社の由緒などに当たると、「奈良遷都の710年、藤原不比等がその氏神である武甕槌命を鹿島神宮から奈良の御蓋(ミカサ)山山頂浮雲峰に迎えた。768年、称徳天皇の勅命を受け、左大臣藤原永手によって香取神宮から経津主命、また枚岡神社から天児屋根(アマノコヤネ)命・比売(ヒメ)神を迎え、中腹となる今の地に四殿の社殿を造営し祀ったのが当社の創始」とある。

中門・御廊(オロウ)
中門と御廊(オロウ)
中門奥に本殿
中門の奥に四柱の御祭神を祀る本殿がある

そう言えば、藤原氏の始祖である藤原(中臣)鎌足は常陸国の出身といわれている。


藤原道長など藤原氏の栄華を描いた“大鏡”に、「鎌足のおとど、む(生)まれ給へるは、常陸国なれば、かしこのかしま(鹿島)といふところに、氏の御神をすましめたてまつり給ひて、その御代より、いまにいたるまで、あたらしき御門、后、大臣たち給ふをりは、みてぐらづかひ、かならずたつ。みかど、ならにおはしまししときは、かしことほしとて、大和国みかさ山にふり奉りて、春日神社となづけたてまつりて、いまに藤氏の御氏神にて、おほやけ、をとこ女づかひたてさせ給ひ后宮、その氏の大臣公卿みな此明神につかうまつり給ひて、二月十一日上申日御まつりにてなん、さまざまのつかひたちののしる」とあり、藤原摂関家の栄耀とともに春日大社の権威も高まっていったことが分かる。

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弊殿・舞殿(ブデン)

そうした由緒を持つ春日大社に参詣し、その御祭神である武甕槌神(タケミカヅチノカミ)、経津主神(フツヌシノカミ)なる大国主命からの国譲りを成し遂げた二神に、俄然、興味を抱くことになったのである。

直会殿(ナオライデン)
直会殿(ナオライデン)

そして、藤原氏の旧姓、占部を職とする中臣氏の祖神は、確か天児屋根命のはず。藤原氏の氏神であれば、枚岡神社から天児屋根(アマノコヤネ)命のみを分祀すればよかったのではないのか。


なぜ武甕槌神(タケミカヅチノカミ)や経津主神(フツヌシノカミ)という国家平定二神を氏神として第一殿、第ニ殿へ祀ったのか。

四つの本殿
右手に並ぶのが四つの本殿(奥より武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比売神)

春日大社は鹿が“神使(シンシ=神の使い)”とされているが、それは大社創建の際に、鹿島神宮の御祭神である武甕槌神が常陸国から神鹿に載ってやって来られたことに由来すると伝えられている。

春日大社の神鹿と二之鳥居
春日大社の神鹿と二之鳥居

鹿島神宮の祭神だけにとどまらず、神鹿まで印画する複製品のようなこの春日大社とは一体、何なのか・・・。


また、それほどの神力を有していた鹿島神宮とはいったいどういう由緒を持つのか・・・

春日大社で生まれた謎が謎を生み、そして止め処なく脹らみ続けてゆく。

春日大社参道
春日大社の厳かな参道

わたしはその謎を追うようにして、新緑を深めゆくこの春、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)、経津主神(フツヌシノカミ)に誘われるように、その二神を祀る香取神宮と鹿島神宮、そして武甕槌神に打ち負かされた建御名方神(タケミナカタノカミ)を祀る諏訪大社を巡ることとなったのである。