神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1
神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 番外編 阿曇磯良(アズミノイソラ) 〔上〕
神々のふるさと、対馬巡礼の旅--- 番外編 阿曇磯良(アズミノイソラ) 〔下〕
神々のふるさと、対馬巡礼の旅---17 府中/厳原八幡宮神社

神功皇后の三韓征伐を先導した海人族の祖、阿曇磯良



  磯良伝説が色濃い「志賀海神社」と「君が代」の謎


【志賀海神社(シカウミジンジャ)】

    住所:福岡市東区志賀島877

    全国の綿津見神社の総本宮(海神の総本社)

    祭神:底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)・仲津綿津見神(ナカツワタツミノカミ)・表津綿津見神(ウハツワタツミノカミ)の三柱(綿津見三神

    4月と11月の例祭において「君が代」の神楽が奉納される

    代々阿曇氏が宮司職に就く。

    『筑前國風土記』(注1)に神功皇后が三韓征伐の際に志賀島に立ち寄ったとの記述があり、阿曇氏の祖神である阿曇磯良が舵取りを務めたとされる。

上記下線部分は『風土記』に記載なし。


(注1)筑前國風土記

「筑紫の國の風土記に曰はく、糟屋の郡。資珂嶋(シカシマ)。昔者(ムカシ)、氣長足尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)、新羅に幸(イデマ)しし時、御船、夜来て此の嶋に泊(ハ)てき陪從(ミトモビト)、名は大濱小濱と云ふ者あり。便(スナハ)ち小濱に敕(ミコトノリ)して、此の嶋に遣りて火を覓(ト)めしたまふに、得て早く來つ。大濱問ひけらく、『近く家ありや』といふに、小濱答へけらく、『此の嶋と打昇(ウチアゲ)の濱と、近く相連接(アヒツヅ)けり。殆(ホトホト)同じき地(トコロ)と謂ふべし』といひき。因りて近(チカ)嶋と曰(イ)ひき。今、訛(ヨコナマ)りて資珂(シカ)嶋と謂ふ。


「君が代」の元歌ではないかとされる志賀海神社の《山誉漁猟祭(やまほめかりすなどりさい)神事》の神楽歌。次に記す通り。


君が代<だい>は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで

あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳<せんざい>という

花こそ 咲いたる 沖の御津<おんづ>の汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほやと言い、次に別当が、


志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで

今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ

いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良<いそら>が崎に 鯛釣るおきなと言う。


その後、禰宜がいくせで釣る 別当がよせてぞ釣ると三度繰り返し言う。

*別当《元来は本官のある者が別の役を兼ねて当たる意》


志賀海神社の《山誉漁猟祭(やまほめかりすなどりさい)神事》の神楽歌が「君が代」源流とする説 (「君が代の源流」を参照)


 『君が代』の歌詞には、「現在に残る筑紫の地名や神社そして祭神の名前が多く含まれている。千代は字名、八千代は博多湾のこと。福岡県前原市(伊都国)三雲に細石(サザレイシ)神社が現存。糸島市志摩船越桜谷にある若宮神社(古くは桜谷神社)の祭神が苔牟須売(コケムスメ)神と木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)。」と、これだけ揃えば逆に、「君が代」とはまったく無縁というのもそれなりの説明が必要だと思う。


 以上のように志賀海神社の神楽「君が代」の内容や当社代々の宮司が阿曇氏であることなどを考慮すると、阿曇磯良が海人族の長の一人であり、阿曇族が北九州を中心とした一円を支配する大王として崇められていたことは確かと云える。