原発事故補償問題=東電、「何様?」のつもり(2011.9.19)

東日本大震災の復旧・復興にかかる第3次補正予算策定に向け、その復興財源としての増税議論が本格化してきている。


その一方で、福島第一原発事故で被った損害につき、仮払いでない本格的な補償請求の第一弾が始まった。

両方とも、被災者や被害者の生活再建にとって一刻を争う問題であり、その決着がつくことは健全な日常の再生へ向けた第一歩であることは論を俟たない。

ただ、その両方の議論や具体的手続きを見ていると、双方にある共通点があるのが分かり、苛立ちと怒りを覚えずにいられない。

第一に復興財源の増税議論である。


そもそも民主党は、政治の無駄を省き、それを主たる財源として、子ども手当や農業の個別所得補償、高校授業料無償化、高速道路無料化など総額16.8兆円の諸施策を行なうとして政権奪取を果たした。公務員改革や議員定数の削減や公共事業の見直しなど無駄を徹底的に省き、併せて租税特別措置の見直しなど公平な税制への転換(2.7兆円を捻出)で、財源は手当されるとしていた。


新政策の実施に増税や赤字国債の増発などは必要ないとしていたのである。

国民は政治の無駄、行革についてかねがねその徹底化が不十分であると思っていた。そうしたところに、民主党に政権を任せてくれれば、それを実現すると云うので、民主党に政権運営を任せたのである。大半の国民は耳触りのよい目玉政策の方より、無駄の排除、行革の徹底の実現に夢を重ね、民主党に貴重な一票を投じたのである。

そこで、3.11の大震災の被災である。東日本とくに岩手、宮城、福島三県の被害は甚大である。19兆円におよぶといわれる復旧・復興にかかる巨額の資金。その必要性や迅速な対処が必要なことを国民は十分、理解している。それが遅すぎることに怒っている。一刻でも早く、被災した方々の生活再建がなるよう切に願っている。

ただ、その財源として、増税により11兆円ともいわれる巨額資金を賄おうと一直線に議論をまとめあげようとしていることに、この政府は何を思い違いしているのかと、言いたいのである。財務省の影がちらつく・・・、政治主導の名前が聞いて呆れる。

「民主党の政権政策マニフェスト」の「政策各論」の「7.国会議員の定数を削減する」において、「衆議院の比例定数を80削減する。参議院については選挙制度の抜本的改革の中で、衆議院に準じて削減する」と、明確に書いている。

マニフェストに謳う政策実施に要する16.8兆円の財源の一つに資金を、公務員改革や補助金行政の見直し等行革による7.2兆円、国会議員の定数削減や予算査定の厳格化による0.6兆円が充てられるとしている。

国民が最も求めていた政治の無駄、行政の無駄は本質的次元では手つかずの状態である。

そんな詐欺的政治のなかで、今次大震災の復興財源ではどうしても増税が必要だという。巨額な義援金を行なっている国民だから、増税も止む無しと覚悟していると永田町の先生方は嘯(ウソブ)いている。

トンデモナイ!!! 誰が増税なんか、快くお受けするもんかい!!

大災害が来たのだからみんなで負担しよう。急な想定外の支出だから、増税をお願いしたい?

冗談じゃない! まずは、やることやって、それから国民負担を求めるのが筋ではないのか。端(ハナ)から増税、それも10兆円規模の金額・・・。

そもそも順序が逆だということが、この国民目線に立つと云って憚らぬ民主党政権は分かっていない。

まずは「隗(カイ)より始めよ」である。「国会議員の定数削減」を実現すべきである。自分たちが血を流して痛みを知って初めて、国民に痛みを分かち合って欲しいと訴えかける資格が生じるというものである。

米国議院の議員定数は上院100・下院435の計535名である。対して日本は参議院242・衆議院480の計722名である。米国の人口は3875万人(20104月米国国勢局)、日本が12806万人(201010月国勢調査速報値)である。

人口百万人当りの国会議員数(両院合計)は米国の1.733人に対し日本は5.638人と、わが国が米国の3.3倍もの議員数を抱える状態である。また、自治体の数は米国が50州、日本が47都道府県でほぼ同数である。

仮に人口比の議員定数を米国並みとして、わが国の衆参議員定数を試算してみると、衆議院は180名、参議院は42名の合計222名となり、現在の722名に対し、500名の議員数の削減が可能となる。

何ともびっくりするような数字である。

これを議員歳費の削減効果という視点で見てみる。現在の直接の議員歳費(月給与+ボーナス+文書通信交通滞在費+立法事務費)は年間で4,1756千円である。これに公設秘書2名、政策秘書1名分まで、秘書を雇えば手当が支出される。因みにその3名を雇うとすれば、さらに2,200万円が上積みとなり、合計では年間6,37561千円もの広義の議員歳費がかかっていることになる。

この歳費500名分の年間削減額は319億円となり、奇しくも現在の政党助成金(2005年国勢調査ベース人口×国民一人頭250万円)の金額3194000万円と同額となる。

助成金分を議員数の削減で賄うぐらいは、まず、国会議員自らの痛みと努力でやったらよい。

そうして見て初めて、国民は自らも公の負担、大災害の痛みを公平に負担しようという思いになるのである。

比例がどうの、小選挙区がどうのと御託ばかりをならべ国民に約束したマニフェストに謳う「定数削減(衆議院80名・参議院はそれに準ずる)」実現の動きはこれまで皆無である。

そもそも、国会議員という人々は、何様のつもりなのだろうか。

国会議員は選挙で選ばれたのだから、特権を許された「選民」であるなどと勘違いしているのではなかろうか。「国民の代表」とは、国政に国民の声を反映させるための代理人に過ぎないことを知るべきである。

「増税の前に定数削減」

これが常識ある世の中の在り様というものである。