神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(大吉戸神社と金田城の謎)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅――番外編(対馬のことごと)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 5(鴨居瀬の住吉神社)

神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 6(鴨居瀬の住吉神社・赤島)

 翌29日は事前に予約を入れておいた市営渡海船「ニューとよたま」(定員2030名)で、午前十時半から午後零時の間、浅茅湾を巡りながら海上から対馬を観光した。ルートは樽ヶ浜〜鋸割(ノコワキ)・城山(ジョウヤマ)〜和多都美〜樽ヶ浜である。

 


  

樽ヶ浜


樽ヶ浜に停泊する遊覧船


乗船する渡海船「ニューとよたま」

 

 当日は幸い好天に恵まれ、いや、相当に暑い日であったが、クルージングには最高の日和であった。その日はわれわれ6人に加え、やはり東京からの観光客一行7名を加えた二組だけのゆったりとした船旅であった。


樽ヶ浜から浅茅湾へ


丘の上に対馬空港


着陸態勢のANA機 

 

 樽ヶ浜は対馬空港から1km余、浅茅湾の東南隅の突き当りにある。小さな桟橋を出て、志々加島を右手に見て、みそくれ鼻を左に回り込んで鼠島を左手にかわすと、まず最初のビュースポットである飯盛山(126m)が見えてくる。丸いおにぎり型の山頂部分が夕刻になると白く輝き、本当においしいおにぎりソックリに見えるそうだ。

 


横からはゴリラの顔にも見える飯盛山


正面からの飯盛山。夕方、頭が白く輝くとお握りに見える。 

 

 その飯盛山を左後方に見ながら進むと、左手に、第二のビュースポット、突端に白い灯台が立つ芋崎が見えてくる。芋崎は西側海上から敵が攻めてきた時の浅茅湾の「のど仏」と云われ、古代から海上交通や軍事上の要衝の地であった。実際に、幕末の1861年、ロシア帝国海軍の軍艦「ポサドニック」が対馬租借を狙い半年にわたり占拠を続けた場所でもある。

 

 

芋崎の灯台



Uターンすると芋崎の岩肌は荒波で屹立している
 

その芋崎をくるりと左へUターンすると、正面に城山(272m)、ちょっと左に鶴ヶ岳(162m)が見える。その二つの山が迫る「細り口」という名前通りの狭い水路へと船は向かう。「細り口」から黒瀬湾へと入ってゆく鶴ヶ岳の南端に「鋸割(ノコワキ)岩」がある。このクルーズの最大の見どころと云ってもよい。石英斑岩の百メートル近い巨岩は海上から見上げると、まさに山を鋸でバサッと切り裂いたように垂直に岩肌が屹立し、豪壮とも評すべき絶景である。

 


正面は細り口。右が城山、左突端部が鋸割岩


鋸割岩に近づいてゆく


鋸割岩が迫る


間近に見る鋸割岩


海中に垂直に落ち込む鋸割岩 

 

そこから黒瀬湾に入ってすぐ右手、城山が海になだれ込む水際にまさに忽然と石の鳥居が姿を現す。湾というより静かな湖に居るようで、海面はこの船が起こす波紋が広がるのみで、船上に居ながら森閑とした深山のなかをゆく旅人の気分になる。その神秘的雰囲気のなかに、古くは黒瀬の「城八幡宮」とも号した「大吉戸神社」が静かに鎮座している。

 


黒瀬湾の入口右手に大吉戸神社の鳥居が・・・


鳥居の奥に石段が見える


城山の山裾に大吉戸神社がある 

 

右手に迫る城山中腹の樹林の合間に所々、石垣が見えてくる。

 


中腹に朝鮮式山城の金田城の石塁が 



はっきり見える山腹を巡る石塁
 

 

663年に白村江(ハクスキノエ)の戦いがあった。百済救援に向かった倭の艦隊が新羅を支援する唐の艦隊に大敗を帰した戦である。敗戦の後、天智天皇は667年に、新羅、唐からの侵寇に備え、金田城(カナタノキ)の造営を命じた。「紀」の「天智天皇611月の条」が、讃岐の屋嶋城、倭国(大和)の高安城と同時にこの金田城を築いたことを伝えている。その朝鮮式山城の城壁こそが樹林の隙間に見える石垣なのである。

 

 

 

現在も高さ2.5m〜6m、総延長5.4kmにわたりその石塁が残っている。一ノ城戸(キド)から三ノ城戸まで三つの城門があるが、近年、発掘も進み、その修復や復元とともに城壁に当たる石組みの修復も行なわれている。対馬が国防の拠点の最前線であったという当時の緊張した国際関係を肌で感じ取れる興味深い遺跡である。

 

 


正面上部に修復中の石塁が見える 

 

 

そして、そこで反転していよいよ、「ニューとよたま」は対馬観光の目玉とも云うべき海上からの和多都美神社観光へと向かう。

 


「ニューとよたま」 は黒瀬湾を出てゆく



聖なる山、白嶽山の頂上が見える

浅茅湾の真珠の養殖
浅茅湾では真珠の養殖が盛んである


湊の村


村の対岸に真珠の加工工場。毎日、工場へ船で行き来する
 

浅茅湾を北上し、仁位浅茅湾へと入り、時計回りに湾内を進んだ奥まった場所に、昨日、真珠の浜に降りて見上げた一之鳥居と二之鳥居が海上に浮かんでいるのが望見できた。

 


右手奥が真珠の浜。一之鳥居、二之鳥居が遠くに・・・


海中に立つ鳥居。前日は一之鳥居の少し 向こうまで歩いて来れた

 

 

船は鳥居の正面近くに停止する。海上から五つの鳥居をまっすぐに見通すのが、このクルーズの真骨頂ということだと、ガイドのオジサンが案内する。このスポットで鳥居をバックに記念撮影というのが定番ということなので、当然、われわれもパチパチとデジカメを撮り合った。

 


シャッター・チャンス!!船長さんお見事!


満ち潮に覆われた満珠瀬と豊玉姫の像


海上、満ち潮で隠れた太田浜から、玉の井の鳥居を
 

 

静かな入り江の海中に鳥居が立ち、それをくぐった奥に宮殿がある。海上から眺めてみて、ここがまさに龍宮城だということを確信した瞬間であった。 そして、和多都美の海は、わたしに夏の強烈な陽光を碧色に跳ね返して見せた。

 

ここが、龍宮城だと確信した瞬間!!!




樽ヶ浜へ

樽ヶ浜へ 

 
 船は一路、樽ヶ浜に向かい波を蹴った!