長崎県西海市崎戸町本郷953
電話:0959-35-3422,090-9798-3467
9月2日、長崎市内から車を駆って2時間ほどで、西海市にある崎戸町に到着した。9月に入ったというのに気温が33度に達する、まだ盛夏、真っ只中といった一日であった。
北緯33度展望台より東シナ海を
現在の崎戸町は人口二千人ほどだが、三菱崎戸炭鉱で繁栄した時代は、5.2平方kmの小さな島(蛎浦島+崎戸島)に二万五千人を超える人々で賑わいを見せていた。その当時は、大島大橋もなく(99年開通)文字通りの離島であったが、いまは長崎市から車ひとつで行ける地続きにある。便利と云えば便利になったものである。
炭鉱夫像(崎戸町歴史民俗資料館前)
その小島であった頃、私は小学三年生になるまでこの地で過ごし、父の転勤と共に東京へ移った。
そして、今回、長崎での龍馬伝巡りの合間に、半世紀ぶりに崎戸での一晩を愉しんだ。宿は、長崎市で教職を務める従弟が紹介してくれた「島宿 桜櫻」である。帰京後、速やかに、この「ぬくもりの宿」を紹介しなければと思いつつ、「対馬巡礼の旅」などという、とんでもない大河?ブログに挑戦中なもので、アップが延び延びとなっていた。今日はと思い、「桜櫻」の御主人、松本弥代吉さんのブログをあけると、なんと、あの日のことがアップされていた。参った!(松本さん、ゴメンナサイ!)
本郷橋を渡ってすぐ、「桜櫻」が
と云うことで、慌てて、でも、思い入れたっぷりに書かねばならぬ・・・
島宿「桜櫻」
松本弥代吉さんと奥様
食事は海の幸主体の素材を生かした素朴な料理だろうと、事前に勝手に思い込んでいたが、然に非ず。こう云っては大変失礼だが、非常に洗練された料理であったので、正直、びっくりした。皿の種類も豊富で、ダイエットにいそしむ家内と娘がひと夜だけの小休止を余儀なくされたのは云うまでもない。
盛り皿や取り皿などに使われた食器はセンスがよく、奥様がひとつひとつ料理を運んで来られるにつれ、私はいつしか、どこか都会の片隅の小洒落た隠れ家にいるような錯覚に捉われていった。
伊勢海老・あわび・サザエ・水烏賊・きじハタの刺身盛合せ
角度を変えて、豪勢ぶりをもう一枚パチッ!(枚数が少ないので・・・)
これ一人前です
そうだ、荒カブのから揚げもおいしかったなぁ・・・
姿よく盛りつけられた料理も、和洋といったジャンルに捉われない、料理人の心がストレートに伝わってくる素敵なものであった。素晴らしい手造りの作品を紹介しようと、写真を探したところ、最初のオードブルと伊勢海老など豪華盛りが数枚ある程度で、いかに会話が急速に盛り上がったのかが、これでよく分かるというものだ(言訳かい?)。
食事が一段落したところで、厨房からご主人の弥代吉さんがご挨拶に出て来られた。そして、掘り炬燵形式のテーブルに同席し、奥様と一緒になって、会話に加わってくれた。吹き抜けの天井を見上げると、大きな火棚とそこから垂れる自在鉤が目に入る。この木の空間に風趣を添えて見事である。
それからまさに囲炉裏端に座っているような気分で、話に夢中になっていくのである。ご両者のひと言ひと言は鋭いタッチで筆を入れる匠の絵師のようで、50年前のピンボケたセピア色の記憶に、次第にくっきりとした輪郭を浮かび上がらせ、彩色がほどこされていった。ある時は、いま、流行りの3Dならぬ立体的な映像として、思い出のひとコマがゆっくりとではあるが命を吹き込まれ、動き出すこともあった。
そう、この小さな島に佐世保に本店のある「玉屋」というデパートの支店までがあった・・・。横綱の千代の山や栃錦が参加した大相撲の巡業で大興奮した・・・。小学校の通学路に崖のこわい場所があった・・・。それから、おびただしい数の炭住の棟々から立ち昇る熱気と喧騒がまざまざと目蓋の内に映った。
それはまるでストーリーのある絵巻物のようで、また今では甘酸っぱい匂いに変わってしまったが、潮風にのせて刺激臭のある石炭の匂いさえも運んでくれるようだ・・・
人口二千人という過疎の島に、そうした活況の時代があったことは夢のようである。松本ご夫妻との話が盛り上がるうちに、あの頃の日本という国は、こんな九州の端っこにある小さな島でも活気にあふれ、夢いっぱいの人生で押し合いへし合いしていたことに気づかされた。
坂の上の雲を見つめ続け、歩みの歩を進めてきたはずの日本。半世紀の星霜を経て、この国は、その結果、何を手にしたのか。大人たちの笑顔からあふれるエネルギーや笑い声に突き上げられるように南国の青空はどこまでも高かったことを、幼心にも感じていた・・・。まばゆかった日本・・・。
翌朝、松本さんに往時の炭鉱時代の遺跡、いや廃墟をご案内いただいた。幼い自分が通った小学校の廃墟を山上に認めた時には、正直、言葉がなかった。また、海水プールの跡を見せられた時には、東京で初めてプールに入った時に、真水であったことに驚き、うまく泳げなかったことを思い出した。
黒く煤けた貯炭場の遺構
そして、根の強い夏草が生い茂るなかを短パン姿の松本さんが先導してゆく先に、炭鉱時代の構築物があった。頂に緑を繁茂させた煉瓦造りの煙突。貯炭場の黒く煤けたコンクリートの頑丈な骨組み。深緑の蔦に覆われた大きな煉瓦壁・・・。どこか、異次元の世界へと迷い込んだような時間であった。
蔦に覆われた変電所の煉瓦壁
半世紀という時の流れは、ある意味、人間という生き物の愚かしさを教え諭すためにあったのではないのか、背丈を越える夏草の叢生する場に止まり、真っ青な空に樹木を戴く煙突を眺めているうちに、そう感じたのである。
あの頃も、今日のように空は高く、青く澄み渡っていた。
崎戸の空
何のことはないのだ。自然は、横暴な人の営みの残滓すら、長い時間をかけ風化させ、また覆い尽くし、そして消し去ってゆくのだ。
そう! 歴史はその繰り返しなだけなのだ・・・。
その時、誰かが耳元で囁いたのである。
「空はいつも無窮なんだ・・・、海は果てしなく広いんだ・・・、そして、失くしたはずの緑ですら空の上にだって甦させることができるんだ」と・・・・。
桜櫻からの朝日
たった一泊二日の「桜櫻」の時間であった。
しかし、そこで過ごした僅かな時間は、人間は所詮、大きな自然の懐に借り棲まいしている小さな生き物なのだ。自然を為す生態系のひとつとして、その共生の中にこそ命の幸せはあるのだと、小さな絵巻物にして、愚かな私の目の前に具象化して示してくれたのである・・・。