京都のロケ地めぐり 1 =鴨川の飛び石

京都のロケ地めぐり--- 2 = 巽橋・白川一本橋(行者橋)

京都のロケ地めぐり―――4=南禅寺水路閣

龍馬伝、京都を歩く

八坂の塔は京都東山を代表する五重塔である。その高さは東寺の54.8m、興福寺の50.8mに次ぐ日本で三番目の46mの高さを誇る。東大路通りから緩やかに上る八坂通りに入る。そこからの五重塔をちょっと見上げる構図が映画やテレビドラマでよく、目にするカットである。下の写真で「あぁ、ここね」とうなずく方も多いのではないだろうか。

八坂の塔へ近づくショット

近づいた

ぐっと近づいた 

坂の塔という名を誰しも一度は耳にしたことがあると思うが、法観寺(ほうかんじ)というお寺にある塔だということを知っている人は意外に少ないのではなかろうか。わたしも実はどこのお寺かは知らなかった。法観寺と言われてもピンと来なかったのである。

八坂の塔を仰ぐ

境内の紅葉

塔内の大日如来

心柱を巡り安置された五大力尊のひとつ

塔内

塔内の壁画

当寺の正式名称は「霊應山八坂法観禅寺」という。由緒書に「寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢告により五重の塔を建て、仏舎利三粒を納め法観寺と号したという(五八九年)またこの創建には古くから八坂郷を拠点としていた渡来系豪族狛人・八坂造がかかわるものと推測される(六七八年)」と記されている。

境内より塔内を

二階より心柱を


塔の二階より

洛中を俯瞰 

往時は延喜式7ヶ寺のひとつに数えられるほどの大伽藍を擁する寺であったというが、現在は小さな境内に八坂の塔と太子堂、薬師堂の二つの小さなお堂が配置されているのみである。

薬師堂

太子堂

境内

ただ、八坂の塔の中心礎石は、「創建当初のもので、円形舎利孔、石蓋孔、凹柱座のある三段式で、白鳳の様式を留め、日本での舎利信仰の原点とされている。殊にこの心礎には全国で僅か二例という古い石蓋を今日も存している」と由来書で紹介されており、その歴史的価値は大きい。

心柱の礎石

白鳳様式の中心礎石(円形舎利孔・石蓋孔・凹柱座)
また、境内には八坂稲荷尊天社があり、そこに木曽義仲の首塚がある。少し分かりにくいので丁寧に見る必要。
 

八坂稲荷尊天社

駒札

木曾義仲の首塚(左)と藤原教子の墓(右) 

朝日将軍、木曾義仲の首塚:左奥のお墓です

木曾義仲は近江粟津で討たれたがその首が家臣の手によってこの法観寺の地に葬られたという。その傍らには第58代光孝天皇(在位884887)の外祖母藤原教子の墓もある。光孝天皇の御代に藤原氏(基経・藤原道長の4代前)は初めて関白に就任した。