湧水の郷、安曇野を歩く その1=NHK「おひさま」ロケ地・陽子の通学したあぜ道
「おひさま」ロケ地・安曇野を歩く その2=陽子(若尾文子)の「百白花」・大王わさび園水車のある風景

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松本押絵雛(穂高郷土資料館展示)

安曇野を訪れる二日前の放映(83日・第105回)であった。陽子(井上真央)の長女、日向子が肺炎に罹った時に、徳子(樋口可南子)が自分たちで出来ることをと辛い時でも明るさを求めようとして、雛飾りをした場面があった。

 その雛人形が紙か布で作られた羽子板の薄っぺらな飾りのような、変わった雛人形である。

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斜めから見ると厚みが分かる

「ずいぶん変わった雛人形なんだね。当時、信州の方では簡素な雛飾りで庶民はお祝いをしていたんだろうね」と、家内と語り合ったばかりであった。

史料館碑
館内にはわれわれ夫婦だけだった穂高郷土資料館

 松尾寺を訪ねた際に、その隣に立つ「穂高郷土資料館」を覗いたところ、その雛飾りが展示されていたのである。家内ともども、ちょっとびっくりしたが、徳子が真知子(マイコ)や育子(満島ひかり)たちと飾った雛人形が「松本押絵雛」と呼ばれる当地独特のものであることを知った。展示されている押絵雛は有明、北穂高、柏原地区などで明治から大正にかけて、実際に桃の節句に飾られていたものだそうだ。

「押絵雛」には当時の時代背景を映し、神功皇后と武内宿禰や武田信玄など武将ものもある

同館の説明書きによると、「松本押絵雛」は天保年間(1830-1840)当時の松本藩主・戸田氏が藩の殖産興業のひとつとして奨励、藩士の家庭で婦人によって作られ始めたものだという。それが松本の人形店や行商人によって売り出され、信州各地に広まっていき、ついには町内のどこの家でも子供が生まれると贈ったり、嫁入り道具のひとつとして持って行く風習ができあがったとのこと

しかし、その風習も明治・大正までで、大正の大火により製作者が四散したことから、急速に廃れていったそうで、徳子が箱で持ち出してきた押絵雛は多分、丸庵(丸山家)に残されていた懐かしい「押絵雛」のひとつということになるのだろう。

大王わさび園・蓼川にあそぶ川藻
陽子たちがピクニックにいった堤下の清流にあそぶ水藻(大王わさび園)

二人して、なるほど、ウン!ウン!と納得した次第であった。此度の安曇野探訪で「おひさま」ファンもますます筋金入りとなってきたと感じた瞬間であった。

 

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