もう言うぞ!民主党の言う公務員給与削減と人事院勧告のまやかし(2012.1.31)

東日本大震災関連で新たに設置されたり、震災対応を指導した政府会議15組織において、議事概要および議事録共に作成されていないのが3組織、議事録が作成されていない組織は10組織、議事概要が作成されていない組織は6(内2は一部作成)、議事概要、議事録共に作成していた会議はわずかに3組織という、にわかには信じられぬ報告がこの27日に岡田克也副総理によってなされた。


20114月に「公文書等の管理に関する法律(略称:公文書管理法)」が施行されたが、同法はそもそも年金記録記載漏れ問題を受けて、法令番号200971日法律66号として施行2年前に立法化されたものである。20075月に起こった年金記録記載問題でずさんな社保庁の業務体制を当時野党であった民主党が厳しく追求するなかで、法案化された因縁の法律である。


そして成立した「公文書管理法」の第一章総則(目的)の第一条では、


「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする」と謳っている。


さらに、同法第二章「行政文書の管理」の第一節「文書の作成」第4条において、


「行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。

 法令の制定又は改廃及びその経緯

 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯

 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経緯


等々が定められている。


この法律をざっと見るだけでも東日本大震災および福島第一原発事故に係る15の政府会議が記録作成を必要とすることは日を見るよりも明らかである。


冒頭の議事録を作成していないという事実は、同法の目的すなわち国民の知る権利を踏みにじり、法律をないがしろにするものであり、国民に対する背任行為ともいうべきものである。


同法の目的に謳う「民主主義の根幹を支える」べき、政治の意思決定の経緯が一切記録されていないことに、正直、驚きを禁じ得ないとともに、民主党政権が民主的な国家運営を担う本質的資格すら有していないのだと、憤りの気持ちをもって断じざるを得ない。


特に菅首相が本部長を務めた「原子力災害対策本部」と「緊急災害対策本部」は、東日本大震災ならびにそれに伴う福島第一原発事故に対応する最高司令部である。そこで議論・検討され対応指示に至った経緯が一切、議事録たる文書として残されていないということは致命的な問題であり、今後、当時の最高指導者であった同議員の行為を厳しく糾弾してゆかねばならない。


当時、各種政府会議において担当大臣がどう発言し、内閣特別顧問や内閣官房参与らはどう専門的アドバイスをし、菅首相がパニック状態のなかで何を指示し(怒鳴り)、決断したかを当時そこに居合わせた当事者および事務関係者に客観的第三者機関がじっくりと多面的ヒアリング調査を行ない、会議の実態を掘り起こし、国民の知的財産たる文書として記録に残されねばならない。


そもそもこうした国家的危機において、その議論の内容、命令に至った経緯が誰がそれを語ったかを含めて正確に残しておくのは、この国の歴史を引き継いでゆく者として、かつ国民の生命と財産を守る政治の当然の義務であり、責任である。


菅前首相は原発事故の対応について「後世の歴史がちゃんと私の判断を評価してくれる」と胸を張るが、評価に際し、その基となる記録がないのでは、話にならない。


大震災の大混乱の中で、菅首相が言った言わない、東電が言った言わないと、情報が錯綜し、何が真実か分からぬ状態で国民が不安のどん底に陥れられた。


そうしたことがなぜ起こったのかを検証しようにも、議事録がないとなると、これは永遠に水かけ論となり、今後の教訓、改善の決め手にもならない。そして事故対応の在り方の適否や、それに基づく政治責任の追及も曖昧にさせられる危険が大きい。


菅前首相が退任後、新聞やテレビで震災対応や原発事故対応について、一方的に語る報道がなされたが、大手メディアも議事録もないなかで、よくぞこうした言い訳だけを垂れ流したものと、その見識を疑わざるを得ない


首相の思いつき発言や大臣の失言問題が民主党政権では多発しているが、その底流には、自分の発言が文書に残されていないという気楽さ、緊張感のなさがあるように思えてならない。


国政を担う首相、大臣が自分の発した言葉を恥じらいも矜持もなく簡単に訂正、謝罪する様は、「綸言(リンゲン)汗のごとし」という治世の本質的姿勢において、民主党という公党自体が決定的にそれが欠如し、国政運営の能力を欠く政党であると残念だが結論づけるしかないのである。