福島第一原発事故の被害が徐々に広がっている。そんななかで、広島の平和記念資料館を訪ねた記事をアップするのがよいか正直、迷った。しかし、こうした時機だからこそ、核兵器すなわち原子力の軍事利用の非道を強く訴えねばならぬし、その一方で原子力の平和利用について人類の叡智を募ってやはり継続してゆくべきだとの考えを伝えるべきであるとし、以下の通り掲載することとした。


平和記念資料館東館 

平和記念資料館を訪ねた当日はお彼岸の3連休の一日だったからなのか、原発事故で原子力に国民の関心が集まっているのか、雨の日にもかかわらず多くの見学者が資料館を訪れていた。

 通常であれば東館、本館合わせて一時間ほどの見学時間で館内を一周できるとのことであったが、その日はたくさんの人が列をなし熱心に展示物やパネルを覗き込んでいた。そのため、倍の二時間をかけても最後の方は少し足早で通り過ぎらざるを得なかった。


 いま、福島第一原発事故の恐怖から原子力の平和利用に大きな赤信号が灯っている。その最中、大量殺りく兵器としての「核兵器」が人類史上初めて使用された広島で、そのやるせないほどに残虐な被災実態の片りんに触れた。


「Little Boy」と呼んだ広島型原爆(ウラニウム爆弾)

「Fat Man」と呼んだ長崎型原爆(プルトニウム爆弾)・広島型より殺戮力強い

昨夏、わたしは約四十年ぶりに長崎の原爆資料館を訪ねたが、広島の原爆資料館に足を踏み入れたのは今回が初めてである。



投下後3時間の爆心地より2kmで写した貴重な写真

被爆のジオラマ

平成6年の「広島平和記念資料館」への衣替えを機に、おそらく原爆被災資料の展示のあり方が変わったのだろう。タクシーの運転手や30年ほど前に見学したという家内の話では、以前は気分が悪くなるほどに原爆罹災の写真や焼け焦げ変形した品々、構造物が「これでもかこれでもか」というほどに列んでいたという。


三輪車と鉄かぶと

ガスタンクに映るハンドルの影

剥がれた爪と皮膚

剥がれた右ひじのケロイドの皮膚

現在は長崎と比較すると、政治的メッセージの強い東館の展示にやや心理的抵抗を感じたものの、原爆被害の実態を現在に語る本館の展示物は、幾万言の言葉にも勝る迫力でわれわれの胸に「核兵器の非人道性」を訴え、長崎の時と同様に知らず知らずのうちに目頭が熱くなってきた。


原爆病で亡くなった佐々木禎子さんが折った千羽鶴 

今回の大震災による原発事故以前、北朝鮮の核武装問題など北東アジア情勢の緊迫化を受け、国家の安全保障に係る「核保有」へ向けて心が揺れていたのも偽らざる気持ちである。


焦土に残されたもの

黒い雨の跡が残った白壁 

しかし、長崎や広島の原爆資料館に列ぶ展示物は、「核戦争の非道」から目を背けるな、人類よ理性を取り戻せ、セ氏1万度の灼熱地獄のなかでのた打ち回った人たちがいたことを決して忘れるなと、静かに真摯に語りかけてきた。改めて「核兵器の非道」を忘れてはならぬと思い知らされた一日であった。


その一方で、原子力に対する正しい知識の普及を早急にすすめるべきであり、平和利用にあたっての安全対策の見直しなど今後、日本にとどまらず世界中の専門家を入れての新たな基準作りを急ぐべきだと感じた。


現在の状況下こう云ったら大きな批難を浴びるかも知れぬが、M9.0という千年に一度の巨大地震でも原発は破壊されなかった。制御棒が入り原子炉は自動停止した。今後の検証を待たねばはっきりとしたことはもちろん言えぬが、津波被害に対する安全措置つまり非常用電源の設置の在り方に大きな問題があったため、こうした人災と云うべき原発事故が引き起こされているのだということも知っておくべきである。


東電は、2007716日の新潟県中越沖地震によって柏崎刈羽原子力発電所の外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし放射性物質の漏えいおよび震災後の高波による敷地内冠水で使用済み燃料棒プールの冷却水の一部流出という事故を3年半前に体験している。 

その際に、今回全滅した非常用の電源が奇跡的に一台被害を免れたことで、原子炉や使用済み燃料棒プールの冷却水を循環させ得たと聴いている。その綱渡りの経験が福島原発に即時活かされておれば、非常用電源は何らかの形で確保され、原子炉内の圧力を制御し、水蒸気の発生すなわち水素爆発を引き起こすことはなかったのではないかと素人なりに考える。


被災の経験に学ばぬ東電およびその対応を早急に取らせなかった経済産業省の原子力安全・保安院および原発の設置基準の見直しを急がなかった政治の怠慢が、今回の背筋の凍る原発事故を招来したのだと云える。


雨の中、原爆死没者慰霊碑を参る人々 

まさに人災である。既存原発の設置基準の見直し、それから福島原発においては廃炉方法の検討につき政官民一体となって早急に対応すべきである。


そして、今回の事故検証、今後のエネルギー政策(エネルギー源多様化・安全保障)、地球温暖化阻止のための温室効果ガス削減の方策等その議論内容を適宜、国民に開示、説明を行ない、国民の納得を得る形で今後の原子力平和利用は進められなければならない。

その過程では当然、これまでどちらかというと議論が避けられてきた「放射性廃棄物」の処理・処分や現在、フランスやイギリスにその大半を依存している「使用済み核燃料の再処理」など一気通貫の「核燃料サイクル」構築をどうするのか、まさにエネルギー安全保障と国民の生活と命の安全の視点から、国民挙げての議論がなされるべき時機に来ているのだと強く思う。