阿曇磯良の墓との伝説のある神体石(和多都美神社)


神功皇后の三韓征伐を先導した海人族の祖、阿曇磯良


  海人族の祖である阿曇磯良

神功皇后の新羅征討説話のなかで、占い神事に長けたものとして随行した中臣烏賊津使主(雷大臣)とともに出てくるのが、阿曇磯良である。その時、海人族たる磯良は航海の先導役としての役割を担っていた。磯良は海神とも目され、或いはまた海神(豊玉彦)の娘である豊玉姫の子であるとも云われており、海人族の有力豪族安曇氏の始祖として祀られる存在である。そのため、安曇氏の本拠地とされる福岡県の志賀島周辺にも多くの伝承を残す。


対馬に関わる神々の相関図


【安曇磯良】Wikipediaより)

    安曇(阿曇)磯良は神道の神である。海の神とされ、また、安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。磯武良(いそたけら)と称されることもある。

    石清水八幡宮の縁起である『八幡愚童訓』には「安曇磯良と申す志賀海大明神」とあり、当時は志賀海神社(福岡市)の祭神であったということになる(現在は綿津見三神を祀る)。同社は古代の創建以来、阿曇氏が祭祀を司っている。


    民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。


    『太平記』には、磯良(阿度部(あどべ)の磯良)の出現について以下のように記している。神功皇后は三韓出兵の際に諸神を招いたが、海底に住む阿度部の磯良だけは、顔に牡蠣や鮑がついていて醜いのでそれを恥じて現れなかった。そこで住吉神は海中に舞台を構えて磯良が好む舞を奏して誘い出すと、それに応じて磯良が現れた。磯良は龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠(シホミツタマ)・潮乾珠(シホフルタマ)(海幸山幸神話に登場)を借り受けて皇后に献上し、そのおかげで皇后は三韓出兵に成功したのだという。志賀海神社の社伝でも、「神功皇后が三韓出兵の際に海路の安全を願って阿曇磯良に協力を求め、磯良は熟考の上で承諾して皇后を庇護した」とある。北九州市の関門海峡に面する和布刈神社は、三韓出兵からの帰途、磯良の奇魂・幸魂を速門に鎮めたのに始まると伝えられる。


    阿曇磯良は「阿曇磯良丸」と呼ぶこともあり、船の名前に「丸」をつけるのはこれに由来するとする説がある(ほかにも諸説ある)。宮中に伝わる神楽の一つ「阿知女作法」の「阿知女(あちめ)」は阿曇または阿度部(あとべ)のことである。


【神功皇后の三韓征伐説話の中に安曇磯良が登場】「紀の中の安曇氏」

1.「八幡愚童訓(ハチマングドウクン)」(鎌倉中後期/著者不明・石清水八幡宮の僧との伝/八幡神の霊験、神徳を説いた寺社縁起)に残る説話


「仲哀天皇の御世のことである。異国が攻めてきた。天皇は長門の豊浦まで来て戦われたが討ち死にされた。その後、神功皇后に天照大神の『三韓が攻めてくる前にこちらから向いなさい』という託宣があってから、住吉大明神が現われた。皇后は48艘の船をお造りになった。住吉大明神が『梶取には、常陸国の海底にすむ安曇礒良が良い』というので、皇后は礒良を召し出そうとされたがなかなか来ない。住吉大明神は、自らが拍子をとり神楽を催した。すると、礒良は慌てて足袋と脚半を着け、亀に乗って常陸から豊浦までやって来た。そして、顔が醜いので袖で隠し、首には鼓をかけて、細男(せいなう)舞(注1)を舞った。皇后は妹の豊姫を使いとし、高良大明神と水先人の礒良を伴わせて竜宮へ行くよう命じられた。一行3人は海の竜王から旱珠・満珠を借りることが出来た。安曇礒良は、筑前国では鹿島(しかのしま)大明神、常陸国では鹿島(かしま)大明神、大和国では春日大明神という。異名であるが同一神である。神功皇后は軍船を率いて敵国に向われた。梶取は志賀島大明神、大将軍は住吉大明神、副将軍は高良大明神である。敵は大軍であった。しかし、皇后は旱珠・満珠をお使いになり、敵を溺れさせて勝つ事ができた。


(注1)細男舞(セイナウマイ)

    「続日本紀」天平3年7月の条に、「筑紫の風俗が宮廷に献上され、雅楽寮で宮廷楽舞として伝習されるようになった」とあるが、これが細男舞ではないかと推測される。

    現に、「細男舞」は奈良の日若宮神社の例祭「おん祭」において現代も舞われている。

    海人族の長、阿曇氏の先祖である阿曇磯良が、神功皇后と応神八幡に従属した様子を模したという。応神が海中に舞台を構え、磯良が好む細男舞を奏すと、磯良は首に鼓をかけ、浄衣の舞姿で亀に乗って浮き上がって来た。しかし長いこと海中にいた為、顔に鮑や牡蠣がくっつき見苦しい為、白覆面をして舞ったという。