オバマ米大統領は1日夜(日本時間2日午後)、国際テロ組織アルカーイダの最高指導者オサマ・ビンラディン容疑者(54)を殺害したと発表した。

米CNNも「Inside the place bin Laden was killed」のCaption(見出し)で、殺害作戦の実行には米海軍特殊部隊(SEALS)がかかわったと、潜伏していた邸宅の内部の様子や当該作戦に至ったこれまでの経緯など殺害の詳細について淡々と伝えていた。

そしてどこの局だか忘れたが昨夜の米テレビニュースで米軍関係者が「殺害の盾に女性がなっていた」と発言していた。

一応、公式にはビンラディン容疑者の身柄確保を前提としてはいたが、昨夜の米軍関係者の発言を待つまでもなく、当初から同容疑者の殺害は至極当然の予定の作戦だったのだと考えるしかない。「ジェロニモ(オサマ・ビンラディンの暗号名)が殺害された」との一報に対し、オバマ大統領は「We got him」とつぶやいたと云う。

同時多発テロの全容解明を目指すのなら、身柄の拘束を果たし、裁判にかけて、アルカーイダの最高指導者とされるオサマ・ビンラディン容疑者が実際にテロを指示し、実行させたことを法廷で明らかにさせねばならないはずだ。

そうでなければアフガニスタン軍事作戦の大義は正当化されないからだ。

大量破壊兵器を擁するとして国連安全保障理事会決議の不保持義務違反を大義にイラク侵攻作戦を開始し、フセイン大統領を拘束、処刑した米国。そして、その後、イラクの大量破壊兵器の存在は確認されていない。イラク侵攻の大義はなかったことになり、いまだ今日までイラク侵攻軍事作戦の正当性は証明されていない。

そうしたなかで、今度はオサマ・ビンラディン容疑者の殺害である。容疑者というからには、裁判によりその罪が明らかにされ、刑が執行されねばならない。それが民主的国家の最低限のルール、原則である。

今日(5月4日)、当初、米国が説明していた襲撃の状況と異なることが分かった。当初の説明では米政府はビンラディンが銃で反撃したので殺害したとしていた。しかし、今日の報道では同氏は武器は携行していなかった。

つまり初めからジェロニモ(オサマ・ビンラディン)を殺害することを目的に作戦を遂行したと考えるのが自然である。でなければ、大統領の第一声は「We got him」ではなく、「Why did they kill him?」か「Why not,did they restrain ?」となるはずである。

ブッシュ大統領はフセイン大統領の拘束を訊いて、「We got him」と言ったという。

しかし、オバマ大統領はオサマ・ビンラディンの殺害の一報を訊いて、「We got him」とつぶやいた。殺害という事実に接して、「なぜ?」と戸惑わずに「やった!」とつぶやいた。作戦目的が殺害にあったと考えておかしくないという理由である。

そもそもパキスタンという国に潜伏している容疑者を捕縛・殺害するのに米国軍を使うなどその傍若無人ぶりには唖然とする。パキスタンの主権はあまりにも軽いと云わざるを得ないし、他国の主権侵害を歯牙にもかけぬ米国に「国家の正義」など標榜する資格などこれっぽちもない。

米国がこうだと信じたことが「正義」だとして、他国に平気で軍事介入するあり方は、どう考えてもおかしい。さらにいまの国連のあり方は大きな矛盾を抱えている。なかんずくリビア空爆でも分かるように米・英・仏にとって気に食わぬ政権、主義は軍事介入してでも制圧、ねじ伏せるというのでは、あまりに偏狭な独善主義であり、独裁主義と断じるしかない。

東京新聞は4月30日、「(政府は)米側が求めていた滑走路をV字形に配置する方式を容認する方針を固めた。結局、自民党政権時代の「V字案」に戻る形になる。北沢俊美防衛相は五月七日に沖縄県を訪問し、仲井真弘多知事に対し、「V字案」を容認する方針を非公式に伝える見通し」であると伝えた。

東日本大震災で米軍は原子力空母まで派遣した被災地支援の「トモダチ作戦」を展開した。在沖海兵隊も現地に入り救援活動に従事した。その活動自体は心から感謝をする。

しかし、「トモダチ作戦」が終了した5月1日とほぼ歩調を合わせるように、米軍の要求する「普天間V字案」の方針を政府が固めたことを考慮すれば、米国の自国利益に合致した懐柔策にあまりにこの国は簡単に騙され、翻弄され、その外交術の幼児性を再認識させられ、暗澹たる気持ちになる。

米国は災害やテロなどすべての事象を材料に、自国利益の拡大強化につなげる強引な外交いや独善的な軍事力活用を図る国家であると云える。それは厳しい国際政治の中で当然と言えば当然の国家の動きではあるが、米国の属国にも見間違われるこの国にとって、イラク、アフガン侵攻、今回のオサマ・ビンラディン殺害という他国の主権侵害をまったく問題視せず、自己正当化を続ける米国という独善国家に、われわれはそろそろ、その欺瞞性を見抜き、一定の距離を置き、自国の安全保障問題を含め冷静な評価を下すべき時機に来ていると考える。