それでも、原子力発電は推進すべき

菅首相が6日夜、また得意の緊急記者会見を行なった。

静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原子力発電所の停止中の3号機のみならず、現在稼働中の4・5号機も含め全ての原子炉の運転を停止するよう中部電力に求めたというのである。

わたしは我が耳を疑った。 愚かである! あまりに浅薄である! 臆病である! そして、品性下劣である!

この男の口から発せられた言葉はいつもそうだ。日本の国益、日本の未来についてあらゆる角度から死ぬほど考え抜いて至った究極の選択なのか。それも国の叡知を集結し得られた結論であるのか。とんでもない、口から出まかせなのである。

 「文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫している。防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施することが必要だ」というのが、その全面停止要請の判断根拠だという。

「政治」とは理想と現実のはざまを埋めてゆく極めて現実的な営みであると考えている。

政治家は目の前に山積する難問、課題という瓦礫をひとつひとつ取り除き、己の理想、政治理念を達成するためにNarrow Pathを切り拓いてゆく愚鈍なまでの辛抱強さ、現実と云う大きな瓦礫と折り合いをつけ大きな廻り道も厭わぬ現実主義者であらねばならぬ。派手なパフォーマンスだけで現実というさまざまな形状、大きさの瓦礫を撤去し、高邁な理念への道を拓くことは不可能である。

その意味で、菅直人という男は政治家と呼ぶに値せぬ「愚者」、「Populist(大衆迎合主義者)」と、唾棄するしかない。

 いま政治家に真に求められているのは、目の前の厭うべき現実、不安感を受容できずに後先考えずそれを回避したいと狼狽する大衆に迎合することではない。その厭うべき現実、危険という瓦礫をひとつひとつ丁寧に取り除き、国民の真の利益のために大衆の猛反対があろうが、この狭い道筋しかないのだ、この選択しかないのだと折伏(しゃくぶく)、納得させる凛とした姿勢と勇気と胆力が求められているのである。

わが国のエネルギー自給率は2010年度の「エネルギー白書」によれば僅かに4%である。供給安定性に優れた原子力を含めても18%と広義の自給率でも2割に満たない。世界の先進国を眺めると日本同様にエネルギー資源の少ないフランスの自給率は7%である。しかし、国内消費電力の78%を原子力発電で賄うことで広義の自給率は51%を確保している。エネルギー面からの国家の安全保障政策を長期的に図って来た結果の数字といえる。

現在、わが国の一次エネルギー供給に占める石油の構成比は42%(2008年)と第一次オイルショック時(73年)の76%からは低下しているものの、そのほぼ全量を輸入に依存している。なかんずく中東依存度は87%(2010年)と第一次オイルショック時の78%(73年度)の水準を逆に上回っている。

また一次エネルギー供給の23%を占める石炭、19%を占める天然ガスの輸入依存度もそれぞれ99%、96%と石油を合わせた化石燃料のほぼ全量を輸入に依存していると言ってよいのが、わが国のエネルギー問題が抱える実態なのである。

そうした資源希少国家という「現実」を熟知したうえで、持続性ある独立国家体制を整備強化するために、その制約の中で国民の最大幸福という「解」を導き出すことこそ政治家に与えられたもっとも大切な使命のはずだ。

資源政策は老練な外交力に頼る部分が大きい。菅内閣に中東などの紛争地域を含めた国際情勢という不確定要素を凌いでゆく力量などないのは自明である。 そうした自己認識もなく、エネルギーの安全保障についてかくも軽々にしかも唐突に「原子力発電は危険だ」との情報を発信した。しかも多大なるパフォーマンスの腐臭を飛散させながら。

菅直人が云う浜岡原発全面停止の理由は「30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%」の域内にあるということだ。そして、防波壁の設置など津波対策強化の必要性を指摘した。

であるならば、そもそも福島第一原発は地震の発生と同時に制御棒が入り、原発自体の運転は停止している。問題は冷却用の電源が、外部電源、緊急用電源ともに停止したことである。地震に対する構造は千年に一度の「想定外」(この言葉はわたしはおかしいと考えているが)のM9.0という巨大地震にさえ耐え得た、大丈夫だったということである。炉心はもちろん原発の中心部分は破壊を免れたのである。安全であったと云ってよい。問題は津波による電源設備の破壊であった。そこに大きな油断、慢心があったことは否定できず、今後、その責任が追及されねばならぬことは云うまでもない。 ただ原発事故発生直後、休止中の第4号機が使用済み燃料棒の格納用プールの冷却電源破損により放射能漏えいの危険が高まり、肝を冷やしたのはつい先日のことである。

菅首相のいう緊急性という意味で云えば、優先順位はまず冷却用電源の複数経路の確保であるはずだ。と同時に防潮堤の設営ないし拡張工事であるはずだ。

法的根拠もないなかで、浜岡原発だけが稼働中の原発まで緊急停止させられることの正当性は何か。

敦賀・美浜・高浜などに合計14機もの原発が集中している福井県の若狭湾沿岸は問題ないのか。大阪圏に近く、近畿の飲料水源である琵琶湖にも近いのである。どこが浜岡原発と異なるのか。87%の可能性で「東海地震」が発生すると声高に叫び続けられた予想だけである。

 しかし、1978年に「大規模地震対策特別措置法」で対策強化指定地区として指定され、M8級の「東海地震」が叫ばれ始めてからの30年余の間に、宮城県沖地震(‘78年・M7.4)、日本海中部地震(’83年・M7.7)、‘93年の釧路沖地震(M7.5)、北海道南西沖地震(M7.8)、’94年の北海道東方沖地震(M8.2)、三陸はるか沖地震(M7.6)、阪神淡路大震災(‘95・M7.3)、2000年の鳥取県西部地震(M7.3)、十勝沖地震(’03・M8.0)、紀伊半島南東沖地震(‘04・M7.4)、’05年の福岡県西方沖(M7.0)、宮城県南部地震(M7.2)、岩手・宮城内陸地震(‘08・M7.2)などM7を超える主な大地震ですらこれだけある。 東海地震で想定されているマグニチュード8.0以上の地震も、北海道で94年と2003年の二回も起きている。

権威付けされた東海地震が幸いにも勃発しない一方で、これほどの数の大地震が日本中で起きている事実を踏まえると、今回の浜岡原発全面停止要請は、いかにもみんなが騒ぎ、メディアも注目しているからの菅首相の深慮なき大衆迎合のパフォーマンスと断じざるを得ない。

国民の生命安全を考慮するのであれば、どうして他の原発立地地域は大丈夫なのか。他はなぜ停止しないでよいのか、明快な科学的説明を求めたい。

 そして、稼働中の原発までもが危険だと云うメッセージを国内外に唐突に喧伝した菅直人は、国際的にもその判断根拠を納得のゆく形で説明する責任がある。 原発を国是としてきたフランスで最大野党の仏・社会党が福島原発事故を契機に初めて、今後20〜30年で原発を廃棄する方針へと転じたのに対し、世論調査の原発賛否の結果に事故以前と変化はなく、サルコジ大統領も原発のもたらす大きな利点を改めて国民に説いたという。

その対応と比較し、菅首相の浜岡原発停止の言葉のなかにこの国の未来を見据えた国家像、国民の真の利益は何かといった姿の欠片も見えないのである。