神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 番外編 阿曇磯良(アズミノイソラ) 〔上〕
神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 番外編 阿曇磯良(アズミノイソラ) 〔中〕
神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 16 海神神社(上)
神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 15 阿麻テ留(アマテル)神社(上)
神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1


神功皇后の三韓征伐を先導した海人族の祖、阿曇磯良(あずみのいそら)




③ 対馬に残る磯良伝説

阿曇磯良の墓であると伝わる磐座が和多都美神社の潮溜まりに残されているように、上古の対馬の歴史を海人族抜きで考えることは難しい。そして、磯良の伝承は神功皇后に寄り添うかのように、皇后の所縁の地に残されている。


【胡禄神社/琴崎大明神】

    住所:上対馬町琴字琴崎3

    社号:琴崎大明神/胡禄神社(明細帳)

    神籬・磐境型式の古代神道

    祭神:海神(大小神社帳)、表津少童命 中津少童命 底津少童命 磯良(大帳)、表田少童命 中津命 底津命 太田命(明細帳)

    由緒

神功皇后新羅征伐し給ふとて、此の琴崎東澳(オキ)を過ぎ玉ふとき、此の海辺に御船を繋ぎ玉ふとき、御船の碇海底に沈む。是に於いて安曇磯武良海中に入り、碇を取り上げると云ふ。今の祭場は皇后の行宮の故跡也。古くは藩が営繕費を総て公衙(コウガ)より支給す。(明細帳)


胡禄御子神社



【五根緒浦(ゴニョウウラ)神社/曽祢崎神社】

    住所:上対馬町五根緒字平山188番地

    社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。

    祭神:五十猛命(イシタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯良

    五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イシタケラ)とも考えられる。同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」

と、あることからも、ここの場合、五十猛=磯武良と比定するのが妥当。


曽根崎神社の対馬海峡に向いた鳥居


    塔ノ崎の四基の石塔の二基は古く、この石積みが何を意味するのかは謎である。何か海岸に位置する鳥居が北面して海上に向かっていることから、この石積みは灯台のようでもあり、航海の安全を祈願する石塔のようにも見える。




④ 阿曇氏の祖である磯良。信州安曇野に残る海人族安曇氏と対馬の影

●穂高神社・穂高見命(長野県安曇野市穂高6079 穂高神社HP

    穂高神社の御祭神が穂高見命。信州の臍にあたる安曇野市穂高に建ち、その奥宮は上高地にある明神池のほとりに鎮座している。毎年、108日、雅楽の調べのなか、二艘の龍頭鷁首(リュウトウゲキシュ)を神秘的な池に浮かべ「御船神事」が催される。さらに峰宮は、北アルプスの主峰、奥穂高岳頂上(標高3190M)に鎮座する。

    穂高見命は、海神(豊玉彦命)の長男でかつ安曇磯良の伯父にあたることから、安曇族の祖神ということになる。安曇族は、抑々は北九州を拠点に栄え、海運を司り、早くから大陸方面とも交渉をもつなど高い文化を誇る海人族だが、なぜ、海に面せぬしかも山深い高地に海神を祀る氏族の拠点が存在するのか。

    そのひとつの理由として考えられるのが、船の建造用木材すなわち森林資源の確保のために良質の木材を擁する山脈を支配したというものである。

    穂高神社は、醍醐天皇の延長五年(927年)に選定された「延喜式の神名帳」には名神大社として列せられている。

    また、穂高見命は、古来、大きな湖であった処の堤を決壊させ、安曇野という沃地を拓いたと伝承される信州の昔話「泉小太郎」と重ね合わせることができる。


●道祖神に残る古代文字たる阿比留文字

 阿比留文字という対馬の阿比留氏(宗家の前の支配者)に伝わったというハングル文字に似た古代文字がある。その文字が刻まれた石碑や道祖神が、北九州や信州安曇野という安曇氏に所縁の深い土地で発見されていることも、海人族と天孫族の抗争を考える上でのひとつの考察の視点であり、今後の課題であると楽しい思いで認識している。