NHK朝ドラ「おひさま」ロケ地=旧制松本高等学校の本館・講堂
木曽路の食事処「こころ音」=奈良井宿の蕎麦・五平餅
湧水の郷、安曇野を歩く その1=NHK「おひさま」ロケ地・陽子の通学したあぜ道
「おひさま」ロケ地・安曇野を歩く その2=陽子(若尾文子)の「百白花」・大王わさび園水車のある風景

 「木曽路はすべて山の中である」  島崎藤村の「夜明け前」のあまりにも有名な書き出しである。ゴールデン・ウィークの一日、木曽路十一宿のひとつ、「奈良井宿」を訪ねた。まさにその東西を高い山並みが挟み込む狭隘な街道筋、山の中に宿場町はあった。
 

奈良井宿看板

奈良井宿駅前・下町に立つ

奈良井宿のにぎわい
にぎわう奈良井宿


3.11の東日本大震災以来、わたしは、日々、テレビ映像で流される悲惨な地獄絵図に心底打ちのめされていた。そんな気分の中、この4月より始まったNHKの朝ドラ「おひさま」の描く昭和初期の日本の風景は、いつしかわたしの心に安らぎや癒しや人の心の優しさのようなものを贈ってくれているように思えてきた。
 


ほっとする格子の美しい街並み

門前で陽子たちが出征兵士を送った石造りの家・お医者様の家だったそうです



その「おひさま」のタイトルバックに安曇野市に列んで協力・「塩尻市奈良井宿」とあった。舞台は安曇野のはずなのになぜ木曽路の宿場町なのかと思っていたが、井上真央演じる主人公の陽子が女学校へ通う街並みに奈良井宿が使われていることを知った。


鎮神社前より上町通りを・ここから鍵の手にかけてが「おひさま」のロケに使われた通り

そこで、大概の全国の「古い街並み」とガイドブックで紹介される処が、アングルによってはその通りだが、普通に眺めると何の変哲もない現代の街並みであるといった苦い体験を幾度かさせられてきた我が身ではあったが、今回はロケ地大好き人間の娘も同行とあって、話はトントン拍子に進み、奈良井宿往訪となった。
 

 

陽子たちが帰り道に寄る飴屋として使われた櫛問屋中村邸

奈良井宿は木曽十一宿のうち、江戸方面から歩いて木曽路へ入って贄(にえ)宿の次の二番目の宿場町である。因みに木曽路の出口にあたる十一番目の宿場が「夜明け前」の舞台となる馬籠宿である。
 


贄宿の入り口にある贄川関所(復元)


奈良井宿は木曽路に入って二番目の宿場町でありながら、次の宿場「薮原」との間に難所の鳥居峠(標高1197m)を挟むため、ここで宿をとる旅人が多かったことから「奈良井千軒」と呼ばれるほどに、木曽路十一宿中最も賑わい繁栄した宿場町であったという。
 


酒造店「杉の森」



昔からの旅籠だった旅館越後屋

難所である鳥居峠は古くは「県坂(あがたさか)」、中世に至り「ならい坂」・「薮原峠」とも呼ばれていたが、千五百年前後に信濃の戦国大名であった木曽義元がこの峠に戦勝祈願のために鳥居を建てたことから「鳥居峠」と呼称されるようになった。 その鳥居が戦火によって焼失し、この地の領主・奈良井義高によって、峠の下り口、奈良井宿の出口(上町・最南部)に遷されたのが奈良井宿の鎮守の社となっている「鎮(しずめ)神社」である。また、奈良井宿の江戸からの入口側(下町・最北部)には八幡宮がある。 



鎮神社鳥居・ここから鳥居峠へ登ってゆく



奈良井宿は宿場の長さが約1kmにわたる日本最長の宿場町である。江戸側から来ると、下町・中町・上町と順に宿場が区分けされており、その要所々々に6か所の「水場」がある。


「下町」の水場
例えば下町の入口には「下町の水場」がある。上町と中町の境に「鍵の手」と呼ばれる街道が稲妻形に折れた場所があるが、そこに「鍵の手の水場」と「荒沢不動尊」がある。

鍵の手・左手に見える水場、右手鳥居が荒沢不動尊

「横水」の水場

中町と下町は「横水」という沢(水場)で区切られている。また、奈良井宿の出口である鎮神社の手前には、「宮の沢」という水場が置かれている。旅人の喉をうるおしてきたそれらの水場は木曽路の湧水を引いており、奈良井宿の上・中・下の水場組合の人々によって現在も管理されている。


「宮の沢」の水場

奈良井宿を実際に歩いて見て、正直びっくりした。1kmにおよぶ中山道の宿場町はおよそ300軒の住民の方々の努力により、見事に江戸、明治時代の街並みが修復・復元・保存されて現在に残されていた。


日本の原風景

京風の格子が続く街並み。板を重ねて波形にそらせた鎧庇や猿頭(さるがしら)と呼ばれる独特の小屋根は奈良井宿独特のものであるという。格子戸と吊り金具で支えられたその小屋根が連なる風景を目にしながらそぞろ歩く。




中村邸の鎧庇を飾る雲形をした猿頭

鎧庇や猿頭(さるがしら)の続く街道


日本の原風景と言えば安易過ぎる。しかし、この国難とも呼ぶべき時に、たまたま訪れたこの奈良井宿の街並みは、確かにわたしに「日本人は大切なものと引き換えに、今の薄っぺらな文明を手にしたのだ」と、呼びかけているように思えてならなかったのである。 街並みの入口と出口に神社が祀られている生活。要所々々に旅人の喉をうるおすための水場を整備している思いやり。そして崩壊しようとした古い街並みをひとつひとつ修復、復元し、街の人みんなで保存し続ける共同体・・・。この奈良井宿にはいまも息づいている「日本人の心」があると感じた。


「鍵の手」に立つ道祖神



そして、NHK朝ドラ「おひさま」はこれからつらい戦火の時代に入ってゆくのであろう。しかし、脚本家が若尾文子さんに語らせていた「昭和13年頃の時代は決して不幸だとは思っていなかった」という庶民の安らかな歴史、古き良き日本の佇まいが、この奈良井宿には大切に残されているのだとも感じたのである。